町田市の坂-6
2007年1月7日
町田駅(横浜線) バス→山ノ端・・・下小山田苗圃・・・代官坂・・・大泉寺(だいせんじ)(小山田城址)・観音堂・秋葉神社・上根(かさね)神社・・・鳥居坂跡?・・・尾根緑道(戦車道路)・・・常盤不動尊・日枝神社・・・尾根緑道・・・南多摩斎場・・・首斬坂跡?・・・小山馬場谷戸公園・冥土坂・牢場跡?・・・中村不動・・・中村地蔵尊・・・米軍相模総合補給廠・・・相模原駅(横浜線)
昨日の雨があがり晴れましたが冷たい強風の吹く中を、戦車、冥土、首斬り、牢場なんて正月早々ぶっそうな、縁起でもないところを歩きました。小山田行きのバスが図師大橋から町田平山八王子線に入り、上って大泉寺を過ぎると山ノ端のバス停です。名前の通り山合いの村の感じが残っているところです。下小山田苗圃から左に入って民家が途切れるあたりから古道の代官坂になりますが、この道は車は通れず、今はあまり通られていない道のようで落葉で埋まっています。この坂が代官坂かは自信はありません。
大泉寺から南に広い道(鳥居坂はこのあたりを通っていた坂だったのか?)を小山田桜台へ上ると小山田トンネルの上をかつて戦車道路と呼ばれた尾根緑道が西へ延びています。鶴川緑地の尾根道も東西に通る遊歩道でしたが、ここの緑道は舗装されて、車道もついています。強風の中をジョギングしている人が目立ちました。尾根緑道を途中、日枝神社、常盤不動尊へ寄りながら南多摩斎場(八王子市)まで歩きました。このあたりに処刑場や牢場があったもといい、首斬坂、冥土坂、字牢場、観音塚などがある(あった)ようですが、今は区画整理で造成され、公園などもでき明るく、大きく変わってしまって昔の寂しい、暗い雰囲気の所ではなくなってしまっています。冥土坂、首斬坂も昔のままの姿では残っていないようです。
冥土坂の坂下から町田街道(浜街道(絹の道))を西に進み、中村不動、中村地蔵尊に寄り米軍の相模補給廠を大きく迂回して相模原駅に向いました。風が午前中より強くなってきました。ついには帰りの電車が強風で止まってしまい、えらい目に会いました。
【地図】写真をクリックすると拡大します。
地蔵さんと道祖神(下小山田町のバス停山ノ端から下小山田苗園に向う道の入口近く)
下小山田苗圃から左(北西)に入る。
代官坂(坂下方向) 《地図》
この道は八王子から鎌倉方面へ向う古道。坂名の由来は不明。最近、八王子にあった大久保長安の代官所と関連づける説があるが地元にはそうした伝承は残されていない。『町田の民話と伝承 第二集』
八石の由来不明
大泉寺山門(下小山田町332)
曹洞宗の寺。境内は小山田別当有重が承安元年(1171)に居舘を築いた小山田城址。
武相三十三番の十一番札所。「馬駆け観音」といい、毎年1月17日の御開扉の日には善男善女だけでなく近在の農家の馬も集まり、参詣をすませた馬は大泉寺の参道を駆けた。また「見合い観音」ともいあわれた。「馬駆け」を見るため参道の両側に向かい合い、その時に「お見合い」が行われた。明治生まれの夫婦の多くは、「見合い観音」で結ばれたという。『町田の民話と伝承 第一集』
火伏の神で、11月16日の夜に「口火祭り」が行われる。この神事は大泉寺の住職と世話人が執り行う「神仏混淆」の神事。
鳥居坂跡?(坂上近くから) 《地図》
小山田緑地の南側から小山田桜台へ南西方向に上る坂。坂上に尾根緑道が横たわる。
大泉寺の東側を「関」と呼び、南方の尾根緑道の八幡平には関守がいた。小山田の関と八幡平を結ぶ道が古道の「鳥居坂」(鳥居峠)で、坂の中腹には「牢場」という地名が残っている。区画整理事業で鳥居坂はなくなったが、坂の由来を書いた「鳥居坂碑」がある。『町田の民話と伝承 第一集』「鳥居坂碑」を探すのを忘れた。この坂の途中にあるのか?
*Steadie様から「鳥居坂碑」の写真を送っていただきました。(下記のコメント)
鳥居坂跡の坂上を進んだところ。
以前は戦車道路と呼ばれていた。相模陸軍造兵廠で製造された戦車のテスト走行をした道路。全長約8km。
尾根緑道から常盤不動尊・日枝神社へ下る坂。(常磐町3230あたりから下る)《地図》
日枝神社(左)・常盤不動尊(右)
由来碑には文化15年(1818)建立とある。
首斬坂跡 南多摩斎場の南側から南東に下る尾根緑道。冥土坂①の坂上から北西に上る。《地図》
このあたりが牢場や処刑場があった所か。
冥土坂① 町田街道の馬場交差点から小山馬場谷戸公園の東側を通り尾根緑道まで上る。《地図》(小山馬場谷戸公園の標示はない)
坂上の尾根の西側は牢場という字名があり、付近に首斬坂、観音塚と呼ばれる場所もある。『町田の民話と伝承 第二集』 小山馬谷戸公園かその上の尾根緑道のあたりに「牢場」や処刑場があったのだろう。
冥土坂② 小山馬場谷戸公園の西側に沿う坂。冥土坂①の一本西側の坂。《地図》
この坂の方が昔の面影がわずかだが残っている。西側は草が生え、墓地もある。そのあたりが「牢場」だったのかも。ただ、この坂は町田街道から直接の上っておらず、坂上も尾根緑道まで上っていない。
坂上近く左側の屋根が中村不動。小山町の町田街道に「中村不動」交差点があるが、今は寂れた小さな社という感じ。
中村地蔵尊(「浜街道(絹の道)」(町田街道)の小山局交差点の南西側)
宝暦6年(1756)から明和、安永、天明と建立され、た13体の地蔵さんが並ぶ。新らしそうな地蔵さんもある。造り替えたのだろうか?
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コメント
写真をありがとうございます。
『町田の民話と伝承(第一集)』を読み返したら、「鳥居坂碑」の裏面の碑文の写真が載っていました。
投稿: 坂道散歩(Steadie様へ) | 2016年8月24日 (水) 08:34
この近くで鳥居坂っていうの見つけたことありますよ。
https://goo.gl/photos/vY8Ux6GmakWeDfUW9
投稿: Steadie | 2016年8月23日 (火) 20:45