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2006年11月29日 (水)

相模原市の坂-3

2006年11月29日

橋本駅 バス→塚場坂上・・・新道(しんどう)坂・・・神明坂・・・九沢橋(鳩川)・・・下九沢御嶽神社・・・宮山坂?・宮山坂公園・宮山公園・・・しも坂・・・上溝バイパス・・・姥川(幸来橋)・・・姥坂・・・姥坂跨線橋(相模線)・横山丘陵緑地・・・せどむら坂・・・(相模線)・・・榎神社・・・横山公園・・・上溝駅前・・・馬坂・・・八幡坂・亀ケ池八幡宮・・・わだ坂・・・上溝駅(相模線)

 新道坂は大山道の道筋で、坂下の九沢橋近くの一角に稲荷の小祠、庚申塔、道祖神などが集められ安置・保存されています。この坂を下り、赤坂、しろ坂と下って相模川に出て、滝の渡し、久所の渡し、望地の渡しで渡って大山へ向ったそうです。しも坂の坂上から上溝バイパスを下った作ノ口交差点近くが姥川の源流です。ここで伝説の照手姫が産湯をつかったと伝えられています。姥坂の南側の横山丘陵緑地や榎神社も照手姫にゆかりのある所です。

 せどむら坂は赤土の崖の間を上る細く、昔の面影の残る坂です。途中、横穴が二つ口を開けていました。坂上から相模線に沿って南方向に行くと榎神社で、その南側が野球場や陸上競技場などのスポーツ施設の横山公園です。公園内を通り、上溝駅から南に陽光台小学校を過ぎ、馬坂の坂上に出ました。坂上に馬坂懐古の歌碑が立っています。今は坂の近辺の家だけに使われている道のようです。

 馬坂下から広い通りを下り、姥川の丸崎橋を越えると八幡坂のゆるい上りで、左側が亀ケ池八幡宮です。境内の夫婦銀杏は見事です。八幡宮から姥川の藤橋の方へ下るわだ坂は「和田義盛の榎」の伝承のある坂で、榎神社の「照手姫の榎」と共通点のある同じような話です。伝承の話の元は同じだったのかも。榎神社の榎は二代目で、わだ坂の和田榎は今はなく、傾斜のゆるい短い坂で坂上には大きなみかん?の木が立っていました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc01469_1 新道坂 下九沢の相模原大磯線の中ノ原交差点から南西に下る。《地図

大山道で、改修され新しくなった坂。改修以前は細く急な坂で、祭りの神輿が上りきれず苦労した。『さがみはらの地名』

Dsc01470 坂下近くから

Dsc01473 神明坂 新道坂の途中から東に上る。《地図

坂のふもとに神明さまに祠があることからの坂名。『さがみはらの地名』 神明の祠を確認するのを忘れた。

Dsc01474 坂下近くから

左の石段が神明さまの祠へ上るのだろうか。

Dsc01472 地蔵さん(坂下)

Dsc01476 坂上方向

Dsc01482_1 地蔵さん?

新道坂の坂下近く

Dsc01486 庚申塔・道祖神など(九沢橋近くの一角)

庚申塔は安永9年(1775)建立。もとは北方330mの所にあった。

Dsc01491 下九沢御嶽神社(下九沢1336)

もとは蔵王大権現といった。応永元年(1394)の勧請と伝える。

Dsc01493 由来書

Dsc01495_1 御嶽神社前から北東に上る坂。

Dsc01496宮山坂?(坂下から) 前記の坂の途中から宮山坂公園の方へ上る坂。

Dsc01499 坂上近く

Dsc01508 しも坂 下九沢の上溝バイパスの下の原交差点から西方向に下る。《地図

坂下の集落を「みやしも」といいこの名がついた。

Dsc01504_1 坂下から

Dsc01505 坂下方向

Dsc01506_1 坂上方向

Dsc01512 大山道

上溝バイパスの作の口小学校の東側あたり。右が旧道か。かつては急坂で難所だったという。

Dsc01514_1 姥川(幸来橋から) 姥坂の坂下を進んだ所。

姥川の源流近く。照手姫が産湯をつかったという伝承の地はこのあたりか。

Dsc01516 姥坂(坂上方向) 下九沢と上溝1丁目の横山丘陵緑地の間を東方向に上る。《地図

坂下の姥川による坂名。坂上は相模線の姥坂跨線橋。

Dsc01520 坂下方向

Dsc01527_1 横山丘陵緑地(照手姫伝説も載っている)

照手姫遺跡の碑

Dsc01529_1 せどむら橋に立つ地神塔・道祖神など

一番背が高いのはせどむら坂の改修記念碑のようだ。

Dsc01545_1 せどむら坂 上溝1-16の間を南東からカーブして北西に上る。坂上は相模線の近く。《地図

坂下の集落の名による坂名。

Dsc01535 坂下から

Dsc01538 坂上方向

Dsc01540 坂途中の横穴

Dsc01544 カーブして上る

Dsc01554 榎神社 横山台2-16

伝説の照手姫を祀る。榎は二代目。初代は照手姫がさした杖が根付いた「逆さ榎」だったと伝えられる。

Dsc01553_1 説明板

Dsc01556_1 上溝駅前の坂

歩道橋の上から

Dsc01561_1 馬坂の坂上近く

陽光台4-1と4-2の間の坂。

Dsc01562 馬坂懐古碑

「兄が曳き 吾後押しぬ荷車の 堆肥の匂いなつかしきかな」 読人不識

武田の軍勢が小田原城を攻撃する際に上溝村の農民も加勢しようと、この坂を馬を伴って滑りながら通ったという話もある。『さがみはらの地名』

Dsc01564_1馬坂(坂上から) 陽光台4-1と4-12の間を北西に下る。《地図

Dsc01566 坂下方向

Dsc01568 坂下から

Dsc01569 馬坂下から亀ケ池八幡宮の方への坂

Dsc01583 八幡坂 上溝の亀ケ池八幡宮の北側を西に上る。《地図

Dsc01582 坂上から

Dsc01587 亀ケ池八幡宮(上溝)

Dsc01591_1 夫婦銀杏

左が男木・右が女木。枝葉が重なり合って一本の木のようで、夫婦銀杏の名にピッタリ。

Dsc01579 わだ坂 亀ケ池八幡宮の北側から北方向に藤橋(姥川)の方へに下る。《地図

源頼朝の重臣和田義盛は横山党と婚姻関係にあったため相模原にもしばしばやって来た。ある日、この坂のたもとで弁当を食べ、その箸を地面にさすとそれが根づき、大きな榎(和田榎)に成長した。その和田榎があったので「和田坂」という。『さがみはらの地名』

Dsc01574 坂上から

Dsc01581_1 坂上のみかん?の木

Dsc01577 坂下の藤橋(姥川)から

和田義盛が藤の蔓(つる)でつくったので、「藤坂」という。『さがみはらの地名』

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2006年11月25日 (土)

相模原市の坂-2

2006年11月25日

橋本駅(横浜線)バス→上大島・・・大嶋坂・大嶋坂新道・・・相模川自然の村・・・日々神社・・・神沢(かんざわ)坂・神沢不動尊・・・山王坂・滝の渡し跡・・・宗祐寺・・・滝坂・・・相模川ふれあい科学館・・・田名八幡宮・・・しろ坂・・・狸菩薩・ひ(火)の坂・・・半在家山王社・・・でえの坂・・・大杉の池・弁財天堂・相模田名民家資料館・・・赤坂・・・工場入口バス停→橋本駅

 相模川の東側近くの坂を歩きました。南に歩いていると陽射しがまぶしく、暑いくらいでした。長い大嶋坂を下ると相模川の中州近くにでます。坂上から南に向う道は今は住宅地ですが、人影もまばらな静かでのどかな道です。古くからの道筋なのでしょう。途中で県道?に出て日々神社へ寄りました。境内の徳本念仏塔ははけ坂下の六地蔵の所にもあり、山王坂の坂上にもあります。この地域の念仏講の人々が熱心に徳本の独特の書を求めたようです。

 神沢坂の途中からさらに南へ行くと、山王坂の坂上です。左側は宗祐寺の墓地、右側の相模川が、山王坂を下って行くとしだいに近づいてきます。相模川の眺望が開けてきたあたりの坂下近くが、滝の渡しのあった所です。宗祐寺の東側の滝坂はつづら折の坂で、所々崖から湧水が落ち、その音が聞こえます。昔はもっと湧水の量も多く、滝のように流れ落ちている所もあったのでしょう。坂下近くの相模川ふれあい科学館は水郷田名の名にふさわしく、建物が水に囲まれ庭にも池があります。土曜日で子供づれの来館者で賑わっていました。

 しろ坂の崖は湧水で光っていました。坂上から相模原大磯線を下って東へ入ると、狸菩薩の洞窟が口を開けています。この坂には狸とお婆さんの伝説があります。この坂も大きく曲がって上る、木々が覆い赤土のむきだしの所もある美しい坂です。坂上から北方向に行くと道から少し東に入った所に小さな半在家山王社があります。さらに進むと「でえの坂」の上りとなります。坂下近くに大杉の池があり、弁財天堂の小祠が祀られ、その裏が相模田名民家資料館です。

 でえの坂上から鍛冶谷相模原線を進み、堀之内交差点で、右折して相模原大磯線をしばらく行くと赤坂のゆるやかな上りとなります。昔は赤土の滑りやすい坂だったそうですが、その面影はまったくありません。坂上の三菱重工の工場前からバスで橋本駅に出ました。

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Dsc01322 大嶋坂(右)(左は大嶋坂新道) 大島の相模川自然の村「清流の里」から南東に上る。《地図

相模川の河原や中洲(小字「諏訪森下」に行くには「上の坂」「下の坂」の2本の細い坂しかなかった。昭和21年改修工事でこの坂が完成した。『さがみはらの地名』

Dsc01344_1 坂上近く

大きくカーブする。正面に小祠。

Dsc01321 小祠内の石像

不動明王か神像か?

Dsc01329_1坂下方向

大嶋坂新道から。右側が「清流の里」の建物。

Dsc01332 大嶋坂(左)・大嶋坂新道(右)

Dsc01324 大嶋坂新道の碑(坂上近く)

Dsc01351 日々神社(大島の鍛冶谷相模原線の日々神社前交差点そば)

Dsc01349_1 徳本(とくほん)念仏塔(日々神社境内)

徳本は江戸後期に諸国に念仏を広めた僧。村の念仏講中は徳本の書を求め、塔を建てた。元は県道沿いにあった。文政3年(1820)建立。

Dsc01355_1 神沢(かんざわ)坂 大島の神沢不動尊(長徳寺)から南東から曲がって北東に上る。《地図

Dsc01353_1 坂上から

神沢集落と上の古清水集落を結ぶ坂。相模川はもとは坂の下にまでせまっていた。『さがみはらの地名』

Dsc01357 大きくカーブする。

Dsc01368_1 坂下方向

Dsc01361 坂下近く

右が神沢不動尊(長徳寺)

Dsc01362 神沢不動尊

Dsc01369 地神塔(神沢坂の大きく曲がる所から南へ山王坂へ向う途中の道端)

Dsc01381 山王坂 水郷田名1丁目の宗祐寺の西側と相模川の間を北東に上る。《地図

明治時代まで坂上に山王社があった。昔から寂しい坂で、狐に化かされ一晩中歩き回った人の笑い話が伝わっている。『さがみはらの地名』

Dsc01377 坂下方向

Dsc01375 徳本念仏塔(坂上)

ここが山王社のあった所だろう。

Dsc01378 坂上方向

Dsc01394_1 坂下近くから

左は相模川

Dsc01390 滝の渡し跡

対岸の葉山島下河原を結ぶ渡し船があった。

Dsc01397_1 滝の渡しがあったあたりの相模川。

Dsc01398 宗祐寺(水郷田名1丁目)

Dsc01405_2 滝坂 宗祐寺の東側を曲がりながら東方向に上る。《地図

このあたり一帯は湧水が多く、いつも水の音がしていて、「滝」という地域名がある。『さがみはらの地名』

Dsc01402 坂下から

Dsc01406 大きく曲がる

Dsc01415 相模川ふれあい科学館(水郷田名1-5)

Dsc01414 田名八幡宮(水郷田名1-8)

さがみはらの昔話「ばんばぁ石

Dsc01412 「的祭」説明板

Dsc01425_1 しろ坂 相模川ふれあい科学館の東側から南東に上る。坂上は相模原大磯線。南側を旧大山街道が通っている。《地図

明治から昭和にかけてのたびたびの改修工事の際に白っぽい岩盤が露出したことによる。坂上に横山党田名氏の館があり、「城坂」であったともいわれる。『さがみはらの地名』

Dsc01417_1 坂上方向

Dsc01420 坂上方向

湧水で崖が濡れて光っている。

Dsc01427坂上近くから

Dsc01443 ひ(火)の坂 相模原大磯線の水郷田名4-1あたりから大きく曲がりながら東方向に上る。《地図

いたずら狸がお婆さんにこらしめられ、この坂を転がり落ちて死んだという。別名をたぬき坂ともいう。

Dsc01431 坂下の狸菩薩の洞窟

さがみはらの昔話「火の坂たぬき

Dsc01429_1 狸菩薩

Dsc01434 大きくカーブする。

Dsc01435 坂途中から

崖から清水が流れている(右手前)

Dsc01440 再びカーブ

Dsc01442 坂上近く

崖の樹木が被さるようだ。

Dsc01447 半在家山王社

田名の鍛冶谷相模原線の半在家バス停近く。

Dsc01448 境内の石造物。真ん中のは五穀豊穣、子孫繁栄祈願の男根か。

Dsc01453 でえの坂 田名の鍛冶谷相模原線の田名小前バス停から南西に下る。《地図》(地図の標示は位置が違っている

坂の脇の家の屋号が「でえ」による坂名。

Dsc01454_1 坂上方向

Dsc01455 弁財天堂(でえの坂の坂下近く、大杉の池のほとり)

Dsc01456 相模田名民家資料館(弁財天堂の裏あたり)

養蚕関係の展示が多いようだ。入館しなかった。

Dsc01460_1 坂上から

Dsc01462_1 案内図(田名小学校バス停に設置)

山王坂・滝坂・しろ坂・ひの坂・でい(え)の坂が見える。

Dsc01464 赤坂 田名の上四ツ谷バス停あたりから北東に上る県道相模原大磯線。《地図

むかしは赤土の露出したツルツル滑る坂道だった。『さがみはらの地名』

Dsc01466 坂上近くから

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2006年11月18日 (土)

相模原市の坂-1

2006年11月18日

橋本駅(横浜線)・・・蓮乗院・・・うま(馬)坂・・・高砂橋(境川)・・・蓬莱橋・二十三夜堂・二十三夜坂・・・まつば坂(天縛坂)・・・おかもと坂・・・六地蔵交差点・六地蔵・はけ坂・・・八坂神社・・・天照神宮・・・相模原北公園・・・橋本駅

 橋本駅から東へ蓮乗院へ寄り、うま坂を下って高砂橋から川沿いを南へ蓬莱橋へ出ました。橋のそばに二十三夜堂があります。ここから上るのが二十三夜坂で、このあたりの旧家の敷地内には小さな稲荷の祠などが祀られ、坂上には新しい馬頭観音が立っていて地域の信心の深さがうかがえます。まつば坂はこのあたりの集落名からの坂名ですが、坂上の家に松の木があります。このあたりは以前は松が多く生えていて「まつば」の集落名になったのでしょうか。坂下には天縛皇神社という変わった名の神社があります。

 おかもと坂を上り、西へ六地蔵交差点まではかなりの距離です。交差点のそばに六地蔵がひっそりと立っています。六地蔵と馬頭観音などの石造物の間を上るのがはけ坂です。坂の途中は大きくえぐられた赤土のむき出しの崖(はけ)で、昔の風情が残っている坂です。このあたりの集落名が「はけ」だったのもうなずけます。地蔵坂の方がいい坂名ではと思っていましたが、はけ坂の名がついたのも納得です。坂下から八坂神社、天照神宮に寄り、相模原北公園の中を通り橋本駅に向いました。

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Dsc01254 蓮乗院(東橋本3-12)

山号を天縛山といい、薬王院(八王子高尾)の末寺。天縛皇神社の別当寺だったのだろうか。

Dsc01256_1 蓮乗寺の南側の児童館入口交差点近く

Dsc01218 うま(馬)坂 東橋本3-12と3-22の間を北東方向に下る。《地図

かつては急坂で馬も苦労したというが、今はなだらかな平凡な坂。

Dsc01221 坂下方向

Dsc01219_1 坂下近くから

Dsc01222_1 坂の途中の石像物

何の像なのか磨り減っていて分からない。

Dsc01227_1 境川(蓬莱橋から)

かつては精進橋といった。

Dsc01234_2 二十三夜堂・精進塔(右)・由来碑・庚申塔(左)

Dsc01229_1 由来碑

Dsc01231 堂内の勢至菩薩

顔は真ん中にある。安永10年(1781)建立の二十三夜講の本尊。「橋の神様」から「足の神様」になる。二十三夜は月待ち信仰の一つ。

二十三夜塔は、さいたま市の「沼の上坂」の坂上にもある。『さいたま市の坂③

Dsc01230_1 庚申塔

Dsc01232 二十三夜坂(坂下から) 東橋本4丁目の蓬莱橋から南西に上る。《地図

Dsc01236 坂上近くから

Dsc01237_1 馬頭観音(坂上)

昭和22年の建立で新しい。

Dsc01240_1 まつば坂 東橋本4-5と4-6の間を北東に下る。

このあたりの小集落の名。坂下に天縛皇神社があり、別名を天縛坂と呼んだ。《地図

Dsc01239_1 坂上から

Dsc01242 坂下方向

Dsc01243_1 坂上方向

Dsc01244地神塔(坂下の天縛皇神社)のそば

Dsc01247 天縛皇神社(宮下本町3丁目)

天文元年(1532)建立という、旧小山村の鎮守。

Dsc01245 天縛皇神社由来書

Dsc01248_1 何の石仏か

おかもと坂の坂下近く。

Dsc01249_1 おかもと坂 宮下本町3-29と3-27の間を南西に上る。《地図

旧家の家の名にちなむ坂名。 

Dsc01253_1 坂上方向

Dsc01251_1 坂上から

Dsc01259 六地蔵 下九沢の厚木城山線の六地蔵交差点のそば。

一番左が徳本(とくほん)念仏塔。独特の書体の字が書かれている。

Dsc01258徳本念仏塔」説明板

Dsc01260_1 馬頭観音(左)など

はけの坂の坂下

Dsc01267_2 はけ坂 六地蔵の南側を北東に上る。坂上は相模原北公園。《地図

このあたりの小集落名による坂名。

Dsc01261_1 坂下から

Dsc01269 坂途中から

両側は赤土のむき出たハケ(崖)だ。

Dsc01268 坂上から

Dsc01271 八坂神社(六地蔵の北側)

Dsc01272 天照神宮(厚木城山線の北公園南側交差点の南側)

Dsc01273 石造物(天照神宮境内)

Dsc01275 相模原北公園

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2006年11月14日 (火)

海老名市の坂-4

2006年11月14日

海老名駅 バス→城山・・・釜坂橋・・・上の坂・・・お塔坂・豊受神社・・・内宮坂・・・山王坂(恩馬さんの坂)・・・七エム坂・・・地蔵坂・椿地蔵・・・千躰寺墓地・・・赤坂・・・とうやぎの坂・・・なんじゃもんじゃ(有馬のハルニレ)・驢庵(ろあん)屋敷跡・・・驢庵坂・・・阿妻山本覚寺・・・吾妻坂(泣き分かれ坂)・貴日土(きびつ)神社・・・吉祥寺・・・えいぞうの坂・・・稲荷坂・稲荷の小祠・へっぴり坂跡・・・本郷神社・・・延命寺子育地蔵・・・居合坂・・・大堀の坂・・・門沢橋駅(相模線)

 地蔵坂は椿地蔵と椿の哀れな伝承のある坂で、驢庵坂の由来となった医者の半井驢庵や千躰寺墓地ともゆかりのある話です。とうやぎの坂は綾瀬市との境の吉岡海老名線の長い坂で、歩道がついてなく大型車の通行が多く爆風にあおられて疲れました。坂下を南に行くと「なんじゃもんじゃ」の大木があります。ここが半井驢庵の屋敷があった所です。驢庵坂は細く傾斜はゆるい未舗装の坂で今はあまり通られていないようです。坂下の小川の先を掘り返していました。いずれこの道もなくなってしまうのでは。

 えいぞうの坂の途中には可愛い双体道祖神が立っています。女神は恥ずかしげに少し身体を傾けているようです。稲荷坂は坂上から途中までは普通の道ですが、その先は民家の裏の雑草の生えた場所になってしまっています。そこに小さな稲荷の祠が祀られているというより、置いてあるだけといった感じです。稲荷の祠の脇を東へ上る「へっぴり坂」は、雑木や倒木などで完全に覆われてしまっています。民家の裏沿いに私有地みたいな稲荷坂を下ると車道に出ます。ここに三面大黒碑と庚申塔が草むらの陰に隠れるように立っていました。

 本郷神社を過ぎ、寒川町との境の大堀の坂へ向いましたが、なぜか居合坂への道を進んでしまいました。坂標に居合坂とあるのに、頭の中ではここが大堀の坂と考えていたようでした。(坂の途中にあるはずの子育地蔵がなく、おかしいとは思いましたが疲れてきて頭の回転が鈍くなっていたようです。まあ普段から回転はよくないが) そして地図を見ながら大堀の坂から次の居合坂に行くつもりで随分迷って大回りをして歩いていたら、どこか見たような所へ出てしまいました。気がついたらまた居合坂の坂下に戻っていました。この間、30~40分のロスタイムでがっかりしましたが、気を取り直し日もかなり西に傾く中を大堀の坂へ向いました。大堀の坂にはちゃんと子育地蔵が立っていました。

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Dsc01101 上(かみ)の坂 杉久保の釜坂橋の南から南東に上る。坂上は豊受神社近く。《地図

比較的人家の密集している小字宮前・天王町・中土谷などの北方(上)に位置することによる。『海老名の坂』

Dsc01102 坂上の道祖神の所から

Dsc01103 お塔坂 豊受神社の北側に沿って南東に上る。右が豊受神社。《地図

坂の北側の梅林の所がかつて遠馬山上宮寺で、三重の塔がそびえていたという。『海老名の坂』

Dsc01104 坂上から

右側は梅林

Dsc01107 豊受神社(杉久保1488)

通称は外宮様、食物・産業の守護神。

えびなむかしばなし『豊受神社のショウガ市

Dsc01105 説明板

Dsc01114 内宮坂 豊受神社の南側に沿って東に上る。《地図

伊勢神宮にちなみ内宮がこの坂寄りに別社として祭られているところから。『海老名の坂』

Dsc01116 坂上から

Dsc01108_1 内宮(豊受神社内)

Dsc01111_1 山王社(豊受神社内の内宮の隣)

山王坂の由来の社

Dsc01120 恩馬家

山王坂の別名の「恩馬さんの坂」の屋敷。

Dsc01121 山王坂 豊受神社の正面の恩馬家の前を西南に下る。《地図

かつて坂上の左側に山王社があった。(現在は豊受神社の境内に移転) 山王町、山王山とも呼んでいた。別名の「恩馬さんの坂」は坂上に外宮豊受神社の神官の恩馬家の屋敷があることによる。『海老名の坂』

Dsc01122 坂上方向

Dsc01124 坂下から

Dsc01128 七エム坂 山王坂の坂下の杉久保座間線を南に進み南東に上る。《地図

坂下に小宮七右衛門という人の家があり、それがいつしか転訛した。『海老名の坂』

Dsc01129 坂上方向

Dsc01133_1 坂上から

Dsc01139 地蔵坂(坂下方向) 杉久保の椿地蔵バス停あたりから南西に下る。《地図

坂上に椿地蔵がある。

Dsc01138_1 椿地蔵と椿

元禄の始め、母と娘の旅の親子が将軍家の御殿医で、本郷のなんじゃもんじゃの地に下屋敷を構えていた半井驢庵(なからいろあん)を訪ねる道すがら、この坂上近くの千体寺の門前にさしかかった時、急に娘が苦しみ出し、介護の甲斐もなく死んでしまった。亡がらは千躰寺に運ばれ手厚く葬られた。村の人々は、元禄5年(1692)2月、供養のため高さ79cmほどの石の地蔵を建てた。そして、手向けた椿の一枝が根付いたが、その椿もあえなく死んだ乙女を悼んでか、毎年つぼみを持つが、ほのかに紅のくちびるをほころばせるとぽろりと落ちてしまうのだった。それで誰言うとなく椿地蔵とよぶようになった。『海老名の坂』

Dsc01135_1 椿地蔵

右に小さな地蔵は何か?

Dsc01136_1 椿地蔵とつばきの由来

つばきはつぼみのまま落ちてしまうので「玉椿」と呼ばれている。市の天然記念物。

Dsc01141 千躰寺墓地(椿地蔵の北側)

寺は廃寺となって墓石は数少ない。

Dsc01145 地蔵坂(坂上方向)

Dsc01144坂下方向

Dsc01146_1 赤坂 藤沢厚木線の杉久保2702の交差点から北東に上る。《地図

関東ローム層を切通した赤土の坂道。

Dsc01147 坂上方向

Dsc01149 坂上から

Dsc01152 とうやぎの坂 杉久保のキャノン工場のあたりから北に上る吉岡海老名線。《地図

「とお」は地名学上、「峠」と解されるが「やぎ」の意味が不明な難解な坂名。『海老名の坂』

Dsc01153_2 坂下方向

Dsc01155なんじゃもんじゃ」(有馬のハルニレ) とうやぎの坂下近く。

樹種が分からず「なんじゃもんじゃ」と呼んで親しまれてきた。

Dsc01154 説明板

Dsc01161_1 驢庵(ろあん)坂 「なんじゃもんじゃ」から西へ杉久保と本郷の間を西に下る。《地図

幕府お抱えの医者、半井驢庵が寛永元年(1624)徳川家光から、ここ本郷村に1千石を賜り、この地に下屋敷を設けた。この屋敷沿いの坂だったことによる坂名。

えびなむかしばなし『名医に診察してもらった狐

Dsc01158 驢庵坂(坂下方向)

かつては東は中原街道、西は社家の渡しに通ずる大山道であった。『海老名の坂』

Dsc01160_2 坂上方向

Dsc01165_1 阿妻山本覚寺(本郷の有馬中学校の南側)

Dsc01168 吾妻坂 本郷の有馬小学校と貴日土神社の間を北東に上る。《地図

この坂から阿妻山本覚寺の本尊の大日如来像が掘り出されたという。別名の「泣き別れ坂」は、江戸時代、東方の代官屋敷の仮牢に入れられる罪人が家族と、また貧困のため奉公に出される幼い子と母親が、泣きの涙でこの坂で別れを惜しんだことによる。『海老名の坂』

Dsc01167_1 坂下から

Dsc01171 坂上から

Dsc01172 地蔵と有縁霊神塔?(吾妻坂の途中)

えびなむかしばなし「わかれ坂の地蔵

Dsc01175_1 貴日土(きびつ)神社(吾妻坂の西側)

Dsc01178 地蔵さん(吉祥寺近く)

Dsc01179吉祥寺(吾妻坂の坂下を南に進んだ所)

Dsc01180 えいぞうの坂 吉祥寺から南に行き南東に上る。中河内と本郷の境。《地図

根村家の三代前の栄蔵という人の名から。『海老名の坂』

Dsc01183_1 坂上方向

Dsc01181_1 双体道祖

ほんわかムードが漂っている。

Dsc01186 坂上近く

Dsc01192 稲荷坂(坂下方向) えいぞうの坂下から南へ300m位の所から北東に上る。

坂の途中に稲荷社の祠がある。《地図》(道筋の標示はない)

Dsc01194 坂下方向

廃道に近い

Dsc01197_1 稲荷の小祠

ここから北に上るのが「へっぴり坂」だったが痕跡すらない

「へっぴり」は農作業の荷を背負ってこの坂にさしかかると、その重みでよく放屁をしたためだろう。身体をかがめて後ろに尻をつき出した腰つきで上ったからだともいう。『海老名の坂』

Dsc01196_1 稲荷坂下の三面大黒碑と庚申塔

Dsc01199 本郷神社

Dsc01200 道祖神

Dsc01202_1 子育地蔵(延命寺)

子を抱いている。

Dsc01203 馬頭観音?(居合坂の坂上近く)

Dsc01205 居合坂 本郷の公民館の前あたりから北西に下る柏尾通り大山道。坂下は居合橋。《地図

小名の居合による坂名。居合は、「入会地」の転訛したもの。居は井と同じで、泉・用水・井堰を表し、水流や川の合流点を示すとする説などがある。『海老名の坂』 坂下の居合橋の所は原川と幹線用水路の合流点なので後者の説の方が適当か。

Dsc01204_1 坂下方向

Dsc01211_1 坂下から

Dsc01214 大堀の坂 本郷と寒川町の境を幹線用水路から北東に上る。《地図

かつて豪雨のときは上方からの雨水が川となって押し流れ、坂は一変して排水路になってしまったという。これが大堀の坂と呼ばれる由縁らしい。『海老名の坂』

Dsc01215 子育地蔵(坂の途中)

Dsc01216 坂下から

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2006年11月13日 (月)

海老名市の坂-3

2006年11月13日

海老名駅・・・おもいどの坂・・・神明社・浜天坂・・・脇の坂・・・坊坂・義民慰霊堂・・・八幡神社・・・谷戸坂①・・・古坂・・・原の坂・・・沖の坂・・・清水坂・・・地蔵坂跡・・・八景田坂・・・釜坂橋(釜坂川)・・・樽井の坂・・・五社神社・・・釜坂川・・・谷戸坂②・・・かぶき場の坂・・・農大前 バス→海老名駅

 海老名駅から南に主に九里の土手(県道杉久保座間線の東側)にかかる坂を歩きました。おもいどの坂は弁財天のお堂の脇のおも井戸の池から上る短い石段。浜天坂はさらに短い神明社内の南側のたった6段の石段坂です。日本一(世界一?)短い坂かも。むしろ石段下の東へ浜田町へ上る坂が浜天坂にふさわしいようですが、やっぱり6段の石段が浜天坂のようです。

 脇の坂の途中からは富士山が望めます。脇役みたいな坂名より富士見坂の方がいいのでは。お坊さんが処刑される義民のために駆け下りたという坊坂の坂下近くには義民の慰霊堂があります。古坂は名前のとおり古びた坂で、坂上に道祖神、坂下は大谷の観音堂です。谷戸坂①は静かで細く緑の残る坂で通学路にもなっています。坂上の大谷中学校のあたりは鎌倉時代の大谷四郎の館があった所です。

 昔、海老名耕地が入海であったころ、遠く沖まで見えた坂だったという沖の坂。鯨が迷い込んできて、「真鯨」という小字名が生まれたという伝承があるそうです。見事な急坂の清水坂を下り南に行くと道端に地蔵さんが立っています。この地蔵さんはいつも見慣れている地蔵の顔とは違った細長の鼻の高いユニークな顔をしています。ここから九里の土手を斜めに上るのが地蔵坂ですが残念ながら廃道になっています。地蔵さんが立ってなければここに道がある(あった)ことは分からないでしょう。無理に雑木林をかき分けて上れば上れないこともないでしょうがもう道とはいえないでしょう。

 八景田坂は工事中で全面通行止でした。坂上を東名高速が走っています。釜坂川、釜坂橋に名前が残る鎌倉街道の釜坂は東名高速道によって消滅し今は跡方もありません。樽井の坂は綾瀬市の五社神社のそばまで上る直線的な長くなだらかの坂です。杉久保小学校の東側に沿って上る細い坂が谷戸坂②です。坂下のお不動さんは花嫁が通るとやきもちを焼くそうで、「後家坂」の別名があります。坂上から農大の温室の南側のかぶき場の坂に出ました。

  写真をクリックすると拡大します

Dsc00967 「おもいど」と弁財天堂

おもいどは今は枯れているが、かつてはこんこんと湧く清水をたたえていた。坂上の神明社へ参詣する人はここが御手洗で、口を注ぎ身を清めた。『海老名の坂』

Dsc00969 おもいどの坂 杉久保座間線の大谷のアツギ工場の交差点の南側から北東に上る。《地図》(道筋の標示はない)

坂下におもいどの池がある。

大谷の神明社                 Dsc00972_1

おもいどの坂上を東へ進んだ所。

Dsc00971 説明板

Dsc00976 浜天坂の碑(石段の右上)

裏面に「昭和四十三年四月吉日此処に階段を寄贈し浜天坂と名付ける・・・・」とある。

Dsc00975_1 浜天坂は6段の石段。

神明社へ南参道から上る6段の石段。《地図》(道筋の標示はない)

氏子の集落の「天神」と「浜田」の頭文字を組み合わせて命名したのだろう。『海老名の坂』

Dsc00984 脇の坂 おもいどの坂上の南の道祖神の立つ角を西に下る。坂下は杉久保座間線。《地図

かつて坂上近くに常円寺があり、その脇の坂という意味であろう。『海老名の坂』 坂の途中から富士山が見えるので今は「富士見坂」のほうがふさわしい

Dsc00981 道祖神(坂上)

Dsc00997 坂下から富士山

Dsc01000 坊坂 脇の坂の南の水道路と交差する手前を南東に上る。《地図

貞享元年(1684)4月27日、領主二代に渡る過酷な重税にあえぐ村民の苦しみを救うため、名主鈴木三太夫は幕府に強訴しようとして捕らえられ、この日二子ともども斬首の刑を受けることになる。助命嘆願のため妙常寺の住職が、処刑場へ向う途中、息せき切って駆け下った坂から、「お坊さんの坂」が簡略化して「坊坂」になった。『海老名の坂』

Dsc01002_1 坂上から

Dsc01006_1 義民慰霊堂

Dsc01005_1 義民(鈴木三左衛門)の伝記

三太夫は諡名。妙常寺の住職は、坂を馬で駆け下り刑場へ向ったようだ。

Dsc01011 大谷八幡宮社(大谷3721)

Dsc01012_1 説明板

Dsc01009_1道祖神(神社の石段下)

Dsc01014 地神塔(右)・第六天(真ん中)

神社境内

Dsc01015_1 谷戸坂① 八幡宮の東から南に上る。坂途中から大谷中学校の西側に沿って上る。《地図

九里の土手に深く食い込んだ大きな谷戸から上る坂。『海老名の坂』

Dsc01017_1 坂上方向

Dsc01019 坂上から

Dsc01041 道祖神(古坂の坂上)

後ろは大谷館の土塁跡

Dsc01021_1双体道祖神

宝暦2年(1752)の造立。

Dsc01034 古坂 杉久保座間線の大谷宿バス停南側の大谷観音堂の北側から南東に上る。《地図

江戸初期の大山街道は谷戸川沿いを迂回せず、この古坂コースをたどったという。こうした古道にかかる坂ゆえ、古坂の名が自然に発生したのであろう。『海老名の坂』 坂下からもっと北西に伸びていたらしい。「大谷宿」というバス停もありこのあたりは昔は開けていたのだろう。谷戸川がどの川のことか分からない。

Dsc01031 坂下近くから

左手の藪の中に別当寺の清眼寺があった。

Dsc01035 観音堂(古坂の坂下)

えびなむかしばなし「のぞき小僧

Dsc01028 観音堂・いぼとり地蔵由来書

大谷四郎の館や清眼寺のこともでてくる。

Dsc01029 閻魔堂といぼとり地蔵(左前)

Dsc01030_1 閻魔大王

えびなむかしばなし「笑う閻魔様

Dsc01036 原の坂 観音堂の南の杉久保座間線の井上造園の南側から南東に上る。《地図

坂上から大谷中学校へかけての一帯はいわゆる原で、「原」という地名を生んでいる。『海老名の坂』

Dsc01037 坂上方向

Dsc01040_1 坂上から

Dsc01046 沖の坂 杉久保座間線の坂下バス停から南方向に上る。《地図

昔、海老名耕地が入海だった頃、遠く沖の方まで見えた坂だったからだといわれている。鯨が迷い込んで上ったので「真鯨」という小字名を生んだという伝承もある。『海老名の坂』

Dsc01043 坂下から

Dsc01045 坂下から富士山

Dsc01047 坂下方向

Dsc01060 清水坂 清水橋の東の杉久保座間線から大谷と杉久保の間を東から南東に上る。《地図

かつて坂下に清水が湧いていた。

Dsc01051坂上から

Dsc01056 坂下方向

改修前は傾斜がもっときつく牛の背負う荷を半分にしてもひざをついて上ったという。

Dsc01053 道祖神(坂下近く)

Dsc01054_1 坂下近く

Dsc01061 坂下から

Dsc01062 地蔵さん(地蔵坂跡の坂下)

文政4年(1821)建立という細面で鼻の大きいユニークな顔の地蔵さん。

Dsc01064 地蔵坂跡 杉久保座間線の清水バス停の南の地蔵が立っている所から南東に上る。《地図》(廃道で道の標示はない)

手すりがついていて道だったことが分かる。

Dsc01065 ここから上へは行けない。無理に行けば行けないことはないが、もはや道ではない。

Dsc01066_1 八景田坂 杉久保座間線から東名高速の下を北東に上る。《地図

このあたり一帯の山地を八景田山といい狐の生棲地だった。八景は「ハケ」で崖の意。田は「棚」の省略で、横に広がった小高い平坦状の土地。だからこの坂名は、「上の平坦な内藤原へ向って崖を上る坂」という意味だろう。『海老名の坂』

Dsc01067 全面通行止

Dsc01071 釜坂川(釜坂橋から)

Dsc01068_1 不動明王(釜坂橋近く)

Dsc01074_1 樽井の坂 国分寺第4-9と4-10の間を国分寺台第4児童公園から北東に上る。坂上は綾瀬市の五社神社の近く。《地図

水不足解消の井戸を掘ったが地盤が軟弱で土が崩れるので、樽を埋めながら掘ったという。こうした井戸が所々にあったので、この地域を樽井と呼んで坂名にもなった。かつては釜坂川の源流の橋から上っていた。『海老名の坂』

Dsc01075 坂下方向

Dsc01079 五社神社(樽井の坂の坂上近く。綾瀬市)

Dsc01080 日本武尊(やまとたける)腰掛石

五社神社境内

Dsc01084 道祖神(谷戸坂②の坂下)

道六道祖神像(右から2番目)(享保7年(1722))

道祖神塔(真ん中)(文政3年(1820))

Dsc01087 不動堂(谷戸坂②坂下)

Dsc01085 不動尊

文化4年(1807)造立。

Dsc01090 谷戸坂② 杉久保の杉久保小学校の東側に沿って南西に上る。《地図

この坂を花嫁さんが通るとお不動さんがやきもちをやいて、良いことがないと伝えれれ昔から花嫁は絶対に通らないという、「後家坂」の別名がある。『海老名の坂』 今は花嫁でなくとも通る人の少ない坂だろう。

Dsc01091 坂上方向

Dsc01095 坂下方向

Dsc01097 かぶき場の坂 杉久保の農大(かながわ農業アカデミー)の校舎の北側を東に上る。《地図

坂上の南斜面を「かぶき場」という。土地が傾くことを「かぶく」といい、それが訛って「かぶき」になったと考えられる。土地が大きく傾斜している耕作地へ上る坂という意。農大のあたりは約800年前、遠馬三郎時国の舘のあった所と伝えられる。『海老名の坂』

Dsc01100_1 坂下から

Dsc01099 坂上から

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2006年11月10日 (金)

海老名市の坂-2

2006年11月10日

海老名駅・・・音坂・・・国分寺・・・相模国分寺跡・・・桜坂・・・伊勢山大神宮・・・望地(もうち)の坂・・・赤坂・・・南坂・・・堂坂・・・しんえむ坂・・・四十坂・・・ひさご塚古墳・・・山王坂・・・八坂神社・・・上(かみ)の坂・・・海老名駅

 横浜厚木線の音坂、望地の坂は車の通行が途切れずなかなか写真とれません。赤坂は渡辺崋山も通った大山街道で南坂へと続いていました。四十坂は古東海道の道筋ですが、今は昔の面影は少しもありません。坂下から東へ小園橋(目久尻川)までのゆるやかな下りの道の方が古さを感じます。山王坂は坂上の鳳勝寺の墓地から八坂神社あたりまでは未舗装の坂で、山王山の雑木林沿いの暗さの残る坂です。上の坂は昔は左右から真竹やケヤキに覆われた暗闇坂だったそうですが、今は道幅も広い明るい平凡な坂になっています。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc00871_1 音坂(歩道橋の上から坂上方向) 横浜厚木線の国分坂下から北東に上る。《地図

坂上の民家の裏手に車井戸があり、朝夕となく水を汲む滑車の「からから」という音、油のきれた「きい」や、桶が水面を「ぽおん」と叩く音が聞こえたことによる。『海老名の坂』

Img_4320 【坂標】音坂

Dsc00876 国分寺(国分南1丁目)

現在の国分寺

Dsc00875 梵鐘

国指定の重文。鎌倉時代の末期、海老名氏の一族の国分季頼が名工物部国光に鋳造させた鐘。

Dsc00874 説明板

Dsc00878_1海老名の大けやき(国分寺の西側)

Dsc00879 説明板

Dsc00882 相模国分寺跡(国分南1丁目、国分寺の北)

Dsc00881 説明板

Dsc00880 配置図

Dsc00883 国分寺跡前の道祖神など

Dsc00884 桜坂 国分南7-8と7-7の間を北東に上る。《地図

かつて坂上に二本の太い山桜が生えていた。『海老名の坂』

Dsc00892 坂上にあった地神塔(今は伊勢山大神宮内)

五角の石柱で、正面に「天照大神」右から「倉稲魂命」「埴安媛命」「少名彦命」「大己貴命」と刻まれている。五穀豊穣の地神(ぢじん)様と呼んでいた。『海老名の坂』

Dsc00889_1 坂上から

Dsc00891 伊勢山大神宮(国分南2丁目)

Dsc00896 史跡逆川碑(横浜厚木線の東国分の交差点)

Dsc00895 逆川由来

Dsc00894 付近の地図

Dsc00897_1 大山街道の目久尻川に架かっていた石橋の一部。宝暦年間(1751~1764)の物。

Dsc00899 道祖神

望地の坂下近く

Dsc00900 望地(もうち)の坂 横浜厚木線(厚木街道)の目久尻橋から東に上る。《地図

望地は、①鏡餅形の土地。②小さい盆地、谷。③傾斜地 ④平坦地 などの意があるが、②の説を支持する。『海老名の坂』

Dsc00912 坂上から

Dsc00901_1 赤坂 望地の坂上の望地交差点から北東に上る。《地図

切通しの部分に赤褐色のローム層が露出していたことによる。この坂は矢倉沢往還(伊勢原市までは大山街道)で、天保2年(1831)に渡辺崋山が江戸から大山街道を上り、ここから早川村(綾瀬市)に住む藩主の父の三宅康友の側室だったお銀様の生家を訪ねた。崋山は幼時にお銀様にかわいがられた謝恩と、お銀が生んだ友信から生母の安否を探ってという依頼のためであった。『海老名の坂』 「游相(ゆうそう)日記」にこの日のことが書かれていて、劇的シ-ンの連続で圧巻中の圧巻だという。

Dsc00905 渡辺崋山ゆかりの道

崋山が家老を務め、幽閉され自刃した田原城下へは、『田原街道②』で訪れた。

Dsc00906 不動明王(赤坂の坂上)

塔身に右神名川道、左江戸道 宝暦6年(1756)などが刻まれていて赤坂は交通上の一要点だった。『海老名の坂』

Dsc00911_1 坂下方向

Dsc00917 南坂 望地1-3と1-6の間を東に上る。望地の坂の南側。《地図

望地地区の南部の坂の意。大山街道、矢倉沢往還、青山街道、江戸道など行き先の目的地によって、いくつもの名をもつ昔の主幹道路だった。坂上は縄文時代の住居跡が発掘された望地遺跡。『海老名の坂』

Dsc00916 坂上方向

Dsc00915 坂下から

Dsc00914_1 道祖神

南坂の坂下近く

Dsc00922 堂坂 国分南1-26と1-27の間を南に上る杉久保座間線。《地図

坂上近くに薬師堂(国分寺造営に続き聖武天皇が諸国に造らせた薬師院)があった。また、国分尼寺の草庵の阿弥陀堂が坂下にあったことによるという説もある。『海老名の坂』

Dsc00926 坂上から

Dsc00929 しんえむ坂 国分南4-4と4-5の間を北東に下る。《地図

このあたりの地主だった金子新右衛門という人の名を宛てて「新右衛門坂」と呼んだのが、いつのころからかこれが訛って、「新(しん)(右)衛(え)む坂」となったらしい。

Dsc00932 坂下から

Img_4326 四十坂(坂上方向)

坂下の小園橋近くから

Img_4328 小園橋を渡った所の綾瀬市の説明板

「四十坂」・「古道」とある。

Dsc00935_3 坂の途中から坂下方向

Dsc00936 四十坂(坂上方向) 杉久保座間線の国分南3丁目のひさご塚公園の東角から北に下りカーブして東方向に小園橋まで下る。《地図

古東海道にかかる坂で、相模国分寺志という書に「古老の伝ふる所によれば、往昔はここに関門の設があって銭四十文を徴し、人馬の通行を許したといふ」『海老名の坂』

Dsc00951 ひさご塚古墳

4~5C初頭の前方後円墳。左が前方部。地元ではひょうたん山の愛称で呼ばれている。

Dsc00949 説明板

Dsc00948 平面図

Dsc00947

昭和25年頃の写真

Dsc00952_1 山王坂 勝瀬の八坂神社と大谷の間を北東から南東に上る。《地図

山王様が祀られている山王山を越す坂。

Dsc00953 坂上方向

右側が山王山。山の南西部の奥まった所に山王様の石祠があるらしいが未確認。

Dsc00957 坂下方向

Dsc00955_1 八坂神社

Dsc00963_1 上の坂(坂上から) 杉久保座間線の大谷のコジマ電気店の交差点から東に上る。《地図

大谷地区のいわゆる九里の土手にかかる坂で、最も北方にある坂なのでこの名がある。『海老名の坂』

Dsc00961_1 道祖神・大山道標

坂上

Dsc00960_1 道祖神の右側面

「上之坂改修記念」とある。

Dsc00965_1 坂下から

Dsc00966

坂下の観音堂

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2006年11月 8日 (水)

海老名市(神奈川県)の坂-1

2006年11月8日

 海老名駅(小田急線)・・・並木橋(小田急線・相鉄線上)・・・内出稲荷・・・足折坂・浅井の水・・・前の坂・・・井戸坂・・・かいな坂・・・古坂・・・常泉院・・・餅屋の坂・・・秋葉山古墳群・・・中坂・・・産川橋(目久尻川)・・・念仏坂・・・堂坂・・・峰坂・・・(相鉄線)・・・堂坂下・弥生橋・・・きつね坂・緑地公園・・・龍峰寺・吾妻権現社・・・弥生神社・・・国分尼寺跡・・・石坂・・・清水寺公園・・・新吾妻坂・・・(相鉄線)・・・吾妻坂・・・海老名駅

 真っ青の空の下、絶好の坂道散歩日和でした。かいな坂は切通しのきれいな坂で、「かいがない」悲しい伝承のある坂。餅屋の坂は座間丘陵(相模横山)のてっぺんまで上る見事な急坂です。少し南にある秋葉山古墳群(平成17年7月に国指定史跡)は座間丘陵の海老名市の最高部(75m~80m)にある古墳時代初期のこのあたりの首長の歴代の墓です。五つの古墳が寄り添うように並んでいます。相模川、大山、丹沢山塊などここからの360度の眺めは素晴らしかったでしょう。下からこれらの古墳を望む人たちもその偉容さに圧倒されたのでは。

 中坂には、かいな坂から続く伝承のある坂です。坂上の方は消滅しています。かしわ台駅近くの念仏坂は、かつてはもっと上る長い急坂だったそうです。堂坂は昔、寺院があった坂。峰坂の坂上から下るあたりは時代劇にでも出てくるような昔の道の風情を残しています。吾妻坂の由来となった吾妻権現社は意外にも龍峰寺観音堂の後ろの小さな社のようです。吾妻坂はその参拝道でしたが今は相鉄線で遮断されています。相鉄線の北側に沿って東から北に上り清水寺公園から龍峰寺、吾妻権現社へ通ずる坂を新吾妻坂としました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc00678_1 内出稲荷(国分北1丁目の旧道沿い)

Dsc00680_1 足折坂 国分北1-8と1-16の間を南に上る。《地図

昔はもっと短い急坂で転びやすく足を折るような坂だった。婚礼の際、花嫁は絶対に通らない坂だった。『海老名の坂』

Dsc00682 坂下から

Dsc00686 浅井の水

古来よりの湧水。

Dsc00688_1 中央の祀られている「宇賀神」

Dsc00685_1 足折坂の坂下から北に上る坂。

左側が浅井の水、右側に道祖神(電柱の所)。

Dsc00683 道祖神・庚申塔

Dsc00691 前の坂 国分北1-14を北東に上る。《地図

この坂に面して五人組のうちの4軒の家があり、その家の前の坂ということでこう呼んだと思われる。『海老名の坂』

Dsc00699_1 井戸坂 上今泉2-4と2-5の間を東に上る。坂下は相模線。《地図

鎌倉時代、坂上に海老名市とゆかりのあった今泉氏の舘があり、坂下にその館の茶の湯用の井戸があったという伝承から。『海老名の坂』

Dsc00698_1坂下から(相模線の踏切)

Dsc00702_1 坂上方向

昔は木々が覆いかぶさり日もささず、トンネルのような坂だったが、関東大震災で両方の崖が崩れ落ち解放的な明るさになったという。『海老名の坂』

Dsc00700 今も残る崖跡。

Dsc00694 坂上の道祖神

Dsc00703_1 かいな坂 上今泉1-8と1-22の間を北東に上る。《地図

永享12年(1440)、鎌倉公方家臣の一色伊予守六郎は井戸坂上の今泉舘に立てこもるところを、足利幕府軍に攻められ、自らは下野国結城へと敗走した。その室、護王姫は妊娠の身を僅かな兵に護られ、東方の相模横山(座間丘陵)を越え、産川(さんがわ)の里へ身を隠そうと、この坂にさしかかった。運悪くここで敵兵に包囲され護衛の兵は不甲斐なくもみな戦死。姫だけはかろうじて産川までたどり着いた。・・・・・・ 以下は中坂のところへ続く。座間市に護王姫神社がある。(『座間市の坂-2』に記載)

Dsc00705_1 坂上方向

右側は上星小学校

Dsc00707 坂上近く

Dsc00709 坂上近くから

Dsc00714 古坂(坂上から) 上今泉1-14と1-21の間を東に上る。坂上方向は消滅。《地図

相模横山(座間丘陵)を越えて産川、亀島(上今泉5,6丁目)方面に達する上今泉では最も早く開かれた坂。『海老名の坂』

Dsc00712 坂下から

Dsc00716_1 常泉院(上今泉4-3)

Dsc00718 餅屋の坂 上今泉4-17と4-20の間を東に上る。《地図

坂下近くに大正末期まで「餅屋」の屋号の熊切幸太郎の家があった。『海老名の坂』

Dsc00721 坂上方向

Dsc00729 坂上から

Dsc00749 秋葉山古墳群説明板

Dsc00736_1 4号墳(前方後方墳)

Dsc00740 5号墳(方墳)

Dsc00745 3号墳(前方後円墳)

Dsc00748 2号墳(前方後円墳)

Dsc00754 1号墳(前方後円墳)

Dsc00759 中坂 上今泉6丁目の海老名陸橋(国道246号)の下を通っていた。

護王姫は「かいな坂」からここの産川まで逃れてきたが、ここで赤子を産んだ。しかし追手により赤子は産川に投込まれてしまった。姫は鎌倉街道を座間の入谷まで落ち延びたが、そこで落命した。入谷地区の人々は、姫を護王姫大明神と崇め一社を建立した。以後、安産の神として人々の信仰を集めている。『海老名の坂』 護王姫神社は「座間市の坂-2(11月1日」に記載。

Dsc00758 中坂(坂下方向) 上今泉6-20と6-24の間を北西から北東に上る鎌倉街道。《地図

中原に上る坂という意。『海老名の坂』

Dsc00763 坂下の道祖神

Dsc00762 馬頭観音

Dsc00768 産川橋(目久尻川)

中坂の坂下近く。

民話「目久尻川の名の由来

Dsc00771 念仏坂 柏ケ谷のかしわ台駅前(相鉄線)の相鉄工機所前を南東に下る。《地図

このあたりは鎌倉時代の古戦場で、この坂から武士の夫人用と思われる櫛笄(くしこうがい)が出土したという。これらのことを知る土地の人々は、念仏を唱え、死者の霊魂を弔いながら上り下りしたという。『海老名の坂』 急坂のため転ばないように念仏を唱え通行した坂なのでは。

Dsc00772_1 坂下の馬頭観音

Dsc00773 坂途中から

かつてはもっと上方の相鉄工機の方まで急坂で上っていた。

Dsc00778 堂坂 柏ケ谷と国分北4丁目の境の弥生橋(目久尻川)から北東に上る。坂上は相鉄線。《地図

坂途中の堂山と呼ばれる地に、享保元年(1716)創建の重宝院という修験道の寺院があった。明治5年の修験道廃止令により廃寺となった。『海老名の坂』

Dsc00779_1 坂上方向

Dsc00780_1 坂下方向

右側の石積みが残るあたりが重宝院のあった所か?

Dsc00789 石仏たち

Dsc00791_1 坂下の子育地蔵と庚申塔

Dsc00795_1 道祖神

坂下近く

Dsc00799 峰坂の坂上から下る道。分岐点に道標庚申塔がある。

文化13年(1816)建立。

Dsc00797 庚申塔の右側面

「南ふしさハ ゑのしま 加満くら 西阿つぎ大山 東江戸道」 『海老名の坂』

Dsc00805 峰坂(坂上から) 柏ケ谷のパブコの工場の前を南西に入り二股の庚申塔の所から西に下る。《地図

海抜62m、標高差約18mの峰を越えるところから坂名が起こった。『海老名の坂』

Dsc00801_1 馬頭観音(坂上近く)

文政11年(1828)建立。

Dsc00812 坂下から

Dsc00809 御岳神社(右)・庚申塔

Dsc00810 道祖神

正月14日に真ん中の双体道祖神を道端に下ろしその前で火を焚いて、坂の途中で団子焼(ドント焼のことか?)をやったという。『海老名の坂』

Dsc00818 弥生橋(目久尻川)から

Dsc00822 きつね坂 国分北3-19と3-20の間を北に上る。坂下は石段、坂上は緑地公園。《地図

元は雑木林に覆われた丘の稜線をたどる2m幅の寂しい山道だった。左手(西側)の斜面を狐山といい、狐の穴がいくともあり昭和30年代まで猟師が狐を捕らえて引き返して行く姿をよく見かけたという。『海老名の坂』

Dsc00824_1 坂上近く

Dsc00825_1 坂上から

Dsc00830_1 びゃくくみの窪地

狐坂の西側の窪地。「びやく」は崖、「くみ」は崩れるという意。古老の話では安政の大地震で崩落したという。

Dsc00834_1 龍峰寺観音堂(国分北2丁目)

千手観音像は国の重文

Dsc00833 説明板

Dsc00852 吾妻権現社(龍峰寺観音堂の右後方)

吾妻坂の由来となった社。

Dsc00840 弥生神社(龍峰寺の南)

Dsc00838_1 石坂(坂上から) 国分北2-13の間を東に上る。《地図》(道筋の標示は途切れているが道は石段となって続いている。)

清水寺(龍峰寺)への中大門口からの参道だった石段のある坂。『海老名の坂』

Dsc00839 坂下から

Dsc00851 国分尼寺跡(国分北2-6)

民話「尼の泣き水

Dsc00846 説明板

Dsc00848 庚申堂・石仏

国分尼寺跡地内

Dsc00856_1 新吾妻坂 龍峰寺から清水寺公園内を通り南から南西に下る。坂下は相鉄線。《地図

今はこの道が吾妻権現社(龍峰寺境内)への参道になるのでこう呼んでみた。

Dsc00854_1 馬頭観音

新吾妻坂の坂上。

Dsc00862 吾妻坂 国分南2-1と2-2の間を東に上る。《地図

昔は吾妻権現社への参詣の道だった。

Dsc00866_1 今は坂の途中で相鉄線が通り、その先は消滅。右に直角にカーブして南に上っている。

Dsc00865  相鉄線で行き止まり。

Dsc00870 並木橋近くから大山

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2006年11月 5日 (日)

座間市の坂-5

2006年11月5日

相武台前駅・・・かにが沢公園・・・馬の坂上・無名の坂・・・下小池坂・・・北向庚申堂交差点・・・芹沢陸橋手前・・・中丸の坂・芹沢公園・・・芹沢川・・・台の坂・・・水元橋・・・三屋の坂・一目小僧地蔵菩薩・・・山王神社・・・上の坂・・・下の坂(平さんの坂)・・・芹沢橋・・・利兵衛坂・・・文祖(ぶんそ)坂・・・萱場(かやば)の坂・・・山下の坂・・・龍蔵神社・・・巡礼坂・・・三年坂・・・中段の坂・・・街道の坂・・・宮下の坂・・・大坂・・・八軒庭稲荷社・・・谷戸坂・・・はあしが山坂・・・目久尻川・・・たぬき坂?・・・きつね坂・・・中ツ原の坂・・・立野坂・・・上羽根沢坂・・・天台の坂・・・座間駅

 今日も好天で、南に向うと暑いくらいでした。山下の坂、巡礼坂、三年坂、中段の坂は近接していて、上に藤沢座間厚木線が通っています。はあしが山坂には10階建てのマンション建設中です。完成したらこの坂は残るのかどうか。

 きつね坂は海老名市との境です。坂下から上る坂の坂上に大きなたぬきの置物があったので勝手にたぬき坂と呼ぶことにしました。(馬坂・下小池坂は「座間市の坂-3」に、中ツ原の坂・立野坂・天台の坂は「座間市の坂-4」に記載)

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc00544 無名の坂(坂途中から坂上方向)

栗原の前田橋(目久尻川)近くから西から南に上る。坂上は馬の坂の坂上。

Dsc00549 中丸の坂 栗原の芹沢公園の西側に沿って北に上る。《地図

字名に由来。芹沢地区から上の台地(中丸)へ行く生活の道。

Dsc00548 坂上方向

右側が芹沢公園

Dsc00550_1 坂下近くから坂上方向

Dsc00555_1 台の坂(坂下方向) 中丸の坂下を進み、南方向に栗原小学校の東角へ上る。《地図

芹沢から中栗原の台地に上る坂。

Dsc00557 坂上方向

Dsc00565 三屋の坂 台の坂の南の水元橋(芹沢川)から北東に上る。《地図

坂上にある家の屋号による。以前はもっと急坂で雨が降った時はすべりやすく上り下りが大変だった。

Dsc00563_1 坂下方向

Dsc00566_1 坂下方向

Dsc00567 坂上近く

Dsc09673

「一つ目小僧地蔵」(三屋の坂上の墓地内)

昭和6年、墓から眼窩が一つしかない頭蓋骨が掘り出された。諸所を放浪して行き倒れとなり、野犬等に襲われた人ではないかと推定された。墓地の持ち主が「一つ目小僧」が安らかに成仏するように、「一つ目小僧地蔵菩薩」を建立した。掘り出された頭蓋骨は一旦専福寺に預け、後に崇福寺に移され埋葬されたというが、現在その場所は不明である。『座間の道坂橋』

Dsc09670 後背の右側に「一目小僧地蔵」と刻まれている。

Dsc09669 山王神社(三屋の坂の坂上を進んだ所)

Dsc00571 上の坂 三屋の坂の南の芹沢橋から北東に上る。《地図

芹沢川の上流に近いほうから、上の坂、下の坂と名づけられた。『座間の道坂橋』

Dsc00572 坂途中から坂上方向

Dsc00575_1 下の坂((平さんの坂) 上の坂の坂下近くから南東に上る。《地図

坂上に中戸川平吉さんの家があったので、平さんの坂の別名もある。『座間の道坂橋』

Dsc00576 坂上方向

Dsc00581 利兵衛(りへい?)坂 栗原中央5-5と5-15の間を南に上る。《地図

坂上に大矢利兵衛さんの家があった。『座間の道坂橋』 「としべえ」かも。

Dsc00582 坂上から

Dsc09667 道祖神(利兵衛坂の坂上を進んだ所)

昭和3年の建立でそんな古くはない。

Dsc00591_1 文祖(ぶんそ)坂 栗原中央2-4と2-2の間を文祖橋(芹沢川)から北東に上る。坂上は国道246号。《地図

付近にあった文祖山に由来。芹沢と下栗原の地区境の道。

Dsc00584 坂下近くから

Dsc00586 坂下方向

左側が文祖山のあった所か。

Dsc00592_1 坂上から

Dsc00596_1 萱場(かやば)の坂 南栗原3-2と3-7の間を南西に下る。《地図

坂下の家の屋号による坂名。『座間の道坂橋』

Dsc00595 坂途中から坂上方向

Dsc00599_1 山下の坂 南栗原3-17と3-20の間を南西に下る。坂下は龍蔵神社、巡礼橋。《地図

坂の入口の屋号から。『座間の道坂橋』

Dsc00603 坂下近くから

Dsc00604_1 龍蔵神社(南栗原3-1、巡礼橋のそば)

Dsc00606 説明碑

Dsc00607 巡礼橋(目久尻川)から

Dsc00611 巡礼坂 巡礼橋から南栗原2-2と2-6の間をカーブして東から南東に上る。《地図

坂東三十三観音霊場巡りの巡礼が通った巡礼街道の道。急坂のためこの地区では花嫁は転んで怪我でもしたら大変と、この坂は通らなかった。『座間の道坂橋』

Dsc00612_1 坂下から

Dsc00610 坂下の地蔵さんと馬頭観音

Dsc00613 坂上方向

Dsc00615 坂上近くから

Dsc00618 三年坂 巡礼坂の途中から北方向に上る石段。《地図

念仏山に上る急坂。ここで転ぶと三年後に死ぬという言い伝えによる坂名。『座間の道坂橋』

Dsc00619 坂上から

Dsc00620 中段(なかだん?)の坂 三年坂の坂上から北西に下る。坂下は山下の坂の坂下近く。上は藤沢座間厚木線。《地図

坂の上り口の家の屋号による坂名。『座間の道坂橋』 「ちゅうだん」かも。

Dsc00621 坂下から

Dsc00624_1 街道の坂 巡礼坂下から巡礼橋を渡り、南栗原5-1から南栗原1-13と1-14の間を北西に上る。《地図

巡礼街道の道筋。

Dsc00628_1 坂上方向

上は藤沢座間厚木線

Dsc00629_1 青面金剛庚申塔(坂上近く)

正徳3年(1713)建立。

Dsc00631 坂上から

Dsc00634_1 宮下の坂 南栗原5-3と5-13の間を北西に上る。《地図

昔、ここに龍蔵権現社があったことによる。『座間の道坂橋』

Dsc00636_1 坂途中から

右側の山林に龍蔵権現社があったという。

Dsc00639 新旧道祖神

宮下の坂下を南に行った所。

Dsc00641_1 大坂 南栗原4-29と4-30の間を南東に上る。《地図

大塚に出る大きな長い坂ということからの坂名。

Dsc00642_1 坂途中の谷戸坂(左側)との分岐点から

Dsc00646_1 坂上近く

Dsc00648 八軒庭稲荷(大坂の坂上近く)

天正10年(1582)本庄氏の一族がここに逃れ8軒の集落を作り、翌年に氏神として創建されたという。

Dsc00645 説明板

Dsc00651谷戸坂 大坂の途中から南東に上る。《地図

Dsc00652 坂上方向

Dsc00656_1 はあしが山坂 南栗原4-17あたりから東方向に上る。《地図》(道の標示はない)

はあしが山に上る坂なので、この名がつけられた。『座間の道坂橋』

左側に10階建のマンション建設中。

Dsc00658_1 坂下方向

道として整備するのだろうか?

Dsc00661 坂下から

Dsc00667 たぬき坂? きつね坂の坂下から東に上る。

Dsc00672 きつね坂 南栗原6-31と海老名市上大泉6-31の間を西に上る。《地図

昔は急坂で淋しい場所できつねが多く住んでいた。『座間の道坂橋』

以前はずっと短い赤土の急坂だった。どしゃぶりの時は上の原から野水が坂の真ん中を薬研堀のように掘ってしまい、足をはさまれたこともあった。狐を見たという話は聞いたことがないが、恐らく狐が通う道だったろうから狐坂と呼んだのであろう。-古老の話『海老名の坂』

Dsc00674 坂上から

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2006年11月 4日 (土)

座間市の坂-4

2006年11月4日

座間駅・・・天台の坂・・・金比羅坂・金比羅神社・・・地蔵坂・・・上羽根沢坂・・・立野坂・・・芝原道の坂・・・中ツ原の坂・・・一本松の坂・・・墓場の坂・専福寺・・・山下の坂・・・栗原神社・・・目久尻川・・・山中の坂・・・辻の坂・・・嘉市坂・・・利八(りや)坂・・・嘉兵衛坂・・・崇福寺・・・台の坂・・・まました(崖下)の坂・・・十七八(となはち)坂・・・太市坂・・・大坂(向う坂)・・・北向庚申堂・・・小池大橋・・・入谷戸の坂・・・ひまわり公園坂・・・相武台前駅

 座間駅の東側から天台の坂、上羽根沢坂、立野坂が大きな波のうねりのように東へと続きます。金比羅坂の周囲には細く急でカーブした坂が何本もあります。栗原神社から北に目久尻川の周辺の坂を歩きました。坂近くに住んでいた人の名のつく坂名が多く、人々生活を感じさせます。

 嘉兵衛坂には新しい長方形のプレート型の坂標(18年7月設置)が民家の塀についています。この坂標の方が見やすいです。取り付ける場所と民家や建物の所有者の了解がなければ無理だと思いますが、座間市が今後も坂標を設置するならこの坂標にしてもらいたいものです。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc00367 天台の坂 座間駅の南側から南東から東に上る。《地図

小字名からつけた坂名。『座間の道坂橋』

Dsc00395 上羽根沢坂 天台の坂上から東に下る。《地図

小字名からつけた坂名。『座間の道坂橋』

Dsc00400_1 立野坂  上羽根沢坂の坂下から北東に上る。《地図

かつてこの付近一帯が「たちの」と呼ばれていた。『座間の道坂橋』

Dsc00382 金比羅坂(正確には比の上に刀が乗る字) 入谷5丁目の金比羅神社の前を南東に上る。皆原から羽根沢に通じる道。《地図

Dsc00378_1 坂上方向

左側が金比羅神社

Dsc00375_2 金比羅神社への石段

Dsc00384_1 坂上近くから

Dsc00386 地蔵坂 金比羅坂の坂上近くから東に下る。《地図

Dsc00388 坂上から

Dsc00389_1 坂下近くから

Dsc00393坂下の地蔵さん

Dsc00403芝原道の坂 入谷5-2346から北東に上る。《地図

羽根沢地区から立野台を経て芝原方面に通ずる農道で、芝原道と呼んでいた。『座間の道坂橋』坂下近くから

Dsc00406_1 坂下方向

Dsc00410 中つ原の坂 立野台3-17と3-18の間を南西に下って、上る。《地図

小字名からつけた坂名。『座間の道坂橋』

Dsc00415_2 一本松の坂 栗原中央4-24と4-26の間を西に上る。坂下は墓場の坂の途中。《地図

付近に周囲3mもある大きな赤松が一本あった。

Dsc00417 墓場の坂 栗原中央4-17の専福寺と4-19の間を南に上る。《地図

Dsc00420_1 坂下方向

右側に専福寺の墓地がある。

Dsc09657 山下の坂(坂下の栗原神社の境内から) 栗原神社の横から南東に上る。《地図

坂下の家の屋号による坂名。『座間の道坂橋』

Dsc09658 広い通りを越えてさらに上る(正面方向)

Dsc09663 坂上から

Dsc00425 栗原神社(栗原中央4丁目)

「シラカシ」は樹齢500年以上の市の天然記念物。

Dsc00426_1 説明板

Dsc00434 目久尻川

松風橋から

Dsc00436 山中の坂 栗原中央3-14と3-20の間を北西から北東に上る。《地図

このあたりは松や杉の森林があり山中といった。『座間の道坂橋』

Dsc00438_1 坂上方向

Dsc00439 坂上から

Dsc00442 辻の坂 栗原中央3-21と3-27の間を北西に上る。《地図

道路が交差しているところの坂なので名づけられた。『座間の道坂橋』

Dsc00444 坂上方向

Dsc00448 嘉市坂 立野台1-15と1-16の間を西に上る。下の向き橋(目久尻川)から上る。《地図

Dsc00449 坂上方向

坂下に住んでいた曽根嘉市さんの名からつけられた。『座間の道坂橋』」

Dsc00450_1 坂上近く

Dsc00452_1 坂上から

Dsc00457 利八(りや)坂 おんだし橋から栗原中央1-4と1-5の間を西に上る。《地図

坂下の武井利八さんの名からつけられた。『座間の道坂橋』

Dsc00459_1 坂上近くから

Dsc00467 嘉兵衛坂 上栗原橋から栗原中央1丁目と2丁目の間を西に上る。《地図

Dsc00462 坂上から

この道は芝原道、鶴間街道、星の谷街道とも呼ばれる。

Dsc00466 坂下方向

坂下に井上嘉兵衛さんの家があった。『座間の道坂橋』

Dsc00469_1 坂下の石造物

左 「南無阿弥陀仏」の六字名号碑 天保4年(1833)建立。 左から二番目 道祖神塔 安政4年(1857)建立。 右から二番目 秋葉山献灯 文政12年(1829)建立。(秋葉神社は火除け、火伏せの神) 右 出羽三山供養塔(湯殿山、羽黒山、月山) 年代不詳の道祖神など

Dsc00470 崇福寺(栗原中央1丁目)

臨済宗建長寺の末寺。

Dsc00471 説明板

Dsc00472_1 子育て地蔵

文久元年(1861)建立。子供を抱いている。

Dsc00482_1 台の坂(佐市の坂) 上栗原橋から南東に上る。《地図

上栗原の下村から台地へ上る坂。坂の入口に井上佐市さんの店があったので佐市坂ともいう。『座間の道坂橋』

Dsc00478 坂下から

Dsc00481 坂上から

Dsc00483 まましたの坂 おんだし橋から栗原中央2-12と2-13の間を東から北東に上る。《地図

下の家の屋号からつけられた。

Dsc00484 坂上から

Dsc00487 坂下方向

Dsc00491_2 十七八(となはち)坂 栗原中央1-26と1-20の間を東に上る。《地図

坂下の井上十七八さんの名から。『座間の道坂橋』

Dsc00492 坂上から

Dsc00494 太市坂 栗原中央1-20と1-18の間を北東に上る。《地図

坂下の鈴野太市さんの名から。『座間の道坂橋』

Dsc00495_1

坂上から

Dsc00498 大坂(向う坂) 栗原中央1-13と1-15の間を北東に上る。坂上は北向庚申堂。《地図

急で長い坂のため。向う側の台地に上る坂なので向う坂ともいう。『座間の道坂橋』

Dsc00501 坂下方向

Dsc00500 坂上近く

Dsc00504 北向庚申堂(栗原中央1丁目)

Dsc00506_1 説明板

Dsc00507_1 小池大橋上から栗原貯水池と目久尻川

Dsc00513 入谷戸の坂 緑ヶ丘1-22と2-28の間を北西に上る。 坂上は座間市役所の東側。小字名からの坂名。《地図

Dsc00520_1 ひまわり公園坂 緑ヶ丘大塚線の市役所北交差点から南に上る。西側にひまわり公園がある傾斜はゆるい坂。《地図

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2006年11月 3日 (金)

座間市の坂-3

  2006年11月3日

相武台駅(小田急線)・・・小池坂・・・矢島の坂・・・喜作の坂・・・大門坂①・・・原の坂①・・・さんや(三屋)の坂・・・馬の坂・・・かき上がり坂・・・小池坂・・・原の坂②・・・賽(セー)の神坂・・・どんぶり坂・・・供養坂・・・北谷戸坂・・ひょろげん坂・・・農道の坂・・・座間谷戸山公園・本堂坂・・・三峯坂・三峯神社・・・大門坂②・・・川駒坂・・・座間駅(小田急線)→相武台駅・・・小池窪の坂・・・鶴間街道の坂・・・江戸街道の坂・・・小田急相模原駅

 小池窪の坂から歩き始めるつもりが、道を一本間違え栗原相武台線の小池の坂上に出てしまったので南に目久尻川沿いの坂からにしました。樹木が坂を覆って昼なお暗い、崖の赤土のがむきだしの昔ながらの坂がいくつも残っています。いずれも周辺の人たちの生活の道、農作業の道の匂いのする坂です。未舗装の細い坂や廃道寸前のような坂もあり、注意していないと坂の入口を通り越してしまいます。

 賽の神坂は今は傾斜もゆるくかつて坂の面影はないようですが、道祖神はちゃんと立っています。どんぶり坂は周囲の地形から、ヒョロゲン坂は人のあだ名からの面白い坂名です。座間谷戸山公園は連休初日で天気も良く、かなりの人で賑わっていました。本堂坂はかつての府中街道の道筋ですが、今は公園内の遊歩道になっています。本堂坂、大門坂とも昔、ここに星の谷観音があったという言い伝えによる坂名です。三峯坂も今は公園内です。大門坂の坂上近くから南に上ると長い川駒坂が座間駅近くまで下ります。電車でもう一度相武台前駅まで行き、小池窪の坂から江戸街道の道筋を歩きました。

 座間市は多くの坂に立派な石柱型の坂標を設置しています。説明文も側面に彫られていますが、汚れとほこりや下の方は雑草などで読みづらくなっています。ちょっと残念な気がします。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc00168_1 小池坂 相武台4丁目と3丁目の間を東から南に下る栗原相武台線。《地図

字名から名づけられた。栗原小池地区の最北端に位置し、「上の坂」とも呼ばれる。

Dsc00170_1 坂途中から坂下方向

Dsc00172 坂下から

Dsc00173 矢島の坂 小池の坂の坂下近くから東方向に上る。《地図

坂の入口にある家号による名。『座間の道坂橋』

Dsc00176 坂上から

Dsc00180_1 喜作の坂 矢島の坂の南側から西方向に上る。坂上に相武台プール。《地図

坂の入口に草薙喜作さんの家があった。『座間の道坂橋』

Dsc00181_1 坂上方向

Dsc00185 坂上から

Dsc09635 坂上の市立プールの敷地内の庚申塔?

宝永4年(1704)の建立というが、敷地内に入れず確認できず。

Dsc09647 大門坂①(坂下から) 小池仲橋と角の橋の間から北西に上る。坂上は喜作坂の坂上近く。《地図

坂上に上小池の氏神「絹張明神社」があった。社殿は星の谷の三峯神社に、ご神体は明治6年栗原神社に合祀された。『座間の道坂橋』

Dsc09642 坂上方向

Dsc09638 坂上

絹張明神社があった所。

Dsc00187 原の坂① 喜作の坂の南の上小池のバス停近くの公民館から北東に上る。《地図

目久尻川の河岸段丘上(上の原)に抜けて行く坂道。

Dsc00190 坂途中から

Dsc00188 坂下の地蔵さん

Dsc00192 坂途中から

Dsc00194 坂上近く

Dsc00197_1 さんや(三屋)の坂 原の坂の坂下から南西に上る。《地図

坂の入口の家号から名づけられた。『座間の道坂橋』

Dsc00196_1 坂上方向

Dsc00198_1 坂上方向

Dsc00200 坂上から

Dsc00203 馬の坂 下小池のバス停の北側から北西に上る。《地図

馬がこの坂を上るのに難渋したのでこの名がついた。『座間の道坂橋』

Dsc00204 坂上から

Dsc00207 坂上方向

Dsc00208 庚申塔

下小池坂の坂下

Dsc09655_2後ろの庚申塔移転の記念碑

Dsc09656_1 坂下近くの牛小屋

Dsc00209_1 下小池坂 下小池橋(目久尻川)から南東に上る栗原相武台線。《地図

Dsc00219 坂上近くから

Dsc00213_1 かき上がり坂 下小池橋を渡り、川沿いから北東に上る。《地図

傾斜がきつく登る時、上体を走る時のようにかたむける姿勢になるため。

Dsc00210_1 坂下から

Dsc00211_1 坂上方向

Dsc00215_2 坂下方向

Dsc00221 原の坂② 下小池坂の途中から北東に上る。坂下から賽の神坂の上りとなる。《地図

坂上の家号からの坂名。

Dsc00224 賽(せー)の神坂 原の坂の坂下から南西に上る。《地図

坂上に道祖神があり、かつてセイトバライが盛大に行われたのでこの名がつけられた。『座間の道坂橋』

Dsc00231_1 坂途中から。向こう側は原の坂②

左に道祖神。

Dsc00225 道祖神と三猿の庚申塔

道祖神は享保6年(1721)建立、庚申塔は延宝2年(1674)建立。

Dsc00229 道祖神

Dsc00228_1 庚申塔

Dsc00233 どんぶり坂 緑ヶ丘4丁目のかにが沢公園の南側と緑ヶ丘3丁目の間を南西に下り、上る。《地図

坂の周囲の地形がどんぶり状をしていることによる。昔、この谷は大変深く、坂の勾配が急で這うようにしなければ登れなかった。

Dsc00238 西側の坂上近くから

Dsc00236 東側の坂の途中から

Dsc00244_1 供養坂(坂上から) 緑ヶ丘の座間中交差点から西に上る。坂上を行くとむじな坂の坂上。《地図

以前、頂上付近にあったという供養塚から。『座間の道坂橋』

Dsc00248 北谷戸坂 明王と入谷1丁目の間を北に上る。《地図

小字名からの坂名。

Dsc00250 坂上近くから

Dsc00252 稲荷社

坂下近く

Dsc00253 坂下近くで小田急線をくぐる。

Dsc00254 地蔵さん

北谷戸坂下を進んだ所。ひょろげん坂の坂下近く。

Dsc00263_1 ひょろげん坂 北谷戸坂の坂下あたりから東から北東に上る。坂上は農道の坂、座間谷戸山公園。《地図

昔、この近くに住んでいた、ひょろっとした人の通称に由来というが。

Dsc00256 坂下から

Dsc00261 坂上方向

Dsc00262 坂上から

Dsc00268 農道の坂 座間谷戸山公園の北側から西側に沿って下る。《地図

Dsc00271 坂上方向

Dsc00301_1 本堂坂 座間谷戸山公園内を北東に上る。かつての府中街道の道筋。《地図

昔、公園内の本堂山に星の谷観音の本堂があったという言い伝えに由来する坂名。

Dsc00283_1 坂下方向

Dsc00299坂下近く

Dsc00522 水鳥の池

Dsc00289_1 案内図

Dsc00303_1 坂下の道祖神

Dsc00305 長屋門

Dsc00304 庚申塔

長屋門のそば

Dsc00306_1 星の谷の庚申塔

三峰坂下

Dsc00290_1 案内図

Dsc00307 三峰坂 谷戸山公園内の南西端近くを東に上る。《地図

坂上に三峰神社がある。星の谷街道。

Dsc00313_1 坂上から

Dsc00315_1 三峰神社

Dsc00316 北に下る

Dsc00320_1 大門坂② 三峰坂の南側を谷戸山公園沿いに南東から北東に上る藤沢座間厚木線。《地図

星の谷観音の近くにあったのでこの名がつけられた。

Dsc00322 坂途中から坂上方向

Dsc00336川駒(かごま)坂 座間駅東側を北方向に上る。坂上から下って大門坂の坂上近くに出る。《地図

昔、坂下に牛馬の共同墓地があり、小字名になり、そのまま坂名になった。『座間の道坂橋』

Dsc00342 坂下近くから

Dsc00345_1 小池窪の坂 相武台2丁目と3丁目の間を北東に下る。江戸街道・鶴間街道の道筋。《地図

Dsc00346_1 坂下方向

この付近一帯が、目久尻川の源流の湧水の影響で、窪地であったためこの名がついた。『座間の道坂橋』

Dsc00347 坂上方向

Dsc00349 鶴間街道の坂 小池窪の坂の坂下から南東に上る。《地図

Dsc00353 坂上方向

Dsc00350 坂上から

Dsc00358 江戸街道の坂 小池窪の坂下から北東に上る。《地図

相武台前から芝原(今の相模が丘地区)から辰街道を越え、相模原市を抜けて、長津田で大山街道に合流していた。

Dsc00356 坂下から

Dsc00363 坂上から

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2006年11月 1日 (水)

座間市の坂-2

2006年11月1日

小田急相模原駅・・・府中街道(町田厚木線)・・・上小池坂・・・相武台駅前・・・大坂・・・むじな坂・・・富士山公園・浅間(せんげん)坂・・・相模原トンネル(町田厚木線)・・・座間公園・座間神社・・・飯綱坂・・・平和坂・・・平和の径・・・番神水・番神堂・・・円教寺・・・長宿の坂・・・杉田屋の坂・・・盆前坂・・・道祖神・・・閻魔堂・・・龍源寺(弁財天堂・龍源水)・・・鈴鹿明神社・・・観音坂(星の谷坂・鈴鹿坂)・・・星の谷観音・・・護王姫神社・三年坂・・・座間駅

 小田急相模原駅から南に小田急線の西側の府中街道、藤沢街道、鎌倉街道沿いの相模川河岸段丘の坂を歩きました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc00023 上小池坂 相武台1丁目の相武台病院の前を南西に上る府中街道(町田厚木線) 《地図

小字名からの坂名。傾斜はゆるい。

Dsc00029_1 大坂 キャンプ座間東側の大坂台公園の前を北東に上る町田厚木線。《地図

座間宿村では最大の坂であるため、この名がつけられた。『座間の道坂橋』

Dsc00033 むじな坂 大坂下の富士山公園バス停そばから北東に上る。右側が富士山公園 《地図

小字名の貉(むじな)谷戸からつけた坂名。

Dsc00034_1 坂上方向

Dsc00043_1 浅間(せんげん)坂 むじな坂下の富士山公園の南西山麓から北東方向に上る。《地図

【坂標】の説明文 「この坂はかつて富士山公園の山頂にあった浅間神社へ行く参道であったことに由来します」

Dsc00042 坂下から

Dsc00050_1 坂上

富士山公園の頂上。右側の一段高くなっている所が浅間神社の跡か?

Dsc00053_1 座間神社(座間1丁目、キャンプ座間の西側)

欽明天皇の頃の創建と伝える。もとは飯綱権現社といった。

Dsc00052 「座間神社」説明板

Dsc00056 飯綱坂 座間神社の北側から座間公園に上る坂。《地図

飯綱権現社に由来する坂名。

Dsc00057 坂上から

Dsc00535 平和坂 座間公園の南側から南に上り下る。《地図

大正10年の大改修によって、旧坂名の「六道坂」を改めた。『座間の道・坂・橋』
『かながわ 坂のある風景』によると、「平和」は東京上野で開催された「平和博覧会」にちなんだものだという。品川区の平和坂も同じ由来を持つ坂。その上にそれまで「六道の坂」と呼んでいたのを改めたのもここと同じで面白い附合だ。(『品川区の坂-2』に記載)

Dsc00534_1 右側面に、「西 座間宿へ三丁」

左側面に、「北 原町田へ二里半、南 厚木町へ約二里」と記されている。

Dsc00059_1 坂下方向(右側)

Dsc00533 平和坂下の馬頭観音など

Dsc00072 平和の径

平和坂の途中から真直ぐ進み、番神堂、番神水にいたる道。

Dsc00066 番神堂(入谷1丁目)

円教寺の附属。

Dsc00065番神水」説明板

大昔からの生活用水だった湧水。

Dsc00067 番神水公園

Dsc00068 今も透き通ってきれいな湧水。

Dsc00077 円教寺

健治元年(1275)の創建という日蓮宗の寺。

Dsc00075 「円教寺」説明板

Dsc00081_1 長宿の坂 円教寺の南の入谷1-3260と1-3272の間を北東に上る。《地図

字名からつけた坂名。

Dsc00082 坂上から

Dsc00084_1 杉田屋の坂 長宿の坂の坂上近くで交差し、北から東に上り、南西に下る。坂上は座間キャンプ。《地図

上り口の飴屋の屋号から名付けられた。『座間の道坂橋』

Dsc00090 坂下方向

盆前坂の坂下へ下る。 

Dsc00097_1 盆前坂(坂途中から坂上方向) 《地図

坂上付近に盆前塚があった。『座間の道坂橋』

Dsc00096 坂下方向

Dsc00095_1 坂上方向

Dsc00093 盆前坂の崖の横穴墓?

Dsc00102_1 道祖神と力石

杉田屋の坂下を進んだ所。道祖神の右側面に「原町田道」、左側面に「八王子・藤澤往還」と彫られている。明治40年の建立。

Dsc00099_1 「力石」の説明板

Dsc00104 閻魔堂(道祖神の南側の藤沢街道沿い)

Dsc00105_1 堂内の閻魔石像

Dsc00106 龍源院(閻魔堂の隣)

寛正2年(1461)年建立という曹洞宗の寺。往昔は富士山公園の西側にあったという。

Dsc00107 「龍源院」説明板

寺の開基伝説が載っている。

Dsc00110弁財天堂内(龍源院境内)

弁財天とお使いの蛇。ユーモラスでユニークだ。

Dsc00117 龍源水

古来からの生活、農業用水の湧水。不動明王が立っている。

Dsc00118_1 鈴鹿明神社(龍源院の隣)

Dsc00122_1 観音坂(星の谷坂) 星の谷観音坂下交差点(町田厚木線)から東に上る。《地図

坂上に星の谷観音。

Dsc00124 坂途中から

Dsc00126_1 坂上近くから

Dsc00133_1 星の谷観音

行基の開基と伝える真言宗の寺。

Dsc00129 「星の谷観音」説明板

Dsc00132梵鐘

嘉禄3年(1227)の銘がある、全国で50番目、関東以北では2番目に古いという国指定重要文化財。

Dsc00130_1 「梵鐘」説明板

Dsc00530 護王姫神社(入谷1丁目) 右が入谷バイパス、左が鎌倉街道。

源義経の愛妾護王姫が、難産のためこの地で没したのを祀ったという安産の神。海老名市の伝承では、護王姫は鎌倉公方の家臣一色伊予守六郎の妻。関東管領足利義持に味方して今泉館に立てこもるところへ室町幕府軍に攻められ、下野国結城に敗走した。後に残された身重の護王姫は産川まで逃れ赤子を産んだが、追手により赤子は付近の川に投込まれた。姫は鎌倉街道を座間入谷まで落ち延びたがそこで落命した。入谷地区の人々は姫を護王姫大明神と崇め一社を建立したとされる。

Dsc00526護王姫神社

Dsc00144 三年坂 入谷バイパスの入谷1丁目の護王姫大明神の南側の歩道橋の脇から入り南に上る鎌倉街道。《地図

Dsc00143 【坂標】の説明文 「この坂道は鎌倉街道の一部です。「この坂で転ぶと三年後に死ぬ」といわれていることに由来する坂名といわれていますが、坂が急なため足元に気をつけよとの意味を込めた言い伝えと思われます」

Dsc00150 坂上から

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