横須賀市の坂-9
2007年2月11日
馬堀海岸駅(京浜急行線)・・・浄林寺・・・防大への坂・・・馬頭観音堂・・・馬堀自然教育園・自然教育園の坂・稜威(みいず)神社跡・・・走水トンネル・・・走水海岸・・・三百段階段・・・(なかんちょ道)・・・走水地蔵・・・走水神社・・・大泉寺・円照寺・覚栄寺・・・走水港・・・観音崎公園・・・鴨居トンネル・・・観音寺・・・鴨居八幡神社・・・西徳寺・・・へび道・・・百段階段・・・能満寺・(上の台遺跡)・・・顕正寺・・・乗誓寺・・・八雲神社・・・津守稲荷神社・・・専福寺・・・東林寺・・・東叶神社・恵仁志坂・産霊(うぶすな)坂・浦賀城址・・・法幢寺・・・浦賀の渡し・・・浦賀ドック・・・浦賀駅(京浜急行線)
好天の中、馬堀海岸駅から走水海岸、観音崎、鴨居、東浦賀町と約一周して浦賀の渡しに乗り対岸へ渡り浦賀駅に出ました。
*参考:『浦賀の歴史とふれあう散策ルート』
【地図】写真をクリックすると拡大します。
防大への坂 馬堀町4丁目の馬堀小学校と浄林寺の間を南東に上る。《地図》
坂の東側に防衛大学校
永正2年(1505)創建の浄土宗の寺。
池月は宇治川の合戦で「磨墨(するすみ)」と先陣争いをした名馬。
「馬(池月)」が掘った井戸で「馬堀」の地名の由来となる。今も水が湧いている。
旧陸軍重砲兵学校の敷地。
陸軍重砲兵学校の神社
「兵(つわもの)どもの夢の跡」か
走水トンネル(旧水道トンネル)
三百段階段(坂上から) 走水2丁目の走水神社の南側から防大裏門の近くへ上る階段坂。《地図》
途中から細い「なかんちょ道」が走水神社の上(弟橘媛の歌碑)の方へ通じている。
崖をくり抜いた中に祀られた地蔵。江戸時代の建立と推定。
日本武尊(やまとたける)東征物語ゆかりの神社。
「さねさし 相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」
明治2年(1869)に点灯したわが国最初の洋式灯台。
公園で休んでいると餌をねだりに寄ってくるみたいだ。
正面左側に立つ白い物体は南房総の「東京湾観音」だろう。
観音寺(観音崎大橋の南側の岬の先端)
三浦第十四番札所。寺かと思ったが小さな堂。
鴨居八幡神社(鴨居港の前)
鴨居の鎮守
西徳寺(八幡神社の西)
永禄元年(1558)に開かれた浄土宗の寺。
和田義盛が戦勝を祈願した地蔵
へび道 鴨居郵便局の西側から北方向に小原台小学校の東側を上る。《地図》
百段階段 バス停小原台入口の交番の南側の階段坂。坂上は上の台中学校。《地図》
実際は179段あるそうだ。
上の台中学校あたりは弥生から古墳時代にかけての集落跡。
「木食観正」の石塔(能満寺境内) 上の台中学校の南側。
文政3年(1820)建立
顕正寺(東浦賀町2丁目)
天正元年(1573)に開かれた日蓮宗の寺。
左側は「猿田彦大神」庚申塔?
乗誓寺(顕正寺の前)
八雲神社(東浦賀町1丁目)
もとは満宝院八雲堂という修験の寺。寺院形式のお堂の神社。
津守稲荷神社(八雲神社の南)
北西に船守稲荷神社もある。
専福寺(東浦賀町2丁目)
永正元年(1504)開かれた浄土宗の寺。
一茶の初恋の女性がこの寺に葬られているという。
東林寺(専福寺の東側)
文化6年(1809)稲荷の前で雷電の相撲興行が行われた。
東叶神社(東浦賀2丁目)
恵仁志坂 東叶神社の裏山(奥の院、浦賀城址)の明神山(50m)への223段の石段の下段95段。《地図》
「丹よ起~と帆ばし良寒き入江哉」 (にょきにょきと帆柱寒き入江かな)
浦賀城址から(産霊坂を上った奥の院がある一帯)
戦国時代北条氏が房総の里見氏の攻撃に備えて三崎城の出城として築いた。
右側の岬は燈明崎(燈明堂)・正面は房総半島。ペリーの黒船はこの下の左あたりに停泊した。
山号「円城山」の浄土宗の寺。浦賀城の一廓だった。
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