鶴見区の坂-6
2006年7月30日
鶴見駅 バス→末吉橋・・・「歴史と緑の散歩道」・・兜塚・駒岡浅間神社・・・長坂③?・・・四辻地蔵・・・梶山橋・・・五輪供養塔・・・長坂②坂上・・・せんこう坂・・・駒岡稲荷社・・・二つ池・・・大坂②・・・新坂②・光明寺・・・鋸坂・・・本覚寺・・・新坂③・・・車地蔵・・・前坂・・・せど坂・・・宗泉寺・・・やん坂・上の宮八幡神社・・・上の宮中学校バス停→鶴見駅
上末吉小学校の所から「鶴見区歴史と緑の散歩道」へ入り、散歩道近辺の坂を歩きました。長坂③は駒岡小学校の東側の坂ですが道筋ははっきりしません。
鎌倉街道と神奈川道の交差する所の四辻地蔵から、せんこう坂下の駒岡稲荷社までは7月27日に歩いた逆の道筋です。二つ池の西側から獅子ケ谷市民の森に入りました。大坂②、新坂②、鋸坂は今は市民の森内の道です。新坂③も今はあまり通られていない坂のようです。
車地蔵はけっこう大きく、堂の柱に車がついていて手で回せます。ここから前坂への道がはっきりしなく随分迷いました。前坂は未舗装の道で今は農道のような細い坂で車は通れないのでは。地図にも点線で坂上から坂の中ほどまでしか表示されていません。坂上は鎌倉街道の「歴史と緑の散歩道」へ出ます。
前坂上の鎌倉街道を左に少し行くと、せど坂が南に下っています。坂下から宗泉寺に寄り、上の宮八幡神社へ向いました。神社の前のやん坂の下って上の宮中学校のバス停に出ました。
今日梅雨が明けたそうです。歩き始めは蒸し暑かったですが、晴れてくると空気が少しカラッとしたように感じました。
*参考:『鶴見みどころ80』
写真をクリックすると拡大します。
上末吉5丁目の上末吉小学校の北側に散歩道の入口がある。
太田道灌に関する伝説。道灌が城を築こうとした「加瀬の台」(夢見ケ崎)とは、鶴見川を渡って北方向の川崎市幸区南加瀬の「夢見ケ崎動物公園」、「夢見ケ崎公園」のあるあたりだろう。《地図》
兜塚 《地図》
円墳だろうか
駒岡浅間神社(兜塚の上)
浅間神社の下あたり
長坂③?(坂途中から坂下方向) 駒岡3-13と3-14の間を北東に上る。《地図》
下は環状2号
梶山橋からの鎌倉街道(左)と長坂②の坂上(右)の交差する所。
大坂②(坂途中から坂下方向) 獅子ヶ谷2-16の北に下る階段坂。《地図》(道筋の標示はない。)
光明寺(獅子ヶ谷2-29)
新坂②(坂下近くから) 獅子ヶ谷2-29と2-30の間を南に上る。途中から階段坂となる。《地図》
東側の大坂より後からできた坂で新坂というようになった。『鶴見の坂道』
「鋸坂」 獅子ヶ谷市民の森の西谷広場の池の所から曲がりながら南に上る。 《地図》
ジグザグに登る坂の形が鋸の歯のようなのでつけられた名。『鶴見の坂道』
横溝屋敷の屋根が見える。
本覚寺(獅子ヶ谷2-6)
新坂③(坂上から) 獅子ヶ谷3-18内を西に下る。《地図》
近くにある二つの坂道と区別するため、後で作られた坂なので新坂と呼ぶようになった。今は新しい坂とは見えない。
享保3年(1718)建立。左の柱の「後生車」を回すとご利益があるという。
車地蔵建立前にこの付近に大日堂があった。『鶴見の坂道』
前坂(坂下から) 獅子ヶ谷3-26内を南西に上る。坂上は鎌倉街道で「歴史と緑の散歩道」の道標が立っている。《地図》(道筋は途切れているが道はある。)
坂下の農家の屋号が「メエ(前)の家」と呼ばれていたことによる。『鶴見の坂道』
せど坂(坂上から) 上の宮2-27と北寺尾7-31の間を北に上る。坂上は鎌倉街道の「歴史と緑の散歩道」 《地図》
字(あざ)と字の境を「せど」と呼び、坂下に「せど屋敷」と呼ばれる1軒の農家があった。『鶴見の坂道』
貞享元年(1684)の銘。
宝永8年(1711)の銘がある。鼻が欠けているが表情がいい。
やん坂(坂上近くから) 上の宮1-23と1-24の間を西に上る。坂上近くの北側に上の宮八幡神社。《地図》
雨が降ると表面の土砂が押し流され、道路の中央が深くくぼんだ。その形が「薬研」のようだったので、「やげん坂」と呼ばれていたのが訛って「やん坂」になったのでしょう。『鶴見の坂道』
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