相模原市の坂-5
2006年12月5日
原当麻駅(相模線)・・・観心寺(武相観音霊場31番札所)・・・無量光寺・・・かじや坂・・・ひかげ坂・・・馬坂⑤・・・金山神社・・・子の神坂・・・天満宮・・・無量坂・・・三嶋神社・・・当麻坂・・・あずま坂・当麻東原古墳・・・馬坂⑥・・・浅間神社・浅間坂・・・はけ通り・八景(はけ)の棚・・・八景坂・・・下溝駅
無量坂の位置がはっきりしないので先に紅葉が見事な無量光寺に寄りました。境内には大きな徳本念仏塔や、あずま坂の由来の東権現堂も移築されています。落葉を掃いている女性に無量坂を聞きましたが分からない様子。近くの坂を回ってからゆっくり探すことにしました。かじや坂は今は使われていないのような道で、ひかげ坂は名の通り「ひかげ」の坂で牛小屋に沿って上ると坂上近くは日当たりがよくなります。馬坂⑤も通行は少ないだろう石段坂、子の神坂は切通しの崖の間から木の根がむき出しになっている間を上る美しい坂です。坂下を行くと天満宮に出ます。
おおよそ無量光寺周辺の地理が分かって来て、なんとか無量坂の石の坂標の所へ出ました。県道の当麻坂から北に入った三嶋神社も一遍上人に縁がある神社です。当麻坂は新道で旧道のあずま坂の坂上の東原公園に当麻東原古墳があります。馬坂⑥は曲がって八瀬川に下る坂で途中が工事中。当麻坂上から浅間神社へ出て浅間坂を下って上り返し、ハケ通りとも呼ばれた八王子道(相模原茅ヶ崎線)を南に行くと八景(はけ)の棚ですが、天気と季節のせいもあるのか展望はイマイチの感じ、崖の細い道を下って直線的に八瀬川まで下りて八景坂を上ろうとしたら途中から道は途切れたみたいでなんとか下の道路の近くまで来ましたが、そこからはコンクリートの崖で高さがあって下りるのは無理。引き返したら前とは違った所へ出てしまい上の道路へ上がるのに一苦労。「急がば回れ」とはこのこと、まして全然急ぐ必要のない坂道散歩ならなおさらのこととちょっと反省しながら、ハケ通りから八景坂を往復して下溝駅へ向いました。
【地図】写真をクリックすると拡大します。
観心寺(武相観音霊場31番札所)
17C初頭の高麗門形式。時宗の開祖一遍上人ゆかりの寺。
「当麻山無量光寺 我は来て 鐘をつくなり ちちはは思いて」 槙田正子
後ろに東権現堂
元はあずま坂の坂上にあり、坂名の由来になった。
無量光寺本堂
かじや坂 当麻の天満宮前の道を南東に行き南に八瀬川に下る坂。《地図》
鍛冶屋があったという。『さがみはらの地名』
ひかげ坂 かじや坂の南側の坂。厚木城山線から北西に上溝バイパスの方へ上る。《地図》
一日中日陰なのでこの名がついた。坂標のある坂上あたりは日当たりがよい。
右側は牛小屋、「牛ふん400円」の看板が電柱に立っている。
馬坂 ひかげ坂の坂上の上溝バイパスを越え、ポンプ場の南を下る石段。《地図》
子の神坂 厚木城山線の当麻市場交差点の北側から北東に上る。坂上は夢の丘小学校 《地図》
かつて坂上に子の神社があった。
「無量坂碑」 当麻543の三友製作所の南側から南方向へ下る。当麻山公園内を通り無量光寺の門前に至る。《地図》
一遍上人の祖父にあたる河野通信ゆかりの神社。
当麻坂 無量光寺南側を東に上る相模原町田線。《地図》
当麻山無量光寺による名。
あずま坂 当麻坂の途中から北方向へ東原公園に上る坂。《地図》
坂の途中に大正時代まで養蚕の守り神の東権現があり、祭礼の時には店が並ぶほどの賑わいを見せていた。さらに昔には東慶寺という寺があったという記録もある。『さがみはらの地名』
円墳・直径約16m・7Cの築造。馬塚、名馬塚などと呼ばれていた。
馬坂 あずま坂の坂下あたりから曲がりながら南方向に東下橋?(八瀬川)に下る。《地図》
カーブして上る
浅間坂(坂上方向) 浅間神社の前から曲がりながら八瀬川の桧橋へ下る。《地図》
八景の棚(相模原茅ヶ崎線のバス停八景の棚そば。下溝駅近く)
八景坂 八瀬川の八景坂橋から南東に相模原茅ヶ崎線にに上る。《地図》
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