清瀬市の坂-1
2006年10月20日
新秋津駅(JR武蔵野線)・・・薬師橋(空堀川)・・・薬師堂・円福寺・・・梅坂橋(空堀川)・・・梅坂・・・氷川神社・・・東光院・・・一文坂・・・中里富士塚・富士神社・・・下田稲荷・・・上宮稲荷神社・・・観音坂・・・円通寺・天満宮・・下宿八幡神社・・・武蔵野線に沿う坂(こわしみずの伝説地)・・・新座駅(武蔵野線)
清瀬市の西の東村山市の新秋津駅から東の新座市の新座駅まで、清瀬市の北部を横断しました。今は住宅街になっていますが所々に昔の面影が残っています。今日の坂は坂名の由来はともかく、今は短い傾斜のゆるい坂で、坂自体に面白味はありません。むしろ柳瀬川通りから柳瀬川の方へ下る坂や、切通しの坂、武蔵野線に沿って新座市に上る坂の方が坂らしい風情がありました。また、「琵琶かけの松」と「こわしみず」のこっけいな、おかし味のある伝説にも出会いました。
【地図】写真をクリックすると拡大します。
円福寺前(野塩3-47)
十二神将は清瀬市文化財
「薬師如来にお願いして目が開いた琵琶法師が嬉しさのあまり琵琶をここにあった松にかけたまま旅立ってしまった」というドジなお話。目が開いたので商売変えしようと、わざと置いていったのかも。今は松はないようだ。
梅坂(坂下から) 野塩3丁目と中里2丁目の間を梅坂橋から東に上る。《地図》
薬師堂付近一帯に梅林が多かった。江戸の頃、婚礼を控えた花嫁が梅坂橋から身を投げた。その後、この地区の人達は婚礼、縁談の話の時にはこの橋を通らなくなった。『東京の坂風情』
宝暦8年(1758)の建立
氷川神社(中里2-1369)
旧中里村の鎮守
一文坂(坂上から) 中里4-1152の間を北西に下る。《地図》
坂の途中に「三島第六天」が祀られていた。この神仏混淆の神は大変な腹立神で、坂の途中で転んだりすると怒って神罰を下したそうな。人々は一文銭をあげて許して貰ったそうである。この神様のまわりでこれらの硬貨を見つけた子供たちは大喜びで飴玉を買いに走ったらしい。『東京の坂風情』
坂名も説明書の文字も消えている。保存・管理状態悪し。
坂の東側の民家内。隣に石柱もある。
中里富士塚・富士神社(中里3-973)
享保18年(1733)に富士講が成立し、文政8年(1825)に再築された。
富士塚に立つ地蔵尊(正徳2年(1712)建立)と庚申塔(享保10年(1725)建立)
両方とも富士塚より古い。他所にあったものがここに運ばれたのだろう。
坂下は柳瀬川
上宮稲荷神社(下宿2-391)
観音坂(坂上から) 下宿1-124と2-406の間を北東に下る。《地図》
坂下の円通寺の観音菩薩立像による坂名。
村に悪い虫や病が入るのを「ふせぐ」ための全長20mほどのわらで作った大蛇。毎年5月3日に円通寺の長屋門の下で作り替えられる。東京都指定無形民俗文化財。樫と杉の木の間にぶらさがっている。
宝暦11年(1761)の建立
南北朝時代の暦応3年(1340)の創建と伝う。この寺の観音像は新田義助(義貞の弟)が鎌倉から移したものといい、馬に乗ったままここを通ろうとすると必ず落馬したことから「駒止観音」と呼ばれた。
安政4年(1857)の建立
地蔵さん(右)・寛政5年(1793)の建立。
旧下宿村の鎮守新田義助の創建という。
武蔵野線(左)に沿う坂
坂上は新座市。坂下あたりに「こわしみず」があった。
「恐い清水」かと思ったが、親が飲むと酒で、子が飲むとただの水なので、「子は清水」という落語の小噺のような伝説。この清水は昭和48年に武蔵野線ができるまで実在したそうだ。
右側の武蔵野線に貨物列車が通る。
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