中区(横浜市)の坂-3
2006年8月27日
石川町駅(京浜東北線)・・・厳島神社・・・汐汲坂・・・高田坂・百段公園・・・代官坂・・・ベ-リック・ホール・・・額(ひたい)坂・・・貝殻坂・・・山手ビアガーデン(山手十番館)・・・陣屋坂・・・港の見える丘公園・・・谷戸坂・・・見尻坂・・・外国人墓地・・・石川町駅
少し暑さが和らいだ日曜なのに、朝早いせいか歩いている人はまだ少なく、山手ビアガーデンもオープン前でした。帰る頃には元町通りの商店も開いて賑わってきました。
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元町の鎮守
汐汲坂(坂下から) 元町3丁目と4丁目の間を元町通りから南に上る。《地図》
「横浜市史稿」には、昔は旱天の際に農夫が海水を担ぎ上げて耕地に注いだのでこの名があるということだ。この説に対して、『横浜の坂』は、農作物に塩水をかけるだろうか、元は、「汐見坂」だったのではないかと推測している。
高田坂(坂途中の百段公園の所から) 汐汲坂上から北東に下る。途中から石段になる。《地図》
明治32年までの町名による。『横浜の坂』 坂の名の方が古ければ、「高田」の由来は何なのか?
前田橋(中村川」)からの写真(高田坂途中の百段公園に掲載してある)正面に101段の急な石段坂が見える。この石段は関東大震災で崩れた。
横浜開港時から大正期まで、浅間の見晴らし台と呼ばれた眺望のよい所だった。
代官坂(坂下近くから) 山手本通りの代官坂上交差点から北に下る。《地図》
横浜村名主の石川徳右衛門が坂の途中に住んでいた。山手の丘を越え、本牧へ行く道で「箕輪坂」と呼ばれていた。「石川町」はこの石川家から由来するのか。
1930年に英国人ベリック氏の邸宅として建築された。山手外国人住宅の中では最大規模。
額坂 山手町と元町公園の間を南東に上る石段。坂上にベーリック・ホール。《地図》
両側の谷に挟まれて額(ひたい)のように突き出た崎の高い所を、二つに分けて通じている坂。『横浜の坂』
雨水が谷戸に流れこまないように、房州石で造られた西洋風側溝。
貝殻坂【坂標】 元町公園の北側と外国人墓地の間をカーブして山手本通りに上る。《地図》
『横浜の坂』は、この付近に貝塚があっただろうと推測している。
左側は山手カトリック教会墓地
山手十番館(貝殻坂上近くの山手本通り沿い)
陣屋坂 山手町246と254の間を南東に諏訪町に下る。外国人墓地の門の前から下る。《地図》
(陣屋とは)元治元年の英仏軍隊の駐屯に関係しているのではないか。徳川時代の旗本、代官などの屋敷がその辺にあったという記録はない。『横浜の坂』
港の見える丘公園から
谷戸坂 港の見える丘公園の正門前から北西に下る。《地図》
谷戸をつらぬいている地形による坂名。『横浜の坂』
谷戸坂の坂下近く、猫が2匹休憩中。
谷戸坂の坂下あたりの塀にある。
見尻坂の位置 外国人墓地と地方気象台の間を北西から曲がって西に下る。《地図》
上る時に前の人の尻がすぐ眼の先にくるほどの急坂だからか。『横浜の坂』 今はそれほどの傾斜はないが。
外国人墓地から
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