相模原市の坂-4
2006年12月2日
橋本駅 バス→望地(もうち)キャンプ場入口・・・法仙坊坂・・・望地弁天堂・望地キャンプ場・・・望地の渡し跡(相模川)・・・馬坂③・・・塩田さくら橋(八瀬川)・・・宮坂①・天地社・・・(相模線)・・・諏訪神社・・・馬坂④・番田橋(鳩川)・・・かじこ橋(姥川)・・・道保川・・・七曲り(西見坂)・・・道保川公園・・・宮坂②・十二天神社・おみたれ水・・・一関橋(道保川)・・・当麻山道・・・古山(こやま)橋(姥川)・・・よべい坂・・・当麻山道・・・一の坂橋(鳩川)・・・(相模線)・・・相模原茅ヶ崎線・・・原当麻駅(相模線)
12月に入り道筋や神社の境内のいちょうの黄葉と落ち葉が目立つ一日でした。橋本駅からの相模神奈交バスは車内で傘、スポーツ新聞、子どものお菓子などを車内で売っています。買っている人を見たことはありませんが運転手も大変でしょう。法仙坊坂はゴルフ場の間を上る坂で、法仙坊大明神の碑があるはずですが見当たりません。坂上をもっと行った所にあるのか、撤去されたのか。
望地という地名は海老名市にもあり、望地の坂もあります(海老名市の坂-2(2006年11月10日)に記載)。望地の渡しから上る馬坂③と番田橋から上る馬坂④はともに草競馬が行われたことによる坂名です。馬坂③の坂上近くに庚申塔、望地バス停のそばに三面双体道祖神、二十六夜塔などの石造物が並んでいます。昔からの道筋だったのでしょう。二十六夜塔は初めて見ました。
望地バス停から東方向に入り八瀬川から天地社の前の宮坂①を上り、相模線を越えて上溝の諏訪神社に寄りました。このあたりから牛の匂いが漂ってきてかなり長い間続きました。緩い馬坂④を下り、道保川公園沿いに七曲りを上りました。大きく曲がる所が5ケ所だったと思います。坂上からは西方向が開ける西見坂です。坂下の道保川公園の水鳥の池をめぐって道保川沿いに南東に行き宮坂②を上りました。坂上から南に広い通りが下っています。
当麻山道の宮坂②を下り、静かで古さを感じさせる十二天神社の境内から東に当麻山道を進みました。姥川の古山橋を渡ってすぐ分岐して上る左の道が当麻山道で、右がよべい坂、「夜這い坂」です。名前が名前だけに坂標は立っていません。赤土のツルツル滑る坂だったそうですが、今は短い傾斜のゆるい何の変哲もない坂で、ここがよばい坂なのだろうかとちょっと心配になりました。当麻山道を進み途中で左に入り、相模線を越え線路沿いの相模原茅ヶ崎線を南に原当麻の駅に出ました。相模線は単線でドアの開閉はボタンを押す手動式です。駅も電車もきれいで乗客も都内と変わりないですが、なんだか随分遠い所へ来た気分になりました。牛の匂いの中を長い間歩いたせいもあるのかも。
【地図】写真をクリックすると拡大します。
法仙坊坂 田名の田名バーディゴルフの間を北東に上る。《地図》
法仙坊は伝説上の人物。大変な荒くれ者で相模川対岸の小沢城の小沢太郎という武士と争ったと伝えられる。「法仙坊大明神」の碑は戦前は祠に納められていて、戦地へ向う人々のお参りで賑わっていた。『さがみはらの地名』 法仙坊大明神の碑が見つからず。→坂上に新しい立派な社ができたそうです。早い時期に行ってみたいと思います。境内に「法仙坊大明神」の碑が移されているかも。2008年5月30日追記)
望地弁天堂(弁財天の写真も載っている)
対岸の六倉へ渡ったので「六倉の渡し」ともいわれた。相模川を斜めに渡ったようだ。
馬坂の坂下に立っている。
このあたりで草競馬が行われたようだ。
馬坂③(坂下から) 田名の鍛冶谷相模原線の望地バス停から西に入り、曲がりながら西方向に下る。《地図》
坂下の河原で草競馬が行われ、それに出場する馬がこの坂を通ったことによる坂名。『さがみはらの地名』
左は三面双体道祖神・その隣は二十六夜塔・その他庚申塔など。二十六夜は月待ち信仰の一つ。「二十六夜待ちの料理」(ただし江戸の話)
宮坂① 田名塩田の塩田さくら橋交差点から北東に上る。《地図》
天地社の前の坂。
天地社(宮坂の北側)
馬坂④ 上溝の上溝南小学校交差点から北東へ番田橋へ下る。《地図》
ここも草競馬が行われ、出場する馬をこの坂でつなぎ止めていた。『さがみはらの地名』
七曲り(西見坂) 上溝の道保川交差点から道保川公園の南に沿って曲がりながら上る。《地図》
別名の西見坂は、明治30年の改修で西方向がよく見渡せるようになったので命名された。『さがみはらの地名』
右・歌碑「自転車をおりて押しゆく落葉坂 七曲りすれば 故郷の見ゆ」 だろうか。
うっすら見えるのは大山か。
水鳥の池(道保川公園)
手前は帝王ダリア
宮坂② 下溝の十二天神社と陽光台7丁目の間を南東に上る。《地図》
十二天神社のそばの坂でこの坂名がある。
十二天神社(宮坂の南側)
十二天神社の近くから湧く清水。この清水が道保川に注ぐまでの流れを「みやがわ」という。
当麻山無量光寺への参詣道。村の境なので「境道」、単に「おおみち」とも呼ばれた。「北東 淵野辺方面 南西 当麻方面」とある。
正面は古山橋(姥川)
よべい坂(右) 下溝の古山橋(姥川)から西に上る。《地図》
当麻山道(左)
「よべい」とは「夜這い」のことで、以前はツルツルすべる赤土の坂で、両手をついて上らねばならなかった。その姿がちょうど「夜這い」のように見えたため。『さがみはらの地名』
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コメント
コメントにあった所に行ってみました。
本当にすごく立派なお社ができてましたね、いまでも宮大工さんって残ってるんですね〜。
ちょっと尊敬です。
投稿: さんぽんさ | 2008年5月29日 (木) 17:57
最近、法仙坊坂にさんぽに行ったところ新しい立派なお社ができていてびっくりしました。みなさんも機会があったらさんぽがてらお参りに行ってみてはどうでしょうか?
(厚木市の坂を歩いている間に、新しい社に寄れればと思っています。 坂道散歩人(ヤタガラス))
投稿: はやきち | 2008年5月20日 (火) 23:26