« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »

2006年12月30日 (土)

町田市の坂-3

2006年12月30日

淵野辺駅(横浜線)・・・やまねの坂(相模原市)・・・第六天坂(相模原市)・・・根岸橋(境川)・・・馬駈(まがけ)交差点・・・芝溝街道・・・大橋坂・・・図師大橋(鶴見川)・・・宮川橋(鶴見川)・・・鎌田坂・・・圓福寺・・・並木交差点・・・小野路一里塚・・・大山道(旧道)・向坂・・・向坂(新道)・・・小野神社・・・小野路宿・・・岩子山千手院・・・井の花・・・赤坂・・・鶴川駅(小田急線)

 芝溝街道の馬駈交差点あたりから図師大橋にゆるやかに下るのが大橋坂で、旧道が坂下近くに一部残っています。図師の交差点から南に宮川橋を渡ったあたりから上るのが鎌田坂で、坂下には縁切不動と道標(左かまくら右大山)があるはずですが両方とも見当たらず拍子抜けでガッカリ。

 図師の交差点へ戻り圓福寺に寄り、並木交差点から北へ長い坂を上りました。1km近くはあるでしょうか。坂上から下り始めて、野津田総合運動場場に向う道に入るとすぐに小野路一里塚が旧大山道(鎌倉街道上の道)沿いに復元されています。
 一里塚から旧大山道を北に下るのが向坂で、左側(西)に平行して新道が下って小野神社、小野路宿へ出ます。小野路宿の通りは今日は車が渋滞していて歩道もなく、危なくて歩けるような道ではありません。通りの家並は宿の面影を残しているようですが、ゆっくり散策したり写真を撮ったりする気分にはなりません。

 東にどんどん進み、鎌倉街道の井の花交差点あたりから旧道に入り、鶴川団地の方へ上るのが赤坂です。坂下から見上げると先が真っ暗で、両側から木が被さり切通しの赤土の崖から木の根が露出している間を上る気分のいい坂です。坂下の旧道の民家の一画には何対もの石造物が立っています。二十六夜塔、地神塔、巡礼供養塔などらしいのですが磨耗していてどれがどれか判然としません。というより判別する目が肥えていないせいでしょう。

 やまねの坂、第六天坂は「相模原市の坂-8」(2006年12月14日)に記載。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02447 大橋坂(坂下方向) 図師町の図師大橋(鶴見川)から南西に上る芝溝街道。《地図

関東大震災の時、図師大橋の図師よりの片方が橋桁ごと川に落ちた。根岸方面から大八車に家財を積み坂(旧道)を下って来た一家が立往生して途方に暮れていた。それを見て橋の向こう側の「魚徳」の家中の人たちが荷物を背負って川を無事渡らせてくれた。助けられた人は片桐さんといい、その後横浜で貿易商として成功し、ご恩返しにと魚徳さんの次男五郎さんを引取り画学校に通よわせた。五郎さんは看板屋を手はじめに、塗装工芸社を興し成功した。『町田の民話と伝承(第二集』

Dsc02449_1 大橋坂(旧道)

新道の坂下近くから右に入り図師大橋のところで新道に合流する。

Dsc02451 坂上方向

Dsc02454 大橋坂

図師大橋から坂上方向

Dsc02453 図師大橋から鶴見川

Dsc02455 結地蔵(図師交差点のそば)

目と口を少し開いたユニークな顔の地蔵さん。

Dsc02459 鎌田坂(新道) 図師交差点の南の宮川橋から南東に上る。《地図

坂名の由来不明。このあたりの字名なのか?

Dsc02460 鎌田坂(旧道の鎌倉街道)

右に入って上る坂。左は新道。坂下にあるという縁切不動も道標も見当たらず。「縁切不動」は、ここを男女が仲睦まじく通りかかると、不動さまの怒りに触れ、仲を引き裂かれたという。『町田の民話と伝承(第二集』 また、『町田の民話と伝承(第一集』には、坂に面した2軒の家の娘と下男が恋仲になり駆け落ちをしたが連れ戻された。娘との仲を引き裂かれた男は不動さまの前で首を吊ってしまった。以来、この地区では縁談や婚礼の時は特に不縁になる、不吉だというので、この坂の往来をさける風習になったと伝えている。

Dsc02467_2

旧道の坂上方向

正面の建物から右に大山道が分岐する。縁切不動と道標は坂下ではなくこの分岐点にある(あった)のか?
宮前様からコメントをいただきました(下欄)。縁切不動は鎌田坂の坂上近くの簗田寺に移されているそうです。(2011年6月24日)

Dsc02466_1 坂下方向

Dsc02464 坂上から

坂上を行くと新道に合流する。

Dsc02468 圓福寺(図師町の芝溝街道の並木交差点そば)

見ればただちに失明するという秘仏の「あかずの不動」があるそうだ。元和年間(1615~1623)の創建という。住職さえ見たことがないという秘仏は本当にあるのか疑わしい。誰にも見せず、見たことがない物なんて存在価値がないに等しいのでは。

Dsc02476_1並木交差点から北方向に野津田高校の方へ上る坂。

「動物注意の標識」

Dsc02478_2 小野路町案内図

小野路一里塚」、「旧大山みち」の記載がある。

Dsc02481 小野路一里塚(復元) 野津田総合運動場近くの旧大山道(鎌倉街道上の道)沿い。

久能山に埋葬された徳川家康の遺骸を日光に移す際にここを通った。この時に木曾や小野路に一里塚を築いたものと思われる。『町田の歴史をたどる』

Dsc02479_1 一里塚説明板

Dsc02483_2 小野路一里塚から南に向う大山道。

Dsc02486 向坂(旧大山道) 小野路一里塚から北に下る大山道。《地図

家康の柩の車の軸がこの坂を下る時に折れ大変難儀した。この時、乞田村(多摩市)の鍛冶屋を呼び、至急に鉄の棒を修理したため一行は無事に府中へ着くことができた。これらの労働にむくいるため、幕府は小野路村、木曾村など、この時に難儀をかけた村々にたいして、東海道や甲州街道からの助郷にたいしては永久に免除するという特命を出した。『町田の歴史をたどる』

Dsc02487 坂上方向

Dsc02492 坂の途中の石仏を安置した小堂。

Dsc02493_2 坂下近くから

Dsc02488_1 向坂(新道) 旧道の西側の町田日野線。向坂バス停あり。

Dsc02497 坂下近く

坂下左側が小野神社。

Dsc02503 小野神社

小野篁(たかむら)の七代の孫の孝泰が武蔵国の国司として天禄年間(972)頃赴任し、小野路のこの地に篁の霊を祀ったことに由来すると伝える神社。
琵琶湖西沿いの「西近江路」の小野地区に小野篁神社がある。

Dsc02506_3岩子山千手院(小野路町の岩子山交差点(鎌倉街道)のところ)

関東八十八カ所霊場の第六十四番霊場。

Dsc02507_1 観音堂から

Dsc02521_1 赤坂 鶴川3-1と3-8の間を南方向に下る。《地図

両側に赤土のむき出した切通しの坂で坂下から見ると途中は真っ暗だ。

Dsc02520 坂下の石造物

二十六夜塔・地神塔・巡礼供養塔・庚申塔・地蔵尊らしい。

Dsc02522_1 坂上方向

Dsc02529 坂下方向(赤坂は右の道)

左側に稲荷の小社。

Dsc02528_2 坂上方向

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年12月27日 (水)

町田市の坂-2

2006年12月27日

玉川学園駅(小田急線)・・・ふれあい坂・・・花影坂・・・なかよし坂・・・月見坂・・・無窮坂・無窮会図書館・・・のらくろ坂・・・ころころ坂・・・竹坂・・・うぐいす坂(男坂)・・・うぐいす坂(女坂)・ぬぼこ本宮・・・玉川学園駅

 玉川学園駅周辺の10の坂を歩きました。坂の名は「玉川学園の地域を考える住民懇談会」が住民に行ったアンケートによりつけられました。ふれあい坂から月見坂までの4坂は駅の西側の坂で、花影坂は円弧を描くように左回りで上っています。なかよし坂は通行の多いけっこう長い坂で、坂上に幼稚園や小学校があります。月見坂は一直線の急坂で、とくに坂上近くで傾斜がきつくなります。

 月見坂の坂下から小田急線の線路を渡ると無窮坂で、北に平行してうぐいす坂(女坂)までの6坂が並んでいます。のらくろ坂、ころころ坂は直線的な急坂で、「のらくろ」もびっくり、おむすびがころころ転がって止まらないような坂です。玉川学園には「のらくろ」の作家の田河水泡や遠藤周作、歌手の五輪真弓などが住んでいたそうです。竹坂はゆるやかな坂で坂上近くに竹林があります。うぐいす坂(男坂)は男坂というように見事な急坂で、うぐいす坂(女坂)はゆるやかで坂に面してスサノヲ命を「ぬぼこ山本宮」があります。鳥居をくぐりると両側が竹林の参道で別空間へ続いて行くようです。社殿は新しく宮司さんに伺ったところ何年か前に放火され去年?新築されたそうです。祭殿内には初詣用の破魔矢などが用意されていました。

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc02348 ふれあい坂

Dsc02349 坂標の立っている所から坂上方向

玉川学園駅の西側から玉川学園文化センターの方へ上る。《地図

Dsc02351 坂上から

Dsc02353 花影坂 玉川学園2-18と2-17の間を左に円を描くように回って上る。《地図

桜がきれいな通りなのでこの名がついた。

Dsc02354 坂下から

Dsc02356_2 坂下方向

Dsc02357_1 坂上方向

Dsc02368_1 なかよし坂 駅西交差点から西へ曲がりながら玉川中央幼稚園へ上る。《地図

坂上の幼稚園や小学校にちなんで名付けられたのだろう。

Dsc02362 坂上から

正面右側が玉川中央幼稚園

Dsc02363_1 坂下方向

Dsc02369_1 坂上方向

Dsc02379_1 月見坂 玉川学園2-1と2-5の間を西に上る。《地図

月が坂の真下から上ってくるように見えるという。

Dsc02372 坂上から

Dsc02376_1 坂下から

Dsc02385_2 無窮坂 玉川学園8-8と8-9の間を東に上る。《地図

坂上近くに無窮会の図書館がある。

Dsc02384 坂下から

Dsc02386 無窮会図書館の所から

財団法人無窮会は東洋学を研究する機関でかつては新宿区西大久保にあった。

Dsc02389 無窮会図書館

Dsc02399_1 のらくろ坂 玉川学園7-1と7-9の間を東に上る。《地図

坂上に漫画「のらくろ」の作者の田河水泡が1969年より住んでいた。

Dsc02395坂上から

Dsc02397_1 坂上方向

Dsc02398_2 坂下方向

坂下正面は小田急線。

Dsc02401_1 ころころ坂 玉川学園7-1と7-4の間を東に上る。《地図

昔話の「おむすびころりん」に出てくる急坂を思わせることから名づけられた。

Dsc02402_1 坂下から

Dsc02404 坂上から

Dsc02415 竹坂 玉川学園7-4と7-5の間を東に上る。《地図

坂上近くに竹林がある。

Dsc02408 坂上から

右側に竹林

Dsc02414 竹林

Dsc02410 坂下から

Dsc02417_1 うぐいす坂(男坂) 玉川学園7-5と7-8の間を東に上る。《地図

Dsc02416_1 坂下から

Dsc02423 坂上近くから

Dsc02425_1 坂上方向

Dsc02440 うぐいす坂(女坂) 玉川学園7-8と7-9の間を東に上る。《地図

Dsc02427_1 坂下方向

Dsc02437_2坂下方向

左側が「ぬぼこ山本宮」

Dsc02429ぬぼこ山本宮(玉川学園7-8)

「瓊寶庫山」と書く。祭神はスサノヲ命ほか。

Dsc02431祭殿内

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月24日 (日)

町田市の坂-1

2006年12月24日

成瀬駅(横浜線)・・・堂之坂公苑・堂之坂・・・(むけい坂?)・・・吹上橋(恩田川)・・・都橋・・・東光寺公園・・・馬坂①・・・成瀬クリーンセンター・・・与兵衛・・・田苗坂・馬坂②・・・東急電鉄長津田検車区・跨線橋・・・つくし野殿山市民の森・殿山わき水坂・・・吹上橋・・・成瀬中央橋・・・(南成瀬小学校)・・・不動院跡(原の不動さま?)・・・めおと坂・・・成瀬駅

 むけい坂の位置がはっきりしません。堂之坂と平行する北側の成瀬中央通りの坂、堂之坂公苑の南側の坂、その一本南側の坂、さらに南側の坂のどれかでしょうか? お嫁さんがこの坂を通ると必ず実家から迎え(昔は「むけい」と言った)が来た。つまり離婚させられ、実家に帰ったという縁起の悪い坂で、お嫁さんはこの坂を通らなくなったといういわれのある坂です。馬坂①は恩田川の都橋から上る鎌倉街道ですが、坂上の方は区画整理で随分変わってしまっているようです。

 与兵衛坂、田苗坂は成瀬クリーンセンターの南側の鎌倉街道から上る坂で、与兵衛坂の手前の坂下近くには珍しい天狗童子(烏天狗)の道祖神が立っています。田苗坂の途中に「田苗坂改修記念碑」(昭和30年初期)が建っているはずですが二往復しても見当たりません。坂の途中の一角に工事車両が並んでいたので工事で撤去されてしまったのかとも思いました。馬坂②は田苗坂の途中から右に分かれて上る坂で、田苗坂が改修される前は田苗坂の上り口が馬坂の上り口だっだそうです。(田苗坂の上り口はもう少し東寄りにあったのだろう) 与兵衛坂、馬坂②は今はあまり通られていないようでいずれ廃道になってしまうのでは。

 田苗坂の坂下から鎌倉街道を東に進み義民供養塔などのある一画を過ぎ、横浜市緑区長津田町に入りました。田園都市線の線路沿いに西に行き、跨線橋で検車区と横浜線を越え、線路沿いに西に進むとゆるやかな下りとなり、つくし野殿山市民の森の所から傾斜がきつくなります。これが殿山わき水坂です。

 坂下から北に上り下りして再度、吹上橋に出て成瀬中央通りから北側の古道(鎌倉街道?)へ入りました。南成瀬小学校のあたりから下って、上り、高ケ坂方向に下るのがめおと(夫婦)坂のようです。傾斜もゆるやかで、らくだのこぶのようだったという面影はありません。坂の近くにあった「原の不動さま」(南成瀬2-16の不動院のことだろう)はなく、跡地に集会所の建設予定の標示板が吊るしてありました。そこから南に成瀬中央通りまで上り東に成瀬駅に向いました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02252 堂之坂公苑(南成瀬5-8)

江戸時代、地頭旗本井戸氏の米蔵があった。

Dsc02253 「井戸氏の米蔵」説明板

Dsc02258 堂之坂(坂途中から坂下方向) 堂之坂公苑の北側を西に上る。《地図

東雲寺が開山する前には成瀬駅近くに慈眼寺という真言宗の寺があったと伝えられている。その寺からまっすぐ下ってくる参道の一部が現在の堂之坂。坂の途中にお堂があり、旅人はこのお堂に立ち寄り旅の安全を祈ったので、いつしか堂之坂と呼ばれるようになったといわれている。お堂には堂守りがいたらしく、堀江家には「堂守りの墓」といわれる古い墓石が残されていた。この墓石は堀江家の墓地と共に現在は共同墓地へ移されている。『町田の民話と伝承(第二集』

Dsc02259 坂下から

左側が堂之坂公苑・坂上右側が堀江家

Dsc02271 東光寺公園(南成瀬7-17)

都橋の東側の公園。東光寺は南成瀬8丁目にあった「与兵衛坂」ゆかりの寺。

Dsc02270 馬坂①(坂下から) 南成瀬7丁目の都橋(恩田川)から南西に上る。鎌倉街道上ノ道。《地図

この坂は成瀬から小川を通り鶴間の店屋(まちや)に通ずる鎌倉古道にあり、一時は往来の多い所だった。荷物のある時は馬でなければ上れなかったので、「馬の坂」と言われるようになり、今では「馬坂」と言っている。南成瀬7丁目、6丁目から小川1丁目にかけての坂だったが、区画整理事業で昔の面影を残している所はない。『町田の民話と伝承(第二集』

Dsc02268 坂途中から坂下方向

Dsc02265_1 坂上方向

Dsc02279_1 与兵衛坂の手前(西側)の坂下

左側に天狗童子立像(烏天狗)道祖神・地神塔

右側に地蔵庚申塔

Dsc02275_1 天狗童子道祖神・地神塔の説明板

Dsc02276 天狗童子(烏天狗)道祖神

全国的にも類例を見ない天狗童子の像。成瀬に3体あるという。

Dsc02278 地神塔

嘉永2年(1849)の建立。

Dsc02282 丸彫地蔵庚申塔説明板

享保8年(1723)の建立。

Dsc02283丸彫地蔵庚申塔

Dsc02281_1台座の頬づえをついた猿

Dsc02285_1 烏天狗道祖神などの石造物がある所から上る坂。

坂上を進むと与兵衛坂の坂上に出る。

Dsc02340 与兵衛坂 南成瀬8-11と8-10の間を南に上る。坂上左側に墓地。《地図》(道筋の標示はない)

昔、東光寺(南成瀬8丁目)に「与平」という名医がいた。この医者に診てもらうには馬坂(与兵衛坂の東側の馬坂②のこと)を通らねばならなかった。そのうちに一刻も早く診てもらいたい気持ちから近くの崖をよじ登って診察を受けに来るものが出るようになった。親切で患者思いの与平は、崖を切り通して近道を作り患者の便を計った。人々はこの坂を感謝と敬意を込めて「よへい坂」というようになった。『町田の民話と伝承(第二集』

Dsc02337_1 与兵衛坂説明板

Dsc02334 坂下から

Dsc02330_1 坂上から

Dsc02289 田苗坂(坂下から) 南成瀬8-10と8-3の間を南方向に上る。与兵衛坂の東側の坂。

坂のなかほどにどんな日照りの時でも清水の湧き出る溜池があった。村人はこの溜池に苗床作りの間、籾を浸しておき時期をみはかり苗床に籾まきをした。田の苗を浸しておく溜池がある坂道というので、いつとはなしに田苗の坂、「田苗坂」と呼ぶようになった。『町田の民話と伝承(第二集』

Dsc02291 坂上方向

坂の途中にあるという「田苗坂改修記念碑」が見当たらず。

Dsc02292 坂上から

Dsc02342 馬坂② 田苗坂の途中から右(南西)に分かれて上る。(地図に道筋の標示はない)

与兵衛坂の由来話に出てくる坂。廃道に近い感じ。

Dsc02346_1 坂途中から坂下方向

Dsc02345_1 坂上近く

Dsc02295 義民原嶋源右衛門供養塔

享保14年(1729)の建立。

Dsc02294_1 説明板

Dsc02297 庚申塔(横浜市緑区長津田町)

かなり磨り減っている。

Dsc02306 殿山わき水坂 つくし野1丁目のつくし野殿山市民の森と横浜線の間を東に上る。《地図

Dsc02302 坂上から

左側がつくし野殿山市民の森

右側が横浜線

Dsc02304 つくし野殿山市民の森

Dsc02308 坂下から

Dsc02316_1 めおと坂 南成瀬3丁目の南成瀬小学校の南側を西に下り、上って、高ケ坂へと下る。《地図

原の不動さまの近く。この道は成瀬街道ができるまでは重要な古道で往来も多かった。道の起伏がラクダのこぶに似た形で、成瀬分は高ケ坂の倍の大きさがあった。成瀬側を男、高ケ坂側を女にたとえ「夫婦坂」と呼ぶようになった。『町田の民話と伝承(第二集』

Dsc02323 成瀬側の坂上。

高ケ坂側に下る

Dsc02321 高ケ坂側へ下る

Dsc02317 不動院があった所(南成瀬2-16)

集会所が建つらしい。

Dsc02326 不動院跡から成瀬中央通りへ上る坂(坂上から)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月16日 (土)

相模原市の坂-9

2006年12月16日

古淵駅・・・ひのき坂・ひのき階段・・・ひのき橋(境川)・・・(横浜線)・・・(国道16号)・・・むじな坂・・・(国道16号)・・・日枝神社・・・幸延寺坂・幸延寺・・・下森鹿島ハナミズキ通り・・・(小田急線)・・・鹿嶋神社・青柳寺・・・地蔵様の坂・・・おみやの坂・長嶋神社・石上社・・・道正(どうしょう)坂・・・国道16号・・・相模大野駅(小田急線)

 「ひのき」は小字名で、坂、階段、橋、公園と「ひのき」の名がつく所が多くあります。ひのき橋から境川沿いに横浜線をくぐり進むと新しく開かれたきれいでけっこう急な坂が鵜野森中学校の方へ上っています。国道16号を越えてむじな坂へ向いましたが、今はこのあたりはありふれた新興住宅街で、むじなやたぬきの出るような雰囲気は全くありません。むじな坂も幅の広い短い道で、坂とは呼べない感じ。このあたりはかつて大沼、中沼、小沼があり、むじな坂は小沼へ下っていた坂のようです。今のように家が建て混んでなく、草木が生い茂る寂しいところでむじなも出たのでしょう。あまりの変わりように狐か狸に化かされたようでした。

 東に向い再び国道16号を越え幸延寺坂を下りました。昭和11年に寺の近くの畑から2万枚もの古銭が発見されました。北条氏の家臣だった寺の開基が小田原城落城の際にこれを持って逃走したとのこと。「坊主丸儲け」とはこのこと。坊さんもやるもんだ(ただし、この時はまだ武士だったのだろう)。幸延寺坂の坂下から下森鹿島ハナミズキ通りを南に、小田急線をくぐると町田の駅に近いせいか車の渋滞の列。青柳寺は武相困民党発祥の地の記念碑があります。

 南に行くと坂下に子育地蔵の小堂がある地蔵様の坂。ここの地蔵さんは重ね着をさせられているせいかよく太って見えます。さらに南に長嶋神社前のおみやの坂へ出ました。神社の向いの石上社の小祠には二宮金次郎の小さなの像が祀られていました。坂の途中から神社に沿って進むと道正坂の石段が下っています。坂上あたりは道正山と呼ばれ、古墳時代末期の横穴墓も残っています。坂下は上鶴間高校でその南側は町田市で、大和市との境もすぐ近くです。国道16号に出て北へ、相模大野駅へと向いました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02181_1 ひのき坂 古淵4-17と4-32の間を西に上る。《地図

小字名による坂名。坂上は鎌倉道。坂上の南側にひのき階段がある。

Dsc02177 坂下から

Dsc02185 ひのき橋(境川)から

正面は横浜線

Dsc02187 境川から鵜野森中学校方向へ上る坂

新しく開かれた坂らしい。

Dsc02188_1 坂上近くから

Dsc02189 むじな坂(坂上から) 若松2-1と3-46の間を北西に上る。《地図

かつて坂下には小沼があった。草木が生い茂りむじなの出るような所だったのだろう。

Dsc02190_1 坂下から

Dsc02191_1 道祖神

幸延寺坂の坂上近くの分岐点

Dsc02193 日枝神社(幸延寺坂の坂上)

Dsc02200_1 幸延寺坂 鵜野森2丁目の幸延寺の南側を西方向に上る。《地図

Dsc02194_2 坂上から

Dsc02195 坂上方向

Dsc02199 幸延寺

日蓮宗鎌倉妙本寺の末寺。

Dsc02198 説明板

Dsc02202 坂下から

Dsc02205 鹿島神社(上鶴間本町3丁目)

Dsc02212 青柳寺(鹿島神社の隣)

日蓮宗身延山久遠寺の末寺

Dsc02211_1説明板

Dsc02210 武相困民党発祥の地記念碑

Dsc02216 地蔵様の坂 上鶴間本町6-24と6-28の間を南西に上る。《地図

Dsc02218 坂下から

Dsc02219_1 子育地蔵

Dsc02221 坂上から

Dsc02227_1 【坂標】・道祖神

Dsc02223_1おみやの坂

上鶴間本町9丁目の長嶋神社の北側を南西方向に上る。《地図

Dsc02226 坂下方向

右が長嶋神社、向かい側に石上社の小祠がある。

Dsc02229 長嶋神社

Dsc02231_1 北向庚申(境内)

Dsc02233 道正坂 上鶴間本町9-16と9-18の間を南西に上る石段。《地図

かつて道正院があったと伝えられる。『さがみはらの地名』

Dsc02238 坂上から

Dsc02236 道正山の横穴説明板

Dsc02234 坂下から

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年12月14日 (木)

相模原市の坂-8

2006年12月14日

淵野辺駅(横浜線)・・・やまねの坂・・・第六天坂・第六天の祠・・・八王子千人同心旧家・・・皇武神社・・・おおざか・・・縁切榎(淵辺義博の伝承)・・・龍像寺・・・龍像寺坂・・・境橋(境川)・・・かわじま坂・・・鹿嶋神社・・・大日堂・・・しも坂・・・うとう坂・・・古淵駅(横浜線)

 やまねの坂、第六天坂は今はゆるやかで、「山のふもと」という感じはしません。縁切榎は中山道板橋宿のが有名ですが、ここの縁切榎には淵辺義博の伝承があります。義博は足利直義の命で護良親王を殺害し、その後討死します。実は護良親王を殺さずに奥州石巻まで送ったというものです。義経が大陸に渡ってチンギス汗になったり、真田幸村が落ち延びて薩摩へ行ったり、西郷隆盛もロシアに生き延びたといった日本人の判官びいきのなせる技なのでしょうか。

 龍像寺にも淵辺義博の龍退治によって建てられた寺という伝承があります。かわじま坂は坂全体が舗装工事で重機の作業中。このあたりが島のような地形だったのだろうかとゆっくり見たり、考える余裕もありませんでした。大日堂は井出の沢の合戦(建武2年・1335年)(この合戦中に淵辺義博は護良親王を殺害した)の古戦場だったと伝えられ、うとう坂ともゆかりのあるお堂です。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02094 やまねの坂 淵野辺本町2丁目の山王公園の南側に沿って西に上る。《地図

「山の根=麓(ふもと)の坂」という意味だったのでしょうか。第六天坂からやまねの坂までつづく道を「久保沢道」といい、第六天坂から分かれて上溝方面につづく道を溝(芝)街道といいます。別名の山王坂はこのあたりの字「山王平」からで、これは坂上近くの山王日枝神社に由来します。『さがみはらの地名』

Dsc02093 坂上から

Dsc02442_1 山王日枝神社(境川の宮前橋の近く)

やまね坂の別名の山王坂の由来となった神社だが、坂上からはかなり離れている。

Dsc02443 山王日枝神社由来書

Dsc02095やまねの坂の坂下から

Dsc02096_1 坂下の延命地蔵堂と稲荷社

Dsc02098 地蔵堂の後ろの石造物

安置されているというより片付けられて一緒にまとめられているといった様子。

Dsc02101_1 第六天坂 淵野辺本町3-34と3-35の間を北西に上る。《地図

坂の途中に淵辺義博の屋敷の北端にあったという「第六天社」がある。『さがみはらの地名』

Dsc02100_1 坂上から

Dsc02103_1 新しい第六天祠と記念碑

Dsc02102_2 記念碑

Dsc02104 坂下から

Dsc02105_1 根岸橋(第六天坂の坂下近く)

右から庚申供養塔(宝暦8年(1758))・道祖神(文政?年)・道祖神・秋葉大権現(文化5年(1808))・不明(天保6年(1835))

Dsc02107 八王子千人同心小川家(淵野辺本町3-40)

Dsc02106_1 説明板

八王子千人同心は上級農民で結成され、甲州口や日光東照宮の警備にあたった。『千人同心日光道』もある。

Dsc02108 地蔵さん(千人同心家敷地内)

Dsc02110 皇武神社(淵野辺本町4-20)

Dsc02111 おおざか 東淵野辺1丁目の東小入口交差点から北東に下り、西方向に入り中里橋の方へ下る。《地図

古くから当麻山へ向う主要な大きな坂だった。

Dsc02116 坂上から

Dsc02117_1 途中から右に入り下る。

正面の細い道

Dsc02120_1 坂下から

Dsc02121 縁切榎と道祖神

何代目かの榎なのか。

Dsc02118_1

淵辺義博は淵野辺村の地頭だった。建武2年(1335)足利直義(足利尊氏の弟)の命で護良親王(後醍醐天皇の皇子)を殺害したという。その後、駿河国手越河原の戦いで討死した。
*参考:『相模原の歴史シリーズ

Dsc02119_1 縁切榎説明板

淵辺義博は護良親王を殺さず、龍像寺の裏山の穴に隠し、この榎の下で妻子に縁を切り、別れ橋(中里橋)の上で別れを告げ、親王と奥州石巻へ落ち延びた。

Dsc02128 龍像寺(東淵野辺3丁目)

淵辺義博が境川の「龍池」という淵に住んで人々を苦しめていた龍を退治した。龍の体はバラバラとなり四方へ飛び散った。頭が落ちたところに龍頭寺、胴体が落ちたところに龍胴寺、尾が落ちたところに龍尾寺を建て、龍の供養とした。このうち現存しているのが龍像寺(龍胴寺)といわれている。『さがみはらの地名』

Dsc02124 説明板

Dsc02129_1 龍像寺に沿う道

ゆるやかに上り龍像寺坂へ

Dsc02130_2 道沿いの石造物

Dsc02132_2 龍像寺坂 東淵野辺3丁目と町田市の境の境橋から南西から南方向に上る。《地図

Dsc02145 坂下方向

Dsc02135_1 坂下近く

右の道が龍像寺へ

Dsc02140_1 龍像寺坂(磯部街道)と当麻山道の分岐点

磯部街道は「大山道」「同者道」「木曾道」とも呼ばれた。

Dsc02142 左が龍像寺坂・正面の未舗装の道が当麻山道

Dsc02139 当麻山道を入ったところから龍像寺坂方向

Dsc02148 境川(境橋から)

龍像寺坂の坂下

Dsc02150 かわじま坂 古淵1-29と1-32の間を南東に上る。《地図

このあたりは昔、島のような地形だった。【坂標】

Dsc02149 坂上方向

Dsc02151 坂途中から坂下方向

全面道路工事中でこの上は工事車両で塞がれていた。

Dsc02153_1 鹿嶋神社(古淵1-33)

新田義貞が鎌倉攻めの時に建立したという言い伝えがある。

Dsc02155_2 説明板

Dsc02158_1 大日堂(古淵1-34)

もとは南側の崖下(うとう坂(お堂坂)の坂下)にあった。

Dsc02156 説明板

Dsc02157_1 境内の石造物

/p>

Dsc02162 しも坂の坂下近く(左)・うとう坂の坂下(右)

正面に坂標

Dsc02165_1 しも坂(坂上方向) 古淵1丁目と町田市の境近くの境橋西交差点から曲がりながら南方向に上る。《地図

坂の周辺を「しも」という。『さがみはらの地名』

Dsc02170 坂下方向

Dsc02161_2 うとう坂(坂下から) しも坂の坂下近くから南西方向に上る。《地図

もとは「お堂坂」で、大日堂が江戸時代までは坂のすぐ下にあったからという。ところが元禄5年(1692)の検地帳には「うとう坂」の名が見え、「うとう坂」の名も浸透していたことが認められる。坂の両側が切り立ち、その上に樹木が覆いかぶさり、空洞状になっている。このような状態を「うつろ」「うろ」などといい、これが転訛したものだと考えられています。『さがみはらの地名』 
この説明は、「うとう」は烏頭であって、「善知烏(うとう)」のくちばしに似たような地形、坂下に川や橋があり(またはかつて坂下に川があった)、その坂が岡の終わりで、平地へ突き出ているところをいう。『江戸の坂 東京の坂』(横関英一著)には全く触れていない。今も坂下近くに境川が流れ、境橋も架かっているのだが。昔はしも坂を横切り境川近くまで下っていたのでは? 
*「うとう坂」については、「白河市の坂」の善知鳥坂を参照。

Dsc02174 坂下方向

Dsc02172 坂上方向

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月13日 (水)

相模原市の坂-7

2006年12月13日

下溝駅(相模線)・・・市営峰山霊園・自然散策の森・・・みねん坂・勝坂歴史公園・・・まがり坂・・・勝源寺・・・石楯尾(いわたてお)神社・・・ねこ坂・・・勝坂遺跡・・・(相模線)・・・能徳寺・・・日枝神社・・・磯部の渡し跡(磯部取水門・磯部頭首工公園)・・・(相模線)・・・順光寺坂・・・八幡坂・磯部八幡宮・厳島神社・・・下溝駅

 みねん坂とまがり坂は峰山(勝坂歴史公園と米軍キャンプ座間の一部)をはさむ坂で、両方の坂とも「峰の坂」とも呼ばれていたそうです。まがり坂は大した曲がりもなく途中で行き止まりです。かつてはその先のキャンプ座間の敷地内を曲がって上っていたのでしょう。勝坂歴史公園には歴史を感じさせる物は何もないようでした。

 ねこ坂も名前のわりには今は平凡の坂でした。順光寺があったという順光寺坂の位置がはっきりしません。相模線の線路沿いの坂としましたが坂標もないので違っているかも知れません。午前中は晴れていたのにだんだん曇ってきて、小雨もぱらついてきました。順光坂上から八幡坂を下り、意外に小さな厳島神社から磯部八幡宮に寄り北へ下溝駅へ急ぎました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02027_1 自然散策の森(霊園の南側)

Dsc02030_1みねん坂 磯部の勝坂交差点から北東に上る。自然散策の森の南側に沿って上る。《地図

峰の坂が訛ってもので、峰山を横切る坂なのでこう呼ばれている。大山道、府中道の要所でもあった。『さがみはらの地名』

Dsc02031_1 坂上方向

Dsc02029_2 坂下方向

Dsc02033_1 勝坂歴史公園(みねん坂の坂下近くの南側)

Dsc02038_2 まがり坂 磯部2116?を東に上る。勝源寺北側。《地図

大きくカーブを描き、上層部では「峰の坂」と名前を変える。峰山をはさんで2つの「峰の坂」が並んでいた。『さがみはらの地名』

Dsc02044_1 坂下から

Dsc02042_2 坂下方向

Dsc02040_2 馬頭観音(左・右)

まがり坂の行き止まりの近く

Dsc02041_1 坂の途中で行き止まり。

この先はキャンプ座間。ここから先の上りが「峰の坂」と呼ばれたのだろう

Dsc02045 勝源寺(磯部2103あたり)

Dsc02047_1 石楯尾(いわたてお)神社参道(磯部2137 勝源寺の南側)

祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)

Dsc02048 石楯尾神社

Dsc02052 中村歯科(勝源寺の南西側)

Dsc02051 中村歯科

こんなレトロチックの建物の中で歯の治療を受けたらどうだろうか。

Dsc02054_1 旧家(中村歯科のそば)

Dsc02067_1 ねこ坂 磯部の新磯小入口交差点から東に上る。《地図

「猫が踊りながら上がっていった」というおかしな話が伝えられている。以前は薄暗い坂だった。『さがみはらの地名』

Dsc02056 坂上方向

Dsc02057_1 坂下方向

Dsc02061_1 勝坂遺跡説明板

縄文中期の集落跡

Dsc02062_1 勝坂遺跡地図

Dsc02065 勝坂遺跡(ねこ坂の北方)

地図のD地区(国指定遺跡)方向

Dsc02063 発掘現場

地図のB地区近く、集落跡か?

Dsc02070_2 磯部の渡し

対岸の猿が島を結ぶので「猿が島の渡し」とも呼ばれ、大山参りの人たちも利用した。

Dsc02073 磯部の渡しあたり

相模川の磯部取水門近く。

Dsc02075 順光寺坂 新磯小交差点から相模線をくぐり、線路(左側)沿いに北に上る。《地図

かつて順光寺があった。

Dsc02077_1 坂上から

右下に相模線。

Dsc02079 八幡坂 磯部八幡宮の北側を北東に上る。《地図

線路向うの右側の小祠は厳島神社

Dsc02083 坂下方向

Dsc02085 磯部八幡宮(磯部1388)

Dsc02090_1 木造不動明王像(市指定文化財)

八幡宮境内の護摩堂内

Dsc02091_1不動明王説明板

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 7日 (木)

相模原市の坂-6

2006年12月7日

原当麻駅(相模線)・・・鳩川・・・天応院・・・姥川・・・フィッシングパーク・・・山の神坂・山の神社(大山祇神社)・・・相模原公園・相模原麻溝公園・・・大正坂(月米坂)・・・谷戸坂・・・大下(おおじも)坂・・・東沢橋(道保川)・・・下溝八幡宮・・・寺坂・清水寺(せいすいじ)・・・三段の滝(相模川・鳩川分水路)・・・下溝駅

 原当麻駅から東へ相模原公園沿いに上り、今は公園内の散策路で落葉で埋まった山の神坂を上りました。公園内を南に女子美術大を過ぎると相模原麻溝公園に続きます。グリーンタワーからの眺めは曇っていて今ひとつ。麻溝公園の南側を西に行くと大きく長い急カーブの大正坂が下っています。坂上近くから直線的に下る細い未舗装の坂が旧道でしょう。

 大正坂の坂下から上る谷戸坂は今はあまり使われていないような切通しの坂で、積もった落葉の上を歩く山道という感じの風情のある坂。昼でも薄暗く、木の根が露出していて夜や雨の日などは歩けないでしょう。谷戸坂の坂上の段丘上を進むと相模が丘病院の前で大下坂の下りとなります。坂下から道保川を渡り下溝八幡、清水寺に寄りました。寺の北側のゆるやかな坂が寺坂です。相模線の線路をくぐり下溝駅近くから相模川の三段の滝広場へ向いました。鳩川が相模川へ流れ込む所が三段の滝のようです。新三段の滝もありますが滝というので期待して行くとちょっとがっかりします。水量の多いときはもっといい景観なのかも。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc01940_2 天応院(下溝810の相模原町田線沿い)

大正坂(月米(つきよね)坂)にゆかりのある「貞心さま」が再興した寺。

Dsc01941_1説明板

Dsc01943_1 手前の傷のあるのは説明板にあるお化け石塔か?

Dsc01950_3 山の神坂 下溝の相模原町田線から相模原公園内を大山祇神社(山の神社)の方へ上る。坂下は町田街道との分岐点。《地図

Dsc01953_2 坂上方向

Dsc01962_2 坂下方向

下は相模原町田線

Dsc01969_2 グリーンタワー(相模原麻溝公園

高さ55m

Dsc01970_1 グリーンタワー展望台(高さ38m)から大山(1252m)

大山街道

Dsc01975_1 大正坂改修碑(坂の途中・旧道の坂下、昭和56年の改修の際の碑) 

下溝1647?の大正坂下交差点から大きく曲がりながら北から南、東方向に上る。《地図

Dsc01979_1 坂上近く

もとは東沢坂、あるいは松原坂といった。大正3年に地域の人々の改修工事の際の大正坂と名づけられた。風土記の月米(つきよね)坂はおそらくこの坂をさすのでしょう。坂上にはむかし「月米松」という大きな松があり、「貞心さま」がひとり二十三夜の月を仰ぎ、亡き夫や娘の面影を偲んだところと伝えられている。「貞心さま」は北条氏照の娘で化粧田(武士の婚姻に際して持参する田地)としてこの地を与えられ、さらには天応院を復興した人です。坂上の畑の中に「二十三夜供養塔」があります。『さがみはらの地名』 二十三夜供養塔は見つからず。

Dsc01974_1 坂上近くから下る旧道

Dsc01976_1 坂上方向(旧道)

Dsc01981_1 坂下方向

Dsc01984_1 谷戸坂改修碑 大正坂の坂下から南方向に上る。《地図

下溝地区の集落名からの坂名。『さがみはらの地名』

Dsc01985_2 坂下から

Dsc01989_2 坂上方向

Dsc01994_3 坂下方向

Dsc02003_1 大下坂改修碑(右)・馬頭観音(左)

下溝1533の大下坂交差点から北に相模が丘病院の西側に上る。《地図

Dsc02000_2 坂上近くから

集落名からの坂名。

Dsc01998_1 坂上方向

Dsc02002_2 坂下から

Dsc02009_1 下溝八幡宮(下溝1479)

溝郷が上溝と下溝の両村に分かれた際に、亀が池八幡宮から分霊して建立されたという。

Dsc02008説明板

Dsc02012_2 寺坂 下溝1458の清水寺の北側を南東に上る。《地図

左前方が清水寺墓地

Dsc02015_2 坂下から

Dsc02013_1 清水寺(せいすいじ)

真言宗の寺

Dsc02018三段の滝下広場

下溝駅の西南の 鳩川が相模川へ合流する所

Dsc02021_2 三段の滝

細い水筋が三段に流れている。

Dsc02017 新三段の滝?

上段の流れは見えにくい。上は新三段の滝橋。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 5日 (火)

相模原市の坂-5

2006年12月5日

原当麻駅(相模線)・・・観心寺(武州31番札所)・・・無量光寺・・・かじや坂・・・ひかげ坂・・・馬坂⑤・・・金山神社・・・子の神坂・・・天満宮・・・無量坂・・・三嶋神社・・・当麻坂・・・あずま坂・当麻東原古墳・・・馬坂⑥・・・浅間神社・浅間坂・・・はけ通り・八景(はけ)の棚・・・八景坂・・・下溝駅

 無量坂の位置がはっきりしないので先に紅葉が見事な無量光寺に寄りました。境内には大きな徳本念仏塔や、あずま坂の由来の東権現堂も移築されています。落葉を掃いている女性に無量坂を聞きましたが分からない様子。近くの坂を回ってからゆっくり探すことにしました。かじや坂は今は使われていないのような道で、ひかげ坂は名の通り「ひかげ」の坂で牛小屋に沿って上ると坂上近くは日当たりがよくなります。馬坂⑤も通行は少ないだろう石段坂、子の神坂は切通しの崖の間から木の根がむき出しになっている間を上る美しい坂です。坂下を行くと天満宮に出ます。

 おおよそ無量光寺周辺の地理が分かって来て、なんとか無量坂の石の坂標の所へ出ました。県道の当麻坂から北に入った三嶋神社も一遍上人に縁がある神社です。当麻坂は新道で旧道のあずま坂の坂上の東原公園に当麻東原古墳があります。馬坂⑥は曲がって八瀬川に下る坂で途中が工事中。当麻坂上から浅間神社へ出て浅間坂を下って上り返し、ハケ通りとも呼ばれた八王子道(相模原茅ヶ崎線)を南に行くと八景(はけ)の棚ですが、天気と季節のせいもあるのか展望はイマイチの感じ、崖の細い道を下って直線的に八瀬川まで下りて八景坂を上ろうとしたら途中から道は途切れたみたいでなんとか下の道路の近くまで来ましたが、そこからはコンクリートの崖で高さがあって下りるのは無理。引き返したら前とは違った所へ出てしまい上の道路へ上がるのに一苦労。「急がば回れ」とはこのこと、まして全然急ぐ必要のない坂道散歩ならなおさらのこととちょっと反省しながら、ハケ通りから八景坂を往復して下溝駅へ向いました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc01783_1 武州31番札所観心寺(原当麻駅西側の相模原茅ヶ崎線沿い)

Dsc01862_1 無量光寺山門(当麻578)

17C初頭の高麗門形式。時宗の開祖一遍上人ゆかりの寺。

Dsc01794 無量光寺案内板

Dsc01866 歌碑と紅葉

「当麻山無量光寺 我は来て 鐘をつくなり ちちはは思いて」 槙田正子

後ろに東権現堂

Dsc01864 東権現堂(無量光寺境内)

元はあずま坂の坂上にあり、坂名の由来になった。

Dsc01868 徳本念仏塔(無量光寺境内)

Dsc01801 無量光寺本堂

Dsc01805_1 かじや坂 当麻の天満宮前の道を南東に行き南に八瀬川に下る坂。《地図

鍛冶屋があったという。『さがみはらの地名』

Dsc01804 聖徳太子碑(かじや坂の坂上近く)

Dsc01810 坂下方向

Dsc01812_1 坂下は牛牧場

Dsc01819_1 ひかげ坂 かじや坂の南側の坂。厚木城山線から北西に上溝バイパスの方へ上る。《地図

一日中日陰なのでこの名がついた。坂標のある坂上あたりは日当たりがよい。

Dsc01814 坂上方向

右側は牛小屋、「牛ふん400円」の看板が電柱に立っている。

Dsc01816 坂下方向

Dsc01817_2 坂上は日当たりがよい。

Dsc01820_1 馬坂 ひかげ坂の坂上の上溝バイパスを越え、ポンプ場の南を下る石段。《地図

Dsc01823 坂下方向

Dsc01824_1 坂上方向

Dsc01826 金山神社(当麻159)

Dsc01827_1 子の神坂 厚木城山線の当麻市場交差点の北側から北東に上る。坂上は夢の丘小学校 《地図

かつて坂上に子の神社があった。

Dsc01833_1 坂上方向

Dsc01839今にも崩れてきそうだ。

Dsc01838_1 坂下方向

Dsc01842_1 子の神坂の坂下近く

Dsc01846 天満宮(当麻39)

Dsc01847_1 「無量坂碑」 当麻543の三友製作所の南側から南方向へ下る。当麻山公園内を通り無量光寺の門前に至る。《地図

Dsc01791_1 無量坂(坂下方向)

Dsc01861 当麻山公園を通って無量光寺の門前へ。

Dsc01875 三嶋神社(当麻702?)

一遍上人の祖父にあたる河野通信ゆかりの神社。

Dsc01871 三嶋神社説明板

Dsc01882 当麻坂 無量光寺南側を東に上る相模原町田線。《地図

当麻山無量光寺による名。

Dsc01896 坂下方向

Dsc01900 坂上方向

Dsc01884 あずま坂 当麻坂の途中から北方向へ東原公園に上る坂。《地図

坂の途中に大正時代まで養蚕の守り神の東権現があり、祭礼の時には店が並ぶほどの賑わいを見せていた。さらに昔には東慶寺という寺があったという記録もある。『さがみはらの地名』

Dsc01886_1 坂上方向

Dsc01890_1 坂下方向

Dsc01891_1 当麻東原古墳説明板

Dsc01893_2

当麻東原(たいまあずまはら)古墳

円墳・直径約16m・7Cの築造。馬塚、名馬塚などと呼ばれていた。

Dsc01876_1 馬坂 あずま坂の坂下あたりから曲がりながら南方向に東下橋?(八瀬川)に下る。《地図

Dsc01879 坂下から

カーブして上る

Dsc01902 浅間神社の坂上

Dsc01905 浅間神社(当麻1621?)

Dsc01910 浅間坂(坂上方向) 浅間神社の前から曲がりながら八瀬川の桧橋へ下る。《地図

Dsc01916 坂下方向

Dsc01923 八景の棚(相模原茅ヶ崎線のバス停八景の棚そば。下溝駅近く)

Dsc01925_1 八景坂 八瀬川の八景坂橋から南東に相模原茅ヶ崎線にに上る。《地図

Dsc01929 坂下の八景坂橋から

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 2日 (土)

相模原市の坂-4

2006年12月2日

橋本駅 バス→望地(もうち)キャンプ場入口・・・法仙坊坂・・・望地弁天堂・望地キャンプ場・・・望地の渡し跡(相模川)・・・馬坂③・・・塩田さくら橋(八瀬川)・・・宮坂①・天地社・・・(相模線)・・・諏訪神社・・・馬坂④・番田橋(鳩川)・・・かじこ橋(姥川)・・・道保川・・・七曲り(西見坂)・・・道保川公園・・・宮坂②・十二天神社・おみたれ水・・・一関橋(道保川)・・・当麻山道・・・古山(こやま)橋(姥川)・・・よべい坂・・・当麻山道・・・一の坂橋(鳩川)・・・(相模線)・・・相模原茅ヶ崎線・・・原当麻駅(相模線)

 12月に入り道筋や神社の境内のいちょうの黄葉と落ち葉が目立つ一日でした。橋本駅からの相模神奈交バスは車内で傘、スポーツ新聞、子どものお菓子などを車内で売っています。買っている人を見たことはありませんが運転手も大変でしょう。法仙坊坂はゴルフ場の間を上る坂で、法仙坊大明神の碑があるはずですが見当たりません。坂上をもっと行った所にあるのか、撤去されたのか。

 望地という地名は海老名市にもあり、望地の坂もあります(海老名市の坂-2(2006年11月10日)に記載)。望地の渡しから上る馬坂③と番田橋から上る馬坂④はともに草競馬が行われたことによる坂名です。馬坂③の坂上近くに庚申塔、望地バス停のそばに三面双体道祖神、二十六夜塔などの石造物が並んでいます。昔からの道筋だったのでしょう。二十六夜塔は初めて見ました。

 望地バス停から東方向に入り八瀬川から天地社の前の宮坂①を上り、相模線を越えて上溝の諏訪神社に寄りました。このあたりから牛の匂いが漂ってきてかなり長い間続きました。緩い馬坂④を下り、道保川公園沿いに七曲りを上りました。大きく曲がる所が5ケ所だったと思います。坂上からは西方向が開ける西見坂です。坂下の道保川公園の水鳥の池をめぐって道保川沿いに南東に行き宮坂②を上りました。坂上から南に広い通りが下っています。

 当麻山道の宮坂②を下り、静かで古さを感じさせる十二天神社の境内から東に当麻山道を進みました。姥川の古山橋を渡ってすぐ分岐して上る左の道が当麻山道で、右がよべい坂、「夜這い坂」です。名前が名前だけに坂標は立っていません。赤土のツルツル滑る坂だったそうですが、今は短い傾斜のゆるい何の変哲もない坂で、ここがよばい坂なのだろうかとちょっと心配になりました。当麻山道を進み途中で左に入り、相模線を越え線路沿いの相模原茅ヶ崎線を南に原当麻の駅に出ました。相模線は単線でドアの開閉はボタンを押す手動式です。駅も電車もきれいで乗客も都内と変わりないですが、なんだか随分遠い所へ来た気分になりました。牛の匂いの中を長い間歩いたせいもあるのかも。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc01594_1 法仙坊坂 田名の田名バーディゴルフの間を北東に上る。《地図

法仙坊は伝説上の人物。大変な荒くれ者で相模川対岸の小沢城の小沢太郎という武士と争ったと伝えられる。「法仙坊大明神」の碑は戦前は祠に納められていて、戦地へ向う人々のお参りで賑わっていた。『さがみはらの地名』 法仙坊大明神の碑が見つからず。→坂上に新しい立派な社ができたそうです。早い時期に行ってみたいと思います。境内に「法仙坊大明神」の碑が移されているかも。2008年5月30日追記)

Dsc01596 坂下方向

Dsc01601_1 望地弁天堂・望地キャンプ場へ下りる坂上の石造物。

Dsc01605_1 望地弁天堂(弁財天の写真も載っている)

Dsc01603 説明板

Dsc01610 望地の渡しあたり

対岸の六倉へ渡ったので「六倉の渡し」ともいわれた。相模川を斜めに渡ったようだ。

Dsc01616_1 望地の渡しの碑

馬坂の坂下に立っている。

Dsc01614 望地の渡しから馬坂へ

このあたりで草競馬が行われたようだ。

Dsc01618_1 馬坂③(坂下から) 田名の鍛冶谷相模原線の望地バス停から西に入り、曲がりながら西方向に下る。《地図

坂下の河原で草競馬が行われ、それに出場する馬がこの坂を通ったことによる坂名。『さがみはらの地名』

Dsc01620 曲がって上って行く。

Dsc01628 石造物(望地バス停の所)

左は三面双体道祖神・その隣は二十六夜塔・その他庚申塔など。二十六夜は月待ち信仰の一つ。「二十六夜待ちの料理」(ただし江戸の話)

Dsc01640 宮坂① 田名塩田の塩田さくら橋交差点から北東に上る。《地図

天地社の前の坂。

Dsc01636 坂上方向

Dsc01637_1 天地社(宮坂の北側)

Dsc01642 坂上から

Dsc01643 諏訪神社(田名827)

Dsc01644_1 番田橋から鳩川

Dsc01645 馬坂④ 上溝の上溝南小学校交差点から北東へ番田橋へ下る。《地図

ここも草競馬が行われ、出場する馬をこの坂でつなぎ止めていた。『さがみはらの地名』

Dsc01647_1 坂下方向

Dsc01651 七曲り(西見坂) 上溝の道保川交差点から道保川公園の南に沿って曲がりながら上る。《地図

別名の西見坂は、明治30年の改修で西方向がよく見渡せるようになったので命名された。『さがみはらの地名』

Dsc01665 左・西見坂碑(年号が正面を向いている)

右・歌碑「自転車をおりて押しゆく落葉坂 七曲りすれば 故郷の見ゆ」 だろうか。

Dsc01658_1坂上方向 

Dsc01664_1 坂上からの西方向の眺め。

うっすら見えるのは大山か。

Dsc01669 水鳥の池(道保川公園

手前は帝王ダリア

Dsc01676 宮坂② 下溝の十二天神社と陽光台7丁目の間を南東に上る。《地図

十二天神社のそばの坂でこの坂名がある。

Dsc01674_1 坂下から

Dsc01677 坂下方向

Dsc01680 坂上方向

Dsc01691 十二天神社(宮坂の南側)

Dsc01685_1 おみたれ水(御垂水)

十二天神社の近くから湧く清水。この清水が道保川に注ぐまでの流れを「みやがわ」という。

Dsc01688 おみたれ水

Dsc01698 当麻山道

当麻山無量光寺への参詣道。村の境なので「境道」、単に「おおみち」とも呼ばれた。「北東 淵野辺方面 南西 当麻方面」とある。

Dsc01702_1 当麻山道

正面は古山橋(姥川)

Dsc01705 古山橋(姥川)から

Dsc01710 よべい坂(右) 下溝の古山橋(姥川)から西に上る。《地図

当麻山道(左)

Dsc01709 よべい坂

「よべい」とは「夜這い」のことで、以前はツルツルすべる赤土の坂で、両手をついて上らねばならなかった。その姿がちょうど「夜這い」のように見えたため。『さがみはらの地名』

Dsc01708 坂上から

Dsc01713 当麻山道

Dsc01714_1 原当麻駅(相模線)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »