あきる野市の坂-11
2007年5月11日
東秋留駅(五日市線)・・・屋城旭通り・・・まつや坂・・・昭和橋(JR五日市線)・・・中坂・中坂稲荷・・・とねやまの道・との坂・五日市街道・耳だれ地蔵・・・梨の木坂(ところてん坂)・ざくざく婆の湧水跡・・・多西橋(平井川)・・・森山神社・明神坂・・・いずみ通り・・・ばったん坂・・・福寿庵坂・白石の井戸跡・福寿公園・・・おりきの坂・・・八幡神社①・・・平高橋(平井川)・・・クラブの坂・八幡神社②・・広済寺・・・北宿坂・・・玉泉寺・・・大坂(寺の坂)・・・東秋留駅
東秋留駅から東に前田耕地遺跡(前田公園)を過ぎ、都道166号を渡り屋城旭通りに入りまつや坂に出ました。坂上を北に行き昭和橋(JR五日市線)を越え東に入ると中坂が下っていて、坂下近くの崖上に中坂稲荷大明神の小祠があります。坂上近くから北に向うのが「とねやまの道」で、との坂の下りとなり五日市街道に出ます。五日市街道との辻に馬頭観音と庚申塔、向い側に耳だれ地蔵の小堂があります。もとの五日市街道は庚申塔の所から崖下へ下り、平井川は黒橋という板橋を渡り、多摩川を船で渡っていたそうです。
五日市街道の二宮交番のところから北に入り北宿通りに出て西に行くと、梨の木坂が多西橋の方へ下っています。途中のざくざく婆の湧水は涸れてしまったようです。多西橋を渡り森山神社の北側の明神坂を上りました。この道は新しい道で昔の明神坂の様子とは全然違っているようです。いずみ通りを上るのがばったん坂らしいのですが、この坂も昔の面影はありません。いずみ通りをさらに北西に進むと森山会館(福寿庵跡)の前に福寿庵坂が下っています。坂の途中に、白石の井戸の新しい説明板が設置されています。あきる野市では説明板があるところは珍しいです。しかし崖下の白石の井戸も涸れてしまっているようでした。坂下の共同井戸として使われていたという福寿庵井戸はまだ水をたたえていました。
いずみ通りの平高橋の手前を北方向に上るのがおりきの坂でしょう。今は短い坂ですが昔は平井川の方まで下っていたのでしょうか。平高橋の先の八幡神社①へ寄り、橋を渡るとクラブの坂の上りとなります。八幡神社②の所から左(南東)に入り、広済寺へ寄ってから少し戻って北宿坂を上りました。この坂は今は短い傾斜もゆるい坂になっています。坂上の北宿通りとの辻に壊れかけた庚申塔が立っています。庚申塔の所から細い道を南に行くと玉泉寺の墓地に出ます。境内から大坂(寺の坂)の坂下近くに出て、小宮神社前を通って東秋留駅に向いました。
*クラブの坂・大坂は「あきる野市の坂-10」に記載。
【地図】写真をクリックすると拡大します。
まつや坂 二宮東2-8と2-9の間を北に上る。《地図》
昭和40年に開通した二宮の真土(まっち)から谷後(やご)を結ぶ坂。『秋川市地名考』
中坂 二宮東3-8と二宮2162の間を北西に上る。《地図》
大坂(寺の坂)とまつや坂の間の坂ということか?まつや坂は新しい坂なのだが。
中坂の坂上からとの坂へゆるやかに上る。
との坂 中坂の坂上から北に上って、五日市街道へ下る。(坂下の五日市街道との辻近くから)《地図》
このあたりは二宮城跡と推定され、「との(とね)山」といわれていた。「とね」刀祢が「との」殿に変化したのでは。『秋川市地名考』
梨の木坂(ところてん坂) 多西橋(平井川)から南西に上る。《地図》
昔、宮川さんという人が坂の傍の畑で梨を作っていたからというが異説もある。平沢の梨の木沢へ下る坂であったからではあるまいか。『秋川市地名考』
「お滝」とよばれていた湧水。昔はさびしい所でざくざく婆が、毎晩小豆を洗いに出たといわれていた。ざくざく婆を見た者はいませんでしたが、ざくざくという小豆を洗う音はよくしていたということです。『秋川市ふるさとの道』 各地に残る「小豆婆ア」の話と同じだろう。小祠がある。
別名の「ところてん坂」の由来話:「ざくざく婆の湧水の坂道はうす暗いところだったが、二宮劇場で菊芝居がある時は、多西の方からの客はみんなこの坂を通った。この時ばかりは銀座通りのようににぎやかになり、冷たい湧水を使ってところてんを売る人が現れた。このところてんはおいしいと評判になり、ところてん屋はたいそう繁盛したという。そして、いつしかこの坂を「ところてん坂」というようになった。」 『秋川の昔の話』
明神坂 草花の森山神社(草花275)北側に沿う坂《地図》
江戸時代は森山神社は森山明神社と呼ばれていた。
ばったん坂 明神坂の坂上あたりから北西に上るいずみ通り。《地図》
坂下の平井川近くの水車の音が「ばったん、ばったん」と聞こえたのだろうか?
福寿庵坂 いずみ通りの草花の森山会館前から北西に福寿公園に下る。《地図》
坂上の森山会館のところに明治時代まで臨済宗の福寿庵という寺があった。
福寿庵坂も出てくる。
元は白い石の真ん中の穴から湧水が出ていたが、石は盗まれて今はない。正月の繭玉作りにはこの水をもらいに来る人で賑わい露店も出たという。
かつては共同井戸、洗濯場として使われていた。
正面の道路上が福寿庵のあった所。現在は森山会館
おりきの坂 いずみ通りから草花835と870の間を北に上る。《地図》
鎌倉街道で、下の平井川に「おりき淵」があった。坂の付近が「おりき」と呼ばれた地域であろう。「おりき」の由来はさだかでない。茨城、栃木などの方言で、霜柱を「おりき」という。『秋川市地名考』
橋自体が傾斜している。
平井川の方へ下る坂。
天正15年(1587)創建の臨済宗建長寺派の寺。
玉川上水工事の時、平沢からの力自慢の人夫が、帰りに庭の置き石によいと手玉にとって持ち帰ったという石。
北宿坂(松街道の坂) 平沢330と326の間を南に上る。《地図》
古くから居村と秋留台の耕作地を結ぶ重要な道だった。昭和6年の改修工事で現在のような形状になった。『秋川市地名考』
欠けて変形してしまっているのか、何とも奇妙な形だ。
梨の木坂の坂上近くに下宿の秋葉山の石灯籠があるというが見逃した。 北宿は西から、上宿、中宿、下宿に分かれる。
玉泉寺(二宮2265)
天台宗延暦寺派の寺。創建は不詳。明治6年から24年まで二宮小学校として使用されていた。
北宿の醤油醸造元が寄進。
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