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2006年7月 1日 (土)

松戸市(千葉県)の坂-1

2006年7月1日

松戸駅(常磐線)・・・旧水戸街道・・・根本天満宮(一里塚辺り)・・・道標・旅館千壇家・・・平潟遊郭跡・・・平潟神社(水神社)・来迎寺・・・納屋川岸跡・・・松戸宿本陣、脇本陣跡・・・めがね橋(レンガ橋・坂川)・・・松龍寺・・・松戸神社・・・松先稲荷・・・戸定みその坂・・戸定邸・・・相模台公園・・松戸中央公園・・・小根本神明社・・・金山神社・・・竹ケ花雷電湧水・・・雷電神社・・・風早神社・・・カンスケ井戸・井戸坂・本福寺・斬られ地蔵・・・寮の坂・・・本覚寺・・・御冥坂・・・明治神社・・・トウカエデ通り(北松戸駅に下る坂)・・・二つ井戸跡・・・松葉坂・・・御冥坂・・・水戸街道・・・北松戸駅

 旧水戸街道の松戸宿を歩き、上本郷辺りの坂を歩きました。寮の坂、御冥坂、松葉坂は本福寺の住職さんから伺った坂ですが、道筋等については聞き間違えがあるかも知れません。

 *参考:『松戸宿』・『回廊マップ(松戸地区)・(上本郷地区)』

地図

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02604_3根本天満宮

もと根本字天神にあったのを昭和52年当地へ遷座。天満宮の前の旧水戸街道に一里塚があった。

Dsc02608 道標と千壇家(旅館)の説明板

Dsc02609 道標(松の木通りの旅館千壇家前)

平潟遊郭とある。

Dsc02611 旅館千壇家(右)

近藤勇も流山へ向う途中に泊まったという。

Dsc02605 平潟遊郭のしだれ柳

Dsc02606平潟神社(水神社)

Dsc02607来迎寺

平潟道(古い水戸街道の道筋)に面していた。遊女の墓もあるという。

Dsc01283 納屋川岸跡(江戸川水運の拠点)

向うの土手が江戸川

Dsc02612_1 原田米屋(旧水戸街道)

明治末の建築。軒を出桁造とし1階正面をシトミ戸(上げ下げの板戸)とするなど幕末以来の2階建商家の形式を踏襲している。骨組の木も太く、丈の高いシトミ梁を通し重厚な建て構えをしている。

Dsc02614 街道沿いの家

Dsc02616 松戸宿本陣、脇本陣、問屋場があった辺り。(郵便局の辺りに記念碑があるというが見当たらず。)→「ゆきたんく」さんから記念碑(説明板)のある位置を教えていただきました。2006年10月3日に再訪しました。下の写真です。

Dsc05626「松戸宿本陣」跡説明板

松戸郵便局北側の宮前町交差点を西に、江戸川方向に入った警察寮の所が本陣跡。

松戸宿は、落語「紋三郎稲荷」にも登場します。この説明板にも笠間藩が出ています。

Dsc05627標示板

Dsc01293 庚申塔(延宝2年(1674)・松龍寺門前)

Dsc02624 レンガ橋(めがね橋・坂川

Dsc02628松戸神社

松戸宿の鎮守。境内には三峰神社、八幡神社、稲荷神社、疱瘡神社ほか多くの社がある。

Dsc02629松先稲荷神社

伏見稲荷へ松戸宿の氏子が真っ先にたどり着いたことによるともいわれる。

Dsc02636_1戸定みその坂(2010年5月に命名された) 《地図

徳川慶喜(15代将軍)の弟、徳川昭武の別邸の戸定邸に上る坂。「みその」は「御苑」と「美園」から。「味噌の」と思ってしまった。漢字にすればよいものを。邸内は「My郷散歩(松戸・市川)」に記載。

Dsc02638 相模台公園(右)に沿う坂

 《地図

Img_6828 旧陸軍工兵学校正門門柱

2019年11月29日撮影

Img_6827歩哨哨舎

Img_6825説明板

Img_6830陸軍工兵学校跡碑(正面奥)

松戸競馬場の跡地に工兵学校が建てられた。ここ相模台の地は、承平のころ、平将門が民衆を導いて新田開発を行った所ともいうそうだ。 『将門マップ』・『将門散歩

Dsc02642 小根本神明社(右)に沿う坂

Dsc02649金山神社

祭神は、金属・鉱山の神の金山彦の命。

Dsc02651 竹ケ花雷電湧水

Dsc02650 雷電湧水説明板

Dsc02653 雷電神社

雷神信仰の神社。祭神は別雷命(わけいかづちのみこと)

Dsc02659風早神社(上本郷)

風早荘(松戸市、流山市、三郷市の一部にわたる荘園)の総社。

Dsc02662 上本郷1丁目交差点から下る坂

Dsc02670 カンスケ井戸

Dsc02668 カンスケ井戸説明板

Dsc02672 井戸坂 上本郷の前田公園から北に本福寺に上る坂。《地図

坂下のカンスケ井戸にちなむ名。

Dsc02666 坂の途中から

Dsc02673本福寺(上本郷)

中世、下総の千葉氏に信仰された時宗の寺。松戸市で唯一の時宗の寺。

Dsc02675_1 斬られ地蔵(本福寺境内)顔から胸にかけて傷がある。

今は廃寺となった覚蔵院の盆踊りに見知らぬ男がいたので、村の若者が怪しんで刀で斬りつけると、カチンと音がして男は逃げ出していった。翌朝、境内の地蔵に刀傷がついていた。「上本郷の七不思議

Dsc02677 寮の坂 本福寺門前から本覚寺に西方向に下る坂。《地図

Dsc02679 寮の坂

本覚寺(右)脇からさらに下る。

Dsc02680本覚寺(上本郷)

台地の先端部の松戸で最高所にある寺で、上本郷城の主郭部だったと推定される。

Dsc02681 本覚寺境内から

Dsc02707_1 御冥坂 明治神社の参道の鳥居前から北西に下る。緩やかに下りカーブしてゆきやなぎ公園の所の水戸街道まで下る。《地図

明治神社の前の妙見社にちなむ名か?

Dsc02697_1 御冥坂(坂下は水戸街道)

右の道を上ると松葉坂の坂上

Dsc02699 庚申塔(御冥坂の途中)

狭い石段の上で上るのはむずかしい。

Dsc02711 北松戸駅前から上る坂(トウカエデ通り)

Dsc02712 二つ井戸跡(トウカエデ通りの途中)

はね釣瓶の二つも井戸が並んでいた。どちらかの井戸の水が澄んでいるともう一方の井戸の水は濁っていたという。他に井戸は掘ってはいけないといわれていた。「上本郷の七不思議」

Dsc02706 明治神社

元は妙見社といった。当地は、本郷城の城跡。古くは、縄文時代の貝塚跡(上本郷遺跡)

Dsc02718 松葉坂 上本郷2208と2226のマルエツの間を南西に上る。坂下はトウカエデ通り(新松戸駅から上る坂) 坂上近くは石段。《地図

①「富士見の松」・②「ゆるぎの松」にちなむ名か?

①本覚寺の墓地の松は、枝がすべて富士山の方へ向いていたという。今は枯れてしまった。ありし日の「富士見の松
②本福寺の北に樹齢数百年の松があった。幹を撫でると風も無いのに大木がゆらゆら揺れたという。この松も大正末期に枯れたという。(上本郷の七不思議)『わがまちブック 松戸1』より。 今は墓地(本覚寺)になっている所(松葉坂?の坂上近く)に「ゆるぎの松の碑」があるというが見当たらず。

   

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コメント

はじめまして、ゆきたんくと申します。
すごく充実した坂のサイトですね。
これからもがんばって下さい。
ちなみに、松戸宿記念碑なのかどうかは分かりませんが、説明板があったので地図を貼り付けておきます。

ありがとうございます。
再訪して撮った写真を「松戸宿」の所に追加しました。
今後もよろしくお願いします。                                  八咫烏

投稿: ゆきたんく | 2006年10月 1日 (日) 15:53

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