取手市の坂-2
2007年4月4日
寺原駅(関東鉄道常総線)・・・青龍神社・・・法海寺観音堂?(新四国相馬霊場札所第69番)・・・駒場の坂・・・神明社・・・鹿島神社・・・本郷西坂・・・東漸寺(第71番)・・・春日神社・・・山崎の坂・・・新宅の坂・・・協同病院・・・法悦院・・・キリンビール工場・・・もちや坂・・・井野台さくら公園・・・阿弥陀坂・・・寺下踏切(常磐線)・・・香取神社・さくら坂上・・・小堀の渡し・・・取手駅(常磐線)
今にも雨が降り出しそうな寒い日でした。主に駒場・本郷付近の坂道を歩きました。このあたりは平将門に関する伝承の残るところです。関東鉄道常総線は、まだスイカが使えず、日中は2両編成のローカル電車です。駒場の坂の位置が分からず苦労しました。駒場中公園の南側からみどりが丘幼稚園まで上る細い坂でした。駒場は将門が乗馬の訓練をしたところからついた地名とも言われます。
坂上を南に寺原駅前の通りに出て、東に行き、本郷3丁目の鹿島神社へ上り、本郷西坂を下りました。坂下の田んぼの向うに筑波山の美しい峰々が望まれる景勝の地らしいですが、あいにくの曇天で峰々は見えませんでした。戻って、将門の母方の犬養春枝(将門の外祖父)がこのあたりに住んでいたという東漸寺に寄りました。仁王門の後ろに、昔話「目隠し銀杏」の大銀杏が立っています。すぐ西側の春日神社の小堂を過ぎるとゆるやかな下りとなり、寺田の田んぼの方へ山崎の坂の下りとなります。坂上へ戻って、ときわ学園、取手中央病院の前を通って、新宅の坂を下りました。この坂の位置には自信はありません。
協同病院の東側の通りを南に、キリンビール工場からは前回(3月24日)歩いたと同じようなコースをたどりました。前回は桜にはまだ早かったですが、今日は満開は過ぎたものの、井野台さくら公園の桜は見事で、さくら坂の桜も見ることができました。利根川の小堀の渡し場まで足を延ばしましたが、あいにく水曜日は運休で渡船姿は見ることができず、また次の機会ということになりました。
*「もちや坂」・「阿弥陀坂」・「さくら坂」については、「取手の坂-1」に記載。
【地図】写真をクリックすると拡大します。
寺原駅にて
疱瘡神(左から2番目)・二十三夜塔?(右から2番目) (青龍神社前)
扉や柱に彫刻がほどこしてある。
駒場の坂 駒場1-23と1-26の駒場中公園の間を南東に上る。坂上にみどりが丘幼稚園。 《地図》
幅2m足らずの歩行者のみの坂。寺原駅への通勤や、寺原小学校への通学路として地元で親しまれている。『取手の坂道愛好会の資料から』
左側が神社。坂上から本郷西坂の下りとなる。
右は享保元年(1716)の銘。
本郷西坂 本郷3-10と3-14の間を西から南西方向に上る。《地図》
本郷集落の西に位置するので、地元ではこう呼ぶ。昔はもっと曲がりくねっていた。田んぼの向うに筑波山の峰々が美しく望まれる景勝の地。『取手の坂道愛好会の資料から』
曇り空で筑波山の峰々は見えず。
東漸寺(本郷3-9)
仁王門から「目隠し銀杏」
昔、観音堂の前を馬に乗って通ると必ず落馬した。観音さまのいたずらだから、道が見えないようにと銀杏を植えた。『取手の昔話』
観音堂は寛文7年(1667)、山門は元禄3年(1690年)の建立。 山崎の坂 本郷3-5と3-6の間を南西に上る。《地図》
昔、このあたりに山崎某という大地主の土地があったのでこう呼ばれるようになった。近くには大正14年に開校した寺原尋常小学校の跡地があり、昭和20年代に建築された木造校舎が現存し、「ときわ学園」の一部として利用されている。『取手の坂道愛好会の資料から』
新宅の坂 本郷3-3と3-7の間を北方向に上る。《地図》
「新宅」は屋号か、このあたりの字名か?
手前は桃の木?
桜の下に坂標
運動公園サッカー場前乗場から対岸の小堀側乗場(左上)の利根川両岸を結ぶ市営の渡し船。
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