流山市の坂-5
2007年4月28日
初石駅(東武野田線)・・・三郷(さんきょう)坂・・・西栄寺・・・半塚坂跡あたり・・・天神社・・・庚申前の坂(右の写真)・・・神宮寺の坂・・・茂侶神社・・・金剛院坂・・・花輪城址公園・・・流山駅(流山線)
【地図】
初石駅から南西に西初石中学校と小学校の間から流山中央高校の中の道を抜けて三郷坂を上りました。隣りの三郷市に関係がある坂名ではありません。このあたりはまだのどかな田園風景が残っているところです。
大畔(おおぐろ)の天神社近くの半塚坂は今はなく、天神社から細い道を南に行くと庚申前の坂上に出ます。藪の中に倒れたり、壊れた庚申塔が放置されていました。坂下から神宮寺の坂を上り、金剛院坂を下りました。両方の寺とも今はないようです。坂下近くに花輪城址公園があります。ここも前ヶ崎城、名都借城と同様に小金城主の高城氏の支城の一つでした。県道を南に流山駅に向いました。
写真をクリックすると拡大します。
三郷坂 大畔(おおぐろ)の流山中央高校の西側から北西方向に上る。《地図》
上貝塚、谷(やつ)、桐ヶ谷の三つの境の坂なのでこう呼ばれているのだろうか。「谷津坂」とも呼ばれていた。
流山七福神の福禄寿。 琵琶首観音(朝寝坊観音)を安置している。(後述)
嘉永6年(1853)という旧村社。
庚申前の坂の坂上の藪の中
庚申前の坂(坂上方向) 大畔351あたりから南東に下る。《地図》
庚申塔がこんな状態では坂名が泣くよ。
神宮寺の坂(坂上方向) 茂侶神社の東側から南東方向に上る。《地図》
茂侶神社のそばにあった神宮寺による坂名。
「にほどりの 葛飾早稲を にへすとも そのかなしきを 外に立てめやも」 (巻14・3386)
詳しくは『万葉歌碑散歩』で。
金剛院坂 茂侶神社前から南西に下る。旧道はこの通りの南側(写真の左側にあったようだ)《地図》
昔、坂近くに金剛院という寺があったのか。
花輪城址公園(下花輪1358、金剛院坂下の県道松戸野田線沿い)
戦国時代の小金城主高城氏の支城の一つ。城内にあった観音堂(琵琶首観音または朝寝坊観音とも呼ばれる)は西栄寺の観音堂に安置されている。『流山のむかし』
『流山の民話』の⑦「朝寝坊の観音さま」
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