板橋区の坂-7
2006年9月4日
成増駅(東上線)・・・天神下公園・・・菅原神社・・・石坂・・・権現坂・・・青蓮寺・おなかや坂・・・太郎坂・・・小井戸坂・上赤塚公園・・・百々女木(ずずめき)坂・百々向(すずむき)川緑道・・・成増坂・・・小次兵衛久保(こじべいくぼ)坂・小治兵衛窪庚申塔・・・帳元(ちょうもと)の坂・・・成増駅
天神下公園から石坂は『板橋区の坂③』で歩いた道筋です。石坂の坂下近くから短い急坂の権現坂が上っています。青蓮寺脇のおなかや坂を下り、三園通りを南に上り太郎坂を探している時に道端の庚申塔を見つけました。写真を撮っていると近所に住んでいるらしい話好きなおばさんがこの辺りの昔の様子を説明してくれました。今は付近の緑と自然を守る運動をしているらしいですが、庚申塔についてはあまり知らないようでした。
太郎坂の位置が分からず随分時間を使ってやっとたどりつきましたが、ほとんど傾斜がなく坂らしい感じはありません。小井戸坂を上り、成丘通りの百々女木坂を下り、百々向川緑道を歩き、東上線の踏切を渡り川越街道へ出ました。和光市の方へ下る川越街道が成増坂です。坂上から南東に小次兵衛久保坂が下り、帳元の坂の上りになる起伏の大きい川越街道です。
写真をクリックすると拡大します。
石坂(坂上から) 成増4-33と5-18の間を南西に上る。《地図》
権現坂(坂下から) 成増4-33と4-21の間を南東に上る。《地図》
坂の途中に「木椎熊野大権現」(成増4-21)が祀られていた。権現神社は赤塚3-9地先に移されたが今は廃社になっている。旧白子川分流の田島橋から成増の台地に上る坂で古道の松木道が通っていた。『郷土 板橋の坂道』
三園通りが改修される前は吹上観音から権現坂を上って、六道の辻を経て、川越街道へ出る古道の道筋だった。
青蓮寺(成増4-36)
昔、境内で野がけと称する草競馬が行われた名残だという。
おなかや坂(坂上から) 成増4-28と4-37の間を南西に上る。青蓮寺山門前から三園通りに出る坂。《地図》
「おなかや」とは、青蓮寺の東側の田中家の屋号。この坂を上れば昔の松木道に合流する。『郷土 板橋の坂道』
太郎坂(坂下から) 成増4-24と4-25の間を北東に上り、北に曲がり4-24と4-26の間を北に上る。
この辺りに住んでいた人の名か?
曲がって上る。《地図》
文化2年(1805)建立。「右 しらこみち」とある。
小井戸坂(坂下から) 成増4-11と赤塚3-40の間を南西に上る。《地図》
小井戸川が流れていたのだろう。
百々女木(ずずめきがわ)坂(坂上から) 成増3-14と3-19の間を北東に上る。《地図》
昔の小字名。百々向川緑道が残る。百々向(ずずむき)と表すこともあって、川の流れる音、また多数の雀などの鳴声からつけられたなどといいます。『いたばしの地名』
「すずむき」とふりがなが振ってある。
成増坂(坂途中から坂下方向)《地図》
成増1丁目と2丁目の間を南東に上る川越街道。
小次兵衛久保(こじべいくぼ)坂(坂上から) 成増1-13と2-9の間を北西に上る川越街道。坂上は成増坂②の坂上。《地図》
百々女木川が川越街道を横断する赤塚派出所前辺りで、川越街道が帳元の坂と小次兵衛久保坂が下りきって窪地になっています。昔、川にかかる丸太橋を悪者小次兵衛が罪ほろぼしのため安全な橋をかけたという話があり、派出所前の庚申塔に小次兵衛窪を刻んでいます。『いたばしの地名』
川は今は暗渠になって丸木橋もない。
天明3年(1783)建立。
帳元(ちょうもと)の坂(坂下から) 成増1-1と2-5の間を南東に上る川越街道。小次兵衛久保坂の坂下から上る。《地図》
帳元は、赤塚新町3丁目で川越街道と松月院通りの交差点近くの地名。江戸時代に興業物などの一切の勘定の取締まりをしていた帳元の家(友山氏宅)があった。『いたばしの地名』 坂上近くにバス停「張本」がある。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 坂道散歩(2023年11月~)追加分(2023.12.14)
- 「歩いた坂」追加分(2023.12.10)
- JR京浜東北線を歩く①(2022.10.22)
- 大落古利根川・中川を歩く(2023.11.22)
- 柴又街道②(2023.11.21)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント