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2006年11月 8日 (水)

海老名市(神奈川県)の坂-1

2006年11月8日

 海老名駅(小田急線)・・・並木橋(小田急線・相鉄線上)・・・内出稲荷・・・足折坂・浅井の水・・・前の坂・・・井戸坂・・・かいな坂・・・古坂・・・常泉院・・・餅屋の坂・・・秋葉山古墳群・・・中坂・・・産川橋(目久尻川)・・・念仏坂・・・堂坂・・・峰坂・・・(相鉄線)・・・堂坂下・弥生橋・・・きつね坂・緑地公園・・・龍峰寺・吾妻権現社・・・弥生神社・・・国分尼寺跡・・・石坂・・・清水寺公園・・・新吾妻坂・・・(相鉄線)・・・吾妻坂・・・海老名駅

 真っ青の空の下、絶好の坂道散歩日和でした。かいな坂は切通しのきれいな坂で、「かいがない」悲しい伝承のある坂。餅屋の坂は座間丘陵(相模横山)のてっぺんまで上る見事な急坂です。少し南にある秋葉山古墳群(平成17年7月に国指定史跡)は座間丘陵の海老名市の最高部(75m~80m)にある古墳時代初期のこのあたりの首長の歴代の墓です。五つの古墳が寄り添うように並んでいます。相模川、大山、丹沢山塊などここからの360度の眺めは素晴らしかったでしょう。下からこれらの古墳を望む人たちもその偉容さに圧倒されたのでは。

 中坂には、かいな坂から続く伝承のある坂です。坂上の方は消滅しています。かしわ台駅近くの念仏坂は、かつてはもっと上る長い急坂だったそうです。堂坂は昔、寺院があった坂。峰坂の坂上から下るあたりは時代劇にでも出てくるような昔の道の風情を残しています。吾妻坂の由来となった吾妻権現社は意外にも龍峰寺観音堂の後ろの小さな社のようです。吾妻坂はその参拝道でしたが今は相鉄線で遮断されています。相鉄線の北側に沿って東から北に上り清水寺公園から龍峰寺、吾妻権現社へ通ずる坂を新吾妻坂としました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc00678_1 内出稲荷(国分北1丁目の旧道沿い)

Dsc00680_1 足折坂 国分北1-8と1-16の間を南に上る。《地図

昔はもっと短い急坂で転びやすく足を折るような坂だった。婚礼の際、花嫁は絶対に通らない坂だった。『海老名の坂』

Dsc00682 坂下から

Dsc00686 浅井の水

古来よりの湧水。

Dsc00688_1 中央の祀られている「宇賀神」

Dsc00685_1 足折坂の坂下から北に上る坂。

左側が浅井の水、右側に道祖神(電柱の所)。

Dsc00683 道祖神・庚申塔

Dsc00691 前の坂 国分北1-14を北東に上る。《地図

この坂に面して五人組のうちの4軒の家があり、その家の前の坂ということでこう呼んだと思われる。『海老名の坂』

Dsc00699_1 井戸坂 上今泉2-4と2-5の間を東に上る。坂下は相模線。《地図

鎌倉時代、坂上に海老名市とゆかりのあった今泉氏の舘があり、坂下にその館の茶の湯用の井戸があったという伝承から。『海老名の坂』

Dsc00698_1坂下から(相模線の踏切)

Dsc00702_1 坂上方向

昔は木々が覆いかぶさり日もささず、トンネルのような坂だったが、関東大震災で両方の崖が崩れ落ち解放的な明るさになったという。『海老名の坂』

Dsc00700 今も残る崖跡。

Dsc00694 坂上の道祖神

Dsc00703_1 かいな坂 上今泉1-8と1-22の間を北東に上る。《地図

永享12年(1440)、鎌倉公方家臣の一色伊予守六郎は井戸坂上の今泉舘に立てこもるところを、足利幕府軍に攻められ、自らは下野国結城へと敗走した。その室、護王姫は妊娠の身を僅かな兵に護られ、東方の相模横山(座間丘陵)を越え、産川(さんがわ)の里へ身を隠そうと、この坂にさしかかった。運悪くここで敵兵に包囲され護衛の兵は不甲斐なくもみな戦死。姫だけはかろうじて産川までたどり着いた。・・・・・・ 以下は中坂のところへ続く。座間市に護王姫神社がある。(『座間市の坂-2』に記載)

Dsc00705_1 坂上方向

右側は上星小学校

Dsc00707 坂上近く

Dsc00709 坂上近くから

Dsc00714 古坂(坂上から) 上今泉1-14と1-21の間を東に上る。坂上方向は消滅。《地図

相模横山(座間丘陵)を越えて産川、亀島(上今泉5,6丁目)方面に達する上今泉では最も早く開かれた坂。『海老名の坂』

Dsc00712 坂下から

Dsc00716_1 常泉院(上今泉4-3)

Dsc00718 餅屋の坂 上今泉4-17と4-20の間を東に上る。《地図

坂下近くに大正末期まで「餅屋」の屋号の熊切幸太郎の家があった。『海老名の坂』

Dsc00721 坂上方向

Dsc00729 坂上から

Dsc00749 秋葉山古墳群説明板

Dsc00736_1 4号墳(前方後方墳)

Dsc00740 5号墳(方墳)

Dsc00745 3号墳(前方後円墳)

Dsc00748 2号墳(前方後円墳)

Dsc00754 1号墳(前方後円墳)

Dsc00759 中坂 上今泉6丁目の海老名陸橋(国道246号)の下を通っていた。

護王姫は「かいな坂」からここの産川まで逃れてきたが、ここで赤子を産んだ。しかし追手により赤子は産川に投込まれてしまった。姫は鎌倉街道を座間の入谷まで落ち延びたが、そこで落命した。入谷地区の人々は、姫を護王姫大明神と崇め一社を建立した。以後、安産の神として人々の信仰を集めている。『海老名の坂』 護王姫神社は「座間市の坂-2(11月1日」に記載。

Dsc00758 中坂(坂下方向) 上今泉6-20と6-24の間を北西から北東に上る鎌倉街道。《地図

中原に上る坂という意。『海老名の坂』

Dsc00763 坂下の道祖神

Dsc00762 馬頭観音

Dsc00768 産川橋(目久尻川)

中坂の坂下近く。

民話「目久尻川の名の由来

Dsc00771 念仏坂 柏ケ谷のかしわ台駅前(相鉄線)の相鉄工機所前を南東に下る。《地図

このあたりは鎌倉時代の古戦場で、この坂から武士の夫人用と思われる櫛笄(くしこうがい)が出土したという。これらのことを知る土地の人々は、念仏を唱え、死者の霊魂を弔いながら上り下りしたという。『海老名の坂』 急坂のため転ばないように念仏を唱え通行した坂なのでは。

Dsc00772_1 坂下の馬頭観音

Dsc00773 坂途中から

かつてはもっと上方の相鉄工機の方まで急坂で上っていた。

Dsc00778 堂坂 柏ケ谷と国分北4丁目の境の弥生橋(目久尻川)から北東に上る。坂上は相鉄線。《地図

坂途中の堂山と呼ばれる地に、享保元年(1716)創建の重宝院という修験道の寺院があった。明治5年の修験道廃止令により廃寺となった。『海老名の坂』

Dsc00779_1 坂上方向

Dsc00780_1 坂下方向

右側の石積みが残るあたりが重宝院のあった所か?

Dsc00789 石仏たち

Dsc00791_1 坂下の子育地蔵と庚申塔

Dsc00795_1 道祖神

坂下近く

Dsc00799 峰坂の坂上から下る道。分岐点に道標庚申塔がある。

文化13年(1816)建立。

Dsc00797 庚申塔の右側面

「南ふしさハ ゑのしま 加満くら 西阿つぎ大山 東江戸道」 『海老名の坂』

Dsc00805 峰坂(坂上から) 柏ケ谷のパブコの工場の前を南西に入り二股の庚申塔の所から西に下る。《地図

海抜62m、標高差約18mの峰を越えるところから坂名が起こった。『海老名の坂』

Dsc00801_1 馬頭観音(坂上近く)

文政11年(1828)建立。

Dsc00812 坂下から

Dsc00809 御岳神社(右)・庚申塔

Dsc00810 道祖神

正月14日に真ん中の双体道祖神を道端に下ろしその前で火を焚いて、坂の途中で団子焼(ドント焼のことか?)をやったという。『海老名の坂』

Dsc00818 弥生橋(目久尻川)から

Dsc00822 きつね坂 国分北3-19と3-20の間を北に上る。坂下は石段、坂上は緑地公園。《地図

元は雑木林に覆われた丘の稜線をたどる2m幅の寂しい山道だった。左手(西側)の斜面を狐山といい、狐の穴がいくともあり昭和30年代まで猟師が狐を捕らえて引き返して行く姿をよく見かけたという。『海老名の坂』

Dsc00824_1 坂上近く

Dsc00825_1 坂上から

Dsc00830_1 びゃくくみの窪地

狐坂の西側の窪地。「びやく」は崖、「くみ」は崩れるという意。古老の話では安政の大地震で崩落したという。

Dsc00834_1 龍峰寺観音堂(国分北2丁目)

千手観音像は国の重文

Dsc00833 説明板

Dsc00852 吾妻権現社(龍峰寺観音堂の右後方)

吾妻坂の由来となった社。

Dsc00840 弥生神社(龍峰寺の南)

Dsc00838_1 石坂(坂上から) 国分北2-13の間を東に上る。《地図》(道筋の標示は途切れているが道は石段となって続いている。)

清水寺(龍峰寺)への中大門口からの参道だった石段のある坂。『海老名の坂』

Dsc00839 坂下から

Dsc00851 国分尼寺跡(国分北2-6)

民話「尼の泣き水

Dsc00846 説明板

Dsc00848 庚申堂・石仏

国分尼寺跡地内

Dsc00856_1 新吾妻坂 龍峰寺から清水寺公園内を通り南から南西に下る。坂下は相鉄線。《地図

今はこの道が吾妻権現社(龍峰寺境内)への参道になるのでこう呼んでみた。

Dsc00854_1 馬頭観音

新吾妻坂の坂上。

Dsc00862 吾妻坂 国分南2-1と2-2の間を東に上る。《地図

昔は吾妻権現社への参詣の道だった。

Dsc00866_1 今は坂の途中で相鉄線が通り、その先は消滅。右に直角にカーブして南に上っている。

Dsc00865  相鉄線で行き止まり。

Dsc00870 並木橋近くから大山

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» 魔のトンネルinロシア。 [どーでも動画【youtube】]
何かに取り付かれたように、次々に車が・・・。まさに、魔のトンネルですな!御祓い御祓い。後半出てくるバス・・乗客たまったもんじゃない^^; [続きを読む]

受信: 2006年11月 9日 (木) 15:20

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