あきる野市の坂-3
2007年4月8日
武蔵五日市駅(西東京バス)→荷田子(にたご)・・・乙津橋(秋川)・・・龍珠院・神明社・・・二反坂・・・五柱神社・・・新橋(養沢川)・・・徳雲院・・・岩船地蔵尊・・・春日明神社・大戸里神社・・・落合橋(秋川)・・・檜原街道・・・向(むこうざか)坂・・・星竹橋(秋川)・・・下坂・・・普光寺・・・上坂・・・荻野坂跡・・・滝坂・・・星竹神明社・・・星竹橋・・・檜原街道・・・むかえ坂・・・三島神社・・・寺坂・・・光厳(こうごん)寺・戸倉城跡・・・寺坂・・・坂本の切通し跡・・・沢戸橋(秋川)・・・子生(こやす)神社・・・檜原街道・・・子育地蔵堂・・・権田坂・・・武蔵五日市駅
鶯がさえずり、桜、むらさきつつじなど色とりどりの花が咲き競う里山の、のどかで気分のいい坂道歩きでした。「秋川渓谷瀬音の湯」行きのバスは中高年の女性たちでほぼ満員。(4月15日オープンなので開店準備の従業員かパートの人たちだろう)
荷田子のバス停から北に秋川を渡って乙津地区の龍珠院に寄り、二反坂を上って下り養沢地区の五柱神社に出ました。この道筋は、御岳道(養沢道)といわれた古道で、道沿いの所々に馬頭観音、石仏などが立っています。養沢川の新橋に出て南に上り徳雲院を過ぎると、春日明神社と大戸里神社が切り通しの坂を挟んで並んでいます。今日は祭礼日で揃いのはっぴ姿の地元の人たちが境内に集まり始めていましたが、人数はいまいちで若い人の姿はあまり見えませんでした。
落合橋で秋川を渡り、十里木の交差点から檜原街道を東に行き、坂下地区から向坂を下り、星竹橋で秋川を渡って下坂を普光寺まで上りました。普光寺の前あたりから東に上るのが上坂で、西に下るのが滝坂です。滝坂の坂上近くから北に上る横根道といわれた荻野坂は今は廃道のようで、道跡らしいのが残っています。この道は金毘羅尾根から養沢へと通じていたそうです。滝坂を下ると荻野沢が秋川に流れ落ちる所の滝淵と呼ばれていたところへ出ます。昔はここの崖を滝が落ちていたのでしょう。今もわずかの流れがあるようで、大雨の時などは滝となるかも。
星竹橋まで戻り、檜原街道の戸倉交差点手前の昔風情のある土蔵沿いの坂(上の写真)からむかえ坂の坂下に出ました。細い坂が三嶋神社まで上っています。三嶋神社は木々に覆われ薄暗く静かで参詣人はなく、隣の光厳寺とは全然雰囲気が違います。付近から縄文時代の石棒が出土しています。神社から寺坂の途中へ出て、光厳寺へ上りました。境内まで車で入れるせいか、山桜目当ての見物人やハイカーで賑わっていました。
寺坂を下って沢戸橋手前の馬頭観音の脇の坂本の切通しを下りました。今はこの坂は途中で行き止まりです。『五日市町の古道と地名』によれば、昭和初期までは、坂下で(旧)沢戸橋で秋川を渡っていたそうです。沢戸橋で秋川を渡り、安産の神の子生神社の先で檜原街道に出て、権田坂から武蔵五日市駅に戻りました。
【地図】写真をクリックすると拡大します。
貞治2年(1363)創建という臨済宗の寺。
乙津地区の鎮守。
二反坂(坂上方向) 乙津の龍珠院の東側を北方向に上る。《地図》
秋川の谷と養沢川の谷を結ぶ坂なので「ニ谷坂」と呼び、訛って「ニタン坂」になったとも考えられるが、寺岡方面から荷田子方面へ通ずる坂の意で「荷田子坂」と呼ばれたのが訛って「ニタン坂」になったと見る方が妥当であろうと思われる。『五日市町の古道と地名』
手前の杉は市の天然記念物。
新橋近く
天文年間(1532~55)の中頃の創建という臨済宗の寺。
応永年間(1394~1428)に奈良の春日社を勧請したという。
春日明神社と大戸里神社の間。
大戸里神社(乙津294)
落合地区の鎮守。別名「おとり様」
向坂(むこうざか) 星竹橋(秋川)へ下る「せせらぎ通り」。《地図》
星竹集落へ向う坂なのでこう呼ぶのだろう。
明治時代に建てられたもの。
星竹橋から普光寺へ上る坂。《地図》
坂下方向
上坂 普光寺前(下坂の坂上)から東方向に上る。《地図》
普光寺(戸倉1056)
文明2年(1470)の創建という臨済宗の寺。
普光寺の西側(滝坂の坂上)から北方向に上る。《地図》
道筋らしき跡が残っている。
坂下は滝坂の坂上
滝坂(坂下方向) 普光寺の西側から西方向に下る。《地図》
荻野沢が右から左に流れ秋川に落ちるところ。(今は道路の下を通る)
滝が落ちていたところ。正面は秋川。《地図》
永享4年(1432)の創建という。
坂下方向
むかえ坂 戸倉の三島神社へ上る坂。《地図》
三嶋神社へ「向う坂」の意だろうか?
右側の窪みのところに湧水と道祖神などが立つ。
三島神社(戸倉字城山414)
天徳2年(958)伊豆の三島神社の分霊を勧請。古来より武将の信仰の厚い神社。
寺坂 光厳寺へ上る坂。《地図》
北朝第一代光厳院の勅を奉じて足利尊氏が建武元年(1334)に創建したという臨済宗の寺。
このあたりに戦国時代に戸倉城があった。
樹齢400年以上の都内三大巨木。
沢戸橋の手前の切通しの坂上。
坂本の切通し跡 《地図》
右にカーブして、(旧)沢戸橋で秋川を渡っていた。
ここに昭和の初期まで旧沢戸橋が架かっていた。『五日市町の古道と地名』
子生神社(小中野187)
永正元年(1504)創建という安産・子育の神。
武蔵五日市七福神の恵比寿
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