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2007年4月30日 (月)

あきる野市の坂-8

2007年4月30日

Dsc08685_1 武蔵引田駅(五日市線)・・・連木坂・・・もみじ塚・・・神送り場・・・しんこ坂・・・茶屋坂・・・五日市街道・・・久保坂跡・瀧坂歩道橋(睦橋通り)・・・瀧坂上・・・間坂上・・・(圏央道)・・・山王様坂上・・・南秋留ふれあいの道・・・上田坂上・・・観音坂・・・西光寺・・・地蔵院・・・待合坂(上の写真)・・・まちや坂・・・(睦橋通り)・・・六道・・・飯坂・・・(五日市線)・・・諏訪坂・・・東秋留駅

 晴れて初夏のような日でした。今日は一度歩いた道筋が多かったので迷いもせずスムーズな坂道散歩を楽しめました。連木坂から神送り場は前に歩いた道筋を行き、茶屋坂の西の引田(旧秋川市)と山田(旧五日市町)の境のしんこ坂を下りました。茶屋坂を上り、五日市街道を東に行くと、ちょうど街道を挟んで瀧坂の北側が久保坂のあったところですが、瀧坂歩道橋ができて久保坂は消滅してしまったようです。

 瀧坂上から段丘上の道を東方向に進み、上田坂上から観音坂を下って西光寺の前から北東に行くと地蔵院で、そのそばを北東に上るのが待合坂(ごほう坂)です。地蔵院と待合坂は、秋川の昔話の「ごほう坂(まちあい坂)」に登場します。(「あきる野市の坂-6」の東秋留橋のところに記載) 

 待合坂を上って右(南東)の方へ曲がって進むと野辺の大六天というところに出ます。大六天の祠のあるところから、まちや坂が北東に上っています。この坂は坂上で睦橋通りを越え、六道を通り、飯坂から諏訪坂へと続く鎌倉街道です。

 (連木坂・茶屋坂は、「あきる野市の坂-5」に、瀧坂・間坂・山王様坂・上田坂・観音坂は「あきる野市の坂-6」に、飯坂は「あきる野市の坂-7」に記載)

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Dsc08634 しんこ坂 引田と山田の境を南西に下る。茶屋坂の北西側の坂。《地図

坂名の由来不明

Dsc08635 坂上方向

Dsc08642 久保坂跡《地図》 睦橋通りからここへ上る坂だった。正面が瀧坂歩道橋

今は瀧坂歩道橋ができて坂はなくなった。

Dsc08641 正面の下り坂が久保坂に変わる坂か。坂下は睦橋通り

右の上り坂は鎌倉街道の道筋。久保坂を下り、瀧坂へと続いていたようだ。

Dsc08676_1 地蔵院山門

Dsc08677 地蔵院(雨間1101)

永享10年(1438)創建という臨済宗建長寺派の寺。

Dsc08680 待合坂(ごほう坂) 雨間の地蔵院の東側を北東に上る。《地図

古老は日室坂とも呼んだという。『秋川市地名考』

『秋川の昔の話』所載の「ごほう坂」(まちあい坂)の話。「明治の初め、雨間のとばく場に飯能から「ごほう」という親分がやって来ていかさまばくちなどで村人を苦しめた。雨間村の甚八という男がごほうの卑怯なやり方に我慢ができず、ごほうに渡船場で酒を飲ませ坂下で待ち伏せて刃物でごほうを刺した。ごほうは地蔵院に逃げ込んだが命は助からなかった。甚八は服役し、模範囚で2年早く出所して畑などを耕し静かに暮らしていたが、いつしか村人の相談相手にもなり慕われるようになった。甚八を慕って13年も待ち続けた娘もいたが、甚八は「俺のような前科者にはもったいない」といって、一緒にはならなかったという。」 

Dsc08683 坂下方向

Dsc08687 大六天の祠(まちや坂下の野辺927?)

このあたりを野辺大六天という。

Dsc08688 まちや坂(坂上方向) 野辺927から北東に上る。 《地図

埼玉県入間市の扇町屋というところへ、戸吹の宮下の人たちなどが馬を引いて米の買出しなどに通った時、この坂を登ったので「まちや坂」といったという。『秋川市地名考』

戸吹は秋川の南の八王子市で、そこからこの坂を通って入間市まで行ったらしい。

Dsc08691 坂下方向

Dsc08698 諏訪坂 野辺496と508の間を北東に二宮の方へ上る。《地図

江戸時代、この近くにお諏訪様があった。「おすわ坂」とも「医者坂」ともいわれる。『秋川市地名考』 「医者坂」は、坂上の清水外科によるのだろうか?

Dsc08701 坂下方向

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2007年4月29日 (日)

流山市の坂-6

2006年4月29日

Dsc08574_1 運河駅(東武野田線)・・・利根運河・・・駒形神社・・・不動坊(深井城址)・・・道六神(日光街道脇往還の辻)・八雲神社・浅間大神・・・浅間様・・・オランダ様・オランダ様の坂・・・香取神社①・・・福性寺・・・平方観音・・・愛宕神社・・・ラクダ坂・・・香取神社②・護摩たきの道.・・・県道・・・馬坂(上の写真は坂下に広がる水田から)・・・弁天様・這越跡・・・半割の渡し跡(江戸川)・・・神明神社・・・西善院・・・浄栄寺の坂・・・下花輪神明宮・・・下花輪バス停→南流山駅(武蔵野線)

  【ルート地図

 運河駅から間違って北の野田市側の東京理科大、宗教団体霊波之光の方へ行ってしまいました。科学と宗教が仲良く?並んでいます。運河を渡り、県道松戸野田線(流山街道)と江戸川との間をジグザクに南下しました。利根運河の南側の不動坊は深井城址、道六神は旧日光街道の辻のところです。オランダ様の坂は県道松戸野田線のゆるやかな坂で、坂名の由来となったオランダ様と呼ばれる馬頭観音の祠が坂上近くにあります。

 ラクダ坂も県道の坂で、道が波のようにうねっています。昔はもっと凹凸が激しく、ラクダのこぶのような道だったのでしょう。坂上を行くと香取神社②のあたりに護摩たきの道が残っていて県道との辻に六地蔵(今は4体)、県道を南に進み、江戸川の方へ馬坂を下ると田園風景が広がっています。ちょうど田んぼに水を張って田植えの準備万端という感じです。
 田んぼの中に弁天様の祠が祀られています。その先の耕地整理前は急坂だったという、這越跡を通って江戸川の堤に上りました。ちょうどここが、半割の渡しのあったところです。昔は農閑期中は埼玉側(現吉川市)が馬や牛を千葉側に預けることが多く、「馬船」と呼ばれる大型の船を使用したそうです。半割の渡しで江戸川を渡り、這越を下り、馬坂を上ったのでしょう。

 馬坂の坂上まで戻り、県道を南に、神明社、西善寺から常磐自動車道の手前を右に入り浄栄寺の坂を下り、段丘下の静かな道を南に行き、木々に覆われた坂を上って下花輪の神明宮に寄って下花輪のバス停に出ました。

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Dsc08491_1 利根運河(東武野田線運河駅そば)

歩道橋の向うは東武野田線。ちょうど電車が通っている。

明治23年の開通から昭和16年まで、江戸川と利根川を結ぶ水運として使用された全長約8.3kmの開放運河。開通時は江戸川口が上流だったが、その後の洪水などで利根川口が上流となった。工費不足で、閘門(水門)を設置できず開放運河としたため。現在も水は流れ水辺公園として整備されている。新四国八十八か所江戸川霊場も運河の観光用として大正2年に設置されたもの。『流山のむかし』

Dsc08494_1不動明王?(駒形神社近くの松戸野田線沿い)

Dsc08495_1 駒形神社(東深井313)

Dsc08496_3 説明板

Dsc08497_1 大六天か

深井城址への途中

Dsc08499 深井城跡(西深井791)

Dsc08500 不動坊(深井城跡)の地蔵

Dsc08507 道六神など

旧日光街道の脇往還の辻

Dsc08505 説明板

Dsc08506 道六神(左)・馬頭観音

Dsc08508 八雲神社(道六神の前)

Dsc08510 浅間大神(八雲神社の南側)

Dsc08514 浅間(せんげん)様(西深井57)

Dsc08513 説明板

Dsc08516 富士塚

Dsc08517 オランダ様の坂(坂上方向) 美原3丁目を南にゆるやかに上る県道松戸野田線 《地図

坂上にオランダ様と呼ばれている馬頭観音が祀られている。

Dsc08524 説明板

Dsc08520_1 オランダ様の祠

Dsc08522_1 オランダ様(馬頭観音)

Dsc08521説明板

Dsc08527_1 香取神社①(平方166)

Dsc08526 説明板

Dsc08531_1 福性(ふくしょう)寺(平方169)

真言宗豊山派の寺。流山七福神の毘沙門天。

Dsc08529 説明板

Dsc08533_1 平方観音(美原2-123)

新四国江戸川霊場の大師堂(左の堂か?)鎌倉時代の板石塔婆があるというがどれか分からず。

Dsc08532 説明板

Dsc08535 愛宕神社(中野久木293)

Dsc08538 説明板

Dsc08539_1 十九夜供養塔(境内)

Dsc08541 愛宕神社への坂

右は境内へ、左は石段下へ。

Dsc08544 ラクダ坂 県道松戸野田線の富士見台交差点あたりから北方向に下る。《地図

ラクダのこぶのように凹凸が激しかった坂なのだろう。今でも波打つような起伏がある。

Dsc08545 坂下方向

Dsc08555_1 香取神社②(小屋75)

手前は随神門

Dsc08556 説明板

Dsc08560 護摩たきの道の坂(香取神社の南から上耕地運動場へ下る坂)

Dsc08563 六地蔵?(護摩たきの道の県道との辻)

2体欠けているが。

Dsc08565 馬坂 南の神明社の北側を西に下る。《地図

Dsc08568_1坂下方向

正面は江戸川の土手

Dsc08569 坂上方向

Dsc08573_1 弁天様(南429)

馬坂の坂下の田んぼの中

Dsc08572 説明板

Dsc08577_1這越跡あたり

正面は江戸川の「半割の渡し」あたり。耕地整理前はここに這いながら越した急坂があったという。

Dsc08579 半割の渡し跡(江戸川)

海(東京湾)から31.05km地点。昭和20年代の後半まで存続していたという。

Dsc08578案内柱

Dsc08589 神明社(南190の県道沿い)

Dsc08588 説明板

Dsc08590 西善院説明板(神明社の隣り)

Dsc08592 十九夜供養塔(西善院境内)

文化10年(1813)建立

Dsc08598 浄栄寺の坂(坂下方向)  西善院の南の県道から南方向に下る。坂下は常磐自動車道。《地図

坂の途中に浄栄寺はあるようだが、気がつかず立ち寄らなかった。【ルート地図】に載っている。

Dsc08600_1 坂上方向

Dsc08608 下花輪神明宮への坂

Dsc08611右の石段上が神明宮

Dsc08617 神明宮(下花輪739)

Dsc08614_1 説明板

Dsc08610 坂上方向

Dsc08624 段丘下の道から

正面の煙突はクリーンセンター

その向うは常磐自動車道

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2007年4月28日 (土)

流山市の坂-5

2007年4月28日

Dsc08453_3 初石駅(東武野田線)・・・三郷(さんきょう)坂・・・西栄寺・・・半塚坂跡あたり・・・天神社・・・庚申前の坂(右の写真)・・・神宮寺の坂・・・茂侶神社・・・金剛院坂・・・花輪城址公園・・・流山駅(流山線)

  【ルート地図

 初石駅から南西に西初石中学校と小学校の間から流山中央高校の中の道を抜けて三郷坂を上りました。隣りの三郷市に関係がある坂名ではありません。このあたりはまだのどかな田園風景が残っているところです。

 大畔(おおぐろ)の天神社近くの半塚坂は今はなく、天神社から細い道を南に行くと庚申前の坂上に出ます。藪の中に倒れたり、壊れた庚申塔が放置されていました。坂下から神宮寺の坂を上り、金剛院坂を下りました。両方の寺とも今はないようです。坂下近くに花輪城址公園があります。ここも前ヶ崎城、名都借城と同様に小金城主の高城氏の支城の一つでした。県道を南に流山駅に向いました。

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Dsc08430 三郷坂 大畔(おおぐろ)の流山中央高校の西側から北西方向に上る。《地図

上貝塚、谷(やつ)、桐ヶ谷の三つのの坂なのでこう呼ばれているのだろうか。「谷津坂」とも呼ばれていた。

Dsc08431 坂上方向

Dsc08434 坂下方向

Dsc08436_1 西栄寺(桐ヶ谷230)

流山七福神の福禄寿。

Dsc08437 説明板

Dsc08438_1十九夜塔(後ろ)・馬頭観音(西栄寺門脇)

Dsc08446 半塚坂跡あたり(大畔の天神社の北側)

Dsc08447 天神社(大畔297)

嘉永6年(1853)という旧村社。

Dsc08448 説明板

Dsc08452_1放置された庚申塔

庚申前の坂の坂上の藪の中

Dsc08459_1庚申前の坂(坂上方向) 大畔351あたりから南東に下る。《地図

庚申塔がこんな状態では坂名が泣くよ。

Dsc08460 神宮寺の坂(坂上方向) 茂侶神社の東側から南東方向に上る。《地図

茂侶神社のそばにあった神宮寺による坂名。

Dsc08464 坂下方向

Dsc08477 茂侶神社前から北東に下る坂(金剛院坂上から下る)

Dsc08471 茂侶神社(三輪野山619)

Dsc08469 説明板

Img_7907万葉歌碑

「にほどりの 葛飾早稲を にへすとも そのかなしきを 外に立てめやも」   (巻14・3386  
詳しくは『万葉歌碑散歩』で。

Dsc08475 道六神(左・文化9年(1812))・馬頭観音

Dsc08478 金剛院坂 茂侶神社前から南西に下る。旧道はこの通りの南側(写真の左側にあったようだ)《地図

昔、坂近くに金剛院という寺があったのか。

Dsc08479 坂上方向

Dsc08488 花輪城跡説明板

Dsc08482花輪城址公園(下花輪1358、金剛院坂下の県道松戸野田線沿い)

戦国時代の小金城主高城氏の支城の一つ。城内にあった観音堂(琵琶首観音または朝寝坊観音とも呼ばれる)は西栄寺の観音堂に安置されている。『流山のむかし』

Dsc08484_1説明板

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2007年4月27日 (金)

あきる野市の坂-7

2007年4月27日

Dsc08343 東秋留駅(JR五日市線)・・・飯坂・・・六道・地蔵堂・・・落合坂せせらぎ通り・・・久保の地蔵堂・・・熊野神社①・・・慈眼寺・・・落合坂右の写真・・・どうどう坂・・・宝清寺・・・法林寺・・・観音坂・・・熊野神社②・・・林泉寺・・・八雲神社・・・普門寺・・・薬師堂・・・新開院・・・前田耕地遺跡・・・東秋留駅

 東秋留駅から西に、今は傾斜がほとんどない鎌倉街道の飯坂を下ると地蔵堂のある六道の辻に出ます。南東に睦橋通りを越えると落合坂せせらぎ通りとなり、久保の地蔵堂の先から落合坂となって東秋川橋の方へ下ります。

 東秋川橋から北方向に上る都道?166号線がどうどう坂です。坂上方向は車の通行が多く、渋滞していてうまく写真が撮れません。坂上の段丘上の宝清寺、法林寺は中世の城、居舘跡だった説もあります。法林寺近くの観音坂は『日本霊異記』の話にゆかりのある坂のようで、坂下(睦橋通りに出る所)には新しい小河観音堂が立っています。坂上を行くと、どうどう坂の坂上に出て角が熊野神社です。

 熊野神社から林泉寺への途中に小さな稲荷社があり、隣りに壊れかけた石造物が並べられていました。林泉寺から睦橋通りに出て、黒造りの旧家の前から境内に湧水の池がある八雲神社、東秋留駅のそばの普門寺、その前の薬師堂へ寄り、前田公園内の敷石住居跡遺跡を見に行きました。

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Dsc08421_1 飯坂(坂下方向) 野辺486と519の間を北東に上る。六道の辻から五日市線の間の鎌倉街道の道筋。《地図

「飯」は「高い所」をさす言葉。小高い所にある田や土地へ上る坂。坂上を進んだJR五日市線の北側に北飯坂、南飯坂という地名が残っている。

Dsc08694 坂上方向

Dsc08330_2 六道の地蔵堂(飯坂の坂下の都道との交差点)

1体には元禄の年号があるという。

Dsc08331 「落合坂せせらぎ通り」の途中。(六道の辻から南東に睦橋通りを渡って進んだところ)

左端は寛政11年(1799)建立の寒念仏塔

Dsc08332_2 右の祠内の男根を形どった石棒。

Dsc08337_1 久保の地蔵堂前の六地蔵(落合坂の坂上)

Dsc08349 熊野神社(小川470)

元和年間(1615~23)創建という。久保の「おくまんさま」と呼ばれる。

Dsc08350 慈眼寺の境内から(小川484・熊野神社の隣り)

応永7年(1400)創建という臨済宗南禅寺派の寺。

Dsc08342 落合坂 熊野神社の北側から東方向に東秋川橋の方へ下る。《地図

久保の慈眼寺方面と野辺の下原方面と宝清寺方面の道が(久保の)地蔵堂の前で落ち合うためにこの名で呼ばれるようになった。『秋川市地名考』

Dsc08344 坂下方向

Dsc08346 坂上方向

Dsc08362 どうどう坂 東秋川橋から北方向に上る。《地図

昔は宝清寺前から一気に田んぼに下だる急坂だった。駄馬を「どう、どう」と励まさなければ登らなかったので、その掛け声が坂名になったのではないだろうか。『秋川市地名考』

Dsc08359 坂上近く

Dsc08363 宝清寺七面堂(小川101)

創建は元和年間(1615~23)という日蓮宗の寺。急な段丘崖上にあり、ここを小川城とする説がある。

七面堂は身延山で日蓮の説教を聞いていた女人、実は竜で、後に七面山に棲み身延山の鬼門を守るようになった七面天女を祀る。

Dsc08367 法林寺(小川東2-12)

延喜12年(912)に開山という臨済宗南禅寺派の寺。境内の北と東の一部に土塁が残り、中世土豪の居舘跡という説がある。『秋川市ふるさとの道』 中世の大石氏との関連も指摘されている。

Dsc08369 秋川(境内から)

正面は東秋川橋

Dsc08382 観音坂 睦橋通りの小川1017の小河観音堂から北西に上る。《地図

右が小河観音堂。

「観音様に救われた人」-「小川に大真山継(おおまやまつぐ)は戦さに出たが無事帰還した。妻は観音様に祈っていたおかげだといい、山継も観音様を拝むようになった。その後、山継は天平宝宇8年(764)の藤原仲麻呂の乱にかかわったということで、死罪を申し渡された。いざ首を切られる時に木像の観音様が現れ、山継のえり首を踏みつけた。そこへ天皇の使いが来て山継を信濃の国へ流すようにと命じた。山継はやがて許され、多摩郡の副長官に命じられた。『秋川市ふるさとの道』 この話は『日本霊異記』の中にあるそうだ。

Dsc08383 坂下方向の睦橋通り

Dsc08384 坂上から

Dsc08387 熊野神社(小川639)

手前は神木のケヤキ

Dsc08398_1 旧家(小川622あたり?)

Dsc08403_2 八雲神社(野辺316)

長禄年間(1457~1460)の創建という。

Dsc08406 普門寺(野辺450)

文永6年(1269)北条時宗の創建という、臨済宗建長寺派の寺。二宮神社の旧鎮座地なので山号を神護山にしたという。『秋川市ふるさとの道』

Dsc08411 薬師堂(新開院の南)

天井から吊ってある穴の開いた小石は薬師様に眼病治癒の祈願に奉納したものといわれている。『秋川市ふるさとの道』

Dsc08410_1 薬師如来

右は日光菩薩?

Dsc08414 新開院(野辺435)

長禄元年(1457)創建という、臨済宗建長寺派の寺。

Dsc08420_1 前田耕地遺跡(前田公園内) 《地図

Dsc08417 柄鏡形敷石住居跡の復元

Dsc08415 説明板

Dsc08419 弥生時代住居跡の復元

Dsc08418_1 説明板

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2007年4月26日 (木)

流山市の坂-4

2007年4月26日

Dsc08285 流山駅(流山電鉄)・・・大坂・・・本行寺・・・光照寺・・・地蔵坂・・・七曲り・・・(つくばエクスプレス)・・・天神社・・・本妙寺・・・総合運動公園・・・浄蓮寺・・・春山(しゅんざん)寺・・・天ケ崎(あまがさき)坂(右の写真)・・・天形星(てんぎょうせい)神社・・・お墓の坂・・・旦那の坂・・・金乗院・・・寺の坂・・・赤坂跡あたり・・・豊四季(東武野田線)

 大坂は「流山市の坂-1」(4月11日)に記載。

  【ルート地図

 駅が6つしかない流山線は9時前の混雑時なのに、下りはガラガラ、上りも空席が目立ちました。流山駅から大坂を上り、東に加交差点を過ぎたところで北に入り、地蔵坂を下りました。坂下方向の右側に立っているはずの地蔵さんは往復しましたが見当たらず。ゆるやかにくねる平坦な七曲りを抜け、総合運動公園の先の浄蓮寺のところから東方向に入り、春山寺から北東に天ケ崎坂を上るとユニークでしゃれた名前の天形星神社です。

 神社から南東に長崎保育所からお墓の坂が上っています。昔はもっと急坂で、いつも湿っていた道で苦労したそうです。坂下には庚申塔などが並んでいます。坂上の金乗院の手前から南方向に下るのが旦那の坂、寺の前を下るのが寺の坂です。境内の木から落ちる花びらが風に吹かれて舞い地面を覆っていました。坂下から野々下の長崎小学校前の坂を上り、南に下って四季野公園にから北東に赤坂跡あたりを通り、北に豊四季駅に向いました。

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Dsc08244 本行寺前の坂

Dsc08252 本行寺(平和台5-19)

新四国江戸川霊場第27番札所。

Dsc08243_1説明板

Dsc08253 境内

Dsc08254 地蔵坂 市野谷516と519の間を北西に上る。《地図

坂下方向の右側に地蔵さんが立っているというが見当たらず。

Dsc08257 坂上方向

Dsc08262 天神社(後平井143)

天正10年(1582)創建という旧村社。

Dsc08265 本妙寺(後平井127)

Dsc08263_1 説明板

Dsc08268_1 浄蓮寺(野々下1-159)

Dsc08266 説明板

Dsc08272_1 春山寺(野々下1-398)

流山七福神の布袋尊。

Dsc08270_1 説明板

Dsc08271 境内

Dsc08274 新四国江戸川第五十番札所(春山寺の近く)

Dsc08281_1 天ケ崎坂 天形星神社へ上る坂 《地図

小字名による坂名

Dsc08289 天形星神社(長崎2-157)

寛文2年(1662)創建。祭神はスサノヲ命ほか。

Dsc08286 説明板

Dsc08299お墓の坂 長崎1丁目と2丁目の間を南東に上る。《地図

金乗院の墓地に沿う坂。坂上を行くと金乗院。

坂の脇の大きな木がかぶさって日がささないので乾かず道が壊れやすく、秋の道普請は大変だった。小さな牛だと簡単には上れず、弾みをつけて上がっていた。『流山の道』(古老の話)

Dsc08302 坂上から

Dsc08304 金乗院(長崎2-22)

Dsc08303 説明板

Dsc08318 寺の坂 金乗院前から東に下る。

Dsc08310 坂下から

Dsc08311 旦那の坂(坂下から) お墓の坂上から南に下る。

根本家(旦那)の脇の坂。

Dsc08312 坂上方向

Dsc08317 坂上から

右側の塀が根本家か?

Dsc08322長崎小学校前の坂の坂上から南に下る坂。

Dsc08327 赤坂跡あたり(野々下5丁目と4丁目の境の野々下1号公園付近)

Dsc08329坂下方向

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2007年4月23日 (月)

あきる野市の坂-6

2007年4月23日

Dsc08166_2 秋川駅(JR五日市線)・・・瀧坂・白瀧神社・・・真城寺・・・間坂(右の写真・間坂は左正面へ下る坂)・・・金松寺・・・くまの坂・・・滝山街道・・・八幡社・・・滝山街道・・・福徳寺・・・中村酒造・酒造り資料館・・・山王様坂・・・秋川神明社・・・石器時代住居跡・・・秋川・・・東秋留橋・西光寺・・・観音坂・・・丸山家長屋門・・・鳥居場(雨武主神社)・・・上田(かみた)坂・・・(睦橋通り)・・・市役所通り・(JR五日市線)・・・大塚古墳・・・秋川駅

 秋川駅から西に圏央道をくぐり南に行くと睦橋通りの南側の上代継と下代継の境あたりの瀧坂が下っています。白瀧神社の瀧は今は期待すべくもなくこんなものでしょう。坂下から真城寺へ寄り、東に小川を越えると間坂がきれいにカーブして上っています。昔は急坂で大変苦労したそうです。間坂の坂下から小川に沿って南に行くと金松寺で、墓地の東側から牛沼に抜ける急坂がくまの坂ですが、今は圏央道の開通で、新しい階段坂になってしまったようです。坂名の由来という熊野権現の祠も見当たりませんでした。坂上を進むと滝山街道の山王様坂の坂上に出ます。

 滝山街道を北に睦橋通り近くの八幡神社まで行き、滝山街道に戻り、福徳寺の隣りの中村酒造の資料館を見学しました。米焼酎の4合びんを買ったら、この後の歩きにだんだんその重さが応えてきました。酒造前の山王様坂を下ると坂下が秋川神明社で、坂の途中から東に行くと石器時代住居跡に出ます。高い金網のフェンスで囲ってあり、中にも入れずよく見えません。ただ保存すればいいってものでもなかろうに。

 石器住居跡沿いの坂を下って秋川沿いに東に行き、東秋留橋のところで上の道路に上がりました。東秋留橋は一つ橋を増やす(新東秋留橋)工事中です。橋の北岸の西光寺に沿う観音坂の坂下から西へ西秋留ふれあいの道に入り、丸山家の立派な長屋門を過ぎると南秋留小学校にぶつかります。この道筋は鎌倉街道です。左に行くと鳥居場と呼ばれる北岸の雨武主神社の小さな分社があります。鳥居場前から小学校に沿いに進むと庚申塔が立っています。ここから小学校沿いに下るのが上田坂です。坂下には上田(神田)が広がっています。坂上から北に進んで睦橋通りを越え、市役所通りに入り五日市線の線路を渡り、左に入ると雨間の大塚と呼ばれる大塚古墳があります。昔からこの大塚については、古墳のほかいろんな説や話があるようです。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc08139 瀧坂 下代継と上代継の間を北東からカーブして北西に上る。《地図

坂に沿う白瀧神社の白瀧による坂名。右側が白瀧神社。

Dsc08144 坂上方向

Dsc08148 坂下から

Dsc08140 白瀧神社(上代継331)

昔は不動堂、往古は白瀧の社と呼ばれていた。

Dsc08141 白瀧

段丘崖からの湧水で、小川となって下り、昔から付近の民家の生活用水、農業用水として使われてきた。『秋川市ふるさとの道』

Dsc08142_1倶利伽羅竜王(白瀧の瀧口の右上)

剣に巻きついた竜が剣を飲み込もうとしている。

Dsc08150 坂下の地蔵さん

Dsc08151 真城寺前の旧家

Dsc08157 シダレザクラ(真城寺)

Dsc08155 真城寺(上代継344)

臨済宗建長寺派の寺。天正7年(1579)北条氏照が再興したという。本尊は延命地蔵菩薩。

Dsc08158 間坂(坂下から) 下代継403と401の間からカーブして北方向に上る。《地図

この坂を上ると油平と牛沼の境に出ることからこの名で呼ばれるようになった。以前は、うっそうと木が茂り、大雨が降ると沢のように水が流れ、石もごろごろ転がっていて、荷馬車などは後押しがなければとても上ることができなかったそうで、魔の坂「魔坂」とも、急坂で馬が苦労することから「馬(ま)坂」ともいわれた。『秋川市ふるさとの道』

Dsc08159 坂上方向

Dsc08165 坂下方向

Dsc08168_1 圏央道(右)に沿う坂(間坂の坂上近く)

Dsc08186_1金松寺(下代継340)

弘安元年(1361)足利基氏の草創という臨済宗建長寺派の寺。

Dsc08644_1 くまの坂 金松寺の墓地の東側から牛沼に抜ける坂。正面上は圏央道。《地図》(地図に道の標示はない)

「くま坂」とも呼ぶ。熊野権現の祠があるというが見当たらず。

Dsc08645 坂下方向

Dsc08170 八幡社(油平255)

Dsc08172 福徳寺山門(油平246)

江戸時代中期(18C初頭)建築の禅宗様式を伝える四脚門。

Dsc08174 「酒林」中村酒造(牛沼63) 《地図

Dsc08173 酒林説明板

Dsc08178 中村酒造資料館

創業文化元年(1804)、清酒「千代鶴」 資料館の建物は明治17年(1884)建築の酒蔵を改造したもの。

Dsc08180 山王様坂 秋留橋から北に牛沼88の秋川神明社に沿って北東に上る滝山街道。《地図

秋川神明社の旧社名の日吉山王社による坂名。

Dsc08185 坂上方向

Dsc08182_1 秋川神明社(牛沼88)

手前は神木の杉。

引田の山王様のご神体が洪水で2度もここに流れついたので、人々は山王様はここが気に入っているらしいと考え、山王様を祀るようになったという。『秋川昔物語』

Dsc08196西秋留石器時代住居跡(牛沼265) 《地図

縄文時代中期の敷石住居跡5軒。

フェンス内の地面の石が敷石住居の跡か?

Dsc08195住居跡説明版

Dsc08197 住居跡から秋川の方へ下る坂

Dsc08212

東秋留橋

秋川は下流に3km少しで多摩川と合流する。橋を一本増やす工事中。

昭和13(14?)年に橋が架けられるまではここに渡し舟があった。『秋川市ふるさとの道』

『秋川の昔の話』所載の「ごほう坂」(まちあい坂)の話。「明治の初め、雨間のとばく場に飯能から「ごほう」という親分がやって来ていかさまばくちなどで村人を苦しめた。雨間村の甚八という男がごほうの卑怯なやり方に我慢ができず、ごほうに渡船場で酒を飲ませ坂下で待ち伏せて刃物でごほうを刺した。ごほうは地蔵院に逃げ込んだが命は助からなかった。甚八は服役し、模範囚で2年早く出所して畑などを耕し静かに暮らしていたが、いつしか村人の相談相手にもなり慕われるようになった。甚八を慕って13年も待ち続けた娘もいたが、甚八は「俺のような前科者にはもったいない」といって、一緒にはならなかったという。」 地蔵院前の「ごほう(まちあい)坂」は後日歩く予定。

Dsc08670 工事完成予定図

平成20年3月頃開通予定とか。

Dsc08205 西光寺(雨間1076)

天台宗延暦寺派の寺。

Dsc08204 西光寺観音堂

聖観世音菩薩と養蚕の守り神の馬明菩薩も安置されている。

Dsc08673 観音坂 東秋留橋北側の西光寺の前から西方向に上る。《地図

西光寺観音堂による坂名。右側が西光寺。

Dsc08663_1坂下方向

Dsc08655 丸山家長屋門(雨間1031?)

丸山家は江戸時代の初め頃から雨間村の地主で、八王子千人同心の組頭も勤めてきた。

Dsc08214 鳥居場(雨武主神社) 《地図

対岸の秋川南岸の雨間村の氏神「雨武主神社」への参拝は大変なので、天保3年(1832)にここに一の鳥居を立てて、遠く離れた神社を遥拝できるようにした。『秋川市ふるさとの道』

Dsc08215 鳥居場の左側の道脇

字が読めない

Dsc08646 庚申塔(上田坂上の鎌倉街道沿い)

宝暦4年(1754)の銘あり。

Dsc08649 上田(かみた)坂(坂上から) 雨間810の南秋留小学校の北側から西から南方向に下る。《地図

上田(神田)へ下る坂。

Dsc08651 坂上方向

Dsc08653 坂下から

Dsc08652 坂下の上田(神田)

Dsc08228 大塚古墳 《地図

円墳・方墳・前方後円墳説あり。その他、中世の物見台、のろし台、富士塚説などがある。また、ダイダラボッチ(日本各地に伝承される伝説の巨人)の下駄の糞(下駄の歯の間に挟まった土)なんという話もある。

Dsc08230 説明板

Dsc08232 墳頂の稲荷社

昔はこのあたりに狐が棲んでいて夜道を急ぐ村人をだましたという「大塚の狐」という昔話がある。

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2007年4月21日 (土)

流山市の坂-3

2007年4月21日

Dsc08067 流山セントラルパーク駅(つくばエクスプレス)・・・義左衛門(ギゼエモン)坂跡あたり・・・芳野観光ぶどう園・・・円徳寺坂・・・円徳寺・・・五斗蒔坂・・・坂川・・・桜山観音堂・・・つくばエクスプレス線沿いの坂・・・熊野神社の裏へ上る階段坂・・熊野神社・屁っぷり坂跡・・中交差点・・・大原神社・大原(だいばら)坂・・・大宮神社・・・飛地(飛血)山の南側・・・流山駅(流山電鉄)

  【ルート地図

 流山セントラルパーク駅は乗降客が少なく、そばには総合運動公園、生涯学習センターなどや新しい道路もできていますがますがなんだかなじめない駅の周辺です。義左衛門坂があったところは何ができるのか工事造成中です。芳野観光ぶどう園の門は大きくて立派な長屋門風で、昔からの名主か豪農の家だったのでしょう。南に行くと円徳寺坂がカーブして下っています。寺自体はなく、墓地と自治会館(元の本堂?)のようです。

 八木南小学校の前の五斗蒔坂は短く、傾斜もゆるい坂で、五斗蒔坂は本当にこの坂なのかと思ってしまいます。むしろ小学校前から北方向に上る坂のほうがふさわしい感じがしました。ちょうど熊野神社の反対側の丘にある桜山観音堂の境内は今は墓地だけという状態で荒れていました。観音堂の前をさらに上って進むと、つくばエクスプレスの線路にぶつかります(上の写真)。写真の右上方向に流山セントラルパーク駅がありますが、このあたりはまだ電車の開通に伴う土地の造成工事中で、この坂は駅までは直接には通じていないようです。

 桜山観音堂から広い車道へ戻り、南西に少し行くと木の桟の急な階段坂が北方向へ上っていて、坂上は熊野神社の境内の裏手に出ます。このあたりから東方向に「屁っぷり坂」が下っていたのでしょう。神奈川県三浦市にも同名の坂があります。急坂で農作業などの荷物を担いで上る時などは踏ん張ると思わず放屁してしまうことからこの坂名がついたのでしょう。いつでもどこでも人々の考えることは似たようなもので、坂名のつけ方にも表れているようです。中交差点から北西に入り大原神社の前の大原坂を下って大宮神社まで足を伸ばし、西に飛地山の南側を通り流山駅に出ました。

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc08021 芳野観光ぶどう園の立派な門(古間木8)

敷地の北側に「義左衛門坂」があったようだ。

Dsc08024門の前のタケノコ

Dsc08025_1 観光ぶどう園前の道

Dsc08026 小祠と庚申塔(手前が文化5年(1808)・後ろが天保12年(1841)の銘)

円徳寺坂の坂上近く。

Dsc08030 円徳寺坂 芝崎433の円徳寺と思井の境を北東に上る。《地図

Dsc08034 坂上方向

Dsc08036 円徳寺

右は自治会館で寺の本堂ではないようだ。

Dsc08038 八木南小学校北側の坂

こちらの方長く傾斜もあり坂らしい。

Dsc08040 坂下(八木南小学校方向)

Dsc08043 五斗蒔坂 芝崎の八木南小学校の前を南に上る。《地図

このあたりの田んぼに蒔く種の量からの坂名。『流山の道』

Dsc08047 坂上の八木乃橋(坂川から)

傾斜はゆるい。

Dsc08049 坂川

右側は松戸市

Dsc08050 桜山観音堂(共同墓地)の方への道

Dsc08055 文化15年(1818)建立の参道石段上の「弘法大師」石柱。「第二十?番」とある。

Dsc08057 桜山観音堂・共同墓地

かなり荒れている感じだが、ここが桜山観音堂だろう。

Dsc08062_1観音堂からつくばエクスプレスの線路の方へ

Dsc08087_1熊野神社の裏手へ上る坂

Dsc08083 坂上から

Dsc08078 坂上を進んだ熊野神社(正面左)の裏

このあたりから「屁っぷり坂」が右方向に下っていたようだ。

Dsc08103 大原(だいばら)坂 大原神社の前から西から北西に下る。《地図

Dsc08117 坂上方向

Dsc08104 大原神社説明板(平和台4-1650)

Dsc08105 大原神社

Dsc08106 庚申塔

宝暦4年(1754)の銘

Dsc08118 大宮神社(平和台5-44)

Dsc08125

説明板

Dsc08123 庚申塔の邪鬼の表情が面白い。

Dsc08131 飛地(血)山南側のつつじ

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2007年4月20日 (金)

あきる野市の坂-5

2007年4月20日

Dsc07933 武蔵引田駅(五日市線)・・・連木坂・・・もみじ塚・・・神送り場・・・茶屋坂・・・宝泉寺坂・宝泉寺・馬坂・・・引田橋(秋川)・・・引田八雲神社・・・秋川(六枚屏風岩の眺め)・・・正音寺・志村氏館跡・門(もん)坂・・・熊野神社・・・馬乗(ばじょう)坂・・・真照寺・・・寺坂・・・宮坂・・・大宮神社・・・・・・観音寺・・・ぼうない坂・・・福輪家・・・出雲神社・・・睦橋通り・・・薬師坂・・・五日市街道・・・えびすや坂・・・桜木稲荷・・桜木坂・・・武蔵引田駅

 五日市町と合併前の旧秋川市側の坂道散歩です。駅の南側の畑の中をカーブする連木坂を下りました。もみじ塚は金網フェンスの中、神送り場も新しい地蔵さんが祀られていて昔の面影は偲べません。秋川へ下るように茶屋坂、宝泉寺坂、馬坂と続きます。宝泉寺坂と馬坂の境がはっきりせず、馬坂の坂下には家の表札のような坂標が立っています。茶屋坂にある坂標とは違うので坂下の家の表札かも知れません。

 引田八雲神社の裏手の秋川から対岸の六枚屏風岩が望めます。もう一つ形がはっきり掴めず、土柱の上の方に登れるのだろうかと思いながら見ていたら、以前行った徳島の阿波の土柱を思い出しました。戦国時代の志村氏の館の門に通じていたという門坂は正音寺の墓地に沿って上る細い小道の坂で、今はほとんど通られていないようです。坂上から熊野神社近くへ出る小道も静かでほっとする坂道です(上の写真)。

 馬乗坂を下り真照寺の前のカーブする寺坂を上り、これもきついカーブで車も最徐行で下っている宮坂を下って大宮神社に出ました。神社前の一の谷小学校の前の宝坂を上りました。坂上に地蔵が立っています。坂上から今は薬師坂の由来の薬師堂がある観音寺に寄り、ぼうない坂を下りました。坂上から大椿があるという出雲神社へ行きましたが、枯れてしまったのか大椿はなく、まだ新しい小さな椿の木が植えられていました。近くにあるという「石積井戸」も埋められてしまったのか見つからず。

 西秋留小学校の西側を北に行き睦橋通りを渡り、薬師坂を上りました昔はもっと長い急坂で、近くに「ぬすまれ薬師」の伝説のある薬師堂があったそうです。坂上近くから五日市街道を西に向い、昔は茶店があったという原店のバス停そばの淵上と引田の境を北に入り、えびすや坂を北東に上りました。坂上から西に向うと段丘上の畑の中の道となって、桜木稲荷の前へ出ました。稲荷の小さな祠の後ろに山桜の古木が一本立っています。桜木坂を上って右に折れ、連木坂の坂上から武蔵引田駅へ戻りました。

参考:『秋川市ふるさとの道』(平成6年秋川市教育委員会)

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc07896_1 連木(むらぎ・むなぎ)坂 武蔵引田駅の南側を南西に下る。《地図

坂名の由来不明。地元では、「ネン坂」ともいっている。『秋川市地名考』

Dsc08633坂上方向

Dsc07899 もみじ塚 《地図

昔からもみじが植えられているのでこの名がある。左:嘉永5年(1852)建立の寒念仏塔(寒中30日間鉦(かね)を叩きながら各所を巡って念仏を唱える修業)。右:庚申塔 
その右に2基の石造物がある。一つは神送り場にあったという寒念仏供養碑だろうか?

Dsc07901 神送り場(引田と山田の境の五日市街道の南側の辻) 《地図

昔、疫病が流行ると村人が集まり、疫病を村の外へ送り出す祭りを行った場所。今は新しい地蔵さんのみだが、道標を兼ねた寒念仏供養碑があったという。

Dsc07908 茶屋坂 引田696と649?の間を南西に下る。《地図

志村舘跡の一部にある。一説には志村氏が、甲州からお茶屋をよんで、その茶を売る店があったというが、邸の中に商人がいたことはないだろうから、舘主の茶室でもあったのであろうか。『秋川市地名考』

写真は旧秋川市教育委員会が設置した木製の坂標。字も消えかかり保存状態が悪い。新しく取り替える金も、気分的な余裕もないのだろう。それなら撤去した方がいいと思うが、どこに坂標が設置してあるかさえ今は市では把握していないのでは?

Dsc07903 坂下方向

Dsc07909 坂上方向

Dsc07910 宝泉寺坂 茶屋坂から続く坂

坂沿いに宝泉寺(天文年間(1532~54)に北条氏康が開基したという臨済宗建長寺派の寺)がある。

Dsc07915 坂上方向

右側が宝泉寺

Dsc07919_3「坂標」か「馬坂」家の表札か?

急坂で馬でも上るのを難儀したという、一般的な「馬坂」の由来ではなく、「馬坂家」の前の坂なのでこう呼ばれているのだろうか。近所で確認すればよかったのに。

Dsc07917 馬坂 宝泉坂から引田橋の方へ続く坂だろう。

正面は引田橋(秋川)

Dsc07922 秋川(引田橋から)

Dsc07925 引田八雲神社(引田776、秋川の岸近く)

永禄年間(1558~69)に尾張国の津島牛頭天王社を勧請。<お天王さま>と呼ばれ親しまれている。

Dsc07927 六枚屏風岩(引田1774、八雲神社の対岸の東京サマーランドの西端) 都指定天然記念物。右の第1柱は高さ24m。

加住丘陵の北崖に発達した土柱群。南北朝争乱の時代、正平7年(1352)、新田義興と小手指原(所沢市)で戦った足利尊氏が戦に敗れ、ここ六枚屏風まで逃げてきたという伝説も秘めている。

Dsc00177 阿波の土柱(徳島県阿波市徳ノ岡) 《地図

国の天然記念物。(2004年5月撮影)

Dsc00179阿波の土柱上から

崩れそうで、これ以上近づくのは怖い。

Dsc07928_1門坂 正音寺の墓地の西側に沿って北方向に上る小道。《地図》(地図に道筋の記載はない)

このあたりは約450年前の志村肥前守の舘だった。その門に続いていた坂なのでこの名がある。別名を「ごろごろ坂」

Dsc07931 坂上近く

Dsc07934 門坂の坂上近くから熊野神社の方へ通ずる細い林の中の坂。(地図に記載なし)

Dsc07938 熊野神社(引田724)

江戸時代には熊野権現として村人に崇敬されていた。

Dsc07942 馬乗坂 引田720と857の間を北に上る。真照寺の西側の坂。

志村氏の舘の馬場に下る坂。高札場もあったという。

Dsc07947 坂下方向

Dsc07955 真照寺山門

通称「赤門」と呼ばれる。元禄元年(1688)の再建。

Dsc07952 薬師堂

室町時代の建築様式。都指定文化財。

Dsc07954 石室

如玄和尚が文政元年(1818)に、この石室で即身成仏したのではないかと言われている。

Dsc07959 寺坂 真照寺の前から東からカーブして北方向に上る。《地図

坂上に行堂があって、多くの僧が修行していたので、「行堂坊坂」また「真照寺坂」・「坊坂」などともいわれた。『秋川市地名考』

Dsc07957 坂下から

Dsc07961 坂下方向

Dsc07964 坂上から

Dsc07966 宮坂 引田の大宮神社の東側に沿って北東からカーブして北西に上る。《地図

Dsc07974 坂下方向

Dsc07968 坂下から

Dsc07967 大宮神社(引田944)

延文2年(1357)足利基氏が再興。

Dsc07976 堂坂 引田と渕上の境の一の谷小学校の前を北東に上る。《地図

坂の上に四間四方のお堂があった。大正の初めころまで比丘尼がいたという。このお堂は「新編武蔵風土記稿」にいう地蔵堂であろう。地蔵淵に弘法大師作と伝える石の地蔵が流れついたというが、その像はこのお堂に祀っていたものであろう。『秋川市地名考』

Dsc07979 坂上方向

Dsc07981 坂下方向

右側は宮坂の坂上の方へ続く坂。

Dsc07983 坂上の地蔵と石造物(馬頭観音か、字がかすれていて読めない)

お堂にあったという地蔵は一尺ばかりだったというからこの地蔵ではないだろう。

Dsc07988 観音寺参道

右から庚申塔、寒念仏塔、馬頭観音

Dsc07986 観音寺薬師堂(引田354)

北方の薬師坂にあった薬師を移したと「新編武蔵風土記稿」に記されている。

Dsc07991 ぼうない坂 上代継の西秋留小学校の南側に沿って南東に下る渕上日野線 《地図

坊坂ともいい、近くにある観音寺、東海寺(廃寺)、真城寺の坊さんたちがよく通ったので、この名がついたともいわれる。

Dsc07992 坂下近くから(坂上方向)

左側の旗の所が野菜ラーメン「福輪家」

Dsc07993福輪家

「野菜ラーメン」 700円(アイスクリーム付き)・ランチ時はライス追加OK。造りも民家風で、和室の座敷で食べる。

Dsc08001 出雲神社近くの小堂

Dsc08000 堂内

Dsc08003 出雲神社(渕上310)

右の狛犬の後ろの垣根の中に都指定の天然記念物の大椿があったという。枯れてしまったのか今は新しい椿が植えられている。

Dsc08005 薬師坂 睦橋通りから下代継と渕上の間を北に上る。《地図

坂の近くに薬師堂(今は観音寺薬師堂に移る)があった。

「ぬすまれ薬師」の伝説:「この薬師様はいつの頃か目玉を盗まれてしまいました。それでも霊験あらたかな薬師如来で、目がなくなってもなお眼病を治してくれたので<ぬすまれ薬師>の名で呼ばれ崇敬されたといわれます。」

Dsc08008 坂下方向

Dsc08007 坂上から

Dsc08012 何の鳥か?盛んにさえずり続けていた。

Dsc08705 えびすや坂(坂上方向) 五日市街道の淵上と引田の境の原店バス停そばから北に入り北東に上る。《地図

いつの頃か不明だが、エビスヤ屋という店が近くにあったので、こう呼ぶようになった。

Dsc08706_1 坂下方向

Dsc08708 坂下方向

Dsc08015_3

桜木稲荷(引田442)

Dsc08017 桜木坂 桜木稲荷の前から北西に上る。《地図

古い山桜か桜木稲荷に因む名だろう。

Dsc08018 坂下方向

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2007年4月17日 (火)

流山市の坂-2

2007年4月17日

Dsc07865 南柏駅(JR常磐線)・・・旧水戸街道・・・香取神社①・一里塚碑・・・大木戸坂・・・常磐線陸橋・・・国道6号(水戸街道)・・・香取神社②・香取神社から下る坂・・宝蔵院・・・前ヶ崎城跡・・・七左衛門坂・・・清龍院・・・新四国江戸川霊場第53番札所・・・広寿寺(右の写真は山門前へ上る坂)・・・香取神社③・・・お宮の坂・・・猿子坂・・・松ケ丘ふるさと公園・・・野馬徐土手・・・南柏駅

  【ルート地図

 今にも雨が落ちてきそうな空の下を、南柏駅から右回りに流山市の南東部の向小金、前ヶ崎、名都借、松ケ丘と歩きました。南柏駅南口から旧水戸街道に出て、南西に行くと道沿いに香取神社①があります。ここが旧水戸街道の一里塚があったところで、新しい「一里塚の碑」が立っています。

 香取神社前の道に入り進むと、細い下り坂となって常磐線の線路にぶつかります。この坂が大木戸坂です。昔は水戸街道に通ずる木戸があったのでしょうか。来た道を途中まで戻り、北に常磐線を越え国道6号(水戸街道)を渡り、香取神社②に寄りました。このあたりはまだ田園風景の残るところです。神社裏手からいい感じの坂を下り、坂下から北西方向に進んで、キャンプ場あたりで段丘上の古道の雰囲気のある道に入りました。左側は崖で下には田んぼが広がっています。宝蔵院を過ぎると下りとなって右側が高くなり樹木のかぶさる道になって前ヶ崎城跡に出ます。

 前ヶ崎城跡から南西方向に進み七左衛門坂を上りました。途中、坂上右方向の小高い所が名都借城のあったところです。坂上の北側に清龍院、南側にモダンな本堂の広寿寺があります。清龍院の東側の香取神社③の脇のお宮の坂を下って突当たると柏市豊四季との市境です。北方向に猿子坂が名都借バス停の通りまで上っています。坂下だけが流山市ですが、『流山の道』に載っていた坂なので流山市の坂としました。

 猿子坂下に戻り、東から南東に回りこむように進むと松ケ丘ふるさと公園で、公園の中を東に抜けて進むと突当たりが柏市との境になっている野馬除土手で土手の間は堀になっています。土手沿いに南に行くと国道6号にぶつかり南柏の北口は間近です。

参考にした『流山の道』(流山市立博物館)では、古老たち(明治から昭和の初めの生まれ)は「~(の)坂」を「~(の)さが」言っています。坂という言葉の起こりが「嶮(さが)しき」からきたとする説があります。古老たちの発音はこの説を裏づけるのではと思いました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc07782 香取神社①(向小金2-199)

Dsc07780 説明板

Dsc07781_2一里塚の碑

水戸街道の日本橋から7番目の塚。一茶の句「下陰を さがしてよぶや 親の馬」が刻まれている。

Dsc07778_1 庚申塔(香取神社境内)

享保6年(1721)の銘

Dsc07784 大木戸坂 前ヶ崎685と686の間を南東に上る。坂下はJR常磐線 《地図

水戸街道に通ずる道で検問の木戸があったのか?

Dsc07787 坂下から

Dsc07799 香取神社②(前ヶ崎620)

Dsc07793 説明板

Dsc07796 庚申塔

元禄16年(1703)の銘

Dsc07791香取神社から下る坂

坂下は松戸市東平賀との境近くで低地で田んぼ。

Dsc07800 坂上方向

Dsc07801坂下方向

Dsc07805 宝蔵院への道

Dsc07813 宝蔵院(前ヶ崎446)

Dsc07812 説明板

Dsc07822 前ヶ崎城跡への道

Dsc07831 前ヶ崎城跡(前ヶ崎409)

戦国時代、松戸市の小金を中心に、流山・柏・我孫子・沼南・松戸などに勢力を伸ばした小金城主高城氏の支城の一つ。

Dsc07827 説明板

Dsc07829_1前ヶ崎城想定図

Dsc07832 七左衛門坂 前ヶ崎城跡公園の北側から南東に上る。 《地図

坂近くに「七左衛門」という屋号の家があった。『流山の道』 坂付近の雰囲気では今でもあるかも知れない。

正面の小高い森に名都借城(小金城主高城氏の支城の一つ)があった。

Dsc07838 坂下方向

左の森は前ヶ崎城跡

Dsc07840 坂下方向

Dsc07844 清龍院(名都借1024)

流山七福神の寿老人

Dsc07845 説明板

Dsc07851 新四国江戸川霊場第53番札所六塚大師堂

55番で大塚大師堂かも

Dsc07861 広寿寺(名都借980)

Dsc07855 説明板

Dsc07858 ユニークな本堂

Dsc07875 香取神社③(名都借1196)

Dsc07874 説明板

Dsc07867 お宮の坂 名都借の香取神社脇から北西に上る。 《地図

お宮は香取神社のこと。

Dsc07881坂上方向

Dsc07883 猿子坂 名都借から柏市豊四季371と375の間を北に上る。《地図

猿が走り回るような、急な狭い道で、両側に生えている笹にでも掴まらなければ上れないような坂だった。『流山の道』 今は住宅街の広い道でさほど急でもない。

Dsc07885 坂上から

Dsc07888 野馬除土手(松ケ丘1丁目)

地元では、「ぬまどて」とか「ぬまぼり」という。この地方の牧(牧場)では、幕府が馬を放し飼いにしたので、農民たちは野馬から家や畑を守ったり、野馬が自分たちの田んぼなどでけがをしないように、柵ではなく土手を築いて生活する環境を分けた。『流山のむかし』

Dsc07887 説明板

Dsc07892 土手の間に堀がほってある。

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2007年4月15日 (日)

あきる野市の坂-4

2007年4月15日

武蔵五日市駅・・・権田坂下・・・徳蔵寺・・・まいまい坂・・・諏訪神社・・・福寿禅院・・・ぐみの木峠・・・幸神(さぢかみ)神社・シダレアカシデ・・・藤太軒理容所・道標・藤太橋跡・・・宝鏡寺・・・平井川・・・天正寺・・・羽生林業・・・清源寺・伊奈沢天神社・・・小机坂・・・武蔵五日市駅

 徳蔵寺から青梅道を歩きました。まいまい坂への道筋はちょっと分かりにくく、このあたりは幕末に歴史的な事件も起きているのに、坂標はもとより案内板、説明板も設置されていません。三内川から北方向の上りは未舗装で昔の面影が残ります。人通りが少なく静かなことはいいのですが、このままだと廃道になってしまうのではと心配です。坂上近くに小さな石仏がひっそりと佇んでいます。ここにあることを知らないときっと見逃してしまうかも。坂上を進むと、福寿禅院の手前の辻に石仏が並んでいます。全部頭が欠けていて小石を載せているものもあります。武州一揆の連中が破壊したのでしょうか。

 峠という感じはしない「ぐみの木峠」を過ぎると日の出町です。幸神神社のシダレアカシデは国の指定天然記念物で見ごたえがあります。近くには藤原秀郷ゆかりの藤太橋跡や藤太橋から店の名をつけたという昔ながらの床屋さんの藤太軒理容所があります。日の出町の将門坂(間坂峠)、勝峰山、勝峰神社なども藤原秀郷、平将門ゆかりのところ。地名の岩井や岩井院も将門の本拠地の茨城県岩井市と関連があるのか? いずれ近々訪れたいところです。

 青梅道から離れ、八坂神社のお祭りでけっこうにぎやかな羽生のあたりを歩きました。八坂神社は高台にあるので神輿はそこまでは上らないとのこと。あちこちに御旅所が設けられていました。地元の人が羽生大尽と呼ぶ屋敷の立派なこと。秋川街道の小机坂を下って武蔵五日市駅に戻りました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc07672_2 権田トンネルの方へ下る坂

Dsc07676_1 徳蔵寺へ上る坂

Dsc07678徳蔵寺(入野18) 《地図

文明13年(1481)創立の臨済宗建長寺派の寺。

Dsc07680 まいまい坂 入野から曲がりながら北方向に三内川に下り、橋を渡って三内を西から北西に上る青梅道。 《地図

まいまいず(かたつむり)で、くねくねと曲がった坂の意。(「まいまいず井戸」(羽村市の坂-1)が羽村駅前にある。)この坂あたりで慶応2年(1866)に秩父名栗方面で蜂起した百姓(武州)一揆の一隊と五日市の農民達との戦闘があった。銃撃戦もあり、五日市隊は一揆群を撃退、勝利した。

Dsc07681 坂下の三内川方向

Dsc07683_1坂上方向

Dsc07689_1三内川を渡って上る 

地図に載ってないが未舗装の上り坂。

Dsc07698 坂上近くの石仏

坂の途中で二股に分岐するところ。高さ30cm位か、後背の上部が欠けている。武州一揆の時に欠けたのだろうか。元禄3年?(1690)の銘。

Dsc07695 坂上から

Dsc07696 諏訪神社(三内573) 《地図

天正11年(1583)に信濃国から諏訪大神を勧請したという。

Dsc07706 石仏(まいまい坂上を進んだ福寿禅院の近く)

全部頭がない。武州一揆の連中が破壊したのか?

Dsc07708 福寿禅院 《地図

Dsc07714 ぐみの木峠(三内672から日の出町大久野へ通ずる青梅道) 《地図

峠といっても、さほど高くなく起伏もない。どれがぐみの木か私には区別がつかない。

Dsc07717 幸神(さぢかみ)神社 《地図

Dsc07719国指定天然記念物の「シダレアカシデ」

樹齢700年以上。

Dsc07718シダレアカシデ説明板

Dsc07721藤太軒理容所(日の出町大久野1708)

昭和3年開業で現在は三代目。

Dsc07722 道標

「右 青梅道 左 五日市道」

Dsc07724 藤太橋説明板

藤太はむかで退治の俵(田原)藤太で平将門を討った藤原秀郷のこと。

Dsc07725 藤太橋の石材

Dsc07728 旧校舎?(大久野小学校の前)

今はギャラリー兼喫茶店。

Dsc07737 八坂神社祭礼

Dsc07738 油屋地蔵尊

昭和47年建立 で新しい。油屋は権田坂上の「油屋旅館」と関係があるのか?

Dsc07739 羽生林業(大久野1220)の門

地場産業の卒塔婆を製作しているそうだ。

Dsc07742 伊奈沢天神社(大久野、羽生林業の前) 《地図

神輿の御旅所。

Dsc07741羽生大尽のお屋敷(天神社前)

Dsc07744

Dsc07745 土蔵

Dsc07757 小机坂 あきる野市三内のJR五日市線のガード下あたりから北西に上る秋川街道。 《地図

この付近一帯の山持ち資産家の小机家による坂名。『東京の坂風情』

Dsc07758 坂上方向

Dsc07761旧道の小机坂(西側に一部残る)

秋川街道から分かれて上る。

Dsc07762坂下方向(旧道)

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2007年4月12日 (木)

官ノ倉山・小川町(埼玉県)

2007年4月12日

東武竹沢駅(東上線)・・・安照寺・・・三光神社・・・天王沼・・・官ノ倉山(344m)・・・石尊山(344m)・・・北向地蔵・・・長福寺・・・八幡神社・・・穴古墳・・・大梅寺・・・不動堂・・・小川町駅(東上線)

官ノ倉山から「和紙のふるさと小川町」へと歩きました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc07521 慈光尊(東武竹沢駅前)

Dsc07522 堂内

Dsc07527六地蔵石憧(安照寺門前)

Dsc07525説明板

Dsc07535三光神社

Dsc07536 説明板

Dsc07541 天王池

Dsc07549 官ノ倉山山頂(344m)

Dsc07550 石尊(せきそん)山山頂(344m)

石尊大権現の小祠か。埼玉県本庄市に石尊坂がある。神奈川県大山の阿夫利神社奥の院に石尊大権現が祀られている。

Dsc07556 鎖場

上を見上げる

Dsc07560 北向不動

Dsc07558 説明板

Dsc07584馬頭観音(左)・道標(右)

Dsc07587 道標から下る坂

Dsc07600 長福寺

Dsc07596 説明板

Dsc07598 長福寺宝筐印塔

Dsc07597 説明板

Dsc07612 八幡神社への坂

Dsc07613 八幡神社

Dsc07614 説明板

Dsc07624 穴八幡古墳

Dsc07620 説明板

Dsc07626

石室

Dsc07651 大梅寺

Dsc07647 説明板

Dsc07655 板碑

Dsc07652板碑説明板

Dsc07659 大梅寺へ下る坂

Dsc07666晴雲酒造

Dsc07663 煙突説明板

Dsc07668 不動堂

Dsc07667 説明板

Dsc07671割烹旅館二葉

「忠七めし」が名物。

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2007年4月11日 (水)

流山市(千葉県)の坂-1

2007年4月11日

  南流山駅(武蔵野線)・・・雷(いかづち)神社・・・東福寺・・・死人坂・・・東福寺千仏堂・・・鰭ヶ崎三本松古墳・・・熊野神社へ上る坂(右の写真)・熊野神社・・・耳だれ地蔵・・・本覚寺・・・愛染堂(長福寺跡)・・・熊野坂・・・長流寺・・・寺田稲荷・・・一茶双樹記念館・・・光明院・・・赤城神社・・・流山(りゅうさん)寺・・・庚申様(キッコーマン流山工場)・・・近藤勇陣屋跡・・・閻魔堂・・・常与寺・・・浅間神社・・・(流山駅・流山電鉄)・・・飛血山・飛血坂?・・大坂・・・流山市立博物館・・・六部尊・・・流山駅

  【ルート地図

 埼玉県三郷市と江戸川を挟んで接する流山市は平坦で坂はないと思っていましたが、けっこう起伏のあるところで昔ながらの静かな雰囲気のある坂にも出会えました。死人坂、飛血山(本当は飛地山)などぶっそうな名ですが、もちろんなんてことはない坂と会社の所有地です。

 死人坂ではマンション建設反対運動中で、坂沿いにマンション建設反対のチラシや看板が掲げられいます。「住宅環境が悪くなると死人が出る」と、建設反対の住民たちが名付けた坂名と思っていたら、ちゃんと昔から由来のある坂名でした(後述)。弔い坂(世田谷区)、墓場道の坂・墓場山の坂(小金井市)、お墓の坂(流山市)はありますが、「死人」という直接的な名前の坂は初めてです。川崎市麻生区に「死人」が訛った「しぶと坂」があり、幽霊坂は東京23区に10数坂ありますが。

 三本松古墳から熊野神社、耳だれ地蔵にかけてはつくばエクスプレスが通ってはいますが、まだ昔の面影の残るところ。長流寺から先は江戸川の堤近くの旧道で史跡や寺社が多く残っています。このあたりはみりんや醤油で栄えたところで、今もキッコーマン流山工場やメルシャンワインの工場が操業中です。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc07308雷(いかづち)神社(鰭ヶ崎1767、鰭ヶ崎駅近く)

Dsc07307 「おびしゃ」行事説明板

Dsc07316 東福寺(鰭ヶ崎1303)

弘法大師が弘仁5年(814)に開基したという真言宗の寺。「鰭ヶ崎」の地名の由来となった伝承がある。

東福寺山門                                Dsc07321

民話 「目つぶしの鴨

Dsc07337 死人坂 鰭ヶ崎2009と2044の間を北東から曲がって北西に上る。坂上は東福寺千仏堂 《地図

昔は急な坂道を人間が仏様を担いで墓地(東福寺千仏堂墓地)まで運んでいました。もちろん火葬ではなく土葬の時代ですから雨の後は舗装もない道はツルツルで滑りやすく、転んで仏様を放り出してしまうことがありました。それがこの坂の名前の由来だと聞きました。この地方では昭和40年代まで土葬が行われていたと聞きますから、これもそれほど大昔の話ではないようです。土葬がなくなった今も地元の人たちには親しみのある名称のようです。「鰭ヶ崎の住宅環境を守る会」のHPより。坂名の由来はともかく、昭和40年代まで土葬だったというのは本当だろうか?信じられない。(自分で調査、確認したわけではないが)

Dsc07323 坂下から

Dsc07335 坂下方向

右側の覆いのところがマンション建設予定地

Dsc07336 左に曲がって千仏堂の墓地へ上る。

曲がる交差点の下を「つくばエクスプレス」が通っている。昔の人たちがそれを知ったら、驚いて仏様を放り出してしまうのも無理ないでしょう。

Dsc07342 千仏堂

Dsc07338 千仏堂説明板

Dsc07360 三本松古墳の方へ上る坂

Dsc07361 三本松古墳説明板

Dsc07363 三本松古墳(鰭ヶ崎1263)

6C後半の全長25mの前方後円墳

Dsc07364 古墳上の稲荷と石碑

Dsc07368 道祖神・馬頭観音(左右)

鰭ヶ崎1268あたり

Dsc07369 道祖神から下る坂

Dsc07375 熊野神社へ上る坂

Dsc07379 坂上方向

右上に熊野神社

Dsc07383 熊野神社(思井305)

創立年代不詳。天和元年(1681)社殿を再建という。『流山の道』によれば、神社の後ろ側から下る急な「屁っぷり坂」があったという。今もあるのか後日、確認に再度訪れたい。

Dsc07387 坂上方向

Dsc07392 つくばエクスプレス(熊野神社の西側・写真上がつくば方向)

Dsc07394 耳だれ地蔵(思井514)

元禄3年(1690)建立の延命地蔵。耳の病いにご利益があるという。

Dsc07393 説明板

Dsc07397 地蔵の後ろの壊れた土蔵

忠犬小金丸伝説の犬塚(いのっつか)がある(あった)とういうのはここだろうか?

Dsc07401 本覚寺(西平井1432)

建武元年(1334)創建の日蓮宗の寺。

Dsc07402 本覚寺説明板

Dsc07417 新四国江戸川霊場?第61番愛染堂の近く)

Dsc07408 愛染堂の方へ下る坂

正面はつくばエクスプレス

Dsc07414 愛染堂(中58)

延徳年間(1489~91)創建の旧長福寺のお堂。

Dsc07412 説明板

Dsc07410 飯田藤村子歌碑(愛染堂境内)

Dsc07409 歌碑説明板

Dsc07419熊野坂 中交差点から西へ平和台駅の方へ下る。西平井と平和台4丁目の間の坂。《地図

熊野神社に向う坂の意だろうか。坂上からちょっと離れてはいるが。昔は追剥が出たという。

Dsc07423 坂下方向

Dsc07426 長流寺(流山6-677)

流山七福神の恵比寿

Dsc07428 説明板

Dsc07430 寺田稲荷(流山6-548)

Dsc07429 説明板

Dsc07432 一茶双樹記念館(流山6-670)

Dsc07431 説明板

Dsc07445_1 光明院(流山6-651)

八重紅枝垂と多羅葉

Dsc07438光明院説明板

Dsc07447_1 波切不動

光明院から赤城神社へ上る石段のところ

Dsc07448 馬頭観音

光明院から赤城神社へ上る石段のところ

Dsc07452 赤城神社(流山6-649)

流山の地名の発祥伝説の神社。建長年間(1249~56)に、上州(群馬県)の赤木山の一角が崩れ、ここへ流れついたという。

Dsc07451 赤城神社

Dsc07453 赤城神社説明板

Dsc07457 流山(りゅうさん)寺(流山7-589)

流山七福神の大黒天

Dsc07456流山寺説明板

Dsc07460 庚申様説明板

Dsc07464 庚申様(流山3-90)

右は文化15年(1818)の建立。

Dsc07461_1 小堂内の庚申塔

Dsc07467旧家(近藤勇陣屋跡の隣り)

Dsc07472近藤勇陣屋(流山2-108)

Dsc07470 陣屋説明板

Dsc07476 閻魔堂(流山2-116)内

天保六花撰の一人、義賊の金子市之丞と遊女三千歳の墓(右)

Dsc07475 閻魔堂説明板

閻魔像はここにはないようだ。

Dsc07481 常与寺(流山2-130)

Dsc07482 常与寺説明板

Dsc07484 浅間神社(流山1-153)

Dsc07490 富士塚

Dsc07488 旧家

Dsc07494 流山電鉄(流山駅)と飛血山(流山市役所の南側一角の社有地)

正しくは「飛地山」。加村の台地が江戸川に向って突き出た一帯を「坂の台」あるいは「飛地山」と呼ぶ。「飛地山」の名は江戸時代に駿河国田中(静岡県藤枝市)に城を持っていた本多氏が、この地一帯にあった飛地領の役所をここに置いたためといわれている。『流山のむかし』 昔ここに処刑場があったとの噂話も。何時か誰かが「飛地」を「飛血」にして面白くしたのだろう。因みに近藤勇が処刑されたのは板橋で、板橋駅(JR埼京線)そばには墓がある。『川越街道』の最後に記載。

Dsc07497 飛血山の東側の坂(飛血坂とでもしようか)

「飛血山」は、「ソフトウエア興業株式会社」の社有内。建物等の施設はなく空き地らしい。以前は電々公社流山社宅があったようだ。

Dsc07506 坂上から

Dsc08240 大坂 流山駅北側の流山1交差点から東に上る。 《地図

左側が旧道

Dsc08236_2 旧道から坂上方向

Dsc07513市立博物館(加1-1225)

Dsc07515 六部尊(加1225、市立博物館の前)

明和4年(1767)創建の小祠。

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2007年4月10日 (火)

取手市の坂-3

2007年4月10日

Dsc07167_4 稲戸井駅(関東鉄道常総線)・・・御嶽神社・・・香取八坂神社・・・高源寺・・・東光寺(第50番)・・・高井城址公園・高井城址・・・妙見八幡宮・・明音寺(第52番)・・・小貝川排水路の方へ下る切通しの坂(右の写真)・・小貝川・・・水神岬公園・水神社・・・延命寺・・・仏島山古墳・・・大日山古墳・岡神社・・・甚五郎池・・・のぞみの坂・・・月読尊・・・熊野神社・阿弥陀堂(第78番)・・・山ノ坊いろは坂・・・永山公民館へ下る坂・・・稲戸井駅

  【ルート地図

 今日も坂道散歩にはうってつけの日和でした。『取手の坂道愛好会の資料』をもとに、坂道と平将門ゆかりの地を散策しました。

 稲戸井駅から県道守谷藤代線を北東に行き、北に入り香取八坂神社からケヤキ地蔵の高源寺に寄りました。大きなケヤキの空洞の根本に地蔵さんが鎮座していました。高源寺から高井城址公園へ坂を下り、高井城址へ上って東側の妙見八幡宮の脇の道を進むと、切通しの坂が小貝川排水路まで下っています(上の写真)。

 小貝川のサイクリングロードに上って、東に行き水神社が祀られている水神岬公園から岡堰を眺め、親王山延命寺から仏島山古墳、大日山古墳(岡神社)と、いずれも平将門の伝承のあるところへと進みました。仏島山古墳の近くには大きな地蔵と野仏が立っています。大日山古墳のある丘の南側のふもとの未舗装の道を西方向に行き、老人ホーム「ふれあいの郷」の中の甚五郎池を見て、高井小学校に沿って、めぞみの坂を上りました。坂下に戻り、南に上ると辻のところに真新しい月読尊と庚申塔が立っています。後ろに隠れるように元の崩れた石と庚申塔があります。月読尊の後ろの庚申塔は、まだ十分な形をしているのに後ろに置かれるのはいかがなものでしょう。すぐ近くのめぐみ幼稚園は今日が入園式、子どもの手を引いている両親も皆若い。

 めぐみ幼稚園の先から右に入り、北西方向に進むと、これも新しい熊野神社と阿弥陀堂に出ました。さらに北に行くと細い未舗装の気持ちのいい坂となり、守谷藤代線近くまで下っています。熊野神社まで戻り、海老原医院前の山ノ坊いろは坂を下って上りました。途中、大きく3回カーブするので、「いろは」坂なのでしょう。坂上の菜の花畑が見事でした。坂上近くから右(北方向)に永山公民館までの坂を往復してから西に稲戸井駅に向いました。

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc07110香取八坂神社(下高井)

Dsc07126高源寺山門(下高井・香取八坂神社の隣り)

新四国相馬霊場第49 番札所

Dsc07119 地蔵ケヤキ(高源寺境内)

樹齢1600年、根回り約10m、樹高約15mで、根元の空洞に、子育地蔵尊が安置されている。

Dsc07115 地蔵ケヤキ説明板

Dsc07117 空洞の根本に子育地蔵さん

火事でできた空洞らしい。

Dsc07133 第50番(東光寺)

Dsc07138 高源寺から高井城址公園へ下る坂

Dsc07146 高井城址公園

Dsc07143高井城址説明板

Dsc07151 高井城復元図

Dsc07154妙見八幡宮(下高井・高井城址の南側)

Dsc07156 第52番(明音寺)

Dsc07171 妙見八幡宮脇から下る坂

坂下の小貝川排水路近く

Dsc07188 水神岬公園

Dsc07185 水神社(水神岬公園の中)

鳥居が小貝川に向って立つ。

Dsc07189岡堰を臨む

寛永(1630)7年関東郡代伊那半十郎忠治により造られた。福岡堰、豊田堰とともに関東三大堰の一つ。

Dsc07197親王山延命寺

将門が信仰していた地蔵尊のおつげによって創建されたと伝える。自ら「新王」の位について敗れた将門にふさわしく、「親王山」という山号。

Dsc07201_1駒形様

将門が戦死したときに乗っていた馬を埋めたところと伝えられ、風を引いたときなどに参るとすぐに治るといわれて、信仰されてきたそうだ。

Dsc07207 地蔵と野仏説明板

Dsc07210 地蔵(右後ろに野仏)

寛文6年(1666)建立の高さ170cmの大きさ。

Dsc07208 野仏

延宝8年(1680)年の銘。地蔵の後ろにあるので、裏地蔵とも呼ばれている。

Dsc07212仏島山古墳

直径30mほどの円墳で6Cの築造。地元では昔から将門の墓といわれてきた。

Dsc07211説明板

Dsc07215 古墳上の小祠

Dsc07214 小祠の前扉を開けると「将門神社」と書いてある。

Dsc07268 大日山古墳(岡神社)への坂

Dsc07230説明板

Dsc07228 岡神社(大日山古墳の墳頂)

直径18mの円墳上。この古墳も将門の墓と伝えられてきた。脇の広場は愛妾の桔梗が住んだ朝日御殿があったという。将門の敗死を聞いて桔梗が入水した沼のところは「桔梗田」として共同管理されている。

Dsc07234 甚五郎池

老人ホーム「ふれあいの郷」内。別名を「相野谷湖」

Dsc07237 のぞみの坂 下高井の高井小学校の北側に沿って北西に上る。《地図》 

Dsc07241 坂下方向

Dsc07250高井小学校の南側へ下る坂

Dsc07251 月読尊・庚申塔(坂上近く)

ろに庚申塔や崩れた庚申塔がある。

Dsc07259熊野神社(野々井639?)

Dsc07261 第78番阿弥陀堂(熊野神社隣り)

Dsc07272 石仏(野々634あたり)

左の石仏に「山ノ坊坪講中」とある。

Dsc07262 石仏から北へ県道藤代線の方へ下る坂。

Dsc07277 山ノ坊いろは坂 野々井636の海老原医院の南側を南西から北西にカーブして下って上る。《地図

このあたりの小字名が「山の坊」で、天明年間(1781~88)西蓮寺という大きな寺があった。常総線の踏切あたりの山門から参道が続き、宿坊・修験僧も多く、にぎわっていたが後年、廃仏毀釈で無住となり荒廃した。『取手の坂道愛好会の資料』

Dsc07280 下って上る。

Dsc07284 少し下ってまた上り

Dsc07289 坂上近く

Dsc07291 永山公民館へ下る坂

 

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2007年4月 8日 (日)

あきる野市の坂-3

2007年4月8日

武蔵五日市駅(西東京バス)→荷田子(にたご)・・・乙津橋(秋川)・・・龍珠院・神明社・・・二反坂・・・五柱神社・・・新橋(養沢川)・・・徳雲院・・・岩船地蔵尊・・・春日明神社・大戸里神社・・・落合橋(秋川)・・・檜原街道・・・向(むこうざか)坂・・・星竹橋(秋川)・・・下坂・・・普光寺・・・上坂・・・荻野坂跡・・・滝坂・・・星竹神明社・・・星竹橋・・・檜原街道・・・むかえ坂・・・三嶋神社・・・寺坂・・・光厳(こうごん)寺・戸倉城跡・・・寺坂・・・坂本の切通し跡・・・沢戸橋(秋川)・・・子生(こやす)神社・・・檜原街道・・・子育地蔵堂・・・権田坂・・・武蔵五日市駅

  【ルート地図

Dsc07025_3  鶯がさえずり、桜、むらさきつつじなど色とりどりの花が咲き競う里山の、のどかで気分のいい坂道歩きでした。「秋川渓谷瀬音の湯」行きのバスは中高年の女性たちでほぼ満員。(4月15日オープンなので開店準備の従業員かパートの人たちだろう)

 荷田子のバス停から北に秋川を渡って乙津地区の龍珠院に寄り、二反坂を上って下り養沢地区の五柱神社に出ました。この道筋は、御岳道(養沢道)といわれた古道で、道沿いの所々に馬頭観音、石仏などが立っています。養沢川の新橋に出て南に上り徳雲院を過ぎると、春日明神社と大戸里神社が切り通しの坂を挟んで並んでいます。今日は祭礼日で揃いのはっぴ姿の地元の人たちが境内に集まり始めていましたが、人数はいまいちで若い人の姿はあまり見えませんでした。

 落合橋で秋川を渡り、十里木の交差点から檜原街道を東に行き、坂下地区から向坂を下り、星竹橋で秋川を渡って下坂を普光寺まで上りました。普光寺の前あたりから東に上るのが上坂で、西に下るのが滝坂です。滝坂の坂上近くから北に上る横根道といわれた荻野坂は今は廃道のようで、道跡らしいのが残っています。この道は金毘羅尾根から養沢へと通じていたそうです。滝坂を下ると荻野沢が秋川に流れ落ちる所の滝淵と呼ばれていたところへ出ます。昔はここの崖を滝が落ちていたのでしょう。今もわずかの流れがあるようで、大雨の時などは滝となるかも。

 星竹橋まで戻り、檜原街道の戸倉交差点手前の昔風情のある土蔵沿いの坂(の写真)からむかえ坂の坂下に出ました。細い坂が三嶋神社まで上っています。三嶋神社は木々に覆われ薄暗く静かで参詣人はなく、隣の光厳寺とは全然雰囲気が違います。付近から縄文時代の石棒が出土しています。神社から寺坂の途中へ出て、光厳寺へ上りました。境内まで車で入れるせいか、山桜目当ての見物人やハイカーで賑わっていました。

 寺坂を下って沢戸橋手前の馬頭観音の脇の坂本の切通しを下りました。今はこの坂は途中で行き止まりです。『五日市町の古道と地名』によれば、昭和初期までは、坂下で(旧)沢戸橋で秋川を渡っていたそうです。沢戸橋で秋川を渡り、安産の神の子生神社の先で檜原街道に出て、権田坂から武蔵五日市駅に戻りました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc06912 龍珠院(乙津1422)

貞治2年(1363)創建という臨済宗の寺。

Dsc06925 神明社(龍珠院の隣)

乙津地区の鎮守。

Dsc06926 二反坂(坂上方向) 乙津の龍珠院の東側を北方向に上る。《地図

秋川の谷と養沢川の谷を結ぶ坂なので「ニ谷坂」と呼び、訛って「ニタン坂」になったとも考えられるが、寺岡方面から荷田子方面へ通ずる坂の意で「荷田子坂」と呼ばれたのが訛って「ニタン坂」になったと見る方が妥当であろうと思われる。『五日市町の古道と地名』

Dsc06927 坂上方向

Dsc06928 坂下方向

Dsc06932馬頭観音だろうか?

Dsc06934 二反坂から養沢の方へ下る坂

Dsc06936 坂下方向

Dsc06942 坂下方向

Dsc06937 坂沿いの地蔵と石造物

Dsc06952 五柱神社(養沢1592)

手前の杉は市の天然記念物。

Dsc06954 五柱神社からの下り坂

Dsc06955 馬頭観音

Dsc06959 馬頭観世音?

新橋近く

Dsc06966 新橋(養沢川)から札立の方へ上る坂

Dsc06970 札立の花壇

Dsc06972 徳雲院(乙津511)

天文年間(1532~55)の中頃の創建という臨済宗の寺。

Dsc06975 岩船地蔵(徳雲院前)

Dsc06983 春日明神社(乙津427)

応永年間(1394~1428)に奈良の春日社を勧請したという。

Dsc06987 切通しの坂

春日明神社と大戸里神社の間。

Dsc06984 大戸里神社(乙津294)

落合地区の鎮守。別名「おとり様」

Dsc06996 向坂(むこうざか) 星竹橋(秋川)へ下る「せせらぎ通り」。《地図

星竹集落へ向う坂なのでこう呼ぶのだろう。

Dsc09397 坂上方向

Dsc06997 坂下の地蔵尊

明治時代に建てられたもの。

Dsc09422 星竹橋を渡ったところから向坂を望む。

Dsc07000 下坂 

星竹橋から普光寺へ上る坂。《地図

Dsc07002 坂上方向

Dsc07003

坂下方向

Dsc09404 上坂 普光寺前(下坂の坂上)から東方向に上る。《地図

Dsc09406 坂下方向

Dsc07004 二十三夜塔?(中)・馬頭観音(左)(普光寺前)

Dsc07006 普光寺(戸倉1056)

文明2年(1470)の創建という臨済宗の寺。

Dsc09407_1 荻野坂跡?

普光寺の西側(滝坂の坂上)から北方向に上る。《地図

Dsc09408 坂上方向

道筋らしき跡が残っている。

Dsc09409 坂下方向

坂下は滝坂の坂上

Dsc09411 滝坂(坂下方向) 普光寺の西側から西方向に下る。《地図

Dsc09414 坂上方向

Dsc09420_2坂下方向

荻野沢が右から左に流れ秋川に落ちるところ。(今は道路の下を通る)

Dsc09416 滝が落ちていたところ。正面は秋川。《地図

Dsc07016 星竹神明社(戸倉1041)

永享4年(1432)の創建という。

Dsc07018 坂下の秋川沿いの地蔵堂

Dsc07026 土蔵脇の坂(戸倉238?)

坂下方向

Dsc07033 むかえ坂 戸倉の三嶋神社へ上る坂。《地図

三嶋神社へ「向う坂」の意だろうか?

Dsc07030 坂下から

右側の窪みのところに湧水と道祖神などが立つ。

Dsc07031道祖神(中)(坂下)

Dsc07034 坂上方向

Dsc07045 三嶋神社参道(男坂)

Dsc07040 説明板

Dsc07052 三嶋神社(戸倉字城山414)

天徳2年(958)伊豆の三島神社の分霊を勧請。古来より武将の信仰の厚い神社。

Dsc07073 寺坂 光厳寺へ上る坂。《地図

Dsc07053 坂上方向

Dsc07056 坂下方向

Dsc07059光厳寺(戸倉328)

北朝第一代光厳院の勅を奉じて足利尊氏が建武元年(1334)に創建したという臨済宗の寺。

このあたりに戦国時代に戸倉城があった。

Dsc07057 戸倉城跡説明板

Dsc07063 山桜

樹齢400年以上の都内三大巨木。

Dsc07065 山桜説明板

Dsc07071寺坂(坂下方向)

Dsc07077 馬頭観音

沢戸橋の手前の切通しの坂上。

Dsc07079 坂本の切通し跡 《地図

右にカーブして、(旧)沢戸橋で秋川を渡っていた。

Dsc07081 坂下で行き止まり。

ここに昭和の初期まで旧沢戸橋が架かっていた。『五日市町の古道と地名』

Dsc07084 子生神社(小中野187)

永正元年(1504)創建という安産・子育の神。

Dsc07086_1 土蔵(権田坂上近く)

Dsc07088 子育地蔵(権田坂上近く)

Dsc07087 子育地蔵説明板

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2007年4月 5日 (木)

あきる野市の坂-2

2007年4月5日

Dsc06872_1 武蔵増戸駅(五日市線)・・・五日市街道・伊那坂(旧五日市街道)・・・岩走神社・山王社・・・新秋川橋(秋川)・・・大光寺・高尾神社(右の写真)・・・小峰公園(桜尾根~馬頭観音~ホオジロ尾根)・・・秋川街道・・・小林坂・・・武蔵五日市駅

 昨日とはうって変わっての春らしい好天でした。五日市線の車窓から雪の富士山の頭もくっきり望めました。
 武蔵増戸駅から伊那福生線に出て西へ成就院を過ぎ、五日市街道の新秋川橋東交差点に出ました。ここから伊那坂が北方向に岩走神社の方へ下っています。新秋川橋を渡り南へ入ると上り坂となり、大光寺、高尾神社から「かたらいの路」へ入ろうとしましたが、工事中で通行止め。留原交差点から秋川街道を南に少し行き、小峰公園の桜の見ごろは過ぎた桜尾根へ入りました。途中、庚申塔などの石造物が並ぶところがあり、桜尾根の終点には立派な馬頭観音が立っています。この道筋は小峰峠を越え、八王子へと続く古い八王子道だったのでしょう。ホオジロ尾根を下って秋川街道へ出て、長い小林坂を下って武蔵五日市駅に向いました。

 *小林坂は「あきる野市の坂-1」に記載。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc06833 子育地蔵(伊那福生線沿い)

Dsc06841 成就院前の坂(伊那1568)

文明元年(1469)開基という真言宗の寺。

Dsc06843 伊那坂 五日市街道の新秋川橋東交差点から北西に下る旧五日市街道(古くは伊那道) 坂下近くに岩走神社。《地図》 

古くは「宮沢坂」とも呼ばれた。伊那は昔から伊那石といわれた石材の埋もれていたところで、石材処理に秀でた技術を持っていた信州伊那谷高遠付近の石切職人(石工)が、この伊那石に目を付けて移住し、石造物の製作に従事していた。これらのことから「伊那」という地名は、移住職人が生地「伊那」の名を取って名付けたのだ、などと書かれたものもあり(例えば新篇武蔵風土記稿)、これを定説のように思う者もあるが、これには異論がある。「イナ」という地名は各地にあり、何れも岩・石に関係あるところで、「イナ」は岩石に関係ある地形の呼び名であることが分かる。五日市町の伊那も古くから石材の産地だったので、それに因んだ地名と思う。『五日市町の古道と地名』

Dsc06848 坂上方向

Dsc06854 山王社へ上る坂

岩走神社前

Dsc06852 岩走神社裏手の秋川に注ぐ流れ。

昔はもっと急流で「岩走」神社の由来となったのだろうか?

Dsc06850 岩走神社(伊那1575)

Dsc06855 新秋川橋から武蔵五日市駅方面に下る五日市街道。

Dsc06864 大光寺(高尾218) 《地図

Dsc06863 大光寺説明板

Dsc06867高尾神社(高尾660)

祭神は、迦具土神。創立年代、由来不明。

Dsc06876 桜尾根(小峰公園

Dsc06884 庚申塔(右下・寛政2年(1790))・?番供養塔(中央上)・左は文化8年(1811)の石造物。

Dsc06893 馬頭観音(桜尾根の終点の八王子市との境近く) 文政5年(1822)の建立。

ここから今熊山への道もある。

Dsc06904 小林坂(新道)

坂途中から

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2007年4月 4日 (水)

取手市の坂-2

2007年4月4日

寺原駅(関東鉄道常総線)・・・青龍神社・・・法海寺観音堂?(新四国相馬霊場札所第69番)・・・駒場の坂・・・神明社・・・鹿島神社・・・本郷西坂・・・東漸寺(第71番)・・・春日神社・・・山崎の坂・・・新宅の坂・・・協同病院・・・法悦院・・・キリンビール工場・・・もちや坂・・・井野台さくら公園・・・阿弥陀坂・・・寺下踏切(常磐線)・・・香取神社・さくら坂上・・・小堀の渡し・・・取手駅(常磐線)

 今にも雨が降り出しそうな寒い日でした。主に駒場・本郷付近の坂道を歩きました。このあたりは平将門に関する伝承の残るところです。関東鉄道常総線は、まだスイカが使えず、日中は2両編成のローカル電車です。駒場の坂の位置が分からず苦労しました。駒場中公園の南側からみどりが丘幼稚園まで上る細い坂でした。駒場は将門が乗馬の訓練をしたところからついた地名とも言われます。

 坂上を南に寺原駅前の通りに出て、東に行き、本郷3丁目の鹿島神社へ上り、本郷西坂を下りました。坂下の田んぼの向うに筑波山の美しい峰々が望まれる景勝の地らしいですが、あいにくの曇天で峰々は見えませんでした。戻って、将門の母方の犬養春枝(将門の外祖父)がこのあたりに住んでいたという東漸寺に寄りました。仁王門の後ろに、昔話「目隠し銀杏」の大銀杏が立っています。すぐ西側の春日神社の小堂を過ぎるとゆるやかな下りとなり、寺田の田んぼの方へ山崎の坂の下りとなります。坂上へ戻って、ときわ学園、取手中央病院の前を通って、新宅の坂を下りました。この坂の位置には自信はありません。

 協同病院の東側の通りを南に、キリンビール工場からは前回(3月24日)歩いたと同じようなコースをたどりました。前回は桜にはまだ早かったですが、今日は満開は過ぎたものの、井野台さくら公園の桜は見事で、さくら坂の桜も見ることができました。利根川の小堀の渡し場まで足を延ばしましたが、あいにく水曜日は運休で渡船姿は見ることができず、また次の機会ということになりました。

「もちや坂」・「阿弥陀坂」・「さくら坂」については、「取手の坂-1」に記載。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc06693 関東鉄道常総線

寺原駅にて

Dsc06698 青龍神社(駒場4-4)

Dsc06695_1 疱瘡神(左から2番目)・二十三夜塔?(右から2番目) (青龍神社前)

Dsc06702_1 観音堂?(駒場4-3)

扉や柱に彫刻がほどこしてある。

Dsc06714 駒場の坂 駒場1-23と1-26の駒場中公園の間を南東に上る。坂上にみどりが丘幼稚園。 《地図

幅2m足らずの歩行者のみの坂。寺原駅への通勤や、寺原小学校への通学路として地元で親しまれている。『取手の坂道愛好会の資料から』

Dsc06717_2 坂下方向

Dsc06721_1 神明社(本郷3-12)

Dsc06723_1 鹿島神社(本郷3-11)への坂

左側が神社。坂上から本郷西坂の下りとなる。

Dsc06725 猿田彦大神(神社境内)

Dsc06726 疱瘡神(左)・道祖神(右)

Dsc06729 庚申塔

右は享保元年(1716)の銘。

Dsc06734_1 本郷西坂 本郷3-10と3-14の間を西から南西方向に上る。《地図》 

本郷集落の西に位置するので、地元ではこう呼ぶ。昔はもっと曲がりくねっていた。田んぼの向うに筑波山の峰々が美しく望まれる景勝の地。『取手の坂道愛好会の資料から』

Dsc06736_1 坂上方向

Dsc06737 坂下方向

曇り空で筑波山の峰々は見えず。

Dsc06750 東漸寺(本郷3-9)

仁王門から「目隠し銀杏」

昔、観音堂の前を馬に乗って通ると必ず落馬した。観音さまのいたずらだから、道が見えないようにと銀杏を植えた。『取手の昔話』

Dsc06754 春日神社(本郷3-6)

Dsc06760_1 山崎の坂 本郷3-5と3-6の間を南西に上る。《地図》 

昔、このあたりに山崎某という大地主の土地があったのでこう呼ばれるようになった。近くには大正14年に開校した寺原尋常小学校の跡地があり、昭和20年代に建築された木造校舎が現存し、「ときわ学園」の一部として利用されている。『取手の坂道愛好会の資料から』

Dsc06762 坂下方向

Dsc06767_1 坂上方向

Dsc06770_1 新宅の坂 本郷3-3と3-7の間を北方向に上る。《地図》 

「新宅」は屋号か、このあたりの字名か?

Dsc06772 坂上方向

Dsc06777 井野台さくら公園

手前は桃の木?

Dsc06780 阿弥陀坂下から

Dsc06789 台宿保育園脇の坂(台宿2-13)

Dsc06809 さくら坂

桜の下に坂標

Dsc06826小堀(おおほり)の渡し

運動公園サッカー場前乗場から対岸の小堀側乗場(左上)の利根川両岸を結ぶ市営の渡し船。

Dsc06827 小堀の渡しの航路

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