板橋区の坂-11
2006年9月9日
上板橋駅(東上線)・・・閻魔坂・若木通り・・・稲荷神社・・・延命寺(中台3丁目)・・・南坂・・・馬の鞍坂・・・延命寺(志村1丁目)・・・見次坂・見次公園・・・長徳寺坂・長徳寺・・・本蓮沼駅(都営地下鉄)
蒸し暑い中、けっこう起伏の多いコースを歩きました。南坂は古道らしさが少し残っています。かつては坂下から城山の坂に続いていました。延命寺(志村1丁目)では、庭の掃除をしていた方から藪蚊に食われながらいろいろ話を聞きました。見次公園には池があり、釣り人やボートも浮かぶ思ったより大きな公園でした。
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閻魔坂(坂途中から坂下方向) 中台1-43と1-44の間を北西に上る若木通り。坂上近くは、『大山道』の一部。《地図》
出井川の支流の一つで小字新田前に源を発する小川に閻魔堂橋が架かっていた。近くに延命寺持ちの閻魔堂があった。坂下に閻魔堂橋が架かっていたのか。延命寺は志村1丁目にもあるが、中台3丁目の方の寺だろう。
稲荷神社(若木1丁目)
左が延命寺。閻魔坂ゆかりの寺。
南坂への途中。
南坂の坂上
南坂(坂上から) 中台2-1と2-38の間を南西に上る。《地図》
中岱南殿の屋舘址が坂上の丘陵上にあった。城山の坂を下り、出井川の摺張橋を渡り、この坂を上りやがて下練馬宿に通ずる大山道の一部。坂下には庚申塔が祀られていていづれも道しるべを兼ねている。うち1基は摺張橋の橋供養を行っていて、道中の無事を祈っている。『いたばしの地名』・『郷土 板橋の坂道』
馬の鞍坂 志村1-27と1-28の間を北に上る。《地図》
日露戦争の時、軍馬にするために近在の村々から徴収した馬を一時繋いでいたので、馬の鞍といった。昔は前野村の学童が志村城山の学校に通う道で、学校の下から出井川にかけて杉林が鬱蒼と茂る谷であった。薄暗くじめじめとして薄気味悪いので、皆は駆け足で通り抜けたものだ。『郷土 板橋の坂道』
正保4年(1647)の造立の区内最古の庚申塔。薬師如来像が彫られている。以前は志村銀座の商店街のお堂に祀られていた。
この薬師は眼病ではなく、「いぼとり」の仏として有名。蛸の足のたくさんのいぼが、人間のいぼを吸い取ってくれる。こんなことが始まりではなかろうか。『いたばしの昔ばなし』
棹の部分に切支丹の呪文といわれる文字のような彫刻があり、その下の地蔵はキリストを抱いたマリア像だといわれた。真偽のほどは不明。
これが区内最古の建長4年(1252)の板碑か?上部は欠けている。
見次坂(坂途中から) 前野町4-59の見次公園の西側を北東に上る。《地図》
坂近くに見次山延命寺がある。大永4年(1524)志村城が北条氏により落城した際、城主(篠田五郎)の家臣の見次権兵衛が子の権太郎が討死するのをみて、世の無常を感じ、子の冥福を祈るため延命寺を建立し、山号に自分の姓をつけたと伝えられる。見次の語源は、この辺りが古代から開けた所で、貢(年貢)の集積地だったと考えられることによる。『郷土 板橋の坂道』
長徳寺坂(坂下近くから) 大原町38と39の間を北東に上る。《地図》
坂の西側に長徳寺(写真左側)がある。かつて長徳寺の本尊は大日如来で、「子育て大日尊」、「乳授けの大日さま」と信仰され、参詣の人が絶えなかった。別名を「お大日坂」と呼んだ。『郷土 板橋の坂道』
この坂は鎌倉街道(中の道)の西回りの道筋。
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コメント
初めまして。
「坂道散歩」、楽しく拝見させていただいております。
早速ですが、お尋ねしたくメールさせていただきました。
こちらでご案内の(板橋区の坂ー11)の「閻魔坂」「閻魔堂」の場所がどのあたりか教えていただけますか。
私のところから近いので歩いてみたのですが、稲荷神社や延命寺はすぐ分かったのですが、閻魔堂は見つかりませんでした。
お忙しい事とは思いますが、お手隙の折にでも教えていただけますでしょうか。
宜しくお願いいたします。
投稿: 大法 | 2008年2月24日 (日) 23:06