中区(横浜市)の坂-2
2006年8月2日
石川町駅(京浜東北線)・・・地蔵坂・蓮光寺・・乙女坂(旧西坂)・・横浜女学院高等学校・中学校・・・牛坂・・・牛島坂・・霊泉(湧水)・清水坂・・・猿坂・・・地蔵坂・・小坂・・・イタリア山庭園・外交官の家・・・大丸谷坂・・大丸谷震災地蔵尊・・・土方(どかた)坂跡・・・横浜山手女子高校・中学校・・山手カトリック教会・・フェリス女学院・・・西野坂・・・石川町駅
地蔵坂の地蔵さんは平成13年に坂下に移されたそうです。「濡れ地蔵」となっていますが、意味が分かりません。西坂が乙女坂に変わっていました。女学生の通学路なのでこの名の方が似合うでしょう。
牛島坂の途中の清水坂の坂下から霊泉と呼ばれている湧水が出ています。手ですくってちょっと飲んでみました。冷たくてうまい水です。ただし、注意書きの看板には、飲用は避けるようにと書いてあります。
猿坂は細く曲がりくねった坂で、途中は平坦な所もあります。間違って人家に入ってしまいあわてて引き返しました。坂上は牛坂の坂上近くに出ます。地蔵坂に出て、途中まで下ると小坂の石段がイタリア山庭園のそばまで上っています。坂上を行けば山手本通りです。
外交官の家の脇から大丸谷(おおまるだに)坂がカーブして下ります。坂下近くの震災地蔵尊の手前から分かれて上る坂が土方(どかた)坂のあったあたりのようです。今は横浜山手女子校の通学路のようです。坂は山手本通りまで続いています。山手カトリック教会の前を通り、フェリス女学院高校の脇から石段の西野坂を下り石川町駅に向いました。
写真をクリックすると拡大します。
地蔵坂 石川町3丁目と2丁目の間を亀の橋あたりから南東に上る。坂上は山手本通り。《地図》
今は坂下にある地蔵は、「満願地蔵」「子安地蔵」といったらしいが、新しい石柱碑には「濡れ地蔵」と彫られている。
「乙女坂(旧西坂)」 地蔵坂の途中の蓮光寺の北側から西に横浜女学院へ上る。《地図》
以前の町名の西坂町をとって西坂と呼ばれていたが、上の標識は乙女坂としている。横浜女学院への通学路なので、この名の方がふさわしい。今は夏休みだが通学してくる女学生が通っていた。
左側は横浜女学院
【坂標】牛坂 石川町5-192と205の間を南東に上る。《地図》
坂名の由来は、①近くに牛天神があった。②急坂で牛のようにゆっくりでなければ上れなかった。③近くに牛小屋があった。などある。急坂で牛もいやがって泣くので、「牛鳴坂」から「牛坂」になったとは考えられないだろうか。
牛島坂(坂途中から坂上方向) 石川町4丁目と5丁目の間を車橋から南東に上る。坂上近くで打越橋をくぐる。《地図》
清水坂から遊行坂にかけての台地を「牛島山」といった。『横浜の坂』
安政年間に外国船にこの水を供給した。関東大震災、昭和20年5月29日の空襲の際にもこの水が役立ったそうです。
ワシン坂の湧水の所にあったのと同じ。
老婦人が湧水をペットボトルに詰めている。
清水坂(坂上の打越橋近くから) 牛島坂の途中の霊泉の所から牛島坂に沿って上る。右は牛島坂。《地図》
湧水の霊泉に清水による名だろう。
猿坂(左)(坂下から)右は牛島坂。 牛島坂の打越交差点から曲がりながら南東に上る。坂上は牛坂の坂上近く。《地図》
このあたりの台地を「猿山」といった。打越橋の南側が「牛島山」、北側が「猿山」 『横浜の坂』
小坂(左の石段)地蔵坂から分岐して上る。地蔵坂の途中から東に上る石段。《地図》
外交官の家(イタリア山庭園内)
元イタリア領事館
【坂標】大丸谷坂 石川町1-76の石川町駅前郵便局と1-78の間からイタリア山庭園の北側から東側に沿ってカーブして南東に上る。《地図》
大丸谷(おおまだに)という地名による名か。
2体の地蔵が祀られている。
関東大震災(大正12年・1923)より前からあったのでは。
土方(どかた)坂跡(坂下近く) 大丸谷坂の途中から南東に山手トンネルの上を越え、横浜山手女子校の南側に沿って山手本通りまで上る。《地図》(道の標示は途切れているが道はある。)
このあたりに開港後の土木工事の人足部屋があったという。
山手カトリック教会(山手町)
西野坂(坂上から) 元町5丁目からフェリス女学院高校・中学の南側を上る石段。坂上は山手本通り。《地図》
もとの町名を西野町といった。町名と坂名のどちらが先であったかは不明。『横浜の坂』
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