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2007年3月17日 (土)

川崎市の坂-2・都筑区(横浜市)の坂-1

2007年3月17日

宮崎台駅(田園都市線)・・・さくら坂・・・長坂・・大山街道庚申坂・・・堂脇坂・・・八幡神社・小台庚申堂・八幡坂①・・・富士見坂・・・小台坂・・・春待坂・・・八幡坂②・・・阿弥陀堂・・・馬頭観音堂・・・皆川家・うとう坂ここまで大山街道で続きは下に記載)・・福王院・・・神明坂・神明神社・・・有馬温泉・・・下有馬不動尊・・・日向(ひなた)坂・・・鷺沼駅(田園都市線)

  【ル-ト地図】(大山街道)

 宮崎台駅を囲むように、南にさくら坂、東に長坂、北に庚申坂、西に堂脇坂があります。堂脇坂を下って、尻手黒川道路を西に宮前平駅に出ました。駅の北側に八幡神社があり、大山街道の八幡坂①、急で長い富士見坂が上っています。今は富士見坂の坂上からは富士山は望めないようです。富士見坂の坂下から田園都市線のガードをくぐり、大山街道の小台坂を上り、大山街道から離れ、鷺沼駅近くの春待坂を往復し、坂上近くから八幡坂②を下りました。近くに八幡神社は見当たりません。昔、あったのでしょうか。坂下は国道246号で道路沿いに小さな阿弥陀堂があります。鷺沼2丁目交差点から南に入ると道標馬頭観音が立っています。もとは上有馬と牛久保の境あたりにあったそうです。

 横浜市都筑区に入り、皆川家あたりから、うとう坂のなだらかな下りとなります。坂下は昔牢屋があったという字牢場谷戸。大山街道から離れ(続きは下に記載)、川崎市に戻り有馬5丁目の福王院から神明坂を上り、日本最古の温泉というふれ込みの有馬温泉から、下有馬不動尊へ寄りました。昔はここは崖上から滝が落ち、村人が水垢離をしたそうで崖下に不動明王が立っています。東側の日向坂を上り下りし下有馬からバスで鷺沼駅に出ました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc05548_1 さくら坂 宮崎台駅南側を南西方向に上る。 《地図

桜並木の坂。

Dsc05550 坂下方向

Dsc05553_1 坂上方向

Dsc05555 長坂 さくら坂の坂下近くの長坂交差点から北西に上る。《地図》 

確かに長い坂だ。

Dsc05557_1 坂上方向

Dsc05559 坂下方向

Dsc05566_1庚申坂 長坂の坂上近くの団地前交差点から南西下る大山街道。 《地図

昔、近くに庚申堂があった。

Dsc05564_1 坂上から

Dsc05567 坂下から

Dsc05572 堂脇坂 馬絹の尻手黒川道路の東平台交差点から北から北西に上る。 《地図

昔、この近くにお堂があり、このあたりを堂脇と呼んでいた。

Dsc05575_1 坂上方向

Dsc05580_2八幡神社(宮前平2丁目、宮前平駅北側)

この地は土橋村と馬絹村の境。馬絹神社に合祀されたが、この地に戻った。

Dsc05577 小台庚申堂(八幡神社下)

Dsc05584_1 八幡坂 八幡神社と田園都市線の間を北東方向に上る。《地図》 

Dsc05587 坂下方向

Dsc05588_1 坂上方向

Dsc05591_1 富士見坂 八幡神社の南側から北西に上る。《地図》 

坂上の富士見台小学校から今は富士山は見えず、土橋一丁目公園から見えるそうだ。

Dsc05593 坂下方向

正面の橋は田園都市線

Dsc05594 坂上方向

Dsc05597_1 坂下方向

Dsc05602 小台坂 富士見坂の坂下から田園都市線のガードをくぐり小台1丁目と2丁目の間を南方向に上る。《地図

大山街道の道筋

Dsc05605_2 坂下方向

Dsc05612_1 春待坂 鷺沼1丁目と3丁目の境の鷺沼小交差点前から東方向に上る。 《地図

西向きの斜面で桜の咲くのが遅いので、春を待つというイメージからの愛称。

Dsc05611 坂下方向

Dsc05614 坂下から

Dsc05616_1 八幡坂 鷺沼1-8と1-24の間を北方向に上る。 《地図

大山街道の坂。昔、付近に八幡神社があったのだろうか?

Dsc05618_1 坂上方向

Dsc05621_1 阿弥陀堂(八幡坂下の国道246号沿い)

Dsc05623 馬頭観音道標(有馬9丁目の国道246号の鷺沼2交差点の南側そば)

文化2年(1805)11月の銘。かつては上有馬と牛久保の境近くにあった。左側面に「大山道」・右側面に「王禅寺道」と刻字があった。大山道から分岐して保木の薬師堂を経て王禅寺に至たる道標として貴重。
移設されてここにはないそうだ。下記にコメントをもらった。2017年6月15日

Dsc05627_1 皆川家(横浜市都筑区牛久保町の大山街道沿い)

大山道荏田宿~溝口間の馬の休憩所の立場がおかれていた。

Dsc05628 うとう坂 都筑区あゆみが丘の荏田綱島線の中川交差点の西側から北東方向に上る。《地図》 

坂下は字牢場谷戸といい、昔は牢屋があったという。ここを通ったある藩主が籠の中から処刑を見て「うといものを見てしまった・・・」といったのが坂名の起こりだと伝える。『かながわ 坂のある風景』とあるが、どうもこじつけの感じがある。うとう坂は各地にあり、いろんな字を当てている。「うとう」は「烏頭」で、善知鳥(うとう)の「くちばし」に似たような地形、すなわち、山や海浜の出崎を言ったのであろう。『江戸の坂東京の坂』の説の方がいいのでは。

Dsc05630_1 坂上方向

Dsc05640 坂下から

ここで大山街道から離れる。続きは下に記載。

Dsc05650_1 神明坂 有馬5-13の神明神社の北側を南東に上る。 《地図

Dsc05648_1 坂下から

Dsc05651 坂下方向

Dsc05653神明社

Dsc05652_1 説明板

Dsc05661 有馬温泉(東有馬3-5)

日本最古の温泉というふれこみ。歴代の天皇たちが湯治に訪れたのは兵庫の有馬温泉でなくここだとか。古田武彦氏が喜びそうな話だ。

Dsc05664下有馬不動尊(東有馬3-7)

Dsc05667_1 説明板

Dsc05668_1不動明王(崖下)

かつては崖から滝が落ち、村人の水垢離の場だった。

Dsc05669 不動明王

明和6年(1769)の銘

Dsc05673_1 日向(ひなた)坂 東有馬3-8と3-13の間を北に川崎北高入口交差点へ上る。 《地図》 

昔、このあたりは「日向」と呼ばれていた。

Dsc05678_1 坂下から

Dsc05677_1 坂上から

  ******大山街道の続き(2012年1月19日)*****

中川駅(横浜市営地下鉄)・・・うとう坂下・・・(市営地下鉄)・・・不動の滝・老馬鍛冶山不動堂・・・早渕川・・・鍛冶橋・・・荏田下宿庚申塔・・・中宿秋葉講常夜灯・・(荏田交差点・国道246号)・・・高札場跡・・・布引橋・・・国道246号・・旧道・・庚申塔・・・(東名高速道路)・・・地蔵堂・・江田駅(田園都市線)・・・国道246号・・田園都市線ガード・・・市ケ尾竹下地蔵堂・・地蔵下交差点・・・市が尾駅(田園都市線)

Img_0401不動の滝 【ル-ト地図】の10

滝とも霊泉とも呼べる状態ではない。

Img_0398説明板

Img_0402老馬鍛冶山不動堂(不動の滝の上)

Img_0406早渕川沿いを進み鍛冶橋を渡る。

もとは旧道は大橋(跡)を渡った向う岸を通っていて、文久2年(1862)の生麦事件を契機に設置された番小屋があったそうだ。

Img_0409荏田下宿庚申塔 【ル-ト地図】の11

Img_0410説明板

Img_0411庚申塔

荏田宿は江戸から7里、長津田宿へ2里で、下宿・中宿・上宿に分かれていた。街道沿いに3軒の旅籠と商店の27軒が軒を連ねていた。天保2年(1831)渡辺崋山は枡屋に泊まった。(『游相日記』) 明治27年の大火で壊滅的な打撃を受け、今は宿場の面影はなく住宅街になっている。

Img_0414中宿秋葉講常夜灯(小泉宅内) 【ル-ト地図】の12

文政4年(1821)の大火後の文久元年(1861)に防火祈願で建立された。
荏田宿まねき看板

荏田交差点(国道246号)を渡った先の辻が高札場跡。

Img_0424荏田城址 【ル-ト地図】の13

小田原北条氏の支城。小机城の防衛に鎌倉道や矢倉沢往還の抑えとした。東麓は小黒谷と呼ばれ、江田源三が義経から拝領した名馬・小黒に因む伝説があるが、土が黒いための地名ともいう。

この先でいったん国道246号に出る。

Img_0426右に旧道に入ると小さな庚申塔が佇んでいる。《地図

Img_0428庚申塔(寛保2年(1742))

Img_0431地蔵祠 《地図

江田駅のガードをくぐり国道に出て、再びガードをくぐって線路沿いを進み、右に曲がって行く。

Img_0440市ケ尾竹下地蔵堂 【ル-ト地図】の14

この先の大山街道は『青葉区・緑区の坂』に続く。

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コメント

掲載写真のある、馬頭観音道標(有馬9丁目の国道246号の鷺沼2交差点の南側そば。
は標記の場所にはありません。横浜市内寺社に移転されています。

投稿: | 2017年6月15日 (木) 10:11

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