取手市(茨城県)の坂-1
2007年3月24日
取手駅西口(常磐線)・・・治助坂・・・四谷橋(常磐線・関東鉄道常総線)・・・寺前ガード(常磐線)・・・西坂・・・観音堂(新四国相馬霊場第32番札所)・・・薬師堂(第23番)・・・大ケヤキ・・・虚空蔵堂(第12番)・虚空蔵坂・・・米原(こんばら)キリン坂・・・キリンビール工場・・・切通しの坂(キリンビール工場から「もちや坂」に向う途中の坂)・・・もちや坂・・・井野台さくら公園・阿弥陀堂(第46番)・阿弥陀坂・・・城山観音坂・城山観音堂(第8番)・・・石坂(佐倉道)・大日堂(第61番)・・・一丁目の急坂・・・本多作左衛門重次の墓・・・井野天満神社(第31番)・・・本尊地蔵菩薩(第20番)・・・飯塚眼科前の坂・・・さくら坂・・・長禅寺(第1番・第88番)・・・取手宿本陣染野家・・・八坂神社(第3番)・・・小堀(おおほり)の渡し近く(利根川)・・・神明坂・神明大神宮の小祠・・・ニ高へ上る坂・・・念仏院(第2番)・・・香取神社・不動院(第4番)・・・さくら坂・・・雁耕坂・・・四谷橋・・・治助坂・・・水戸街道・・・愛宕神社・・・取手駅西口
【地図】
友人のK氏(三街道九郎助)が「取手の坂道愛好会」さんから頂いた「取手の坂道」資料をもとに、3人で取手駅周辺の坂、佐倉道、取手宿を歩きました。「治助坂」・「雁耕坂」・「さくら坂」には「取手の坂道愛好会」が中心となり、取手ライオンズクラブの協力で今年の2月14日に設置された真新しい御影石の坂標が立っています。
今日の坂道散歩はゆっくり回ってちょうど半日くらいのコースでした。取手宿の史跡、寺社や公園など見どころも多く、神明坂、石坂と名前のついている坂を見つけたり、一丁目の急坂、切通しの坂など気持ちのいい坂にも出会えました。『取手の坂道愛好会の資料』によれば、取手市には「小文間」や「戸頭・米ノ井」などにも多くの坂があります。名前のついている坂から順次歩いていくつもりです。
写真をクリックすると拡大します。
治助坂 取手駅西口から北に上る。《地図》
明治時代からこの名があったらしい。治助さんが「馬車を押していた」、「自殺した」、治助坂には「ムジナ」がいた、「追い剥ぎが出た」など言われているが由来は不明。終戦頃まで、こんもり木が茂って人通りは僅かであった。『取手の坂道愛好会の資料』より
この坂の道路はもっと拡幅されるようで、この坂標もいずれ撤去されるだろう。
西坂 常磐線の寺前ガード(井野1-2と1-3の間)をくぐり北東に上る佐倉道。《地図》
井野台の西にあることからついた坂名だろう。
高さ11m、樹齢260年以上。根元を接してスダジイの大木もあったが、伐採したそうだ。
井野台2-4の虚空蔵堂の西側を北東方向に下る。《地図》
米原(こんばら)キリン坂 虚空蔵坂の坂下から東に進み、井野台2-10と2-14の間を上って、下る。坂下はキリンビール取手工場 《地図》
渋谷区恵比寿に「ビール坂」(サッポロビール)・世田谷区成城4丁目(調布市との境)に「ビール坂」(サッポロビール)・横浜市中区に「ビヤ坂」(「キリン公園」のところで明治3年に日本で始めてビールが造られた)・横浜市保土ヶ谷区に「ビール坂」(大日本ビール会社(明治39年頃設立)があります。詳細は『坂名一覧』で。
正面はキリンビール取手工場
「キリンビール工場」から「もちや坂」への途中の坂 《地図》
井野台2-15と2-16の間を南から西に上る切り通しの坂で静かな風情のある坂だ。名前はないのだろうか?
もちや坂 常磐線の井野下踏切から井野台1-26と2-17の間を北西に上る。《地図》
昔、坂の途中に餅屋があったことからこの名で呼ばれている。『取手の坂道愛好会の資料』より 坂の途中の家の人の話によると坂下の家の屋号が「もちや」だという。
桜の開花にはまだ早かった。
阿弥陀坂 井野台さくら公園の西側から西に下る石段。《地図》
昔はさくら公園あたりも阿弥陀堂の境内だったのか。
石坂 取手一高(台宿2-4)の北側と台宿2-10の間を南東に上る佐倉道。《地図》
坂上の第61番大日堂に上る坂からの坂名だろう。
坂上の大日堂のところ。
一丁目の急坂 台宿2-10と2-11の間を北に下る。《地図》
坂上の家の人の話ではこの坂に名前はついていないそうだ。木が坂を覆っているので、木の名前の坂にしたらどうかと、K氏が何の木か聞いたが家の人も分からないと言い、隣家へ被さってきているので、近々先端の方を切るとのこと。細く直線的に下る急坂で、子ども達が自転車で下ってスピードを制御できず危険なので上の写真の看板を取り付けたそうです。
坂の上の木の枝を切ってしまえばトンネルのような景観も見られなくなるのは残念な気もするが。
「一筆啓上火の用心お仙なかすな馬肥やせ」の手紙で有名な本多作左衛門の墓
お仙は作左の長男です。
本多作左衛門重次の墓
本多作左の墓近くから下る坂(台宿2-13の台宿保育所脇の坂)
天正元年(1573)北の天満宮から分霊したという。
飯塚眼科前からさくら坂の方へ下る坂(取手3-5と3-6の間)
さくら坂 取手駅東口から南東に上る。《地図》
坂の上部にさくら(佐倉)道が横断し、途中には桜並木の名残りの老桜が2本残っている。平成18年に住民のアンケートにより命名された。60件位の坂名のうち、「さくら坂」・「佐倉坂」・「桜坂」が合計24票と多かった。『取手の坂道愛好会の資料』より。坂上は通称台宿坂上で「台宿坂上」バス停もある。ありふれた「さくら坂」より「台宿坂」の方がいいと思うが。
平将門が承平元年(931)に創建したと伝わる臨済宗の寺。この寺の落慶の際、見物に来ていた娘の一人が、多くの群集の中から将門に見出されて愛妾、桔梗の前になったといういい伝えがある。 利根川(取手)七福神の大黒天。
「十一面観音像」は将門の守り本尊といわれている。外観が二層だが内部は三層になっており、順路に沿ってお参りすると往路・復路が途中で交差することなく堂内を一巡できる「さざえ堂様式」で建てられているお堂。毎年4月18日だけ公開される。
取手宿本陣染野家 表門(取手市取手2-16)
平成8年度に主屋、表門、土蔵、庭園の解体修理工事が終了した。修理の様子のビデオを見せてもらう。屋根に萱を葺いたり、床の張替えなど実際の現場での作業を映した興味深い内容だった。『水戸街道』
正面が常磐線。現在、小堀(おおほり)の渡しは小堀と対岸の取手側の船着場と利根川の常磐線下の「取手ふれあい桟橋」との3点間で就航している。ちょうどこのあたりで雨風が強くなり傘が役立たず、渡し場まで行くのをあきらめた。
神明坂 取手2-15と2-17の間を東に上る石段。本陣の裏側あたり。 《地図》
坂上の駐車場に神明大神宮の小祠がある。
神明坂の坂上の駐車場内。昔は駐車場一帯にもっと大きな神明社が建っていたのだろう。
二高へ上る坂(坂下方向) 東2-1と2-6の念仏院の間を北方向に上る坂だったと思うが。坂上に取手二高。通りがかりの女性の話では、特に坂名はなく、「二高へ上る坂」と呼んでいるという。
利根川(取手)七福神の福禄寿。
今は設計事務所のようだ。
正保4年(1647)の建立という。現在の社殿は平成8年に竣工。
雁耕坂 取手駅東口から北東に上る。《地図》
このあたりは、「雁が稲穂を摘んでいる姿が田圃を耕しているように見えて」、「雁耕地」と言われ、高台の取手一高の敷地を「雁耕台」と呼び、文化祭「雁耕祭」や弁論大会「雁耕杯」や校歌には「雁わたる丘・・・」など愛称されている。平成18年の台宿の住民の坂道愛称アンケートで、トップを得て命名された。『取手の坂道愛好会の資料』より
平将頼の後裔ともいわれる大鹿一族の鎮守であったという。 将門は、この地(新町)に住んでいたという伝えもあるそうだ。
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コメント
二高に上がる坂の写真は、実際にはここかな?
取手市, 茨城県
https://maps.app.goo.gl/Wvcg1KvF5EPBcGds7
投稿: 取手坂 | 2022年8月24日 (水) 16:45