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2006年8月 7日 (月)

小樽市の坂-2

2006年8月7日

小樽駅 バス→高島2丁目・・・稲荷坂・・・うまやの坂・・・神田坂・厩会館・厩稲荷・・・手宮公園・・・励ましの坂・小樽稲荷・・・野藤(のと)坂・・・能島水天宮・・・薬師神社の坂・薬師神社・・・浄応寺の坂・浄応寺・・・十間坂・・・船見坂・・・小樽駅(JR函館本線)→銭函駅・・・馬追坂・・・銭函運河跡・・・銭函駅→小樽駅

 今日は長い急坂ばかりでした。稲荷坂の坂上を進むと末広中学校の所で、うまやの坂、励ましの坂の坂上とぶつかります。うまやの坂も長い坂で海岸近くまで下ります。坂上の勾配標示は20%です。

 稲荷坂の途中の消防番屋の所から神田坂を上ると、うまや坂の由来となった旧町名の残る厩会館、厩稲荷があります。坂上の手宮公園に入り進むと、励ましの坂の坂上近くに出ます。小樽稲荷神社がある所です。「励ましの坂」なんてやわな名だと思っていましたが、坂上に立って納得しました。確かに励ましながら上り下りしたくなるような急坂です。最大斜度24%、全長904mだそうです。

 励まし坂を下り、梅ケ枝町の野藤坂へ向いました。人名つく坂は各地にありますが、小樽で今回歩いた坂の中ではこの坂だけでした。短い坂ですが坂上近くはかなり急になります。薬師神社の坂は坂下の薬師神社の境内に漢方薬局があります。薬師さんの神社といい、漢方薬局といい珍しいのでは。

 手宮市場の所から上る浄応寺の坂もすごい急坂です。坂の途中の道路ミラーに隠れて勾配20%の表示板がありました。坂の途中の浄応寺に寄り、坂下まで戻って東側の十間坂の坂下に出ました。この坂は変な坂で十間幅の坂が途中まで上り途切れて細い石段になり上っています。「おたる坂まち散歩」では通り抜けて色内の方へ下りられると書いてありますが、石段上は民家で庭に洗濯物が干してあります。どう見ても行き止まりの感じです。坂を上ってくる人に通り抜けできるか聞こうとして坂上の日陰で待っていましたが誰も上って来ずあきらめて下りかけると、下から買い物帰りの婦人が上ってきました。向こう側に通れるか聞いてみると「通れますよ」という返事。歩きながら話していると、石段上の民家に住んでいる人でした。十間坂の上の方は地権者が違い道路計画はずっと以前(明治時代)からあるが無理だろうとのことでした。敷地内を通らせてもらい右に行き浄応寺坂の坂上あたりに出ました。坂上から急坂が稲穂5丁目の間を下っています。色内とは違う方向です。「おたる坂まち散歩」のいう色内の方へ下る道があるかは不明です。

 坂下を真直ぐ行けば船見坂の坂下に出ます。小樽では一番有名な坂でしょう。急な所は15%の勾配があります。坂上から遊歩道となり旭展望台まで続きます。去年の今頃、やはり暑い中を旭展望台まで汗びっしょりになり上りました。今日よりも空気が澄んでいました。

 小樽駅から電車で銭函駅まで行き馬追坂を往復しました。ゆるやかですが長い坂です。小樽まで戻る電車の冷房が一日中太陽を浴びて暑くなった体には心地よく、疲れもやわらぐようでした。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc03927 稲荷坂(坂下から) バス停高島2丁目から西に入り南西に上る。《地図

昔は高島に住む人々はこの坂を上り、励ましの坂を下り小樽へ向った。この道の頂上にある手宮稲荷神社(小樽稲荷神社のことだろう)に由来する坂名とする説が有力。『おたる坂まち散歩』

Dsc03931 坂途中から

弁天島?が見える。

Dsc03934 坂上方向

Dsc03936 うまやの坂の坂上 手宮1丁目の交差点から曲がりながら北西に末広中学校の北側まで上る。坂上は稲荷坂と励ましの坂の坂上近く。《地図

旧町名の厩町による坂名。昭和43年に手宮1丁目の一部と手宮3丁目になる。『おたる坂まち散歩』

Dsc03937 坂上から

Dsc03941 坂途中から坂上方向

Dsc03942 坂の途中の消防番屋

Dsc03944 坂下から

Dsc03946 神田坂(坂下から) うまやの坂の消防番屋の所から南西に上る。坂上を行くと手宮公園に入る。《地図

坂の一番上に神田さんという船の機関長をしていた人が住んでいた。大正10年頃までは、人がすれ違うのもやっとの狭い小道だった。当時、厩町から海岸沿いに行く道は、しけのため不通になることが多く、人々はまちに行くためにこの坂を歩いて通った。『おたる坂まち散歩』

Dsc03948 坂上近くから

Dsc03949 厩会館(神田坂の途中)

Dsc03950厩稲荷神社(神田坂上)

Dsc03960 励ましの坂(坂上近く) 手宮バスターミナルから北に上る。坂上近くに小樽稲荷神社、坂上に末広中学。最大斜度24%、全長904m、標高差83mの急で長い坂。《地図

急で長い坂で、一歩一歩全神経を集中し下り、上りは山登りのような感じで、誰言うとなく「励ましの坂」というようになった。『おたる坂まち散歩』

Dsc03962 小樽稲荷神社(励ましの坂上)

Dsc03966 坂途中から

Dsc03970 坂の途中から

浄応寺の坂(右)と十間坂(左)が見える?

Dsc03972 坂下近くから

Dsc03974 野藤(のと)坂 梅ケ枝町3と8の間を西に上る。《地図

昭和9年に市会議員となり地域に貢献した「野藤常太郎」の功績を顕彰するためにつけられた坂名。『おたる坂まち散歩』

Dsc03975 坂下から

Dsc03976 坂上から

Dsc03980能島水天宮 

野藤坂の坂下近くの手宮保育所の裏。

Dsc03982 薬師神社の坂(坂下近くから) 清水町1の薬師神社と清水町2の間を北西に上る。《地図

明治34年に手宮公園のそばに設立された薬師神社が大正11年にここに移ってきた。『おたる坂まち散歩』

Dsc03987 薬師神社漢方薬局(坂途中の左側の屋根の建物)

Dsc03983 薬師神社

Dsc03986 坂上から

Dsc03990 浄応寺の坂(坂下から) 石山町10と11の間を南西に上る急坂。《地図》

Dsc04006 20%の勾配

Dsc03992 坂途中から(右が浄応寺)

Dsc03994浄応寺

Dsc03993 爆発事故慰霊碑

大正13年12月の手宮駅構内火薬爆発事故犠牲者慰霊碑。死者64人、行方不明30人の事故。『おたる坂まち散歩』

Dsc04001 坂上から

Dsc04007 十間坂(坂下から) 錦町と石川町の間を南西に上る。途中から狭い石段となり、民家の中を上って西側の浄応寺の坂の坂上近くに出る。《地図

明治の頃、手宮地域では火災が多く、延焼を防ぐ防火帯として幅を広くした。坂下に火の見櫓が立ち、先端に風見鶏が回っている。明治以来、色内へ出る道路計画があるがいまだ実現していない。『おたる坂まち散歩』

Dsc04010 坂上近くから

Dsc04009 石段になりさらに上る。坂上は民家があり私有地。

Dsc04012 民家の間を通って浄応寺の坂の方へ行く道。

Dsc04004 浄応寺の坂上から下る坂。

Dsc04014 坂途中から坂下方向

Dsc04029 船見坂【坂標】 稲穂3-10と3-20の間を南西に上る。《地図

小樽を舞台にしたテレビや映画に登場する坂。

Dsc04018 坂下から

Dsc04020 坂途中のJR函館本線を越える所。

Dsc04027 坂上近くから

Dsc04023 坂上近く

さらに遊歩道が旭展望台まで上る。

Dsc01187 旭展望台より

(2005年8月5日撮影)

Dsc01189_1 小樽港の西側方向

Dsc01193_1 小樽港の東側方向(石狩湾)

小樽駅から函館本線で銭函駅まで行く。

Dsc04050 銭函駅のホーム天井から吊り下がる「銭函」

地名の由来の一つは、昔このあたりは鰊(にしん)の豊漁地で漁民の家にも銭函があったからという。

Dsc04042 馬追坂(坂下近くから) 銭函駅西側の銭函川沿いに南西に上る。坂上は国道5号。《地図

かつてこの坂が人馬の往来でにぎあう交通の要所だった。『おたる坂まち散歩』

Dsc04039 坂途中から

Dsc04036 坂上から

Dsc04035 坂上近くから西に伸びる軍用道路

日露戦争のころ、小樽が海上から攻撃されたときのための連絡道路『おたる坂まち散歩』

Dsc04049銭函運河跡(右)、左は星置川か。

明治30年に銭函から石狩の花畔(ばんなぐろ)まで開通されたが、大雨で堤が決壊し実際に使用されたのは7.8年間だったという。『おたる坂まち散歩』

Dsc04044銭函海水浴場

短い夏を楽しむ海水浴客で賑わっている。

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