板橋区の坂-10
2006年9月8日
上板橋駅(東上線)・・・南口銀座・・・ガッカラ坂(旧川越街道)・子育て地蔵堂・・・(川越街道)・・・茂呂山通り・・・御岳神社・城北中央公園・・・栗原橋(石神井川)・・・茂呂遺跡跡・・・小茂根稲荷神社・・・ばんち坂・茂呂山公園・・・(環七通り)・・・すて場坂・・・(環七通り)・・・安養院・・・堂坂・・・氷川神社・・・長命寺・長命寺坂・・・下頭橋(石神井川)・下頭六蔵祠・・・中板橋駅
【地図】写真をクリックすると拡大します。
ガッカラ坂(坂上方向) 上板橋南口の旧川越街道で、南東にゆるやかに上る。 《地図》
埼玉や練馬、赤塚の農家の人たちが朝は暗い内から野菜などを市場に運んだ道で、荷車が「ガラガラ」と音を立てて通ったので、ガッカラ坂と呼ばれた。また長い坂なので「ガッカリ」したといい、ガッカラと訛ってこの坂名がついたともいう。 『郷土 板橋の坂道』
今はほとんど傾斜がなく、坂とはいえず確かに「ガッカリ」する坂だ。
「ガッカラ坂」の名がある。
(2009年7月1日撮影)
石神井川(栗原橋から)
石神井川の南の小茂根5丁目の丘が「おせど山と呼ばれ、縄文早期の稲荷台式土器などの散布地。また関東ローム層の中から昭和26年「茂呂型ナイフ」と呼ばれる特徴的な石器群が発見された。
ばんち坂 小茂根5-2の茂呂山公園と5-4の間を南東に上る。《地図》
茂呂山公園一帯は昔は「ばんち山」といわれた。山の持ち主だった山上氏の先祖は江戸城の警護衆が住んでいた番町(千代田区)から来たという。このことからこの山を「ばんち山」と呼んだと思われる。『郷土 板橋の坂道』
すて場坂(坂上から) 小茂根1-1の心身障害児療育センターと2-13の間を西に上る。坂下は地蔵坂下。《地図》
坂下あたりに馬や牛の捨て場があった。『郷土 板橋の坂道』
安養院(東新町2-30)
真言宗の古刹。鎌倉時代の執権北条時頼が中興開基と伝えられている。板橋七福神の弁財天
元禄2年(1689)の鋳造。国の重要美術品。
堂坂 東新2-7と2-8の間を北に上る。《地図》
坂の途中に、この辺りの旧家で大庄庵と称した小野沢氏の家があった。ここに地蔵堂があったので地蔵坂とも呼ばれる。『郷土 板橋の坂道』
坂の西側の氷川神社ではなく、地蔵堂のお堂ということか。
氷川神社(東新町2-16)
上板橋村の鎮守
真言宗、寛文10年(1633)の開基。
長命寺坂(坂上から) 下頭橋から南常盤台1-4と1-7の間を西に上る。《地図》
坂上の川越街道を渡った所に長命寺がある。
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