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2006年9月29日 (金)

文京区の坂-9

2006年9月29日

千駄木駅(地下鉄千代田線)・・・団子坂・・・藪下通り・・・しろへび坂・・・汐見坂・・・だんだん坂・・・夏目漱石旧居跡・・・(解剖坂上)・・・本郷通り・・・浄心寺・・・正行寺(とうがらし地蔵)・・・西善寺(近藤重蔵墓)・・・大円寺(ほうろく地蔵・高島秋帆墓)・・・お七坂・・・浄心寺坂・・・円乗寺(八百屋お七地蔵・お七の墓)・・・(中坂下・胸突坂下・曙坂下)・・・新坂(福山坂)・・・石坂・・・菊坂・(梨木坂下)・伊勢屋質店跡・火伏稲荷・(炭団坂下・本妙寺坂下)・金魚坂・・・本郷通り(見返り坂下・見送り坂下)・本郷薬師・・・本郷三丁目(地下鉄丸ノ内線)→新大塚・・・砂利場坂・・・巣鴨駅

 団子坂上から藪下通り(本郷保健所通)に入り、森鴎外の観潮楼跡を通り汐見坂の途中からだんだん坂を上りました。お七坂は傾斜がなく、浄心寺坂の別名がお七坂でもあるので、この道にも「お七坂」の名がついているのか疑問です。

 浄心寺の坂下近くから崖の中腹を曲がりくねって通っている道を進みました。中坂下、胸突坂下、曙坂下を通り広い道に出て新坂を上り、石坂を下って菊坂の坂下に出ました。坂上近くの路地が金魚坂で、金魚販売・喫茶店・料理の店「金魚坂」が坂に沿ってあります。砂利場坂は、猫又坂(不忍通)と宮坂の間の坂です。

( 団子坂・汐見坂・解剖坂は「文京区の坂-3(2006年2月3日)に、浄心寺坂・中坂・胸突坂・曙坂・新坂・石坂・菊坂・梨木坂・炭団坂・本妙寺坂・見返り坂・見送り坂は「文京区の坂-4(2月4日)」、猫又坂は「文京区の坂-5(2月5日)」、宮坂は「豊島区の坂-1(2005年12月17日)」に記載)

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc05468 しろへび坂 藪下通りの千駄木2-23の本郷図書館鴎外記念室(観潮楼跡)の前から下る階段坂。第八中学の北側。《地図

第八中学校の校舎の壁が白く、その間の細い坂だからか。

Dsc05472 汐見坂

鴎外記念室の前の藪下通り。

Dsc05473_1 だんだん坂 汐見坂の途中から千駄木1-8と1-9の間を西に上る石段坂。《地図

Dsc05476 夏目漱石旧居跡(向丘2-20)

Dsc05475「旧居跡」説明板

「猫の家」と呼ばれていた。森鴎外も住んでいた時期がある。

Dsc05477 浄心寺(向丘1-17の本郷通り)

浄心寺坂の由来の日蓮宗の寺。→浄土宗の寺です。訂正します。コメントをいただきありがとうございます。(2007年1月10日)→浄心寺坂の由来となった日蓮宗浄心寺は浄心寺坂の坂上、白山1-36のライオンズマンションの所にあった寺。(コメントをいただき再調査しました。2008年4月23日)

Dsc05479 とうがらし地蔵(本郷通りの向丘1-13の正行寺内)

せき(咳)の病にご利益があるという。

Dsc05480

「とうがらし地蔵」説明板

Dsc05483 近藤重蔵墓(本郷通りの向丘1-15の西善寺)

江戸時代の北方探検家。

Dsc05482 説明板

Dsc05488 大円寺(白山1-9)

高島秋帆の墓がある。

Dsc05486 ほうろく地蔵(大円寺内)

八百屋お七の罪業を救うため、自ら「ほうろく」(素焼きのふちの浅い土鍋)をかぶり焦熱の苦しみを受けたという地蔵さん。首から上の病いに霊験あらたかという。

Dsc05484「ほうろく地蔵」説明板

Dsc05487 庚申塔(大円寺)

本郷追分から移築された。

Dsc05492 お七坂(坂上近くから) 大円寺の西側を北東に上る旧白山通り。《地図

坂途中の大円寺にお七ゆかりのほうろく地蔵がある。傾斜がなく、お七坂は浄心寺坂の別名でもあり、この坂もお七坂と呼ばれているのか疑問。

Dsc05493 浄心寺坂 白山1-32と1-33の間を東に上る。

坂上に大円寺、坂下に円乗寺。浄心寺は坂上のライオンズマンションの所にあった寺。

Dsc05495 八百屋お七地蔵(円乗寺

Dsc05501 伊勢屋質店(菊坂の坂下近の樋口一葉旧居近く)

一葉がこの質屋に通い苦しい家計をやりくりした。昭和57年廃業。

Dsc05500_1「伊勢屋質店」説明板

Dsc05502 火伏稲荷(菊坂の途中)

Dsc05503 菊坂の途中の電柱に「金魚坂」の店の広告。

Dsc05504 金魚坂 本郷5-2と5-3の間を菊坂から北に上る細い路地。《地図

坂に沿って金魚の卸問屋がある。

Dsc05505 卸問屋「金魚坂」

創業から350年以上という。

Dsc05512 本郷薬師(本郷4-2、本郷三丁目交差点脇)

Dsc05510 「本郷薬師」説明板

Dsc05511 薬師観音

Dsc05513 砂利場坂(坂下から) 千石3-9と3-10の間を北東に上る。《地図

付近に砂利取り場があったのだろう。

Dsc05514 坂上近くから

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2006年9月25日 (月)

世田谷区の坂-6・杉並区の坂-7

2006年9月25日

成城学園前駅(小田急線)・・・大石橋(仙川)・・・真(新)坂・・・祖師谷通り・・・千歳通り・・・ヘエガラ(稗柄?)橋の坂跡・・・千歳船橋駅(小田急線)→豪徳寺駅・山下駅(世田谷線)→上町駅・・・天祖神社・世田谷代官屋敷・おたま坂・・・上町駅(世田谷線)→下高井戸駅(京王線)→明大前駅・・・地蔵坂・・・閻魔堂・・・玉川上水公園・・・明大前駅

 仙川の大石橋から真坂(神明社の手前)に向う道筋は前回(9月23日)と同じルートです。真坂は今は傾斜はほとんどなく、ヘエガラ橋の坂は橋も坂も跡形もありません。

 おたまさんの坂の位置もあちこちうろうろしましたが、4つの道筋があり特定できず、やっと地蔵坂でまともな坂?に行き着きました。

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Dsc05414 仙川にて(大石橋近く)

Dsc05415_1 真(新)坂(坂上から)  祖師谷4-31と32の間を北西に上る。大石橋と神明社(祖師谷5-1)の間にある坂。《地図

『ふるさと世田谷を語る(祖師谷)』に載っている坂。今は傾斜はほとんどなく坂とは呼べないかも。

Dsc05416 坂下から

Dsc05418 庚申塔の祠(祖師谷2-3) 

真坂を下り東に進んだ突当たりの祖師谷通りの商店街の一角。

Dsc05417 庚申塔

Dsc05422 ヘエガラ(稗柄?)橋の坂跡  環八通りが千歳通りと交差する千歳台と船橋2丁目の交差点の千歳通りの所に「へえがら橋」があった。

昭和20年頃まで俗称「ヘエガラ橋(稗柄橋?)の坂」と言われた坂があった。千歳通りは昔、世田谷街道と称され道路に沿って元禄年代以前より品川用水掘が開通しており、この用水路が道路を横断して荷車を引く人達の難所でもあった。終戦後、この品川堀も埋めたてられ道路拡幅および環状8号線道路がこの坂の地点にかかり、坂は削平された。『ふるさと世田谷を語る(千歳台・船橋)』

Dsc05424 ヘエガラ橋の坂の位置

現在地の標示のあたりの千歳通りに、「ヘエガラ橋」があり、品川用水が流れていたのだろう。

Dsc05437 世田谷線(上町駅)

Dsc05428 天祖神社(世田谷1-23)

Dsc05429 おたま坂① 世田谷1-23の北側の坂。《地図

『ふるさと世田谷を語る(世田谷)』には、「世田谷1-23に岩瀬たまが住み、代々たまさんが続いたので、おたま坂と呼ばれるようになった。大山街道の道すじ」とある。

岩瀬家は見当たらず。「たま」さんは多分女性だから、女系の姓から男系の姓に変わったのか、大山街道がどの道筋なのかも分からない。

Dsc05436 おたま坂② 世田谷1-23の西側の坂。

Dsc05435 おたま坂③ 世田谷1-23の東側の坂。

Dsc05431おたま坂④ 世田谷1-23の南側の道。

これは天祖神社と世田谷代官屋敷(写真右側の塀沿いに門が見える)の間の道、「ボロ市」通りで傾斜はない。

Dsc05432 世田谷代官屋敷説明板

Dsc05433 「ボロ市」説明板

Dsc05438 何の像なのか(杉並区和泉2-8)

Dsc05458 地蔵坂(元地蔵堂の所から坂下方向) 和泉2-11と2-13の間を南東に上る。《地図

「新編武蔵風土記稿」和泉村の項に載っている地蔵堂が明治初年まで共同墓地の所にあった。本尊は和泉2-17の閻魔堂に安置される。『杉並の通称地名』

Dsc05459 坂途中から

正面の元地蔵堂(現在は共同墓地)の所で、左は井ノ頭通りへ、右は井の頭線の方へ分かれて上る。

Dsc05455 「地蔵堂墓地」の石柱

Dsc05450地蔵さん

左は嘉永2年(1849)、 中は宝暦9年(1759)の銘あり。

Dsc05448 閻魔堂(和泉2-17)の六地蔵と天明8年(1788)の銘のある真ん中の地蔵。

地蔵堂の本尊が安置されているという。堂内で作業をしている女性に聞いたが分からなかった。

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2006年9月23日 (土)

世田谷区の坂-5

2006年9月23日

成城学園前駅(小田急線)・・・なかんだの坂・・・雁追橋(野川)・・・お茶屋坂・・・ヘビ(成城三丁目緑地)・・・富士見橋通り・・・富士見橋(小田急線)・・・仙川・・・大石(だいし)橋・・・観世音堂・薬師堂・・・神明社(祖師谷5-1)・・・釣鐘池・・・神明社(祖師谷6-5)・・・弔い坂・・・安穏寺・岩船地蔵尊・・・水辺の道(粕谷ルート)・・・千歳烏山駅(京王線)

 前回訪れた時(2005年11月5日「世田谷区の坂-3」)のお茶屋坂の位置が違っていたので再訪しました。一直線の急坂で、坂上近くで傾斜がきつくなり片側に鉄の手すりがついています。坂上に成城三丁目緑地があり、ヘビ坂(この坂を前回お茶屋坂と勘違いしました)が下っています。

 富士見橋から富士は見えず、仙川に出て、川沿いに大石橋から観世音堂・薬師堂、もどって大石橋を渡り神明社、釣鐘池から弔い坂を上り安穏寺へ。寺の前の通りは渋滞し、歩道もついてなく歩きにくいこと甚だしく、道路脇の岩船地蔵も馬頭観音などの石仏も排気ガスまみれで可哀想な感じでした。

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Dsc05327 「なかんだの坂」 成城3-9と3-10の間を北方向に上る。《地図

田んぼの間の坂の意か、中田坂(『ふるさと世田谷を語る』に記載がある)で中田家が坂近くにあるのか?探してみたが見当たらず。

Dsc05330 坂上から

Dsc05339 坂下から

Dsc05341 野川(雁追橋から) 

お茶屋坂下近くの世田谷通りの雁追橋交差点の南側の野川。

Dsc05343 お茶屋坂(坂下から) 成城3-14と3-15の間を北東に上る。《地図

喜多見氏の茶室があったという。

Dsc05359 坂上から

Dsc05361_1 「ヘビ坂」の標示。

お茶屋坂上東側の成城三丁目緑地内の坂。へびのように細く曲がった坂から名づけたのだろう。

Dsc05355 坂途中から坂下方向

Dsc05352 ヘビ坂の坂上の成城三丁目緑地から

お茶屋坂の坂上でもある。

Dsc05363 富士見橋案内板(橋上からの眺め)

「世田谷百景」の一つ。

Dsc05364 富士見橋上から富士山は見えず。

Dsc05367 仙川(さくら橋から)(成城7-1)

Dsc05381 観世音堂・薬師堂への坂(仙川の大石橋から西に上る)

正面右側の木が繁っている所がお堂。

Dsc05368_1 「観世音堂・薬師堂」説明板

Dsc05380 観世音堂(成城9-1)

承応3年(1654)建立、延宝2年(1674)安穏寺の権大僧都法印秀我が修復。

Dsc05372 薬師堂

享保11年(1726)安穏寺法印賢光が福田氏の願いにより建立。

Dsc05383 神明社(祖師谷5-1)

下祖師谷村の村社

Dsc05389 釣鐘池(祖師谷5-33)

池名の由来は説明板に詳しい。この池は湧水で仙川に流れ、かつては水田に利用されていた。付近の台地から池辺にかけては縄文中期の遺跡。

Dsc05391 釣鐘池説明板

Dsc05396 神明社(祖師谷6-5)

新田義興が甲冑を奉納したと伝えられている。

Dsc05402 弔い坂(坂下から)  祖師谷6-5と上祖師谷3-1の間を北に上る。坂上を進むと安穏寺に突当たる。《地図

釣鐘池の西側に南北にある走路の坂。昔は輿を近隣の若者が担いで安穏寺まで行った。この時の道順になっていた。『ふるさと世田谷を語る(祖師谷)』

Dsc05405 坂上から

Dsc05406_1 安穏寺(上祖師谷2-3)

真言宗智山派の寺。川崎市小杉の西明寺の末寺。元禄年間(1688~1703)の開基という。

Dsc05408_1 岩船地蔵尊(安穏寺の前)

船に乗っている。

Dsc05411 岩船地蔵の堂と馬頭観音、庚申塔など

前の通りは車の通行が激しい。

Dsc05412 水辺の道(粕谷ルート)

千歳烏山駅へ

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2006年9月16日 (土)

練馬区の坂-2

2006年9月16日

上板橋駅(東上線)・・・南口銀座・・・城北公園通り・・・田柄川緑道・・・今神橋跡・・・工兵坂・・・諏訪神社・・・少年鑑別所・・・光伝寺・・・氷川神社・・・正久保橋(石神井川)・・・桜台通り・・・桜台駅(西武池袋線)・・・中杉通り・・・清戸道・・・円光院・・・水神宮・御嶽神社・・・おさる坂・・・道楽橋(石神井川)・・・八幡神社・・・高松2丁目 バス→ 成増1丁目・・・氷川神社・・・成増駅(東上線)

 工兵坂は今は斜度0といった感じ。以前は勾配があったのでしょうか? 工兵坂跡としたほうが適当かも知れませんが、坂の道筋は変わっていないので一応、工兵坂としておきます。この道が開かれた記念碑は今は近くの諏訪神社に移設されています。

 清戸道のおさる坂はお猿坂ではなく、お申坂、庚申塔の申(さる)です。坂の途中の西側に庚申塔が2基あったそうです。坂下の道楽橋も今はただの何と言うこともない橋ですが、おさる坂とともに由来のある橋です。(後述)

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc05228 今神橋跡から(田柄川緑道の錦1-17と氷川台2-6の境)

田柄川緑道は、城北公園から光が丘の秋の陽公園までの全長4.7kmの田柄川を暗渠にした遊歩道。

Dsc05229 工兵坂(坂下から) 氷川台2-7と2-6の間を西に上る。《地図

この道は今神道といわれ悪路だった。大正15年に土地の人たちが改修することにしたが手に負えず、近衛工兵大隊や青年団の力を借り、3ヶ月かかり完成した。このためこの道を「工兵坂」と呼ぶようになった。「今神道記念碑」が坂下の氷川台2-7-25(写真左側の駐車場の角か?」建てられた。この記念碑は平成元年に諏訪神社境内に移設された。当時は坂らしい傾斜があったのだろうか。今の道の様子からは想像しにくい。

Dsc05230 坂上の仲町小学校(写真左側)から

氷川台2-18

Dsc05232 今神道記念碑(左)・記念碑移設石碑(右の小さな石碑)

記念碑の上部は、

 道 神 今

 碑 念 記  と読めるがその他の文字はかすれていて読めない。

移設石碑には縦書きで、「この今神道記念碑を氷川台2-7-25番地より平成元年三月二十七日に移設する」と刻まれている。 

Dsc05233 記念碑移設石碑

Dsc05234 諏訪神社(氷川台2-3)

今神地区の氏神 「今神道記念碑と一緒に並んで立っていたという庚申塔(享保7年(1722))も移設されたのだろうか、確認するのを忘れた。

Dsc05236 練馬少年鑑別所(氷川台2-11)

「ねりかん」と呼ばれていた。

Dsc05247光伝寺(氷川台3-24)

Dsc05238 子育地蔵

寛政8年(1796)に石神井川の河畔に建てられたもので、河川の改修等で昭和47年に光伝寺に移された。

Dsc05239 子育地蔵由来

「目白白子道田中道との交わる三角地の村有地に辰巳向に建立せり・・・」とある。

Dsc05251 氷川神社(氷川台4-47)

旧下練馬村の鎮守

Dsc05256 氷川神社説明板

Dsc05258 水盤(氷川神社境内の稲荷社の前)

延享4年(1747)の石造角柱型水盤(高さ61cm×幅50cm×奥行き46cm) 今も水が張られ使用されている。

Dsc05266 旧家(氷川神社前)

右側は米屋で、左側の建物とつながっているかも。

Dsc05267 庚申塔(中村橋駅前の中杉通りの商店街の角)

文化10年(1813)の建立

Dsc05276円光院(貫井5-7)

門前の七地蔵

Dsc05272 「円光院」説明板

脚腰痛を患った円長法師(天正13年(1585)没)が、武州大鱗山の子聖権現?を遥拝し、夢に現れた霊石を得て患部にあてると快癒した。法師はここに堂舎を建て貫井寺と称し、子聖大権現を勧請した。 

Dsc05278 御嶽神社(左)・水神宮(右)

Img_6377_2 おさる坂(坂下方向) 貫井5-15と5-22の間を北方向に道楽橋に下る清戸道。《地図

以前この坂の左手の丘の上に草に埋もれた二基の庚申塔があった。寛文2年、安永2年造立のものであったという。(現在は長谷川家に安置されている) それでこれをおさる()坂と言ったといわれているが、この呼び名から、祝儀の際、花嫁が通ると離縁になるといわれ通らないようにしたという。『練馬の伝説』

Img_6379_2 坂上方向

Dsc05284 道楽橋から石神井川

「道楽」の由来には、①この橋を架けるため農民を集めようとしたが農繁期で集まらず、いつまでも橋が架からないので、まるで道楽で橋をかけているといわれたのが橋の名になった。 ②南の台地上(貫井5丁目)に地蔵堂を建て、堂の落成の喜びをあらわすため「堂落橋」と名づけたが、何年か後に橋の架け替えの時、道楽橋と書いてしまった。③農民たちが地蔵堂を托鉢喜捨して建てた。余材で橋まで架けることができた。楽に堂が建ったので「堂楽橋」とした。幕末に橋を架け替える際に石屋が字が解らず、「堂」が「道」になった。 どれも真らしく、嘘っぽい説ではあります。また道楽橋を渡ってゆくと、道楽者の所へ嫁ぐと言うので、渡らないようになったともいう。この他にも道楽橋のあたりで一緒になれない男女が心中したので縁起が悪いといって花嫁が渡らなくなったという話もある。『練馬の伝説』

Dsc05287 八幡神社(高松1-16)

Dsc05288 大山大聖不動明王(八幡神社鳥居脇)

享保3年(1803)建立

Dsc05291 氷川神社(成増1-28)

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2006年9月15日 (金)

練馬区の坂-1

2006年9月15日

石神井公園駅(西武池袋線) バス→ 土支田2丁目・・・別荘坂・別荘橋(白子川)・・・八坂神社・・・らんとう坂・もみじやま憩いの森・・・不動橋・・・中里不動尊・・・稲荷山図書館・・・土支田八幡宮・・・土支田1丁目 バス→ 成増駅(東上線)

 久しぶりに雨が上がった涼しい日でした。長久保道の坂とその付近を歩きました。練馬区は名前のついた坂が少ないのか図書館等で調べてみてもなかなか見つかりません。

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Dsc05192 別荘坂(坂上から) 大泉町1-7と2-59の間を別荘橋から南東に上る。《地図

白子川にかかる他の橋の名は、大泉村誕生以降に名づけられたが、別荘橋は江戸時代の命名。橋戸村中里に荘埜家がある。元は荘家であったが、後にこの地に来村したといわれる他の荘氏とは別であるという意識から明治期に荘埜という苗字をつけ、別の荘氏であるという意味で、橋の名前を別荘橋と命名したという。『練馬の伝説』 別荘橋に下る坂なので別荘坂と名づけられたのだろう。

Dsc05196 坂途中から坂下の別荘橋方向

Dsc05194 坂の途中にある「長久保道」の石標

Dsc05193 「長久保道」説明板

Dsc05203 別荘橋から坂上方向

右側の木が繁っている下に地蔵の小祠

Dsc05198 地蔵

Dsc05199 地蔵の隣の石像

Dsc05202 別荘橋から白子川

Dsc05212_1 馬頭観音

別荘橋近く

Dsc05205八坂神社(大泉町1-44)

境内に「中里富士」という富士塚がある。

Dsc05206 らんとう坂 大泉町1-43と3-23の間をらんとう坂下交差点から北西に上る。坂上は東京外環自動車道。《地図

坂名の由来不明。「らんとう」は「蘭塔(卵塔)」(台座の上に卵形の塔身が乗った墓石-卵塔)だろうか? 付近には寺や墓場も見当たらず、坂に沿う「もみじ山憩いの森」にもそれらしきものはない。朝霞市にもらんとう(卵塔)坂(「朝霞市の坂-3」(2007年10月17日記載)があり、新宿区中井の「二の坂」の別名は「蘭塔坂」(「新宿区の坂-7」2005年12月12日に記載)。

Dsc05208 坂下から

Dsc05210 坂上から

Dsc05215 中里不動尊(大泉町1-28)

右 不動明王

左 ?

Dsc05213 不動明王

Dsc05214 何の像?

Dsc05219 不動橋(白子川)から上る坂

Dsc05224 土支田八幡(正面の森)へ下る坂

Dsc05222 土支田八幡宮(土支田4-28)

Dsc05220 「土支田八幡宮」説明板

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2006年9月 9日 (土)

板橋区の坂-11

2006年9月9日

上板橋駅(東上線)・・・閻魔坂・若木通り・・・稲荷神社・・・延命寺(中台3丁目)・・・南坂・・・馬の鞍坂・・・延命寺(志村1丁目)・・・見次坂・見次公園・・・長徳寺坂・長徳寺・・・本蓮沼駅(都営地下鉄)

 蒸し暑い中、けっこう起伏の多いコースを歩きました。南坂は古道らしさが少し残っています。かつては坂下から城山の坂に続いていました。延命寺(志村1丁目)では、庭の掃除をしていた方から藪蚊に食われながらいろいろ話を聞きました。見次公園には池があり、釣り人やボートも浮かぶ思ったより大きな公園でした。

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Dsc05130 閻魔坂(坂途中から坂下方向) 中台1-43と1-44の間を北西に上る若木通り。《地図

出井川の支流の一つで小字新田前に源を発する小川に閻魔堂橋が架かっていた。近くに延命寺持ちの閻魔堂があった。坂下に閻魔堂橋が架かっていたのか。延命寺は志村1丁目にもあるが、中台3丁目の方の寺だろう。

Dsc05131 坂上近く

Dsc05133 稲荷神社(若木1丁目)

Dsc05135 稲荷神社説明板

Dsc05136 延命寺脇の坂(中台3丁目)

左が延命寺。閻魔坂ゆかりの寺。

Dsc05139 緑小学校(中台3丁目)そばの石段坂

南坂への途中。

Dsc05141 南坂緑地

南坂の坂上

Dsc05142 南坂(坂上から) 中台2-1と2-38の間を南西に上る。《地図

中岱南殿の屋舘址が坂上の丘陵上にあった。城山の坂を下り、出井川の摺張橋を渡り、この坂を上りやがて下練馬宿に通ずる大山道の一部。坂下には庚申塔が祀られていていづれも道しるべを兼ねている。うち1基は摺張橋の橋供養を行っていて、道中の無事を祈っている。『いたばしの地名』・『郷土 板橋の坂道』

Dsc05143 坂途中から

Dsc05144 坂下近くから

Dsc05148 馬の鞍坂 志村1-27と1-28の間を北に上る。《地図

日露戦争の時、軍馬にするために近在の村々から徴収した馬を一時繋いでいたので、馬の鞍といった。昔は前野村の学童が志村城山の学校に通う道で、学校の下から出井川にかけて杉林が鬱蒼と茂る谷であった。薄暗くじめじめとして薄気味悪いので、皆は駆け足で通り抜けたものだ。『郷土 板橋の坂道』

Dsc05149 坂上から

Dsc05160見次山延命寺(志村1-21)

Dsc05158 延命寺説明板

Dsc05162 蛸薬師庚申塔

正保4年(1647)の造立の区内最古の庚申塔。薬師如来像が彫られている。以前は志村銀座の商店街のお堂に祀られていた。

この薬師は眼病ではなく、「いぼとり」の仏として有名。蛸の足のたくさんのいぼが、人間のいぼを吸い取ってくれる。こんなことが始まりではなかろうか。『いたばしの昔ばなし』

Dsc05166 切支丹灯篭

棹の部分に切支丹の呪文といわれる文字のような彫刻があり、その下の地蔵はキリストを抱いたマリア像だといわれた。真偽のほどは不明。

Dsc05167 呪文の文字?とマリア像?の地蔵さん。

Dsc05168板碑

これが区内最古の建長4年(1252)の板碑か?上部は欠けている。

Dsc05178 見次坂(坂途中から) 前野町4-59の見次公園の西側を北東に上る。《地図

坂近くに見次山延命寺がある。大永4年(1524)志村城が北条氏により落城した際、城主(篠田五郎)の家臣の見次権兵衛が子の権太郎が討死するのをみて、世の無常を感じ、子の冥福を祈るため延命寺を建立し、山号に自分の姓をつけたと伝えられる。見次の語源は、この辺りが古代から開けた所で、貢(年貢)の集積地だったと考えられることによる。『郷土 板橋の坂道』

Dsc05179 坂下方向

Dsc05181 見次公園

Dsc05185 長徳寺坂(坂下近くから) 大原町38と39の間を北東に上る。《地図

坂の西側に長徳寺(写真左側)がある。かつて長徳寺の本尊は大日如来で、「子育て大日尊」、「乳授けの大日さま」と信仰され、参詣の人が絶えなかった。別名を「お大日坂」と呼んだ。『郷土 板橋の坂道』
この坂は鎌倉街道(中の道)の西回りの道筋。

Dsc05190 坂上から(右が長徳寺の塀)

この坂は『鎌倉街道中の道』の道筋。

Dsc05187長徳寺

Dsc05186 長徳寺説明板

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2006年9月 8日 (金)

板橋区の坂-10

2006年9月8日

上板橋駅(東上線)・・・南口銀座・・・ガッカラ坂(旧川越街道)・子育て地蔵堂・・・(川越街道)・・・茂呂山通り・・・御岳神社・城北中央公園・・・栗原橋(石神井川)・・・茂呂遺跡跡・・・小茂根稲荷神社・・・ばんち坂・茂呂山公園・・・(環七通り)・・・すて場坂・・・(環七通り)・・・安養院・・・堂坂・・・氷川神社・・・長命寺・長命寺坂・・・下頭橋(石神井川)・下頭六蔵祠・・・中板橋駅

 写真をクリックすると拡大します。

Img_5044 ガッカラ坂(坂上方向) 上板橋南口の旧川越街道で、南東にゆるやかに上る。 《地図

埼玉や練馬、赤塚の農家の人たちが朝は暗い内から野菜などを市場に運んだ道で、荷車が「ガラガラ」と音を立てて通ったので、ガッカラ坂と呼ばれた。また長い坂なので「ガッカリ」したといい、ガッカラと訛ってこの坂名がついたともいう。 『郷土 板橋の坂道』

今はほとんど傾斜がなく、坂とはいえず確かに「ガッカリ」する坂だ。

Img_5050 子育て地蔵堂(坂の中程)

Img_5049 由来

「ガッカラ坂」の名がある。

(2009年7月1日撮影)

Img_5048 地蔵さんは元は3体あったそうだ。

Img_5054 坂上を行くと現川越街道に出る。

Dsc05075石神井川(栗原橋から)

Dsc05078 茂呂遺跡跡の碑

石神井川の南の小茂根5丁目の丘が「おせど山と呼ばれ、縄文早期の稲荷台式土器などの散布地。また関東ローム層の中から昭和26年「茂呂型ナイフ」と呼ばれる特徴的な石器群が発見された。

Dsc05079 小茂根稲荷(小茂根5-14)

Dsc05082 ばんち坂 小茂根5-2の茂呂山公園と5-4の間を南東に上る。《地図

茂呂山公園一帯は昔は「ばんち山」といわれた。山の持ち主だった山上氏の先祖は江戸城の警護衆が住んでいた番町(千代田区)から来たという。このことからこの山を「ばんち山」と呼んだと思われる。『郷土 板橋の坂道』

Dsc05084 坂上から

Dsc05086 すて場坂(坂上から) 小茂根1-1の心身障害児療育センターと2-13の間を西に上る。坂下は地蔵坂下。《地図

坂下あたりに馬や牛の捨て場があった。『郷土 板橋の坂道』

Dsc05090 坂下から

Dsc05091安養院(東新町2-30)

真言宗の古刹。鎌倉時代の執権北条時頼が中興開基と伝えられている。板橋七福神の弁財天

Dsc05095_1 安養院と梵鐘の説明板

Dsc05093 梵鐘

元禄2年(1689)の鋳造。国の重要美術品。

Dsc05106 大師堂

Dsc05107_1 堂坂 東新2-7と2-8の間を北に上る。《地図

坂の途中に、この辺りの旧家で大庄庵と称した小野沢氏の家があった。ここに地蔵堂があったので地蔵坂とも呼ばれる。『郷土 板橋の坂道』

坂の西側の氷川神社ではなく、地蔵堂のお堂ということか

Dsc05109 坂上近くから

Dsc05111 氷川神社(東新町2-16)

上板橋村の鎮守

Dsc05115 氷川神社説明板

Dsc05117 長命寺(東山町48)

真言宗、寛文10年(1633)の開基。

Dsc05123 長命寺坂(坂上から) 下頭橋から南常盤台1-4と1-7の間を西に上る。《地図

坂上の川越街道を渡った所に長命寺がある。

Dsc05127 坂下の下頭橋から

Dsc05128下頭橋と六蔵祠の説明板

Dsc05129 六蔵祠

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2006年9月 7日 (木)

板橋区の坂-9

2006年9月7日

東武練馬駅・・・不動通り・・・京徳観音堂・・・阿弥陀坂(弥陀堂の坂)・・・円福寺法蔵庵・・・円福寺・・・天祖神社・・・神明坂・・・子安地蔵尊・・・とりげつ坂・・・善長寺・・・新道坂・・・西台不動尊・・・谷津坂・・・東武練馬駅

 不動通りの徳丸1丁目の交差点を過ぎ、東に入ると京徳観音堂があります。この辺りは昔の面影が残っています。観音堂の下の峡田道が阿弥陀坂で円福寺法蔵庵の方へ上っています。天祖神社には、番場稲荷の坂(「板橋区の坂-4」2006年3月9日に歩いた坂)の由来となった稲荷社が合祀されています。神明坂の途中から「とりが谷津山」へ上り、とりげつ坂を下りました。これが古くからの道で、この坂に平行している西台中央通りの新道坂は昭和に開かれた新しい坂です。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc05011京徳観音堂(西台2-53)

昭和51年までは芽葺屋根の堂だった。

Dsc05009 京徳観音堂説明板

Dsc05012 峡(ハケ)の地蔵?

説明板によると万治3年(1660)建立。

Dsc05015 阿弥陀坂(弥陀堂の坂)(坂下から) 西台3-40と3-42の間を南東から北東に上る。坂上は円福寺法蔵庵。《地図

円福寺法蔵庵に由来する坂名。 
『いたばしの昔ばなし』の「枯れ葉の小判」から  むかし、西台村の円福寺の法蔵庵阿弥陀坂の下を通りかかった侍が、お百姓に鶴が池への道を聞いた。お百姓は、「この道を真直ぐ参られれば京徳観音の森がすぐ見えます。その森の近くにある大きな池が鶴が池でございます」と答えると侍はお礼に小判2枚をくれた。侍は立ち去るのを振り返るなといい馬にむちをあてた。お百姓は、うれしくて侍の言葉を忘れて、振り返ってその姿を見送った。お百姓は侍の姿が見えなくなると手に握った小判を見てみると、楢の枯れ葉2枚に変わっていた。 

Dsc05072 坂途中から坂下方向

Dsc05070_1 坂上の円福寺法蔵庵(写真右側)の所から

Dsc05068 門柱脇の庚申塔(正徳6年(1716))

Dsc05066 円福寺脇の坂(右上が円福寺)

円福寺法蔵庵とは離れている。

Dsc05065円福寺山門(西台3-32)

Dsc05064 円福寺境内

曹洞宗の寺。文明11年(1479)太田道灌が川越に創建。慶長13年(1608)にこの地に移され、江戸幕府より朱印地20石が寄進された。

Dsc05019 天祖神社(西台2-6)

江戸時代には西台村の鎮守で神明社と呼ばれていた。

Dsc05018 番場稲荷(天祖神社境内)

「番場稲荷の坂」の由来となった稲荷社。

Dsc05020 神明坂(坂上の天祖神社の所から) 天祖神社の東側の坂。《地図

Dsc05022 坂下近くから

Dsc05023 子安地蔵尊(神明坂の坂下)

「聖徳太子身代子安地蔵尊」

Dsc05024 子安地蔵

金網入りガラス張りでぼやけた。

Dsc05042 とりげつ坂(坂途中から坂下方向) 西台2-15と2-16の間を南西に上る。坂下に善長寺。《地図

西台2丁目の台地北端部分が「とりが谷津山」で「とりげつ山」となった。『いたばしの地名』 とりげつ山に沿う坂なのでこの坂名がついたのだろう。

Dsc05026 「とりが谷津山」(西台田端公園)の近くから。

Dsc05031 坂途中から坂上方向

この道は古道で坂上には馬頭観音が祀られ、一里塚(戸田から一里)があったという。

Dsc05036 道標庚申塔

「西 ねりまみち」 「東 ?みち」と側面に彫られている。

Dsc05056 新道坂(坂下近く) 西台2-16と1-50の間を南西に上る西台中央通り。《地図

とりげつ坂に平行して昭和8年頃に新しく開かれた坂。

Dsc05057 坂途中から坂上方向

Dsc05047 西台不動尊(西台1-29)

不動明王は太田道灌の守り本尊で、志村城落城後にここに移されたという。

Dsc05050 谷津坂(坂途中から坂下方向) 西台1-20と1-29の間を北西に上る。坂下に西台公園、坂上は西台中央通り。《地図

(坂上の向い側にある)円福寺の前(東側)の谷を谷津と呼んでいた。『いたばしの地名』

Dsc05051 坂上から

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2006年9月 5日 (火)

板橋区の坂-8

2006年9月5日

東武練馬駅(東上線)・・・徳丸通り・向坂・・観音講の坂・・・西徳通り・・・お伊勢坂下・・・徳丸石川通り・・・峡(はけ)の坂・・・松月院通り・・・番場の坂上・・・安楽寺・・・下井戸(したいど)の坂・・・松月院通り・・・大坂上・・・不動通り・・・急坂・・・おう坂・・・新坂・・・中尾不動尊・・・中尾観音堂・・・東武練馬駅

 徳丸地区の坂を歩きました。今日の東京は陽射しが強く35℃の暑さでしたが、湿気が少なく日陰を選んで歩けばなんとかなりました。

*(向坂・お伊勢坂・番場の坂・大坂は、3月9日に記載)

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc04949 観音講の坂(坂上近くから) 徳丸3-39と3-40の間を南に上り、3-38と3-33の間を南東に上る。《地図

坂下に観音堂(アゼッポのお堂と呼ばれていた)があって、観音信仰の家が多く、この辺りを小字「観音講」と呼んでいた。

Dsc04952 坂下近くの曲がる所から坂上方向

Dsc04953 曲がって坂下方向

Dsc04956 峡の坂の坂下近く(徳丸5-29)

右手の崖の土が峡(ハケ)の名残か。《地図

Dsc04958 峡の坂(坂下から) 徳丸5-29と5-28の間を北西に上る。

この辺りの峡(ハケ・崖)の地形による坂名か。

Dsc04960 延命地蔵尊(徳丸5-38)

Dsc04962_1安楽寺(徳丸8-9)

Dsc04966下井戸の坂(坂上から) 安楽寺と徳丸7-11の間を北に下る。《地図

高島平2丁目から徳丸7丁目にかけて南北に長い水田地帯だった所を下井戸と呼んでいた。台地の上から水田に向うと下井戸と呼ばれるほど水量の多い池があって、水田に利用されていたということです。『いたばしの地名』 寺の後ろの坂・仕手戸の坂・後ろの坂とも呼ぶ。寺とは安楽寺のこと。

Dsc04969 坂下の赤塚公園から

Dsc04975 急坂(坂途中から坂上方向) 徳丸1-47と1-50の間を南西に上る。《地図

ここの谷にはツルマイ池(鶴舞か弦巻)があったが、昭和35年頃までに埋められてしまった。

Dsc04976_1 坂上から(右が急坂)

Dsc04977 おう坂(坂上から) 徳丸1-38と1-52の間を北に上る。坂上は石段。《地図》 新坂の途中から上る坂。

胸を合わせるような急坂なので合坂と呼ばれたか。『郷土 板橋の坂道』 胸を合わせるとは、どういう格好なのか? 新坂と急坂の(合い)間の坂で、「あいの坂」が「おう坂」に転訛したのではないだろうか。新坂が出来た後についた坂名か。

Dsc04979 坂下から

Dsc04980新坂(おう坂の坂下、新坂の途中から坂上方向) 徳丸1-53と1-35の間を南東に上る。《地図

急坂の後に開かれた坂。

Dsc04981 坂上から

Dsc04983 坂下近くから

Dsc04988中尾不動尊(徳丸2-18)

Dsc04990 不動明王

Dsc04992中尾観音堂

Dsc04998 庚申塔(観音堂境内)

左 宝永7年(1710)の銘 

右 享保18年(1733)の銘

Dsc05000 庚申塔

左はユニークな像だ。

Dsc05002 無名の急坂

徳丸2-8と2-18の間。

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2006年9月 4日 (月)

板橋区の坂-7

2006年9月4日

成増駅(東上線)・・・天神下公園・・・菅原神社・・・石坂・・・権現坂・・・青蓮寺・おなかや坂・・・太郎坂・・・小井戸坂・上赤塚公園・・・百々女木(ずずめき)坂・百々向(すずむき)川緑道・・・成増坂・・・小次兵衛久保(こじべいくぼ)坂・小治兵衛窪庚申塔・・・帳元(ちょうもと)の坂・・・成増駅

 天神下公園から石坂は前回(2006年3月8日)歩いた道筋です。石坂の坂下近くから短い急坂の権現坂が上っています。青蓮寺脇のおなかや坂を下り、三園通りを南に上り太郎坂を探している時に道端の庚申塔を見つけました。写真を撮っていると近所に住んでいるらしい話好きなおばさんがこの辺りの昔の様子を説明してくれました。今は付近の緑と自然を守る運動をしているらしいですが、庚申塔についてはあまり知らないようでした。

 太郎坂の位置が分からず随分時間を使ってやっとたどりつきましたが、ほとんど傾斜がなく坂らしい感じはありません。小井戸坂を上り、成丘通りの百々女木坂を下り、百々向川緑道を歩き、東上線の踏切を渡り川越街道へ出ました。和光市の方へ下る川越街道が成増坂です。坂上から南東に小次兵衛久保坂が下り、帳元の坂の上りになる起伏の大きい川越街道です。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc04896石坂(坂上から) 成増4-33と5-18の間を南西に上る。《地図

Dsc04900 権現坂(坂下から) 成増4-33と4-21の間を南東に上る。《地図

坂の途中に「木椎熊野大権現」(成増4-21)が祀られていた。権現神社は赤塚3-9地先に移されたが今は廃社になっている。旧白子川分流の田島橋から成増の台地に上る坂で古道の松木道が通っていた。『郷土 板橋の坂道』

三園通りが改修される前は吹上観音から権現坂を上って、六道の辻を経て、川越街道へ出る古道の道筋だった。

Dsc04902_1 坂上から

Dsc04905 青蓮寺(成増4-36)

Dsc04903 青蓮寺説明板

Dsc04904_1 馬頭観音(青蓮寺境内)

昔、境内で野がけと称する草競馬が行われた名残だという。

Dsc04906 おなかや坂(坂上から) 成増4-28と4-37の間を南西に上る。青蓮寺山門前から三園通りに出る坂。《地図

「おなかや」とは、青蓮寺の東側の田中家の屋号。この坂を上れば昔の松木道に合流する。『郷土 板橋の坂道』

Dsc04909 坂下から

Dsc04917 太郎坂(坂下から) 成増4-24と4-25の間を北東に上り、北に曲がり4-24と4-26の間を北に上る。

この辺りに住んでいた人の名か?

Dsc04918 曲がって上る。《地図

Dsc04919 坂上から

Dsc04914_1 道標庚申塔(成増4-13)

文化2年(1805)建立。「右 しらこみち」とある。

Dsc04915 庚申塔説明

Dsc04916 庚申塔説明

Dsc04921 小井戸坂(坂下から) 成増4-11と赤塚3-40の間を南西に上る。《地図

小井戸川が流れていたのだろう。

Dsc04923 坂上から

Dsc04925 百々女木(ずずめきがわ)坂(坂上から) 成増3-14と3-19の間を北東に上る。《地図

昔の小字名。百々向川緑道が残る。百々向(ずずむき)と表すこともあって、川の流れる音、また多数の雀などの鳴声からつけられたなどといいます。『いたばしの地名』

Dsc04926 坂下から

Dsc04927 百々向川緑道

「すずむき」とふりがなが振ってある。

Dsc04929百々向川緑道

Dsc04931_1 成増坂(坂途中から坂下方向)《地図

成増1丁目と2丁目の間を南東に上る川越街道。

Dsc04932_1 坂途中から坂上方向

Dsc04934 小次兵衛久保(こじべいくぼ)坂(坂上から) 成増1-13と2-9の間を北西に上る川越街道。坂上は成増坂②の坂上。《地図

百々女木川が川越街道を横断する赤塚派出所前辺りで、川越街道が帳元の坂と小次兵衛久保坂が下りきって窪地になっています。昔、川にかかる丸太橋を悪者小次兵衛が罪ほろぼしのため安全な橋をかけたという話があり、派出所前の庚申塔に小次兵衛窪を刻んでいます。『いたばしの地名』

川は今は暗渠になって丸木橋もない。

Dsc04940 坂下から

Dsc04935 小治兵衛窪庚申塔(小次兵衛久保坂の坂下の交番前)

Dsc04936 庚申塔説明板

Dsc04938 庚申塔

天明3年(1783)建立。

Dsc04943 帳元(ちょうもと)の坂(坂下から) 成増1-1と2-5の間を南東に上る川越街道。小次兵衛久保坂の坂下から上る。《地図

帳元は、赤塚新町3丁目で川越街道と松月院通りの交差点近くの地名。江戸時代に興業物などの一切の勘定の取締まりをしていた帳元の家(友山氏宅)があった。『いたばしの地名』 坂上近くにバス停「張本」がある

Dsc04945 坂途中から坂下方向

Dsc04947 帳元の坂途中から小次兵衛久保坂を望む。

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2006年9月 3日 (日)

板橋区の坂-6

2006年9月3日

下赤塚駅(東上線)・・・出世稲荷・・・元塚地蔵尊・・・番匠免の坂・・・大堂(だいどう)の坂・大堂・八幡神社・・・不動の滝・・・赤ぱっけ坂・・・馬坂・・・竹の子公園・・・諏訪神社・・・山の坂・・・沖口公園・・・種井(たない)坂(沖口坂)・・・向口公園・駒坂(向ヒ口坂)・・・四つ葉稲荷神社・・・観音堂・・・観音寺坂・観音寺・・・浅間神社・・・宮前坂・・・水車公園・・・梶谷津坂・・・バプテスト教会・・・下赤塚駅

 下赤塚駅そばの赤塚中央通りの交番前に、面白い由来のある庚申塔が立っています。赤塚中央通りの番匠免の坂を下ると、大堂の坂の上りになります。いずれもゆるやかな坂です。松月院通りを越え、東京大仏通りを下ると区立美術館前あたりの薄暗い一角に不動の滝があります。今は一筋の水が落ちるだけです。滝の上の崖に二体の不動明王が離れて立っています。このあたりの崖を「赤ぱっけ」というそうです。短い石段の赤ぱっけ坂を上ると馬坂の途中に出ます。

 種井坂(沖口坂)の西側の沖口公園(赤塚公園の一画)あたりが弥生時代の環濠集落があった沖山遺跡です。種井坂の坂上近くに四葉稲荷があります。そばに観音堂、新大宮バイパス沿いに観音寺があり観音坂が下っています。四葉稲荷から南に行くと宮前坂の下りとなり坂下に水車公園があります。公園前を今は暗渠となった前谷津川が流れていたそうです。

 水車公園から新大宮バイパスを渡り、赤塚7-3の梶谷津坂の坂上には庚申塔が2基立っています。今は新大宮バイパスに分断されていますが、ここは古い道筋なのでしょう。坂下あたりに梶谷津川が流れていたのでしょうか。バイパスを越えると上り坂となり赤塚一中まで上ります。東上線の線路近くの道に出て、西に下赤塚駅に向う途中にバプテスト教会がありました。横浜の代官坂の途中に「日本バプテスト教会発祥の地」の記念碑があるのを思い出しました。

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc04789 出世稲荷(赤塚1-6)

Dsc04790 庚申塔(赤塚1-9)

宝暦4年(1754)に土地の所有者の中田七右エ門が建立。 道路整理と舗装工事の際に近くの不動さまの境内に移したところ、七右エ門さんが子孫の夢枕に立ち、元の場所に戻してくれと告げたので、元のように交番前の辻の道端に移したという。『いたばしの昔話』の「夢枕に立った庚申さま」より。

Dsc04792 元塚地蔵尊(赤塚7-6)

Dsc04793 番匠免の坂(坂上から)  赤塚6-26と7-22の間を南に上る赤塚中央通り。《地図

赤塚村の小字名。地名の起こりは、社寺などを建てる大工をかつて番匠といい、この地域はその人たちが住んでいて租税を免除されたことによる。『いたばしの地名』

Dsc04794 「番匠免町会」の掲示板(坂の途中)

今でも、町会名として残っている。

Dsc04795 坂下から

Dsc04797 大堂の坂(坂下から) 番匠免の坂から北に上る赤塚中央通り。《地図

坂上西側に松月院大堂がある。

Dsc04798 坂上から

Dsc04813_1 大堂参道(左)・八幡神社(右)

Dsc04802 大堂

Dsc04801 大堂説明板

Dsc04800 釣鐘(大堂境内)

暦応3年(1340)国の重要美術品

Dsc04807 釣鐘説明板

Dsc04804 八幡神社

Dsc04803 八幡神社説明板

Dsc04808 庚申塔

三猿の形が三様に彫られている。

どれかに、「番匠免講中」の銘があるという。

Dsc04814 大堂の坂上から北に下る坂(東京大仏通り)

Dsc04820不動の滝(赤塚8-11)

左上に不動明王が一体。

Dsc04815不動の滝説明板

Dsc04818 滝の上の不動明王

Dsc04823 赤ぱっけ坂 赤塚8-21と8-22の間を東に上る。《地図

このあたり(不動の滝沿い)は、ローム層の赤土の崖になっている。昔は赤土そのままの崖の坂で、「ぱっけ」とは崖の意味とも、峡(ハケ)の意ともいわれ、地形の赤い崖から「赤ぱっけ」となったようです。『いたばしの地名』

Dsc04826_1 山の坂(坂上から) 大門8と9の間を西に上る。

坂上に諏訪神社、竹の子公園《地図

Dsc04827_1坂下方向

大門8に「山の家」といわれる田中家があることからの坂名。『郷土 板橋の坂道』

種井(たない)坂(沖口坂) (写真なし) 四葉2-31と2-32間を南西に上る。《地図》 坂下近くの四葉2-21先にに2坪ほどの池、「種井」があった。種籾を浸すのに使ったという。『郷土 板橋の坂道』

Dsc04834 沖山遺跡説明板(沖口公園)

Dsc04840 駒坂(向ヒ口(むこうぐち)坂)(坂下から) 四葉2-29の向口公園と2-31の間を南西に上る。《地図

沖口、向ヒ口(むこうぐち)は徳丸四つ葉村の小名。沖口坂、向ヒ口坂を下る水はかつての四葉池に落ち、田んぼを潤した。『いたばしの地名』 四葉や徳丸の農家の人たちが徳丸田圃(現、高島平)に通った主要な道。『郷土 板橋の坂道』

駒は馬で、農作業に一緒にこの坂を上り下りしたのだろう。

Dsc04836 坂上から

Dsc04845 四葉稲荷(四葉2-9)

Dsc04848 観音堂(四葉2-19)

Dsc04849 観音寺坂(坂上から) 大門2と5の間を北東に下る。《地図

坂上に観音寺(写真右)がある。

Dsc04858 観音寺

Dsc04859 坂下近くから

Dsc04863 浅間神社(大門5)

Dsc04867 宮前坂(坂上から) 四葉1-26と1-27の間を北に上る。《地図

赤塚村大字四つ葉の小字名。坂上を行くと四葉稲荷神社がある。

Dsc04869 坂下近くから

Dsc04871_1 水車公園の滝(宮前坂の坂下)

Dsc04872_1 水車

Dsc04874 庚申塔(梶谷津坂上)

Dsc04873 梶谷津坂(坂上から) 赤塚7-1と7-3の間を南東に下り、新大宮バイパスをくぐり、徳丸4-16と4-18の間を南東に上る。《地図

坂下を梶谷津川が流れていたのだろう。

Dsc04876 新大宮バイパスをくぐる。

Dsc04881 上りとなる。

Dsc04883 坂上から(徳丸4-13)

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2006年9月 2日 (土)

神奈川区(2)・港北区(1)の坂

2006年9月2日

大口駅(横浜線)・・・大口坂・・・大口駅(横浜線)→小机駅・・・雲松院・・・愛宕山遊歩道・愛宕神社・・・小机辻・・・小机城址市民の森(本丸広場・富士仙元)・・・泉谷寺坂・泉谷寺・・・小机駅(横浜線)→菊名駅・・・蓮勝寺坂・蓮勝寺・・・菊名駅(東横線)→大倉山駅・・・おぼろ坂・・・大倉山駅(東横線)→日吉駅・・・赤門坂・・・金蔵寺・・・日吉駅

 雲松院の手前の愛宕山遊歩道に入ってみました。人はあまり通らないようで蜘蛛の巣が顔にかかる難路?でした。遊歩道を抜け、小机辻から北に小机城址市民の森へ向いました。

 「新編武蔵風土記稿」の、「小机城蹟ハ、(中略) 又搦手ノ址ニハ土人、城坂 ト呼ぶ坂アリ」の城坂は、城の搦手(裏門)に上る坂だったようです。小机城址市民の森の入口近くにある案内図には、本丸の裏側(北側か西側か?)から上る道は書かれていません。城坂は消滅したのでしょう。ただし、本丸の位置もはっきりとは断定できないそうなので、城坂の位置も依然として不確定ではあります。城址は第三京浜国道によって二分されてしまっていてつなぐ道はありません。富士仙元は第三京浜の西側にあります。

 泉谷寺坂はゆるやかな長い坂です。坂の途中に落ち着いた風情の泉谷寺があります。蓮勝寺坂は車の往来の激しい綱島街道で上り方向は長く渋滞していました。蓮勝寺の前を通りさらに上る長い坂です。

 おぼろ坂も綱島街道で、「おぼろ」の感じは全くない傾斜もゆるい面白味のない坂で、坂途中の一角にある庚申塔の小祠と竹藪の小社が唯一の救いです。赤門坂は曲がりながら下るかなり勾配のある坂で、坂の途中に坂名の由来の「赤門」のある旧家があります。今日は日射しは強く気温も高かったですが湿気が少ない日でした。秋が近づいているのでしょうか。

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Dsc04685 大口坂 大口仲町と大口通の間を大口商店街から北西に上る。《地図

Dsc04686 坂上方向

Dsc04691臥龍山雲松院(小机町1451)

小机城代笠原信為が父信隆の追善ために建立した曹洞宗の寺院。

Dsc04692 雲松院説明板

Dsc04694 愛宕山遊歩道

雲松院の前から愛宕神社へ上る。小机城址市民の森へ通じてはいない。

Dsc04695 愛宕神社?へ

Dsc04698 愛宕神社男坂(左)・女坂(右)

遊歩道の反対側。

Dsc04702 金剛寺(小机辻から北に入って横浜線の線路の手前の西側)

Dsc04704 小机城址市民の森

Dsc04707 案内地図

Dsc04711 空濠跡(本丸広場前)

形がよく残っている。

Dsc04710 空堀説明板

Dsc04716 本丸広場

Dsc04713 本丸跡説明板

Dsc04719_1 城址から南に下る坂。坂下はJR横浜線。西側は第三京浜国道。《地図

Dsc04724_1 富士仙元への石段

東側は第三京浜。

Dsc04732 富士仙元《地図

円形の塚

Dsc04728  富士仙元大菩薩の石標(塚の上)

Dsc04754 泉谷寺(せんこくじ)坂【坂標】

小机町の泉谷寺交差点(横浜上麻生線)から南西に上る。坂上は菅田団地交差点。《地図

坂途中の西側に泉谷寺。

Dsc04740 坂上方向

Dsc04741_1 坂上から

Dsc04746 泉谷寺

Dsc04745 泉谷寺説明板

Dsc04764蓮勝寺坂(坂下から) 菊名駅(東横線)の東側の綱島街道を南東から東に上る。坂の途中に蓮勝寺。《地図

Dsc04757 坂途中から坂下方向

Dsc04758 蓮勝寺(菊名5-4)

横浜七福神」の毘沙門天

Dsc04763 毘沙門堂

運慶作の「日本三毘沙門」と伝えられ、「左ぎっちょの毘沙門天」と呼ばれている。

Dsc04759 「毘沙門天」説明板

Dsc04773 おぼろ坂(坂途中から坂上方向) 大倉山駅(東横線)の東側の綱島街道(鎌倉街道下の道)を北に上る。《地図

以前は一帯に森がふかくて、とくに霧の濃くこめるところで、夜中この道をたどるとぞくぞくと妖気めいた気分におそわれたものだという。そのようなふんいきが「おぼろ坂」というような名前を生んだのであろう。『横浜の坂』

Dsc04772 庚申の祠(歩道沿い)と小社の所から(おぼろ坂の途中)

以前ここに(竹薮の所)「焼芋仙人」と呼ばれた乞食が住んでいたという。『横浜の坂』

Dsc04769 庚申塔

Dsc04767 小社

Dsc04785 赤門坂【坂標】 日吉本町38と11の間を曲がりながら北東に上る。坂上に日吉台小学校。《地図

坂の途中の旧家の「赤門」による坂名。

Dsc04787 坂上近くから

Dsc04784 「赤門」の旧家(坂途中)

Dsc04779 坂下から

Dsc04777 金蔵寺(赤門坂の坂下近く)

「横浜七福神」の寿老人

Dsc04775 六地蔵

宝永6年(1709)の建立?

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