神奈川区(2)・港北区(1)の坂
2006年9月2日
大口駅(横浜線)・・・大口坂・・・大口駅(横浜線)→小机駅・・・雲松院・・・愛宕山遊歩道・愛宕神社・・・小机辻・・・小机城址市民の森(本丸広場・富士仙元)・・・泉谷寺坂・泉谷寺・・・小机駅(横浜線)→菊名駅・・・蓮勝寺坂・蓮勝寺・・・菊名駅(東横線)→大倉山駅・・・おぼろ坂・・・大倉山駅(東横線)→日吉駅・・・赤門坂・・・金蔵寺・・・日吉駅
雲松院の手前の愛宕山遊歩道に入ってみました。人はあまり通らないようで蜘蛛の巣が顔にかかる難路?でした。遊歩道を抜け、小机辻から北に小机城址市民の森へ向いました。
「新編武蔵風土記稿」の、「小机城蹟ハ、(中略) 又搦手ノ址ニハ土人、城坂 ト呼ぶ坂アリ」の城坂は、城の搦手(裏門)に上る坂だったようです。小机城址市民の森の入口近くにある案内図には、本丸の裏側(北側か西側か?)から上る道は書かれていません。城坂は消滅したのでしょう。ただし、本丸の位置もはっきりとは断定できないそうなので、城坂の位置も依然として不確定ではあります。城址は第三京浜国道によって二分されてしまっていてつなぐ道はありません。富士仙元は第三京浜の西側にあります。
泉谷寺坂はゆるやかな長い坂です。坂の途中に落ち着いた風情の泉谷寺があります。蓮勝寺坂は車の往来の激しい綱島街道で上り方向は長く渋滞していました。蓮勝寺の前を通りさらに上る長い坂です。
おぼろ坂も綱島街道で、「おぼろ」の感じは全くない傾斜もゆるい面白味のない坂で、坂途中の一角にある庚申塔の小祠と竹藪の小社が唯一の救いです。赤門坂は曲がりながら下るかなり勾配のある坂で、坂の途中に坂名の由来の「赤門」のある旧家があります。今日は日射しは強く気温も高かったですが湿気が少ない日でした。秋が近づいているのでしょうか。
写真をクリックすると拡大します。
大口坂 大口仲町と大口通の間を大口商店街から北西に上る。《地図》
大口駅(横浜線)→小机駅小机城代笠原信為が父信隆の追善ために建立した曹洞宗の寺院。
雲松院の前から愛宕神社へ上る。小机城址市民の森へ通じてはいない。
遊歩道の反対側。
形がよく残っている。
城址から南に下る坂。坂下はJR横浜線。西側は第三京浜国道。《地図》
東側は第三京浜。
富士仙元《地図》
円形の塚
小机町の泉谷寺交差点(横浜上麻生線)から南西に上る。坂上は菅田団地交差点。《地図》
坂途中の西側に泉谷寺。
小机駅(横浜線)→菊名駅蓮勝寺坂(坂下から) 菊名駅(東横線)の東側の綱島街道を南東から東に上る。坂の途中に蓮勝寺。《地図》
「横浜七福神」の毘沙門天
運慶作の「日本三毘沙門」と伝えられ、「左ぎっちょの毘沙門天」と呼ばれている。
おぼろ坂(坂途中から坂上方向) 大倉山駅(東横線)の東側の綱島街道(鎌倉街道下の道)を北に上る。《地図》
以前は一帯に森がふかくて、とくに霧の濃くこめるところで、夜中この道をたどるとぞくぞくと妖気めいた気分におそわれたものだという。そのようなふんいきが「おぼろ坂」というような名前を生んだのであろう。『横浜の坂』
以前ここに(竹薮の所)「焼芋仙人」と呼ばれた乞食が住んでいたという。『横浜の坂』
赤門坂【坂標】 日吉本町38と11の間を曲がりながら北東に上る。坂上に日吉台小学校。《地図》
坂の途中の旧家の「赤門」による坂名。
金蔵寺(赤門坂の坂下近く)
「横浜七福神」の寿老人
宝永6年(1709)の建立?
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