中区(横浜市)の坂-1
2006年8月1日
山手駅(京浜東北線)・・・ふぞく坂・・・根岸競馬記念公苑・馬坂・・・不動坂・・・白滝不動尊・不動の滝・・・七曲り・・・平坂・・・アメリカ坂・・・本牧山頂公園・・・ハロー坂・・・ワシン坂・・・聖坂・・・見晴トンネル・・・見晴橋バス停・・・県庁前・・・衣紋坂跡?・・・関内駅(京浜東北線)
梅雨が明けたというのに涼しい日でした。ふぞく坂は山手駅から横浜国大附属小学校へ上る坂で、坂の途中から学校への近道の急な石段坂が分かれています。
馬坂は根岸競馬記念公苑内の坂で一般道ではありません。馬坂の説明板に、「この名(馬坂)は静岡県に一ヶ所あります」と書いてあります。おそらく坂に詳しくない人が書いた文章でしょう。「馬坂」の名はあちこちに数多くあります。
不動坂は広い道なのに歩道がついてなく、歩きにくい坂です。坂下から白滝不動への急な石段が上っています。本堂の脇から不動の滝が一筋落ちています。かつては、幅5m 高さ20mもあり市内随一の見事の飛瀑だったそうです。高さは変わらないでしょうが5m幅とは驚きです。
白滝不動前を北東に行くと七曲りの坂下に出ます。何度も曲がりながら北方向へ上る段々の坂で、途中の崖の岩から流れ出る水で坂道が濡れていました。この辺りの地形は今でも水分が豊富なようで、不動の滝の昔の姿を想像しました。七曲りの坂上を進み平坂を下りました。坂下は本牧通りの間門(まかど)です。
本牧通りを北東に行き、本牧中学校の西側のアメリカ坂を上ると坂上は本牧山頂公園です。公園内を歩き、本牧小学校の先の、ハロー坂口から公園を出てハロー坂を下りました。短い緩やかな坂です。
本牧通りに出て山手警察署から北に入り、小港町2丁目の交差点を左折するとワシン坂の坂下に出ます。坂下近くのワシン坂入口交差点の所に湧水が湧いていて今でも使用されています。坂名の由来については何説かあります。(後述) 坂の途中にワシン坂病院があり、坂上を行くと首都高速湾岸線と港の方向の眺めがいい所に出ます。
見晴トンネルの上を越えて進むと、聖坂が南東に下っています。車の通行も少ない静かな坂です。坂下から見晴トンネルを通り、見晴橋バス停へ出ました。衣紋坂は横浜(港崎)遊郭の坂でしたが、吉原遊郭の衣紋坂を真似て名づけられたようで、傾斜もゆるやかな坂だったらしいです。道筋ははっきりしません。
写真をクリックすると拡大します。
立野50?と74の間をカーブしながら北から南東、東方向に上る。《地図》
坂上横浜国大附属小学校がある。
小学生は通学するのにこの坂を通るだろうから、こちらの道筋が「ふぞく坂」にふさわしいのでは。
竹之丸と仲尾台の境。
根岸競馬記念公苑(根岸台)
競馬博物館と五冠馬「シンザン」(神賛と彫られている)の像。
馬坂(坂上から)《地図》
ポニ-センタ-へ下る坂。
嘉永7年(1854)の作。
不動坂(坂上近くから) 根岸町3丁目の白滝不動尊の前から西方向に上る。《地図》
【坂標】七曲り 根岸町1丁目と2丁目の間を曲がりながら根岸加曽台の間を上る。《地図》
平坂(坂上近くから坂下方向)坂下に交番。《地図》
地図に載っていた坂で、「ひらざか」か「たいらざか」?
本牧和田33と34の間を本牧通りから北西に上る。坂上は本牧山頂公園。《地図》
このあたりは戦後米軍の住宅地だった。
本牧和田4と本牧山頂公園の間を北から北西に上る。《地図》
この辺りは米軍住宅地だったのでアメリカ人に因んだ坂名にしたのだろう。
本牧山頂公園からハロー坂の坂上へ
小港町1丁目のワシン坂入口交差点あたりから西から北西に上る。《地図》
坂名の由来には、①ワシンという名の外国人が毎日この坂を散歩していた。②日米和親条約に因む名。③坂下近くの湧水があり、土地の人たちは「ワキミズ坂」「シミズ坂」と呼んでいたのが、このあたりに外国人が住み始めるとこれが転訛して「ワシン坂」と呼ばれるようになった。『横浜の坂』 どの説もあまり説得力がないが、湧水があるので③の説を取りたい思うが、「ワキミズ」「シミズ」が「ワシン」になるというのがどうだろうか。
【坂標】聖坂 山手町143と243の間を南東に下る。《地図》
坂名の由来が分かりません。
衣紋坂跡?(坂上から) 横浜公園(横浜スタジアム)の西側を北東に上るみなと大通り。緩やかに下っている。《地図》
横浜(港崎)遊郭にあった坂。東京の吉原遊郭の衣紋坂を真似て名づけられたのだろう。
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