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2007年4月27日 (金)

あきる野市の坂-7

2007年4月27日

Dsc08343 東秋留駅(JR五日市線)・・・飯坂・・・六道・地蔵堂・・・落合坂せせらぎ通り・・・久保の地蔵堂・・・熊野神社①・・・慈眼寺・・・落合坂右の写真・・・どうどう坂・・・宝清寺・・・法林寺・・・観音坂・・・熊野神社②・・・林泉寺・・・八雲神社・・・普門寺・・・薬師堂・・・新開院・・・前田耕地遺跡・・・東秋留駅

 東秋留駅から西に、今は傾斜がほとんどない鎌倉街道の飯坂を下ると地蔵堂のある六道の辻に出ます。南東に睦橋通りを越えると落合坂せせらぎ通りとなり、久保の地蔵堂の先から落合坂となって東秋川橋の方へ下ります。

 東秋川橋から北方向に上る都道?166号線がどうどう坂です。坂上方向は車の通行が多く、渋滞していてうまく写真が撮れません。坂上の段丘上の宝清寺、法林寺は中世の城、居舘跡だった説もあります。法林寺近くの観音坂は『日本霊異記』の話にゆかりのある坂のようで、坂下(睦橋通りに出る所)には新しい小河観音堂が立っています。坂上を行くと、どうどう坂の坂上に出て角が熊野神社です。

 熊野神社から林泉寺への途中に小さな稲荷社があり、隣りに壊れかけた石造物が並べられていました。林泉寺から睦橋通りに出て、黒造りの旧家の前から境内に湧水の池がある八雲神社、東秋留駅のそばの普門寺、その前の薬師堂へ寄り、前田公園内の敷石住居跡遺跡を見に行きました。

 【地図

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc08421_1 飯坂(坂下方向) 野辺486と519の間を北東に上る。六道の辻から五日市線の間の鎌倉街道の道筋。《地図

「飯」は「高い所」をさす言葉。小高い所にある田や土地へ上る坂。坂上を進んだJR五日市線の北側に北飯坂、南飯坂という地名が残っている。

Dsc08694 坂上方向

Dsc08330_2 六道の地蔵堂(飯坂の坂下の都道との交差点)

1体には元禄の年号があるという。

Dsc08331 「落合坂せせらぎ通り」の途中。(六道の辻から南東に睦橋通りを渡って進んだところ)

左端は寛政11年(1799)建立の寒念仏塔

Dsc08332_2 右の祠内の男根を形どった石棒。

Dsc08337_1 久保の地蔵堂前の六地蔵(落合坂の坂上)

Dsc08349 熊野神社①(小川470)

元和年間(1615~23)創建という。久保の「おくまんさま」と呼ばれる。

Dsc08350 慈眼寺の境内から(小川484・熊野神社の隣り)

応永7年(1400)創建という臨済宗南禅寺派の寺。

Dsc08342 落合坂 熊野神社の北側から東方向に東秋川橋の方へ下る。《地図

久保の慈眼寺方面と野辺の下原方面と宝清寺方面の道が(久保の)地蔵堂の前で落ち合うためにこの名で呼ばれるようになった。『秋川市地名考』

Dsc08344 坂下方向

Dsc08346 坂上方向

Dsc08362 どうどう坂 東秋川橋から北方向に上る。《地図

昔は宝清寺前から一気に田んぼに下だる急坂だった。駄馬を「どう、どう」と励まさなければ登らなかったので、その掛け声が坂名になったのではないだろうか。『秋川市地名考』

Dsc08359 坂上近く

Dsc08363 宝清寺七面堂(小川101)

創建は元和年間(1615~23)という日蓮宗の寺。急な段丘崖上にあり、ここを小川城とする説がある。

七面堂は身延山で日蓮の説教を聞いていた女人、実は竜で、後に七面山に棲み身延山の鬼門を守るようになった七面天女を祀る。

Dsc08367 法林寺(小川東2-12)

延喜12年(912)に開山という臨済宗南禅寺派の寺。境内の北と東の一部に土塁が残り、中世土豪の居舘跡という説がある。『秋川市ふるさとの道』 中世の大石氏との関連も指摘されている。

Dsc08369 秋川(境内から)

正面は東秋川橋

Dsc08382 観音坂 睦橋通りの小川1017の小河観音堂から北西に上る。《地図

右が小河観音堂。

「観音様に救われた人」-「小川に大真山継(おおまやまつぐ)は戦さに出たが無事帰還した。妻は観音様に祈っていたおかげだといい、山継も観音様を拝むようになった。その後、山継は天平宝宇8年(764)の藤原仲麻呂の乱にかかわったということで、死罪を申し渡された。いざ首を切られる時に木像の観音様が現れ、山継のえり首を踏みつけた。そこへ天皇の使いが来て山継を信濃の国へ流すようにと命じた。山継はやがて許され、多摩郡の副長官に命じられた。『秋川市ふるさとの道』 この話は『日本霊異記』の中にあるそうだ。

Dsc08383 坂下方向の睦橋通り

Dsc08384 坂上から

Dsc08387 熊野神社②(小川639)

手前は神木のケヤキ

Dsc08398_1 旧家(小川622あたり?)

Dsc08403_2 八雲神社(野辺316)

長禄年間(1457~1460)の創建という。

Dsc08406 普門寺(野辺450)

文永6年(1269)北条時宗の創建という、臨済宗建長寺派の寺。二宮神社の旧鎮座地なので山号を神護山にしたという。『秋川市ふるさとの道』

Dsc08411 薬師堂(新開院の南)

天井から吊ってある穴の開いた小石は薬師様に眼病治癒の祈願に奉納したものといわれている。『秋川市ふるさとの道』

Dsc08410_1 薬師如来

右は日光菩薩?

Dsc08414 新開院(野辺435)

長禄元年(1457)創建という、臨済宗建長寺派の寺。

Dsc08420_1 前田耕地遺跡(前田公園内) 《地図

Dsc08417 柄鏡形敷石住居跡の復元

Dsc08415 説明板

Dsc08419 弥生時代住居跡の復元

Dsc08418_1 説明板

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コメント

CockieMariaさんへ

 念仏坂(小金井市)について貴重なご指摘をありがとうございます。
 ずっと念仏坂は写真の坂と思い込んでいて、隣りに未舗装の細い坂があることには気がつきませんでした。
 近日中に再訪して確認し、報告したいと思います。
 今後ともよろしくお願いします。

         8tagarasu(坂道散歩人)

投稿: | 2008年8月17日 (日) 09:27

東京都小金井市在住、37歳会社員です。
最近健康の為にウォーキングを始めました。週末、主に小金井市内を歩き回っています。

さて、貴兄HP楽しく拝見させて頂いております。
小金井市の坂について気付いたことがありますので、以下に記します。

【念仏坂】『前原町3-32と3-35の間を…』とありますが、3-32と3-33の間の坂だと思います。
掲載されている写真(2枚目)のような煉瓦で舗装された坂ではなく、未だ未舗装で両側から草木が生い茂っています。
写真(1枚目)の坂標の左を下るのではなく、右側の道を真っ直ぐ進んで突き当りを左に下りる坂道が念仏坂です。

かなり良い味を出していますので、是非とも行って頂きたいです。
宜しくお願いします。

投稿: CockieMaria | 2008年8月16日 (土) 20:48

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