流山市の坂-6
2006年4月29日
運河駅(東武野田線)・・日光東往還・・・利根運河・・・駒形神社・・・不動坊(深井城址)・・・道六神(日光東往還の辻)・八雲神社・浅間大神・・・浅間様・・・オランダ様・オランダ様の坂・・・香取神社①・・・福性寺・・・平方観音・・・愛宕神社・・・ラクダ坂・・・香取神社②・護摩たきの道.・・・県道・・・馬坂(上の写真は坂下に広がる水田から)・・・弁天様・這越跡・・・半割の渡し跡(江戸川)・・・神明神社・・・西善院・・・浄栄寺の坂・・・下花輪神明宮・・・下花輪バス停→南流山駅(武蔵野線)
【地図】
運河駅から間違って北の野田市側の東京理科大、宗教団体霊波之光の方へ行ってしまいました。科学と宗教が仲良く?並んでいます。運河を渡り、県道松戸野田線(流山街道)と江戸川との間をジグザクに南下しました。利根運河の南側の不動坊は深井城址、道六神は日光東往還の辻のところです。オランダ様の坂は県道松戸野田線のゆるやかな坂で、坂名の由来となったオランダ様と呼ばれる馬頭観音の祠が坂上近くにあります。
ラクダ坂も県道の坂で、道が波のようにうねっています。昔はもっと凹凸が激しく、ラクダのこぶのような道だったのでしょう。坂上を行くと香取神社②のあたりに護摩たきの道が残っていて県道との辻に六地蔵(今は4体)、県道を南に進み、江戸川の方へ馬坂を下ると田園風景が広がっています。ちょうど田んぼに水を張って田植えの準備万端という感じです。
田んぼの中に弁天様の祠が祀られています。その先の耕地整理前は急坂だったという、這越跡を通って江戸川の堤に上りました。ちょうどここが、半割の渡しのあったところです。昔は農閑期中は埼玉側(現吉川市)が馬や牛を千葉側に預けることが多く、「馬船」と呼ばれる大型の船を使用したそうです。半割の渡しで江戸川を渡り、這越を下り、馬坂を上ったのでしょう。
馬坂の坂上まで戻り、県道を南に、神明社、西善寺から常磐自動車道の手前を右に入り浄栄寺の坂を下り、段丘下の静かな道を南に行き、木々に覆われた坂を上って下花輪の神明宮に寄って下花輪のバス停に出ました。
写真をクリックすると拡大します。
利根運河(東武野田線運河駅そば)
歩道橋の向うは東武野田線。ちょうど電車が通っている。
明治23年の開通から昭和16年まで、江戸川と利根川を結ぶ水運として使用された全長約8.3kmの開放運河。開通時は江戸川口が上流だったが、その後の洪水などで利根川口が上流となった。工費不足で、閘門(水門)を設置できず開放運河としたため。現在も水は流れ水辺公園として整備されている。利根運河霊場八十八ヵ所も運河の観光用として大正2年に設置されたもの。『流山のむかし』
深井城址への途中
深井城跡(西深井791)
日光東往還の辻
オランダ様の坂(坂上方向) 美原3丁目を南にゆるやかに上る県道松戸野田線 《地図》
坂上にオランダ様と呼ばれている馬頭観音が祀られている。
『流山の民話』の⑨「オランダ観音さま」真言宗豊山派の寺。流山七福神の毘沙門天。
鎌倉時代の板石塔婆があるというがどれか分からず。 「江戸川八十八ヶ所」には入っていないのでは?右は境内へ、左は石段下へ。
ラクダ坂 県道松戸野田線の富士見台交差点あたりから北方向に下る。《地図》
ラクダのこぶのように凹凸が激しかった坂なのだろう。今でも波打つような起伏がある。
手前は随神門
2体欠けているが。
馬坂 南の神明社の北側を西に下る。《地図》
正面は江戸川の土手
馬坂の坂下の田んぼの中
正面は江戸川の「半割の渡し」あたり。耕地整理前はここに這いながら越した急坂があったという。
海(東京湾)から31.05km地点。昭和20年代の後半まで存続していたという。
文化10年(1813)建立
浄栄寺の坂(坂下方向) 西善院の南の県道から南方向に下る。坂下は常磐自動車道。《地図》
坂の途中に浄栄寺はあるようだが、気がつかず立ち寄らなかった。【ルート地図】に載っている。
正面の煙突はクリーンセンター
その向うは常磐自動車道
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