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2006年10月26日 (木)

川越街道の坂

2006年10月26日

成増駅(東上線)・・・新田坂(板橋区)下る・・・八坂神社・新田宿・・・白子橋(童謡『靴が鳴る』歌詞・白子川)・白子宿下宿・・・滝坂(和光市)上る・・・白子坂(県道新座和光線)下る・・・熊野神社・清龍寺不動院・不動の滝・・・白子宿中宿・大坂(和光市)上る・白子宿上宿・・・(笹目通り)・・・くらやみ坂(和光市)下る・・・かせぎ(稼)坂(朝霞市)下る・膝折不動尊・・・一乗院・・・膝折中宿脇本陣「村田屋」・・・膝折宿町内会館交差点・・・大橋(黒目川)・・・たびやの坂(朝霞市・新座市境)上る・・・横町の六地蔵・野火止下交差点・・・氷川神社・・・こもれび通り・・・平林寺・・・こもれび通り・・・野火止用水・・・新座駅(武蔵野線)

 成増駅の北側で現在の川越街道(国道254)の北側に沿うのが旧川越街道で、新田坂で下ります。このあたりは新田宿の集落があった所で、白子川を渡ると白子宿の下宿です。白子は新羅からの渡来の人たちが開いた所です。川越街道は左へ曲がりますが直進して滝坂を上り、県道の白子坂の途中から下って坂名の由来となった不動の滝に寄りました。今は一筋の流れです。滝坂と不動の滝のある台地はマンション建設か何かで工事中です。いずれこの一筋の滝も枯れてしまうでしょう。

 白子坂の坂下(大坂の坂下でもある)が白子宿中宿で、旧川越街道は県道と国道254の間を間を上ります。これが大坂で、この坂は木々が被さる間をきれいにカーブして上るいつ来てもいい感じの坂です。笹目通りを越えるとくらやみ坂が下っています。今は暗い雰囲気は全くありません。坂下の代官屋敷と呼ばれた家は建て替えられ、門も新しくなっています。すぐ先に立派な馬頭観音が立ち、そばに伯楽製鋲所があります。馬とのゆかりの深さが伺えます。しばらく行くと県道と合流し交通量が増えてきます。

 単調な道を進み朝霞市に入ります。幸町3丁目の交差点の先で県道は左にカーブしますが直進すると、かせぎ稼坂の下りとなります。今は坂下近くが急なだけな平凡な坂ですが、かっては車押しがいて押し賃を「稼いだ」急坂だったようです。坂下近くに膝折不動尊が祀られ、坂下で県道と合流します。このあたりが膝折宿で脇本陣の村田屋があります。この家には「高麗」の表札がかかっています。新座市は新羅からの人々によって開かれた所だということが分かります。

 膝折宿町内会館交差点を左に曲がり、黒目川の大橋を渡り進むと庚申塔の所で県道(この坂をゴウドウ(合道)の坂という。)と分岐してたびや坂を左に上ります。「足袋屋」があったのでしょう。今はそんな雰囲気は感じられない坂の周辺ですが。この坂は朝霞市と新座市の境でしばらく行くと県道と合流して、野火止下交差点に出ます。交差点の手前の一角に「横町の六地蔵」が祀られています。交差点で川越街道から離れ左に曲がり氷川神社に寄って、現川越街道を渡り、市役所交差点を右折して「こもれび通り」に入りました。

 新座市役所の先が広大な境内林の平林寺です。拝観料を300円とられましたが、小さなしおりをくれただけ。案内図がなければ広い境内は歩きづらいです。境内は武蔵野の面影が残っています。紅葉はまだですが、野火止用水の支流の平林寺堀や野火止塚など見るべき物が多数あります。植物、動物の楽園だったのでしょう、寺に沿うこもれび通りには「たぬき注意」の道路標識が立っています。こもれび通りが平林寺を過ぎたあたりに野火止用水の本流が流れています。思ったより水量も豊富で水もきれいなようで鷺の姿もありました。

 新田坂、白子坂、滝坂、大坂は、『板橋区-2・和光市の坂』にも記載。『川越街道』にも記事あり。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc06543 新田坂の途中から坂下方向《地図

坂下は新田宿

Dsc06541 新田宿・八坂神社説明板

Dsc06542 八坂神社の所から坂上方向

Dsc06544 八坂神社

元は少し南側にあった。現川越街道工事の際に移された。

Dsc06551 旧家(成増2-37)

Dsc06552 白子橋

靴が鳴る」の歌詞 童謡の作詞家清水かつらは関東大震災後和光市白子に住んだ。「叱られて」「雀の学校」など。

Dsc06553 白子橋から白子川

Dsc06555 白子宿下宿本陣

左側の木の繁っている家

Dsc06558 滝坂(坂上近くから)《地図

Dsc06560 熊野神社(和光市白子2丁目)

Dsc06561 熊野神社説明板

Dsc06566 清龍寺不動院(熊野神社隣)

寺なのに狛犬

Dsc06562 不動の滝

滝上に不動明王の像が二体?と文章が書いてある石碑。

Dsc06568 白子宿中宿本陣のあった所(白子2-15のとみさわ薬局)

大坂下(白子坂下)

Dsc06571 大坂下の旧家(冨澤家)

Dsc06570 大坂(坂下近くから)《地図

Dsc06575 坂途中から坂下方向

Dsc06577 坂上近くから

Dsc06582 くらやみ坂(坂上から)  和光市中央2丁目。大坂の坂上の笹目通りから北西に下る。《地図

Dsc06579 「くらやみ坂」【坂標】

Dsc06585 坂下近くから

Dsc06587 「代官屋敷」と呼ばれた柳下家の長屋門(新しく建替えられている) くらやみ坂の坂下近く。

Dsc06589 旧家(くらやみ坂下、中央2丁目)

代官屋敷の隣。これも柳下家。

Dsc03111 馬頭観音堂

Dsc03107 馬頭観音

文化15年建立。市内では唯一の後背型坐像形の精巧なもの。

Dsc03112 馬頭観音説明板

Dsc03105 伯楽製鋲所(中央1-2・馬頭観音の近くの川越街道沿い)

昔は馬の蹄鉄などを商っていたのだろう。(伯楽とは馬の良否をよく見分ける人。)

Dsc06593 かせぎ(稼)坂へ(右)

左は県道新座和光線

Dsc06596_1かせぎ(稼)坂(坂上から) 朝霞市幸町2-7と2-8の間を南東に上る。 《地図》 

昔は急坂で車の後押しをする人夫がいて稼いだ。別名を「ピーピー坂」、阿部さんの工場があることから、「アベサンの坂」ともいう。『朝霞市史 民俗編』 ピーピー坂の由来は何なのか?

Dsc03149 右側に膝折不動尊(坂下近く) 

Dsc03148_3不動明王                               

Dsc06603一乗院(膝折町1-16)

渡来人高麗家の開基という。

*墓地の脇の急坂が「卵塔(蘭塔)坂」というのを後日知る。2007年10月17日再訪し、「和光市坂-4・朝霞市の坂-3」に記載。

Dsc03163 一乗院略縁起

Dsc06607 膝折宿中宿脇本陣「村田屋」(膝折1-14)

これも高麗家

Dsc06609 黒目川(大橋から)

Dsc06610 旧家

大橋を渡った先

Dsc06612 たびやの坂(左)

分岐点に庚申塔

Dsc06611 庚申塔

顔も体も風化している。

Dsc06613 たびやの坂(坂下から) 朝霞市膝折3-2と新座市畑中3-4の間を北西に上る。《地図

『朝霞市史 民俗編』には、「旧川越街道にあり、字地倍にある坂なので地倍の坂という。別名を足袋屋の坂、榎木坂ともいう。」とある。

Dsc06617 坂上から

Dsc06625 横町の六地蔵(野火止下交差点の手前)

六地蔵は享保17年(1732)の建立。

Dsc06618 説明板

Dsc06624 地蔵さん

正徳4年(1714)の建立。300年近く経っているのにいい顔をしている。

Dsc06622 庚申塔

宝暦6年(1756)の銘。

Dsc06627氷川神社(野火止8-4)

川越藩主松平信綱の創建という。

Dsc06639 平林寺総門(野火止3丁目)    

平林寺は臨済宗の寺で、埼玉県岩槻市に永和元年(1375)創建された。川越城主の松平信綱の子の輝綱寛文3年(1663)がこの地に移した。

Dsc06643 山門

Dsc06645 仏殿

Dsc06647 説明板

Dsc06652 仏殿内

中央に釈迦

Dsc06669 総門・山門・仏殿・本堂が一直線に並ぶ禅宗様式の寺。

Dsc06662 平林寺堀(平林寺境内)

野火止用水支流、水は流れていない。

Dsc06657 島原の乱供養塔

乱を鎮圧したのが、後に川越城主となった松平信綱。

Dsc06656 供養塔説明板

Dsc06671 境内林

Dsc06668 野火止塚

野火の見張台

Dsc06667 「野火止塚」説明板

Dsc06676 こもれび通り

左側は平林寺。「たぬき注意」の道路標識が立っている。

Dsc06678 野火止用水本流(こもれび通りのやました橋から・野火止3-6あたり)

鷺の姿

Dsc06635 野火止用水説明板

承応4年(1655)川越城主の松平信綱により開削された農業、生活用水。玉川上水より引き入れた。

Dsc06687野火止用水

Dsc06634 かつての野火止用水の風景

Dsc06690 野火止緑道(やました橋から)

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