町田市の坂-1
2006年12月24日
成瀬駅(横浜線)・・・堂之坂公苑・堂之坂・・・(むけい坂?)・・・吹上橋(恩田川)・・・都橋・・・東光寺公園・・・馬坂①・・・成瀬クリーンセンター・・・与兵衛坂・・・田苗坂・馬坂②・・・東急電鉄長津田検車区・跨線橋・・・つくし野殿山市民の森・殿山わき水坂・・・吹上橋・・・成瀬中央橋・・・(南成瀬小学校)・・・不動院跡(原の不動さま?)・・・めおと坂・・・成瀬駅
むけい坂の位置がはっきりしません。堂之坂と平行する北側の成瀬中央通りの坂、堂之坂公苑の南側の坂、その一本南側の坂、さらに南側の坂のどれかでしょうか? お嫁さんがこの坂を通ると必ず実家から迎え(昔は「むけい」と言った)が来た。つまり離婚させられ、実家に帰ったという縁起の悪い坂で、お嫁さんはこの坂を通らなくなったといういわれのある坂です。馬坂①は恩田川の都橋から上る鎌倉街道ですが、坂上の方は区画整理で随分変わってしまっているようです。
与兵衛坂、田苗坂は成瀬クリーンセンターの南側の鎌倉街道から上る坂で、与兵衛坂の手前の坂下近くには珍しい天狗童子(烏天狗)の道祖神が立っています。田苗坂の途中に「田苗坂改修記念碑」(昭和30年初期)が建っているはずですが二往復しても見当たりません。坂の途中の一角に工事車両が並んでいたので工事で撤去されてしまったのかとも思いました。馬坂②は田苗坂の途中から右に分かれて上る坂で、田苗坂が改修される前は田苗坂の上り口が馬坂の上り口だっだそうです。(田苗坂の上り口はもう少し東寄りにあったのだろう) 与兵衛坂、馬坂②は今はあまり通られていないようでいずれ廃道になってしまうのでは。
田苗坂の坂下から鎌倉街道を東に進み義民供養塔などのある一画を過ぎ、横浜市緑区長津田町に入りました。田園都市線の線路沿いに西に行き、跨線橋で検車区と横浜線を越え、線路沿いに西に進むとゆるやかな下りとなり、つくし野殿山市民の森の所から傾斜がきつくなります。これが殿山わき水坂です。
坂下から北に上り下りして再度、吹上橋に出て成瀬中央通りから北側の古道(鎌倉街道?)へ入りました。南成瀬小学校のあたりから下って、上り、高ケ坂方向に下るのがめおと(夫婦)坂のようです。傾斜もゆるやかで、らくだのこぶのようだったという面影はありません。坂の近くにあった「原の不動さま」(南成瀬2-16の不動院のことだろう)はなく、跡地に集会所の建設予定の標示板が吊るしてありました。そこから南に成瀬中央通りまで上り東に成瀬駅に向いました。
写真をクリックすると拡大します。
江戸時代、地頭旗本井戸氏の米蔵があった。
堂之坂(坂途中から坂下方向) 堂之坂公苑の北側を西に上る。《地図》
東雲寺が開山する前には成瀬駅近くに慈眼寺という真言宗の寺があったと伝えられている。その寺からまっすぐ下ってくる参道の一部が現在の堂之坂。坂の途中にお堂があり、旅人はこのお堂に立ち寄り旅の安全を祈ったので、いつしか堂之坂と呼ばれるようになったといわれている。お堂には堂守りがいたらしく、堀江家には「堂守りの墓」といわれる古い墓石が残されていた。この墓石は堀江家の墓地と共に現在は共同墓地へ移されている。『町田の民話と伝承(第二集』
左側が堂之坂公苑・坂上右側が堀江家
都橋の東側の公園。東光寺は南成瀬8丁目にあった「与兵衛坂」ゆかりの寺。
馬坂①(坂下から) 南成瀬7丁目の都橋(恩田川)から南西に上る。《地図》
この坂は成瀬から小川を通り鶴間の店屋(まちや)に通ずる鎌倉古道にあり、一時は往来の多い所だった。荷物のある時は馬でなければ上れなかったので、「馬の坂」と言われるようになり、今では「馬坂」と言っている。南成瀬7丁目、6丁目から小川1丁目にかけての坂だったが、区画整理事業で昔の面影を残している所はない。『町田の民話と伝承(第二集』
左側に天狗童子立像(烏天狗)道祖神・地神塔
右側に地蔵庚申塔
全国的にも類例を見ない天狗童子の像。成瀬に3体あるという。
嘉永2年(1849)の建立。
享保8年(1723)の建立。
坂上を進むと与兵衛坂の坂上に出る。
与兵衛坂 南成瀬8-11と8-10の間を南に上る。坂上左側に墓地。《地図》(道筋の標示はない)
昔、東光寺(南成瀬8丁目)に「与平」という名医がいた。この医者に診てもらうには馬坂(与兵衛坂の東側の馬坂②のこと)を通らねばならなかった。そのうちに一刻も早く診てもらいたい気持ちから近くの崖をよじ登って診察を受けに来るものが出るようになった。親切で患者思いの与平は、崖を切り通して近道を作り患者の便を計った。人々はこの坂を感謝と敬意を込めて「よへい坂」というようになった。『町田の民話と伝承(第二集』
田苗坂(坂下から) 南成瀬8-10と8-3の間を南方向に上る。与兵衛坂の東側の坂。
坂のなかほどにどんな日照りの時でも清水の湧き出る溜池があった。村人はこの溜池に苗床作りの間、籾を浸しておき時期をみはかり苗床に籾まきをした。田の苗を浸しておく溜池がある坂道というので、いつとはなしに田苗の坂、「田苗坂」と呼ぶようになった。『町田の民話と伝承(第二集』
坂の途中にあるという「田苗坂改修記念碑」が見当たらず。
馬坂② 田苗坂の途中から右(南西)に分かれて上る。(地図に道筋の標示はない)
与兵衛坂の由来話に出てくる坂。廃道に近い感じ。
享保14年(1729)の建立。
かなり磨り減っている。
殿山わき水坂 つくし野1丁目のつくし野殿山市民の森と横浜線の間を東に上る。《地図》
左側がつくし野殿山市民の森
右側が横浜線
めおと坂 南成瀬3丁目の南成瀬小学校の南側を西に下り、上って、高ケ坂へと下る。《地図》
原の不動さまの近く。この道は成瀬街道ができるまでは重要な古道で往来も多かった。道の起伏がラクダのこぶに似た形で、成瀬分は高ケ坂の倍の大きさがあった。成瀬側を男、高ケ坂側を女にたとえ「夫婦坂」と呼ぶようになった。『町田の民話と伝承(第二集』
高ケ坂側に下る
集会所が建つらしい。
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