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2007年3月14日 (水)

本庄市(埼玉県)の坂-1

2007年3月14日

本庄駅(JR高崎線)・・・中山道・不動坂・・・円心寺・・・大正(だいしょう)院・・・御堂(みとう)坂・・・八坂神社・・・城下公園・城山稲荷・本庄城跡・・・西広寺・寺坂・寺坂橋(元小山川支流)・・・賀美橋・石尊(せきそん)坂・新賀美橋・・・若泉第一公園・・・阿夫利天神社・・・普寛霊場・・・田村本陣門・歴史民俗資料館・・・安養院・・・清水坂・・・若泉公園・・・国道17号・・・泉坂橋・・・泉坂・唐鈴(とうれい)神社・・・長松寺・・・金鑚(かなさな)神社・・・仏母寺・高尾山・・市立図書館・・・慈恩寺・・・開善寺・・・三夜横丁・・・銀座通り・・・城立寺・・・本庄駅

 中山道本庄宿の坂を歩きました。不動坂、御堂坂は中山道の坂で、どちらも緩やかな坂です。御堂は「みどう」ではなく、寺のお堂とは関係ありません。不動坂の北の八坂神社から城山稲荷あたりは本庄城のあった所です。城跡から西に駅前通りを越え、西広寺の東側から寺坂橋へ寺坂を下りました。寺坂の寺は当然、西広寺と思っていましたが、坂上近くの慈恩寺か開善寺のようです。寺坂橋は明治時代に設置された切り石造りのアーチ型の県内に残る最古の橋だそうですが、鉄パイプの柵などで補修されていて知らないと見過ごしてします。

 寺坂橋から小川に沿って西に行くと賀美橋から石尊坂が南に上っています。坂の途中にある阿夫利天神社にゆかりのある坂名です。坂上近くの歴史民俗資料館のしゃれた洋風の建物は補修工事中でシートにすっぽり覆われて見ることができずちょっと残念。西に安養院に寄り、図書館を過ぎると北へ清水坂が下っています。坂下の若泉公園の遊歩道を通り、湧泉橋から国道17号に出ました。泉坂橋の南の本庄市小島交差点(国道17号)から南方向に上るなだらかな坂が泉坂でしょう。坂下に唐鈴神社、坂上近くに長松寺があります。

 泉坂の坂上から南東方向に進み、中山道沿いの金鑚神社から仏母寺に寄り、市立図書館で本庄市の地名等を調べました。不明、疑問なことなどもかなり解決し、けっこう収穫がありました。本庄七福神の慈恩寺、開善寺、城立寺に寄って本庄駅に出ました。気づかない間に本庄七福神の8寺1社の泉林寺(寿老人)を除く寺社を回っていました。9分の8くらいのご利益があるでしょうか。やっぱり意識して全部参らなければダメでしょう。

 【地図

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc05285 不動坂 中山道の本庄駅北口交差点から東に下り、中山道交差点へ上る。《地図

大正院不動堂と不動剣による坂名。

Dsc05288_1円心寺山門(本庄3-3)

天明年中(1781~89)の建立といわれる。本庄七福神の福禄寿

Dsc05287_1説明板

Dsc05302 大正院不動堂(本庄2-4)

本庄宿に住んでいた刀匠により作られ、本尊とともに奉拝されてきた寺宝の不動剣を安置する。本庄七福神の弁財天

Dsc05300説明板

Dsc05303 不動剣の石板(不動堂左前)

Dsc05296「炎燃え 正邪をただす 不動剣」

Dsc05309_1 御堂(みとう)坂 中山道の諏訪町交差点から西に上る。《地図

小字名の「御堂(みとう)」からの名。御堂は寺のお堂ではなく、沢の入口などにつけられる「ミト」で、本庄台地を河川(女堀川?)跡が切り崩した、小さな谷状の出口。この「ミト」に御堂の字をあてたものと思われる。『地名と歴史』

Dsc05312_1 坂上方向

Dsc05316 八坂神社(本庄3-6)

弘治2年(1556)の創建という。祭礼に奉納される獅子舞は市の無形文化財。

Dsc05317説明板

Dsc05326_1 城下公園(八坂神社の北側)

Dsc05331城山稲荷神社(城下公園西側)

弘治2年(1556)の建立で、社殿前のケヤキもその時に献木されたものという。

Dsc05330_1 説明板

Dsc05336 本庄城跡(城山稲荷、八坂神社、駅前通り近くまで)

弘治2年(1556)、武蔵七党の一つ児玉党の本宗家、本庄氏により築城。

Dsc05334 説明板

Dsc05339_1 寺坂 中央2-3の西光寺の東側から北西に下る。坂下に寺坂橋。左側の門が西光寺。《地図

小字名の「寺坂」のよる坂名。寺は西広寺と思っていたが、「慈恩寺」(『地名と歴史』)、「開善寺」(『本庄市史』)とする説がある。

Dsc05348 坂上方向

Dsc05352_1 坂下の寺坂橋から

Dsc05357寺坂橋

明治22年設置の、切り石造りのアーチ橋。

Dsc05370 石尊(せきそん)坂 若泉1丁目の新賀美橋(元小山川)から南に上る。 《地図

阿夫利天神社付近を「石尊山」、若泉公園を「石尊下」と呼ぶ。阿夫利天神社は、神奈川県の大山の阿夫利神社を勧請したもので、大山の阿夫利神社は奥の院に石尊大権現を祀り、石尊さまとも呼んでいた。『地名と歴史』

Dsc05366_1 雪をすっぽり被った?山

石尊坂の坂下から西方向

Dsc05373_1坂上方向

Dsc05374 若泉第一公園(賀美橋の所)

Dsc05381_1阿夫利天神社(石尊坂の途中)

大正2年に阿夫利神社と天神社を合祀。

Dsc05377 説明板

Dsc05389_1普寛霊場 (中央3-4)

木曾御岳霊場を開いた本明院木食普寛行者の墓と霊場がある。

Dsc05383_1 説明板

Dsc05393 田村本陣門(歴史民俗資料館前に移築)

中山道本庄宿の北本陣といわれた田村本陣の正門。中央区1-6の中山道沿いにあった。

Dsc05392 説明板

Dsc05396_1歴史民俗資料館(中央1-2)

旧本庄警察署の建物。補修中でブルーシートに覆われている。

Dsc05405_1安養院(中央3-3)

文明7年(1475)の創建という曹洞宗の寺。本庄七福神の毘沙門天

Dsc05403_2 説明板

Dsc05410 清水坂 元小山川の清水橋から千代田3丁目と4丁目の間を南西に上る。《地図

若泉公園あたりに湧いていた清水による名。

Dsc05413 坂上方向

Dsc05412_1清水橋から若泉公園

Dsc05424_1 泉坂 泉坂橋(元小山川)の南の本庄市小島交差点(国道17号)から、唐鈴神社の西側を南に上る。《地図

泉坂は小字名で、坂下に泉があったことによる。鎌倉街道の道筋。この坂を昭文社発行(2001年1月)の都市地図「埼玉県11 本庄市」の本庄市中心部では、「ねずみ坂」と記載してある。「いずみ」と「ねずみ」は一字違いで、誤植なのか? それとも正しいのか調べても分からず。

Dsc05429_1 坂下方向

Dsc05426 唐鈴神社(小島5-4)

遣唐使の大伴宿根古麿が唐の玄宗皇帝から贈られた金鈴に因む神社。

Dsc05425 説明板

Dsc05437_2 長松寺(唐鈴神社の南側)

唐鈴山薬師院と称する真言宗の寺。このあたりには武蔵丹党の一族、小島氏の館があった。古くはこの周辺には100余基の古墳が造られ、旭・小島古墳群と名づけられている。

Dsc05435_1 説明板

Dsc05442 金鑚(かなさな)神社(千代田3-2)

創立は欽明天皇2年(541)と伝う。本庄七福神の恵比寿

Dsc05441 説明板

Dsc05450_1 仏母寺(千代田3-3)

明治時代に再興された真言宗の寺。本庄七福神の銭洗い弁天

Dsc05451 説明板

Dsc05459_1 高尾山(仏母境内)

明治時代に八王子市の高尾山薬王院から分身を奉遷。

Dsc05453 説明板

Dsc05454 庚申塔(右・寛延4年(1751))

二十三夜塔(中・ 宝暦2年(1752))

Dsc05463 慈恩寺(中央2-2)

本庄七福神の銭洗い弁天

Dsc05465 開禅寺(中央2-8)

天正19年(1591)本庄城主小笠原信嶺の開基。本庄七福神の布袋尊

Dsc05464 開禅寺説明板

Dsc05467_1 三夜横丁

Dsc05470 城立寺(銀座3-4)

本庄七福神の大黒天

Dsc05466 武州本庄七福神

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