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2007年2月28日 (水)

大高取山②

2007年2月28日

越生駅(東武東上線)・・・正法寺・・・世界無名戦士の墓・・・五大尊・・・摩利支天・・・(世界無名戦士の墓)・・・大高取山・・・桂木観音・ゆずの里・・・虚空蔵尊・・・大宮神社・・・越生駅

 五大尊から行けばいいものを世界無名戦士の墓の方から行ったため、かなりの道のりを往復してしまった。五大尊から引き返す途中、道を間違え摩利支天の小堂のところに登って道の間違いに気づく。
 随分ロスがあったが山頂まで大したことはない。桂木観音へ下り、ゆずの里から虚空蔵尊、大宮神社と風は強いが寒くなく、梅が咲き道端に小さな花が風に揺れているのどかで静かな道を歩き越生駅に向った。 《地図

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Dsc04614 正法寺

Dsc04612 説明板

Dsc04619_1 世界無名戦士の墓 《地図》の①

Dsc04617 説明板

Dsc04623 五大尊

Dsc04620 説明板

Dsc04621_1 不動明王

Dsc04624 五大尊から

Dsc04626 摩利支天

Dsc04630_1 大高取山へ 《地図》の②

Dsc04631_1 桂木観音 《地図》の③

「桂木」の地名は、行基が東国行脚をした時、大和の葛城山に似ているところからカツラキと名付けたと伝えられているとか。

Dsc04641_1 ゆずの里

Dsc04657_1 虚空蔵尊 《地図》の④

Dsc04656_1説明板

Dsc04670 御神火塔

Dsc04672_1 大宮神社 《地図》の⑤

Dsc04673 由来書

 

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2007年2月27日 (火)

越生町(埼玉県)の坂-1

2007年2月27日

越生駅(東武東上線)・・・法恩寺・・・越生神社・・・大高取山・・・稲荷坂・・・梅園神社・越生梅林・・・石清水観音堂・・・三滝入口交差点・・・岡崎薬師・・・(越生駅)・・・越辺(おっぺ)川・・山吹の里・・・越生駅

 大高取山経由で越生梅林へ行きました。山道から梅林の前に出た通りが稲荷坂です。坂名の由来の稲荷社が見つかりません。梅園神社は三社を合祀したそうですが稲荷社はないようで、境内にも稲荷社は見当たりません。梅林は今日現在、白梅が六分咲き、紅梅が満開だそうですがあまり見ごたえがなく期待はずれ。それでも大勢の見物客で賑わっていました。

 梅林から越生駅への途中に小さな岩清水観音堂がありました。三滝交差点から岡崎薬師に寄り、越生駅に出て線路の東側の越辺川を越え、太田道灌ゆかりの山吹の里に向いました。「山吹の里」の逸話で、新宿区の山吹坂、不動坂を思い出しました。そこでは、山吹の里を「高田の里」とし、面影橋(新宿区西早稲田・豊島区高田)あたりとしています。 
 明治9年までこの付近の小字名が山吹で、昔から山吹が自生していて、昔は近辺に山吹姓を名乗る一族が居たそうです。「山吹の里」伝説が太田道灌の川越城時代の話だとすると、越生町の方がふさわしい気がします。その他、「山吹の里」は、荒川区町屋、横浜市六浦などにもあるそうで、太田道灌は黄門さま、弘法大師と同じで大衆に人気があり、あちこちに登場するようです。

  越生町の「史跡・観光名所

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Dsc04519_1 法恩寺鐘楼

正徳4年(1714)の再建

Dsc04525_1 越生神社

越生氏の舘があったところ。

Dsc04524_1 高取山と越生神社

Dsc04535 大高取山へ

Dsc04532_1 途中から

Dsc04542_1 大高取山山頂(376m)

Dsc04549_1 稲荷坂(坂上から) 越生長沢線のバス停梅林入口からバス停稲荷坂へ南西に上る。 《地図

稲荷社がどこか分からない。梅園神社に関係があるのだろうか?

Dsc04557_1 坂下から

Dsc04556 梅園神社(梅林入口バス停前)

明治40年、小杉の小杉天神社と堂山の近土神社、上谷の三島神社を合祀した。「獅子舞」が伝えられている。

Dsc04553「梅園神社」案内

Dsc04564_2 越生梅林

Dsc04566どうももう一つぱっとしない咲き方だ。

Dsc04577_1 高蔵寺前石造物

Dsc04580_1 弘法山(164m)

Dsc04585 石清水観音堂

Dsc04583 堂内の馬頭観音

Dsc04587小祠

何の祠か、右側面に「文化7年」  左側面に「入間郡黒岩邑己待講中二十一人」?とある。

Dsc04595_1 岡崎薬師(越生町役場のそば)

Dsc04591_1 岡崎薬師由来

Dsc04606山吹の里(越生駅の東側、越辺(おっぺ)川沿い)

太田道灌が川越城主だった時の逸話。
新宿区と豊島区の境の面影橋のそばにも「山吹の里」碑がある。『東京坂道散歩 鎌倉街道』に記載。

Dsc04599_1 説明板

Dsc04602 大高取山(正面奥)

山吹の里から

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2007年2月25日 (日)

横須賀市の坂-13

2007年2月25日

衣笠駅(JR横須賀線)・・・長五郎坂・・・妙伝寺坂・妙伝寺・・・あめや坂・・・駿河坂・・・平作神社・・・おんじ坂・・・新兵衛坂・福昌寺・・・大蔵(だいぞう)寺・瘡守(かさもり)稲荷・・・おかん塚の坂・・・伝馬場(てんまば)坂・・・衣笠駅

 風が冷たく寒い日でした。平作七坂と呼ばれる坂と浦賀道のおかん塚の坂を歩きました。長五郎坂は二つの道筋があり坂上で合流して衣笠病院の方へ通じています。坂下から西に行き妙伝寺坂を上り、さらに西へ行きあめや坂を下って、明登山橋から南に駿河坂を上りました。坂上から大楠山への山道を少し歩いて見ました。もどって、あめや坂の坂上から平作神社に出ました。神社近くの急坂がおんじ坂でしょうか。坂下を北東に進むと福昌寺の墓地裏を新兵衛坂が下っています。坂沿いに「カスヤの森現代美術館」があります。

 平作神社までもどり神社の北側の道を南西に上って下ると明登山大蔵寺で境内に瘡守稲荷神社があります。北に行き池上小学校に沿って西にゆるやかに上り、広い通りへ出て安島医院の脇からおかん塚の坂を上りました。この道は浦賀道で御国幼稚園まで上っています。浦賀道は葉山町の高祖坂の方へ続いています。おかん塚の坂を引き返し、池上小学校から東に入って上り、これも浦賀道の伝馬場坂を下って衣笠駅に出ました。

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Dsc04405 長五郎坂(坂上の分岐点から) ①平作2-6と2-12の間を東に上る。(右) ②平作2-7と2-12の間を北東に上る。(左) 《地図》(①の方、②は南側)

坂上の旧家、三堀さん宅の先祖に長五郎さんがいて、何代も続いた。坂周辺一帯は三堀家の土地、坂道も敷地内だった。昔は②の坂を長五郎坂と呼んでいた。『坂道風土記 三浦半島』

Dsc04406 ①の坂

坂下は城北小学校

Dsc04407_1 ①の坂下近くから

Dsc04409 ②の坂(坂上から)

Dsc04411 ②の坂(坂上方向)

Dsc04414 妙伝寺坂 平作6-25と6-16の間を北西に上る。 《地図

Dsc04417_2橋本山妙伝寺(左)

昔は妙伝寺の前は入海で長い橋が架かっていたので、字名を橋本、山号もこれによる。『坂道風土記 三浦半島』

Dsc04419 坂下方向(妙伝寺境内から)

Dsc04423 あめや坂(坂上から) 平作6-10と6-9の間を北方向に上る。 《地図

明治の中頃まで、坂上近くの家であめをつくっていた。村人は「あめや」といって親しんでいた。『坂道風土記 三浦半島』

Dsc04425_1 坂下方向

Dsc04426_1 坂上方向

Dsc04428 駿河坂(坂下方向) 平作3-5と3-7の間を南西から西に上る。《地図

①鎌倉時代に三浦駿河守義村がここを通った。②駿河坂吉衛門という人が住んでいた。『坂道風土記 三浦半島』

Dsc04447 井戸跡?

ニシと呼ばれる家の井戸で、寺山砲台の軍隊の飲用水でもあった。『坂道風土記 三浦半島』

Dsc04444 坂上方向

Dsc04440_1 駿河坂の坂上から大楠山方面へ

Dsc04433_1気分のいい道だ。

Dsc04456_1 平作神社(平作6-7)

Dsc04458 おんじ坂 平作7-18を北西に上る。《地図

明治の初め頃、坂の中ほどに石屋をしていた老人が住んでいた。村人はこの老人を方言で「おんじ」と呼び、坂名になったという。おんじとは「お爺さん」の意味だという。『坂道風土記 三浦半島』

Dsc04459 坂下から

Dsc04463 新兵衛坂(坂上から) 平作7-12と7-14の間を南西に上る。右は福昌寺の墓地。《地図

江戸時代の宝暦(1751~64)のころ粕谷家に新兵衛さんがいて、その名が代々受け継がれた。『坂道風土記 三浦半島』

Dsc04467 カスヤの森現代美術館

「カスヤ」は粕谷家のことだろう。

Dsc04471 今の坂は昔は福昌寺の境内で、坂は北側のこの竹林の中を通っていた。この竹林が「カスヤの森」で置かれている石像はおそらく「カスヤの森現代美術館」の作品なのだろう。

Dsc04464 坂途中

Dsc04465_1 坂下から

Dsc04473_1 明登山大蔵寺(平作5-13)

天文21年(1521)創建という日蓮宗の寺。

Dsc04472「大蔵寺・瘡守稲荷」説明板

Dsc04474 瘡守稲荷(大蔵寺境内)

江戸時代の郷土力士岩男浪ゆかりの稲荷。

Dsc04480_1 おかん塚の坂 阿倍倉と池上4丁目の間を北西に上る。坂上は御国幼稚園。《地図

浦賀と江戸の間を代官や武士たちが往来した浦賀道で、御代官坂といったのが詰まって、御官坂となりそれが訛って「おかんつか」と言われるようになったそうである。「古老の話」『坂道風土記 三浦半島』 このいわれでは「塚」の説明がよく分からない。やはり何か塚のようなものがあったのでは?

Dsc04483_1 坂下方向

Dsc04486 坂上方向

Dsc04512 伝馬場坂 平作7-1と7-6の間を西から南西に上る。《地図

坂の途中に馬の継ぎ立て場だった屋号が「伝馬場」だった三堀家がある。ここで馬を乗り換えたり、かごの人足が交代した。『坂道風土記 三浦半島』

Dsc04511 庚申塔(坂上近く)

右の板碑型は寛文11年(1671)、中央は元禄8年(1671)年。

Dsc04516坂上方向

左側の石積みあたりが「伝馬場」の跡か? ペリー来航を江戸に伝える早馬の使者もここで馬を乗り継いだという。

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2007年2月19日 (月)

横須賀市の坂-12

2007年2月19日

衣笠駅(JR横須賀線)・・・三崎街道・・・甚四郎坂・・・清水垂坂・・・(新)衣笠トンネル・・・ニノ宮の坂・・・鼓人橋?・・・満昌寺・御霊神社・・・近殿(ちかた)神社・・・百段階段・・・せえもん坂・清雲寺・・・ドングリ山の坂・・・満願寺・・熊野神社・・・常勝寺・・・御霊神社・・・北久里浜駅(京浜急行線)

 今日歩いたところは三浦氏にゆかりのある事蹟が多くありました。前回たどった道筋と同じく衣笠トンネルを抜け、衣笠城址のバス停そばから二ノ宮の坂を下りました。坂上に三浦大介義明の守護神という矢取不動尊の小祠があります。坂下が鼓人橋のはずですが橋の名の表示がないので違っているかも。そうすると二ノ宮の坂の道筋も変わってくることになります。

 三崎街道のインター入口交差点から東に行くと、義明山満昌寺、御霊神社、近殿神社といずれも三浦氏にゆかりのところです。近殿神社の脇から百段階段の方へ上る坂のコンクリートの壁に空いている多くの排水孔は雀達のかっこうな休憩所といった感じです。百段階段を上り下りして大通りの南側の清雲寺へせえもん坂を上りました。この寺も三浦氏ゆかりの寺です。清雲寺の東側の腹切松公園に「三浦大介戦死の所」と「腹切の松」というのが立っていました。偶然に見つけたもので、三浦大介義明は衣笠城で討死したものとばかり思っていましたが、こんな伝承もあることを知りました。

 横浜横須賀道路を越え、ドングリ山の坂を目指しましたがなかなか分からず何度も同じ所に出てしまい苦労しました。ドングリ山の坂上は石段で、細い坂の東側は梅林です。下って進むと満願寺で、ここも三浦氏ゆかりの寺です。横須賀葉山線に出て、北へ佐原インター近くの常勝寺、御霊神社に寄り、京急北久里浜駅に向いました。

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Dsc04263_1 二ノ宮の坂 三崎街道の衣笠城址バス停から西方向に鼓人橋に下る。《地図

右側の小祠が「矢取不動尊」、坂名の由来不明。

Dsc04261 矢取不動尊

台座に三浦大介守護とある。

Dsc04265坂上方向

Dsc04267_1 坂下の鼓橋?から

この橋が鼓人橋でなければ二ノ宮の坂の道筋も違ってくる。橋の名の表示はなし。

Dsc04274義明山満昌寺(大矢部1-5)

建久5年(1194)源頼朝の意志により、三浦大介義明追善のため建立されたと伝える。寺の裏山の矢部山には鎌倉時代末期に彫られた磨崖仏がある。

Dsc04273 満昌寺由来

Dsc04283 御霊神社(満昌寺内)

Dsc04279 伝三浦義明廟所(御霊神社裏)

Dsc04282_1 「伝三浦義明廟所」説明板

Dsc04288 近殿(ちかた)神社(大矢部1-9)

三浦義村(義明の孫)を祀る大矢部の鎮守。

Dsc04289 近殿神社由緒

Dsc04292 百段階段への坂

左の壁の多くの排水孔に雀が入っていた。

Dsc04301 コンクリートの壁の排水孔の中の雀

Dsc04293 百段階段 近殿神社の西側から北方向に老人ホームグリーンヒルの西側に沿って上る階段坂。139段あるそうだ。《地図

Dsc04297 坂上から

Dsc04303_1 せえもん坂  大矢部5-9?の清雲寺に沿って上る。《地図

坂名の由来不明。清雲寺の「せいうん」が訛ったのだろうか?

Dsc04306 坂下方向

右側は清雲寺

Dsc04308_2清雲寺(大矢部5-50)

Dsc04310_1 伝三浦氏廟所説明板

三浦氏の初代為通、二代為継、三代義継の墓がある。

Dsc04314_1 「三浦大介戦死之所」の碑(左の石柱)と腹切の松(大矢部5-18?の公園内)

三浦大介義明は治承4年(1180)の衣笠合戦で討死したとされているが、ここまで逃れ切腹したという伝承があるようだ。

Dsc04313 「三浦大介腹切の松」説明板

文字が薄れて読みづらい。『腹切松の伝説

Dsc04321 ドングリ山の坂 大矢部4-44の大矢部町4丁目町内会館の前の石段から下る細い坂。《地図

Dsc04324_1 坂下方向

左は梅林、右の斜面を「ドングリ山」と呼んだ。『坂道風土記 三浦半島』

Dsc04329 坂上方向

Dsc04331満願寺

三浦義明の末子の佐原十郎義連が開基という臨済宗の寺。三浦三十三観音第十八番札所。

Dsc04333_1熊野神社(満願寺の東側)

Dsc04334常勝寺

Dsc04336御霊神社(常勝寺の北側)

祭神は鎌倉権五郎景政

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2007年2月16日 (金)

横須賀市の坂-11

2007年2月16日

衣笠駅(JR横須賀線)・・・舞台橋(平作(ひらさく)川)・舞台坂・・・大明寺・・・法塔十字路・・三崎街道・・・びわ山の坂・・・(はまゆう会館)・・・三崎街道・衣笠十字路・(横須賀線ガード)・・・甚四郎坂・・・(旧道)・・・清水垂(しみったれ)坂・・・衣笠トンネル・・・矢部山の坂・・・(大矢部中学校)・・・小矢部トンネル・・・大松寺・大松寺林への坂・・・三崎街道・・・旧道・・・清水垂坂下・・・衣笠神社・・・衣笠山公園・・・衣笠城址・大善寺・・・住吉トンネル・・・(新)衣笠トンネル・・・三崎街道・・・衣笠駅

 舞台橋はもう少しましな橋かと思っていましたが、橋の名すら標示がなくちょっとガッカリしました。舞台坂は衣笠通りの旧道の浦賀道でゆるやかに上り、大明寺近くで衣笠通りに出ます。大明寺から引き返し、三崎街道を北に行き、佐野4丁目から望洋台と汐見台へのびわ山の坂を上りました。かつて坂上には名所、百菓園「びわ山」があったそうです。

 望洋台からはまゆう会館へ下り三崎街道に出て南に行くと甚四郎坂の上りとなります。かつてはもっと急坂だった旧道が一部西側に残っています。
 三崎街道の公園入口交差点あたりから旧道へ入り、南に行き衣笠山公園の石標が立つ所から清水垂坂の上りとなり三崎街道に出ます。
 明治のころきれいな水の湧き出る井戸があり、井戸店があったという井戸店の交差点あたりから衣笠山トンネルを越えるのが矢部山の坂ですが、上り口は大矢部中学校の敷地内になっているようで通れないようです。衣笠トンネルを抜け衣笠城址側から上りました、途中、大矢部中学校への石段の下に崩れかった庚申塔などが残っているのでこの道筋が矢部山の坂の名残りでしょうか。

 大矢部中学校と市立聾学校の間を下り、小矢部トンネルを抜け井戸店交差点から北東に入って大松寺に出ました。裏山の林は市の天然記念物です。大松寺林への坂を下り三崎街道へ出て、再び旧道へ入り、清水垂坂の坂下から西へ衣笠山公園へ向いました。けっこうな上りで公園の東端にある衣笠神社から公園内を上りました。展望台、忠犬タマ公の碑、芭蕉句碑などがあります。ここは全国の「桜の名所100選」に選ばれた公園だそうです。暖冬とはいえ桜の季節にはまだ1ヶ月以上、ちょっと残念ですが空いていて静かなのがなにより。

 衣笠山公園から「衣笠城址・大楠山」の道標に従い南方向に下りました。思っていたより距離があり、こんな下に城があったのかと思いましたが、衣笠城址へはいったん下の車道に下りてからまたかなりの上りの道のりです。山道を行かずに車道を進んで大善寺から入った方が全然楽なことにあとで気づきましたが、ちょっとしたハイキング気分を味わえたのもよかったかも。ハイキングコースは大善寺からさらに大楠山へと続いています。大善寺から急坂を下り、住吉トンネルを抜け三崎街道に出て、(新)衣笠トンネルを通り衣笠駅に向いました。

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Dsc04125 舞台橋(平作川)

衣笠駅の北側。橋を渡る(右へ)と旧道の浦賀道に出る。

Dsc04127_1 舞台坂(坂上方向) 衣笠栄町2-45あたりから北西に上る浦賀道。《地図

小字名「舞台」からの坂名。舞台のいわれには諸説ある。その一つに、三浦氏の衣笠城時代に、領民を招いて舞楽を見せた所という説がある。『坂道風土記 三浦半島』

Dsc04140 五輪塔(坂の途中)

墓か供養塔か、風化が進んでいる。

Dsc04128 坂下方向

Dsc04136 金谷山大明寺(衣笠栄町3-77)

Dsc04137 日蓮銅像

Dsc04142法塔十字路(舞台坂の坂下を東に進んだ三崎街道近く)

右の塔の下には「金谷山」・左の塔の左側面には「天明元年」と彫ってある。金谷山大明寺と縁のあるものだろう。

Dsc04146_1 びわ山の坂 三崎街道の佐野4-12あたりから南西に入り、西方向に望洋台へ上る。《地図

明治から大正にかけての名所だった百菓園枇杷(びわ)山があった。『坂道風土記 三浦半島』 

Dsc04145_1 坂下近くの稲荷の小祠。

赤い幟には「大六天宮」とある。坂の途中にも稲荷社がある。

Dsc04151_1 坂下方向

Dsc04156_1 望洋台からはまゆう会館(衣笠栄町1丁目)の方へ下る坂。

Dsc04161_1 甚四郎坂(坂下方向) 小矢部2-3あたりから南に上る三崎街道。《地図

坂近くに岩崎甚四郎さんが住んでいたからという。『坂道風土記 三浦半島』

Dsc04162_2 道祖神(坂上近くの三崎街道沿い)

平成6年にここに移設したとある。以前は旧道沿いにあったのだろう。

Dsc04165 右へ上るのが甚四郎の旧道か?(小矢部2-9あたり) 今は横浜市有地ですぐ行き止まりになる。

Dsc04170 清水垂(しみったれ)坂 小矢部4-7と4-9の間を南に上る。坂上は三崎街道。《地図

道の所々より水が湧き出ていて年中、乾いたことがなかったので牛馬にも、歩行者にも難所とされていた。『坂道風土記 三浦半島』

Dsc04172_2 坂上方向

Dsc04173 坂下方向

Dsc04177衣笠トンネル(衣笠町と大矢部の間の三崎街道)

Dsc04179 矢部山の坂(衣笠トンネルを抜けた側の坂の途中から) 三崎街道の井戸店交差点あたりから大矢部中学校の方へ上り、衣笠城址のバス停近くへ下る。《地図

Dsc04180 坂上方向

Dsc04182 庚申塔(坂上近く)

Dsc04183_1 坂上は大矢部中学校

ここから先は中学校の敷地内に取り込まれてしまっているようでもとの道筋は不分明のようだ。

Dsc04186 小矢部トンネルへ(大矢部中学校の北側から井戸店交差点へ抜ける)

Dsc04194大松寺(小矢部3丁目)

曹洞宗、裏山の寺林は県の天然記念物。

Dsc04195大松寺林への坂 小矢部1-33と3-2あたりから南東に大松寺に上る。《地図

Dsc04191_1 「大松寺林」説明板

Dsc04200_1 坂上方向

Dsc04167_1 衣笠山公園への坂(清水垂坂下の小矢部4-8と4-9の間を西に上る。)

Dsc04204 衣笠神社への坂(小矢部4丁目)

Dsc04207 衣笠神社(小矢部4丁目の衣笠山公園内の東端)

Dsc04208 衣笠神社説明板

Dsc04216_1 芭蕉句碑(衣笠山公園)

Dsc04215 「忠犬タマ公」の碑

碑文の筆者の「小泉又次郎」は小泉純一郎の祖父。

Dsc04214 「忠犬タマ公」説明板

Dsc04217_1 説明板

Dsc04219 公園から東京湾

Dsc04226 相模湾か

Dsc04232_1 衣笠城址・大楠山へ向う道(衣笠山公園内)

Dsc04246衣笠城址(衣笠町)

康平年間(1058~1064)に三浦為通が築城。治承4年(1180)の平家との衣笠合戦は有名。

Dsc04245 衣笠城址説明板

Dsc04250 大善寺

衣笠城址の南側の曹洞宗の寺。

Dsc04252門前の庚申塔

Dsc04258_1 大善寺から下る坂(坂下近くから)

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2007年2月12日 (月)

横須賀市の坂-10

2007年2月12日

京急久里浜駅・・・八幡神社・・・正業寺・・・慈眼院の坂・慈眼院・芽山貝塚・・地獄坂・・・焼木坂・・・光の丘トンネル・・・かろうと山古墳公園・・・田中の坂・・・おしろみずの坂・・・谷戸山の坂・・・(京急線)・・・どんどんびきの坂・・・こすり坂・・・京急久里浜駅

 慈眼院の正面の男坂の石段はかなり急で、手すりにつかまりながら上りました。寺の裏手は芽山貝塚の跡。小樽の地獄坂は長い坂ですが、ここハイランドの地獄坂は「地獄」と呼ばれても不思議のない急坂です。ハイランドは遊園地か何かの施設名と思っていましたが町名です。確かに小高い丘のハイランドの所です。
 ハイランドの住宅街を西に抜け長い坂を粟田(あだ)道といわれた横須賀葉山線へ下りました。すぐ右手に焼木坂バス停があります。ここから少し上って北西方向に下る粟田道が焼木坂でしょう。坂名の由来が分かりません。

 粟田道を南西方向に行き、粟田小学校の前あたりの光の丘トンネルを抜け、かろうと山古墳に向いました。山道のような遊歩道を上って古墳を探しましたが見つからずくたびれ儲け。戻って粟田小学校のあたりから田中の坂を上りました。坂上近くに新旧の地蔵さんが2体立っていました。
 このあたりから田中の坂は島田バス停近くまで下っています。バス停そばの野比幼稚園の向い側からおしろみずの坂の上りに入りました。坂上から緩やかな下りとなり、再び少し上って谷戸山坂の下りとなります。この道は尻こすり坂から粟田道に通ずる旧道です。坂下から京急線の踏切を渡ると国道134号の尻こすり坂通りの大作交差点で、ここから北東に尻こすり坂上まで上る緩やかで長い坂がどんどんびきの坂です。坂上からこれも長い尻こすり坂を下って京急久里浜駅に向いました。

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Dsc04010_1八幡神社(久里浜2-17)

Dsc04011 神社縁起

Dsc04013正業寺

御霊山満蔵院と号する。

Dsc04014_1 慈眼院の坂 佐原5-22の慈眼院の正面の108段の石段。《地図

Dsc04019 坂上から

Dsc04018_1慈眼院

三浦三十三観音第17番札所

裏側は「芽山(ちやま)貝塚」

Dsc04015「慈眼院・芽山貝塚」説明板

Dsc04020_1 慈眼院わきの坂

寺と檀家で作った「観音様と芽山の里を結ぶ坂」

Dsc04025 地獄坂 久里浜3丁目から南西から北西に大きくカーブしてハイランド4丁目に上る。《地図

Dsc04033 坂上方向

Dsc04034 坂下方向

Dsc04035_1 坂上の地蔵

Dsc04043 焼木坂 横須賀葉山線の粟田1丁目の焼木坂バス停から北西に下る。《地図

粟田(あだ)道の一部。坂名の由来不明。

Dsc04050_1 坂下(岩戸2丁目)方向

Dsc04049_1 坂上方向

Dsc04064_1かろうと山古墳(光の丘水辺公園内)

7C前半築造の円墳(13m)

光の丘トンネルの上の方にあるらしいが探しても見当たらず。

Dsc04063 かろうと山古墳への遊歩道

Dsc04055_1 田中の坂 横須賀葉山線のハイランド2丁目の粟田小学校あたりから南に上り、島田バス停の方へ下る。《地図

粟田道の一部。坂近くの「田中家」による名か。

Dsc04066 坂上の地蔵

Dsc04069 下りとなってバス停島田の方へ。

Dsc04072 おしろみずの坂 野比1丁目の野比幼稚園の向い側から南東に上る。《地図

「おしろみず」は近くの家の屋号だったとか。しりこすり坂と粟田道を結ぶ旧道 『坂道風土記 三浦半島』

Dsc04075 坂上から

坂上を行くと谷戸山坂につながる。

Dsc04086 谷戸山坂 野比1丁目、おしろみずの坂上を進み南東に下る。坂下近くに堀越造園、坂下は京浜急行線。《地図

Dsc04089_1 坂下方向

Dsc04092 坂上方向

Dsc04095_1 どんどんびきの坂下近くに立つ武山不動明王像。

Dsc04099_1 どんどんびきの坂(坂上方向) 野比2丁目の大作交差点から尻こすり坂通りを北東方向に上る。《地図

昔は牛車、大八車、リヤカーなどが上り下りに苦労し、本気になって、どんどん車を引かないと、後ずさりしてしまうので坂の名がついたのでは。(古老の話)『坂道風土記 三浦半島』

Dsc04100坂下方向

Dsc04102 坂上近く

坂上で尻こすり坂とつながる。

Dsc04109_1 しりこすり坂 神明町の神明小学校の前あたりから南西に上る国道134号の「尻こすり坂通り」 《地図

尻をこすりつけて下るほどの急坂だった。尻摺坂・尻摩坂・摩臀坂・斯里古須利坂とも書く。『坂道風土記 三浦半島』

Dsc04106_1 「尻こすり坂開鑿記念碑」説明板

Dsc04107_1 開鑿記念碑(左)・交通安全地蔵(右)

明治18年に坂の開鑿を記念して建立。

Dsc04112_1 坂下方向

Dsc04119_1坂下から

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2007年2月11日 (日)

横須賀市の坂-9

2007年2月11日

馬堀海岸駅(京浜急行線)・・・浄林寺・・・防大への坂・・・馬頭観音堂・・・馬堀自然教育園・自然教育園の坂・稜威(みいず)神社跡・・・走水トンネル・・・走水海岸・・・三百段階段・・・(なかんちょ道)・・・走水地蔵・・・走水神社・・・大泉寺・円照寺・覚栄寺・・・走水港・・・観音崎公園・・・鴨居トンネル・・・観音寺・・・八幡神社・・・西徳寺・・・へび道・・・百段階段・・・能満寺・(上の台遺跡)・・・顕正寺・・・乗誓寺・・・八雲神社・・・津守稲荷神社・・・専福寺・・・東林寺・・・東叶神社・恵仁志坂・産霊(うぶすな)坂・浦賀城址・・・法憧寺・・・浦賀の渡し・・・浦賀ドック・・・浦賀駅(京浜急行線)

 好天の中、馬堀海岸駅から走水海岸、観音崎、鴨居、東浦賀町と約一周して浦賀の渡しに乗り対岸へ渡り浦賀駅に出ました。

 *参考:『浦賀の歴史とふれあう散策ルート

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc03808_1 防大への坂 馬堀町4丁目の馬堀小学校と浄林寺の間を南東に上る。《地図

坂の東側に防衛大学校

Dsc03803_1浄林寺

永正2年(1505)創建の浄土宗の寺。 

Dsc03802「浄林寺」説明板

Dsc03813 池月の碑・馬頭観音堂(後方)

池月は宇治川の合戦で「磨墨(するすみ)」と先陣争いをした名馬。

Dsc03812_1 馬頭観音

Dsc03809_1 馬頭観音縁起

Dsc03814_1 蹄の井(跡) 馬頭観音堂の前。

「馬(池月)」が掘った井戸で「馬堀」の地名の由来となる。今も水が湧いている。

Dsc03818 防大への坂の坂上近くから東京湾

Dsc03820 馬堀自然教育園案内板 馬堀町4丁目、防大への坂の西側。

旧陸軍重砲兵学校の敷地。

Dsc03819_1 自然教育園の坂(坂上方向)

Dsc03829 稜威神社(自然教育園内)

陸軍重砲兵学校の神社

Dsc03828_1 稜威神社社殿跡

「兵(つわもの)どもの夢の跡」か

Dsc03831 旧道(自然教育園から馬堀小学校の前を下る坂)

Dsc03833 走水トンネル(旧水道トンネル)

Dsc03834_1 「走水トンネル」説明板

Dsc03843 走水海岸から

Dsc03845_1 三百段階段(坂上から) 走水2丁目の走水神社の南側から防大裏門の近くへ上る階段坂。《地図

途中から細い「なかんちょ道」が走水神社の上(弟橘媛の歌碑)の方へ通じている。

Dsc03850_2 坂上方向

Dsc03853_1 坂下から

Dsc03869 走水地蔵(三百段階段の坂下)

崖をくり抜いた中に祀られた地蔵。江戸時代の建立と推定。

Dsc03871 「走水地蔵」説明板

Dsc03855走水神社

日本武尊(やまとたける)東征物語ゆかりの神社。

Dsc03868 「走水神社」説明板

Dsc03857_1 「弟橘媛」歌碑

「さねさし 相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」

Dsc03856_3 記念碑説明板

Dsc03859 走水神社から

Dsc03877 観音崎灯台

明治2年(1869)に点灯したわが国最初の洋式灯台。

Dsc03888観音崎公園の雀

公園で休んでいると餌をねだりに寄ってくるみたいだ。

Dsc03889 鴨居トンネル(観音崎公園から鴨居に抜ける観音崎環状線)

Dsc03892 房総半島(観音崎大橋近くから)

正面左側に立つ白い物体は南房総の「東京湾観音」だろう。

Dsc03896観音寺(観音崎大橋の南側の岬の先端)

三浦第十四番札所。寺かと思ったが小さな堂。

Dsc03895_1 船守観音?

Dsc03899 鴨居港

Dsc03901_1八幡神社(鴨居港の前)

鴨居の鎮守

Dsc03905西徳寺(八幡神社の西)

永禄元年(1558)に開かれた浄土宗の寺。

Dsc03906 和田地蔵(西徳寺境内)

和田義盛が戦勝を祈願した地蔵

Dsc03912 へび道 鴨居郵便局の西側から北方向に小原台小学校の東側を上る。《地図

Dsc03916 坂下方向

Dsc03921_1 百段階段 バス停小原台入口の交番の南側の階段坂。坂上は上の台中学校。《地図

実際は179段あるそうだ。

Dsc03923 階段上から

Dsc03934_1上ノ台遺跡

上の台中学校あたりは弥生から古墳時代にかけての集落跡。

Dsc03926_1 「木食観正」の石塔(能満寺境内) 上の台中学校の南側。

文政3年(1820)建立

Dsc03939顕正寺(東浦賀町2丁目)

天正元年(1573)に開かれた日蓮宗の寺。

Dsc03938 「顕正寺」説明板

Dsc03940 庚申塔(顕正寺境内)

左側は「猿田彦大神」庚申塔?

Dsc03945乗誓寺(顕正寺の前)

Dsc03944_1 由緒書(乗誓寺)

Dsc03947八雲神社(東浦賀町1丁目)

もとは満宝院八雲堂という修験の寺。寺院形式のお堂の神社。

Dsc03946_1 「八雲神社」説明板

Dsc03949_1津守稲荷神社(八雲神社の南)

Dsc03951専福寺(東浦賀町2丁目)

永正元年(1504)開かれた浄土宗の寺。

Dsc03950_1 小林一茶ゆかりの「寿女の碑」(専福寺境内)

一茶の初恋の女性がこの寺に葬られているという。

Dsc03955東林寺(専福寺の東側)

Dsc03953_3 「東林寺」説明板

Dsc03957 三浦稲荷(東林寺境内、左後方が東林寺)

文化6年(1809)稲荷の前で雷電の相撲興行が行われた。

Dsc03960_1東叶神社(東浦賀2丁目)

Dsc03961 「東叶神社」説明板

Dsc03965 恵仁志坂 東叶神社の裏山(奥の院、浦賀城址)の明神山(50m)への223段の石段の下段95段。《地図

Dsc03966_1 「恵仁志坂」碑

Dsc03968 坂途中から

Dsc03967 芭蕉句碑(天保14年(1843))

「丹よ起~と帆ばし良寒き入江哉」 (にょきにょきと帆柱寒き入江かな)

Dsc03973_2 産霊(うぶすな)坂 中・上段128段の石段

Dsc03969 産霊坂修築記念碑

Dsc03982_1浦賀城址から(産霊坂を上った奥の院がある一帯)

戦国時代北条氏が房総の里見氏の攻撃に備えて三崎城の出城として築いた。

Dsc03977 説明板(浦賀城址)

Dsc03980_1 浦賀城址から

右側の岬は燈明崎(燈明堂)・正面は房総半島。ペリーの黒船はこの下の左あたりに停泊した。

Dsc03988法憧寺

山号「円城山」の浄土宗の寺。浦賀城の一廓だった。

Dsc03987_1 「法憧寺」説明板

Dsc03995浦賀の渡し

Dsc03991 昭和30年頃の渡し船

Dsc03998 渡し船の中から

Dsc04004_1渡し船から

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2007年2月 8日 (木)

横須賀市の坂-8

2007年2月8日

馬堀海岸駅(京浜急行線)・・・矢ノ津坂・・・(浦賀駅)・・・浦賀ドック・浦賀港・浦賀の渡し(浦賀海道)・・・(西)叶神社・・・愛宕山公園(浦賀園)・愛宕山の坂・・・常福寺・・・為朝神社・・・軍道の坂・・・浦賀奉行所跡・・・大六天榊神社・・・高坂?・・・久比里坂・・・宗円寺・・・若宮神社・・・(京浜急行線)・・・奴(怒)田城址の坂・吉井貝塚・・・お林の坂・・・六部坂・・・天女水の碑・・・六部坂・・・お林の坂・・・真福寺・・・日の出橋・・・京急久里浜駅

 矢ノ津坂は今は緩やかな、ただの車道で面白味はありません。坂上から下り浦賀駅の前を通り浦賀港へ向いました。「浦賀海道」と呼ばれている浦賀の渡船はけっこう繁盛しているようで何度も対岸を往復していました。市内で一番古い公園の愛宕山公園からは港の眺めがいいです。為朝神社近くの軍道の坂は千代ケ崎砲台に通じていた坂ですが、今は傾斜も少なくなっているようです。

 浦賀奉行所跡近くの大六天榊神社から久比里坂へ出ようとしましたがどの道も行き止まりのようで、仕方なく愛宕山公園まで戻り、浦賀通りを高坂へ上り、久比里坂を下りました。京浜急行沿いの奴田城址・吉井貝塚のある高台から「お林」に抜けました。ここは下の住宅街とはうって変わって、覆いかぶさる木々が陽光をさえぎり、昼なお暗い坂道には昔の浦賀道の面影がよく残っています。坂上からは六部坂となり東の方へ下っています。六部坂を上り返し、お林の坂を下ると途中に庚申塔が三基並び、さらに下ると真福寺の前へ出ます。平作川の日の出橋を渡り、京急久里浜駅に出ました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc03585_2 矢ノ津坂(坂上方向) 馬堀海岸駅の西側の矢ノ津坂バス停あたりから南西に上る浦賀港線。《地図

地元では「やんつ坂」と呼ぶ浦賀道

Dsc03592 浦賀港

Dsc03603 浦賀の渡し

平成10年に就航し、「浦賀海道」と名づけられた定員12名、片道150円の渡し船。

対岸の東浦賀町まで233m。

Dsc03602 説明板

Dsc03597 西叶神社

正式には「叶神社」 対岸の東浦賀町の(東)叶神社と区別するためこう呼ばれている。文覚上人が石清水八幡宮を勧請し養和元年(1181)に建立。

Dsc03598_1西叶神社説明板

Dsc03607_1 愛宕山の坂 西浦賀町の愛宕山公園に上る坂。《地図

Dsc03612 愛宕山の坂の途中から

中央左あたりを渡し船が対岸へ進んでいる。

Dsc03605_1 愛宕山公園説明板

「浦賀園」と呼ばれた市内で一番古い公園。

Dsc03614_1 咸臨丸出港の碑

Dsc03613 説明板

Dsc03616_1 与謝野晶子・鉄幹夫妻の歌碑

晶子の歌は、「春寒し造船所こそ悲しけれ浦賀の町に黒き鞠(まり)懸(つ)く」か?

Dsc03615_1 歌碑説明板

Dsc03617_1 愛宕山公園から浦賀港

Dsc03626常福寺(愛宕山公園の西側)

文明年間(1469~1486)の創建。浦賀の本陣(御用寺)の役割をしてきた浄土宗の寺。

Dsc03622_1 常福寺説明板

Dsc03630_1 為朝神社(西浦賀町4丁目)

浜町(西浦賀4丁目)の鎮守。文政期(1820年代)の創建。浜町には「虎踊り」が伝承され、6月の神社の祭礼の時に奉納される。

Dsc03632 軍道の坂 西浦賀町5丁目の為朝神社の南あたりから南から南東に上り、川間トンネルの近くまで下る。《地図

戦時中に陸軍が千代ケ崎砲台へ通ずる軍道として造った坂。『坂道風土記 三浦半島』

Dsc03633 坂上方向

もっと急な坂だったという。

Dsc03640_1浦賀奉行所跡 《地図》あたり

享保5年(1720)に下田から移された。

Dsc03639 説明板

Dsc03644_1 大六天榊神社(西浦賀町5-53、浦賀奉行所跡の西側)

川間(西浦賀5丁目)の鎮守。正式には「榊神社大録天神」 ちまた(道股)の神、猿田彦神を祀り、邪悪の物の侵入を防ぐ。

Dsc03642 説明板

Dsc03655 久比里坂 久比里1丁目と2丁目の間を夫婦橋(平作川)あたりから北東に上る浦賀通り。《地図

Dsc03658浦賀道拓道碑(右側)

明治時代に私財を投じて久比里坂を拓いた峯島茂平衛の顕彰碑。左は「久比里坂開鑿記念碑」

Dsc03662_1 宗円寺(久比里1-20)

三浦不動第八番札所

Dsc03665 両面地蔵(表) 宗円寺境内

表と裏に地蔵が彫られている。

Dsc03666 両面地蔵(裏)

Dsc03663_1 足腰の弱い人の信仰を集めているという角柱尖頭型の庚申塔は右側の物か?

宗円寺境内

Dsc03667_1 若宮神社(宗円寺の西側)

享禄4年(1531)建立の久比里の鎮守

Dsc03672_1 奴(怒)田城址の坂 吉井1-1と1-2の間を北東に上る。《地図

縄文から古墳時代の遺跡の吉井貝塚と三浦一族の水軍基地跡。

Dsc03679 坂下方向

Dsc03681 奴田(怒田)城址説明板

治承4年(1180年)の平家方との衣笠合戦の際、当初和田義盛は衣笠城よりも要害の地である奴田城での戦いを主張したという。

Dsc03682_1 空堀跡

Dsc03677吉井貝塚説明板

Dsc03684 奴田城址からお林へ上る坂の途中から

Dsc03685 お林の中の坂

江戸幕府の御用林

Dsc03687_1 坂上方向

Dsc03711 「お林」説明板

「六部坂」の記載がある。

Dsc03695_1 お林の坂(坂上方向) 吉井1-4の真福寺の東側に沿ってお林の中を南東方向に上る。《地図

Dsc03703 六部坂 お林の坂上から北東方向に下る。

真福寺(三浦三十三観音第15番札所)に参詣する巡礼(六部)たちが通った坂なのでこの名がついたのだろう。

Dsc03701_1天女水の碑」説明板(六部坂の坂下近く)

そばにあるのを見落としたのだろうか? 碑そのものの写真を撮るのを忘れた。

Dsc03699 石仏(六部坂下を東に進んだ所)

寛政6年(1794)の銘あり。

Dsc03702 六部坂(坂上方向)

Dsc03709 お林の坂(坂下方向)

Dsc03712_1 青面金剛庚申塔(お林の坂を下る真福寺の手前)

Dsc03722 真福寺

三浦三十三観音の第十五番札所

Dsc03720_1 六地蔵(真福寺境内)

中央の大きな地蔵は寛政12年(1800)の建立。

 

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2007年2月 4日 (日)

横須賀市の坂-7

2007年2月4日

田浦駅(横須賀線)・・・のの字橋の坂・・・太田坂上・・・浦賀道・・・十三峠・・・塚山公園・按針塚・・・柿の谷の坂・・・塚山公園・琵琶首坂・・・西逸見吉倉トンネル・・・鹿島神社・・・浄土寺・・・逸見駅(京浜急行線)→堀ノ内駅・・・金堀トンネル・・・天神坂・愛染稲荷神社・・・馬門山の坂・・・諏訪神社・・・安房口神社の坂・安房口神社・・・桜が丘の坂・・・馬堀海岸駅(京浜急行線)

 田浦駅から太田坂上までは1月27日と逆のコースを辿りました。ここから十三峠までは思いのほかゆるやかな上りで浦賀道(保土ヶ谷道)の最大の難所だったという感じはありません。好天でハイカーも多い道筋です。浦賀道は十三峠から大きく左に曲がって三浦按針夫妻の墓のある塚山公園へ続きます。公園内から大楠山方面の標識に沿って柿の谷の坂を下りました。途中に小さな石仏が道を背にして立っていました。坂下は塚山トンネルの南側の山中町です。塚山公園に戻って琵琶首坂を下りました。途中、右に曲がるあたりからの海の眺めがいいです。坂下に按針塚への道標が立っています。北東に進んで京浜急行線をくぐり鹿島神社、浄土寺に寄りました。

 堀ノ内駅から南に金堀トンネルを抜け、大津町5丁目の天神坂を下りました。この道は古東海道と推定されているそうです。天神社は諏訪神社に合祀されて今はありませんが、狛犬、手洗い鉢が町内会館の前に保存されています。坂近くの愛染稲荷神社に寄り、大津公園から南に、根岸5丁目交差点近くの馬門山墓地から天神坂の天神社が合祀されている諏訪神社へ出ました。諏訪神社から安房口神社へ上るのが大明神坂で池田から吉井を通って浦賀の芝生(しぼう)へ抜ける近道だったそうですが、団地ができて道筋は途切れてしまっているようです。

 諏訪神社前からの道を南に上って大きく迂回して鳥居からマテバシイ(馬刀葉椎)の並木の間を通り安房口神社に入りました。この神社には社殿はなく霊石がご神体という古代からの磐座が残る神社です。ここは明神山と呼ばれ標高75mの所で、神社裏手からの眺望が見事です。大明神の坂はここへ通じていたのでしょうか。神社の前あたりから馬堀海岸駅方向へ桜が丘の坂を下りました。この坂は車の往来も少なく、途中、正面の東京湾に向って下る感じで、眺めのよいきれいな坂です。

(「馬門山の坂」は墓地内、「安房口神社の坂」は神社内の坂で一般道ではありません。この名で通称されているとも思いませんが、『坂道風土記 三浦半島』の著者に敬意を払って、この坂名で呼ぶのもいいでしょう)

天神坂・大津諏訪神社・馬門山墓地等は「大津を歩く」に載っています。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc03464_2 十三峠あたりから

十三峠の由来は、①保土ヶ谷より13番目の峠 ②十三仏を祀った寺が峠付近にあった。 ③十三塚の信仰による。 などの説がある。

Dsc03465 十三峠を望む(塚山公園近くから)

Dsc03468 按針塚(塚山公園内・国指定史跡)

右の塔が三浦按針(本名ウイリアム・アダムス、英国人の航海士。江戸時代初期に九州に漂着し、家康の外交顧問となった) 左が妻、お雪(マリア)の墓。

Dsc03470 按針塚説明板

Dsc03471_1 柿ノ谷の坂へ(大楠山方向)

塚山公園から山中町へ下る。坂下は塚山トンネルの南側。《地図》(道の標示はない)

Dsc03472 坂下方向

Dsc03473_1 坂の途中の石仏

道路に背を向けて立っている。それとも坂下の方を向いているのか? 正徳4年(1714)の銘あり。

Dsc03480 坂下方向

Dsc03482 坂下は塚山トンネルの所。

Dsc03510_1 琵琶首坂の途中の右へ曲がる所から(下は塚山トンネルの北側の出口)

塚山公園から北東に西逸見吉倉トンネルの東側入口に下る。《地図

Dsc03508 琵琶首坂

以前は曲がりくねって、琵琶の形に似ていたからだろうか。市内岩戸のは小字琵琶首、長沢に「ビャクビ」がある。『坂道風土記 三浦半島』

Dsc03504 坂上方向

Dsc03515 途中から石段になって下る。

Dsc03516 道標(琵琶首坂の坂下)

「按針塚へ約5町」? 日本語(左面)と英語(右面) 明治から大正にかけて行われた按針塚修理事業の際に建てられた。

Dsc03501_1 「道標」説明板

Dsc03499_1 坂下の西逸見吉倉トンネルから琵琶首坂。

Dsc03518_1 鹿島神社(西逸見町2丁目)

三浦按針の屋敷があったところという。

Dsc03519 浄土寺(西逸見町1丁目)

三浦按針の菩提寺。按針が持ち歩いたという念持仏も安置されている。

三浦半島三十三観音霊場札所第二十番。

逸見駅(京浜急行線)→堀ノ内駅

Dsc03523_1 天神坂(坂上から) 大津町5-9と5-27の間を北西に上る。《地図

大津5丁目町内会館の裏に天神社があった。大正13年に諏訪神社に合祀された。浦賀道(戸塚道)の道筋で、古東海道とも推定されている。

Dsc03525 「天神坂」説明板

Dsc03526_1 天神社にあった狛犬、手洗い鉢。

庚申塔(左)は延宝6年(1678)・右は元文5年(1740)年のもの。

Dsc03528_1 坂下近くから

Dsc03531_1愛染稲荷神社(天神坂の途中から北に上った所)

文化14年(1817)建立という。今でも年1回保込(ほおめ)の稲荷講が行われるという。後ろは樹齢400年以上のクロガネモチの大木。

Dsc03530 説明板

Dsc03537_1 馬門山の坂(坂上方向) 根岸町1丁目の馬門山墓地内。《地図

旧海軍墓地

Dsc03535_1 馬門山墓地説明板

Dsc03540 坂下方向

正面右手は兵士の墓石

Dsc03546大津諏訪神社(大津町3丁目)

大津の鎮守。天神坂にあった天神社が合祀されている。

Dsc03547 「諏訪神社」説明板

Dsc03549_1 菅公千年祭記念碑(諏訪神社境内)

Dsc03548 記念碑説明板

Dsc03552 諏訪神社前から南方向に上る坂

「大明神の坂」に代わる新しい坂か。

Dsc03553 左は庚申塔の下の部分?・右は七福神の寿老人? 扇のような物を持っている。・真ん中は?(坂の途中の池田町1-6あたり?)

元は大明神の坂にあったものか?

Dsc03554 池田町3丁目公園へ上る坂

Dsc03561 安房口神社の坂 《地図》(神社の標示はない)

Dsc03563 坂下方向

両側はマテバシイ(馬刀葉椎)の並木。

Dsc03565 御神体の霊石

古代の磐座信仰を残す神社。

Dsc03564 安房口神社説明板

Dsc03573_3 安房口神社から

大明神の坂はこのあたりに上って来ていたのか。

Dsc03581 桜が丘の坂

馬堀海岸駅の南側の県道208号浦賀港線の桜が丘交差点から南西から南方向に上る。《地図

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2007年2月 1日 (木)

横須賀市の坂-6

2007年2月1日

汐入駅(京浜急行線)・・・八坂道・・・子之神社・・・八坂不動尊・・・坂本の坂・・・八坂道・・・大六天神社・・・(新坂本トンネル)・・・(新池上トンネル)・・・池上の坂(新道)・・・池上神社・・・池上の坂(たつみち)・・・坂本の坂・・・坂本トンネル・・・坂本へ抜ける坂・・・(逸見(へみ)駅)・・・浦賀道・・・稲荷山の坂・子育地蔵堂・・・浦賀道・・・(汐入駅)・・・国道16号・・・一国屋旅館・・・一国坂・・・浦賀道・・・逸見駅(京浜急行線)

 横須賀線の田浦駅から浦賀道の十三峠、塚山公園、琵琶首坂方面を歩く予定でしたが横須賀線が人身事故の影響で遅れているというので、急遽予定を変更しました。八坂道は浦賀道の枝道で、現在の通りを挟んで曲がりながら坂本町の方へ通じています。所々に昔の面影が残っています。坂本の坂の坂下近くで「八坂不動尊」の案内標識が立っていました。古くからこのあたりの信仰を集めているというので急な崖の石段坂を上って行って見ると、小さな祠の中に不動明王の石像が立っていました。

 坂本坂上から大六天神社へ寄り、八坂道を進むと坂本6丁目の所で大通りと合流します。新池上トンネルの前で引き返し、池上の坂(新道)から池上神社まで行き、池上の坂(たつみち)を上り、坂本の坂の途中から坂本トンネルの方へ行きました。トンネルをくぐると東逸見町へ「坂本へ抜ける坂」の急坂が下っています。坂下から北へ逸見駅から国道16号へ出て、浦賀道の稲荷山の坂への入口を探しましたがなかなか分からず苦労しました。

 稲荷山の坂の途中には地蔵堂があり、浦賀道を進んで汐入駅まで行き、横須賀駅近くの旅館一国屋の裏のつづら折の階段坂の一国坂を上りました。横須賀線の延長や国道16号の新横須賀トンネルの工事で坂に昔の面影はありません。買い物帰りの女性が二人急な階段坂をゆっくり、休み休み坂上の住宅まで上っていました。なんだかのん気に坂の写真なんかを撮っているのが悪いような、気が引けるような気分になりました。坂上を進んだ浦賀道近くからの横須賀本港のながめは素晴らしいです。浦賀道をさっきとは逆に歩き逸見駅に出ました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc03328 八坂道 汐入町2丁目の交番前の大久保モータースの脇(ここに幕末八坂衛所が設けられていた)から曲がりながら坂本6丁目までの浦賀道の枝道。

Dsc03332_1 子之神社(汐入町4-54)

汐入の鎮守。承久2年(1220)勧請、天和元年(1681)造営という。楠ケ浦から子ノ神山へ、昭和31年現在地に移った。

Dsc03334_1 八坂道(正面階段)

いったん大通りへ出る。

Dsc03435 八坂不動尊へ上る坂

汐入4丁目の坂本坂下バス停近くから東方向に上る。

Dsc03427 八坂不動尊

古くから信仰を集めているという不動尊。

Dsc03337_1八坂道

坂本坂下あたりから南に入る。

Dsc03335 坂本の坂 汐入町4丁目から坂本町へ上る。《地図

Dsc03382 坂下方向

右側に馬頭観音の祠。急坂で後押しの駄賃を稼ぐ者がたむろしていたという。

Dsc03379_1 馬頭観音

坂本の坂の坂上近く。

Dsc03378 「馬頭観音」説明板

Dsc03384 坂上方向

Dsc03342大六天神社 (坂本2-29、坂本の坂上近く。

坂本の鎮守。寛元4年(1246)勧請、天正2年(1574)造営という。祭神は大山祇命。

                                                                  Dsc03347_1①新池上トンネル(坂本町から池上へ抜けるトンネル。昭和50年完成)の前から下る坂。

坂本から池上への一番新しい通り。古い道から③②①の順。 《地図》(分岐から池上十字路へ下るのが②、分岐から南に若葉幼稚園前を下るのが③)

Dsc03348_1 池上の坂

「たつみち(旧道)」と「新道」へ向う坂。

Dsc03354_1 ②池上の坂(新道) 坂本町5丁目の池上坂上から南西に下る。坂下は池上十字路。

日露戦争の戦勝を記念して「凱旋道路」とも呼ばれた。

Dsc03361_3池上神社(池上5-4)

Dsc03366③池上の坂(たつみち) 池上坂上から若葉幼稚園の前を南方向に下る。

Dsc03370_1 坂上方向

Dsc03389 坂本トンネル(坂本2丁目から東逸見町2丁目へ)

坂本側から

Dsc03390 坂本へ抜ける坂(坂下方向、東逸見町側) 《地図

大雨の時は滝のように坂を流れたという。

Dsc03393 坂下方向

Dsc03396 坂下(東逸見町2丁目)近くから

Dsc03408_1 稲荷山の坂 国道16号の汀橋交差点から南東に入り東から北方向に上る浦賀道。《地図》(地図では道が途切れているが)

Dsc03405_1 坂上方向

Dsc03403_1 子育地蔵尊

本尊は元禄11年(1698)の銘。

Dsc03404 坂下方向(左側が子育地蔵堂)

Dsc03411 浦賀道

Dsc03421 浦賀道から

Dsc03441 一国屋旅館(汐入町1-5)

正式には「いちこくや」「いっこくや」は通称。明治20年開業。『坂道風土記 三浦半島』 海軍カレーが名物

Dsc03444 一国坂 一国屋の後ろを上るつづら折の石段。《地図

横須賀線のトンネル(右下)・新横須賀トンネル(国道16号・左側)の上を上る。

Dsc03448 坂上近くから

Dsc03449 坂上方向

Dsc03454 一国坂の坂上近くから

Dsc03456横須賀本港

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