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2006年7月30日 (日)

鶴見区の坂-6

2006年7月30日

鶴見駅 バス→末吉橋・・・「歴史と緑の散歩道」・・兜塚・駒岡浅間神社・・・長坂③?・・・四辻地蔵・・・梶山橋・・・五輪供養塔・・・長坂②坂上・・・せんこう坂・・・駒岡稲荷社・・・二つ池・・・大坂②・・・新坂②・光明寺・・・鋸坂・・・本覚寺・・・新坂③・・・車地蔵・・・前坂・・・せど坂・・・宗泉寺・・・やん坂・上の宮八幡神社・・・上の宮中学校バス停→鶴見駅

 上末吉小学校の所から「鶴見区歴史と緑の散歩道」へ入り、散歩道近辺の坂を歩きました。長坂③は駒岡小学校の東側の坂ですが道筋ははっきりしません。

 鎌倉街道と神奈川道の交差する所の四辻地蔵から、せんこう坂下の駒岡稲荷社までは7月27日に歩いた逆の道筋です。二つ池の西側から獅子ケ谷市民の森に入りました。大坂②、新坂②、鋸坂は今は市民の森内の道です。新坂③も今はあまり通られていない坂のようです。

 車地蔵はけっこう大きく、堂の柱に車がついていて手で回せます。ここから前坂への道がはっきりしなく随分迷いました。前坂は未舗装の道で今は農道のような細い坂で車は通れないのでは。地図にも点線で坂上から坂の中ほどまでしか表示されていません。坂上は鎌倉街道の「歴史と緑の散歩道」へ出ます。

 前坂上の鎌倉街道を左に少し行くと、せど坂が南に下っています。坂下から宗泉寺に寄り、上の宮八幡神社へ向いました。神社の前のやん坂の下って上の宮中学校のバス停に出ました。

 今日梅雨が明けたそうです。歩き始めは蒸し暑かったですが、晴れてくると空気が少しカラッとしたように感じました。

 参考:『鶴見みどころ80

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc03447_1 「歴史と緑の散歩道」地図

上末吉5丁目の上末吉小学校の北側に散歩道の入口がある。

Dsc03450 「兜塚」説明板(散歩道の入口そば)

Dsc03451 兜塚伝説

太田道灌に関する伝説。道灌が城を築こうとした「加瀬の台」(夢見ケ崎)とは、鶴見川を渡って北方向の川崎市幸区南加瀬の「夢見ケ崎動物公園」、「夢見ケ崎公園」のあるあたりだろう。《地図

Dsc03457 兜塚

円墳だろうか

Dsc03453駒岡浅間神社(兜塚の上)

Dsc03459_1歴史と緑の散歩道

浅間神社の下あたり

Dsc03463 長坂③?(坂途中から坂下方向) 駒岡3-13と3-14の間を北東に上る。《地図

Dsc03464 坂下方向

Dsc03471石段を下ると 四辻地蔵の所。(梶山2-8)

Dsc03473梶山橋(梶山2-9)

下は環状2号

Dsc03474梶山橋からの鎌倉街道(左)と長坂②の坂上(右)の交差する所。

Dsc03496 二つ池(獅子ケ谷1丁目)

Dsc03511 大坂②(坂途中から坂下方向) 獅子ヶ谷2-16の北に下る階段坂。《地図》(道筋の標示はない。)

Dsc03512 坂途中から坂上方向

Dsc03499光明寺(獅子ヶ谷2-29)

Dsc03500 新坂②(坂下近くから) 獅子ヶ谷2-29と2-30の間を南に上る。途中から階段坂となる。《地図

東側の大坂より後からできた坂で新坂というようになった。『鶴見の坂道』

Dsc03501 坂途中から石段になる。

Dsc03526 「鋸坂」 獅子ヶ谷市民の森の西谷広場の池の所から曲がりながら南に上る。『鶴見みどころ80』の№6《地図

ジグザグに登る坂の形が鋸の歯のようなのでつけられた名。『鶴見の坂道』

Dsc03518 坂途中から大きく曲がる所。

Dsc03523 坂下から(正面の階段)

Dsc03522 坂下から

横溝屋敷の屋根が見える。『鶴見みどころ80』の№3

Dsc03528本覚寺(獅子ヶ谷2-6)

Dsc03529 新坂③(坂上から) 獅子ヶ谷3-18内を西に下る。《地図

近くにある二つの坂道と区別するため、後で作られた坂なので新坂と呼ぶようになった。今は新しい坂とは見えない。

Dsc03535 坂下方向

Dsc03537 坂下から

Dsc03544 車地蔵(獅子ヶ谷3-16)

享保3年(1718)建立。左の柱の「後生車」を回すとご利益があるという。『鶴見みどころ80』の№4

Dsc03538 「車地蔵」説明板

Dsc03549 堂坂跡 車地蔵と左側の建物の間を下る坂だった。

車地蔵建立前にこの付近に大日堂があった。『鶴見の坂道』

Dsc03568 前坂(坂下から) 獅子ヶ谷3-26内を南西に上る。坂上は鎌倉街道で「歴史と緑の散歩道」の道標が立っている。《地図》(道筋は途切れているが道はある。)

坂下の農家の屋号が「メエ(前)の家」と呼ばれていたことによる。『鶴見の坂道』

Dsc03573_1 坂途中から

Dsc03577 坂上近く

Dsc03593 せど坂(坂上から) 上の宮2-27と北寺尾7-31の間を北に上る。坂上は鎌倉街道の「歴史と緑の散歩道」 《地図

字(あざ)と字の境を「せど」と呼び、坂下に「せど屋敷」と呼ばれる1軒の農家があった。『鶴見の坂道』

Dsc03596 坂下近くから

Dsc03598 坂下近くの馬頭観音

Dsc03584 宗泉寺(上の宮2-24)

鶴見みどころ80』の№2

Dsc03579 庚申塔(宗泉寺境内)

貞享元年(1684)の銘。

Dsc03583 地蔵さん(庚申塔の左に立つ)

宝永8年(1711)の銘がある。鼻が欠けているが表情がいい。

Dsc03586上の宮八幡神社(上の宮1-32)

Dsc03587 やん坂(坂上近くから) 上の宮1-23と1-24の間を西に上る。坂上近くの北側に上の宮八幡神社。《地図

雨が降ると表面の土砂が押し流され、道路の中央が深くくぼんだ。その形が「薬研」のようだったので、「やげん坂」と呼ばれていたのが訛って「やん坂」になったのでしょう。『鶴見の坂道』

Dsc03589_1 坂途中から坂下方向

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2006年7月28日 (金)

鶴見区の坂-5

2006年7月28日

鶴見駅 バス→獅子ヶ谷・・・キィ坂・・・渋沢稲荷・・・ザックミ坂・・・鉤(かぎ)・・・庚申堂坂・・・熊野神社・北向庚申・・・新(にい)坂・・・丸山稲荷・宝泉寺・・・愛宕神社・・・宮ノ下バス停→鶴見駅

 鉤坂の場所が分からず苦労しました。30分以上同じ所を行ったり来たりして分からず鉤坂はもう消滅したのだろうとあきらめかけましたが、ザックミ坂の位置を思い違いしていたことに気づき、ザックミ坂、鉤坂とも分かりました。ザックミ坂は細く緩やかで、両側から木が被さりトンネルのような昔の趣の残っている坂です。

 この間、辺りをウロウロしていると「ちかん出没注意」の看板がいくつも立っていて怪しまれるのではと思ったり、蒸し暑いし参りました。でも二つの坂ともちゃんと分かり粘りがいがありました。この辺りは昔から「アズキババア」が出るという伝説があったそうです。子供たちは日の暮れないうちに家に帰らないと、「アズキババアが出るぞ」とおどかされたそうです。今は「ちかんが出るぞ」でしょうか。夢のない時代になりました。

 庚申堂坂から北向庚申のある熊野神社を通り、新坂の坂上まではアップダウンの連続でした。長く直線的な新坂を下り、丸山稲荷、宝泉寺から愛宕神社へ寄りました。神社の境内に古い庚申塔が3基安置されていました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc03350 キィ坂(坂下近くから) 獅子ヶ谷1-15と北寺尾6-32の間を南東に上る鶴見・獅子ヶ谷通り。《地図

坂の近くに住む古老の話によると切通しの坂道と呼ばれていたのが、いつの頃からか言葉が短縮されて「キィ坂」といわれるようになったそうです。『鶴見の坂道』

Dsc03370 坂上近くから

Dsc03354 渋沢稲荷(東寺尾6-2)

ザックミ坂の坂下を進んだ所。

Dsc03365 ザックミ坂(坂下から) 北寺尾5-1と5-2の間を西に上る。《地図

この辺りの土地は崩れやすく、この「崩れる」を、この付近では「クム」といいます。そのクムを強める意味でザツとか、ジャを接頭語としてつけるため、クムがクミに訛ったものと思われます。『鶴見の坂道』 「ちかん出没注意」の看板が立っている。

Dsc03358 坂上から

Dsc03360 鉤坂(坂下から) 北寺尾5-1と5-4の間を右に大きく曲がって北方向に上る。《地図

坂道の形状が大工道具の曲尺(かねじゃく)の曲がった角によく似ているということからついた坂名。『鶴見の坂道』

Dsc03362 大きく曲がる所

ここにも「ちかん出没注意」の立て看板が。

Dsc03361_2 鉤坂(曲がって上る石段)

坂上はザックミ坂の坂上

Dsc03367_1 鉤坂上から鶴見・獅子ヶ谷通りの橘学苑前に上る石段坂。

Dsc03368 坂上近く

Dsc03386 庚申堂坂(坂途中から坂下方向) 北寺尾1-12と1-18の間を南西に上る。《地図

坂上に北向庚申があった。昭和39年に熊野神社境内に移設された。

Dsc03385 坂途中から坂上方向

Dsc03392 熊野神社へ上る坂の途中から庚申堂坂を望む。

Dsc03403 北向庚申(北寺尾2-3の熊野神社境内)

Dsc03405 熊野神社本堂(正面)に背を向け北を向いて立っている北向庚申(左の小堂内)。

Dsc03407 熊野神社から東へ下る坂。

Dsc03408 さらに下って北寺尾2丁目と下末吉5丁目の境へ出る。

Dsc03410 坂下から下末吉5丁目の末吉中入口交差点まで上る急な坂。

Dsc03413 急な坂の坂上近くから(ここから緩やかになりさらに上る)

Dsc03419 新坂(坂上近くから) 下末吉5丁目と6丁目の間を西から南西に上る。坂下近くの北側に宝泉寺。《地図

元来、この坂道は屈折しながら頂上の五差路(末吉中交差点)に続いていたが、大正末期に現在のように道幅を広げ、真直ぐに整理されたので、新しい住民たちは、新坂(にいざか・しんざか)と呼んで旧い坂と区別していますが、地域の古老たちの中には「宝泉寺坂」と呼ぶ人もいます。『鶴見の坂道』

Dsc03425 坂途中の丸山稲荷の所から

Dsc03424 丸山稲荷(下末吉6-10)

Dsc03429 宝泉寺山門 (下末吉6-19)

Dsc03428 宝泉寺

鶴見みどころ80』の18

Dsc03446愛宕神社へ上る石段(男坂)

Dsc03431 庚申塔(愛宕神社境内)

元文3年(1738)の銘。

Dsc03437 宝永7年(1710)の銘。

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2006年7月27日 (木)

鶴見区の坂-4

2006年7月27日

鶴見駅 バス→ 駒岡不動前・・・常倫寺・照光坂駒岡不動女坂・男坂・・・駒岡稲荷社・せんこう坂・・・長坂①・・・梶山坂(切通し)・・・長坂②・・・五輪供養等(三つ池公園北側)・・・八幡坂・・・末吉神社・・・峯坂・・・不動坂・・・真福寺・・・峯坂バス停→鶴見駅

 照光坂は常倫寺境内、駒岡不動男坂・女坂は駒岡不動に上る坂で一般道ではありませんが坂標が設置されているので加えました。せんこう坂、長坂①②は三つ池公園の北側まで上る長い坂です。

 今日は曇っていましたが蒸し暑くちょっとバテ気味で、何箇所か写真を撮るポイントを忘れてしまいました。

  *参考:『鶴見みどころ80

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc03269 常倫寺(駒岡3-5)

『鶴見みどころ80』の9

Dsc03264 「照光坂」坂標(常倫寺境内)

Dsc03268照光坂 旗本久志本家墓所へ上る石段。《地図

常倫の妻の照光院に由来する坂名か。

Dsc03261_1 旗本久志本家墓所説明板

Dsc03262_1 左が照光院殿と常倫寺殿の墓

Dsc03272 「駒岡不動女坂」の坂標

Dsc03274 駒岡不動女坂

常倫寺境内から上る石段。

Dsc03270 駒岡不動

Dsc03275駒岡不動男坂

正面の急な石段。

Dsc03277 庚申塔(せんこう坂の坂下近く)

寛保4年(1744)の建立。眼病にご利益があるという。

Dsc03281駒岡稲荷社(庚申塔の前)

Dsc03278 せんこう坂(坂下から) 駒岡1-15と1-23の間を南から南東方向に上る。《地図

坂下の庚申塔の前の線香の煙が絶えなかったことによる。『鶴見の坂道』  

Dsc03491 左右に曲がりながらさらに上る。

Dsc03486 坂下方向

Dsc03288 長坂①(坂上から) 駒岡1-1と1-11の間を南に上る。《地図

三つ池公園(『鶴見みどころ80』の11)の北西角まで上る長い坂。

Dsc03293_1 石段下から

Dsc03294 坂下方向

Dsc03300 四辻の地蔵(梶山坂上の梶山2-8)

神奈川道と鎌倉道の辻に立つ。慶安5年(1652)建立。胴の部分は風化して、幽霊地蔵のようだ。

Dsc03301 梶山坂(坂上から) 梶山2-9と2-11の間を西方向に上る。《地図

Dsc03302 坂下近くから

Dsc03304 長坂②(坂下から) 梶山2-11と2-12の間を南東に上り、環状2号を越え、梶山1-2と1-3の間を南東から北西に上る。坂上は梶山橋からの鎌倉道と交差する所。《地図

Dsc03311 環状2号を渡り上る。石段上で右に曲がりさらに上る。

Dsc03310 石段上

Dsc03309 阿弥陀像(右から2番目)と五輪供養碑(左の四つ)(長坂②の石段上を進んだ長坂の坂上の近く。三つ池公園の北側)

阿弥陀像は寛政8年(1796)建立。五輪供養碑は右から釈迦、観音、不動、勢至の梵字が彫られ、その下に五輪の「空風火水地」の文字が刻まれている。『鶴見の坂道』

Dsc03316 八幡坂(坂下方向) 上末吉4-24と梶山1-15の間を南に上る。《地図

坂下に上末吉村の鎮守八幡社が祀られていた。八幡社は昭和31年、村社の三島神社と梶山神社を合祀して末吉神社と改称された。『鶴見の坂道』

Dsc03317 坂途中から坂下方向

坂上は人面土器が出土した「上台北遺跡」(『鶴見みどころ80』の12)

Dsc03320末吉神社(上末吉4-14)

Dsc03321 「峯坂」の碑

上末吉1-18と1-25の間を南西に上る。《地図

坂下の旧家横山家が代々屋号を「峯」と呼ばれ、この坂も峯坂と称された。『鶴見の坂道』

Dsc03322 坂下から

Dsc03323 坂途中から

Dsc03331  坂上近くから

Dsc03339 不動坂(坂上方向) 梶山1-26と1-27の間を北西に下る。坂上を進むと峯坂の坂上近くに出る。《地図

真福寺不動堂(末吉不動)に通ずる里道。『鶴見の坂道』

Dsc03337 坂途中から坂上方向

Dsc03334 坂途中から坂上方向

Dsc03341 峯坂の坂上近くから真福寺へ下る坂

Dsc03344 左下が真福寺

Dsc03346 真福寺不動堂(末吉不動)

本尊不動明王は滋覚大師の作という。(『鶴見みどころ80』の17)

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2006年7月26日 (水)

鶴見区の坂-3

2006年7月26日

鶴見駅 バス→そうてつローゼン前・・・でんべえ坂・・・くらやみ坂・・・鶴見配水池・・・ゲンジョウ坂・・・神明社・・・馬のメド坂・・・カギ坂・・・馬場の赤門・・・建功寺・・・入江川せせらぎ緑道・・・松蔭寺坂・松蔭寺・・・赤坂・・・宮の坂・白幡神社・・・宝蔵院・・・愛宕坂・・・灯台寮坂・・・二反田坂・・・総持寺・・・鶴見駅

 久しぶりに晴れて暑い日でした。でんべえ坂、くらやみ坂、ゲンジョウ坂はいずれも水道道に上る坂です。くらやみ坂は今は暗い感じはなく、でんべえ坂の方が暗くて昔の面影が残っています。

 馬のメド坂は上り口だけが急で、あとは緩やかで細く長い坂です。松蔭寺坂あたりも昔の雰囲気があります。通称200階段の愛宕坂の坂上はいい眺めです。坂上を東に行くと灯台寮坂の坂上近くに出ます。灯台寮坂の坂下から二反田坂の上りとなり第二京浜国道を横切りさらに上ります。坂上を進み総持寺の境内を通り鶴見駅に出ました。夏休みに入ったせいか子供たちの姿をよく見かけました。

  *参考:『鶴見のみどころ80

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc03133 でんべえ坂(坂途中から坂下方向) 馬場4-22と4-23の間を水道道から南に下る。《地図

坂下に住んでいた「伝兵衛」という人の名をとったのではないかといわれる。『鶴見の坂道』

Dsc03141 坂下から

左下に庚申塔の小堂

Dsc03139 庚申塔

享保19年(1734)建立

Dsc03143_1 くらやみ坂(坂途中から坂上方向) 馬場4-21と3-29の間を水道道から南に下る。鶴見配水池の東側。《地図

鶴見配水池が昭和7年ごろ完成するまではこの一帯は山林で、坂は大きな樹木で覆われていて昼間でも陽の光が入らず薄暗かった。『鶴見の坂道』

Dsc03149 坂上から

Dsc03224 足びき地蔵

昭和50年ごろくらやみ坂の途中の山中から偶然発見された。明和4年(1767)の銘あり。現在は宝蔵院境内に安置されている。

Dsc03225 野仏

足びき地蔵と一緒に発見された。享保16年(1731)の銘がある。これも今は宝蔵院に安置。

Dsc03222 「足びき地蔵」説明板

Dsc03147 坂上交差点の所にある道標

「南東寺尾・・」

Dsc03151_1 鶴見配水池の配水塔(馬場3-29)

『鶴見のみどころ80』の№35

Dsc03155 ゲンジョウ坂(坂上から) 馬場3-22と3-23の間を水道道から南東に下る。《地図

坂下の旧家、金井家が代々源左衛門を襲名していて、それがなまって「ゲンジョウ坂」になったそうです。『鶴見の坂道』

Dsc03156 坂下から

Dsc03153 坂上の福村クリニック玄関前の道標

明和6年(1769)の寺尾稲荷道の道標。『鶴見の坂道』 磨り減っていて読めない。

Dsc03159神明社(馬場6-17)

馬場の鎮守。正面の鳥居と大クスノキ。

Dsc03163 馬のメド坂(坂下方向) 馬場2-3と2-5の間を北東に上る。《地図

この辺りの地形が馬の背中に似ていて、坂の入口は、馬の尻のメド(穴)のように感じられたのでついた坂名。この説の他にメドは馬道(めど)のことで、馬を引き入れる道のことではないかという人もある。『鶴見の坂道』 確かに馬の背を歩いているような地形で、馬のメド坂とはよくつけた坂名でしょう。

Dsc03166 坂途中から坂上方向

Dsc03172 坂途中から坂上方向

Dsc03169 カギ坂(坂上から) 馬場2-3と2-4の間を東に上る。坂上は馬のメド坂。《地図

土蔵の錠前を開ける鉄の長い直角に曲がった柄のついたカギに坂の形が似ていた。『鶴見の坂道』

Dsc03175 坂途中の大きく曲がる所から坂下方向

Dsc03179 馬場の赤門(馬場2-23)

『鶴見のみどころ80』の№26

Dsc03184_1 建功寺山門(馬場1-12)

Dsc03183 建功寺

『鶴見のみどころ80』の№25

Dsc03188 入江川せせらぎ緑道(東寺尾1丁目)

『鶴見のみどころ80』の№29

Dsc03189 庚申塔(松蔭寺坂の坂下近く)

Dsc03191 松蔭寺坂(坂下近くから) 東寺尾1-19と1-20の間を南に上る。坂上に松蔭寺。《地図

Dsc03192 坂上近く

坂上右側が松蔭寺

Dsc03196 松蔭寺(東寺尾1-18)

『鶴見のみどころ80』の№28

Dsc03195 里見義高入道尊(松蔭寺境内)

江戸時代からお入道様信仰で賑わった。

Dsc03197 赤坂(坂上から) 東寺尾1-30と1-38の間を南東から南西へ上る。《地図

天明(1781~1788)の頃、この坂で行き倒れになった母子がいた。その後、この坂道を通ると赤子の泣き声が聞こえてくるようになったという。『鶴見の坂道』

Dsc03201 坂途中から坂下方向

Dsc03202 坂下から

Dsc03203 宮の坂(坂下から) 東寺尾2-6と2-11の間を西に上る。坂上に白幡神社。《地図

Dsc03207 坂途中から

正面の森が白幡神社

Dsc03208 坂上近くから

Dsc03211白幡神社(東寺尾2-10)

Dsc03228 宝蔵院山門(馬場4-7)

Dsc03227 宝蔵院

『鶴見のみどころ80』の№34

Dsc03229 愛宕坂 馬場4-10と4-12の間を北西に上る石段。《地図

昭和10年ごろまで坂上に火ぶせの神を祀る愛宕社があった。戦国時代の寺尾城諏訪氏の祈願所だったという。『鶴見の坂道』
諏訪氏ゆかりの諏訪坂は前回訪れた。

Dsc03231 坂上から

Dsc03238 灯台寮坂(坂上から) 馬場4-14と東寺尾6-26の間を北西に上る。坂下から二反田坂の上りとなる。《地図

坂上近くに昭和18年ごろ、全国の灯台で働く人たちの家族官舎ができたことによる。『鶴見の坂道』

Dsc03240 坂途中から

Dsc03242 坂下近く

Dsc03214 庚申塔

かつて灯台寮坂の坂下にあった。貞享5年(1688)建立。「二本木の庚申様」といわれる。現在は宝蔵院の山門前に移されている。『鶴見の坂道』

Dsc03213 庚申塔説明板

Dsc03248 二反田坂(坂下方向) 東寺尾6-16と6-17の間を南東に上る。第二京浜国道を横切り、東寺尾中台と東寺尾東台の間を南東に上る。《地図

江戸時代ごろ、二反歩ほどの田んぼがあり小字名になった。『鶴見の坂道』

Dsc03252 坂途中から坂上方向

Dsc03254 坂上近くから坂下方向

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2006年7月23日 (日)

鶴見区の坂-2

2006年7月23日

鶴見駅(京浜東北線)・・・見返し坂・成願寺・・・天神坂・・・大坂・・・響橋・庚申塔・・・不動坂・不動堂・・・昭和坂・・・寺谷弁天・弁天池・・・熊野神社・・・古坂(ふるさか)・・・(諏訪坂)旧諏訪坂・・・諏訪坂公園・諏訪坂稲荷・・・諏訪坂・・・旧諏訪坂・・・古坂・・・道灌坂・・・鶴見駅

 見返し坂の坂上から下り、大坂の上りが始まるあたりから西方向へ天神坂を上りました、細い坂で昔はもっと急な坂だったそうです。坂下に戻りカーブしながら上る大坂の坂上を行くと第二京浜(国道1号)に架かる響橋(通称めがね橋)に出ます。橋を渡った脇に庚申塔があります。

 少し戻り二本木のバス停あたりから西に入り、不動坂を下り第二京浜に出ました。坂下に不動堂があり、境内に不動庚申塔があります。第二京浜を進み、響橋をくぐり北寺尾の交差点から昭和坂を上りました。上ってから長い下り坂となり寺谷から豊岡方面へ続きます。両方の坂に坂標が設置されています。

 昭和坂の寺谷角のバス停あたりから西に入ると寺谷弁天が小さな弁天池に祀られています。この池が大池の名残でしょうか?。更に進むと熊野神社があります。戻って昭和坂を横切り、諏訪坂と佃野町の境あたりから北に古坂を上りました。薄暗い坂を上ると石段になり右に曲がって諏訪坂の途中に出ます。諏訪坂を横切って進むと旧諏訪坂の坂上近くに出ました。

 旧諏訪坂を上り諏訪坂公園に寄りました。公園入口に昔のこのあたりの遺物がまとめて保存されています。古代には諏訪山古墳、中世には諏訪館などがあったそうです。公園の脇に諏訪坂稲荷があります。これも移築されたようです。稲荷の前の道を行くと諏訪坂の坂上に出ます。坂を下ると坂下は「つくの」の商店街です。坂下から旧諏訪坂を上って、古坂を下り南に行き豊岡町と寺谷2丁目の境から道灌坂を上りました。坂上から西に入り下って昭和坂の東不二見台のバス停近くに出て鶴見駅に向いました。

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Dsc03010 見返し坂(坂下から) 鶴見駅西口から豊岡町6と7の間を北西に月見ケ丘に上る鶴見獅子ヶ谷通り。《地図

明治5年(1872)にこの坂を案内された西郷従道が後ろを振り向き、「この坂は汽車を見返す坂だ」とつぶやいたことによる。『鶴見の坂道』

Dsc03012 坂途中から坂上方向

Dsc03011成願寺(豊岡町6)

Dsc03014 見返し坂の石標

Dsc03015 古い石標(大正13年に建てられたもの)

Dsc03023 天神坂(坂下から) 東寺尾中台17と18の間を南西に上る。《地図

昔、坂下に天神社があった。『鶴見の坂道』

Dsc03019_1 坂上近くから

Dsc03026 「大坂」坂標 寺谷1丁目と東寺尾中台の間を曲がりながら北西に上る。亀甲山交差点あたりから上りとなる。《地図

昭和6年ごろできた坂で、六間幅あり普通の道の三倍もあったので大坂と名づけられたと思われる。『鶴見の坂道』

Dsc03031_1 坂途中から

Dsc03032 坂上近く

Dsc03035 庚申塔(大坂坂上の響橋の所)

享保元年(1716)の建立。台座の三猿の向きがそれぞれ向きを変えて浮き彫りされている。『鶴見の坂道』

Dsc03039 「不動坂」石柱 東寺尾中台の第二京浜国道の東寺尾交差点からカーブして東から北東に上る。《地図

Dsc03036 坂上から

Dsc03040 坂下から

坂下右側に不動堂(寶蔵院)

Dsc03041 不動庚申塔(不動堂境内)

寛文12年(1672)の建立。庚申と不動の習合したもの。

Dsc03051 響橋(第二京浜から) 大坂の坂上を進んだ所。

昭和16年にできた橋。通称「めがね橋」

Dsc03054 「昭和坂」坂標 寺谷1丁目と2丁目の間を北西に上り、東寺尾北台と諏訪坂の間を北西に第二京浜に下る。《地図

Dsc03053 坂下の第二京浜国道から

Dsc03058 坂途中から

Dsc03060 坂途中から坂下方向

総持寺の大屋根が見える。

Dsc03064 寺谷弁天と弁天池

Dsc03066 弁天堂?

Dsc03069熊野神社

Dsc03071 古坂(坂下から) 寺谷2-14と2-15の間を北西に上る。途中石段となり、諏訪坂を横切り、旧諏訪坂の坂上あたりに出る。《地図

昭和初期に新しい坂道(諏訪坂)が開設されたとき、この諏訪坂に対して古坂と呼ばれるようになったそうです。『鶴見の坂道』

Dsc03072 坂の途中

階段上は諏訪坂

Dsc03077 坂上方向

諏訪坂を横切り、旧諏訪坂へ出る。

Dsc03085 諏訪坂公園(諏訪坂18)にある説明板

Dsc03086_1 説明板の地図

Dsc03090 子育地蔵(公園内にある)

古道の寺尾道と末吉道の分岐を示すものとして、(旧)諏訪坂に設置されていた。(説明板)

Dsc03089 「諏訪馬之助鎮めの石」(左)

奈良時代の諏訪山古墳の石棺蓋石。諏訪馬之助は永享年中(1429~41)の寺尾城主で館がこの地にあった。(説明板と『鶴見の坂道』)

Dsc03098 諏訪坂稲荷(諏訪坂公園脇)

Dsc03106 「諏訪坂」坂標 諏訪坂13と寺谷2-14の間を南西から西に上る。《地図

Dsc03100 坂上から

Dsc03102 坂途中から坂上方向

Dsc03110 旧諏訪坂の坂下近くにある説明板

Dsc03113 説明板の地図

Dsc03108 旧諏訪坂(坂下方向)  諏訪坂13と14の間を曲がりながら南西から北西に上る。《地図

諏訪馬之助の館のある地を諏訪山と呼び、この坂を諏訪坂と呼ぶようになった。『鶴見の坂道』

Dsc03109 坂上方向

Dsc03117 道灌坂(坂下から) 寺谷2-1と2-4の間を北西に上り、寺谷2-2と2-6の間を南西に下る。《地図

このあたりは、近くに兜塚や夢見ケ崎など太田道灌にまつわる史跡があり、道灌山と呼んでいる。『鶴見の坂道』

道灌山は日暮里が有名だ。『谷中界隈の坂』・『荒川区の坂

Dsc03121 坂上方向

Dsc03126 坂上から下りとなる。

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2006年7月22日 (土)

鶴見区(横浜市)の坂-1

2006年7月22日

新子安駅(京浜東北線)・・・滝坂・・・庚申坂・庚申塔・・・弁天坂・・・台(でい)の坂・・・安養寺・福寿弁財天・・・庚申塔・(龍泉寺)・・・貝助(けいのすけ)坂・・・花月園・・・子生(こいけ)坂・東福寺・・・手枕坂・総持寺・・・伊藤の坂・・・朝陽山八幡神社・・・鶴見駅

 滝坂の由来となった滝坂不動尊が見当たらない。散歩をしている人に尋ねると、2、3ヶ月前に新横浜の方へ移転したそうで、ちょっと遅かれしで残念でした。昔は境内に「不動の滝」があったといいます。

 滝坂上を進んで第二京浜国道を渡り庚申坂を上りました。坂上に庚申塔があります。横浜商科大学の前を通り、第二京浜の岸谷交差点に出ました。岸谷2丁目のバス停あたりにかつて泉池と新池があり、この池の間を上る坂が弁天坂で、横浜商大の方まで続いていたそうです。今は第二京浜に分断され北側の坂はありません。弁財天は今は安養寺の門前にあります。

 台の坂は岸谷3丁目から東寺尾東台まで上る長い坂です。坂下を南に行き安養寺に寄りました。JRの線路沿いを東に進み東福寺の東側の子生坂を上り、坂上から手枕坂を下り総持寺に出ました。戻って子生坂を下り、朝陽山八幡宮の北側の坂を上り、伊藤の坂の坂上に出ました。坂を下ってJR線路沿いに鶴見駅へ出ました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02898 滝坂バス停

Dsc02899 滝坂(坂下から) 岸谷1丁目と神奈川区子安台1丁目の間を北から北東に上る。坂上に生麦中学校。《地図

坂下近くに「滝坂不動尊」があり、本堂に登る階段の左側に2m余りの高さにある瀧口から流れ落ちる「不動の滝」があった。「滝坂不動の血噴の松」の伝説の松も大正の末頃には枯れた。『鶴見の坂道』

Dsc02901 坂の途中から坂上方向

右側の柵が「滝坂不動尊」跡

Dsc02904 滝坂不動尊跡

2、3ヶ月前に新横浜の方へ移転したという。(犬と散歩をしていた人の話)

Dsc02908 庚申坂(坂下から) 東寺尾4-8と4-12の間を北西に上る。坂上に横浜商科大学。《地図

坂上に庚申塔(宝暦6年(1756)建立)がある。

Dsc02916 坂上から

左側に庚申塔の小祠

Dsc02914 庚申塔

宝暦6年(1756)の建立。

Dsc02930 弁天坂 岸谷2丁目と3丁目の間を北西に上る。岸谷2丁目のバス停あたり。坂上は第二京浜国道。国道ができる前はさらに横浜商大の前まで上っていた。《地図

坂の途中に弁財天が祀られていて、神久保弁財天と呼んでいた。文化6年(1809)にお堂の破損がひどくなり、安養寺前に移された。『鶴見の坂道』 

Dsc02950_1 福寿弁財天(安養寺門前)

昔、弁天坂の途中にあった弁財天が祀られている。

Dsc02953 弁財天

弘法大師の作と伝えられ、本尊はもと近江国(滋賀県)、琵琶湖の竹生島の弁財天と同木で作られたと伝える。(弁財天説明板)

Dsc02948 神久保弁天坂の記載がある弁財天の説明板。

Dsc02933 台の坂(坂下近くから) 岸谷3-3と3-4の間を曲がりながら北方向に上る。《地図

この辺りでは、高台を「タカデー」と呼び、台の坂は岸谷の人たちが通った坂で、登り口から上までは350mもあり、ある人は「うなぎ坂」と呼びました。『鶴見の坂道』

Dsc02935 坂上近く

Dsc02943 坂の途中から下る石段坂

Dsc02946安養寺(岸谷1-22)

Dsc02956 庚申塔(宝暦10年(1760)・龍泉寺前) 

Dsc02959 貝助坂(坂下から) 岸谷4-29と4-31の間を北方向に上る。柳町バス停そば。坂下は石段、坂上は花月園競輪場。《地図

およそ四百年前、生麦村の名主、関口八郎右衛門の先祖に関口外記助の一族と思われる貝之助という人がいて、この坂の付近に住んでいた。競輪場の台地を「貝助台」といい、ここに大正3年から昭和10年代に栄えた大遊園地「花月園」があり、その間を突っ切る坂道からの間道があった。昭和25年ごろ競輪場開設によってこの旧道は切断された。『鶴見の坂道』

Dsc02961 坂の途中から

Dsc02964 坂上から

Dsc02976 子生山東福寺山門(鶴見1-3)

Dsc02983 東福寺

古来、子育観音として名高い寺。堀河天皇が康和2年(1100)藤原道房を勅使として誓願したところ、3年後に皇子(後の鳥羽天皇)が誕生したとされる。『鶴見の坂道』

Dsc02980 子育観音(東福寺境内)

Dsc02982 疣取(いぼとり)地蔵(東福寺境内)

Dsc02981説明板

Dsc02994 子生坂(坂の途中から) 鶴見1-4と1-7の間を北に上る。坂途中の西側に子生山東福寺、坂上に三松幼稚園。《地図

坂の東側にある「子生山東福寺」の山号に由来する坂名。

Dsc02993坂上近くから

Dsc02989 「手枕坂」坂標

「嘉永6年(1854)2月16日米国人この坂を下りし時右側に右墓石あるを一見して手枕をなしたる状より手枕坂とその称起これ」『鶴見の坂道』 

Dsc02985手枕坂(坂上から) 鶴見2-1の三松幼稚園の東側を北東に下る。坂下は総持寺境内。《地図

旧手枕坂は、大正6年の総持寺境内の整備の際に廃坂となった。総持寺の南の台にあったので、南台の坂とも呼ばれていたようです。『鶴見の坂道』

Dsc02987 坂下方向

総持寺山門が見える。

Dsc02991 総持寺山門

Dsc03006 伊藤の坂(坂の途中から) 鶴見1-12と1-13の間を南西に上る。《地図

大正時代に坂の途中に、伊藤吉三郎という豪商が住んでいた。『鶴見の坂道』

Dsc03002 坂上近くから

Dsc02995_1朝陽山八幡神社(鶴見1-10)

漁場の位置や生麦浦への帰帆の目印として漁業民の信仰が厚かったという。

Dsc02973 庚申塔(享保2年(1717)・八幡神社前)

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2006年7月17日 (月)

落語散歩-神田・両国・深川・浅草

2006年7月17日

秋葉原駅・・・鰻屋「神田川」・・・お玉が池跡・お玉稲荷・・・両国橋・・・回向院・・・両国駅(地下鉄大江戸線)→ 門前仲町駅・・・深川不動・・・富岡(深川)八幡・・・門前仲町駅(地下鉄大江戸線)→ 蔵前・・・厩橋・・・駒形橋・駒形堂・・・雷門・浅草寺・・・浅草駅

 *東西落語散歩

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02822 鰻屋「神田川」(千代田区外神田2-5)

創業は文化2年(1805)、南を流れる神田川ではなく、初代の出身地の神奈川の神田村と苗字の宇田からつけた店の名。落語『素人鰻

Dsc02837 お玉が池跡・お玉稲荷(千代田区岩本町2-5)

神田お玉が池は千代田区岩本町の昭和通りと靖国通りが交差するあたり一帯の地名。お玉が池は、元は桜が池といったが。お玉という娘がこの池に身を投げたので、お玉が池と呼ぶようになった。江戸時代の初めは不忍池より大きかったが徐々に埋立てられ姿を消したという。
ここに千葉周作の北辰一刀流の道場があった。その弟子が「赤胴鈴之助だあ!」 古いね俺も。落語「佃祭
お玉稲荷神社は安政2年(1855)の大震火災で焼失し、分社のあった葛飾区新小岩於玉稲荷神社へ本社を遷座した。

Dsc02845 両国橋・隅田川

落語「たがや」・「おせつ徳三郎」

Dsc02851 回向院境内(墨田区両国2丁目)

明暦3年(1657)の振袖火事(明暦の大火)の焼死者の霊を弔うため建立された。落語「死神」・「一眼国

Dsc02857 深川不動(江東区富岡1丁目)

落語「三年目」・「死神」

Dsc02867 富岡(深川)八幡(江東区富岡1丁目)

落語「永代橋」・「阿武松」・「富久

Dsc02861 横綱力士の碑(富岡八幡境内)

Dsc02865 第六代横綱「阿武松」の名

Dsc02878 駒形橋(厩橋から)

Dsc02891 大桟橋あたり

駒形橋の西詰の河岸に船着場があった。正面のお堂が駒形堂で、堂のうしろに清水が湧いていた。ここでうがい手水(ちょうず)をして浅草観音に向った。落語「船徳

駒形堂

Dsc02887 駒形堂

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2006年7月 2日 (日)

松戸市の坂-2

2006年7月2日

矢切駅(北総開発鉄道)・・・腹切坂・・・栗山古墳群・・・妙法寺・・・(矢切)大坂・西蓮寺・・・(野菊の小道)・・・矢切の渡し・・・矢切神社・矢喰村庚申塚・・・矢切駅→(東松戸)(新松戸)→ 馬橋駅(常磐線)・・・王子神社・・・万満寺・・・馬橋弁財天・・・子育地蔵・・・江戸見坂・・・道標・一里塚・・・おたすけ地蔵・・・妙見神社・・・首きり地蔵・龍善寺・桜坂・・・北松戸駅

 ぶっそうな坂名の腹切坂は今はただの緩やかな坂です。大坂を下り、野菊の小道を矢切の渡しまで行きました。渡し船がちょうど着いたところでした。江戸川沿いに田園風景が残っています。馬橋からの道でいろいろな名前のついている地蔵さんと出会いました。龍善寺のそばの坂が形がいいので写真を撮りました。偶然に坂の途中の建物に「桜坂」とあるのを見つけました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02720 腹切坂 矢切駅そばの栗山坂下交差点から南に上る松戸街道(市川松戸線)。《地図

この坂で①里見家の家来が切腹した。②ある殿様の奥方が産気づき、無事に男の子を出産した。③明村小根本の男が変心した情婦を斬り、自分も腹を切った。『松戸風土記』(千野原靖方)

Dsc02721 道喜霊(右)

腹切坂の坂下にある。寛保2年(1742)建立。腹切坂の霊を供養したものという。

Dsc02728 栗山古墳群内

墳丘跡?説明板や案内板もなく保存状態が良くないようだ。

Dsc02732 大坂(右)・妙法寺前へ上る坂(左)

Dsc02746 大坂 下矢切の西蓮寺の西側を南西方向に下る。(坂の途中から坂上方向)《地図

北条氏康里見義弘が戦った永禄(1564)の国府台合戦の激戦地。

Dsc02734野菊の墓」(青空文庫より)文学碑(西蓮寺内)

Dsc02737矢切の渡し

対岸の柴又から着いた渡し船。

Dsc02738 「矢切の渡し」説明板

Dsc02749 矢喰村庚申塚説明板

Dsc02753_1 寛文8年(1668)の庚申塔

高さ196cm

Dsc02759 矢喰村庚申塚

Dsc02762矢切神社(下矢切)

Dsc02774 王子神社(馬橋)

戦国時代に北区の王子神社を勧請した。

Dsc02766 石祠型道祖神(左?)

寛文元年(1661)で県内最古、高さ72cm

Dsc02778_1 万満寺仁王門

金剛力士像は重文。

Dsc02783_1 江戸見坂(坂下から)国道6号の八ケ崎交差点から南西に下る。《地図

水戸街道を江戸に向う旅人が、ここではじめて江戸の空を遠望することができたといわれる。  

Dsc02786 馬橋弁財天 江戸見坂途中の馬橋支所の裏。

Dsc02785_1 小祠内のお使いの蛇

Dsc02787_1 子育地蔵 馬橋支所の前

Dsc02793 江戸見坂

坂上近くから

Dsc02796 道標 八ケ崎交差点の国道6号の歩道橋下。

「左水戸街道」とある。庚申塔も兼ねているようだ。

Dsc02801 一里塚跡(水戸街道・道標の少し北の国道6号) 

Dsc02806 おたすけ地蔵(馬橋駅前)

Dsc02808 妙見神社(中根)

中根城跡の地にある。 

Dsc02810 首きり地蔵(左側) 龍善寺の前の水戸街道脇。

倒幕派の密偵(佐藤久太郎)が水戸藩に捕らえられ斬首された。その場所に地蔵を立てたが首がなくなり、新しい首をつけてもすぐに無くなるという。『わがまちブック松戸1』

Dsc02817 龍善寺へ上る坂

Dsc02811龍善寺(北松戸3丁目の水戸街道沿い)

Dsc02820 桜坂(坂の途中のアパートの名前)

Dsc02819 桜坂 北松戸2丁目と龍善寺の間を南東に上る。坂上に仲台公園。《地図

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2006年7月 1日 (土)

松戸市(千葉県)の坂-1

2006年7月1日

松戸駅(常磐線)・・・旧水戸街道・・・根本天満宮(一里塚辺り)・・・道標・旅館千壇家・・・平潟遊郭跡・・・平潟神社(水神社)・来迎寺・・・納屋川岸跡・・・松戸宿本陣、脇本陣跡・・・めがね橋(レンガ橋)・・・松龍寺・・・松戸神社・・・松先稲荷・・・戸定みその坂・・戸定邸・・・相模台公園・・・小根本神明社・・・金山神社・・・竹ケ花雷電湧水・・・雷電神社・・・風早神社・・・カンスケ井戸・井戸坂・本福寺・斬られ地蔵・・・寮の坂・・・本覚寺・・・御冥坂・・・明治神社・・・トウカエデ通り(北松戸駅に下る坂)・・・二つ井戸跡・・・松葉坂・・・御冥坂・・・水戸街道・・・北松戸駅

 旧水戸街道の松戸宿を歩き、上本郷辺りの坂を歩きました。寮の坂、御冥坂、松葉坂は本福寺の住職さんから伺った坂ですが、道筋等については聞き間違えがあるかも知れません。

 *参考:『松戸宿』・『回廊マップ(松戸地区)・(上本郷地区)』

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02604_3根本天満宮

もと根本字天神にあったのを昭和52年当地へ遷座。天満宮の前の旧水戸街道に一里塚があった。

Dsc02608 道標と千壇家(旅館)の説明板

Dsc02609 道標(松の木通りの旅館千壇家前)

平潟遊郭とある。

Dsc02611 旅館千壇家(右)

近藤勇も流山へ向う途中に泊まったという。

Dsc02605 平潟遊郭のしだれ柳

Dsc02606平潟神社(水神社)

Dsc02607来迎寺

平潟道(古い水戸街道の道筋)に面していた。遊女の墓もあるという。

Dsc01283 納屋川岸跡(江戸川水運の拠点)

向うの土手が江戸川

Dsc02612_1 原田米屋(旧水戸街道)

明治末の建築。軒を出桁造とし1階正面をシトミ戸(上げ下げの板戸)とするなど幕末以来の2階建商家の形式を踏襲している。骨組の木も太く、丈の高いシトミ梁を通し重厚な建て構えをしている。

Dsc02614 街道沿いの家

Dsc02616 松戸宿本陣、脇本陣、問屋場があった辺り。(郵便局の辺りに記念碑があるというが見当たらず。)→「ゆきたんく」さんから記念碑(説明板)のある位置を教えていただきました。2006年10月3日に再訪しました。下の写真です。

Dsc05626「松戸宿本陣」跡説明板

松戸郵便局北側の宮前町交差点を西に、江戸川方向に入った警察寮の所が本陣跡。

松戸宿は、落語「紋三郎稲荷」にも登場します。この説明板にも笠間藩が出ています。

Dsc05627標示板

Dsc01293 庚申塔(延宝2年(1674)・松龍寺門前)

Dsc02624 レンガ橋(めがね橋)

Dsc02628松戸神社

松戸宿の鎮守。境内には三峰神社、八幡神社、稲荷神社、疱瘡神社ほか多くの社がある。

Dsc02629松先稲荷神社

伏見稲荷へ松戸宿の氏子が真っ先にたどり着いたことによるともいわれる。

Dsc02636_1戸定みその坂(2010年5月に命名された) 《地図

徳川慶喜(15代将軍)の弟、徳川昭武の別邸の戸定邸に上る坂。「みその」は「御苑」と「美園」から。「味噌の」と思ってしまった。漢字にすればよいものを。

Dsc02638 相模台公園(右)に沿う坂

Dsc02642 小根本神明社(右)に沿う坂

Dsc02649金山神社

祭神は、金属・鉱山の神の金山彦の命。

Dsc02651 竹ケ花雷電湧水

Dsc02650 雷電湧水説明板

Dsc02653 雷電神社

雷神信仰の神社。祭神は別雷命(わけいかづちのみこと)

Dsc02659風早神社(上本郷)

風早荘(松戸市、流山市、三郷市の一部にわたる荘園)の総社。

Dsc02662 上本郷1丁目交差点から下る坂

Dsc02670 カンスケ井戸

Dsc02668 カンスケ井戸説明板

Dsc02672 井戸坂 上本郷の前田公園から北に本福寺に上る坂。《地図

坂下のカンスケ井戸にちなむ名。

Dsc02666 坂の途中から

Dsc02673本福寺(上本郷)

中世、下総の千葉氏に信仰された時宗の寺。松戸市で唯一の時宗の寺。

Dsc02675_1 斬られ地蔵(本福寺境内)顔から胸にかけて傷がある。

今は廃寺となった覚蔵院の盆踊りに見知らぬ男がいたので、村の若者が怪しんで刀で斬りつけると、カチンと音がして男は逃げ出していった。翌朝、境内の地蔵に刀傷がついていた。「上本郷の七不思議

Dsc02677 寮の坂 本福寺門前から本覚寺に西方向に下る坂。《地図

Dsc02679 寮の坂

本覚寺(右)脇からさらに下る。

Dsc02680本覚寺(上本郷)

台地の先端部の松戸で最高所にある寺で、上本郷城の主郭部だったと推定される。

Dsc02681 本覚寺境内から

Dsc02707_1 御冥坂 明治神社の参道の鳥居前から北西に下る。緩やかに下りカーブしてゆきやなぎ公園の所の水戸街道まで下る。《地図

明治神社の前の妙見社にちなむ名か?

Dsc02697_1 御冥坂(坂下は水戸街道)

右の道を上ると松葉坂の坂上

Dsc02699 庚申塔(御冥坂の途中)

狭い石段の上で上るのはむずかしい。

Dsc02711 新松戸駅前から上る坂(トウカエデ通り)

Dsc02712 二つ井戸跡(トウカエデ通りの途中)

はね釣瓶の二つも井戸が並んでいた。どちらかの井戸の水が澄んでいるともう一方の井戸の水は濁っていたという。他に井戸は掘ってはいけないといわれていた。「上本郷の七不思議」

Dsc02706 明治神社

元は妙見社といった。当地は、本郷城の城跡。古くは、縄文時代の貝塚跡(上本郷遺跡)

Dsc02718 松葉坂 上本郷2208と2226のマルエツの間を南西に上る。坂下はトウカエデ通り(新松戸駅から上る坂) 坂上近くは石段。《地図

①「富士見の松」・②「ゆるぎの松」にちなむ名か?

①本覚寺の墓地の松は、枝がすべて富士山の方へ向いていたという。今は枯れてしまった。ありし日の「富士見の松
②本福寺の北に樹齢数百年の松があった。幹を撫でると風も無いのに大木がゆらゆら揺れたという。この松も大正末期に枯れたという。(上本郷の七不思議)『わがまちブック 松戸1』より。 今は墓地(本覚寺)になっている所(松葉坂?の坂上近く)に「ゆるぎの松の碑」があるというが見当たらず。

   

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