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2007年3月29日 (木)

あきる野市(東京都)の坂-1

2007年3月29日

武蔵五日市駅南口(JR五日市線)・・・権田(ごんだ)坂(檜原街道)・・・市神様(五日市ひろば)・・・五日市郷土館・・・(檜原街道)・・・玉林寺・・・上町交差点(檜原街道)・・・明神坂・・・小和田橋(秋川)・・・阿伎留(あきる)神社・・・小和田橋・・・滝坂・・・八坂神社・・・秋川街道(八王子五日市線)・・・小林坂・・・権田トンネル・・・檜原街道・・・武蔵五日市駅

 あきる野市は秋川市と五日市町が平成7年に合併して誕生した市です。今日は初夏のような陽気の中、旧五日市町方面の坂を歩きました。

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Dsc06604 権田(ごんだ)坂(坂下方向) 武蔵五日市駅南側を南西に上る檜原街道。 《地図

権田とは二流の田の意で、樽沢が秋川に注ぐあたりの低い谷間に僅かの面積で収穫も乏しい権田があった。『五日市町の古道と地名』 
権田へ下る坂なのでこの名で呼ぶようになったのだろう。今はゆるやかな坂だが昔は、嶮しい急坂だった。

Dsc06611_1 権田坂

大正時代の写真『五日市町史』より

Dsc06612_1 昭和50年

Dsc06607_1 市神様(権田坂の途中の「五日市ひろば」内)

かつては五日市の市の中心に祀られていた。

Dsc06606 市神様説明板

Dsc06609_1 阿伎留神社御旅所・古道具屋(権田坂の坂上近くの五日市小交差点近く)

御旅所(おたびしょ)とは、(阿伎留)神社の祭礼の神輿の渡御の際し、本宮を出た神輿を迎えて仮に奉安するところ。

Dsc06610_1 古道具屋の後ろに並ぶのは秦の兵馬俑の人形か?

Dsc06613_1旧市倉家住宅(五日市920)

五日市郷土館の敷地内

Dsc06617_2 「黒八丈」の羽織(郷土館内)

黒色に染められた絹織物で、江戸時代後半から主に秋川・平井川流域、及び多摩川流域の一部で製造され、幕末から昭和初期までは、「五日市」という別名をも称せられて、比較的高級な織物の一つとして全国的に販路を拡大した、あきる野の代表的な伝統産業製品です。『郷土あれこれ 第8号』(平成12年) 黄八丈 」は有名だが、「黒八丈」は知らなかった。

Dsc06627_1 「陶器のむらやま」の土蔵(郷土館の南の檜原街道沿い)

「土蔵へどうぞ」の看板が気に入って中を見せてもらった。

Dsc06629 玉林寺(五日市926)

臨済宗建長寺派の寺。創建は暦応2年(1339)

Dsc06634_1 檜原街道の上町交差点近くから玉林寺の方へ下る坂。正面は今熊山か?

Dsc06635_1 延命地蔵堂(檜原街道の上町交差点の所)

Dsc06637 明神坂 上町交差点から南方向に下る。坂下は秋川の小和田橋。 《地図

坂の東側の阿伎留神社は「松原大明神」とも称され、地元では「松原様」と呼ばれる。

Dsc06639_1 坂上方向

Dsc06640 坂下方向

Dsc06643_1 小和田橋(秋川)から

Dsc06646 阿伎留神社(五日市1081)

「あきる野市」の名前の由来ともなった神社。

Dsc06650滝坂 留原の秋川街道の留原交差点から東に入り、「HOYA」工場の南側を南西から北西に下る。坂下を行くと小和田橋に出る。《地図

南の八坂神社の裏あたりからの流れがこの坂付近では滝のように勢いよく流れるからという。

この坂は明治時代になって開かれた坂で、かつては留原から現在の紫水園あたりを通り、小和田へ出る坂道(間坂)を下りた。『五日市の古道と地名』

Dsc06658 坂上方向

Dsc06661 坂上近くから

Dsc06663 八坂神社(留原320)

留原(ととはら)村の総鎮守

Dsc06665説明板

Dsc06678_1 小林坂 

このあたりの字名で、大庄屋の小林家があった。いつの時代か、当主が女・賭け事にうつつを抜かし夜逃げをしたという。『東京の坂風情』

Dsc06670 小林坂 留原交差点から北から北西に下る秋川街道。坂上近くに小林坂バス停。《地図》 

右が旧道・左が新道(秋川街道)

Dsc06672 小林坂(旧道・坂下方向) 

Dsc06676_1 いったん新道に出る。

Dsc06679 再び右に分岐して下る旧道 (左側が新道)》

Dsc06680新道と合流地点から坂上方向

Dsc06688 秋川橋から

Dsc06689 権田トンネル(武蔵五日市南側の秋川街道)

上が檜原街道

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2007年3月24日 (土)

取手市(茨城県)の坂-1

2007年3月24日

取手駅西口(常磐線)・・・治助坂・・・四谷橋(常磐線・関東鉄道常総線)・・・寺前ガード(常磐線)・・・西坂・・・観音堂(新四国相馬霊場第32番札所)・・・薬師堂(第23番)・・・大ケヤキ・・・虚空蔵堂(第12番)・虚空蔵坂・・・米原(こんばら)キリン坂・・・キリンビール工場・・・切通しの坂(キリンビール工場から「もちや坂」に向う途中の坂)・・・もちや坂・・・井野台さくら公園・阿弥陀堂(第46番)・阿弥陀坂・・・城山観音坂・城山観音堂(第8番)・・・石坂(佐倉道)・大日堂(第61番)・・・一丁目の急坂・・・本多作左衛門重次の墓・・・井野天満神社(第31番)・・・本尊地蔵菩薩(第20番)・・・飯塚眼科前の坂・・・さくら坂・・・長禅寺(第1番・第88番)・・・取手宿本陣染野家・・・八坂神社(第3番)・・・小堀(おおほり)の渡し近く(利根川)・・・神明坂・神明大神宮の小祠・・・ニ高へ上る坂・・・念仏院(第2番)・・・香取神社・不動院(第4番)・・・さくら坂・・・雁耕坂・・・四谷橋・・・治助坂・・・水戸街道・・・愛宕神社・・・取手駅西口

  【ルート地図

 友人のK氏(三街道九郎助)が「取手の坂道愛好会」さんから頂いた「取手の坂道」資料をもとに、3人で取手駅周辺の坂、佐倉道、取手宿を歩きました。「治助坂」・「雁耕坂」・「さくら坂」には「取手の坂道愛好会」が中心となり、取手ライオンズクラブの協力で今年の2月14日に設置された真新しい御影石の坂標が立っています。

 今日の坂道散歩はゆっくり回ってちょうど半日くらいのコースでした。取手宿の史跡、寺社や公園など見どころも多く、神明坂、石坂と名前のついている坂を見つけたり、一丁目の急坂、切通しの坂など気持ちのいい坂にも出会えました。『取手の坂道愛好会の資料』によれば、取手市には「小文間」や「戸頭・米ノ井」などにも多くの坂があります。名前のついている坂から順次歩いていくつもりです。

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Dsc06588 治助坂 取手駅西口から北に上る。《地図》 

明治時代からこの名があったらしい。治助さんが「馬車を押していた」、「自殺した」、治助坂には「ムジナ」がいた、「追い剥ぎが出た」など言われているが由来は不明。終戦頃まで、こんもり木が茂って人通りは僅かであった。『取手の坂道愛好会の資料』より

Dsc06587_1 古い坂標

この坂の道路はもっと拡幅されるようで、この坂標もいずれ撤去されるだろう。

Dsc06408 治助坂(取手駅西口から)

Dsc06409 坂下から

Dsc06410 坂上から

Dsc06415 西坂 常磐線の寺前ガード(井野1-2と1-3の間)をくぐり北東に上る佐倉道。《地図

井野台の西にあることからついた坂名だろう。

Dsc06416_1 坂下方向

Dsc06421_1 観音堂(新四国相馬霊場第32番札所)(井野台1丁目)

Dsc06426 薬師堂(第23番) 井野台2-7

Dsc06430 大ケヤキ(薬師堂の北側の民家内)

高さ11m、樹齢260年以上。根元を接してスダジイの大木もあったが、伐採したそうだ。

Dsc06433_1 虚空蔵坂(左)・虚空蔵堂(正面・第12番)

井野台2-4の虚空蔵堂の西側を北東方向に下る。《地図

Dsc06440_1 坂下から

Dsc06441 米原(こんばら)キリン坂 虚空蔵坂の坂下から東に進み、井野台2-10と2-14の間を上って、下る。坂下はキリンビール取手工場 《地図

渋谷区恵比寿に「ビール坂」(サッポロビール)・世田谷区成城4丁目(調布市との境)に「ビール坂」(サッポロビール)・横浜市中区に「ビヤ坂」(「キリン公園」のところで明治3年に日本で始めてビールが造られた)・横浜市保土ヶ谷区に「ビール坂」(大日本ビール会社(明治39年頃設立)があります。詳細は『坂名一覧』で。

Dsc06443 坂下方向

正面はキリンビール取手工場

Dsc06446_1 「キリンビール工場」から「もちや坂」への途中の坂 《地図

井野台2-15と2-16の間を南から西に上る切り通しの坂で静かな風情のある坂だ。名前はないのだろうか?

Dsc06453 もちや坂 常磐線の井野下踏切から井野台1-26と2-17の間を北西に上る。《地図》 

昔、坂の途中に餅屋があったことからこの名で呼ばれている。『取手の坂道愛好会の資料』より 坂の途中の家の人の話によると坂下の家の屋号が「もちや」だという。

Dsc06455_1 坂上方向

Dsc06460_1 井野台さくら公園(井野台1-24)

桜の開花にはまだ早かった。

Dsc06462_1 阿弥陀堂(第46番) (井野台1-26、さくら公園の東側)

Dsc06463 阿弥陀坂 井野台さくら公園の西側から西に下る石段。《地図》 

昔はさくら公園あたりも阿弥陀堂の境内だったのか。

Dsc06467_1 城山観音坂 井野台1-20の城山観音堂に上る石段。

Dsc06469_1 城山観音堂(第8番)

Dsc06482 石坂 取手一高(台宿2-4)の北側と台宿2-10の間を南東に上る佐倉道。《地図》 

坂上の第61番大日堂に上る坂からの坂名だろう。

Dsc06477_1 石坂新築奉納記念碑

坂上の大日堂のところ。

Dsc06480 坂上から

Dsc06478 大日堂(第61番) (石坂の坂上)

Dsc06485注意標識

Dsc06486 一丁目の急坂 台宿2-10と2-11の間を北に下る。《地図

坂上の家の人の話ではこの坂に名前はついていないそうだ。木が坂を覆っているので、木の名前の坂にしたらどうかと、K氏が何の木か聞いたが家の人も分からないと言い、隣家へ被さってきているので、近々先端の方を切るとのこと。細く直線的に下る急坂で、子ども達が自転車で下ってスピードを制御できず危険なので上の写真の看板を取り付けたそうです。

Dsc06487 坂下から

坂の上の木の枝を切ってしまえばトンネルのような景観も見られなくなるのは残念な気もするが。

Dsc06490_1「一筆啓上火の用心お仙なかすな馬肥やせ」の手紙で有名な本多作左衛門の墓

お仙は作左の長男です。

Dsc06491本多作左衛門重次の墓

Dsc06493本多作左の墓近くから下る坂(台宿2-13の台宿保育所脇の坂)

Dsc06496_1 坂下から

Dsc06501 井野天満神社(第31番)(台宿2-6の佐倉道沿い)

天正元年(1573)北の天満宮から分霊したという。

Dsc06505説明板

Dsc06515_1 第20番の本尊地蔵菩薩堂へ上る坂(台宿2-3)

Dsc06519本尊地蔵菩薩(第20番)(台宿2-3)

Dsc06521 飯塚眼科前からさくら坂の方へ下る坂(取手3-5と3-6の間)

Dsc06525_1 さくら坂 取手駅東口から南東に上る。《地図》 

坂の上部にさくら(佐倉)道が横断し、途中には桜並木の名残りの老桜が2本残っている。平成18年に住民のアンケートにより命名された。60件位の坂名のうち、「さくら坂」・「佐倉坂」・「桜坂」が合計24票と多かった。『取手の坂道愛好会の資料』より。坂上は通称台宿坂上で「台宿坂上」バス停もある。ありふれた「さくら坂」より「台宿坂」の方がいいと思うが。

Dsc06527 坂下から

Dsc06581 坂下方向

Dsc06534 長禅寺山門(第1番・第88番)(取手市取手2-9)

平将門が承平元年(931)に創建したと伝わる臨済宗の寺。利根川(取手)七福神の大黒天。

Dsc06528 長禅寺略記

Dsc06531_1長禅寺三世堂

外観が二層だが内部は三層になっており、順路に沿ってお参りすると往路・復路が途中で交差することなく堂内を一巡できる「さざえ堂様式」で建てられているお堂。毎年4月18日だけ公開される。

Dsc06530三世堂説明板

Dsc06547_1取手宿本陣染野家 表門(取手市取手2-16)

平成8年度に主屋、表門、土蔵、庭園の解体修理工事が終了した。修理の様子のビデオを見せてもらう。屋根に萱を葺いたり、床の張替えなど実際の現場での作業を映した興味深い内容だった。『水戸街道

Dsc06545 土蔵

Dsc06542_1本陣主屋

Dsc06539説明板 

Dsc06548八坂神社(第3番) (取手東1-2 )                                  

Dsc06549説明板

Dsc06553_1 利根川

正面が常磐線。現在、小堀(おおほり)の渡しは小堀と対岸の取手側の船着場と利根川の常磐線下の「取手ふれあい桟橋」との3点間で就航している。ちょうどこのあたりで雨風が強くなり傘が役立たず、渡し場まで行くのをあきらめた。

Dsc06554 神明坂 取手2-15と2-17の間を東に上る石段。本陣の裏側あたり。 《地図

坂上の駐車場に神明大神宮の小祠がある。

Dsc06555_1 坂下から

Dsc06556 坂上から

Dsc06558_1 神明大神宮の小祠

神明坂の坂上の駐車場内。昔は駐車場一帯にもっと大きな神明社が建っていたのだろう。

Dsc06521_1 二高へ上る坂(坂下方向) 東2-1と2-6の念仏院の間を北方向に上る坂だったと思うが。坂上に取手二高。通りがかりの女性の話では、特に坂名はなく、「二高へ上る坂」と呼んでいるという。

Dsc06565 念仏院(第2番)(取手市東2-6)

利根川(取手)七福神の福禄寿。

Dsc06568_1 旧家

今は設計事務所のようだ。

Dsc06570_1 香取神社(取手3-6)

正保4年(1647)の建立という。現在の社殿は平成8年に竣工。

Dsc06569 説明板

Dsc06578_1 不動院(第4番) 香取神社の前

Dsc06584 雁耕坂 取手駅東口から北東に上る。《地図》 

このあたりは、「雁が稲穂を摘んでいる姿が田圃を耕しているように見えて」、「雁耕地」と言われ、高台の取手一高の敷地を「雁耕台」と呼び、文化祭「雁耕祭」や弁論大会「雁耕杯」や校歌には「雁わたる丘・・・」など愛称されている。平成18年の台宿の住民の坂道愛称アンケートで、トップを得て命名された。『取手の坂道愛好会の資料』より

Dsc06583 坂下から

Dsc06586 坂上から

Dsc06599 愛宕神社(新町4-4)

Dsc06595 愛宕神社から水戸街道、利根川方向

Dsc06602 西口から水戸街道の方へ南西に上る坂。

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2007年3月22日 (木)

青葉区・緑区(横浜市)の坂-1

2007年3月22日

市ヶ尾駅(田園都市線)・・・大山街道・・・市ヶ尾竹下地蔵堂・・・猿田坂・・・川間橋(三文橋・鶴見川)・・・田中屋・・・一里榎・・・医薬神社・・・さいかち坂・再勝坂・・・元・寿光院墓地・石塔坂・・・国道246号・恩田川・・・(長津田宿・緑区)・・・片町の石像群・・・岩川・・・六地蔵・・・下長津田神社・・・泣坂・・・餅塚・・・上の原の石仏群・・・いぼとり地蔵・・・(国道246号)・・・片町地蔵堂・・・大山街道・・・下宿常夜燈・・・女坂・大石神社・・・大山街道の旧道・長津田小学校・・・長坂・・・国道246号(ここまで大山街道)・・・林地蔵・・・二十三夜塔・双体道祖神・・・福泉寺・・(国道246号)・・王子神社・・・お七稲荷・・・(国道246号)御前田交差点・・・御前田の石仏群・・・大林(だいりん)寺・・・随流院・・・長津田駅(田園都市線・横浜線)

 荏田宿の西の市ヶ尾駅から長津田まで大山街道沿いと長津田宿周辺を歩きました。大山街道は国道246号線(現大山街道)と田園都市線に近づいたり、離れたり、交差したりして西に向っています。石塔坂下の恩田川あたりから片町交差点までは国道を通らねばなりません。片町交差点手前の石像群(群といっても何十、何百もあるわけではない)が見当たらず車の騒音の中、恩田川まで戻ってしまいました。また引き返し、やっと見つけた石像たちは壊滅状態という感じでした。

 片町交差点から南に、下長津田神社から横浜線をくぐり、泣坂に出ました。怖い?悲しい?伝承のある坂ですが、もちろん今の坂の周辺には、往時を彷彿とさせるものは何も残っていないただの車道です。泣坂にゆかりがあるのか、ないのか、餅塚にも寄って見ました。

 上の原の石仏群などから国道246号を渡り、大山街道に戻りました。長津田駅の南側あたりの街道沿いに長津田宿下宿の常夜燈などが立ち、大石神社の急な女坂にも上宿の常夜燈があります。神社の西側から長津田小学校の方へ上り、小学校の壁に沿って下る未舗装の細い道が大山街道の旧道です。旧道を下り、さらに細い道を下ると南長津田団地前の大山街道に戻ります。長くゆるやかな長坂が国道246号の長津田交差点まで上っています。

 大山街道から離れ、長津田交差点近くのフィールドアスレチックの脇から南に入りました。このあたりの道は細くて起伏が大きく、緑、畑の残っているほっとする所で、道端に林地蔵、二十三夜塔、双体道祖神などがひっそり、目立たず立っています。ずっと昔からこの場所に立っていて、村の人々を見守っていたしょう。東方向に行き、福泉寺から246号を渡ると王子神社、さらに東に246号の裏道を行くとお七稲荷の小さな祠があります。長津田領主岡野家が八百屋お七の処刑に関わったそうです。
 246号の御前田交差点を南に渡ると、小さな石仏が足元に一つ。南に御前田の石像群まで足を伸ばし、戻って建替え工事中の大林寺から警備の固い?随流院を外から眺めて長津田駅に出ました。

大山街道(長津田駅→愛甲石田駅)』に続く。

参考:『大山街道見どころマップ-「荏田から長津田まで」4A4B』・『長津田歴史探訪マップ

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc06256 市ヶ尾竹下地蔵堂(青葉区市ヶ尾町の地蔵堂下交差点そば。市が尾駅の北側の旧大山街道沿い)

江戸中期頃の建立。地蔵堂前の一番左は道標庚申塔

Dsc06257_1 道標庚申塔

両足の外側に「大山みち」「江戸みち」と彫ってある。もとは猿田坂にあったものだろう。

Dsc06266_1 猿田坂 地蔵堂下交差点近くから南西方向に下る。《地図

現在、地蔵堂にある庚申塔などがあったため名づけられた。猿は去るに通じるとして、嫁入り行列はこの坂を避けたとされる。坂下には旅籠綿屋、石橋屋、小石橋屋があった。

川間橋は渡り賃三文を取り、「三門橋」と呼ばれていた。その先は雨が降ると医薬神社の方から土砂崩れが起こり、田畑も土砂に埋もれ「大難の辻」といわれた。

Dsc06267 坂下から

Dsc06273 田中屋(川間橋を渡って西に進んだ柿の木台の旧大山街道沿い)

三代将軍徳川家光を治療したと伝えるマムシ治療薬を販売。今も薬屋なのか?

Dsc06274 一里榎(田中屋の西側)

樹齢600年以上、幹の空洞は明治3年の火災による。

Dsc06276_1 双体道祖神(右)・地神塔など

医薬神社内

Dsc06279 医薬神社(柿の木台28)

Dsc06280 さいかち坂 青葉区もえぎ野のもえぎ野中学校の南側を南西に下って、上る旧大山街道。《地図》 

「さいかち」は皀(さいかち)の木のことだろうか?それとも「再勝」でこのあたりに戦の伝承でもあるのか?

Dsc06285_1 再勝坂 「さいかち坂」の南の南西へ下る国道246号線

Dsc06287_1 坂下方向

Dsc06290_1 石塔坂 青葉区田奈町3と1?の間を南に下る。坂下は国道246号。《地図

坂上の宝筐印塔、坂下の道祖神による坂名だろう。坂下近くには渡辺崋山の『游相日記』にも登場する恩田茶屋があり、柿や栗を売っていたという。

Dsc06291 宝筐印塔(左右の2基)

元亀4年(1573)の銘があり、恩田郷に居住した後北条氏ゆかりの武士・糟谷清印が父母の十三回忌供養に建立。(坂上の元・寿光院墓地内)

Dsc06293_1 道祖神(坂下)

文化5年(1808の銘)

Dsc06298 片町の石像群(緑区いぶき野の国道246号片町交差点の手前(田奈寄り)から細い道を入ったところ)

地蔵(左の木に立てかけてある石のようで頭がない)・地蔵(右の台座?には享保6年(1721)とある) 二十三夜塔もあるというが見当たらず。保存状態悪く、このままでは消滅してしまうのでは。

Dsc06303_1 六地蔵 (いぶき野45、片町交差点から南に入り、岩川を越えたあたり)

Dsc06305_1 下長津田神社(いぶき野46)

昭和44年からの区画整理事業で、八坂、諏訪、金刀比羅、稲荷の4社を合祀した。

Dsc06307 泣坂 いぶき野第三公園の南側の泣坂交差点から北東からカーブして南に下る。《地図》 

坂上近くに処刑場があり、坂上まで来ると処刑場が見え、罪人が泣き叫んだことからついた坂名だという。

Dsc06312_1 坂下方向

Dsc06314 坂下方向

坂下で新泣坂の坂下近くに出る。

Dsc06315 坂上方向

Dsc06309 新泣坂 泣坂交差点から南東に東名高速の方へ下る。泣坂の南の広い通り。

泣坂の坂上と坂下を直線的に結ぶ坂

Dsc06316 坂上方向

Dsc06319 餅塚(上の原公園内)

昔の鎌倉街道が通っていたところで、老婆が餅を売っていたという。このあたりに処刑場があったのか。塚の上は処刑者の供養塔なのか。

Dsc06318 供養塔

「為餅塚関係鎮霊一切菩提也」

Dsc06320_1 上の原の石仏群(いぶき野中央交差点のところ)

Dsc06321 いぼとり地蔵(いぶき野交差点近く)

Dsc06323_1 片町地蔵堂(長津田6-21の旧大山街道交差点のところ)

Dsc06328 下宿常夜燈(右)(長津田5-9の旧大山街道沿い) 左は道祖神?

大山講中が文化14年(1817)に建立。長津田十景の「下宿晴嵐」

長津田宿は江戸から9里、荏田宿から2里、鶴間宿へ1里で幕末の頃は約50軒の家数だった。中心は中宿で長津田駅付近にあった。昭和28年の大火で往時の面影はなく、幾つか残る屋号に名残りを留めるのみ。

Dsc06324_1 説明板

Dsc06342 大石神社へ上る女坂

左側に上宿常夜燈

Dsc06341_1 上宿常夜燈

天保14年(1843)に秋葉講中が建立

Dsc06337_1 大石神社(長津田町2322)

王子神社と共に長津田の鎮守。祭神は在原業平と伝え、御神体の大石は業平の化身ともされ、種々の伝説が伝わる。長津田十景「大石観桜」

Dsc06335説明板

Dsc06351 旧大山街道の旧道(長津田町2330の長津田小学校の前)

ここも長坂の一部。長津田十景「長坂夜雨」

Dsc06355 右側は長津田小学校の塀

Dsc06364_1 長坂(坂下方向) 国道246号の長津田交差点から北東に下る旧大山街道。《地図》 

急ではないが長い坂だ。

Dsc06368_1 坂上方向

坂上で国道246号へ出る。

ここまでが大山街道。

Dsc06372林地蔵(国道246号のフィールドアスレチックの東側、長津田町4164あたり)

宝暦10年(1760)の建立

Dsc06373説明板

Dsc06374_1 二十三夜塔(文化2年(1805)の銘) (林地蔵の東側)

双体道祖神(左下)

Dsc06375双体道祖神

Dsc06379 二十三夜塔(正面右側)から上る坂

Dsc06385 旧家(長津田町3050あたり)

Dsc06389 福泉寺(国道246号宮の前交差点の南側。長津田町3114?)

本尊の薬師如来を寅年ごとに開帳するので「寅薬師」と呼ばれている。

Dsc06388 案内板

Dsc06395 王子神社(長津田7-5、宮の前交差点の北側)

長津田十景「王子秋月」

Dsc06394 王子神社説明板

Dsc06396_1 お七稲荷(長津田7-4?)

長津田の三代領主岡野房勝は、八百屋お七の処刑の時、馬の手綱を引いた。お七の冥福を祈るため稲荷社を建てた。江戸屋敷にもお七稲荷が祀ってあったという。よほど、お七の祟りが怖かったのだろう。

Dsc06397 石仏(国道246号の御前田交差点脇)

Dsc06399 御前田の石仏群(御前田交差点から南に入った長津田みなみ台1-7?)

庚申塔は文化15年(1818)の銘

Dsc06404 大林寺鐘楼(長津田6-6)

長津田十景の一つ「大林晩鐘」

墓地には旗本領主岡野家、初代引田天功の墓などがある。

Dsc06405 板碑

嘉元元年(1303)?

Dsc06406 随流院(長津田5-4)

本尊の観世音菩薩は「火伏せ観音」と呼ばれている。

寺の回りは全部鍵が掛かっていて入れず。保育園の安全のためなのか?

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2007年3月21日 (水)

川崎市の坂-6

2007年3月21日

百合ケ丘駅(小田急線)・・・長屋坂・・・高石神社・・・布子坂・・・勝坂(かちざか)・・・匡真寺・・・追分・・・十二神社・・・(新百合ヶ丘駅)・・・弘法の松公園・・・新田坂・・・大坂・・・柿の坂跡・・・(小田急線)・・・修廣寺・・・道庄坂・・・五月台駅(小田急線)

 長屋坂は百合ケ丘駅の北側から高石神社まで上る急で長い坂です。神社から南に行くと南東方向に細い布子坂が下っています。確かに陽射しを背に受けて温かくなる坂です。西に千代ヶ丘の方へ進み、北条氏と上杉氏の戦さの伝承のある勝坂を上りました。昔は崖を直線的に上る急坂だったようです。

 小田急線沿いの津久井道まで戻り、追分坂を下りました。今は車の往来の多い広い通りで昔の面影はありません。坂沿いの崖も工事中で坂下にあるという馬頭観音や地神塔も撤去されてしまったのではと思っていましたが、コンクリートの壁に木の小祠を埋め込んで造って安置してありました。坂下の十二神社も最近に建替えられたばかりで、木々もなく明る過ぎておごそかな神社の雰囲気はありません。

 新百合ヶ丘駅の東側に出て、弘法の松公園に寄り、長い新田坂を下り、西に向って大坂を下りました。ゆるやかで、そんなに長くもなく今は大坂とはいえない坂でしょう。
 麻生川の山口橋あたりから上っていたという柿の坂も今はなく、崖を巻くように車道が通っています。「柿生」の名にふさわしい坂名だったのにちょっと惜しい気がしました。(坂名の由来は直接、柿の木と結びつくものではないですが) 

 再び小田急線の西側に出て西に進み、修廣寺に寄りました。参道の前には地蔵さんなどが並び、小高いところに仁王門がある山寺の雰囲気のある寺です。ちょうどお彼岸で墓参りの人が目立ちました。さらに西に行き柿生学園の南の片平と白鳥の境の道庄坂を下り、広い通り(137号線)を東に、片平小入口交差点から北に入り五月台駅に出ました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc06145 庚申塔(百合丘駅西口近く)

Dsc06147_1 長屋坂(坂下から) 高石1丁目と3丁目の間を北方向に上る。坂上に高石神社。《地図》 

昔、ここに長屋門があった。

Dsc06155 坂上近くから

Dsc06159 高石神社(高石1-31)

以前は伊勢宮と称し、あたり一帯は伊勢の森と呼ばれていた。

Dsc06160 「厄払い」由来書

源義経が奥州征伐の折、ここで厄払いの神事を行ったという。

Dsc06167_1 布子坂 高石1-7と1-15の間を南東に下る。坂上は階段。《地図

昔の人は布子を着ていたが、日中、この坂を通ると背中に陽があたり、暑くてこの布子を脱いだということから「布子坂」といわれるようになった。

Dsc06169 坂下方向

Dsc06172 坂上から

Dsc06174_1 二親供養塚(右)・道祖神(左)

勝坂の坂下近く

Dsc06173 説明板

Dsc06179 勝坂説明板

上杉氏と北条氏の小沢原の戦(享禄3年(1530))で、北条早雲の孫の新九郎氏康が初陣で勝利をあげ、「勝った、勝った」と勝どきをあげてこの坂を駆け上ったことからついた坂名。

Dsc06176勝坂(坂上方向) 千代ヶ丘5-7と5-9の間を西から北西方向に上る。《地図》 

Dsc06177_1 坂上方向

Dsc06181 坂上から

柳田國男がここを訪れた時、江ノ島が見えたという。

Dsc06189_1 追分坂 新百合丘駅の北側を小田急線に沿って北東に上る津久井道。《地図》 

このあたりは、多摩川水系と鶴見川水系の分水嶺にあたり、また弘法の松への道と万福寺への分岐点で、追分と呼ばれていた。

Dsc06192 坂上方向

Dsc06196 地神塔(右)・馬頭観音(中)・何の像か?(左)

追分坂の坂下近く

Dsc06205_1 十二神社(万福寺304)

正徳元年(1711)の創建という。つい最近に建替えられた。

Dsc06201 石仏(十二神社内)

正徳4年(1714)の銘

Dsc06203_1 庚申塔(十二神社内)

正徳2年(1712)の銘

Dsc06209_1 弘法の松公園(百合丘2丁目。弘法の松交差点近く)

弘法大師が諸国行脚の折、この地に寄り植えた松という。高さ30m、幹回り8mの大木だったが、昭和31年に火災で枯れてしまった。

Dsc06213_1 新田坂 弘法の松交差点から南方向に下る。《地図》 

新田開発に伴ってできた坂。しんぜん坂ともいう。

Dsc06219_2 坂下方向

Dsc06220 坂上方向

Dsc06224_1 大坂 上麻生2-27と2-28の間を北東に上る。《地図》 

街道随一の急坂だったという。何街道なのか、今は全然急でなく、さほど長くもない。

Dsc06229_2 坂下方向

Dsc06230 坂上方向

Dsc06234_2 柿の木坂跡あたり 上麻生3-14の「つくしの里」(老人ホーム?)そばの山口橋(麻生川)あたりから崖を上る坂だったのだろう。

ある時、柿籠を沢山背負わされた馬が、この崖からすべり落ちて死んだ。それ以来この地を「柿の坂」と呼ぶ。

Dsc06235 修廣寺前の地蔵

Dsc06236_2 庚申塔

左は元禄11年(1698)の銘

Dsc06244_1修廣寺仁王門(片平2-8)

Dsc06242_1 阿像

Dsc06243 吽像

Dsc06251_2 道庄坂 片平5-14と白鳥1-1の間を北東に上る。《地図

「道庄」は地名か字名か?

Dsc06252_1 坂上方向

Dsc06254 地神塔(片平5-12あたりの道路沿い)

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2007年3月20日 (火)

川崎市の坂-5

2007年3月20日

柿生駅(小田急線)・・・稲荷坂跡あたり・・・瘡守(かさもり)神社・柿生トンネル跡・・・下駄切り坂跡・長福院・・・真福寺交差点・・・白山神社・・・島田生長の森緑地・しぶと坂・・・裏門坂・・・日吉の辻・・・山王社・・・延命地蔵尊(動物霊園)・・・王禅寺・・・金子稲荷・琴平神社・・・早野川・・・子ノ神社・・・神明社・・・稲荷社・・・月読神社・・・不動院・・・真福寺川・・・柿生駅

 武州柿生の王禅寺周辺(麻生区)を歩きました。稲荷坂は上麻生5-20の東急バス折り返しの所から上る上麻生随一の難所の坂で、坂の途中に造立稲荷大明神があったそうですが、坂の跡形もなく、稲荷社も見当たりません。今は折り返し場所の北側に新しい坂が上っています。
 下駄切り坂も途中で途切れ、真福寺も明治時代に廃寺となっています。しぶと坂も緑地内の遊歩道といった感じです。坂道散歩というより寺社巡りの半日でした。

*参考HP『伝承麻生の里』(閉鎖か移動したようだ)

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc05946 旧王禅寺村説明板

御化粧領から御霊屋(みたまや)領となった。農業の自然条件に恵まれず、余業として柿が栽培され、禅寺丸(ぜんじまる)と呼ばれ江戸(東京)にも出荷された。

Dsc05947 新稲荷坂(上麻生5丁目)?

稲荷坂は右側の崖を上っていたのでしょう。

Dsc05949_1 坂下方向

Dsc05954 瘡守稲荷(上麻生5-45)

皮膚病の神

Dsc05957_1 柿生トンネル跡(上麻生6丁目の柿生中学校の前)

今は切通しの坂になっている。

Dsc05955 柿生トンネル説明板

幅6m・全長60m。

Dsc06136 下駄切り坂跡(坂上方向・王禅寺西7-9あたり)

真福寺地区から柿生駅前の中心地に出るには麻生川に沿って遠回りの道で不便だった。大正の初めころからバス停の森が丘から山へ登り、尾根を越えて長福院前に出る学校道が造られた。急な山道で下駄の鼻緒が切れやすく、誰がいうともなく「下駄切り坂」といった。『伝承麻生の里』

Dsc05959 坂下方向

右側が長福院

Dsc06138 坂上方向

Dsc06143 森が丘団地バス停・真福寺交差点側には下りる道はない。

Dsc05972 白山神社への途中の旧家の蔵

Dsc05983 白山神社(白山4-3)

加賀の白山神社の末社

Dsc05979 白山神社説明板

Dsc05990 しぶと坂(坂下から) 白山神社の向いの島田生長の森内を北東方向に上る。《地図》 

「しぶと」は死人の訛ったもので、一説には鎌倉攻めのときの戦死者を運んできたところといわれている。『伝承麻生の里』

Dsc05994 坂下方向

Dsc06000 裏門坂 王禅寺ふるさと公園(王禅寺528)の裏門坂交差点から東に上る。《地図

王禅寺の裏門の坂道。

Dsc06003_1 裏門坂(坂上方向)

Dsc06008_1 坂下方向

Dsc06012 山王社への石段(王禅寺の日吉の辻近く)

Dsc06023 山王社説明板

Dsc06014 山王社

Dsc06018 村境の石仏群(山王社の東側)

Dsc06017_1 石仏群説明板

Dsc06036_1王禅寺仁王門(王禅寺940)

Dsc06044 王禅寺説明板

Dsc06029 王禅寺観音堂?

Dsc06034 禅寺丸の柿の原木

「柿生」という地名はこれによるとも言われている。

Dsc06047 王禅寺前の坂

Dsc06060_2 金子稲荷(琴平神社の隣)

Dsc06062_2 琴平神社(王禅寺東5-46)

Dsc06068_2琴平神社説明板

Dsc06063 手水舎

「がまんさん」と呼ばれる山伏4人が支えている。

Dsc06069 馬頭観音(左)・庚申塔(中)・道祖神(右)

琴平神社前

Dsc06071 馬頭観音?(琴平神社近くの道路沿い)

王禅寺観音講中とある。

Dsc06072 子ノ神社(麻生区早野の早野川沿い)

Dsc06074 子ノ神社説明板

Dsc06075_2 庚申塔(子ノ神社境内)

文政7年(1824)の銘(中央)

Dsc06080 神明社近く

Dsc06084 神明社(王禅寺東5丁目)

Dsc06095 稲荷社(神明社の西側)

Dsc06091_2 稲荷社説明板

Dsc06111 月読神社(下麻生760)

天文3年(1534)皇太神宮の別宮の月読宮の分霊を勧請して創建。

Dsc06118 地神塔・庚申塔(不動院境内) (下麻生809)

Dsc06123下麻生不動院(正面の坂上)から真福寺川へ下る坂

木賊(とくさ)不動とも呼ばれ、「火伏せの不動」としても有名。1月28日の縁日にはダルマ市の店が出る。

Dsc06125 庚申塔?(左)・石仏(右)

真福寺交差点の近く

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2007年3月19日 (月)

川崎市の坂-4

2007年3月19日

宮崎台駅(田園都市線)・・・さくら坂・・・長坂下・・・馬絹(まぎぬ)神社・・・武蔵野貨物線・・・梅の木坂・・・第四公園・・・第二公園・・権六(ごんろく)坂・・・老人ホームみかど荘・・・くぬぎ坂・・・(第三京浜国道)・・・野川神明社・・・影向(ようごう)寺・・・能満寺・・・蟻山坂・・・子母口富士見台古墳・・・大蓮寺・・・橘樹(たちばな)神社・・・武蔵新城駅(南武線)

 参考:『坂道は続くよ、どこまでも

 宮前区から高津区にかけての坂を歩きました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc05829 馬絹神社(宮前区馬絹986)

Dsc05840_1 梅の木坂 宮前区野川の山下バス停そばの交差点から南西に上る。 

坂の梅の木の時期は終わっていた。

Dsc05839 坂下から

Dsc05846 坂下方向

Dsc05859 権六坂 高津区野川の尻手黒川道路の野川小入口交差点から南西に上る。《地図》 

このあたりは昔から「権六谷戸」と呼ばれていた。

Dsc05854_1 坂下方向

Dsc05860_1 坂上方向

Dsc05865_1権六坂の坂下近くから老人ホームみかど荘の方へ上る坂。

Dsc05872 坂上

Dsc05875 くぬぎ坂 野川の老人ホームみかど荘の東側から北東方向に下る。《地図》 

Dsc05878 坂下方向

Dsc05882_1 坂下から

坂の真ん中あたりが傾斜がきつい。

Dsc05884 石仏(野川神明社近く?)

享保5年(1720)の銘

Dsc05887_1 野川神明社(宮前区野川463)

方形周溝墓が発掘された『野川神明社境内遺跡

Dsc05891 影向(ようごう)寺(野川419)

Dsc05894_3 影向寺説明板

Dsc05909_1本堂

Dsc05899 影向石説明板

Dsc05900_1 影向石

Dsc05904 庚申塔(左) 元禄7年(1694)のものにしては風化や欠損がなく鮮明な像だ。

石仏(寛文8年(1668))

Dsc05911 能満寺説明板

Dsc05914能満寺不動堂?(高津区千年354)

Dsc05921 蟻山坂改修記念碑

「昭和24年3月31日完成」とある。

Dsc05917_1 坂上方向 高津区千年の中原街道の能満寺交差点から北東に上る。《地図》 

「蟻山」はこのあたりの地名だったのか?

Dsc05922 坂下方向

Dsc05925_1 改修碑(正面下)の上の道路が旧道か?

新道は10mも切り下げられ通行しやすくなった。

Dsc05927 子母口富士見台古墳(高津区子母口富士見台)

現在は直径17.5mの円墳。土地の人は丸山と呼ぶ。桜の開花時は見事という。

Dsc05926 説明板

Dsc05941_1 大蓮寺浪切不動堂(高津区子母口)

江戸時代には霊験あらたかな不動尊として信仰をあつめた。

Dsc05933庚申塔(不動堂裏)

右の庚申塔は三猿が正面と側面に一猿づつ彫られている珍しいもの。元禄4年(1691)の銘。

Dsc05943_1橘樹神社(高津区子母口)

日本武尊と弟橘媛の伝承のある社

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2007年3月18日 (日)

川崎市の坂-3

2007年3月18日

久地駅(南武線)・・・喜津根坂・・・妙楽寺・・・長尾神社・・・見晴らし坂・・・長尾の切通し・・・鶴喉(つるがい)坂・・・等覚(とうがく)院・・・たいら坂・・・平瀬橋(平瀬川)・・・島(しまの)坂・・・蔵敷橋(平瀬川)・巴坂・・・菅生神社・・・長安寺・・・白井坂・・・尻手黒川道路・・・土橋地蔵堂・・・鷺沼駅(田園都市線)

 多摩区と宮前区の坂を歩きました。喜津根坂は「きつね坂」だったのか? 今はとても狐の出るような坂ではありません。長い坂で途中から東名高速に沿ってさらに上っています。
 見晴らし坂はつづら折の坂で、坂上近くから雪をかぶった富士山が望めます。坂下の切通しは広い道路ですが、切り通した形が残る綺麗な坂です。坂上を進むと鶴喉坂のゆるやかな下りとなります。坂下近くの等覚院の神木(しぼく)不動には日本武尊にちなむ伝承があります。

 たいら坂を下って平瀬川沿いに西に行き、南に島坂を上りました。この坂は細い坂で、昔は横浜方面への本道だったそうです。坂上から平瀬川に下り、蔵敷橋から巴坂を上ると坂上近くが菅生神社です。坂下から横浜生田線を南に上り、東に菅生と犬蔵の間の道を行き白井坂の途中に出ました。坂下から尻手黒川道路を東に東名高速をくぐり、土橋地蔵堂の所から南に上り、鷺沼駅に向いました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc05680_1 喜津根坂 多摩区長尾4丁目の川崎府中線(府中街道)の豊年橋交差点から東からカーブして東名高速に沿って南に上る。途中に写真の交差点がある。《地図

「きつね」に「喜津根」の字を当てたのだろうか?

Dsc05700 坂下方向

Dsc05691_2 坂下方向

左に延命地蔵・道路改修碑・庚申供養塔など。

Dsc05692 庚申塔(上の石像物近く)

元禄11年(1698)の銘

Dsc05704 坂下から

Dsc05705_1 妙楽寺前の坂(多摩区長尾3-8)

Dsc05706 妙楽寺前

Dsc05708_1妙楽寺

Dsc05715長尾神社(多摩区長尾3-10)

Dsc05736 見晴らし坂 長尾神社の前あたりから五所塚の切通しバス停近くまで下るつづら折の坂。(宮前区五所塚1丁目)《地図》 

Dsc05723 坂上からの見晴らし

「富士見坂」の方がいいのでは。

Dsc05727_1 坂下方向

Dsc05728 坂上方向

Dsc05734 坂下方向

Dsc05739_1 切通し 川崎府中線の長尾橋交差点から南に切通しバス停まで上る。(多摩区長尾から宮前区五所塚へ上る) 《地図》 

Dsc05747_1 坂下方向

Dsc05745_1 坂上方向

Dsc05746 坂下方向

Dsc05756_1鶴喉(つるがい)坂 宮前区神木本町の神木交差点あたりから五所塚1交差点あたりまで北西に上る。 《地図

昔、このあたりは「鶴ケ谷」と呼ばれ、鶴の首(喉)のような谷戸だったことから愛称とした。【坂標】 

等覚院の縁起の日本武尊(やまとたける)の伝承に喉(のど)の渇きと鶴が出てくるので、昔からある坂名だと思っていたが。

Dsc05753_1 坂下方向

Dsc05754 坂上方向

Dsc05760 神木山等覚院仁王門(宮前区神木本町1-8)

Dsc05761説明板

Dsc05779_1 たいら坂 宮前区平1丁目の向丘小学校から北に上る。《地図

坂上に「平公園」があることから。

Dsc05772_1 坂下方向

Dsc05775 坂上方向

Dsc05781 島(しまの)坂 宮前区平4-18と初山の間を南に上る。《地図

昔、この坂は横浜方面への本道だったが、当時の平瀬川は曲がっていて、この周辺が島に見えたことからついたと伝わる。

Dsc05784_2 坂下から

Dsc05786 坂上方向

Dsc05787 坂上から

Dsc05788_1 馬頭観音(坂上)

左は弘化3年(1846)の銘

Dsc05795_1 巴坂 宮前区菅生の蔵敷橋(平瀬川)から北西に上る。《地図》 

坂上の菅生神社の神紋が巴なため。

Dsc05803 坂下から

Dsc05802 坂下方向

Dsc05801菅生神社(宮前区菅生2-8)

Dsc05804 庚申塔(左)・馬頭観音(右)?

菅生6丁目と犬蔵1丁目の間の道沿い? 左は享保10年(1725)の銘

Dsc05819 白井坂 尻手黒川道路の宮前区の犬蔵1交差点から北方向に上る。《地図》 

昭和22年にできたこの坂の開設に貢献した白井佐吉氏の名にちなむ。

Dsc05816 坂下方向

Dsc05813 坂上方向

Dsc05823_1 土橋地蔵(宮前区土橋4-11?)

地蔵さんは見れない。

Dsc05822 地蔵前の坂

Dsc05826 坂上から

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2007年3月17日 (土)

川崎市の坂-2・都筑区(横浜市)の坂-1

2007年3月17日

宮崎台駅(田園都市線)・・・さくら坂・・・長坂・・大山街道庚申坂・・・堂脇坂・・・八幡神社・小台庚申堂・八幡坂①・・・富士見坂・・・小台坂・・・春待坂・・・八幡坂②・・・阿弥陀堂・・・馬頭観音堂・・・皆川家・うとう坂ここまで大山街道で続きは下に記載)・・福王院・・・神明坂・神明神社・・・有馬温泉・・・下有馬不動尊・・・日向(ひなた)坂・・・鷺沼駅(田園都市線)

 宮崎台駅を囲むように、南にさくら坂、東に長坂、北に庚申坂、西に堂脇坂があります。堂脇坂を下って、尻手黒川道路を西に宮前平駅に出ました。駅の北側に八幡神社があり、大山街道の八幡坂①、急で長い富士見坂が上っています。今は富士見坂の坂上からは富士山は望めないようです。富士見坂の坂下から田園都市線のガードをくぐり、大山街道の小台坂を上り、大山街道から離れ、鷺沼駅近くの春待坂を往復し、坂上近くから八幡坂②を下りました。近くに八幡神社は見当たりません。昔、あったのでしょうか。坂下は国道246号で道路沿いに小さな阿弥陀堂があります。鷺沼2丁目交差点から南に入ると道標馬頭観音が立っています。もとは上有馬と牛久保の境あたりにあったそうです。

 横浜市都筑区に入り、皆川家あたりから、うとう坂のなだらかな下りとなります。坂下は昔牢屋があったという字牢場谷戸。大山街道から離れ(続きは下に記載)、川崎市に戻り有馬5丁目の福王院から神明坂を上り、日本最古の温泉というふれ込みの有馬温泉から、下有馬不動尊へ寄りました。昔はここは崖上から滝が落ち、村人が水垢離をしたそうで崖下に不動明王が立っています。東側の日向坂を上り下りし下有馬からバスで鷺沼駅に出ました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc05548_1 さくら坂 宮崎台駅南側を南西方向に上る。 《地図

桜並木の坂。

Dsc05550 坂下方向

Dsc05553_1 坂上方向

Dsc05555 長坂 さくら坂の坂下近くの長坂交差点から北西に上る。《地図》 

確かに長い坂だ。

Dsc05557_1 坂上方向

Dsc05559 坂下方向

Dsc05566_1庚申坂 長坂の坂上近くの団地前交差点から南西下る大山街道。 《地図

昔、近くに庚申堂があった。

Dsc05564_1 坂上から

Dsc05567 坂下から

Dsc05572 堂脇坂 馬絹の尻手黒川道路の東平台交差点から北から北西に上る。 《地図

昔、この近くにお堂があり、このあたりを堂脇と呼んでいた。

Dsc05575_1 坂上方向

Dsc05580_2八幡神社(宮前平2丁目、宮前平駅北側)

この地は土橋村と馬絹村の境。馬絹神社に合祀されたが、この地に戻った。

Dsc05577 小台庚申堂(八幡神社下)

Dsc05584_1 八幡坂 八幡神社と田園都市線の間を北東方向に上る。《地図》 

Dsc05587 坂下方向

Dsc05588_1 坂上方向

Dsc05591_1 富士見坂 八幡神社の南側から北西に上る。《地図》 

坂上の富士見台小学校から今は富士山は見えず、土橋一丁目公園から見えるそうだ。

Dsc05593 坂下方向

正面の橋は田園都市線

Dsc05594 坂上方向

Dsc05597_1 坂下方向

Dsc05602 小台坂 富士見坂の坂下から田園都市線のガードをくぐり小台1丁目と2丁目の間を南方向に上る。《地図

大山街道の道筋

Dsc05605_2 坂下方向

Dsc05612_1 春待坂 鷺沼1丁目と3丁目の境の鷺沼小交差点前から東方向に上る。 《地図

西向きの斜面で桜の咲くのが遅いので、春を待つというイメージからの愛称。

Dsc05611 坂下方向

Dsc05614 坂下から

Dsc05616_1 八幡坂 鷺沼1-8と1-24の間を北方向に上る。 《地図

大山街道の坂。昔、付近に八幡神社があったのだろうか?

Dsc05618_1 坂上方向

Dsc05621_1 阿弥陀堂(八幡坂下の国道246号沿い)

Dsc05623 馬頭観音道標(有馬9丁目の国道246号の鷺沼2交差点の南側そば。

文化2年11月の銘。かつては上有馬と牛久保の境近くにあった。左側面に「大山道」・右側面に「王禅寺道」と刻字があった。大山道から分岐して保木の薬師堂を経て王禅寺に至たる道標として貴重。

Dsc05627_1 皆川家(横浜市都筑区牛久保町の大山街道沿い)

大山道荏田宿~溝口間の馬の休憩所の立場がおかれていた。

Dsc05628 うとう坂 都筑区あゆみが丘の荏田綱島線の中川交差点の西側から北東方向に上る。《地図》 

坂下は字牢場谷戸といい、昔は牢屋があったという。ここを通ったある藩主が籠の中から処刑を見て「うといものを見てしまった・・・」といったのが坂名の起こりだと伝える。『かながわ 坂のある風景』とあるが、どうもこじつけの感じがある。うとう坂は各地にあり、いろんな字を当てている。「うとう」は「烏頭」で、善知鳥(うとう)の「くちばし」に似たような地形、すなわち、山や海浜の出崎を言ったのであろう。『江戸の坂東京の坂』の説の方がいいのでは。

Dsc05630_1 坂上方向

Dsc05640 坂下から

ここで大山街道から離れる。続きは下に記載。

Dsc05650_1 神明坂 有馬5-13の神明神社の北側を南東に上る。 《地図

Dsc05648_1 坂下から

Dsc05651 坂下方向

Dsc05653神明社

Dsc05652_1 説明板

Dsc05661 有馬温泉(東有馬3-5)

日本最古の温泉というふれこみ。歴代の天皇たちが湯治に訪れたのは兵庫の有馬温泉でなくここだとか。古田武彦氏が喜びそうな話だ。

Dsc05664下有馬不動尊(東有馬3-7)

Dsc05667_1 説明板

Dsc05668_1不動明王(崖下)

かつては崖から滝が落ち、村人の水垢離の場だった。

Dsc05669 不動明王

明和6年(1769)の銘

Dsc05673_1 日向(ひなた)坂 東有馬3-8と3-13の間を北に川崎北高入口交差点へ上る。 《地図》 

昔、このあたりは「日向」と呼ばれていた。

Dsc05678_1 坂下から

Dsc05677_1 坂上から

  ******大山街道の続き(2012年1月19日)*****

中川駅(横浜市営地下鉄)・・・うとう坂下・・・(市営地下鉄)・・・不動の滝・老馬鍛冶山不動堂・・・早渕川・・・鍛冶橋・・・荏田下宿庚申塔・・・中宿秋葉講常夜灯・・(荏田交差点・国道246号)・・・高札場跡・・・布引橋・・・国道246号・・旧道・・庚申塔・・・(東名高速道路)・・・地蔵堂・・江田駅(田園都市線)・・・国道246号・・田園都市線ガード・・・市ケ尾竹下地蔵堂・・地蔵下交差点・・・市が尾駅(田園都市線)

  【ル-ト地図

Img_0401不動の滝 【ル-ト地図】の①

滝とも霊泉とも呼べる状態ではない。

Img_0398説明板

Img_0402老馬鍛冶山不動堂(不動の滝の上)

Img_0406早渕川沿いを進み鍛冶橋を渡る。

もとは旧道は大橋(跡)を渡った向う岸を通っていて、文久2年(1862)の生麦事件を契機に設置された番小屋があったそうだ。

Img_0409荏田下宿庚申塔 【ル-ト地図】の②

Img_0410説明板

Img_0411庚申塔

荏田宿は江戸から7里、長津田宿へ2里で、下宿・中宿・上宿に分かれていた。街道沿いに3軒の旅籠と商店の27軒が軒を連ねていた。天保2年(1831)渡辺崋山は枡屋に泊まった。(『游相日記』) 明治27年の大火で壊滅的な打撃を受け、今は宿場の面影はなく住宅街になっている。

Img_0414中宿秋葉講常夜灯(小泉宅内) 【ル-ト地図】の③

文政4年(1821)の大火後の文久元年(1861)に防火祈願で建立された。
荏田宿まねき看板

荏田交差点(国道246号)を渡った先の辻が高札場跡。

Img_0424荏田城址 【ル-ト地図】の④

小田原北条氏の支城。小机城の防衛に鎌倉道や矢倉沢往還の抑えとした。東麓は小黒谷と呼ばれ、江田源三が義経から拝領した名馬・小黒に因む伝説があるが、土が黒いための地名ともいう。

この先でいったん国道246号に出る。

Img_0426右に旧道に入ると小さな庚申塔が佇んでいる。《地図

Img_0428庚申塔(寛保2年(1742))

Img_0431地蔵祠 《地図

江田駅のガードをくぐり国道に出て、再びガードをくぐって線路沿いを進み、右に曲がって行く。

Img_0440市ケ尾竹下地蔵堂 【ル-ト地図】の⑤

この先の大山街道は『青葉区・緑区の坂』に続く。

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2007年3月16日 (金)

川崎市の坂-1

2007年3月16日

二子新地駅(田園都市線)・・・大山街道・・二子の渡し跡・・・二子神社・岡本かの子文学碑・・・大貫家跡・・・光明寺・・・国木田独歩歌碑・・・タナカヤ呉服店・・・(府中街道との交差点)・・・灰吹屋薬局・・・ニケ領(にかりょう)用水・大石橋・・・大山街道ふるさと館・・・稲毛屋・太田屋・・・溝口神社・・・栄隆寺・・・片町庚申塔・・・ねもじり坂・・・笹の原子育地蔵(ここまで大山街道で続きも下に記載)・・・大蓮寺・・・久本神社・・・旧岡家門・・・馬坂の庚申塔・・・兎坂・・・馬(ま)坂・・・武蔵溝ノ口駅(南武線)

 大山街道を多摩川の二子の渡しを渡った川崎市高津区の二子新地駅から歩きました。二子宿は多摩川から下宿、中宿、上宿と並び、溝口宿が続いていた。街道沿いの町並みには、蔵造りの商家などが残っていて見どころが多いのですが歩道と車道が分離してなく車の往来も多く、のんびり散策できないのが残念です。

 江戸時代、相模川の鮎を運ぶ「鮎かつぎ」が唄を歌って通ったねもじり坂は、今はゆるやかですが長い坂で坂上を進むと笹の原子育地蔵のお堂に出ます。ここで大山街道から離れ東に行き、坂を下って鶴見溝ノ口線の手前の旧道の大蓮寺、久本神社に寄りました。神社の北側の崖は久本横穴墓です。旧岡家の門前を西に行くと突当たりに馬坂の庚申塔が立っています。ここも古くからある道筋なのでしょう。庚申塔から左(南から西方向)に上るのが馬坂です。「うま」ではなく「ま」坂です。庚申塔から右に(北から西方向)細い未舗装の道が上っています。これが兎坂で、なるほど兎でも出そうな獣道と言ったらちょっと大げさですが。曲がりながら上り、坂上から舗装された道を進むと急坂の上に出ました。斜度26%の道路標識が立っている見事な坂です。ここが馬坂の坂上でした。このあたりを久本山と呼ぶのでしょう。下って庚申塔のところへ出て、溝の口駅に向いました。

参考:『高津区を歩こう

*大山街道(赤坂御門跡→二子の渡し跡)

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc05477_1 大山街道「二子の渡し」あたり(川崎市側から)

正面が多摩川、右は東急田園都市線

Dsc05476_1岡本かの子文学碑(二子神社そば)

上の彫刻は長男の岡本太郎の作『誇り』

Dsc05474 文学碑説明板

Dsc05472_1 多摩川の散歩道

Dsc05471二子神社(二子1-5)

Dsc05479_1 大貫家跡(二子2丁目公園)

岡本かの子、太郎の生家があった。

Dsc05483_1光明寺(二子1-10)

明治時代には二子学舎が置かれ、近代小学教育の場となった。

Dsc05481 光明寺の文化財

Dsc05485_1 タナカヤ呉服店

明治44年建築の蔵造りの店

Dsc05489 灰吹屋薬局

Dsc05490大山街道ふるさと館(高津区溝口3-13)

Dsc05491ニケ領用水大石橋

江戸時代、川崎のほぼ全域にわたる、稲毛、川崎の二ケ領を潤した用水。

Dsc05493_1 稲毛屋

Dsc05494 太田屋の蔵

Dsc05496溝口神社(溝口2-25)

Dsc05497宗隆寺

日蓮宗の寺。御会式(おえしき)には華やかな万燈がくりだす。

Dsc05498_1 片町庚申塔

道標を兼ねていた。「西大山道 東江戸道 南加奈川道」

Dsc05501_1 ねもじり坂 下作延400と445の間を南西に上る。高津区役所の南西側。《地図

「ねもじり」の由来は不明とするが、『かながわ 坂のある風景』には、「武蔵風土記稿は根もちり坂、字松安寺より笹原へ出る山丘の根通りを上がるさなり、・・・・」とあって、ねもじり坂の名が丘の根通りを登るところからついたとする。」とあります。明治の中頃まではもっと狭く急坂で、牛車や荷車は後押しがなければ登れないほどだったので、別名「はらへり坂」ともいう。

江戸時代、相模原のアユを運ぶ鮎かつぎは溝口の亀屋を人足の中継所としていました。大山道を夜中に走ってきた鮎かつぎ人夫は、朝方ねもじり坂にさしかかると歌を歌って亀屋に合図を送り、近所の人たちはこの歌が聞こえると朝のしたくをはじめたそうです。『大山道歴史ウオッチングガイド』(大山街道ふるさと館発行) この歌は、「鮎は瀬に棲む 蝉や木に止まる 人は情けの下に住む・・・」『かながわ 坂のある風景』

Dsc05502_2 「ねもじり坂」説明板

Dsc05503_1 坂下から

Dsc05507 坂下方向

Dsc05511_1 笹の原子育地蔵(ねもじり坂上を進んだ大山街道沿い)

Dsc05512_1説明板

Dsc05514_1堂の外の地蔵?さん

ここで大山街道から離れるが、大山街道の続きは下に記載。

Dsc05516大蓮寺(久本1-8)

準四国稲毛三十三所観音霊場第22番札所

Dsc05517_1久本神社(久本1-16)

明治6年、杉山神社、神明神社、八幡神社を合祀。

Dsc05525_1  旧岡家門(久本1-4)

Dsc05526_1 馬頭観音庚申塔(岡家門前)

Dsc05545 馬坂庚申塔(正面右) (久本1-10)

馬坂(左)・兎坂(右)

Dsc05528

Dsc05521兎坂(坂下から) 久本1-10の間を北から西方向に上る。 《地図》(地図には道の標示はない)

兎が通るような細い坂道だからか。

Dsc05534 坂上方向

Dsc05522_1【坂標】

Dsc05537馬坂(坂上から)

久本1-9と1-10の間を南から西方向に上る。兎坂の南側。

馬も難儀する急坂からついた名だろう。

Dsc05538けっこうな急坂だ。

Dsc05539_1 坂上方向

Dsc05543_1 坂下の馬坂庚申塔の所

正面左に上るのが兎坂

********大山街道の続き(2012年1月19日)******

笹の原子育地蔵・・・庚申塔・・・梶ヶ谷交差点・末長歩道橋・・・宮崎大塚・・・庚申坂・・・八幡坂・・・宮前平駅

Img_0368庚申塔

Img_0374梶ヶ谷交差点

馬絹方向へ進む。

Img_0379宮崎大塚 《地図

高さ5.5m、径25mの方墳と推定されているが、武器を隠した塚とか物見の塚など諸説ある。発掘調査はされておらず、造られた目的は不明だそうだ。

Img_0378塚上の馬絹大塚供養塔

Img_0384庚申坂を下る。《地図

Img_0386説明板

このあたりは起伏が多い。坂下から上り返す。

Img_0393八幡坂を下る。《地図

坂下に右に八幡神社、左は宮前平駅。

この先の大山街道は『川崎市の坂②』に記載。

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2007年3月14日 (水)

本庄市(埼玉県)の坂-1

2007年3月14日

本庄駅(JR高崎線)・・・中山道・不動坂・・・円心寺・・・大正(だいしょう)院・・・御堂(みとう)坂・・・八坂神社・・・城下公園・城山稲荷・本庄城跡・・・西広寺・寺坂・寺坂橋(元小山川支流)・・・賀美橋・石尊(せきそん)坂・新賀美橋・・・若泉第一公園・・・阿夫利天神社・・・普寛霊場・・・田村本陣門・歴史民俗資料館・・・安養院・・・清水坂・・・若泉公園・・・国道17号・・・泉坂橋・・・泉坂・唐鈴(とうれい)神社・・・長松寺・・・金鑚(かなさな)神社・・・仏母寺・高尾山・・市立図書館・・・慈恩寺・・・開善寺・・・三夜横丁・・・銀座通り・・・城立寺・・・本庄駅

 中山道本庄宿の坂を歩きました。不動坂、御堂坂は中山道の坂で、どちらも緩やかな坂です。御堂は「みどう」ではなく、寺のお堂とは関係ありません。不動坂の北の八坂神社から城山稲荷あたりは本庄城のあった所です。城跡から西に駅前通りを越え、西広寺の東側から寺坂橋へ寺坂を下りました。寺坂の寺は当然、西広寺と思っていましたが、坂上近くの慈恩寺か開善寺のようです。寺坂橋は明治時代に設置された切り石造りのアーチ型の県内に残る最古の橋だそうですが、鉄パイプの柵などで補修されていて知らないと見過ごしてします。

 寺坂橋から小川に沿って西に行くと賀美橋から石尊坂が南に上っています。坂の途中にある阿夫利天神社にゆかりのある坂名です。坂上近くの歴史民俗資料館のしゃれた洋風の建物は補修工事中でシートにすっぽり覆われて見ることができずちょっと残念。西に安養院に寄り、図書館を過ぎると北へ清水坂が下っています。坂下の若泉公園の遊歩道を通り、湧泉橋から国道17号に出ました。泉坂橋の南の本庄市小島交差点(国道17号)から南方向に上るなだらかな坂が泉坂でしょう。坂下に唐鈴神社、坂上近くに長松寺があります。

 泉坂の坂上から南東方向に進み、中山道沿いの金鑚神社から仏母寺に寄り、市立図書館で本庄市の地名等を調べました。不明、疑問なことなどもかなり解決し、けっこう収穫がありました。本庄七福神の慈恩寺、開善寺、城立寺に寄って本庄駅に出ました。気づかない間に本庄七福神の8寺1社の泉林寺(寿老人)を除く寺社を回っていました。9分の8くらいのご利益があるでしょうか。やっぱり意識して全部参らなければダメでしょう。

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc05285 不動坂 中山道の本庄駅北口交差点から東に下り、中山道交差点へ上る。《地図

大正院不動堂と不動剣による坂名。

Dsc05288_1円心寺山門(本庄3-3)

天明年中(1781~89)の建立といわれる。本庄七福神の福禄寿

Dsc05287_1説明板

Dsc05302 大正院不動堂(本庄2-4)

本庄宿に住んでいた刀匠により作られ、本尊とともに奉拝されてきた寺宝の不動剣を安置する。本庄七福神の弁財天

Dsc05300説明板

Dsc05303 不動剣の石板(不動堂左前)

Dsc05296「炎燃え 正邪をただす 不動剣」

Dsc05309_1 御堂(みとう)坂 中山道の諏訪町交差点から西に上る。《地図

小字名の「御堂(みとう)」からの名。御堂は寺のお堂ではなく、沢の入口などにつけられる「ミト」で、本庄台地を河川(女堀川?)跡が切り崩した、小さな谷状の出口。この「ミト」に御堂の字をあてたものと思われる。『地名と歴史』

Dsc05312_1 坂上方向

Dsc05316 八坂神社(本庄3-6)

弘治2年(1556)の創建という。祭礼に奉納される獅子舞は市の無形文化財。

Dsc05317説明板

Dsc05326_1 城下公園(八坂神社の北側)

Dsc05331城山稲荷神社(城下公園西側)

弘治2年(1556)の建立で、社殿前のケヤキもその時に献木されたものという。

Dsc05330_1 説明板

Dsc05336 本庄城跡(城山稲荷、八坂神社、駅前通り近くまで)

弘治2年(1556)、武蔵七党の一つ児玉党の本宗家、本庄氏により築城。

Dsc05334 説明板

Dsc05339_1 寺坂 中央2-3の西光寺の東側から北西に下る。坂下に寺坂橋。左側の門が西光寺。《地図

小字名の「寺坂」のよる坂名。寺は西光寺と思っていたが、「慈恩寺」(『地名と歴史』)、「開善寺」(『本庄市史』)とする説がある。

Dsc05348 坂上方向

Dsc05352_1 坂下の寺坂橋から

Dsc05357寺坂橋

明治22年設置の、切り石造りのアーチ橋。

Dsc05370 石尊(せきそん)坂 若泉1丁目の新賀美橋(元小山川)から南に上る。 《地図

阿夫利天神社付近を「石尊山」、若泉公園を「石尊下」と呼ぶ。阿夫利天神社は、神奈川県の大山の阿夫利神社を勧請したもので、大山の阿夫利神社は奥の院に石尊大権現を祀り、石尊さまとも呼んでいた。『地名と歴史』

Dsc05366_1 雪をすっぽり被った?山

石尊坂の坂下から西方向

Dsc05373_1坂上方向

Dsc05374 若泉第一公園(賀美橋の所)

Dsc05381_1阿夫利天神社(石尊坂の途中)

大正2年に阿夫利神社と天神社を合祀。

Dsc05377 説明板

Dsc05389_1普寛霊場

木曾御岳霊場を開いた本明院木食普寛行者の墓と霊場がある。

Dsc05383_1 説明板

Dsc05393 田村本陣門(歴史民俗資料館前に移築)

中山道本庄宿の北本陣といわれた田村本陣の正門。中央区1-6の中山道沿いにあった。

Dsc05392 説明板

Dsc05396_1歴史民俗資料館(中央1-2)

旧本庄警察署の建物。補修中でブルーシートに覆われている。

Dsc05405_1安養院(中央3-5)

文明7年(1475)の創建という曹洞宗の寺。本庄七福神の毘沙門天

Dsc05403_2 説明板

Dsc05410 清水坂 元小山川の清水橋から千代田3丁目と4丁目の間を南西に上る。《地図

若泉公園あたりに湧いていた清水による名。

Dsc05413 坂上方向

Dsc05412_1清水橋から若泉公園

Dsc05424_1 泉坂 泉坂橋(元小山川)の南の本庄市小島交差点(国道17号)から、唐鈴神社の西側を南に上る。《地図

泉坂は小字名で、坂下に泉があったことによる。鎌倉街道の道筋。この坂を昭文社発行(2001年1月)の都市地図「埼玉県11 本庄市」の本庄市中心部では、「ねずみ坂」と記載してある。「いずみ」と「ねずみ」は一字違いで、誤植なのか? それとも正しいのか調べても分からず。

Dsc05429_1 坂下方向

Dsc05426 唐鈴神社(小島5-4)

遣唐使の大伴宿根古麿が唐の玄宗皇帝から贈られた金鈴に因む神社。

Dsc05425 説明板

Dsc05437_2 長松寺(唐鈴神社の南側)

唐鈴山薬師院と称する真言宗の寺。このあたりには武蔵丹党の一族、小島氏の館があった。古くはこの周辺には100余基の古墳が造られ、旭・小島古墳群と名づけられている。

Dsc05435_1 説明板

Dsc05442 金鑚(かなさな)神社(千代田3-2)

創立は欽明天皇2年(541)と伝う。本庄七福神の恵比寿

Dsc05441 説明板

Dsc05450_1 仏母寺(千代田3-3)

明治時代に再興された真言宗の寺。本庄七福神の銭洗い弁天

Dsc05451 説明板

Dsc05459_1 高尾山(仏母境内)

明治時代に八王子市の高尾山薬王院から分身を奉遷。

Dsc05453 説明板

Dsc05454 庚申塔(右・寛延4年(1751))

二十三夜塔(中・ 宝暦2年(1752))

Dsc05463 慈恩寺(中央2-2)

本庄七福神の銭洗い弁天

Dsc05465 開禅寺(中央2-8)

天正19年(1591)本庄城主小笠原信嶺の開基。本庄七福神の布袋尊

Dsc05464 開禅寺説明板

Dsc05467_1 三夜横丁

Dsc05470 城立寺(銀座3-4)

本庄七福神の大黒天

Dsc05466 武州本庄七福神

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2007年3月12日 (月)

佐倉市(千葉県)の坂-1

2007年3月12日

京成佐倉駅・・・(市役所)・・・海隣寺・・・海隣寺の坂(旧成田街道)・・・愛宕坂・・・愛宕神社跡・・・(国立歴史民俗博物館)・・・佐倉城址公園・へび坂・・・本丸・天守閣跡・・・正岡子規句碑・・・三逕(さんけい)亭(茶室)・・・浅間坂・・・大手門跡・・・ひよどり坂・・・大聖(だいしょう)院・武家屋敷通り・・・くらやみ坂・・・麻賀多神社・・・(市立美術館)・・・猿が脇の坂・・・漆坂・・・薬師坂・・・周徳院・・・JR佐倉駅

 愛宕坂は国道296号から国立歴史民俗博物館に上る坂、へび坂、浅間坂は佐倉城址公園内の坂です。ひよどり坂は高い竹林の間の未舗装の暗い坂で静かな、雰囲気のある坂です。坂上から続く道は宮小路武家屋敷の通りで、途中、武家屋敷の間をくらやみ坂が北に下っています。この坂も名前のとおり木々の間の薄暗い、いい感じの坂です。

 くらやみ坂下から北方向に行き麻賀多神社に寄り、東に交差点を越えると蔵造りの塚本美術館、立派な建物の市立美術館があります。美術館の間から南方向に下るのが猿が脇の坂で、細くカーブする昔の面影の残る坂です。坂下から西に少し行くと漆坂が北方向に上っています。すぐ西側を国道296号が通っていて、この坂も旧道の道筋なのでしょう。

 漆坂の坂上近くで国道をくぐり、南に行き武家屋敷通りを過ぎると、薬師坂の下りとなります。坂の両側の高い崖から木が坂を覆い、坂の真ん中あたりは、ちょうど木の輪の下をくぐって歩くような風情のある坂で気に入りました。坂名の由来の薬師堂は今は無く、薬師像を安置しているという坂下近くの周徳院へ寄り、JR佐倉駅へ向いました。

 参考:『佐倉市民ハイキングクラブ

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc05141_1 海隣寺(海隣寺町52)

千葉氏の菩提寺で歴代の供養塔がある。阿弥陀如来を本尊とする時宗の寺。相模国藤沢の無量光寺の末寺。

Dsc05140 海隣寺説明板

Dsc05142_1 石仏(海隣寺境内)

享保15年(1730)の銘。

Dsc05147 「海隣寺の坂」

【説明文】現在の市役所下で、成田街道が台地上の町へと上がる坂。街道筋の要所として、当時は木戸があり、土手・竹矢来で守られていました。

Dsc05144_1 海隣寺の坂(坂上から)

かつては荷車が上れないほどの急坂で、後押し(おっぺす)人夫がいたことから、「おっぺし坂」と呼ばれた。

Dsc05146 坂下方向

Dsc05150 坂下から

Dsc05159 愛宕坂説明板

Dsc05158_1 愛宕坂(坂下から)

Dsc05153 愛宕坂・愛宕神社跡

Dsc05166_1 坂下方向

正面右側あたりに愛宕神社があった。

Dsc05168_1国立歴史民俗博物館(城内町)

Dsc05154 「へび坂」位置

Dsc05175へび坂(坂下方向)

別名を「こやし坂」とか。

Dsc05180 坂下方向

Dsc05194_1 佐倉城説明板

Dsc05181_1佐倉城本丸・天守閣跡

Dsc05184 二の門写真

Dsc05156_1 浅間坂位置

Dsc05185_1 浅間坂(坂下方向)

坂上に佐倉城の鎮守の浅間神社があったのか。鏑木の浅間神社に合祀されたそうだ。

Dsc05189 坂下方向

Dsc05193_1 空堀跡

Dsc05195 大手門

Dsc05202_1 ひよどり坂

【説明文】 武家屋敷通りの奥、大聖院脇の竹林の小道です。

Dsc05209_2 ひよどり坂・くらやみ坂位置

Dsc05196_1 ひよどり坂(坂下から)

Dsc05198_1 坂上方向

Dsc05201 坂下方向

Dsc05207_1 大聖院(鏑木町)

大日如来を本尊とする真言宗の寺、佐倉七福神の一つ。

Dsc05208_1 武家屋敷説明板

Dsc05210_1武家屋敷通り(宮小路町)

Dsc05216 くらやみ坂

武家屋敷旧河原家と旧但馬家の間の坂で、木がうっそうと覆い、昼なお暗かった。

Dsc05220_1坂上方向

Dsc05225 麻賀多神社(鏑木町933)

佐倉の総鎮守

Dsc05226 説明板

Dsc05228_1塚本美術館(裏新町1-4)

Dsc05230_1市立美術館(新町210)

旧川崎銀行佐倉支店

Dsc05231 猿が脇の坂

【説明文】 市立美術館裏から南に下る坂です。樹陰が濃い急坂は、今も当時の雰囲気を伝えます。

Dsc05233_1 猿が脇の坂(坂上から)

『古今佐倉真佐子』によると、付近に家という者が住んでいたという。

Dsc05236_1 坂上方向

Dsc05238_1 坂下から

Dsc05244_1 うるし(漆)坂(坂下から)

付近に漆が自生していたそうだ。

Dsc05248 坂下方向

Dsc05250 坂下方向

Dsc05258_1 薬師坂

【説明文】かって坂上にあった薬師堂は昭和4年に焼失、坂にその名を残すことになりました。現在、薬師像は坂下の周徳院に安置されています。

Dsc05254 薬師坂(坂下方向)

Dsc05256_1 子育地蔵(坂下近く)

Dsc05278_1 坂上方向

Dsc05280_1 坂上方向

Dsc05263 周徳院(鏑木町)

曹洞宗の寺、薬師坂の坂上の薬師堂にあった木造薬師如来像を安置している。

Dsc05262 六地蔵(周徳院境内)

Dsc05264_1 子安地蔵(周徳院境内)

寛政6年(1794年)の銘。

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2007年3月10日 (土)

逗子市の坂-1

2007年3月10日

東逗子駅(JR横須賀線)・・・神武寺の坂(表参道)・・・神武(じんむ)寺・・・鷹取山・磨崖仏・・・追浜駅(京浜急行線)

 神武寺へは①JR東逗子駅からの表参道 ②京急神武寺駅からの裏参道 ③東逗子駅からの沼間参道があり、今日は①のコースを取りました。神武寺から鷹取山にかけては新編相模国風土紀稿に「境内全て石山なり。その山間を穿(うが)ち、平らげて堂宇を建つ」とあるように岩の多いところです。神武寺から鷹取山へはハイキングコースが続いています。少しは上りますが、起伏のある尾根道という感じの岩の多いコースで途中にミニ鎖場もあります。

 鷹取山の石材切出し場跡は親不知(おやしらず)というロッククライミングの練習場になっていて親知ずの若者たちが切り立った岩場にしがみついていました。この垂直な崖は明治から昭和にかけて建築用の石材を切り出したため出現しました。鷹取石は耐火性がすぐれていたそうです。展望台からは四方に眺望が広がります。早春の中、ちょうど手ごろな高さ、距離なのか、ハイカー、ロッククライマー?、家族連れ、幼稚園の遠足?、遊びに来た子どもたちで頂上あたりはけっこう賑わっていました。
 追浜駅の方へ下る途中に岩に昭和40年頃の制作という高さ10数mの磨崖仏が彫られています。仏像の風貌は大陸系のように見えました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc05067_1 神武寺の坂 沼間2-6から東方向に上る表参道。《地図

Dsc05078_1神武寺へ

Dsc05084_1 神武寺鐘楼

「逗子八景」の神武寺の晩鐘

Dsc05085_1説明板

Dsc05082_1 神武寺説明板

Dsc05086_1 本堂

天台宗医王山来迎院神武寺。寺伝によると神亀元年(724)に行基が建立し、天安元年(857)に慈覚大師が再興。

Dsc05094_1 山門

Dsc05089 薬師堂

文禄3年(1594)頃の建立で、秘仏薬師如来坐像が安置されているという。

Dsc05090_1説明板

Dsc05101 鷹取山へ

岩場の山道が続く。

Dsc05104 ミニ鎖場もあるよ

Dsc05108_1 親不知

岩の沢山の小穴はハーケンの跡

Dsc05115_2 鷹取山(標高139m)

展望台から

Dsc05124 三笠公園・観音崎方向

Dsc05121 大楠山・武山方向

Dsc05127_1  磨崖仏

Dsc05128_1磨崖仏説明板

Dsc05135_1 湘南鷹取の坂

道に散っているのは梅の花びらなのか? 両側の桜並木?はまだ早いし。

Dsc05139_1 雷神社((追浜駅北側の浦賀道沿い)

祭神は「火雷(いなびかりの)神」

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2007年3月 9日 (金)

多摩市の坂-4

2007年3月9日

永山駅(京王線)・・・ころげっと坂・・・諏訪神社・・・諏訪坂番屋坂跡あたり・・・薬王寺・寺の坂跡・・・餅屋の坂・・・(京王線)・・・南の坂跡・・・多摩東公園・・・極楽の坂・・・寺坂・・・堂坂・行幸橋・・・聖蹟桜ヶ丘駅(京王線)

 今日は坂道散歩というより、坂跡散歩という感じでした。それぞれに由来のある古い坂ですが昔の面影、雰囲気の残っている坂はありませんでした。

 寺坂は「多摩市の坂-1」に記載。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc05013 ころげっと(コロゲット)坂 貝取の鎌倉街道の永山橋交差点近くの南多摩教育会館とローソンの間を北西に上る。《地図

関戸の関所で捕らえれれた罪人を坂下の処刑場まで連れて行くとき、この坂まで来るとなかなか進まず、ころがすように引いて行ったことからこのような名がついたという。

Dsc05011_1 坂上から

Dsc05014 諏訪神社(諏訪1-8-3)

Dsc05015_1 諏訪坂 諏訪神社前から府中町田線、馬引沢1丁目方向に上る。《地図

Dsc05016 坂下方向

正面が諏訪神社

Dsc05025 薬王寺(諏訪3丁目の諏訪北公園の京王線のトンネルのそば) 

Dsc05026_1 寺の坂跡 薬王寺(写真正面)から京王線のトンネル(写真左)上あたりに上る坂か?《地図

Dsc05027_1 餅屋の坂 馬引沢2-13と2-14の間を東に上る。《地図

「餅屋」という屋号の家が坂の近くにあった。

Dsc05028_1 坂上から

かつては坂上からさらに聖ヶ丘2丁目交差点付近にまで上っていたようだ。

Dsc05029 南の坂跡 諏訪3丁目のグリーンメゾン内、諏訪けやき坂の北側。《地図

このあたりは馬引沢地区の南部にあり、「南」と呼ばれていたことによる坂名だそうだ。

Dsc05035_1 極楽の坂 聖ヶ丘4丁目の馬引沢南公園と多摩東公園の間を東に上る府中町田線。(剣橋?歩道橋から坂上方向)《地図

多摩東公園あたりはなだらかな広い畑で「極楽」と呼んでいた。この極楽に向う坂なので「極楽の坂」といった。

Dsc05042_1 坂上方向

Dsc05059 堂坂(新道の坂上から) 関戸5丁目?の行幸橋交差点から乞田川(行幸橋)を越え南東に上る。《地図

昔、行幸橋を渡り連光寺本村に入ったあたりに、お堂があった。連光寺にゆかりのあるお堂か? 

急坂で竹が生い茂り、寂しく薄気味悪いところだった。ある満月の夜、若者がこの坂のお堂の近くまで来ると、老婆が月明かりの中で小豆を洗っていた。若者はもう腰を抜かすほどで、やっとのことで近くの民家へ駆け込んだ。家人たちがその場所へ行ってみても何もなく小川がさらさらと流れているだけであった。『多摩市の町名』 この若者は一本杉坂(「多摩市の坂-3」に記載)の話に出てくる若者と同一人物のような怖がり屋だ。小豆婆アの話はあちこちにあるようだ。

Dsc05060 坂上方向

新道の途中から南方向に上る。

Dsc05066_1 坂下の行幸橋から

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2007年3月 6日 (火)

多摩市の坂-3

2007年3月6日

聖蹟桜ヶ丘駅(京王線)・・・東寺方橋(大栗川)・・・山の婆(ばば)坂・・・宝泉院・・・へっぴり坂・・・庚申塚通り・・・あたご山通り・・・(多摩センター駅)・・・パルテノン多摩ミュージアム・・・青木葉通り・・・(青木葉天満宮)・・・落合第五児童公園(別当(べーとの)坂跡あたり(落合2丁目))・・・一本杉坂・一本杉公園・・・多摩センター駅(京王線)

 今日歩いた坂はいずれも面白い由来話があります。ただ、今は昔の面影は全くない平凡な坂ですが。山の婆坂は東寺方小学校の南を乞田東寺方線に上る坂で坂上が宝泉院です。坂上の信号から反対側に西から北方向に下るのがへっぴり坂です。この坂には面白い歌まで残っています。

 多摩センター駅南側の中央公園内のパルテノン多摩の歴史ミュージアムで「多摩ニュータウン 坂物語」を開催していました。多摩ニュータウンの開発でほとんどが消滅した坂の昔の写真などが展示されていて、ありし日の坂の姿と付近の様子を偲びました。

 青木葉通りを南に行き青木葉天満宮の南の第五児童公園あたりに開発で消滅した別当坂がありました。坂にあった庚申塔は今は青木葉天満宮に祀られています。(「多摩市の坂-2」に記載) 青木葉通りをさらに南にゆるやかに上り、尾根幹線通(小山乞田線)を越えると、一本杉坂となりゆるやかに一本杉公園へ上っています。もうこの辺りは町田市小野路町との境近くです。

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Dsc04949_1 山の婆坂 東寺方1丁目の東寺方小学校の南側に沿って西に上る。坂上は宝泉院、乞田東寺方線。《地図

昔は左側(写真左)が山で、けやきの老木が生い茂り、反対側(東寺方小学校の方)は一面の竹藪で清水が流れていて、昼間でも薄暗い寂しい小道だった。左側の山の中に「山の婆ア」と呼ばれた老女が住んでいた。その姿は歯を真っ黒に染め、口は耳まで裂けていて、身の丈六尺(約2m)近くもあり、なんとも不気味な姿をしていた。その老婆はいつも大きなざるに小豆を入れて磨いていた。人が通るとその大きなざるを頭からかぶせ捕らえては食べてしまったという。この坂はグミガ坂というが、部落の人たちは「山の婆坂」と呼んで怖がったという。『歴史のさんぽみち』 連光寺2丁目の堂坂にも小豆婆アの伝説があります。この伝説はあちこちにあるようで、坂に関連したものでは、神奈川県横浜市鶴見区に「ザックミ坂」「鉤坂」のあたりにもあります。(「鶴見区の坂-5」に記載)

Dsc04952_1 坂上方向

Dsc04953_1 坂下方向

左側が宝泉院

Dsc04957 宝泉院前の石仏たち

Dsc04960_1へっぴり坂 山の婆坂上の信号から西に入り、北方向に下る。《地図

昔はこの坂があまりに急なため、荷車などを引いて登るときには力を入れ思わずウーン!と意気張りうなったそうだ。その時、突如静寂を破って大きな「へ」があたりにこだましたそうである。この様子を誰かが見ていたのでしょう。それからというもの「へっぴり坂」という異名を今日まで受け継いでいるそうである。更に、この坂にはおまけがついていて、土地の人の間にこんな歌が歌われているそうである。「へっぴり坂でへをしって 百草、倉沢暗やんで 耕地、落川粉が降る」 『歴史のさんぽみち』 神奈川県三浦市にも「屁っぷり坂」があり、坂名の由来も同じです。

Dsc04963_1 坂上方向

Dsc04968 パルテノン多摩

多摩センター駅南側の多摩中央公園内

Dsc05002_1 一本杉坂 尾根幹線通りから南東に南野2丁目の一本杉公園に上る一本杉通り。《地図

昔は杉の大木が鬱蒼と生い茂り、昼なお暗く、おいはぎが出たり薄気味悪いところだった。ある夜遅く、若い里人がこの坂にさしかかると美しい女に出会い、あちこちと引っ張り回された。気が付いた時には自分の家とは逆のもと来た道を歩いていた。人家の多い小野路の宿にさしかかり、人家の明かりが見えてくると美しい女は見る見るうちに姿を変え狐になり、一目散に逃げて行った。若い里人はようやく我に返り、やっと家にたどりついたという。この里人はこの後も3度ほど同じ目に合い、狐に化かされるといって気味悪がっていたそうだ。『歴史のさんぽみち』 この若い里人はいつも酔っ払ってこの坂を通っていたか、怖がり屋でよほどの方向音痴なのかも。

Dsc05004 坂下方向

もとの一本杉坂の道筋とは違っているかも。

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2007年3月 4日 (日)

多摩市の坂-2

2007年3月4日

京王多摩センター駅(京王線)・・・縄文の村・・・白山神社・・・東福寺・・・レンガ坂・・・鶴牧さくら坂・・・青木葉天満宮・・・永山けやき坂・・・諏訪けやき坂・・・桜ヶ丘公園・お花見坂ひぐらし坂・・・聖蹟桜ヶ丘駅(京王線)

 今日歩いた坂は全部新しく名づけられた坂で、面白味のある坂はありませんでした。多摩市には古い伝承のある坂、坂名の由来が面白い坂もありますが多摩市は新しい道に坂名はつけても、古い坂には全然興味を示さないようで、坂標や案内板の設置もなく残念です。(私が見逃しているのかも知れませんが)

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc04888 縄文の村(東京都埋蔵文化センター内。落合1-15)

敷石住居(復元)、縄文時代中期終末。

Dsc04883_1 説明板

Dsc04885 住居内の床に石が敷いてある。

Dsc04887_1 多摩ニュータウン遺跡説明板

Dsc04890 白山神社(落合2-2)

Dsc04895_1 東福寺(落合2-4)

Dsc04903_1 レンガ坂 落合2-35の多摩中央公園の西側を南に上る。《地図

Dsc04901 坂上方向

歩道がレンガづくり。

Dsc04904_2 坂下方向

Dsc04905_1 鶴牧さくら坂 鶴牧5丁目の南鶴牧小学校の東側を南東に上る。《地図

Dsc04906_1 坂上方向

坂の両側に桜の若木並木。

Dsc04908 坂下方向

Dsc04911青木葉天満宮(落合2-24)

寛政6年(1794)の勧請という。 

Dsc04912庚申塔

もとは、別当(べーとの)坂にあったと由来書にある。別当坂は東福寺が白山神社の別当寺だったことに由来するのか、小山田別当有重に関係するのか不明。『多摩市の町名』 別当坂は天満宮の南の第五児童公園あたりにあった坂。

Dsc04918_1 永山けやき坂 永山3丁目と4丁目の間を東に上り、下る。《地図

Dsc04919_1 坂下から

Dsc04923_1上って下る坂。

Dsc04927_1 諏訪けやき坂 永山けやき坂から東に続く坂。

Dsc04928 坂上方向

Dsc04933 上って下った坂下から。

Dsc04935_1 お花見坂・ひぐらし坂(桜ヶ丘公園案内板(多摩市連光寺5丁目)

Dsc04937 お花見坂

Dsc04938_1 坂上方向

Dsc04939 お花見客もちらほら

Dsc04943_1 ひぐらし坂

Dsc04945_1 坂上方向

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2007年3月 1日 (木)

多摩市(東京都)の坂-1

2007年3月1日

聖蹟桜ヶ丘駅(京王線)・・・川崎街道・・・観蔵院・霞ケ関橋(大栗川)・・・いろは坂・・・金比羅宮・・・山神社・観音堂跡・・・寿徳寺・・・あたご北通り・・・あたご切通し・・・愛宕神社・・・(地蔵坂)・・・高蔵院・地蔵堂・・庚申塚通り・・・あたご一息坂・・・旧鎌倉街道・・・(多摩市役所)・・・大六天祠・・・沓切坂・・・熊野神社・・・熊野橋(乞田(こつた)川)・・・ひじり坂・・・(多摩中央病院)・・・寺坂①・高西寺・・・春日神社・・・桜ヶ丘公園・・・連光寺坂(寺坂③)・・・対鴎台公園・・・寺坂②・・・大栗川・・・聖蹟桜ヶ丘駅

 いろは坂といえば日光、切通しは鎌倉を思いだしますが、ここの「いろは坂」も曲がりくねったけっこうな長い坂で、あたご切通しも切通しの感じが残っていて納得です。高蔵院の前の小さな坂の坂下には六地蔵の小堂、高蔵院には子育地蔵が祀られています。バス停に地蔵堂もあるので、この坂を地蔵坂と呼んだらどうでしょう。庚申塚通りで庚申塔を探しましたが見当たらず。

 沓切坂は多摩市役所脇の鎌倉街道「上の道」の坂で、南北朝時代の戦の伝承のある坂です。ひじり坂は町名の聖ケ丘に上る新しいきれいな坂です。坂上から多摩中央病院の方へ下り、寺坂①を下って高西寺、春日神社に出ました。連光寺はこのあたりにあったのでしょうか。桜ヶ丘公園からの眺めはなかなかのものです。

 都立桜ヶ丘公園の記念館交差点まで上って、連光寺坂上に出ました。下って、乞田川の向ノ岡橋から寺坂②を上りました。坂下に小さな昔の道標が立っています。坂に沿うのが対鴎台公園で、小野小町の歌碑や明治天皇行幸記念碑があります。連光寺坂を寺坂③という説もあります。(寺坂の道筋は3通りの説があり、寺坂①②③としました。)

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc04687 いろは坂 聖蹟桜ヶ丘駅の南の霞ケ関橋(大栗川)から途中大きく曲がりながら南方向に上るいろは坂道通り。《地図

Dsc04695_1 大きくカーブする所。

Dsc04703 直線的に上る歩行者用階段

Dsc04704_1金比羅宮(いろは坂の坂上)

この辺りは、城山、天守台(関戸城)といわれ鎌倉幕府以来、物見台城塞があった。

Dsc04708 天守台近くから南東方向

Dsc04715 観音堂跡(東寺方)

廃寺になっているようだ。この辺りは「寺方大屋敷」といい、中世初期の土豪屋敷があった。

Dsc04719_2 傾きかけた観音の石仏(観音堂門前)

Dsc04723 山神社(観音堂の前)

Dsc04727寿徳寺(桜ヶ丘4-26、山神社の南側)

Dsc04734_1道標

Dsc04735 あたご切通し 愛宕2丁目と3丁目の間を愛宕北通りから南に上り、下る。《地図

Dsc04736 坂上から

下って鎌倉街道の方へ。

Dsc04741_2 坂下近くから

Dsc04745_1愛宕神社(愛宕1丁目64)

Dsc04749_1高蔵院(和田728)

Dsc04747子育観音(高蔵院)

Dsc04756 地蔵坂(高蔵院の前)《地図

左側に地蔵堂

Dsc04754_1 坂下の地蔵

Dsc04757_1 地蔵・庚申塔(157号線の落川バス停近く)

Dsc04758_1あたご一息坂 鎌倉街道の乞田交差点から北西に上る。《地図

Dsc04759_1 坂下から

Dsc04763_1 古市場あたり(関戸6丁目の多摩市役所あたり一帯の旧鎌倉街道沿い)

戦国時代の小田原北条氏の時代に関戸郷の中心で市が開かれていた。

Dsc04768 大六天の小祠(沓切坂の坂上近く)

Dsc04765 沓切坂 関戸5丁目の熊野神社あたりから南西に上る旧鎌倉街道の上の道。《地図

①正平7年(1352)、新田義興が鎌倉から足利尊氏を追い、夜半にこの坂付近にさしかかった所で、音消しの馬の沓(ひずめを秘覆する)を取り、裸馬を飛ばしたとの伝承による。②関戸の戦に勝って鎌倉を目指す新田義貞軍がこの坂を通りかかった時、あまりの急坂で馬の沓が切れてしまった。「沓切」という名からは②の説の方が適当か。

Dsc04770 庚申塔(坂上近く)

正徳2年(1712)建立?

Dsc04769_1 坂下方向

Dsc04773_1 左が旧鎌倉街道(新沓切坂)

右が沓切坂(旧鎌倉街道の上の道)

Dsc04787_1熊野神社(関戸5-35)

手前の木の杭は霞ケ関南大木戸の柵の復元。

Dsc04785_1南大木戸説明板

Dsc04788ひじり坂 連光寺2丁目の熊野橋(乞田川)から南東に「聖ケ丘」へ上る。《地図

Dsc04794_1 坂下方向

Dsc05046 寺坂①(坂上方向、左側が多摩中央病院) 連光2丁目の多摩中央病院前から高西寺の方へ下る坂。《地図

寺は連光寺のこと。地元の人はこの坂を「寺坂」としている。

Dsc05048_1 坂上方向

Dsc05047_1 坂下方向

Dsc05049 庚申塔(坂の途中の道脇)

左・享保10年?(1725)
右(庚申供養塔)・寛政4年(1792) 「武州多摩郡蓮光寺村講中」とある。

Dsc05055高西寺(寺坂①の途中)

Dsc04805春日神社(連光寺1-8)

治承5年(1181)頃の建立という。

Dsc04809 若宮八幡の小祠(連光寺3-37)

Dsc04832 桜ヶ丘公園(連光寺3-25)から多摩川?

Dsc04825 中央は連光寺坂の川崎街道。

Dsc04837 馬頭観音・庚申塔(記念館交差点近く)

Dsc04840_1連光寺坂 向ノ岡大橋(乞田川)あたりから南東に上る川崎街道。《地図

連光寺村や現在の町名にもなっている連光寺はどこにあったのか? 春日神社付近か? この坂を寺坂③とする説あり。

Dsc04846 坂下方向

Dsc04860 寺坂② 向ノ岡橋(乞田川)あたりから南西に対鴎台公園に沿って上る。坂下に道標。《地図

寺は連光寺でどこにあったのか不明。この坂は春日神社の東側を通り、さらに桜ヶ丘公園の方へ続いている。

Dsc04878 坂下の道標

「南 蓮光寺村」とある。

Dsc04868_1 「小野小町歌碑」

みちのくへ父を訪ねての旅の途中で武蔵野の向ノ岡を詠んだと伝えられる。各地にある小野小町の伝承の地の一つ。『全国小野小町マップ

Dsc04867_1歌碑説明板

Dsc04875 対鴎台公園から寺坂の坂下方向

このあたりは明治天皇が鷹狩や鮎漁で訪れたところ。三条実美の別荘「対鴎荘」が昭和4年に明治天皇ゆかりの地としてここに移築された。

Dsc04871_2対鴎台公園説明板

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