あきる野市の坂-6
2007年4月23日
秋川駅(JR五日市線)・・・瀧坂・白瀧神社・・・真城寺・・・間坂(右の写真・間坂は左正面へ下る坂)・・・金松寺・・・くまの坂・・・滝山街道・・・八幡社・・・滝山街道・・・福徳寺・・・中村酒造・酒造り資料館・・・山王様坂・・・秋川神明社・・・石器時代住居跡・・・秋川・・・東秋留橋・西光寺・・・観音坂・・・丸山家長屋門・・・鳥居場(雨武主神社)・・・上田(かみた)坂・・・(睦橋通り)・・・市役所通り・(JR五日市線)・・・大塚古墳・・・秋川駅
【ルート地図】
秋川駅から西に圏央道をくぐり南に行くと睦橋通りの南側の上代継と下代継の境あたりの瀧坂が下っています。白瀧神社の瀧は今は期待すべくもなくこんなものでしょう。坂下から真城寺へ寄り、東に小川を越えると間坂がきれいにカーブして上っています。昔は急坂で大変苦労したそうです。間坂の坂下から小川に沿って南に行くと金松寺で、墓地の東側から牛沼に抜ける急坂がくまの坂ですが、今は圏央道の開通で、新しい階段坂になってしまったようです。坂名の由来という熊野権現の祠も見当たりませんでした。坂上を進むと滝山街道の山王様坂の坂上に出ます。
滝山街道を北に睦橋通り近くの八幡神社まで行き、滝山街道に戻り、福徳寺の隣りの中村酒造の資料館を見学しました。米焼酎の4合びんを買ったら、この後の歩きにだんだんその重さが応えてきました。酒造前の山王様坂を下ると坂下が秋川神明社で、坂の途中から東に行くと石器時代住居跡に出ます。高い金網のフェンスで囲ってあり、中にも入れずよく見えません。ただ保存すればいいってものでもなかろうに。
石器住居跡沿いの坂を下って秋川沿いに東に行き、東秋留橋のところで上の道路に上がりました。東秋留橋は一つ橋を増やす(新東秋留橋)工事中です。橋の北岸の西光寺に沿う観音坂の坂下から西へ西秋留ふれあいの道に入り、丸山家の立派な長屋門を過ぎると南秋留小学校にぶつかります。この道筋は鎌倉街道です。左に行くと鳥居場と呼ばれる北岸の雨武主神社の小さな分社があります。鳥居場前から小学校に沿いに進むと庚申塔が立っています。ここから小学校沿いに下るのが上田坂です。坂下には上田(神田)が広がっています。坂上から北に進んで睦橋通りを越え、市役所通りに入り五日市線の線路を渡り、左に入ると雨間の大塚と呼ばれる大塚古墳があります。昔からこの大塚については、古墳のほかいろんな説や話があるようです。
写真をクリックすると拡大します。
瀧坂 下代継と上代継の間を北東からカーブして北西に上る。《地図》
坂に沿う白瀧神社の白瀧による坂名。右側が白瀧神社。
昔は不動堂、往古は白瀧の社と呼ばれていた。
段丘崖からの湧水で、小川となって下り、昔から付近の民家の生活用水、農業用水として使われてきた。『秋川市ふるさとの道』
剣に巻きついた竜が剣を飲み込もうとしている。
臨済宗建長寺派の寺。天正7年(1579)北条氏照が再興したという。本尊は延命地蔵菩薩。
間坂(坂下から) 下代継403と401の間からカーブして北方向に上る。《地図》
この坂を上ると油平と牛沼の境に出ることからこの名で呼ばれるようになった。以前は、うっそうと木が茂り、大雨が降ると沢のように水が流れ、石もごろごろ転がっていて、荷馬車などは後押しがなければとても上ることができなかったそうで、魔の坂「魔坂」とも、急坂で馬が苦労することから「馬(ま)坂」ともいわれた。『秋川市ふるさとの道』
弘安元年(1361)足利基氏の草創という臨済宗建長寺派の寺。
くまの坂 金松寺の墓地の東側から牛沼に抜ける坂。正面上は圏央道。《地図》(地図に道の標示はない)
「くま坂」とも呼ぶ。熊野権現の祠があるというが見当たらず。
江戸時代中期(18C初頭)建築の禅宗様式を伝える四脚門。
「酒林」中村酒造(牛沼63)
創業文化元年(1804)、清酒「千代鶴」 資料館の建物は明治17年(1884)建築の酒蔵を改造したもの。
山王様坂 秋留橋から北に牛沼88の秋川神明社に沿って北東に上る滝山街道。《地図》
秋川神明社の旧社名の日吉山王社による坂名。
手前は神木の杉。
引田の山王様のご神体が洪水で2度もここに流れついたので、人々は山王様はここが気に入っているらしいと考え、山王様を祀るようになったという。『秋川昔物語』
縄文時代中期の敷石住居跡5軒。
フェンス内の地面の石が敷石住居の跡か?
秋川は下流に3km少しで多摩川と合流する。橋を一本増やす工事中。
昭和13(14?)年に橋が架けられるまではここに渡し舟があった。『秋川市ふるさとの道』
『秋川の昔の話』所載の「ごほう坂」(まちあい坂)の話。「明治の初め、雨間のとばく場に飯能から「ごほう」という親分がやって来ていかさまばくちなどで村人を苦しめた。雨間村の甚八という男がごほうの卑怯なやり方に我慢ができず、ごほうに渡船場で酒を飲ませ坂下で待ち伏せて刃物でごほうを刺した。ごほうは地蔵院に逃げ込んだが命は助からなかった。甚八は服役し、模範囚で2年早く出所して畑などを耕し静かに暮らしていたが、いつしか村人の相談相手にもなり慕われるようになった。甚八を慕って13年も待ち続けた娘もいたが、甚八は「俺のような前科者にはもったいない」といって、一緒にはならなかったという。」 地蔵院前の「ごほう(まちあい)坂」は後日歩く予定。
平成20年3月頃開通予定とか。
天台宗延暦寺派の寺。
聖観世音菩薩と養蚕の守り神の馬明菩薩も安置されている。
観音坂 東秋留橋北側の西光寺の前から西方向に上る。《地図》
西光寺観音堂による坂名。右側が西光寺。
丸山家は江戸時代の初め頃から雨間村の地主で、八王子千人同心の組頭も勤めてきた。
対岸の秋川南岸の雨間村の氏神「雨武主神社」への参拝は大変なので、天保3年(1832)にここに一の鳥居を立てて、遠く離れた神社を遥拝できるようにした。『秋川市ふるさとの道』
字が読めない
宝暦4年(1754)の銘あり。
上田(かみた)坂(坂上から) 雨間810の南秋留小学校の北側から西から南方向に下る。《地図》
上田(神田)へ下る坂。
円墳・方墳・前方後円墳説あり。その他、中世の物見台、のろし台、富士塚説などがある。また、ダイダラボッチ(日本各地に伝承される伝説の巨人)の下駄の糞(下駄の歯の間に挟まった土)なんという話もある。
昔はこのあたりに狐が棲んでいて夜道を急ぐ村人をだましたという「大塚の狐」という昔話がある。
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