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2006年11月13日 (月)

海老名市の坂-3

2006年11月13日

海老名駅・・・おもいどの坂・・・神明社・浜天坂・・・脇の坂・・・坊坂・義民慰霊堂・・・八幡神社・・・谷戸坂①・・・古坂・・・原の坂・・・沖の坂・・・清水坂・・・地蔵坂跡・・・八景田坂・・・釜坂橋(釜坂川)・・・樽井の坂・・・五社神社・・・釜坂川・・・谷戸坂②・・・かぶき場の坂・・・農大前 バス→海老名駅

 海老名駅から南に主に九里の土手(県道杉久保座間線の東側)にかかる坂を歩きました。おもいどの坂は弁財天のお堂の脇のおも井戸の池から上る短い石段。浜天坂はさらに短い神明社内の南側のたった6段の石段坂です。日本一(世界一?)短い坂かも。むしろ石段下の東へ浜田町へ上る坂が浜天坂にふさわしいようですが、やっぱり6段の石段が浜天坂のようです。

 脇の坂の途中からは富士山が望めます。脇役みたいな坂名より富士見坂の方がいいのでは。お坊さんが処刑される義民のために駆け下りたという坊坂の坂下近くには義民の慰霊堂があります。古坂は名前のとおり古びた坂で、坂上に道祖神、坂下は大谷の観音堂です。谷戸坂①は静かで細く緑の残る坂で通学路にもなっています。坂上の大谷中学校のあたりは鎌倉時代の大谷四郎の館があった所です。

 昔、海老名耕地が入海であったころ、遠く沖まで見えた坂だったという沖の坂。鯨が迷い込んできて、「真鯨」という小字名が生まれたという伝承があるそうです。見事な急坂の清水坂を下り南に行くと道端に地蔵さんが立っています。この地蔵さんはいつも見慣れている地蔵の顔とは違った細長の鼻の高いユニークな顔をしています。ここから九里の土手を斜めに上るのが地蔵坂ですが残念ながら廃道になっています。地蔵さんが立ってなければここに道がある(あった)ことは分からないでしょう。無理に雑木林をかき分けて上れば上れないこともないでしょうがもう道とはいえないでしょう。

 八景田坂は工事中で全面通行止でした。坂上を東名高速が走っています。釜坂川、釜坂橋に名前が残る鎌倉街道の釜坂は東名高速道によって消滅し今は跡方もありません。樽井の坂は綾瀬市の五社神社のそばまで上る直線的な長くなだらかの坂です。杉久保小学校の東側に沿って上る細い坂が谷戸坂②です。坂下のお不動さんは花嫁が通るとやきもちを焼くそうで、「後家坂」の別名があります。坂上から農大の温室の南側のかぶき場の坂に出ました。

  写真をクリックすると拡大します

Dsc00967 「おもいど」と弁財天堂

おもいどは今は枯れているが、かつてはこんこんと湧く清水をたたえていた。坂上の神明社へ参詣する人はここが御手洗で、口を注ぎ身を清めた。『海老名の坂』

Dsc00969 おもいどの坂 杉久保座間線の大谷のアツギ工場の交差点の南側から北東に上る。《地図》(道筋の標示はない)

坂下におもいどの池がある。

大谷の神明社                 Dsc00972_1

おもいどの坂上を東へ進んだ所。

Dsc00971 説明板

Dsc00976 浜天坂の碑(石段の右上)

裏面に「昭和四十三年四月吉日此処に階段を寄贈し浜天坂と名付ける・・・・」とある。

Dsc00975_1 浜天坂は6段の石段。

神明社へ南参道から上る6段の石段。《地図》(道筋の標示はない)

氏子の集落の「天神」と「浜田」の頭文字を組み合わせて命名したのだろう。『海老名の坂』

Dsc00984 脇の坂 おもいどの坂上の南の道祖神の立つ角を西に下る。坂下は杉久保座間線。《地図

かつて坂上近くに常円寺があり、その脇の坂という意味であろう。『海老名の坂』 坂の途中から富士山が見えるので今は「富士見坂」のほうがふさわしい

Dsc00981 道祖神(坂上)

Dsc00997 坂下から富士山

Dsc01000 坊坂 脇の坂の南の水道路と交差する手前を南東に上る。《地図

貞享元年(1684)4月27日、領主二代に渡る過酷な重税にあえぐ村民の苦しみを救うため、名主鈴木三太夫は幕府に強訴しようとして捕らえられ、この日二子ともども斬首の刑を受けることになる。助命嘆願のため妙常寺の住職が、処刑場へ向う途中、息せき切って駆け下った坂から、「お坊さんの坂」が簡略化して「坊坂」になった。『海老名の坂』

Dsc01002_1 坂上から

Dsc01006_1 義民慰霊堂

Dsc01005_1 義民(鈴木三左衛門)の伝記

三太夫は諡名。妙常寺の住職は、坂を馬で駆け下り刑場へ向ったようだ。

Dsc01011 大谷八幡宮社(大谷3721)

Dsc01012_1 説明板

Dsc01009_1道祖神(神社の石段下)

Dsc01014 地神塔(右)・第六天(真ん中)

神社境内

Dsc01015_1 谷戸坂① 八幡宮の東から南に上る。坂途中から大谷中学校の西側に沿って上る。《地図

九里の土手に深く食い込んだ大きな谷戸から上る坂。『海老名の坂』

Dsc01017_1 坂上方向

Dsc01019 坂上から

Dsc01041 道祖神(古坂の坂上)

後ろは大谷館の土塁跡

Dsc01021_1双体道祖神

宝暦2年(1752)の造立。

Dsc01034 古坂 杉久保座間線の大谷宿バス停南側の大谷観音堂の北側から南東に上る。《地図

江戸初期の大山街道は谷戸川沿いを迂回せず、この古坂コースをたどったという。こうした古道にかかる坂ゆえ、古坂の名が自然に発生したのであろう。『海老名の坂』 坂下からもっと北西に伸びていたらしい。「大谷宿」というバス停もありこのあたりは昔は開けていたのだろう。谷戸川がどの川のことか分からない。

Dsc01031 坂下近くから

左手の藪の中に別当寺の清眼寺があった。

Dsc01035 観音堂(古坂の坂下)

えびなむかしばなし「のぞき小僧

Dsc01028 観音堂・いぼとり地蔵由来書

大谷四郎の館や清眼寺のこともでてくる。

Dsc01029 閻魔堂といぼとり地蔵(左前)

Dsc01030_1 閻魔大王

えびなむかしばなし「笑う閻魔様

Dsc01036 原の坂 観音堂の南の杉久保座間線の井上造園の南側から南東に上る。《地図

坂上から大谷中学校へかけての一帯はいわゆる原で、「原」という地名を生んでいる。『海老名の坂』

Dsc01037 坂上方向

Dsc01040_1 坂上から

Dsc01046 沖の坂 杉久保座間線の坂下バス停から南方向に上る。《地図

昔、海老名耕地が入海だった頃、遠く沖の方まで見えた坂だったからだといわれている。鯨が迷い込んで上ったので「真鯨」という小字名を生んだという伝承もある。『海老名の坂』

Dsc01043 坂下から

Dsc01045 坂下から富士山

Dsc01047 坂下方向

Dsc01060 清水坂 清水橋の東の杉久保座間線から大谷と杉久保の間を東から南東に上る。《地図

かつて坂下に清水が湧いていた。

Dsc01051坂上から

Dsc01056 坂下方向

改修前は傾斜がもっときつく牛の背負う荷を半分にしてもひざをついて上ったという。

Dsc01053 道祖神(坂下近く)

Dsc01054_1 坂下近く

Dsc01061 坂下から

Dsc01062 地蔵さん(地蔵坂跡の坂下)

文政4年(1821)建立という細面で鼻の大きいユニークな顔の地蔵さん。

Dsc01064 地蔵坂跡 杉久保座間線の清水バス停の南の地蔵が立っている所から南東に上る。《地図》(廃道で道の標示はない)

手すりがついていて道だったことが分かる。

Dsc01065 ここから上へは行けない。無理に行けば行けないことはないが、もはや道ではない。

Dsc01066_1 八景田坂 杉久保座間線から東名高速の下を北東に上る。《地図

このあたり一帯の山地を八景田山といい狐の生棲地だった。八景は「ハケ」で崖の意。田は「棚」の省略で、横に広がった小高い平坦状の土地。だからこの坂名は、「上の平坦な内藤原へ向って崖を上る坂」という意味だろう。『海老名の坂』

Dsc01067 全面通行止

Dsc01071 釜坂川(釜坂橋から)

Dsc01068_1 不動明王(釜坂橋近く)

Dsc01074_1 樽井の坂 国分寺第4-9と4-10の間を国分寺台第4児童公園から北東に上る。坂上は綾瀬市の五社神社の近く。《地図

水不足解消の井戸を掘ったが地盤が軟弱で土が崩れるので、樽を埋めながら掘ったという。こうした井戸が所々にあったので、この地域を樽井と呼んで坂名にもなった。かつては釜坂川の源流の橋から上っていた。『海老名の坂』

Dsc01075 坂下方向

Dsc01079 五社神社(樽井の坂の坂上近く。綾瀬市)

Dsc01080 日本武尊(やまとたける)腰掛石

五社神社境内

Dsc01084 道祖神(谷戸坂②の坂下)

道六道祖神像(右から2番目)(享保7年(1722))

道祖神塔(真ん中)(文政3年(1820))

Dsc01087 不動堂(谷戸坂②坂下)

Dsc01085 不動尊

文化4年(1807)造立。

Dsc01090 谷戸坂② 杉久保の杉久保小学校の東側に沿って南西に上る。《地図

この坂を花嫁さんが通るとお不動さんがやきもちをやいて、良いことがないと伝えれれ昔から花嫁は絶対に通らないという、「後家坂」の別名がある。『海老名の坂』 今は花嫁でなくとも通る人の少ない坂だろう。

Dsc01091 坂上方向

Dsc01095 坂下方向

Dsc01097 かぶき場の坂 杉久保の農大(かながわ農業アカデミー)の校舎の北側を東に上る。《地図

坂上の南斜面を「かぶき場」という。土地が傾くことを「かぶく」といい、それが訛って「かぶき」になったと考えられる。土地が大きく傾斜している耕作地へ上る坂という意。農大のあたりは約800年前、遠馬三郎時国の舘のあった所と伝えられる。『海老名の坂』

Dsc01100_1 坂下から

Dsc01099 坂上から

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