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2006年8月30日 (水)

南区(横浜市)の坂-4

2006年8月30日

石川町駅・・・車橋(中村川)・元禄地蔵尊・・・遊行坂下・・・玉泉寺・・・日本最初の石鹸工場跡の碑・三吉演芸場・・・中村八幡宮・・・大坂・見返り坂分岐・・・見返り坂・・・庚申塔・山田坂・・・阪東橋駅(横浜市営地下鉄) →上大岡駅・・・西福寺・・・大久保橋(大岡川)・・・平和祈念館・・・餅井坂上・・・石段坂・・・庚申塔・宮坂・・・白山神社・・・別所宮下(バス) →上大岡駅

 時々小雨がぱらつき、蒸し暑い日でした。坂の数は少なかったけれど長く急な坂で、汗だくになりながら歩きました。上大岡駅からなぜか方向を間違え、東の方へ歩いて行き港南区に入ってしまい、西福寺まで行って気がつきました。起伏の多い道を余分に往復してしまいました。

 上大岡駅からなるべく直線的に宮坂に向いましたが、急な上り下りのある結構?な道のりでした。宮坂は白山神社まで上る坂だと思っていましたが、神社を越えてどんどん上り、別所中里台まで続く長い坂でした。坂上まで行って引き返し白山神社で一休みしている間に藪蚊に何箇所も刺され帰りのバスの中、かゆくて困りました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc04622 元禄地蔵尊(中区石川町5丁目の車橋の脇)

顔が磨り減っている。元禄(1688~1704)の建立なのか。

Dsc04627三吉演芸場(万世町2-37)

大衆演劇場。昨日まで「劇団花車」(座長姫京之助)が公演。

Dsc04625 日本初の石鹸工場跡の碑(万世町2-32付近)

Dsc04628 中村八幡宮(八幡町10)

中村町と八幡町の鎮守か。

Dsc04629 古い造りの酒屋(八幡町通り)

大坂と見返り坂の分岐前

Dsc04630 見返り坂(右)・大坂(左)

Dsc04631 見返り坂(坂下から) 八幡町73と74の間を西に上り、カーブして南西に上る。《地図

昔は、坂の途中からの眺めが良くて何度も振り返りながら上ったのだろう。

Dsc04634 坂途中の石段

Dsc04638 坂上から

Dsc04639 庚申塔(見返り坂上を進んだ、山谷バス停の手前の山田坂の坂上)

寛保2年(1742)の銘

Dsc04641 山田坂(坂上から) 山谷92の間から曲がりながら北に下る。坂上に庚申塔。坂上は石段。《地図

坂上に山田家(写真左側)、坂途中にも山田家がある。山田家が開いた坂か、この辺りの地主か。いずれにしても山田家にゆかりの坂だろう。

Dsc04645 大きくカーブして下る。

Dsc04649坂下方向

Dsc04656餅井坂上近くから下る石段。(別所3-13あたり)

坂下を行くと宮坂下の交番の交差点に出る。

Dsc04657 庚申塔(宮坂の坂下)

Dsc04658 宮坂 別所2丁目と5丁目の間を曲がりながら北西に上る。坂上は別所中里台。坂下に交番と庚申塔がある。《地図

坂の東側にある白山神社による坂名。

Dsc04672 坂途中から

白山幼稚園の向うに白山神社の屋根が見える。

Dsc04664 坂上方向

Dsc04676 白山神社(別所2-30)

Dsc04680 庚申塔(白山神社境内)

「左戸塚道 右弘明寺道」とある、道標庚申塔。昔は道の分岐点に置かれていたのだろう。

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2006年8月28日 (月)

中区(横浜市)の坂-4

2006年8月28日

石川町駅・・・代官坂・代官坂トンネル・・・(山手本通り)・・・山手聖公会・・・南坂①・諏訪神社・・・南坂②・・・ビヤ坂・キリン園公園・・・稲荷坂・・・(山手本通り)・・・代官坂上・・・(箕輪坂の道筋?)・・・公園坂・・・山手公園・・・カトリック山手教会・・・石段坂(西野坂の一本南側)・・・石川町駅

 昨日は代官坂を上ったので、今日は代官坂トンネルを通りました。明るく歩道も広く、一車線の交互通行なので歩きやすいトンネルです。山手本通りを進み、山手聖公会の北側を東に入ると突当たりになるような所で右に曲がって細くなって下ります。これが南坂①です。途中に諏訪神社がありますが小さな社で見逃しそうです。ここ諏訪町の町名の由来の神社だとしたら昔はもっと立派な造りだったのでしょうか。坂下を山手本通りから北方小学校へ下る広い坂も昔の地図には南坂とあるそうです。南坂②としました。

 坂下の北方小学校の西側を南北に通る道がビヤ坂です。地図には「ビヤザケ通り」と標示されています。北は近代文学館入口交差点から下り、北方小学校、「キリン園公園」の西側をさらに下る長い坂です。途中平坦の所もあり、坂下あたりも傾斜はないようです。ビヤ坂の坂下あたりから北西方向に上る石段があります。これが稲荷坂で石段上からゆるやかになり横浜雙葉小学校と中学・高校の間を通り山手本通りの雙葉小入口交差点へ出ます。稲荷社や稲荷の祠らしきものは見当たりませんした。

 代官坂(箕輪坂と呼んでいた)上から南東に下る坂も、昔は箕輪坂の道筋だったのでしょう。下って元街小学校を過ぎたあたりで南西方向に公園坂の石段を上りました。石段上に坂標も立っていました。坂上を進むと山手公園です。ここは日本のテニスの発祥の地だそうです。山手本通りに出て山手カトリック教会の先の石段坂を下って石川町に向いました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc04564_1 代官坂(左)・代官坂トンネル(右)《地図

Dsc04565 山手聖公会

Dsc04569 南坂①(坂上から) 諏訪町14と90の間を北に上る。《地図

坂名の由来が分からない。もし諏訪神社の南の坂ということならば、南坂②が位置的に見てふさわしい。

Dsc04572 諏訪神社(南坂①の坂上近く)

Dsc04574 南坂②(坂途中から坂上方向) 元町公園前交差点から南東に下る。坂下は北方小学校。《地図

Dsc04577 坂下から

Dsc04580 ビヤ坂(坂上から) 千代崎町1丁目と山手町の間を北に上るビヤザケ通り。坂下近くに「キリン園公園」《地図

キリン公園の所で、日本で始めてビールがつくられた。

Dsc04579 坂途中から坂上方向

Dsc04593 キリン園公園(千代崎町1-25)

キリンビール発祥の地

Dsc04588 「麒麟麦酒開源記念碑」説明板

Dsc04590 明治18年頃

Dsc04589明治40年頃

Dsc04591 「キリン園公園」のキリンビール発祥の地記念碑

Dsc04586 ビヤ坂(坂下方向)

前方左が「キリン園公園」

Dsc04594 坂下近くから坂上方向

Dsc04595 稲荷坂(坂下から) 山手本通りの雙葉小入口交差点から南東に下る。雙葉学園の間を通り、石段坂となりビヤ坂の坂下付近まで下る。《地図

『横浜の坂』(昭和51年)は、「明治17年命名の町名は、それ(稲荷坂)をそのまま使ったものであろう。いまそのあたり一帯は、横浜雙葉学園の敷地の一部といった感じで、とてものことに稲荷社などありそうな様子ではない。」と記している。この時すでに稲荷社は消滅していたか、雙葉学園の中に取り込まれてしまったのだろう。

Dsc04599 石段上から

Dsc04600 坂上近くから

Dsc04610 公園坂【坂標】 山手町の元街小学校の南側から南西に上る石段。坂上は山手公園。《地図

明治4年(3年?)に山手公園ができて以来の坂名『横浜の坂』

Dsc04607 坂下から

Dsc04609 石段上から

Dsc04613 「日本庭球発祥の地」説明板

Dsc04615 山手公園テニスコート

Dsc04619カトリック山手教会

Dsc04621 西野坂(フェリス女学院中学・高校の南側の石段)の一本南側の石段坂の上から。

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2006年8月27日 (日)

中区(横浜市)の坂-3

2006年8月27日

石川町駅(京浜東北線)・・・厳島神社・・・汐汲坂・・・高田坂・百段公園・・・代官坂・・・ベ-リック・ホール・・・額(ひたい)坂・・・貝殻坂・・・山手ビアガーデン(山手十番館)・・・陣屋坂・・・港の見える丘公園・・・谷戸坂・・・見尻坂・・・外国人墓地・・・石川町駅

 少し暑さが和らいだ日曜なのに、朝早いせいか歩いている人はまだ少なく、山手ビアガーデンもオープン前でした。帰る頃には元町通りの商店も開いて賑わってきました。

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc04466 厳島神社(元町4丁目)

元町の鎮守

Dsc04468汐汲坂(坂下から) 元町3丁目と4丁目の間を元町通りから南に上る。《地図

「横浜市史稿」には、昔は旱天の際に農夫が海水を担ぎ上げて耕地に注いだのでこの名があるということだ。この説に対して、『横浜の坂』は、農作物に塩水をかけるだろうか、元は、「汐見坂」だったのではないかと推測している。

Dsc04469 坂の途中から

Dsc04473 坂上近く

Dsc04484 高田坂(坂途中の百段公園の所から) 汐汲坂上から北東に下る。途中から石段になる。《地図

明治32年までの町名による。『横浜の坂』 坂の名の方が古ければ、「高田」の由来は何なのか?

Dsc04480 元町百段

前田橋(中村川」)からの写真(高田坂途中の百段公園に掲載してある)正面に101段の急な石段坂が見える。この石段は関東大震災で崩れた。

Dsc04481 元町百段説明板

Dsc04483 百段公園(高田坂の途中)

横浜開港時から大正期まで、浅間の見晴らし台と呼ばれた眺望のよい所だった。

Dsc04490 代官坂説明板

Dsc04492 代官坂(坂下近くから) 山手本通りの代官坂上交差点から北に下る。《地図

横浜村名主の石川徳右衛門が坂の途中に住んでいた。山手の丘を越え、本牧へ行く道で「箕輪坂」と呼ばれていた。「石川町」はこの石川家から由来するのか。

Dsc04493 「日本バプテスト発祥の地」記念碑(坂途中)

Dsc04497 坂上から

Dsc04501 ベーリック・ホール

1930年に英国人ベリック氏の邸宅として建築された。山手外国人住宅の中では最大規模。

Dsc04509額坂 山手町と元町公園の間を南東に上る石段。坂上にベーリック・ホール。《地図

両側の谷に挟まれて額(ひたい)のように突き出た崎の高い所を、二つに分けて通じている坂。『横浜の坂』

Dsc04507 ブラフ溝(排水溝)

雨水が谷戸に流れこまないように、房州石で造られた西洋風側溝。

Dsc04506 「ブラフ溝」説明板

Dsc04514 石段下から

Dsc04515_1 左は額坂へ、右は代官坂へ

Dsc04524 貝殻坂【坂標】 元町公園の北側と外国人墓地の間をカーブして山手本通りに上る。《地図

『横浜の坂』は、この付近に貝塚があっただろうと推測している。

Dsc04519 坂の途中から坂下方向

Dsc04520 坂上方向

左側は山手カトリック教会墓地

Dsc04529 山手十番館(貝殻坂上近くの山手本通り沿い)

Dsc04528 「山手ビアガーデン」由来

Dsc04532陣屋坂 山手町246と254の間を南東に諏訪町に下る。外国人墓地の門の前から下る。《地図

(陣屋とは)元治元年の英仏軍隊の駐屯に関係しているのではないか。徳川時代の旗本、代官などの屋敷がその辺にあったという記録はない。『横浜の坂』

Dsc04533 坂下近くから

Dsc04537 港の見える丘公園から

Dsc04538谷戸坂 港の見える丘公園の正門前から北西に下る。《地図

谷戸をつらぬいている地形による坂名。『横浜の坂』

Dsc04542 坂下方向

Dsc04547 「クリーニング業」発祥の地碑

谷戸坂の坂下近く、猫が2匹休憩中。

Dsc04548 「山手谷戸坂から山手居留地」の写真

谷戸坂の坂下あたりの塀にある。

Dsc04551 谷戸坂(坂下から)

Dsc04552 見尻坂の位置 外国人墓地と地方気象台の間を北西から曲がって西に下る。《地図

上る時に前の人の尻がすぐ眼の先にくるほどの急坂だからか。『横浜の坂』 今はそれほどの傾斜はないが。

Dsc04554 坂途中から坂下方向

Dsc04560 坂途中から

Dsc04555 坂上近く

Dsc04557 石段上から外国人墓地(右)に沿って上る。

Dsc04530 外国人墓地から

Dsc04525説明板

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2006年8月10日 (木)

小樽市の坂-5

2006年8月10日

小樽駅 バス→オタモイ交番・・・小樽海岸自然探勝路との交差点・・・山中海岸の坂・・・山中海岸・チャラセナイの滝・・・山中海岸の坂・・・小樽海岸自然探勝路・・・オタモイの唐門・・・オタモイ団地 バス→小樽駅

 今日は最後の坂の山中海岸の坂です。はっきり言って山中海岸へ下りる(山)道でしょうが、まあいいでしょう。オタモイ交番から北に上ると未舗装道路になり、小樽海岸自然探勝路にぶつかります。ここに小さな社(出羽三山神社?)があります。(オタモイとは、アイヌ語の「オタ」が砂、「モイ」が入江、湾の意味で、砂浜の入江のことです。)そのまま真直ぐに山中海岸の方へ下るのが山中海岸の坂です。曲がりながら15分くらいで海岸に出ました。

 岩の多い静かな海岸で、岩場で漁をしている小船が2,3艘いました。崖沿いに100mくらい進むと、チャラセナイの滝が落ちています。道からは崖の岩に隠れているのでここに滝があることを知らないと見れないでしょう。海に流れ出る滝の水の冷たいこと。タオルを濡らして身体を冷やしました。滝のそばの岩陰で海と滝を見ながらしばらくボンヤリしてました。

 海岸からの上りは暑いし、蚊や蜂みたいな虫が寄ってきて参りました。坂上から自然探勝路に入り、南方向に行きました。ここは去年歩いた道です。オタモイの唐門からオタモイ遊歩道を通り、オタモイ地蔵へ行こうと思いましたが、土砂崩れで遊歩道は閉鎖されていました。昭和の始めのオタモイ海岸は道内屈指の観光地の賑わいだったそうです。今は夏休みなのに車1台も通りません。「夏草や兵どもが夢の跡」といった感じです。唐門脇の急坂を下りオタモイ団地のバス停に出ました。

 これで「おたる坂まち散歩」に載っている坂はすべて歩きました。坂の位置がはっきりしないことが多いため、なるべく早めに目標物の場所を聞きながら歩きました。小樽の人たちはみな親切に教えてくれました。「暑いのにご苦労さん」とも言っていただき元気が出ました。こんどはもう少し涼しい時期にゆっくりいろんな坂道を歩いてみたいと思います。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc04386 オタモイ交番バス停から小樽海岸自然探勝路への道。

Dsc04391 山中海岸の坂と自然探勝路の交差する所の小社。出羽三山神社だろう。

Dsc04446 山中海岸の坂(坂上近く)《地図

Dsc04399_1 山中海岸近く

Dsc04404 山中海岸

Dsc04422 山中海岸

Dsc04407 チャラセナイの滝

幕末の探検家・松浦武四郎の『西蝦夷日誌』に「チャラセナイ」という地名が出てくるそうだ。

Dsc04417_1

Dsc04450 オタモイの唐門

Dsc04451 説明板

Dsc04461 オタモイ団地への坂

Dsc01230 以下は昨年(2005年8月7日)に祝津の高島岬から小樽自然探勝路を歩いた時の写真です。

日和山灯台(高島岬)

Dsc01234_1鰊御殿(高島岬)

Dsc01237江差追分碑から高島岬

Dsc01238 江差追分碑から日本海

Dsc01239 小樽海岸自然探勝路から高島岬

Dsc01263_1 途中に岩場

真ん中の岩でロッククライミングをしている。岩の上、途中、下に一人。

Dsc01262日本海

Dsc01266日本海

オタモイ海岸、積丹方向

Dsc01243 自然探勝路にて

Dsc01248

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2006年8月 9日 (水)

小樽市の坂-4

2006年8月9日

小樽駅 バス→文治沢・・・なべこわしの坂・観昌寺・・・文治沢 バス→小樽自動車学校・・・朝里神社・・・いなりの坂・・・朝里町 バス→東小樽・・・長昌寺・長昌寺の坂・・・銀鱗荘・・・平磯公園・・・小樽築港駅→小樽駅 バス→忍路小学校・・・大忠寺・・・忍路神社・・・観音坂・徳源寺観音堂・・・忍路湾・・・忍路バス停→塩谷・・・伊藤整文学碑・・・徳源寺・・・停車場の坂・・・塩谷駅・・・停車場の坂・・・塩谷バス停→小樽駅

 朝里川温泉近くの文治沢はもっと標高が高く、山の雰囲気のある所と思っていましたが、案外開けた明るい場所でした。なべこわしの坂も広く緩やかで、新しいトンネルもありイメージとは違いました。馬頭観音のある観昌寺が坂沿いにあるはずですが見つからないうちに坂上の望洋台の住宅まで来てしまいました。新しく開かれた新興住宅地でしょうか。

 観昌寺を探しながらもどってゆっくり下っていくうちに、「小樽動物ペット霊園」の看板があったことを思い出し、そこが観昌寺ではないかと期待しました。霊園の建物はどうみても寺の感じではありませんが、やっぱりそこが観昌寺で門を入ると馬頭観音の堂がありました。馬頭観音の回りには犬や猫のペットの写真が納められていました。

 朝里駅の近くのいなりの坂を下ると函館本線の線路に出ます。線路の向う側は石狩湾です。東小樽までバスで行き、急な長昌寺の坂を上り、銀鱗荘から平磯公園沿いに下って小樽築港駅に出ました。

 小樽駅から美国行きバスで忍路小学校まで行きました。ここは去年の今頃、忍路環状列石と地鎮山環状列石を見に来た所で、少しは土地勘があります。忍路トンネルの上を越え、環状列石とは逆方向へ、忍路湾に向いました。真直ぐに伸びた道を行くと案外早く忍路神社に着きました。忍路湾を後ろに見ながら観音坂を上りました。すぐに未舗装の細い道になり観音堂まで上っています。坂上からは蘭島に下っています。忍路湾まで戻り海辺で休んでから来た道を戻り、今度は忍路トンネルの塩谷側に下りバスを塩谷まで乗りました。

 伊藤整文学碑の所からは塩谷の浜が望めます。徳源寺の脇から停車場の坂を上って、下り塩谷駅まで行きました。この坂は伊藤整も汽車通学のために通った坂です。小樽行きの電車は2時間近く来ないので、停車場の坂をもう一度通り塩谷のバス停から小樽へ出ました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc04241 なべこわしの坂(坂下方向) 朝里川温泉の文治沢バス停から西に入り文治沢橋(文治沢川)を渡り北方向に上る。坂上は望洋台2丁目。《地図

昔、農民がまちで買った鍋を馬の背に乗せて帰ってきて、この坂に差しかかった。雨で滑りやすくなった道に足をとられ馬は横倒しになり、鍋がこわれた。それ以来この坂は、なべこわしの坂と呼ばれるようになったというが、真偽のほどは定かでない。『おたる坂まち散歩』

Dsc04242 坂上方向

Dsc04229 坂上近く

Dsc04235 観昌寺(動物ペット霊園)

Dsc04232 馬頭観音堂内のペットの写真

Dsc04244朝里神社(新光2-13)

いなりの坂の由来となった「村社稲荷神社」が大正4年に移転遷座した。

Dsc04247 稲荷社のあった所(朝里2-10)から

途中から左に下りる細い坂がいなりの坂

Dsc04248 いなりの坂 朝里1-2から南から東へ上る。《地図》(道の標示はない)

Dsc04253 坂下方向

函館本線と日本海

Dsc04259 坂下から

正面の大きな木の所に村社稲荷神社があった。

Dsc04263銀鱗荘(東小樽のバス停近くから)方向

明治時代の初めに大網元の屋敷として余市に建造され、昭和14年に移築されて料亭旅館として創業。

Dsc04272_1 長昌寺の坂(坂下から) 桜1-5の長昌寺の北側を北西に上る。左側が長昌寺。《地図

Dsc04275 長昌寺

文久年間(1860年代)の開基。

Dsc04280 坂途中から

Dsc04282 小樽港(坂途中から)

Dsc04286 銀鱗荘(坂上近く)

Dsc04294 坂上の平磯公園から小樽築港駅の方へ下る坂。

小樽築港駅から函館本線で小樽駅まで行き、バスで忍路小学校まで行く。

Dsc04296忍路トンネルの上近く

左・忍路環状列石・地鎮山環状列石方向へ下る坂(16%の勾配) 右・国道5号の忍路小学校バス停への道。

Dsc01207忍路環状列石(国指定遺跡)

縄文時代後期の墓。生活の場所との区別や目印などのために環状・円形に石が並べられている。約4000~3500年前に造られた。北日本に多く見られ、ストーンサークルと呼んでいる。楕円形(33m・22m)に石が置かれている。(小樽市のパンフレットより)

(2005年8月6日撮影)

Dsc01208地鎮山環状列石(北海道指定遺跡)

標高50mの所に、立石が楕円形(10m・8m)に並べられている。

Dsc04298 竜ケ岬と日本海

Dsc04300 大忠寺(忍路湾への途中の道沿い)

Dsc04303 旧家

Dsc04305忍路神社(忍路湾のそば)

Dsc04324 観音坂(坂下から忍路湾) 忍路神社の前あたりから南方向に上る。《地図

坂上の徳源寺忍路観音堂に由来する坂名。

Dsc04316 坂途中から坂下方向

Dsc04311 坂上から

Dsc04312 徳源寺忍路観音堂(坂上)

正面の堂は鍵が掛かっている。外に2体の石像が立っている。

Dsc04308_1

Dsc04309

Dsc04314 坂上から蘭島海岸へ下る坂

Dsc04328_1忍路湾(右・兜岬、左・ポロマイ岬)

Dsc04343 忍路バス停の方へ下る坂。遠方は塩谷海岸

Dsc04361_1 伊藤整文学碑への坂 塩谷2-26あたり

Dsc04353 文学碑から『小樽の人よ』にも歌われた「塩谷の浜辺」

Dsc04355 文学碑の下に書かれている詩。

Dsc04351 説明板

Dsc04366 停車場の坂(坂下から。右側は徳源寺) 塩谷2-25の徳源寺の東側を南方向に上り、下ってJR塩屋駅の方へ続く坂。《地図

塩谷駅に通ずる坂なので、停車場の坂と呼ばれた。伊藤整もこの坂を通って汽車で通学した。『おたる坂まち散歩』

Dsc04370徳源寺龍神堂

Dsc04373_1坂途中から坂下方向(15%の斜度)

Dsc04376 坂上から塩谷駅方向へ下る坂

Dsc04379 塩谷駅方向

Dsc04382塩谷駅(函館本線)

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2006年8月 8日 (火)

小樽市の坂-3

2006年8月8日

旧国鉄手宮線跡・・・職人坂・・・旧板谷邸(海宝楼)・・・見晴らしの坂・・・外人坂・・・水天宮・・・小樽聖公会・・・職人坂・・・メルヘン交差点(オルゴール堂・オタルナイ運上屋跡)・・・三本木急坂・海陽亭・・・赤坂・・・オタルナイ役所跡・・・山ノ上の坂・旧小堀商店・・・社(やしろ)が丘の坂・住吉神社・・・入船地蔵尊・・・元育成院の坂・・・勝納川・・・一尊庵の・一尊庵跡・・・北の誉酒造・・・龍徳寺・・・五百羅漢の坂・・・宗円寺(五百羅漢)・・・(龍徳寺・住吉神社)・・・石ケ守商店・末広稲荷神社・十一(じゅういち)坂・・・小樽公園・図書館

 職人坂はまだ朝早いせいか坂沿いの家々は閉まっていましたが、今は職人の店が多く並んでいるようではありません。外人坂は123段の急な石段坂で幅がかなりあるのに真ん中に手すりがついてなくなんとなく不安定な上り心地です。下りる方がもっと大変では。坂上は水天宮です。境内に石川啄木の歌碑があります。相変わらずの暗い歌です。後日知りましたが水天宮境内から西に下る石段坂は映画「男はつらいよ」のロケ地だそうです。そこを下って小樽聖公会へ下りたと思うのですが。

 メルヘン交差点あたりはまだ9時前だというのに観光客で賑わっていました。オルゴール堂を覗いてから脇の今は急でない三本木急坂を上りました。観光客はもういません。坂上は赤坂と山ノ上の坂の坂上と交差します。

 住吉神社の脇の急な社が丘の坂を上って進むと、入船地蔵尊のお堂があり背の高い地蔵さんの下に小さな地蔵さんが沢山祀られていました。近所の老婦人4人が堂を掃除して、談笑していました。話の中に入っていろいろ聞きました。このあたりは昔(いつ頃かは不明)墓地で、墓地を移転する際にこれらの地蔵さんが土の中から出てきたそうです。このあたりは火事や悪いことが起こらず、この地蔵さんのご利益だとありがたそうに話していました。

 入船地蔵尊から少し行くと元育成院の坂の坂上です。坂を下って勝納川を渡り、一尊庵の坂を上ると坂上に一尊庵の跡があります。回りは住宅地になっていますがここは昔の雰囲気の残る空間です。小さな石碑と地蔵さんと無人のお堂(一尊庵ではない。)がひっそりとたたずんでいます。

 勝納川に戻り川沿いに北に進み龍徳寺に寄り、五百羅漢の坂に向いました。浄蓮寺あたりで急になり、五百羅漢の宗円寺前を通りさらに急坂は上っています。潮見台浄水場へ曲がる坂上あたりまで行って戻り、宗円寺の堂の中に安置されている五百羅漢を見てから坂を下り、龍徳寺、住吉神社前を通り、入船1丁目の函館本線の線路沿いの末広稲荷神社に向いました。小樽の侠客が勧請した稲荷です。線路の南側に沿って十一坂を上りました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc04052手宮線跡(稲穂1-1あたり)

明治13年11月開通の札幌-手宮間の鉄道線路跡地。線路の中を歩ける。手宮まで行けるのだろうか?

Dsc04051 説明板

Dsc04053 職人坂(西側の坂の坂下から) 山田町1と2の間を南東に上る。《地図

明治から昭和にかけて、この界隈は料亭などが並ぶ花街で、1年中にぎわていました。仏壇屋・家具屋・道具屋をはじめ、塗り師、張り師、彫り師、表具師、金具師、古着屋、古道具屋などの職人が仕事場を並べていた。『おたる坂まち散歩』

Dsc04055 坂上から

Dsc04094_1 職人坂(東側の坂の坂上から) 山田町5と6の間を東に下る。

Dsc04095 坂下から

Dsc04064 旧板谷邸(現海宝楼) (東雲町1)

海運業で財をなした板谷家が昭和2年に建造。現在はレストラン、入浴施設などがある商業施設。
現況→『小樽ジャーナル

Dsc04062 見晴らしの坂(坂上) 堺町2と4の間を西方向に上る。《地図

坂上からの石狩湾の展望のよさに由来する坂名。別名を出世坂。

Dsc04070_1 見晴らしの坂(坂途中から)

Dsc04071 勾配20%

Dsc04074 坂下近くから

Dsc04077 外人坂(坂下から) 東雲町7と相生町2の間を南西に上る。坂上は水天宮。《地図

大正2年から昭和25年まで、この坂の海に向って右側にドイツ人貿易商カール・コッフさん家族が住んでいた。その後も娘さんの日本名「キクさん」は、日独の交流に尽力されている。『おたる坂まち散歩』

Dsc04081 坂上から小樽港方向

Dsc04085水天宮(外人坂の坂上)

境内から西側の小樽聖公会の方へ下る石段坂が『男はつらいよ(寅次郎相合傘)』のロケ地のようだ。

Dsc04084 石川啄木歌碑(水天宮境内)

Dsc04089小樽聖公会(水天宮の下)

Dsc04098オルゴール堂(メルヘン交差点 入船1丁目) 

Dsc04109メルヘン交差点

Dsc04104オタルナイ運上屋跡(メルヘン交差点、正面の小樽堂?のあたり)

Dsc04107 説明板

Dsc04110 三本木急坂【坂標】 メルヘン交差点から入船1丁目と住吉町の間を南東に上る。坂上は赤坂上と山ノ上の坂上。《地図

今は急ではないが、かつては雪が降ると上れなくなるような急坂だった。坂の中腹に三本のアカダモ(ハルニレ)の大木があって、船乗りの目印になるほどの立派なものだった。明治18年の坂の切り下げの際に伐採された。『おたる坂まち散歩』

Dsc04099 坂下から

Dsc04114 坂上から

Dsc04111海陽亭(三本木急坂の途中)

テレビドラマ『』のロケ地。

Dsc04115 坂上の若林硝子店

明治42年創業

Dsc04117 赤坂(坂上から) 住吉町3と13の間を南西に上る。《地図

この付近の土の色が赤かったことによる坂名。『おたる坂まち散歩』

Dsc04119 坂下から

Dsc04121 オタルナイ役所があった所(山ノ上の坂の坂下近くの臨港線沿い。)

Dsc04120 説明板

Dsc04123 山ノ上の坂(坂下から) 住吉町13と14の間を北西に上る。《地図

安政4年(1857)、オタルナイの場所請負人、岡田半兵衛が有幌と信香の高台を開き、ここを山ノ上町とした。安政の坂道とも呼ばれている。『おたる坂まち散歩』

Dsc04124小堀商店(山ノ上の坂の途中)

繊維卸売業の小堀商店が大正の中頃建てた。現在は旗づくりの絵場および北海道職人義塾大学校としても活用されている。『おたる坂まち散歩』

Dsc04127 坂上から

Dsc04130 双葉高校(住ノ江1-3)前の坂

下って上る坂。薬研坂とでも呼びたい。

Dsc04132 社が丘の坂 住ノ江2丁目と奥沢1丁目の間を南西に上る。住吉神社東側の坂。《地図

住吉神社に由来する坂名。『おたる坂まち散歩』

Dsc04143 坂上近くから

Dsc04134住吉神社

Dsc04138 住吉神社境内から社が丘の坂へ出る道。

Dsc04145 入船地蔵尊(入船2-21あたり)

Dsc04144 堂内の地蔵さん

Dsc04147 元育成院の坂 奥沢2丁目と3丁目の間を北西に上る。《地図

昭和39年にオタモイに移転した老人ホーム「育成院」が現在の奥沢中央団地の所にあった。『おたる坂まち散歩』

Dsc04151 坂途中から坂下方向

Dsc04152 坂途中から坂上方向

Dsc04146 坂上から北西に入船方向に下る坂。

Dsc04156 一尊庵の坂(坂下方向) 真栄1-11と1-16の間を南方向に上る。《地図

坂上に一尊庵と呼ばれた小さな尼寺があった。昭和40年ごろまでは毎年6月にお祭りが開かれ、毎月24日には、近所の方がお講を開いていたという。その後、無人となったため10年ほど前に解体された。『おたる坂まち散歩』 

Dsc04159 坂上方向

Dsc04163 坂上から(左側が一尊庵跡)

Dsc04162 一尊庵跡

写真の堂とは別に一尊庵と呼ばれた尼寺の小さな堂が建っていたという。

Dsc04160 「一尊」 石碑

Dsc04161 子育地蔵さん

子供を抱き、足元にも二人の子供。

Dsc04166北の誉酒造(奥沢1丁目の勝納川沿い)

(2015年10月?に閉鎖したようだが。「毎日新聞」)

Dsc04172_1龍徳寺(真栄1-3)

Dsc04178 五百羅漢の坂(坂下から) 潮見台1丁目と2丁目の間を南東に上る。浄蓮寺、宗円寺(五百羅漢)の前を通りさらに上る。《地図

Dsc04183 坂途中から坂下方向

Dsc04191 坂途中から

Dsc04192 坂上近く

Dsc04200 五百羅漢説明板

Dsc04209五百羅漢(一部)

松前藩主14代章廣が文政8年(1825)宗円寺に納めた。室町末期から江戸末期に制作されたもの。

Dsc04217石ケ守商店(入船1-5)

元は久米商店といい、酒、食料品、雑貨を扱っていた。今は文房具店なのか?

Dsc04216末広稲荷(入船1-3)

小樽の侠客、「末広」こと鈴木吉五郎が、明治17年京都の伏見稲荷から分霊し祭った。『おたる坂まち散歩』

Dsc04218 十一(じゅういち)坂 入船1-5の北海油脂と入船会館の間を北西に上る。函館本線の南側の坂。《地図

昔、北海油脂の所に「十一荒木」という造り酒屋があった。坂のある線路脇の高台も十一山と呼ばれている。『おたる坂まち散歩』

Dsc04221_1 坂上から

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2006年8月 7日 (月)

小樽市の坂-2

2006年8月7日

小樽駅 バス→高島2丁目・・・稲荷坂・・・うまやの坂・・・神田坂・厩会館・厩稲荷・・・手宮公園・・・励ましの坂・小樽稲荷・・・野藤(のと)坂・・・能島水天宮・・・薬師神社の坂・薬師神社・・・浄応寺の坂・浄応寺・・・十間坂・・・船見坂・・・小樽駅(JR函館本線)→銭函駅・・・馬追坂・・・銭函運河跡・・・銭函駅→小樽駅

 今日は長い急坂ばかりでした。稲荷坂の坂上を進むと末広中学校の所で、うまやの坂、励ましの坂の坂上とぶつかります。うまやの坂も長い坂で海岸近くまで下ります。坂上の勾配標示は20%です。

 稲荷坂の途中の消防番屋の所から神田坂を上ると、うまや坂の由来となった旧町名の残る厩会館、厩稲荷があります。坂上の手宮公園に入り進むと、励ましの坂の坂上近くに出ます。小樽稲荷神社がある所です。「励ましの坂」なんてやわな名だと思っていましたが、坂上に立って納得しました。確かに励ましながら上り下りしたくなるような急坂です。最大斜度24%、全長904mだそうです。

 励まし坂を下り、梅ケ枝町の野藤坂へ向いました。人名つく坂は各地にありますが、小樽で今回歩いた坂の中ではこの坂だけでした。短い坂ですが坂上近くはかなり急になります。薬師神社の坂は坂下の薬師神社の境内に漢方薬局があります。薬師さんの神社といい、漢方薬局といい珍しいのでは。

 手宮市場の所から上る浄応寺の坂もすごい急坂です。坂の途中の道路ミラーに隠れて勾配20%の表示板がありました。坂の途中の浄応寺に寄り、坂下まで戻って東側の十間坂の坂下に出ました。この坂は変な坂で十間幅の坂が途中まで上り途切れて細い石段になり上っています。「おたる坂まち散歩」では通り抜けて色内の方へ下りられると書いてありますが、石段上は民家で庭に洗濯物が干してあります。どう見ても行き止まりの感じです。坂を上ってくる人に通り抜けできるか聞こうとして坂上の日陰で待っていましたが誰も上って来ずあきらめて下りかけると、下から買い物帰りの婦人が上ってきました。向こう側に通れるか聞いてみると「通れますよ」という返事。歩きながら話していると、石段上の民家に住んでいる人でした。十間坂の上の方は地権者が違い道路計画はずっと以前(明治時代)からあるが無理だろうとのことでした。敷地内を通らせてもらい右に行き浄応寺坂の坂上あたりに出ました。坂上から急坂が稲穂5丁目の間を下っています。色内とは違う方向です。「おたる坂まち散歩」のいう色内の方へ下る道があるかは不明です。

 坂下を真直ぐ行けば船見坂の坂下に出ます。小樽では一番有名な坂でしょう。急な所は15%の勾配があります。坂上から遊歩道となり旭展望台まで続きます。去年の今頃、やはり暑い中を旭展望台まで汗びっしょりになり上りました。今日よりも空気が澄んでいました。

 小樽駅から電車で銭函駅まで行き馬追坂を往復しました。ゆるやかですが長い坂です。小樽まで戻る電車の冷房が一日中太陽を浴びて暑くなった体には心地よく、疲れもやわらぐようでした。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc03927 稲荷坂(坂下から) バス停高島2丁目から西に入り南西に上る。《地図

昔は高島に住む人々はこの坂を上り、励ましの坂を下り小樽へ向った。この道の頂上にある手宮稲荷神社(小樽稲荷神社のことだろう)に由来する坂名とする説が有力。『おたる坂まち散歩』

Dsc03931 坂途中から

弁天島?が見える。

Dsc03934 坂上方向

Dsc03936 うまやの坂の坂上 手宮1丁目の交差点から曲がりながら北西に末広中学校の北側まで上る。坂上は稲荷坂と励ましの坂の坂上近く。《地図

旧町名の厩町による坂名。昭和43年に手宮1丁目の一部と手宮3丁目になる。『おたる坂まち散歩』

Dsc03937 坂上から

Dsc03941 坂途中から坂上方向

Dsc03942 坂の途中の消防番屋

Dsc03944 坂下から

Dsc03946 神田坂(坂下から) うまやの坂の消防番屋の所から南西に上る。坂上を行くと手宮公園に入る。《地図

坂の一番上に神田さんという船の機関長をしていた人が住んでいた。大正10年頃までは、人がすれ違うのもやっとの狭い小道だった。当時、厩町から海岸沿いに行く道は、しけのため不通になることが多く、人々はまちに行くためにこの坂を歩いて通った。『おたる坂まち散歩』

Dsc03948 坂上近くから

Dsc03949 厩会館(神田坂の途中)

Dsc03950厩稲荷神社(神田坂上)

Dsc03960 励ましの坂(坂上近く) 手宮バスターミナルから北に上る。坂上近くに小樽稲荷神社、坂上に末広中学。最大斜度24%、全長904m、標高差83mの急で長い坂。《地図

急で長い坂で、一歩一歩全神経を集中し下り、上りは山登りのような感じで、誰言うとなく「励ましの坂」というようになった。『おたる坂まち散歩』

Dsc03962 小樽稲荷神社(励ましの坂上)

Dsc03966 坂途中から

Dsc03970 坂の途中から

浄応寺の坂(右)と十間坂(左)が見える?

Dsc03972 坂下近くから

Dsc03974 野藤(のと)坂 梅ケ枝町3と8の間を西に上る。《地図

昭和9年に市会議員となり地域に貢献した「野藤常太郎」の功績を顕彰するためにつけられた坂名。『おたる坂まち散歩』

Dsc03975 坂下から

Dsc03976 坂上から

Dsc03980能島水天宮 

野藤坂の坂下近くの手宮保育所の裏。

Dsc03982 薬師神社の坂(坂下近くから) 清水町1の薬師神社と清水町2の間を北西に上る。《地図

明治34年に手宮公園のそばに設立された薬師神社が大正11年にここに移ってきた。『おたる坂まち散歩』

Dsc03987 薬師神社漢方薬局(坂途中の左側の屋根の建物)

Dsc03983 薬師神社

Dsc03986 坂上から

Dsc03990 浄応寺の坂(坂下から) 石山町10と11の間を南西に上る急坂。《地図》

Dsc04006 20%の勾配

Dsc03992 坂途中から(右が浄応寺)

Dsc03994浄応寺

Dsc03993 爆発事故慰霊碑

大正13年12月の手宮駅構内火薬爆発事故犠牲者慰霊碑。死者64人、行方不明30人の事故。『おたる坂まち散歩』

Dsc04001 坂上から

Dsc04007 十間坂(坂下から) 錦町と石川町の間を南西に上る。途中から狭い石段となり、民家の中を上って西側の浄応寺の坂の坂上近くに出る。《地図

明治の頃、手宮地域では火災が多く、延焼を防ぐ防火帯として幅を広くした。坂下に火の見櫓が立ち、先端に風見鶏が回っている。明治以来、色内へ出る道路計画があるがいまだ実現していない。『おたる坂まち散歩』

Dsc04010 坂上近くから

Dsc04009 石段になりさらに上る。坂上は民家があり私有地。

Dsc04012 民家の間を通って浄応寺の坂の方へ行く道。

Dsc04004 浄応寺の坂上から下る坂。

Dsc04014 坂途中から坂下方向

Dsc04029 船見坂【坂標】 稲穂3-10と3-20の間を南西に上る。《地図

小樽を舞台にしたテレビや映画に登場する坂。

Dsc04018 坂下から

Dsc04020 坂途中のJR函館本線を越える所。

Dsc04027 坂上近くから

Dsc04023 坂上近く

さらに遊歩道が旭展望台まで上る。

Dsc01187 旭展望台より

(2005年8月5日撮影)

Dsc01189_1 小樽港の西側方向

Dsc01193_1 小樽港の東側方向(石狩湾)

小樽駅から函館本線で銭函駅まで行く。

Dsc04050 銭函駅のホーム天井から吊り下がる「銭函」

地名の由来の一つは、昔このあたりは鰊(にしん)の豊漁地で漁民の家にも銭函があったからという。

Dsc04042 馬追坂(坂下近くから) 銭函駅西側の銭函川沿いに南西に上る。坂上は国道5号。《地図

かつてこの坂が人馬の往来でにぎあう交通の要所だった。『おたる坂まち散歩』

Dsc04039 坂途中から

Dsc04036 坂上から

Dsc04035 坂上近くから西に伸びる軍用道路

日露戦争のころ、小樽が海上から攻撃されたときのための連絡道路『おたる坂まち散歩』

Dsc04049銭函運河跡(右)、左は星置川か。

明治30年に銭函から石狩の花畔(ばんなぐろ)まで開通されたが、大雨で堤が決壊し実際に使用されたのは7.8年間だったという。『おたる坂まち散歩』

Dsc04044銭函海水浴場

短い夏を楽しむ海水浴客で賑わっている。

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2006年8月 6日 (日)

小樽市(北海道)の坂-1

2006年8月6日

小樽駅・・・地獄坂①・小樽警察署・旧遠藤邸・小樽税務署・浅草寺・・・富岡教会・・・小樽拘置(支)所・地獄坂②・妙龍寺・・・小樽商大・・・緑団地・・・千秋通りの坂・・・天狗山ロープウエイ乗場・・・紅葉橋(於古発(おこばち)川)・紅葉橋の坂・・小樽公園・旧小樽公会堂・・・三角堂・団子坂・・小樽公園

 東京ほどではないですが、今年も暑い小樽でした。『おたる坂まち散歩』(小樽市)の坂を歩きました。地獄坂は二つありますが②の坂の方がなじみがあるようです。坂標もこの坂の方に設置され、勾配10%と標示されています。小樽商大まで上る長い坂です。坂の途中に小樽拘置所があるので「地獄」坂だと思っていましたが、それは俗説のようです。

 地獄坂から千秋通りの坂までは簡単に行けると思っていましたが、峠を一つ越えるような感じの道のりでした。この千秋通りの坂も長い坂で、直線的に天狗山のロープウエイまで上っています。坂を下り於古発川の洗心橋から北に進み紅葉橋の坂を上りました。川沿いに三角屋根の家が三軒と五角形(?)屋根の家が二軒並んでいます。坂上から小樽公園に入り旧小樽公会堂と能舞台に寄りました。能舞台では「鵜飼」が謡われていました。

 団子坂は公園内から下る坂ですが、下り口が分からず公園を出て坂下の菁園中学と地蔵が二体立っているという三角堂を目指しました。かなり遠回りしてなんとか団子坂の坂下に出ました。三角堂もありました。菁園中学に沿って団子坂を上ると石段になり、子供の国の脇を通ってさっき通った公園内の道に出ました。やっぱり団子坂の下り口は見つけにくいです。「おたる坂まち散歩」は小樽市民向けに書かれているので、地図のような絵も載っていますが(途中から絵のような地図のようなもの変わった。)、他所者には坂の位置が分かりにくいです。

   写真をクリックすると拡大します。

Dsc03834 地獄坂①(坂途中から坂下方向) 稲穂1丁目と2丁目の間を産業会館前あたりから南西に上る。途中に小樽警察署、小樽法務合同庁舎、小樽税務署がある。坂上は浅草寺。《地図

市民には敷居の高い官庁が多いことが坂の由来と言われている。『おたる坂まち散歩』
旧遠藤邸(左)・小樽警察署(中)

Dsc03837旧遠藤又兵衛邸

海産物で富をなした遠藤邸。道路に面した一部だけが保存されている。

Dsc03841 坂上から

Dsc03845富岡教会(富岡1-18)

昭和4年(1929)に完成したゴシック様式のカトリック教会。隣の藤幼稚園に石原慎太郎、裕次郎兄弟も通ったという。『おたる坂まち散歩』

Dsc03850 小樽拘置支所(緑1丁目)

Dsc03856 【坂標】地獄坂② 富岡1丁目と緑1丁目の間を南西に上る。坂上に小樽商科大学。勾配10%の標示《地図

明治44年に小樽商大の始まりの第五高等商業学校が開校した。全国から集まった一期生72人は、冬は深い雪の中を泳ぐように、夏は暑さに汗をかきながら、坂を上って通学した。こうして学生を苦しめた坂は、開校当初から地獄坂と呼ばれるようになったといいます。『おたる坂まち散歩』

Dsc03852 坂途中から

Dsc03858 坂上の小樽商科大学の所から

Dsc03861 地獄坂②から千秋通りの坂への途中から(緑2丁目?)

Dsc03863 緑団地の上から

Dsc03894 千秋通りの坂(坂下から) 最上1-2と1-3の間を南西に上る千秋通り。坂上は天狗山ロープウエイ乗場。《地図

雑穀相場で巨利を得た『小豆将軍』こと高橋直治の息子の康世が、昭和6年に土地管理事務所として建てた「千秋閣」と呼ばれた白塗りの洋館があった。

Dsc03890 千秋閣のあった所(最上1-5)

昭和50年まであった。

Dsc03885 坂途中から小樽港

Dsc03879 坂上の天狗山ロープウエイ乗場から。ロープウエイ運転中。

昔は天狗山からスキーを履いたまま、千秋通りの坂を滑って家まで下りたという。『おたる坂まち散歩』

Dsc03895 紅葉橋の坂(坂下から) 緑1-8と1-17の間を紅葉橋を渡り北東に上る。《地図

Dsc03901 坂途中から坂下方向

三角屋根(昭和8年築造の木造建築)の家が並ぶ。

Dsc03898 坂上方向

Dsc03908 能舞台

入船町の旧岡崎家の中庭にあったもの。市に寄贈され公会堂に隣接して移築された。

能「鵜飼」が謡われていた。

Dsc03915三角堂の地蔵さん(花園4-25)

Dsc03919 団子坂(坂下から) 花園5丁目の菁園中学の南側に沿い西に上る。坂上は小樽公園。《地図

坂上の小樽公園に大正から昭和の始めに「桃太郎団子」を出す茶店があった。『おたる坂まち散歩』

Dsc03921 坂途中から坂上方向

Dsc03924 坂上から

正面は小樽港

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2006年8月 2日 (水)

中区(横浜市)の坂-2

2006年8月2日

石川町駅(京浜東北線)・・・地蔵坂・蓮光寺・・乙女坂(旧西坂)・・横浜女学院高等学校・中学校・・・牛坂・・・牛島坂・・霊泉(湧水)・清水坂・・・猿坂・・・地蔵坂・・小坂・・・イタリア山庭園・外交官の家・・・大丸谷坂・・大丸谷震災地蔵尊・・・土方(どかた)坂跡・・・横浜山手女子高校・中学校・・山手カトリック教会・・フェリス女学院・・・西野坂・・・石川町駅

 地蔵坂の地蔵さんは平成13年に坂下に移されたそうです。「濡れ地蔵」となっていますが、意味が分かりません。西坂が乙女坂に変わっていました。女学生の通学路なのでこの名の方が似合うでしょう。

 牛島坂の途中の清水坂の坂下から霊泉と呼ばれている湧水が出ています。手ですくってちょっと飲んでみました。冷たくてうまい水です。ただし、注意書きの看板には、飲用は避けるようにと書いてあります。

 猿坂は細く曲がりくねった坂で、途中は平坦な所もあります。間違って人家に入ってしまいあわてて引き返しました。坂上は牛坂の坂上近くに出ます。地蔵坂に出て、途中まで下ると小坂の石段がイタリア山庭園のそばまで上っています。坂上を行けば山手本通りです。

 外交官の家の脇から大丸谷(おおまるだに)坂がカーブして下ります。坂下近くの震災地蔵尊の手前から分かれて上る坂が土方(どかた)坂のあったあたりのようです。今は横浜山手女子校の通学路のようです。坂は山手本通りまで続いています。山手カトリック教会の前を通り、フェリス女学院高校の脇から石段の西野坂を下り石川町駅に向いました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc03732 地蔵坂 石川町3丁目と2丁目の間を亀の橋あたりから南東に上る。坂上は山手本通り。《地図

今は坂下にある地蔵は、「満願地蔵」「子安地蔵」といったらしいが、新しい石柱碑には「濡れ地蔵」と彫られている。

Dsc03731 坂下の地蔵さん

Dsc02346「濡れ地蔵」の意味が分からない。

Dsc03737 坂下方向

Dsc03745 「乙女坂(旧西坂)」 地蔵坂の途中の蓮光寺の北側から西に横浜女学院へ上る。《地図

Dsc03787 乙女坂(坂下から)

以前の町名の西坂町をとって西坂と呼ばれていたが、上の標識は乙女坂としている。横浜女学院への通学路なので、この名の方がふさわしい。今は夏休みだが通学してくる女学生が通っていた。

Dsc03786 坂途中から坂下方向

Dsc03785 坂上から

左側は横浜女学院

Dsc03756_1 【坂標】牛坂 石川町5-192と205の間を南東に上る。《地図

坂名の由来は、①近くに牛天神があった。②急坂で牛のようにゆっくりでなければ上れなかった。③近くに牛小屋があった。などある。急坂で牛もいやがって泣くので、「牛鳴坂」から「牛坂」になったとは考えられないだろうか。

Dsc03752 牛坂(坂途中から)

Dsc03758 坂下近くから

Dsc03761 牛島坂(坂途中から坂上方向) 石川町4丁目と5丁目の間を車橋から南東に上る。坂上近くで打越橋をくぐる。《地図

清水坂から遊行坂にかけての台地を「牛島山」といった。『横浜の坂』

Dsc03762 霊泉(清水坂下)

Dsc03763 霊泉由来碑

安政年間に外国船にこの水を供給した。関東大震災、昭和20年5月29日の空襲の際にもこの水が役立ったそうです。

Dsc03764 霊泉注意書

ワシン坂の湧水の所にあったのと同じ。

Dsc03765 清水坂(右)・牛島坂(左)

老婦人が湧水をペットボトルに詰めている。

Dsc03773 清水坂(坂上の打越橋近くから) 牛島坂の途中の霊泉の所から牛島坂に沿って上る。右は牛島坂。《地図

湧水の霊泉に清水による名だろう。

Dsc03780 猿坂(左)(坂下から)右は牛島坂。 牛島坂の打越交差点から曲がりながら南東に上る。坂上は牛坂の坂上近く。《地図

このあたりの台地を「猿山」といった。打越橋の南側が「牛島山」、北側が「猿山」 『横浜の坂』

Dsc03781 猿坂(坂の途中)

Dsc03782 坂途中(平坦の所)

Dsc03783 坂上近く

Dsc03733 小坂(左の石段)地蔵坂から分岐して上る。地蔵坂の途中から東に上る石段。《地図

Dsc03790坂上方向

Dsc03791坂下方向

Dsc03795 外交官の家(イタリア山庭園内)

元イタリア領事館

Dsc03805 【坂標】大丸谷坂 石川町1-76の石川町駅前郵便局と1-78の間からイタリア山庭園の北側から東側に沿ってカーブして南東に上る。《地図

大丸谷(おおまだに)という地名による名か。

Dsc03798 坂上から

Dsc03801 坂下方向

Dsc03807 坂下近く

Dsc03808 大丸谷震災地蔵尊

2体の地蔵が祀られている。

Dsc03809地蔵尊由来碑

Dsc03811 地蔵さん①

関東大震災(大正12年・1923)より前からあったのでは。

Dsc03812 地蔵さん②

Dsc03814 土方(どかた)坂跡(坂下近く) 大丸谷坂の途中から南東に山手トンネルの上を越え、横浜山手女子校の南側に沿って山手本通りまで上る。《地図》(道の標示は途切れているが道はある。)

このあたりに開港後の土木工事の人足部屋があったという。

Dsc03815 坂途中から

Dsc03817 坂上近く

Dsc03819 山手カトリック教会(山手町)

Dsc03822 西野坂(坂上から) 元町5丁目からフェリス女学院高校・中学の南側を上る石段。坂上は山手本通り。《地図

もとの町名を西野町といった。町名と坂名のどちらが先であったかは不明。『横浜の坂』

Dsc03826 坂途中から

Dsc03828 坂下から

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2006年8月 1日 (火)

中区(横浜市)の坂-1

2006年8月1日

山手駅(京浜東北線)・・・ふぞく坂・・・根岸競馬記念公苑・馬坂・・・不動坂・・・白幡不動・・・七曲り・・・平坂・・・アメリカ坂・・・本牧山頂公園・・・ハロー坂・・・ワシン坂・・・・・・見晴トンネル・・・見晴橋バス停・・・県庁前・・・衣紋坂跡?・・・関内駅(京浜東北線)

 梅雨が明けたというのに涼しい日でした。ふぞく坂は山手駅から横浜国大附属小学校へ上る坂で、坂の途中から学校への近道の急な石段坂が分かれています。

 馬坂は根岸競馬記念公苑内の坂で一般道ではありません。馬坂の説明板に、「この名(馬坂)は静岡県に一ヶ所あります」と書いてあります。おそらく坂に詳しくない人が書いた文章でしょう。「馬坂」の名はあちこちに数多くあります。

 不動坂は広い道なのに歩道がついてなく、歩きにくい坂です。坂下から白幡不動への急な石段が上っています。本堂の脇から不動の滝が一筋落ちています。かつては、幅5m 高さ20mもあり市内随一の見事の飛瀑だったそうです。高さは変わらないでしょうが5m幅とは驚きです。

 白幡不動前を北東に行くと七曲りの坂下に出ます。何度も曲がりながら北方向へ上る段々の坂で、途中の崖の岩から流れ出る水で坂道が濡れていました。この辺りの地形は今でも水分が豊富なようで、不動の滝の昔の姿を想像しました。七曲りの坂上を進み平坂を下りました。坂下は本牧通りの間門(まかど)です。

 本牧通りを北東に行き、本牧中学校の西側のアメリカ坂を上ると坂上は本牧山頂公園です。公園内を歩き、本牧小学校の先の、ハロー坂口から公園を出てハロー坂を下りました。短い緩やかな坂です。

 本牧通りに出て山手警察署から北に入り、小港町2丁目の交差点を左折するとワシン坂の坂下に出ます。坂下近くのワシン坂入口交差点の所に湧水が湧いていて今でも使用されています。坂名の由来については何説かあります。(後述) 坂の途中にワシン坂病院があり、坂上を行くと首都高速湾岸線と港の方向の眺めがいい所に出ます。

 見晴トンネルの上を越えて進むと、聖坂が南東に下っています。車の通行も少ない静かな坂です。坂下から見晴トンネルを通り、見晴橋バス停へ出ました。衣紋坂は横浜(港崎)遊郭の坂でしたが、吉原遊郭の衣紋坂を真似て名づけられたようで、傾斜もゆるやかな坂だったらしいです。道筋ははっきりしません。

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Dsc03605【坂標】 「ふぞく坂」

立野50?と74の間をカーブしながら北から南東、東方向に上る。《地図

坂上横浜国大附属小学校がある。

Dsc03604 ふぞく坂(坂下から)

Dsc03610 坂上から

Dsc03614 途中から横浜国大附属小に上る石段坂。

小学生は通学するのにこの坂を通るだろうから、こちらの道筋が「ふぞく坂」にふさわしいのでは。

Dsc03615 立野小学校の西側から上る無名の急坂。

竹之丸と仲尾台の境。

Dsc03616根岸競馬記念公苑(根岸台)

競馬博物館と五冠馬「シンザン」(神賛と彫られている)の像。

Dsc03619 【坂標】馬坂と説明板

Dsc03618 説明板

Dsc03617 馬坂(坂上から)《地図

ポニ-センタ-へ下る坂。

Dsc03624 坂下から

Dsc03621 馬頭観音(馬坂の途中)

嘉永7年(1854)の作。

Dsc03620 馬頭観音説明板

Dsc03629_1 不動坂(坂上近くから) 根岸町3丁目の白幡不動尊の前から西方向に上る。《地図

Dsc03638 坂下近くから

Dsc03640 白幡不動への石段

Dsc03643 白幡不動説明板

Dsc03644 不動の滝

Dsc03645 白幡不動

Dsc03663 【坂標】七曲り 根岸町1丁目と2丁目の間を曲がりながら根岸加曽台の間を上る。《地図

Dsc03650 七曲り(坂下から)

Dsc03654坂の途中の崖の岩石から水が流れ出している。

Dsc03656 坂の途中

Dsc03662 坂上から

Dsc03664 平坂(坂上近くから坂下方向)坂下に交番。《地図

地図に載っていた坂で、「ひらざか」か「たいらざか」?

Dsc03669 坂下近くから

Dsc03672 【坂標】アメリカ坂

本牧和田33と34の間を本牧通りから北西に上る。坂上は本牧山頂公園。《地図

このあたりは戦後米軍の住宅地だった。

Dsc03674 アメリカ坂(坂途中から坂上方向)

Dsc03682 坂上から

Dsc03688 【坂標】ハロー坂

本牧和田4と本牧山頂公園の間を北から北西に上る。《地図

この辺りは米軍住宅地だったのでアメリカ人に因んだ坂名にしたのだろう。

Dsc03686本牧山頂公園からハロー坂の坂上へ

Dsc03687 ハロー坂(坂上から)

Dsc03689 坂下から

Dsc03701 【坂標】ワシン坂

小港町1丁目のワシン坂入口交差点あたりから西から北西に上る。《地図

坂名の由来には、①ワシンという名の外国人が毎日この坂を散歩していた。②日米和親条約に因む名。③坂下近くの湧水があり、土地の人たちは「ワキミズ坂」「シミズ坂」と呼んでいたのが、このあたりに外国人が住み始めるとこれが転訛して「ワシン坂」と呼ばれるようになった。『横浜の坂』 どの説もあまり説得力がないが、湧水があるので③の説を取りたい思うが、「ワキミズ」「シミズ」が「ワシン」になるというのがどうだろうか。

Dsc03691 坂下から

Dsc03695 坂途中にある湧水

Dsc03693 湧水注意書き

Dsc03704 ワシン坂病院

Dsc03706 坂上近く

Dsc03712 ワシン坂上近くから

Dsc03726 【坂標】聖坂 山手町143と243の間を南東に下る。《地図

坂名の由来が分かりません。

Dsc03714 坂上から

Dsc03716 坂途中から坂下方向

Dsc03727 見晴トンネル

Dsc03728 衣紋坂跡?(坂上から) 横浜公園(横浜スタジアム)の西側を北東に上るみなと大通り。緩やかに下っている。《地図

横浜(港崎)遊郭にあった坂。東京の吉原遊郭の衣紋坂を真似て名づけられたのだろう。

Dsc03730 坂下辺りから

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