あきる野市(東京都)の坂-1
2007年3月29日
武蔵五日市駅南口(JR五日市線)・・・権田(ごんだ)坂(檜原街道)・・・市神様(五日市ひろば)・・・五日市郷土館・・・(檜原街道)・・・玉林寺・・・上町交差点(檜原街道)・・・明神坂・・・小和田橋(秋川)・・・阿伎留(あきる)神社・・・小和田橋・・・滝坂・・・八坂神社・・・秋川街道(八王子五日市線)・・・小林坂・・・権田トンネル・・・秋川橋(秋川)・・檜原街道・・・武蔵五日市駅
あきる野市は秋川市と五日市町が平成7年に合併して誕生した市です。今日は初夏のような陽気の中、旧五日市町方面の坂を歩きました。
【地図】写真をクリックすると拡大します。
権田(ごんだ)坂(坂下方向) 武蔵五日市駅南側を南西に上る檜原街道。 《地図》
権田とは二流の田の意で、樽沢が秋川に注ぐあたりの低い谷間に僅かの面積で収穫も乏しい権田があった。『五日市町の古道と地名』
権田へ下る坂なのでこの名で呼ぶようになったのだろう。今はゆるやかな坂だが、昔は、嶮しい急坂だった。
大正時代の写真『五日市町史』より
かつては五日市の市の中心に祀られていた。
阿伎留神社御旅所・古道具屋(権田坂の坂上近くの五日市小交差点近く)
御旅所(おたびしょ)とは、(阿伎留)神社の祭礼の神輿の渡御の際し、本宮を出た神輿を迎えて仮に奉安するところ。
古道具屋の後ろに並ぶのは秦の兵馬俑の人形か?
旧市倉家住宅(五日市920)
五日市郷土館の敷地内
黒色に染められた絹織物で、江戸時代後半から主に秋川・平井川流域、及び多摩川流域の一部で製造され、幕末から昭和初期までは、「五日市」という別名をも称せられて、比較的高級な織物の一つとして全国的に販路を拡大した、あきる野の代表的な伝統産業製品です。『郷土あれこれ 第8号』(平成12年) 「黄八丈 」は有名だが、「黒八丈」は知らなかった。
「土蔵へどうぞ」の看板が気に入って中を見せてもらった。
玉林寺(五日市926)
臨済宗建長寺派の寺。創建は暦応2年(1339) 武蔵五日市七福神の福禄寿
檜原街道の上町交差点近くから玉林寺の方へ下る坂。正面は今熊山か?
明神坂 上町交差点から南方向に下る。坂下は秋川の小和田橋。 《地図》
坂の東側の阿伎留神社は「松原大明神」とも称され、地元では「松原様」と呼ばれる。
阿伎留神社(五日市1081)
「あきる野市」の名前の由来ともなった神社。
滝坂 留原の秋川街道の留原交差点から東に入り、「HOYA」工場の南側を南西から北西に下る。坂下を行くと小和田橋に出る。《地図》
南の八坂神社の裏あたりからの流れがこの坂付近では滝のように勢いよく流れるからという。
この坂は明治時代になって開かれた坂で、かつては留原から現在の紫水園あたりを通り、小和田へ出る坂道(間坂)を下りた。『五日市の古道と地名』
留原(ととはら)村の総鎮守
このあたりの字名で、大庄屋の小林家があった。いつの時代か、当主が女・賭け事にうつつを抜かし夜逃げをしたという。『東京の坂風情』
小林坂 留原交差点から北から北西に下る秋川街道。坂上近くに小林坂バス停。《地図》
右が旧道・左が新道(秋川街道)
上が檜原街道
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