横須賀市の坂-2
2007年1月12日
汐入駅(京浜急行線)・・・どぶ板通り・・延命地蔵尊・・・諏訪公園の坂・諏訪大神社・・・(浦賀道)谷町坂・・・小屋の台・・・うぐいす坂・・・中里トンネル・・・はまゆう公園・はまゆう公園の坂・・・ちこく坂・・・長源寺・長源寺坂・・・中里通り・・・平坂・・・横須賀中央駅(京浜急行線)
主に『坂道風土記 三浦半島』(石井昭 平成3年から6年にかけて神奈川新聞横須賀版に連載)と三浦半島の『坂道散歩』(閉鎖か移動したようだ)のHPを参考に三浦半島の坂を歩きます。
どぶ板通りの延命地蔵尊の少し先から諏訪公園の坂を上って、緑ヶ丘女子校の脇から浦賀道の谷町坂へ出ようとしましたが、金網のフェンスが張ってあり行き止まりでした。このあたりは八幡山といわれた所です。
諏訪大神社へ下り、神社脇の坂を上ると谷町坂の坂上に出ます。ここに浦賀道の標柱が立っています。浦賀道はさらに小屋の台へ上ります。右下に長源寺坂が見えるあたりが一番高いようで大勝利山と呼ばれていた所です。ここから下る浦賀道がうぐいす坂で、途中に坂の案内板が立っています。坂下を行くと平坂の坂上近くの道路元標が立っている所へ出ます。
平坂の坂上から中里通りへ入り、西に行き信号(長源寺坂の坂上あたり)を南西方向に入ると中里トンネルが見えてきます。トンネルの手前で西に石段を上り細い道をはまゆう公園に向いました。この公園は陸軍病院のあった所で、正面に女坂、西側の方に男坂があったようです。
はまゆう公園から西方向に細い道を行き、石段を下るとちこく坂の途中に出ます。この坂は両側の崖に挟まれた谷間を通っている坂で、左右に細い石段坂が何本も上っています。
ちこく坂は南西に上り、坂上から坂本1丁目のバス停そばに下っています。ちこく坂を北方向に下って突当たると、そこは長源寺坂の途中で、長源寺もすぐそばです。坂は東方向から北東に上り大きく南方向にカーブして中里通りへから平坂の坂上へ続いています。平坂を下って横須賀中央駅に出ました。
写真をクリックすると拡大します。
延命地蔵尊(どぶ板通り)
もとは汐入小学校の近くの浦賀道にあり、「洞ノ口地蔵尊」と呼ばれていた。
諏訪公園の坂 本町3丁目の横須賀幼稚園から諏訪公園、緑ヶ丘女子校の方へ上る。《地図》
公園内には、「海軍工廠殉職者招魂碑」「江頭正五郎頌徳碑」(第二代横須賀町長)「動物愛護の碑」「明治天皇御駐蹕碑」など碑が多い。
このあたりを八幡山という。江戸末期から明治時代にかけて海軍工廠の守り神の八幡神社があった。
諏訪大神社(緑ヶ丘34)
谷町坂(坂上の道標の所から坂下方向) 汐入2丁目の汐入小学校の南側を北東に上る浦賀道。《地図》
このあたりは昭和24年まで「谷町」だった。『坂道風土記 三浦半島』
正面奥は汐入小学校
小屋の台へ(谷町坂の坂上から南東方向に上る) 《地図》
「昔時、一小芽屋(ぼうおく)あり、茶菓をひさぎて行人を待つ。故にこの称あり」(横須賀案内記) 日露戦争の戦没者の忠魂を祀る堂があり、山号を大勝利山といった。-以上『坂道風土記 三浦半島』
中央の通りは長源寺坂
うぐいす坂(坂上から) 汐入町2丁目から上町1-29と1-36の間を南東に下る浦賀道。《地図》
「戦後も長い間、木々が生い茂り、昼なお暗い坂道でした。昔は、うぐいすの鳴き声が絶えなかったそうです」(古老の話) 坂上は咸臨丸の副艦長格の浜口英幹が住んでいて「花屋敷」と呼ばれていた。『坂道風土記 三浦半島』
裏面には「神奈川県」とある。大正8年の旧道路法により設置。この地点が国道31号の終点、県道横須賀三浦線の起点だった。昭和27年新道路法により国道31号は国道16号となり、元標の意義は消滅した。『坂道風土記 三浦半島』
はまゆう公園(右側)に沿う坂 上町4丁目と不入斗(いりやまず)4丁目の境。
明治24年から昭和20年まではまゆう公園のあたりは陸軍病院だった。
はまゆう公園の坂(女坂) 《地図》
陸軍病院の正面の坂
公園内の北側の崖下に庭園の「一誠園」と祠の「一誠神社」を設け、患者の憩いの場と精神修養の場とした。『坂道風土記 三浦半島』
「一誠神社」の碑の後ろ側
ちこく坂(坂上方向) 汐入町2丁目の長源寺前の交差点から南から南西に上る。 《地図》
不入斗中学校の所にあった陸軍の重砲兵連隊への坂で、連隊へ遅刻しないように兵隊が駆け上った坂。戦後、地域の発展をねがって千石坂と書かれるようになった。『坂道風土記 三浦半島』
千代田区にも学校、官公庁などに遅れないように上る「遅刻坂」がある。文京区の「三百坂」も似たような由来の坂。『東京23区の坂』・長崎市には3つもある。『他道府県の坂』の長崎市
崖の崩壊止めの柵がしてある。
もとは長源院といい江戸の芝の愛宕下にあった。旧横須賀村楠ケ浦へ移り、天正年間(1573~91)に現在地に移ったという。『坂道風土記 三浦半島』
長源寺坂(坂上方向) 長源寺の前を南東から北東、南東に上る。坂上を行くと中里通り。《地図》
坂下にあった尾鷲宅(汐入町3-1、交番裏の小公園のあたりか)芥川龍之介が大正6年から7年にかけて下宿していた。『坂道風土記 三浦半島』
東京の両国には生育地跡(『竪川を歩く』)、北区の上の坂沿いには旧宅跡がある。(『北区の坂④』)
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