横須賀市の坂-3
2007年1月14日
横須賀中央駅(京浜急行線)・・・龍本寺・・・深田の裏坂・・・(これっきり坂)・・横須賀中央公園・・・文化会館・・・浦賀道・・・聖徳寺坂・赤門・聖徳寺・・・長官邸の坂・海上自衛隊田戸台分庁舎(横須賀鎮守府司令長官邸跡)・・・どうめき坂・・・(県立大学駅)・・・(浦賀道)・・・公卿トンネル前・モチン坂・・・山神稲荷大明神・山崎ふれあいトンネル・・・(堀ノ内駅)・・・浦賀道・・・砂坂・砂坂地蔵尊・・・堀ノ内駅(京浜急行線)
諏訪神社の前を通り、長い石段を上ると龍本寺の裏山で、所々から少し海が望めます。龍本寺の正面の石段を下り少し行き、左に入ると深田の裏坂が下っています。途中の石垣に整地寄付者名の石板が埋め込んであります。坂下近くに神明社、坂下は横須賀共済病院です。上り返して中央公園まで上りました。探していた山口百恵の「横須賀スト-リ-」に出てくる坂にふさわしい坂です。猿島が浮かび房総半島まで一望できます。背後に富士山の見える日もあるそうです。
中央公園から下って、文化会館の前を通って下って行くと三崎街道の手前で浦賀道とぶつかります。浦賀道から分岐している直線的な坂を上り下りすると浦賀道に合流します。そのあたりが聖徳寺坂の坂上で聖徳寺、京浜急行線の方へ下っています。車道に平行する旧道を下り、ガードをくぐると崖下に赤門が見えます。赤門前に円柱形の背の高い道標が立っています。
聖徳寺に寄り寺の西側に沿って長官邸の坂を上りました。途中に検察庁、裁判所があり、坂上の海上自衛隊の分庁舎の所に横須賀鎮守府司令長官邸がありました。「鎮守府」なんて古代を思わせる名で、戦争に勝てるはずがなかろうに。今も広大な敷地で中には散策路もあるようです。自衛隊の分庁舎なんかにしておくのはもったいない気がします。
長官邸跡を迂回して南方向に進むと田戸台と富士見町の境の旧道らしき道に出ました。道の片側の崖上に庚申塔などの石造物が一列に並べられていました。祀られているというより、そこに集められて置かれているという感じで。旧道を進むと新道と合流したあたりからどうめき坂の下りとなり、県立大学駅のガードをくぐります。前は安浦駅だったのですが何でこんなつまらない駅名に変えてしまったのでしょう。
県立大学駅から南東方向に浦賀道を行き三春町1丁目と2丁目の境の通りを右(南西方向)に曲がり、京急線のガードをくぐると公卿トンネルが見えてきます。トンネルの手前で右(南西)に上るのがモチン坂のようです。この坂は庚申塔などの石造物が一列に並ぶあたりから南東方向に下って公卿トンネルの南側に合流します。
公卿トンネルの東側に沿って、歩行者と自転車用の山崎ふれあいトンネルが一直線に山崎小学校の所まで通じています。けっこう長いトンネルで風が冷たく、夏は涼しくて気持ちがいいのでは。トンネルを出て右に行き京急線のガードをくぐって進むと堀ノ内駅へ出ました。駅近くの交番の所を左折して、少し進むと浦賀道で道標が立っています。浦賀道を南東に行き、三春町4丁目と大津町1丁目の境あたりから緩やかな下りとなります。これが砂坂で坂下近くには砂坂地蔵尊の小堂が立っています。
写真をクリックすると拡大します。
「米ケ濱のお祖師さま」と呼ばれる日蓮宗の寺。アワビと角なしのサザエが寺宝。
深田の裏坂 米が浜通1丁目の社会保険事務所交差点から南に入り、横須賀共済病院の脇を通ってカーブして南西に深田台に上る。《地図》
大正8年(1919年)の整地の際の寄付者名。磨り減っていて判読困難だが左端は、「一金壱百円也」と読めるか。
左側は神明社
横須賀中央公園(深田台19)に上る坂の途中から
山口百恵の「横須賀ストーリー」の歌詞を思い出させる。 「♪・・・急な坂道駆け上ったら、今も海が見えるでしょうか・・・♪」 「これっきり坂」と呼ぶとも。
旧日本軍の演習砲台跡
左が浦賀道で聖徳寺坂へ続く
聖徳寺坂(坂上から) 田戸台の聖徳寺の北側を西方向に上る。《地図》
江戸時代の名主、永嶋家の赤塗りの長屋門。前に円柱形の道標。永嶋家は三浦一族の子孫という。
文久2年(1862)に立てられた。
「右 大津 浦賀道」・「左 横須賀 金沢道」
浄土宗の寺
長官邸の坂 聖徳寺の西側に沿って、南東方向に上る。途中に検察庁、裁判所。《地図》
坂上の海上自衛隊田戸台分庁舎が大正2年から終戦まで横須賀鎮守府司令長官の官邸だった。
三猿庚申塔・青面金剛塔などの石造物(列の右側の方) 左端の鼻の高い像は享保の年号がある。
田戸台と富士見町2丁目の間の旧道沿い。
どうめき坂(坂上から) 京浜急行の県立大学駅のガードをくぐり、田戸台と富士見町1丁目の間を南西に上る。《地図》
昔は馬力や牛車が通る急坂だった。「どうめき」(道目木・泥目木)とは、川や滝の音にちなむ地名だという。『坂道風土記 三浦半島』
正面は県立大学駅
モチン坂(坂上方向) 三春町6丁目の公卿トンネルの手前(北側)から南西に上り、南方向に下る。《地図》
坂名の由来不明。
青面金剛塔(左端・文化4年)・帝釈天塔(左から3番目)・庚申供養塔など。
石造物(右端)のあるあたりから下り坂となる。
下って公卿トンネルの反対側(南側)に合流する。
公卿トンネルの東側に沿う歩行者、自転車専用トンネル。
砂坂 三春町4-24あたりから大津町1-3あたりへ東方向へ下る浦賀道。《地図》
昔は近くに白須川が流れていて大正時代までは満潮時には潮がこの先まで遡上した。坂に川が運んできた川砂や砂利が被っていたので砂坂と呼ぶようになったのだろう。坂下近くに砂坂地蔵尊がある。
像の回りの玉砂利(小石)は白須川が運んできたものだろうか。
右側が砂坂地蔵尊
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コメント
純散歩で、今日18日紹介された
投稿: 弘幸 | 2018年7月18日 (水) 10:11