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2007年5月 5日 (土)

あきる野市の坂-9

2007年5月5日

Dsc08726_1 秋川駅(五日市線)・・・稲荷坂・・・不動坂・・・神明社・・・瀬戸岡歴史環境保全地域(右の写真は尾崎橋へゆるやかに下る道)・・・尾崎橋(平井川)・・・尾崎観音堂・宝蔵寺・・・四軒在家(しけんざき)坂・・・道祖神・福泉寺坂・福泉寺・・・西多磨霊園・・・ずめり坂(すってくりょう坂)・兄弟塚・・・御判坂・・・鯉川橋・・・草花通り・・・久保坂(地蔵坂)・・・きつね坂跡あたり・・・代田橋(平井川)・・・おっぽり坂・・・珠陽院・寺坂・・・猿田彦碑(庚申塚)・・・秋川駅

 秋川駅から滝川街道に出て北に進み、稲荷坂と不動坂を下りました。今は稲荷社も不動堂もありません。不動坂の坂上を西に入り木立の中の神明社から北に国道184号を越えると、このあたりは瀬戸岡古墳群のあったところで都の保存地区です。坂を下ったところに大きな説明板が設置されていますが字が消えかかっていて何が書かれているか判読困難。ゆるやかに下って尾崎橋を渡り尾崎観音堂に寄り、東へ静かな小径を行き滝山街道の四軒在家坂の途中に出ました。坂の途中に地蔵堂、坂上に庚申塔があります。坂上を進むと道祖神が立つところから福泉寺坂が下って、寺の脇を通り北の方へ上り坂となり西多磨霊園の前に出ます。霊園の南側のずめり坂に兄弟塚があります。ここは面白い「すってくりょう」の伝承を持つところです(後述)。

 西多摩霊園の入口に戻り、滝山街道を北に進むと御判坂の下りとなって鯉川橋まで下り、橋を越えると上りとなります。坂下から草花通りに入るとゆるやかな上り坂となり小宮久保上バス停を過ぎ、上りきったあたりで南方向へ入るとゆるやかに下り、地蔵堂のあるところから傾斜を増して久保坂(地蔵坂)が下っています。坂下から平井川沿いに南東に進み、御堂中学校の北側あたりの崖の間の細い急坂というきつね坂を探しましたが、崖下は中学校の校内で、その隣りには住宅ができていてきつね坂は消滅してしまったようです。今は大きく迂回する坂が崖上まで続いています。坂下から南に、代田橋からおっぽり(お堀)坂を上り、坂上近くの珠陽院の西側に沿う細い寺坂を下りました。

 寺坂下を西に行くと瀬戸岡会館の庭に瀬戸岡古墳の蓋石だったという、亀の子石が置いてあります。昔は用水堀の橋に使われていたそうです。会館から南に行くと三叉の辻に猿田彦の碑が立っています。このあたりは「庚申塚」という字名が残っているところです。滝山街道に出て秋川駅に向いました。 

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc08714 稲荷坂 滝山街道(国道411号線)の瀬戸岡南交差点から南西に上る。《地図

以前、坂近くに稲荷社があった。『秋川市地名考』

Dsc08715_2 坂下から

Dsc08718 不動坂 瀬戸岡南交差点から北に下る滝山街道。

明治41年の道路改修工事の際、坂途中から不動尊が掘り出され、坂の東側に小さな堂を作り祀ったが、昭和33年の改修工事で不動堂は除かれた。現在不動尊は珠陽院に安置されている。不動尊はあらかじめ岸野某という人が土中に埋めておいて人夫に掘らせたのだという。『秋川市地名考』

Dsc08717 坂上方向

Dsc08719 神明社(瀬戸岡445)

「お伊勢森」と呼ばれる木立の中にある。祭神は天照大神。

Dsc08724瀬戸岡歴史環境保存地域(国道184号を越えた神明社の北側)

左側の段丘上に瀬戸岡古墳群がある。

Dsc08736 尾崎観音堂(菅生263・宝蔵寺境内)

秘仏は胎内仏のため、安産・子授けの観音様として信仰されている。堂の前に願かけ絵馬がかけられている。

Dsc08734「大願成就」で奉納された額絵。

子が授かったお礼だろう。

Dsc08737_1四軒在家坂への道

尾崎観音堂から東へ。

Dsc08738気分のいい道だ。

Dsc08741 四軒在家(しけんざき)坂(坂下方向) 不動坂下の菅瀬橋(平井川)から北に上る滝山街道。《地図

江戸時代の中頃、久保から二軒、若宮から二軒がこの地に移り住んだことからこの名が付いた。『秋川市地名考』

Dsc08744 坂途中の地蔵堂から

Dsc08745 堂内の地蔵さん

Dsc08742 坂上方向

Dsc08749 庚申塔(四軒在家坂上)

天保13年(1842)の建立。

Dsc08751_1 道祖神(中)・馬頭観音(左右)

福泉寺坂の坂上、道祖神は男根を形どったようにも見える。左脇に文化12年(1815)の銘がある。右の馬頭観音は天保15年(1844)の銘。『秋川市ふるさとの道』

Dsc08752 福泉寺坂(南側の坂) 四軒在家坂上から北東に福泉寺に下る。

Dsc08755 福泉寺(菅生629)

臨済宗建長寺派の寺。開山開基は不明という。

Dsc08756 福泉寺坂(北側の坂)

福泉寺から北西に滝山街道に上る。

Dsc08767_1ずめり坂(坂下方向) 菅生の西多摩霊園南の八雲神社前の「兄弟塚」の前から南方向に下る。 《地図

「すってくりょう」の話 鎌倉時代、武蔵七党の横山党の菅生の土豪小倉二郎経孝の子に菅生太郎と次郎の兄弟があった。次郎が兄の愛馬を田かきに使ったため、兄が怒って弟を成敗するといって追いかけた。弟は逃げて鯉川淵の不動尊から御判坂を上り、この坂を駆け下りるうちに、すべって転んだため、追いかけてきた兄に切り殺された。兄も自刃し、兄弟共に相果てた。兄弟の倒れたこの坂の山林に剃髪せずに並べて葬ったのが兄弟塚。ここを通ると「そってくれ」と声がかかるので、ここを「すってくりょう(坂)」と呼ぶようになった。『秋川昔物語』・『兄弟塚説明板』などから。 「ずめり」は「すめる」の訛ったものであろう。この坂でけがをするとなおらないといわれている。『秋川市地名考』 「すめる」は「すべる」の方言か?

Dsc08760 兄弟塚説明板

Dsc08761 兄弟塚(右の塚)

鳥居は八雲神社

Dsc08762 左の塚

Dsc08764 兄弟塚からずめり坂方向(写真の上の方)

Dsc08780 御判坂 滝山街道の鯉川橋交差点から南に上る。《地図》(地図では下菅生橋となっている)

坂名の由来不明。近くに御判塚、御判形があるようだが。読み方は、「ごはん」、「ごばん」?

Dsc08782_1 坂下方向

Dsc08786 坂上方向

Dsc08787_1 庚申塔と地蔵と後ろは「すってくりょう」の話に出てくる不動尊の堂か?(御判坂下の鯉川橋のそば)ここが御判塚だろうか?

Dsc08799_1 久保坂(地蔵坂) 草花2734あたりから北東に上る。《地図

坂上近くに応永年間(1394~1427)に陽向寺開祖の玉仲和尚が創立したと伝える地蔵堂(写真の正面左)がある。

Dsc08809 堂内の地蔵

弘法大師の爪書きの地蔵といわれ、自然石に地蔵尊が陰刻してあるという。

昔話「爪彫り地蔵」 弘法大師が小宮久保の渡しで平井川を渡ろうとしたが大雨で川の水が増えて渡れずに困っていた。大師は近くの家で雨宿りを頼んだが断られ、村はずれに来てしまった。一軒の家が大師を向い入れ世話をしてくれた。旅立つ時、大師は爪で石に地蔵を彫り、家の人に渡した。地蔵は願いをよくかなえてくれ、このことが村中に知れ、地蔵を彫ったのが弘法大師とわかり、人々はお堂を建てて地蔵様を祀った。『秋川昔物語』

Dsc08805 地蔵堂から久保坂

Dsc08812 坂下方向

Dsc08811 坂上方向

Dsc08819 きつね坂跡近くの坂

左の方へ上り御堂中学校の崖上に続く。きつね坂は草花2843の南あたりの崖の間を抜ける細い坂道。昔、狐の嫁入りが見られたという伝説がある。

Dsc08823 おっぽり(お堀り)坂(代田橋から) 代田橋(平井川)から瀬戸岡と原小宮の間を南西に上る。《地図

水がよく流れるように掘ったので、そう呼んでいた。『秋川市地名考』

Dsc08824 代田橋の下の平井川

ここを掘ったのだろうか。

Dsc08826 坂下方向

Dsc08827 珠陽院(瀬戸岡511)

応永8年(1401)開山という臨済宗建長寺派の寺。「不動坂」の不動尊が安置されているという寺。

Dsc08828_1 寺坂 瀬戸岡の珠陽院の西側を北方向に下る。《地図

Dsc08830坂上方向

Dsc08832 亀の子石(瀬戸岡489?の瀬戸岡会館内) 《地図

瀬戸岡古墳の石室の蓋。昭和10年頃まで菅瀬橋近くの用水堀の橋に使われていた。

Dsc08831_1 説明板

Dsc08835 「猿田彦碑」

瀬戸岡会館の南の「庚申塚」の辻。

元は「庚申塔」と刻まれた角柱石が、昭和40年頃まで脇に倒されていたという。『秋川市ふるさとの道』

Dsc08834_1天保4年と刻まれているが、土地の人の話では、明治初年に建立されたものだそうだ。『秋川市ふるさとの道』

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