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2006年9月25日 (月)

世田谷区の坂-6・杉並区の坂-7

2006年9月25日

成城学園前駅(小田急線)・・・大石橋(仙川)・・・真(新)坂・・・祖師谷通り・・・千歳通り・・・ヘエガラ(稗柄?)橋の坂跡・・・千歳船橋駅(小田急線)→豪徳寺駅・山下駅(世田谷線)→上町駅・・・天祖神社・世田谷代官屋敷・おたま坂・・・上町駅(世田谷線)→下高井戸駅(京王線)→明大前駅・・・地蔵坂・・・閻魔堂・・・玉川上水公園・・・明大前駅

 仙川の大石橋から真坂(神明社の手前)に向う道筋は前回(9月23日)と同じルートです。真坂は今は傾斜はほとんどなく、ヘエガラ橋の坂は橋も坂も跡形もありません。

 おたまさんの坂の位置もあちこちうろうろしましたが、4つの道筋があり特定できず、やっと地蔵坂でまともな坂?に行き着きました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc05414 仙川にて(大石橋近く)

Dsc05415_1 真(新)坂(坂上から)  祖師谷4-31と32の間を北西に上る。大石橋と神明社(祖師谷5-1)の間にある坂。《地図

『ふるさと世田谷を語る(祖師谷)』に載っている坂。今は傾斜はほとんどなく坂とは呼べないかも。

Dsc05416 坂下から

Dsc05418 庚申塔の祠(祖師谷2-3) 

真坂を下り東に進んだ突当たりの祖師谷通りの商店街の一角。

Dsc05417 庚申塔

Dsc05422 ヘエガラ(稗柄?)橋の坂跡  環八通りが千歳通りと交差する千歳台と船橋2丁目の交差点の千歳通りの所に「へえがら橋」があった。 《地図

昭和20年頃まで俗称「ヘエガラ橋(稗柄橋?)の坂」と言われた坂があった。千歳通りは昔、世田谷街道と称され道路に沿って元禄年代以前より品川用水掘が開通しており、この用水路が道路を横断して荷車を引く人達の難所でもあった。終戦後、この品川堀も埋めたてられ道路拡幅および環状8号線道路がこの坂の地点にかかり、坂は削平された。『ふるさと世田谷を語る(千歳台・船橋)』

Dsc05424 ヘエガラ橋の坂の位置

現在地の標示のあたりの千歳通りに、「ヘエガラ橋」があり、品川用水が流れていたのだろう。

 千歳船橋駅(小田急線)→豪徳寺駅・山下駅(世田谷線)→上町駅

Dsc05437 世田谷線(上町駅)

Dsc05428 天祖神社(世田谷1-23)

Dsc05429 おたま坂① 世田谷1-23の北側の坂。《地図

『ふるさと世田谷を語る(世田谷)』には、「世田谷1-23に岩瀬たまが住み、代々たまさんが続いたので、おたま坂と呼ばれるようになった。大山街道の道すじ」とある。

岩瀬家は見当たらず。「たま」さんは多分女性だから、女系の姓から男系の姓に変わったのか、大山街道がどの道筋なのかも分からない。

Dsc05436 おたま坂② 世田谷1-23の西側の坂。

Dsc05435 おたま坂③ 世田谷1-23の東側の坂。

Dsc05431おたま坂④ 世田谷1-23の南側の道。

これは天祖神社と世田谷代官屋敷(写真右側の塀沿いに門が見える)の間の道、「ボロ市」通りで傾斜はない。

Dsc05432 世田谷代官屋敷説明板

Dsc05433 「ボロ市」説明板

 上町駅(世田谷線)→下高井戸駅(京王線)→明大前駅

Dsc05438 何の像なのか(杉並区和泉2-8)

Dsc05458 地蔵坂(元地蔵堂の所から坂下方向) 和泉2-11と2-13の間を南東に上る。《地図

「新編武蔵風土記稿」和泉村の項に載っている地蔵堂が明治初年まで共同墓地の所にあった。本尊は和泉2-17の閻魔堂に安置される。『杉並の通称地名』

Dsc05459 坂途中から

正面の元地蔵堂(現在は共同墓地)の所で、左は井ノ頭通りへ、右は井の頭線の方へ分かれて上る。

Dsc05455 「地蔵堂墓地」の石柱

Dsc05450地蔵さん

左は嘉永2年(1849)、 中は宝暦9年(1759)の銘あり。

Dsc05448 閻魔堂(和泉2-17)の六地蔵と天明8年(1788)の銘のある真ん中の地蔵。

地蔵堂の本尊が安置されているという。堂内で作業をしている女性に聞いたが分からなかった。

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