羽村市の坂-2
2006年10月16日
羽村駅(青梅線)・・・一中通り・・・青梅街道井戸跡(旧青梅街道)・・・(新奥多摩街道)・・・護国神社・・・根岸坂・・・根岸地蔵・・・(奥多摩街道)・・・旧奥多摩街道(水上公園通り)・・・禅福寺・・・雨乞坂(安藤坂・田んぼ坂)・雨乞街道・・・間坂(沢の坂)・・・奥多摩街道・・・玉川神社・・・間坂・・・一峰院・・・吉祥寺跡・・・阿蘇神社・・・宮地街道・・・根搦坂・・・小作坂(鳩胸坂)・・・小作駅(青梅線)
快晴で歩くとちょっと汗ばむほどの気持ちのいい日。雨乞坂・安藤坂・田んぼ坂は同じ坂で、どの名にもちゃんとした由来があります。どれがメインの名なのでしょうか。間坂と沢の坂も両方の名で呼んでいるようです。坂下あたりはまだのどかな田園風景が残り、散策にはぴったりの所です。根搦(ねがらみ)坂は木が覆い、木漏れ日が坂道に当たって美しい感じの坂です。
【地図】写真をクリックすると拡大します。
羽東1の交差点(一中通りと旧青梅街道の交差する所)
新奥多摩街道から下る一中通り
根岸坂(坂上から) 護国神社の前から羽東2-3と羽中3-7の間を南東からカーブして南西に下る根岸街道。坂下を進むと奥多摩街道。《地図》
古くからの地名による坂名か。
根岸坂下の奥多摩街道近く。
すべての霊の供養塔。安永8年(1779)の建立
臨済宗の寺。応安5年(1372)足利義満から寺領を与えられ創建されたという。山門が見つからず。
雨乞街道(禅福寺の西で旧奥多摩街道(水上公園通)が田んぼの方へ下る所)
「雨乞坂」 むかしひでりの時、この地区の人達は松の木で作った龍頭をかついで、この街道(坂)を裸で駆け下り丸山下の渕に沈めて雨乞いをした。夕方になって雨が降り出し、おかげで田んぼの稲は枯れずにすんだ。『はむらむかしむかし』より
雨乞街道の表示板の下の道脇。(田んぼ坂の坂上)《地図》
「安藤坂」は、安藤紋右衛門という首切り役人の屋敷が坂のそばにあった。屋敷跡は代々たたりがあるというので今は藪になっている。『羽村郷土史研究j会ニュース』(1968.9.25 №5) 屋敷跡は今の玉川苑か?
義賊の裏宿七兵衛 は安藤紋右衛門に首をはねられたともいう。裏宿七兵衛ゆかりの地は、『青梅街道⑤』に記載。
「田んぼ坂」の由来。
右側が玉川苑
羽中4丁目と羽加美4丁目の間を奥多摩街道の間坂交差点から南方向に下る。《地図》
中世の豪族三田氏と小宮氏の領地の境で、「あいのさか」と呼び、後に「まざか」と呼び間坂集落の地名となった。坂下は白木、宮ノ下などの羽村でも古い集落。坂上の段丘は「天竺」と呼ばれる。「沢の坂」とも呼び、坂の石垣からはいつも清水が湧き、カニやイモリ、どじょうもいた。
玉川神社(羽中4-13の奥多摩街道沿い)
寿永年間(1182~1185年)の畠山重忠一族が信州諏訪神社から勧請したという。もとは諏訪大明神と称した。
一峰(いっぽう)院(羽加美4-12)
応永31年(1424)三田雅楽之助の開基という臨済宗の寺。
文政2年(1819)頃の建立。
一峰院の末寺だった。文政2年(1819)火災で焼失。
阿蘇神社(羽加美4-6)
推古9年(601)創建で、承平3年(933)平将門が社殿を造営したと伝う。
延宝4年(1676)の再建。
枝ぶりが多摩川に広がっているというシイの木を見るのを忘れた。対岸はあきる野市
根搦(ねがらみ)坂(坂下から) 羽加美2-1の羽加美緑地公園と羽加美3-1の間をカーブして南に下る宮地街道。《地図》
「根搦」という屋号を持つ名主の山林があるための坂名。
昔は草木が茂り、もっと細く荷車がやっと通れる程度だった。大雨の時は石が出て牛馬が難儀した。原部落の春秋の道普請にはこの坂に大半の労力が費やされた。『羽村郷土研究』(第24・25号 1972年11月20日)
小作(おざく)坂 羽西1丁目と小作台4丁目の間を奥多摩街道の小作坂下交差点から東に上る吉野街道。《地図》
別名の鳩胸坂は、坂上近くが急で鳩の胸に似ているからという。
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