取手市の坂-3
2007年4月10日
稲戸井駅(関東鉄道常総線)・・・御嶽神社・・・香取八坂神社・・・高源寺(新四国相馬霊場第49 番札所)・・東光寺(第50番)・・・高井城址公園・高井城址・・・妙見八幡宮・・明音寺(第52番)・・・小貝川排水路の方へ下る切通しの坂(右の写真)・・小貝川・・・水神岬公園・水神社・・・延命寺・・・仏島山古墳・・・大日山古墳・岡神社・・・甚五郎池・・・のぞみの坂・・・月読尊・・・熊野神社・阿弥陀堂(第78番)・・・山ノ坊いろは坂・・・永山公民館へ下る坂・・・稲戸井駅
【ルート地図】
今日も坂道散歩にはうってつけの日和でした。『取手の坂道愛好会の資料』をもとに、坂道と平将門ゆかりの地を散策しました。
稲戸井駅から県道守谷藤代線を北東に行き、北に入り香取八坂神社からケヤキ地蔵の高源寺に寄りました。大きなケヤキの空洞の根本に地蔵さんが鎮座していました。高源寺から高井城址公園へ坂を下り、高井城址へ上って東側の妙見八幡宮の脇の道を進むと、切通しの坂が小貝川排水路まで下っています(上の写真)。
小貝川のサイクリングロードに上って、東に行き水神社が祀られている水神岬公園から岡堰を眺め、親王山延命寺から仏島山古墳、大日山古墳(岡神社)と、いずれも平将門の伝承のあるところへと進みました(地図)。仏島山古墳の近くには大きな地蔵と野仏が立っています。大日山古墳のある丘の南側のふもとの未舗装の道を西方向に行き、老人ホーム「ふれあいの郷」の中の甚五郎池を見て、高井小学校に沿って、めぞみの坂を上りました。坂下に戻り、南に上ると辻のところに真新しい月読尊と庚申塔が立っています。後ろに隠れるように元の崩れた石と庚申塔があります。月読尊の後ろの庚申塔は、まだ十分な形をしているのに後ろに置かれるのはいかがなものでしょう。すぐ近くのめぐみ幼稚園は今日が入園式、子どもの手を引いている両親も皆若い。
めぐみ幼稚園の先から右に入り、北西方向に進むと、これも新しい熊野神社と阿弥陀堂に出ました。さらに北に行くと細い未舗装の気持ちのいい坂となり、守谷藤代線近くまで下っています。熊野神社まで戻り、海老原医院前の山ノ坊いろは坂を下って上りました。途中、大きく3回カーブするので、「いろは」坂なのでしょう。坂上の菜の花畑が見事でした。坂上近くから右(北方向)に永山公民館までの坂を往復してから西に稲戸井駅に向いました。
写真をクリックすると拡大します。
火事でできた空洞らしい。
高井城址説明
坂下の小貝川排水路近く
鳥居が小貝川に向って立つ。
岡堰を臨む
寛永(1630)7年関東郡代伊那半十郎忠治により造られた。福岡堰、豊田堰とともに関東三大堰の一つ。
将門が信仰していた地蔵尊のおつげによって創建されたと伝える。自ら「新王」の位について敗れた将門にふさわしく、「親王山」という山号。
将門が戦死したときに乗っていた馬を埋めたところと伝えられ、風を引いたときなどに参るとすぐに治るといわれて、信仰されてきたそうだ。
寛文6年(1666)建立の高さ170cmの大きさ。
延宝8年(1680)年の銘。地蔵の後ろにあるので、裏地蔵とも呼ばれている。
直径30mほどの円墳で6Cの築造。地元では昔から将門の墓といわれてきた。
大日山古墳説明板
直径18mの円墳上。この古墳も将門の墓と伝えられてきた。脇の広場は愛妾の桔梗が住んだ朝日御殿があったという。将門の敗死を聞いて桔梗が入水した沼のところは「桔梗田」として共同管理されている。
老人ホーム「ふれあいの郷」内。別名を「相野谷湖」
のぞみの坂 下高井の高井小学校の北側に沿って北西に上る。《地図》
後ろに庚申塔や崩れた庚申塔がある。
熊野神社(野々井639?)
左の石仏に「山ノ坊坪講中」とある。
山ノ坊いろは坂 野々井636の海老原医院の南側を南西から北西にカーブして下って上る。《地図》
このあたりの小字名が「山の坊」で、天明年間(1781~88)西蓮寺という大きな寺があった。常総線の踏切あたりの山門から参道が続き、宿坊・修験僧も多く、にぎわっていたが後年、廃仏毀釈で無住となり荒廃した。『取手の坂道愛好会の資料』
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