板橋区の坂-8
2006年9月5日
東武練馬駅(東上線)・・・徳丸通り・向坂・・観音講の坂・・・西徳通り・・・お伊勢坂下・・・徳丸石川通り・・・峡(はけ)の坂・・・松月院通り・・・番場の坂上・・・安楽寺・・・下井戸(したいど)の坂・・・松月院通り・・・大坂上・・・不動通り・・・急坂・・・おう坂・・・新坂・・・中尾不動尊・・・中尾観音堂・・・東武練馬駅
徳丸地区の坂を歩きました。今日の東京は陽射しが強く35℃の暑さでしたが、湿気が少なく日陰を選んで歩けばなんとかなりました。
*(向坂・お伊勢坂・番場の坂・大坂は、3月9日に記載)
写真をクリックすると拡大します。
観音講の坂(坂上近くから) 徳丸3-39と3-40の間を南に上り、3-38と3-33の間を南東に上る。《地図》
坂下に観音堂(アゼッポのお堂と呼ばれていた)があって、観音信仰の家が多く、この辺りを小字「観音講」と呼んでいた。
右手の崖の土が峡(ハケ)の名残か。《地図》
峡の坂(坂下から) 徳丸5-29と5-28の間を北西に上る。
この辺りの峡(ハケ・崖)の地形による坂名か。
下井戸の坂(坂上から) 安楽寺と徳丸7-11の間を北に下る。《地図》
高島平2丁目から徳丸7丁目にかけて南北に長い水田地帯だった所を下井戸と呼んでいた。台地の上から水田に向うと下井戸と呼ばれるほど水量の多い池があって、水田に利用されていたということです。『いたばしの地名』 寺の後ろの坂・仕手戸の坂・後ろの坂とも呼ぶ。寺とは安楽寺のこと。
急坂(坂途中から坂上方向) 徳丸1-47と1-50の間を南西に上る。《地図》
ここの谷にはツルマイ池(鶴舞か弦巻)があったが、昭和35年頃までに埋められてしまった。
おう坂(坂上から) 徳丸1-38と1-52の間を北に上る。坂上は石段。《地図》 新坂の途中から上る坂。
胸を合わせるような急坂なので合坂と呼ばれたか。『郷土 板橋の坂道』 胸を合わせるとは、どういう格好なのか? 新坂と急坂の(合い)間の坂で、「あいの坂」が「おう坂」に転訛したのではないだろうか。新坂が出来た後についた坂名か。
新坂(おう坂の坂下、新坂の途中から坂上方向) 徳丸1-53と1-35の間を南東に上る。《地図》
急坂の後に開かれた坂。
左 宝永7年(1710)の銘
右 享保18年(1733)の銘
左はユニークな像だ。
徳丸2-8と2-18の間。
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