あきる野市の坂-5
2007年4月20日
武蔵引田駅(五日市線)・・・連木坂・・・もみじ塚・・・神送り場・・・茶屋坂・・・宝泉寺坂・宝泉寺・馬坂・・・引田橋(秋川)・・・引田八雲神社・・・秋川(六枚屏風岩の眺め)・・・正音寺・志村氏館跡・門(もん)坂・・・熊野神社・・・馬乗(ばじょう)坂・・・真照寺・・・寺坂・・・宮坂・・・大宮神社・・・堂坂・・・観音寺・・・ぼうない坂・・・福輪家・・・出雲神社・・・睦橋通り・・・薬師坂・・・五日市街道・・・えびすや坂・・・桜木稲荷・・桜木坂・・・武蔵引田駅
五日市町と合併前の旧秋川市側の坂道散歩です。駅の南側の畑の中をカーブする連木坂を下りました。もみじ塚は金網フェンスの中、神送り場も新しい地蔵さんが祀られていて昔の面影は偲べません。秋川へ下るように茶屋坂、宝泉寺坂、馬坂と続きます。宝泉寺坂と馬坂の境がはっきりせず、馬坂の坂下には家の表札のような坂標が立っています。茶屋坂にある坂標とは違うので坂下の家の表札かも知れません。
引田八雲神社の裏手の秋川から対岸の六枚屏風岩が望めます。もう一つ形がはっきり掴めず、土柱の上の方に登れるのだろうかと思いながら見ていたら、以前行った徳島の阿波の土柱を思い出しました。戦国時代の志村氏の館の門に通じていたという門坂は正音寺の墓地に沿って上る細い小道の坂で、今はほとんど通られていないようです。坂上から熊野神社近くへ出る小道も静かでほっとする坂道です(上の写真)。
馬乗坂を下り真照寺の前のカーブする寺坂を上り、これもきついカーブで車も最徐行で下っている宮坂を下って大宮神社に出ました。神社前の一の谷小学校の前の宝坂を上りました。坂上に地蔵が立っています。坂上から今は薬師坂の由来の薬師堂がある観音寺に寄り、ぼうない坂を下りました。坂上から大椿があるという出雲神社へ行きましたが、枯れてしまったのか大椿はなく、まだ新しい小さな椿の木が植えられていました。近くにあるという「石積井戸」も埋められてしまったのか見つからず。
西秋留小学校の西側を北に行き睦橋通りを渡り、薬師坂を上りました昔はもっと長い急坂で、近くに「ぬすまれ薬師」の伝説のある薬師堂があったそうです。坂上近くから五日市街道を西に向い、昔は茶店があったという原店のバス停そばの淵上と引田の境を北に入り、えびすや坂を北東に上りました。坂上から西に向うと段丘上の畑の中の道となって、桜木稲荷の前へ出ました。稲荷の小さな祠の後ろに山桜の古木が一本立っています。桜木坂を上って右に折れ、連木坂の坂上から武蔵引田駅へ戻りました。
*参考:『秋川市ふるさとの道』(平成6年秋川市教育委員会)
【地図】写真をクリックすると拡大します。
連木(むらぎ・むなぎ)坂 武蔵引田駅の南側を南西に下る。《地図》
坂名の由来不明。地元では、「ネン坂」ともいっている。『秋川市地名考』
もみじ塚 《地図》
昔からもみじが植えられているのでこの名がある。左:嘉永5年(1852)建立の寒念仏塔(寒中30日間鉦(かね)を叩きながら各所を巡って念仏を唱える修業)。右:庚申塔
その右に2基の石造物がある。一つは神送り場にあったという寒念仏供養碑だろうか?
神送り場(引田と山田の境の五日市街道の南側の辻) 《地図》
昔、疫病が流行ると村人が集まり、疫病を村の外へ送り出す祭りを行った場所。今は新しい地蔵さんのみだが、道標を兼ねた寒念仏供養碑があったという。
茶屋坂 引田696と649?の間を南西に下る。《地図》
志村舘跡の一部にある。一説には志村氏が、甲州からお茶屋をよんで、その茶を売る店があったというが、邸の中に商人がいたことはないだろうから、舘主の茶室でもあったのであろうか。『秋川市地名考』
写真は旧秋川市教育委員会が設置した木製の坂標。字も消えかかり保存状態が悪い。新しく取り替える金も、気分的な余裕もないのだろう。それなら撤去した方がいいと思うが、どこに坂標が設置してあるかさえ今は市では把握していないのでは?
坂沿いに宝泉寺(天文年間(1532~54)に北条氏康が開基したという臨済宗建長寺派の寺)がある。
右側が宝泉寺
急坂で馬でも上るのを難儀したという、一般的な「馬坂」の由来ではなく、「馬坂家」の前の坂なのでこう呼ばれているのだろうか。近所で確認すればよかったのに。
正面は引田橋(秋川)
永禄年間(1558~69)に尾張国の津島牛頭天王社を勧請。<お天王さま>と呼ばれ親しまれている。
六枚屏風岩(引田1774、八雲神社の対岸の東京サマーランドの西端) 都指定天然記念物。右の第1柱は高さ24m。
加住丘陵の北崖に発達した土柱群。南北朝争乱の時代、正平7年(1352)、新田義興と小手指原(所沢市)で戦った足利尊氏が戦に敗れ、ここ六枚屏風まで逃げてきたという伝説も秘めている。
国の天然記念物。(2004年5月撮影)
崩れそうで、これ以上近づくのは怖い。
門坂 正音寺の墓地の西側に沿って北方向に上る小道。《地図》(地図に道筋の記載はない)
このあたりは約450年前の志村肥前守の舘だった。その門に続いていた坂なのでこの名がある。別名を「ごろごろ坂」
門坂の坂上近くから熊野神社の方へ通ずる細い林の中の坂。(地図に記載なし)
江戸時代には熊野権現として村人に崇敬されていた。
馬乗坂 引田720と857の間を北に上る。真照寺の西側の坂。
志村氏の舘の馬場に下る坂。高札場もあったという。
通称「赤門」と呼ばれる。元禄元年(1688)の再建。
室町時代の建築様式。都指定文化財。
如玄和尚が文政元年(1818)に、この石室で即身成仏したのではないかと言われている。
寺坂 真照寺の前から東からカーブして北方向に上る。《地図》
坂上に行堂があって、多くの僧が修行していたので、「行堂坊坂」また「真照寺坂」・「坊坂」などともいわれた。『秋川市地名考』
宮坂 引田の大宮神社の東側に沿って北東からカーブして北西に上る。《地図》
延文2年(1357)足利基氏が再興。
堂坂 引田と渕上の境の一の谷小学校の前を北東に上る。《地図》
坂の上に四間四方のお堂があった。大正の初めころまで比丘尼がいたという。このお堂は「新編武蔵風土記稿」にいう地蔵堂であろう。地蔵淵に弘法大師作と伝える石の地蔵が流れついたというが、その像はこのお堂に祀っていたものであろう。『秋川市地名考』
右側は宮坂の坂上の方へ続く坂。
お堂にあったという地蔵は一尺ばかりだったというからこの地蔵ではないだろう。
右から庚申塔、寒念仏塔、馬頭観音
北方の薬師坂にあった薬師を移したと「新編武蔵風土記稿」に記されている。
ぼうない坂 上代継の西秋留小学校の南側に沿って南東に下る渕上日野線 《地図》
坊坂ともいい、近くにある観音寺、東海寺(廃寺)、真城寺の坊さんたちがよく通ったので、この名がついたともいわれる。
左側の旗の所が野菜ラーメン「福輪家」
「野菜ラーメン」 700円(アイスクリーム付き)・ランチ時はライス追加OK。造りも民家風で、和室の座敷で食べる。
右の狛犬の後ろの垣根の中に都指定の天然記念物の大椿があったという。枯れてしまったのか今は新しい椿が植えられている。
薬師坂 睦橋通りから下代継と渕上の間を北に上る。《地図》
坂の近くに薬師堂(今は観音寺薬師堂に移る)があった。
「ぬすまれ薬師」の伝説:「この薬師様はいつの頃か目玉を盗まれてしまいました。それでも霊験あらたかな薬師如来で、目がなくなってもなお眼病を治してくれたので<ぬすまれ薬師>の名で呼ばれ崇敬されたといわれます。」
えびすや坂(坂上方向) 五日市街道の淵上と引田の境の原店バス停そばから北に入り北東に上る。《地図》
いつの頃か不明だが、エビスヤ屋という店が近くにあったので、こう呼ぶようになった。
桜木稲荷(引田442)
桜木坂 桜木稲荷の前から北西に上る。《地図》
古い山桜か桜木稲荷に因む名だろう。
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