世田谷区の坂-5
2006年9月23日
成城学園前駅(小田急線)・・・なかんだの坂・・・雁追橋(野川)・・・お茶屋坂・・・ヘビ坂(成城三丁目緑地)・・・富士見橋通り・・・富士見橋(小田急線)・・・仙川・・・大石(だいし)橋・・・観世音堂・薬師堂・・・神明社(祖師谷5-1)・・・釣鐘池・・・神明社(祖師谷6-5)・・・弔い坂・・・安穏寺・岩船地蔵尊・・・水辺の道(粕谷ルート)・・・千歳烏山駅(京王線)
前回訪れた時(2005年11月5日「世田谷区の坂-3」)のお茶屋坂の位置が違っていたので再訪しました。一直線の急坂で、坂上近くで傾斜がきつくなり片側に鉄の手すりがついています。坂上に成城三丁目緑地があり、ヘビ坂(この坂を前回お茶屋坂と勘違いしました)が下っています。
富士見橋から富士は見えず、仙川に出て、川沿いに大石橋から観世音堂・薬師堂、もどって大石橋を渡り神明社、釣鐘池から弔い坂を上り安穏寺へ。寺の前の通りは渋滞し、歩道もついてなく歩きにくいこと甚だしく、道路脇の岩船地蔵も馬頭観音などの石仏も排気ガスまみれで可哀想な感じでした。
写真をクリックすると拡大します。
「なかんだの坂」 成城3-9と3-10の間を北方向に上る。《地図》
田んぼの間の坂の意か、中田坂(『ふるさと世田谷を語る』に記載がある)で中田家が坂近くにあるのか?探してみたが見当たらず。
野川(雁追橋から)
お茶屋坂下近くの世田谷通りの雁追橋交差点の南側の野川。
お茶屋坂(坂下から) 成城3-14と3-15の間を北東に上る。《地図》
喜多見氏の茶室があったという。
お茶屋坂上東側の成城三丁目緑地内の坂。へびのように細く曲がった坂から名づけたのだろう。
お茶屋坂の坂上でもある。
「世田谷百景」の一つ。
正面右側の木が繁っている所がお堂。
観世音堂 《地図》
承応3年(1654)建立、延宝2年(1674)安穏寺の権大僧都法印秀我が修復。
享保11年(1726)安穏寺法印賢光が福田氏の願いにより建立。
下祖師谷村の村社
池名の由来は説明板に詳しい。この池は湧水で仙川に流れ、かつては水田に利用されていた。付近の台地から池辺にかけては縄文中期の遺跡。
新田義興が甲冑を奉納したと伝えられている。
弔い坂(坂下から) 祖師谷6-5と上祖師谷3-1の間を北に上る。坂上を進むと安穏寺に突当たる。《地図》
釣鐘池の西側に南北にある走路の坂。昔は輿を近隣の若者が担いで安穏寺まで行った。この時の道順になっていた。『ふるさと世田谷を語る(祖師谷)』
真言宗智山派の寺。川崎市小杉の西明寺の末寺。元禄年間(1688~1703)の開基という。
船に乗っている。
前の通りは車の通行が激しい。
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