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2007年1月20日 (土)

横須賀市の坂-4

2007年1月20日

追浜(おっぱま)駅(京浜急行線)・・・正光寺・・・浦郷小学校・・・平六トンネルの坂・・・深浦トンネル・・・大国社・・・追浜トンネル・官修墓地の坂・・・正禅寺・・・貝山緑地公園・貝山緑地の坂・予科練誕生の地・・・夏島貝塚・明治憲法起草地記念碑・・・追浜トンネル・・・榎戸トンネル・・・梅田の坂・梅田トンネル・・・京急田浦駅

 小雨のぱらつく寒い日でした。横須賀市はトンネルが多く、82(鉄道用含む)もあり全国一だそうです(現在は変わっているかも) 追浜駅から国道16号を南に浦郷小学校への平六トンネルを目指しましたが、曲がる所を間違えたらしく正光寺の方へ出てしまい、さらに上って海が見える高台まで行ってしまいました。回り込むように細い道を下ると急な石段の下に浦郷小学校が見えてきました。小学校の前に通学路となっている平六トンネルが口を開けています。全長90m、幅3m、高さ2.5mで車の通行は無理のようで、どちらの入口にもトンネルの名前は標示されていません。小学生たちはこのトンネルの名前を知っているのでしょうか?

 浦郷小学校の脇の坂を下り北東方向に進み、浦郷町へ深浦トンネルを抜け深浦のバス停近くにあるという官修墓地を探しました。道端の「急傾斜地崩壊危険地域」の案内地図に官修墓地が載っていましたが、どうも位置がはっきりせず近くの家から出てきた老婦人に聞いてやっと分かりました。追浜トンネルの手前から官修墓地へ石段が上っています。この坂は追浜トンネルを迂回して上って、下る歩道で今はあまり使われていない道のようです。官修墓地からトンネルの北側に下ると正禅寺へ出ます。交差点に突当たり東へ海の方へ行き貝山緑地に出ました。ここは海軍航空隊の構内だった所で「予科練」誕生の地です。「予科練」は霞ヶ浦だと思っていましたが、予科練の歴史の半分以上はこの地だったそうです。緑地内には誰もいなく静かで、小雨に煙った展望台からの港の眺めもいいものです。

 夏島貝塚通りを夏島貝塚まで足を伸ばしました。夏島貝塚は一本の木柱と消えかかった説明板があるだけで中にも入れずちょっと期待はずれ、隣の明治憲法起草地跡の記念碑の方が立派でした。来た道を戻り、追浜トンネル、榎戸トンネルを抜け南西方向に入ると梅田の坂が梅田トンネルまで上っています。このトンネルは地域が協力して完成した、軍用以外では市内で最初のトンネルだそうです。トンネルを抜けて下り京急田浦駅へ向いました。

 今日はトンネルを5つ、7回(平六トンネルと追浜トンネルは2回)くぐりました。傘をさしたままトンネルを歩くのは危ないことに気づきました。「坂道散歩」というより「トンネル散歩」の半日でした。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc03127_1 正光寺の上の高台から

正面に海が見える。

Dsc03136_2 浦郷小学校へ下る坂

Dsc03128_1 平六トンネル(浦郷小学校側から)

浦郷小学校の通学路として地元の努力で昭和14年に完成した。戦時中は軍の倉庫にされ、入口に戸をつけて通れなくされてしまった。浦郷小学校は今年で創立133年になる。

Dsc03132_1 平六トンネルの坂(坂上のトンネル近く)

追浜町2-24と2-28の間を上り、平六トンネルをくぐり、浦郷少学校に出る坂。《地図

このあたりは、かつては「平六が谷戸」と呼ばれていた。『坂道風土記 三浦半島』

Dsc03137_1 深浦トンネル(追浜東町2丁目から浦郷町三丁目へ抜けるトンネル)

Dsc03140_1 大国社(浦郷町2-41)

Dsc03143_3 庚申塔(深浦バス停近く)

右・三猿青面金剛像 明治15年建立。左・二鳥三猿庚申塔) 寛文年間(1661~1673)の建立。角が欠けているのは廃仏毀釈によるという。庚申塔は仏でもないのに。神道以外は何でも排斥したようだ。

Dsc03142_1 庚申塔説明板

Dsc03146_1 官修墓地の坂 深浦3丁目の追浜トンネルの南側の入口の所から官修墓地へ上る。《地図》(上り口の道筋の記載はない)

Dsc03148_1 坂上方向

Dsc03152_1 坂上方向(左が官修墓地へ)

Dsc03155_2官修墓地

明治10年、西南の役から海路帰還中の出征者がコレラによって死亡した。はじめ黒崎の浜に埋葬したが、大正2年ここに移葬された。埋葬されている48柱の遺族はほとんど不明という。

Dsc03154_1 官修墓地説明板

Dsc03161_1 正禅寺(追浜トンネルの北側)

Dsc03162_1 二鳥三猿庚申塔(正禅寺境内)

Dsc03165_1 貝山緑地の坂(浦郷町5丁目の貝山緑地内)《地図

旧海軍航空隊構内。この地に昭和5年横須賀海軍航空隊予科練習部が創設され、やがて「予科練」と呼ばれるようになり、その後、昭和14年に霞ヶ浦湖畔に移り、翌年独立して土浦海軍航空隊となった。

Dsc03180_1 坂下方向

右側に予科練誕生の地記念碑

Dsc03172_2

貝山緑地内

Dsc03178_1 貝山緑地展望台から

小雨の中

Dsc03168_1 「予科練誕生の地」記念碑(貝山緑地内)

Dsc03170_3「生存者一同」の文

Dsc03167_1 記念碑説明板

Dsc03186_1 夏島貝塚(左)・明治憲法起草地記念碑(右)(夏島町の夏島貝塚通り)

Dsc03185_1 夏島貝塚説明板

縄文時代早期(約9500年前)のわが国で最も古い貝塚の一つ。

Dsc03181_1 明治憲法起草地記念碑説明板

伊藤博文らが明治憲法を起草した夏島の別荘跡地に大正15年に建てられた。昭和50年に現在地に移転した。
金沢八景駅近くにも「憲法草創之処」碑が立っている。『鎌倉街道(下の道③)

Dsc03188_2 梅田の坂 浦郷町2丁目の榎戸バス停の南から南西に梅田トンネルへ上る。《地図

かつての浦郷村大字梅田から日向(ひなた)へは、山越えのほかはなく、一気に急坂を上り下りしたという。『坂道風土記 三浦半島』

Dsc03189_2 トンネル記念碑(梅田側(浦郷町)の坂下近く)

Dsc03194_2 坂下方向

Dsc03195_2梅田トンネルへ

周辺地域の協力で明治20年に完成した市内の82のトンネル(鉄道と一般道道を合わせた数字)の中で軍用を除くと市内最初のトンネル。

Dsc03203_2 反対側(浜見台側)から

Dsc03202_3 トンネルを抜けて下りとなる。

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