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2007年5月26日 (土)

福生市(東京都)の坂-1

2007年5月26日

福生(ふっさ)駅(青梅線)・・・新奥多摩街道・・・堂坂・薬師堂・神明社・・・加美上水橋(玉川上水)・玉川上水旧堀・・・新堀橋・金毘羅神社・・・かに坂下の写真)・かに坂公園・・・長徳寺・田村酒造・・・宮本墓地(福生霊苑)・かに坂地蔵・・宮本橋・観音堂・・・奥多摩街道・・・せせらぎ通り・・・ほたる公園・・・富士見公園・・・(五日市線)・・・福生院・・・清水坂・・・明神坂・・・熊川神社・・・せせらぎ通り・・・(睦橋通り)・・・千手院・・・睦橋通り・・・八雲神社・真福寺・・・王坂(旧日光街道)・稲荷社・・・拝島駅(青梅線)→牛浜駅・・・地蔵坂・・・牛浜駅

 【ルート地図】①(福生駅~拝島駅)・【ルート地図】②(牛浜駅~地蔵坂)

 犬も歩けば何とやらで、今日は歩いていて偶然、予定外の新しい坂を見つけました。堂坂と清水坂です。福生駅から新奥多摩街道を羽村方向へ行き、街道沿いの神明社に寄りました。神社前の小公園の「堂川の湧水」の説明板に堂坂が載っていました。脇に復活した湧水が流れています。
 西に奥多摩街道を渡り、玉川上水の加美上水橋から北の新東京百景の新堀橋までDsc09474_1行き、多摩川と玉川上水の間のかに坂公園へ入りました。ここから玉川上水の方へ上るのが「かに(蟹)坂」で、面白い民話の由来話があります。民話に出てくる「かに地蔵」があるという宮本墓地を探すのに一苦労。宮本墓地内でも地蔵を探してウロウロ。墓地の一角に古い庚申塔や寒念仏塔などが立っている所の奥の地蔵さんがそれらしいと見当をつけましたがはっきりせず、なおも墓地内をウロウロ。怪しまれたのか管理事務所の人(らしい)に声を掛けられ、色々話を聞いてやっぱり見当をつけたのが「かに地蔵」のようで一安心。

 宮本橋(宝蔵院橋)、観音堂(宝蔵院跡)と民話にゆかりの所を通って、奥多摩街道を南東に進み、福生第7小学校へカーブする坂を下り、せせらぎ通りに入りました。奥多摩街道の通る拝島段丘のハケ下の道で、小川が流れる気持ちのいい道です。所々から段丘上へ坂が上っていて、清水坂、明神坂もその一つです。せせらぎ通りを進んで睦橋通りを越え、地蔵坂にあった地蔵さんがおさまっているという千手院に寄りました。地蔵さんは立っていましたがそれが地蔵坂の地蔵だったかは誰も聞く人は見当たらずはっきりしません。(聞いても分かる人はいないでしょう。寺の住職なら分かるかも) 

 睦橋通りを東に上り、拝島駅近くの旧日光街道へ入りました。今はゆるやかな上り坂で、これが山王坂です。今は坂上の青梅線で行き止まりの角の稲荷社の所に昔、牛頭天王社があったそうです。拝島駅から青梅線で一駅の牛浜駅から市民会館沿いの五日市街道の地蔵坂へ向いました。今はただの広い車道で傾斜もゆるく地蔵さんが立っていて縁日は老若男女で賑わったという昔の面影はまったくない坂で、予想していたとはいえ、ちょっと寂しくもありガッカリもしました。

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc09446 堂坂(坂上方向) 新奥多摩街道から神明社の北を南西に下る。 【ル-ト地図】①の①

昔、坂上近くに念仏堂(薬師堂とも)があった。昭和38年頃まで、坂下の神明通りを坂のふもとを水源とする堂川が流れていた。

Dsc09449 坂下方向

Dsc09441 堂川湧水由来

「堂坂」も出てくる。

Dsc09444 堂川湧水(神明社の下の公園内)

井戸水を使って復活させた。左側が堂坂。

Dsc09432 薬師堂前の地蔵

右から六角車地蔵、延命地蔵、子育地蔵

Dsc09436 薬師堂(福生1081)

後ろは神明社。

Dsc09440 薬師堂由来

Dsc09437 神明社(福生1081)

Dsc09456 玉川上水旧堀

加美上水橋近く

Dsc09455 説明板

Dsc09464 新堀橋から下る坂

新堀橋は新東京百景の75。正面の鳥居は金毘羅神社。

Dsc09460 坂上方向

Dsc09472 かに坂公園から多摩川

Dsc09471 かに坂(坂下から) かに坂公園から南東に上る。 【ル-ト地図】①の②

右は「かに坂公園」

Dsc09477 坂下方向

坂名の由来は、かに(蟹)が助けてくれた娘に恩返しをするという民話『かにのおんがえし

Dsc09482 田村酒造(福生626)

文政5年(1822)創業。

Dsc09492 かに地蔵(いぼとり地蔵) かに坂に立っていたという。今は福生霊苑(宮本墓地内(福生1182))にある。 【ル-ト地図】①の③

奥(六地蔵の後ろに立つ)が元の「かに地蔵」で、手前の祠内が新らしい「かに地蔵」らしい。(福生霊苑の管理事務所の人?から聞いた話から推量。事務所の人も「かに地蔵」「いぼとり地蔵」という名前、由来は知らなかった。)

Dsc09490_1 かに地蔵

いぼとり用の小石は供えられてなかった。何の地蔵さんか今は知られていないようだ。

Dsc09488 観音堂(玉川上水の宮本橋のところ)

民話の宝蔵院跡、宮本橋は宝蔵院橋といった。

Dsc09493奥多摩街道からせせらぎ通りの福生第7小学校へ下る坂。

斜度12%の標識が立っている。

Dsc09496 坂下から

Dsc09503 清水坂

Dsc09502_2 清水坂(坂上方向) 熊川674と683の間を南東から東に上る。 【ル-ト地図】①の④

拝島段丘のハケ下(今のせせらぎ通り)から湧く清水による坂名だろう。

福生市の民話『酒とからす天狗』に清水坂が出ている。

Dsc09506 坂下方向

Dsc09511_1 せせらぎ通りから福生院(熊川716)の方へ上る坂(坂下方向)

Dsc09516 熊川神社拝殿(熊川659)

Dsc09514 本殿説明板

Dsc09519 明神坂(坂下方向) 熊川336と655の間を北西にせせらぎ通りに下る。《地図

坂上の熊川神社は昔は礼拝大明神と呼ばれていた。

Dsc09520_1 坂下のせせらぎ通りから

Dsc09523 旧明神坂か?

今は廃道のようだ。

Dsc09529 千手院(熊川20)

Dsc09526_1地蔵(千手院の墓地内)

地蔵坂に立っていた地蔵さんだろうか? 自信はない。

Dsc09533 八雲神社

Dsc09535_1 天王坂(坂上方向) 熊川の国道16号の武蔵野南橋交差点から北東に上る旧日光街道(千人同心日光道)。 【ル-ト地図】①の⑤

坂上の現在稲荷社のところに牛頭天王社があった。『福生市史資料編 民俗下』

今は坂上から先は青梅線で遮断されているが、昔は旧日光街道が続いていたのだろう。

Dsc09538 坂上から

Dsc09536_1 坂上の稲荷社

ここに牛頭天王社があった。

Dsc09537_1  稲荷社説明板

Dsc09428_1 地蔵坂(坂下方向)牛浜の市民会館前を西に下る五日市街道。右側が市民会館。坂上はJR八高線、《地図

昔は地蔵さんが立っていて縁日には市が立ち、芝居もかかって子どもも大人も縁日を待っていた。地蔵さんは2.3度引越し、今は千手院の共同墓地におさまっている。『福生市史資料編 民俗下』

Dsc09429 坂上方向

Dsc09524 せせらぎ通り

Dsc09525 

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2007年5月18日 (金)

取手市の坂-5

Dsc09338_2 2007年5月18日

取手駅 バス→中妻バス停・・・直右衛門(なおえもん)坂・・・東谷寺・・・香取神社・・・治兵どん坂・・・明星院・薬師堂・・・大聖寺不動堂・・・山王台住宅・東坂・・・西坂の写真・・・大(第)六天坂・・・馬(ま)坂・・・面足(おもたる)坂・面足神社・・・浅間神社・・・城根バス停→取手駅

 前回(5月16日)の続きで、小文間の坂を歩きました。県道の中妻バス停から南に入り、宗四郎坂の西側の直右衛門坂を下りました。坂上の東谷寺、坂下近くにあったという小文間城は戦国時代の一色氏にゆかりのところで、坂下を行くと利根川の河川敷に出ます。坂上の香取神社に寄り、市営南住宅の南側から今は利根川に通ずる遊歩道のような治兵どん坂を下りました。坂上に戻り、県道の北側に入り、明星院、薬師堂から大聖寺不動堂に出ました。本尊の不動明王は今流行りの「麻疹(はしか)」に霊験あらたかだそうです。

 不動堂の裏手の足尾山の小社は、足腰の病にご利益があるようで、サンダルがいくつも吊るされています。足尾山の向いは山王台住宅で、東から住宅に上る東坂は真っ直ぐな坂で、西から上る西坂はカーブして東と南東分かれて住宅に上る静かで美しい坂で気に入りました。西坂の坂下を南方向に行くと上りとなります。これが大六天坂で、坂上で面足坂の坂下、馬坂の途中に出ます。
 面足神社から木の階段坂を馬坂の坂下近くに下り、西へ城根バス停そばの浅間神社に寄りました。境内に全国的にも珍しいという男女二体が並ぶ疱瘡神の石造があります。

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc09263_1 直右衛門坂(坂上から) 小文間5519から南に入り、南東から南に下る。《地図

坂の途中に海老原直右衛門の屋敷があった。今も坂上に海老原家はある。

Dsc09271 坂上方向

このあたりは「城の台」といわれ、戦国時代には一色宮内政義の小文間城があった。『取手町郷土史資料集 第一集』 写真左側の台地上あたりか。写真左側の台地上あたりか。

Dsc09282_1 東谷寺 《地図

真言宗豊山派の寺。一色宮内政義が小文間城の鬼門除けの寺として建立という。利根川(取手)七福神の弁財天。

Dsc09285新四国相馬霊場第66番札所(東谷寺境内)

Dsc09246_1 香取神社(小文間4236? 直右衛門坂の坂上近く)

Dsc09287_1 治兵どん坂(正面の暗い所から下る) 小文間の市営南住宅の西側から南方向に下る。《地図》(道筋の標示はない)

坂下に大竹治兵衛さんの家があったようだ。『取手町郷土史資料集 第二集』の南部落住居分布図による。

Dsc09289 坂上方向

Dsc09294_1 坂下の利根川河川敷から

Dsc09296 利根川の流れが少し見える。(坂下のサイクリングロードから)

Dsc09301 明星院(小文間3911)

利根川七福神の恵比寿

Dsc09302 第19番札所(明星院境内)

Dsc09306成龍寺薬師堂(明星院の東側)

Dsc09305_1 第17番札所(薬師堂の前)

Dsc09309_1 薬師堂の北側の坂

新しい道でカーブがきれいな坂

Dsc09311 大聖寺不動堂(小文間3937)

Dsc09314 不動明王

俗に「麻疹不動」といい、もとは西方部落の旧家の中村一族の守り本尊。

いま流行りの「はしか」に霊験あらたかという。東京芸大の学生たちがはしか予防にお参りに来ればいいものを。まあ、来るわけがないけど。

Dsc09312_1第54番札所(不動堂境内)

Dsc09324_1 足尾山神社(不動堂裏)

Dsc09323_1 足腰にご利益があるのだろう。サンダルが吊るされている。

Dsc09326 山王台住宅案内図

右下に「東坂」・左上に「西坂」の標示がある。

Dsc09325東坂 山王台住宅へ東から上る。《地図

Dsc09329 坂上から

Dsc09328 西坂

Dsc09332 西坂(北へ下る坂下方向)

Dsc09340_2 下って右(東)に上る坂と左(南西)に急カーブして下る坂の分岐点

Dsc09334

坂上方向(右(東)に上る坂)

Dsc09335 坂下方向(上の写真の坂上から)

Dsc09341_1 分岐点から左(南西)に下る。

Dsc09343 坂下から《地図

Dsc09344_1 大六天坂(坂上方向) 面足坂の坂下(馬坂の途中)から市営大利根団地の西側を北東に上る。《地図

大(第)六天を祀る面足神社へ通ずる坂。

Dsc09348_1 坂下方向

坂下から西坂(山王台住宅)の坂下に続く。

Dsc09356 馬坂(まさか) 小文間の県道の馬坂バス停あたりから南東に上る。(馬坂バス停から坂上方向) 《地図

今は長いがなだらかな坂だが、昔は馬も苦労した急坂だったのだろう。

Dsc09354 坂上近く

Dsc09355 坂下方向

Dsc09352_1 面足坂(右) 馬坂の途中から北西に面足神社へ上る。《地図

左は馬坂

Dsc09351 面足神社説明板(面足坂下)

Dsc09357_1 坂下方向

右は馬坂

Dsc09365 坂上から利根川

Dsc09370 面足神社

通称第六天と称し、面足尊を祀る。平成8年火災で焼失、平成14年再建。

今は廃寺となった安養寺から第六天を移したという。『房総石造文化財研究会 会報№15号』より。

面足尊は神世七代の第六代の神。中世には神仏習合により仏教における天界最高位である第六天魔王の垂迹とされ、主に修験道で信奉された。明治の神仏分離で、第六天魔王を祀る寺の多くは神社となり、「第六天神社」、「面足神社」と改称された。『フリー百科事典ウキペディア』より。

Dsc09386_1 浅間神社(城根バス停そば) 《地図

Dsc09391_1 疱瘡神(浅間神社境内)

男女二体の疱瘡神が並ぶのは全国的にも珍しいという。享保4年(1719)の銘

Dsc09388疱瘡神(右)・左は?大明神(浅間神社境内)

天保7年(1836)の銘

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2007年5月16日 (水)

取手市の坂-4

2007年5月16日

Dsc09225_1 取手駅(常磐線)バス→戸田井・・・戸田井橋(小貝川)・・・動坂・・・城の内坂・・・観音堂・西光院・白山神社・・・城の内天神社跡・・・城之内共同墓地・・・東京芸大バス停(県道)・・・四郎右衛門坂・・・地蔵堂・・・宗四郎坂・首切り地蔵・・・丸山稲荷・・・四郎右衛門坂・・・小文間小学校・・・(県道)・・・大日堂・百庚申・大日坂(上の写真)・春日神社・・・勘右衛門坂・福永寺・・・中妻バス停 バス→取手駅

 【ルート地図

 「取手の坂道愛好会」の資料を参考に、小文間(おもんま)の坂を東から歩きました。県道(動坂)が出来る前は幹線道路だったという城の内坂は今は昔の面影を残すひっそりとした裏道です。坂上で県道の天神前バス停近くに出ます。道路沿いの竹薮の中あたりが小文間城主一色宮内氏の城の内天神社あったところのようです。天神前バス停近くから県道の南側に入り坂を下って、日鉱団地の奥にあるという中田坂を探して松陽高校の南の方まで行ってみましたが道は途切れ、それらしい坂は見つかりませんでした。

 県道に戻り東京芸大のバス停から南側に入りました。小文間小学校の近くで県道を挟んで南側に四郎右衛門、宗四郎、直右衛門(未訪)、北側に勘右衛門など似たような名前のついた坂が並んでいてちょっとややこしいです。北側の坂下には田んぼが広がり、南側の坂は利根川の河川敷へ続きます。

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc09119 戸田井橋から小貝川

昔は「戸田井の渡し」と「南の渡し(神出の渡し)」があったそうだ。

Dsc09120_1 戸田井橋から動坂を望む。

正面の上り坂が動坂。

Dsc09127_1 動坂(坂上方向) 小文間の取手松陽高校の北側を北西に上る県道11号。 《地図

東京文京区の動坂のように、坂の近くに不動尊を祀るお堂があったのだろうか?

Dsc09124 坂下の新四国大師道の道標(左)・観音像?(右)

Dsc09126 坂下方向

Dsc09132 動坂の坂下から城の内坂への分岐点)

Dsc09133 城の内坂側から

Dsc09141 白山神社

Dsc09137_1 観音堂(右・新四国相馬霊場札所第16番)

西光院(第64番)

Dsc09148 城の内坂(坂上方向) 不動坂の坂下近くから西に入り、白山神社の北側を北東に上り県道に出る。《地図

小文間城主一色宮内政良が信仰していた城の内天神社があった。このあたり一帯に舘があり、城の内と呼ばれるようになったのだろう。(一色宮内政良政義は同一人物だろう。資料によって両方の表記がされている。)

Dsc09157城の内坂の坂上近くから北西から北東に下る坂

左の崖上の竹薮の中に城の内天神社があったようだ。(県道の天神前バス停そば) 天神社はどこへ移ったのだろうか? 確か白山神社前あたりに天満宮の小祠があったような気がするが、そこだろうか?

Dsc09154_1 坂上方向

Dsc09163 城之内共同墓地近くから下る坂(右は大師道)

トンネルに入っていくような感じ。

Dsc09178_1 四郎右衛門坂への道

Dsc09259 四郎右衛門坂(坂下方向) 小文間5355あたりから南東にから南方向に下る。《地図

坂下に倉持四郎右衛門の屋敷があった。今も倉持家はある。

Dsc09181_1坂下方向

蛍光灯がついている。

Dsc09182_2 坂下方向

Dsc09250_2 何の木か?地を這うように枝が伸びている。(坂下を進んだ所)

Dsc09208 地蔵堂(四郎右衛門坂の坂上を進んだ小文間小学校の南側の辻)

隣りの食堂の人の話では子育て地蔵。「首切り地蔵」は昔はここにあったようだ。

Dsc09189_1 子育て地蔵

顔が描かれていてなんだか返って薄気味悪い。

Dsc09191 宗四郎坂 小文間郵便局の南側から南に下る。《地図

斉藤家の祖先は戦国時代の美濃国の斉藤道三の孫の龍興で、初代の斉藤宗四郎は、幕府から小文間一帯の荒地を貰い、開拓、帰農して小文間村の草分けとして名主になった。斉藤家は代々宗四郎を名乗り、小文間はもとより近郷切っての地主であると同時に、幕府の代官伊奈氏代々の治水、土地開拓に協力し、自らは永大名主として村の実権を握っていた。『取手町郷土史資料集 第1集』より

Dsc09192_1斉藤杏庵顕彰碑(坂上近く)

杏庵は天保6年(1835)の生まれで、近郷の子弟を集め人材を養成すべく宗四郎坂の近くに「如春塾」を開いた。杏庵の死後、斉藤家は衰退した。『取手町郷土史資料集 第1集』より

Dsc09193 記念碑の隣り墓。斉藤家の誰かの墓か?

Dsc09197 坂下方向

利根川の河川敷へと続く。かつては「神出の渡し」に通じていた。

Dsc09201 坂上方向

Dsc09203 首切り地蔵(宗四郎坂の坂上近くを東に入った「アルスの森サクラ公園の隣り)

永禄4年(1561)8月、小文間城主一色宮内政義は取手の大鹿太郎左衛門を破った留守を攻められ、雁金山相野谷で亡んだ。一色家一族は東谷寺の東に葬られ、その入口には地蔵が建てられた。しかし、一族の霊は鎮まらず、亡霊が夜な夜な現れ村人をなやませた。これを聞いた小文間の名主斉藤秀政は、人をつかわして地蔵を見に行かせると地蔵の首は見事に切り落とされていた。斉藤家では盛大な供養をして、自宅の鬼門に当たる場所へ小祠を作りこれを祀った。亡霊は現れなくなったが、村人はこの地蔵を恐れ、大雨の日には地蔵前に血の雨が降ると伝えられていた。また、旧暦8月15日には地蔵尊の祭礼が行われ、ここをお参りすると頭の病や、おこりによく効くといわれている。『取手市史 民俗編(2)』

斉藤秀政は初代斉藤宗四郎で、徳川二代将軍の秀忠の頃の人物だから、村人は何十年もの間、一色家の亡霊になやまされていたことになる。小文間小学校付近を「地蔵前」と呼ぶ。昔は「子育て地蔵堂」がある辻の所にこの「首切り地蔵」は立っていたのだろう。

Dsc09247_1 丸山稲荷神社

首切り地蔵の後ろのアルスの森サクラ公園の前を進んだ林の道の中で薄暗い。

Dsc09249 丸山稲荷から下ってきた出口。

ここから四郎右衛門坂の坂下に出た。

Dsc09211_1 大日坂の坂上 小文間の大日堂の東側を北東に下る。《地図

正面左が大日堂(第72番札所)

Dsc09215 参道の左右に並ぶ百庚申

Dsc09217_1 大師堂?

Dsc09218 大日如来(本堂内)

Dsc09223_1 大日坂(坂下方向)

Dsc09226 春日神社

Dsc09231 坂下は田んぼが広がる

Dsc09232_2 坂上方向

Dsc09233_1 坂下から勘右衛門坂の坂下への道

Dsc09234_1 勘右衛門坂(坂下から) 福永寺の西側を北東に下る。《地図

坂の途中に林勘右衛門氏の家がある。

Dsc09236_1 坂下方向

右の家が林家。

Dsc09235_1 坂上方向

正面は福永寺

Dsc09243_1 海中山福永寺(小文間4264)

海中から湧いた毘沙門天が本尊。

第63番札所

Dsc09241_1坂上から

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2007年5月14日 (月)

あきる野市の坂-12

2007年5月14日

Dsc09101 羽村駅(青梅線)・・・(新奥多摩街道)・寺坂上・・・鎌倉街道・遠江(とおとうみ)坂上・・・奥多摩街道・・・羽村大橋(多摩川)・・・比丘尼坂・・・薬師堂・・・妙見堂・・・江里坂・・・折立(おったて)坂・・・八雲神社・・・慈勝寺・・・大澄(だいちょう)山(192m)・・・草花神社・まき坂・・・花蔵院・・・草花通り・・・とよ(豊)坂・・・永田橋(多摩川)・・・福生駅(青梅線)

 羽村市から羽村大橋を渡り、あきる野市に入り比丘尼坂を下りました。坂上から妙見堂まではけっこう急な石段の上りです。妙見堂から江里坂の途中へ出ようとして道を間違え、立川カントリー倶楽部の方へ行ってしまい江里坂まで行くのに苦労しました。江里坂の坂下を入り、細い折立坂を下りました。この道は多摩川の河川敷に続き、多摩川を渡し舟(折立の渡し)か仮橋で渡り、羽村の遠江坂から秩父へと通じていた鎌倉街道です。

 折立坂の坂上を南に八雲神社から慈勝寺に寄り、山門の前から大澄山へ上りました。10分もかからず山頂で、100mの高さもないと思っていたら標高192mの標識が立っていました。山頂から草花神社までは遊歩道の下りです。神社の社殿は小さく正面に急な石段の男坂が真っ直ぐ伸びていて、これを巻くように女坂のまき坂が下っています。草花神社の西側の花蔵院から草花通りに出て東へ行くと下り(上の写真)となり、左へとよ坂の下りとなって永田橋のそばに出ます。老朽化のため架け替えるという永田橋を渡り、福生市に入りました。

 寺坂・遠江坂は、「羽村市の坂-1」に記載。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc09027 羽村大橋(多摩川)

Dsc09030 比丘尼坂(右) 草花2012あたりから北西に下る。《地図

比丘尼平から下る坂。昔は非常な急坂だったが、昭和8年に現在のように改修された。『秋川市地名考』

昔話「比丘尼平」:鎌倉時代の初め、草花江里谷津の山奥に老尼(円寿院)が住んでいた。老尼は畠山重弘の娘で、下総国の千葉介常胤の夫人、畠山重忠の伯母だった。伯母の行方を探し出した重忠は伯母のために寺を建てた。この寺が慈勝寺で、老尼が初め住んでいたところを比丘尼平という。『秋川昔話』

Dsc09035_1坂下方向

Dsc09032 坂上方向

Dsc09040_1 薬師堂(江里坂下)

Dsc09042 薬師如来(堂内)

Dsc09047_1 妙見堂への石段

Dsc09048 妙見堂

Dsc09039 江里坂(坂上方向) 比丘尼坂の坂上あたりから南から南西に上る都道250号。《地図

以前は細い、雑木林を通る淋しい坂だった。坂を下り折立の渡し(川崎の渡し)を渡り羽村へ出た。『秋川市地名考』

Dsc09055_1 坂下方向

Dsc09056 坂上方向

Dsc09060 四国井戸跡?

かつて折立集落で使われていた井戸か? ヘビが泳いでいる。

Dsc09069_1 折立坂 草花1893から北西に下る。《地図

正面は羽村大橋。

Dsc09065 坂上方向

Dsc09064坂下から多摩川の川岸方向

昔は坂下から折立の渡しで多摩川を渡った鎌倉街道の道筋。今は途中で行き止まり。馬頭観音があるというが見つからず。

Dsc09072 八雲神社(草花1880)

「天王様」と呼ばれている。

Dsc09073_1 慈勝寺(草花1811)

文治4年(1188)畠山重弘の娘で重忠の伯母にあたる円寿院のために創建された臨済宗建長寺派の寺。円寿院は比丘尼坂の尼さん。後ろはタブの木(別名をナンジャモンジャ)

Dsc09076_3モッコク

都の天然記念物

Dsc09074_1 説明板

Dsc09079_1 大澄山(192m)から

Dsc09082 草花神社(草花1787)

Dsc09091_1 説明板

Dsc09081 草花神社男坂上から

Dsc09084_1 まき坂(坂下方向) 草花神社の女坂 《地図

段丘を遠巻きに上るのでこの名にしたのだろう。普通は女坂と呼ぶ。

Dsc09085_1 坂下方向

正面で男坂の石段の途中へ出る。

Dsc09097 花蔵院山門(草花1740)

正徳3年(1713)に造られた。

Dsc09096 説明板

Dsc09095 花蔵院

弘長3年(1263)創立という真言宗豊山派の寺。

Dsc09105 とよ坂上から上る草花通り

Dsc09106 とよ坂(坂下方向) 永田橋の西側から北西に上る草花通り。《地図

明治30年に河岸段丘がけずられて坂が作られた。深い所は3mも掘り下げられ坂が樋(とい)のような恰好になり「とい坂」といわれ、それが訛って「とよ(豊)」になったのだろう。『秋川市地名考』

Dsc09113_1 坂上方向

Dsc09116 永田橋から多摩川

新しい橋に架け替えるための仮橋を設置中。

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2007年5月11日 (金)

あきる野市の坂-11

2007年5月11日

東秋留駅(五日市線)・・・屋城旭通り・・・まつや坂・・・昭和橋(五日市線)・・・中坂・中坂稲荷・・・とねやまの道・との坂・五日市街道・耳だれ地蔵・・・梨の木坂(ところてん坂)・ざくざく婆の湧水跡・・・多西橋(平井川)・・・森山神社・明神坂・・・いずみ通り・・・ばったん坂・・・福寿庵坂・白石の井戸跡・福寿公園・・・おりきの坂・・・八幡神社①・・・平高橋(平井川)・・・クラブの坂・八幡神社②・・広済寺・・・北宿坂・・・玉泉寺・・・大坂(寺の坂)・・・東秋留駅

 東秋留駅から東に前田耕地遺跡(前田公園)を過ぎ、都道166号を渡り屋城旭通りに入りまつや坂に出ました。坂上を北に行き昭和橋を越え東に入ると中坂が下っていて、坂下近くの崖上に中坂稲荷大明神の小祠があります。坂上近くから北に向うのが「とねやまの道」で、との坂の下りとなり五日市街道に出ます。五日市街道との辻に馬頭観音と庚申塔、向い側に耳だれ地蔵の小堂があります。もとの五日市街道は庚申塔の所から崖下へ下り、平井川は黒橋という板橋を渡り、多摩川を船で渡っていたそうです。

 五日市街道の二宮交番のところから北に入り北宿通りに出て西に行くと、梨の木坂が多西橋の方へ下っています。途中のざくざく婆の湧水は涸れてしまったようです。多西橋を渡り森山神社の北側の明神坂を上りました。この道は新しい道で昔の明神坂の様子とは全然違っているようです。いずみ通りを上るのがばったん坂らしいのですが、この坂も昔の面影はありません。いずみ通りをさらに北西に進むと森山会館(福寿庵跡)の前に福寿庵坂が下っています。坂の途中に、白石の井戸の新しい説明板が設置されています。あきる野市では説明板があるところは珍しいです。しかし崖下の白石の井戸も涸れてしまっているようでした。坂下の共同井戸として使われていたという福寿庵井戸はまだ水をたたえていました。

 いずみ通りの平高橋の手前を北方向に上るのがおりきの坂でしょう。今は短い坂ですが昔は平井川の方まで下っていたのでしょうか。平高橋の先の八幡神社①へ寄り、橋を渡るとクラブの坂の上りとなります。八幡神社②の所から左(南東)に入り、広済寺へ寄ってから少し戻って北宿坂を上りました。この坂は今は短い傾斜もゆるい坂になっています。坂上の北宿通りとの辻に壊れかけた庚申塔が立っています。庚申塔の所から細い道を南に行くと玉泉寺の墓地に出ます。境内から大坂(寺の坂)の坂下近くに出て、小宮神社前を通って東秋留駅に向いました。

 *クラブの坂・大坂は「あきる野市の坂-10」に記載。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc08925 まつや坂 二宮東2-8と2-9の間を北に上る。《地図

昭和40年に開通した二宮の真土(まっち)から谷後(やご)を結ぶ坂。『秋川市地名考』

Dsc08928 坂上方向

Dsc08929 中坂 二宮東3-8と二宮2162の間を北西に上る。《地図

大坂(寺の坂)とまつや坂の間の坂ということか?まつや坂は新しい坂なのだが。

Dsc08931 中坂稲荷(中坂の坂下近く)

Dsc08932_1 坂上方向

Dsc08934_1 とねやまの道

中坂の坂上からとの坂へゆるやかに上る。

Dsc08937_1 との坂 中坂の坂上から北に上って、五日市街道へ下る。(坂下の五日市街道との辻近くから)《地図

このあたりは二宮城跡と推定され、「との(とね)山」といわれていた。「とね」刀祢が「との」殿に変化したのでは。『秋川市地名考』

Dsc08941_1 坂下の馬頭観音(左)・庚申塔(右)

Dsc08942 耳だれ地蔵(馬頭観音から五日市街道を渡った所)

Dsc08951_1 梨の木坂(ところてん坂) 多西橋(平井川)から南西に上る。《地図

昔、宮川さんという人が坂の傍の畑で梨を作っていたからというが異説もある。平沢の梨の木沢へ下る坂であったからではあるまいか。『秋川市地名考』

Dsc08956ざくざく婆の湧水跡(梨の木坂の途中)

「お滝」とよばれていた湧水。昔はさびしい所でざくざく婆が、毎晩小豆を洗いに出たといわれていた。ざくざく婆を見た者はいませんでしたが、ざくざくという小豆を洗う音はよくしていたということです。『秋川市ふるさとの道』 各地に残る「小豆婆ア」の話と同じだろう。小祠がある。

Dsc08954 坂上方向

別名の「ところてん坂」の由来話:「ざくざく婆の湧水の坂道はうす暗いところだったが、二宮劇場で菊芝居がある時は、多西の方からの客はみんなこの坂を通った。この時ばかりは銀座通りのようににぎやかになり、冷たい湧水を使ってところてんを売る人が現れた。このところてんはおいしいと評判になり、ところてん屋はたいそう繁盛したという。そして、いつしかこの坂を「ところてん坂」というようになった。」 『秋川の昔の話』

Dsc08957_1 多西橋から森山神社

Dsc08962 明神坂 草花の森山神社(草花275)北側に沿う坂《地図

江戸時代は森山神社は森山明神社と呼ばれていた。

Dsc08965 ばったん坂 明神坂の坂上あたりから北西に上るいずみ通り。《地図

坂下の平井川近くの水車の音が「ばったん、ばったん」と聞こえたのだろうか?

Dsc08967 坂下方向

Dsc08982_2 福寿庵坂 いずみ通りの草花の森山会館前から北西に福寿公園に下る。《地図

坂上の森山会館のところに明治時代まで臨済宗の福寿庵という寺があった。

Dsc08980白石の井戸説明板

福寿庵坂も出てくる。

Dsc08985 白石の井戸跡?(福寿庵坂の崖下)

元は白い石の真ん中の穴から湧水が出ていたが、石は盗まれて今はない。正月の繭玉作りにはこの水をもらいに来る人で賑わい露店も出たという。

Dsc08975_1 福寿庵井戸(坂下)

かつては共同井戸、洗濯場として使われていた。

Dsc08977_1 福寿公園から

正面の道路上が福寿庵のあった所。現在は森山会館

Dsc08989 おりきの坂 いずみ通りから草花835と870の間を北に上る。《地図

鎌倉街道で、下の平井川に「おりき淵」があった。坂の付近が「おりき」と呼ばれた地域であろう。「おりき」の由来はさだかでない。茨城、栃木などの方言で、霜柱を「おりき」という。『秋川市地名考』

Dsc08990 坂下方向

Dsc08991 平高橋(平井川)

橋自体が傾斜している。

Dsc08995_2馬頭観音(平高橋から八幡神社へのいずみ通り沿い)

Dsc08996 八幡神社①(草花792)

Dsc08997 平高橋脇の坂。

平井川の方へ下る坂。

Dsc09000 広済寺(平沢732)

天正15年(1587)創建の臨済宗建長寺派の寺。

Dsc09003 お手玉石

玉川上水工事の時、平沢からの力自慢の人夫が、帰りに庭の置き石によいと手玉にとって持ち帰ったという石。

Dsc09002お手玉石説明板

Dsc09012 北宿坂(松街道の坂) 平沢330と326の間を南に上る。《地図

古くから居村と秋留台の耕作地を結ぶ重要な道だった。昭和6年の改修工事で現在のような形状になった。『秋川市地名考』 

Dsc09008_1 庚申塔(北宿坂の坂上を進んだ北宿通りとの辻の所)

欠けて変形してしまっているのか、何とも奇妙な形だ。

Dsc09011 上宿の秋葉山の石灯篭(庚申塔の東側の北宿通り沿い)

梨の木坂の坂上近くに下宿の秋葉山の石灯籠があるというが見逃した。 北宿は西から、上宿、中宿、下宿に分かれる。

Dsc09015 玉泉寺(二宮2265)

天台宗延暦寺派の寺。創建は不詳。明治6年から24年まで二宮小学校として使用されていた。

Dsc09016 大樽恵比寿

北宿の醤油醸造元が寄進。

Dsc09018 大樽平和観音

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2007年5月 8日 (火)

あきる野市の坂-10

2007年5月8日

Dsc08857 秋川駅(五日市線)・・・おっぽり坂・・・代田橋(平井川)・・・代田坂・・・とうがらし地蔵・桜株・・・かじ坂(右の写真)・・・南小宮橋(平井川)・・・大行寺・・・長泉寺坂・長泉寺・・・陽向寺・・・小宮神社・・・かじ坂・・・平川南通り・・・大六天坂・八幡神社①・・・九曲(くまん)坂跡・・・クラブの坂(太梅院の坂)・・・平沢会館(太梅院跡)・八幡神社②・・・一本榎・・・大坂(寺の坂・本宿坂)・・・女坂・二宮神社・・・涸れない池・・・のべ坂・・・東秋留駅

  【ルート地図

 滝川街道からおっぽり坂、代田橋までは前回たどった道筋で、代田橋の南側から車の通行も少なく静かな代田坂を上ると、坂上近くにとうがらし地蔵、桜株などが並んでいます。ここから南小宮橋の方へ下るのがかじ坂で、この坂も広い通りですが木々が多い静かな坂です。南小宮橋を渡り、大行寺から西へ伊奈福生線(国道184号)を進み、北に長泉寺坂を上り草花通りの陽向寺まで足を延ばしました。

 陽向寺から南に真っ直ぐ行き小宮神社に寄り、平井川沿いに草花公園内の道を通り、南小宮橋からかじ坂を上って、平川南通りを東へ、公民館通りとの交差点から大六天坂を新開橋の方へ下りました。坂上近くの八幡神社①の境内の小祠が大六天らしいですが、八幡神社の社殿は今はないようです。
 坂上から平川南通りを少し東方向に進んだあたりに九曲坂があったようですが、今は舗装された私道のような道ですぐに行き止まりになり、柵の下は崖になっています。
 平川南通りをさらに南東に行くとクラブの坂が平高橋の方へ下っています。坂上近くの平沢会館が「クラブ」と呼ばれたそうで、元は太梅院という寺があったところです。すぐ先が八幡神社②で社殿もあります。ともに平沢地区内で八幡神社①がここに移ったのでしょうか?

 クラブの坂は鎌倉街道で、南に行くと一本榎の前を通り、諏訪坂を下り、六道の辻を通り雨間の地蔵院前から西光寺に出て観音坂を上って続いています。諏訪坂の坂上近くの五日市街道を東に行くと大坂(寺の坂・本宿坂)となって下り、南に入ると二宮神社です。神社の前の「涸れない池」に寄り、五日市線の方へゆるやかにのべ坂を下り東秋留駅に出ました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc08839 代田坂 代田橋(平井川)の南側から草花公園の南側を南東に上る。《地図

昔は大変急な坂道で、昭和8年に改修工事により現在のようになった。『秋川市地名考』

Dsc08840_1 地蔵さん

坂下近くの小祠内(上の写真の左の電柱脇)

Dsc08842_1 坂上方向

Dsc08849 桜株(左)・二宮神社遥拝所跡の仮社殿(中)・とうがらし地蔵(右) (代田坂・かじ坂の坂上)

桜が枯れる前は、桜の下によくお化けが出たという。

Dsc08848_1 とうがらし地蔵

歯痛や腫れ物ができた時に、とうがらしをあげると霊験があるという。もとは代田坂にあった。(改修時にここに移設)

Dsc08853 かじ坂 代田坂の坂上から北東に南小宮橋(平井川)に下る。《地図

昔、坂の降り口に鍛冶屋が住んで農具などを作っていた。『秋川市地名考』

Dsc08854 坂下方向

Dsc08858 坂上方向

Dsc08862 大行寺(草花3036)

建永2年(1207)創立という真言宗豊山派の寺。

Dsc08863 長泉寺坂 草花の御堂会館前から北に上る。坂上は多西小学校 《地図

Dsc08864 坂下方向

左が長泉寺。弘法大師の爪彫薬師像があるという。

Dsc08870陽向寺(草花2542)

応永3年(1396)創立という臨済宗建長寺派の寺。

Dsc08875_1 小宮神社 草花2981

小宮明神と呼ばれ、武蔵七党の西党の小宮氏の氏神だった。

Dsc08877_1 大六天坂 平井川南通りから平沢444と455の間を北東に下る。坂下は新開橋 《地図

秋川病院の南(平沢455?)に大六天の祠。地図(昭文社)では八幡神社と標示されている。

Dsc08885 大六天の祠か

Dsc08879_1 坂上方向

Dsc08888 九曲(くまん)坂跡 《地図》(道の標示はないがこのあたりだろう)

下の耕地へ下りる小さな坂だった。曲がりがひどいのでこう呼んだのであろう。『秋川市地名考』 今は正面で行き止まり。

Dsc08900 クラブの坂(太梅院の坂) 平川南通りから平沢595と604の間を北東に下る鎌倉街道。坂下を行くと平高橋。《地図

大正の末頃、太梅院の跡にできた平沢会館を「クラブ」と呼んだ。それ以前は太梅院の坂。『秋川市地名考』

Dsc08892_1 平沢会館(太梅院跡)

八幡神社②の南

Dsc08893 坂上方向

Dsc08894 八幡神社②

旧平沢村の鎮守

Dsc08895 坂下方向

正面は平高橋

Dsc08902 一本榎

クラブの坂上を南に行った鎌倉街道沿い。

根元は小高い塚で、昔から根元に金の延べ棒が埋まっているといわれ、「宝塚」と呼んでいる。道普請で塚の裾の所を掘ったら壺が出てきた。中には一振りの太刀が入っていた。『秋川市ふるさとの道』 
榎のある塚は古墳ではないだろうか? 何度も盗掘されてこのような伝承が生まれたのでは?

Dsc08907 大坂(寺の坂・本宿坂) (坂下方向) 神社交差点から北西に上る五日市街道

寺は北側の玉泉寺で、ここは五日市街道の二宮の本宿があった。

Dsc08908 坂上方向

Dsc08911 二宮神社女坂の坂上から

Dsc08912 二宮神社(二宮2252)

俵藤太が平将門追討の祈願をしたという旧郷社。境内その周辺からは旧石器時代以降の出土物が多い。

Dsc08919 涸れない池(二宮神社)

日本武尊(ヤマトタケル)が東征の際、国常立尊を祀ったところ水が湧き出し、以後涸れたことがないという池。「笛を吹く男の銅像」のところで、昔は雨乞いが行われた。『秋川市ふるさとの道』

Dsc08920 のべ坂(坂下方向) 二宮神社前からJR五日市線の方へ下るゆるやかな坂。傾斜はほとんどない。

坂名由来不明。

Dsc08922 坂上方向

左側は二宮神社

右側は「涸れない池」

 

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2007年5月 5日 (土)

あきる野市の坂-9

2007年5月5日

Dsc08726_1 秋川駅(五日市線)・・・稲荷坂・・・不動坂・・・神明社・・・瀬戸岡歴史環境保全地域(右の写真は尾崎橋へゆるやかに下る道)・・・尾崎橋(平井川)・・・尾崎観音堂・宝蔵寺・・・四軒在家(しけんざき)坂・・・道祖神・福泉寺坂・福泉寺・・・西多磨霊園・・・ずめり坂(すってくりょう坂)・兄弟塚・・・御判坂・・・鯉川橋・・・草花通り・・・久保坂(地蔵坂)・・・きつね坂跡あたり・・・代田橋(平井川)・・・おっぽり坂・・・珠陽院・寺坂・・・猿田彦碑(庚申塚)・・・秋川駅

 秋川駅から滝川街道に出て北に進み、稲荷坂と不動坂を下りました。今は稲荷社も不動堂もありません。不動坂の坂上を西に入り木立の中の神明社から北に国道184号を越えると、このあたりは瀬戸岡古墳群のあったところで都の保存地区です。坂を下ったところに大きな説明板が設置されていますが字が消えかかっていて何が書かれているか判読困難。ゆるやかに下って尾崎橋を渡り尾崎観音堂に寄り、東へ静かな小径を行き滝山街道の四軒在家坂の途中に出ました。坂の途中に地蔵堂、坂上に庚申塔があります。坂上を進むと道祖神が立つところから福泉寺坂が下って、寺の脇を通り北の方へ上り坂となり西多磨霊園の前に出ます。霊園の南側のずめり坂に兄弟塚があります。ここは面白い「すってくりょう」の伝承を持つところです(後述)。

 西多摩霊園の入口に戻り、滝山街道を北に進むと御判坂の下りとなって鯉川橋まで下り、橋を越えると上りとなります。坂下から草花通りに入るとゆるやかな上り坂となり小宮久保上バス停を過ぎ、上りきったあたりで南方向へ入るとゆるやかに下り、地蔵堂のあるところから傾斜を増して久保坂(地蔵坂)が下っています。坂下から平井川沿いに南東に進み、御堂中学校の北側あたりの崖の間の細い急坂というきつね坂を探しましたが、崖下は中学校の校内で、その隣りには住宅ができていてきつね坂は消滅してしまったようです。今は大きく迂回する坂が崖上まで続いています。坂下から南に、代田橋からおっぽり(お堀)坂を上り、坂上近くの珠陽院の西側に沿う細い寺坂を下りました。

 寺坂下を西に行くと瀬戸岡会館の庭に瀬戸岡古墳の蓋石だったという、亀の子石が置いてあります。昔は用水堀の橋に使われていたそうです。会館から南に行くと三叉の辻に猿田彦の碑が立っています。このあたりは「庚申塚」という字名が残っているところです。滝山街道に出て秋川駅に向いました。 

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc08714 稲荷坂 滝山街道(国道411号線)の瀬戸岡南交差点から南西に上る。《地図

以前、坂近くに稲荷社があった。『秋川市地名考』

Dsc08715_2 坂下から

Dsc08718 不動坂 瀬戸岡南交差点から北に下る滝山街道。

明治41年の道路改修工事の際、坂途中から不動尊が掘り出され、坂の東側に小さな堂を作り祀ったが、昭和33年の改修工事で不動堂は除かれた。現在不動尊は珠陽院に安置されている。不動尊はあらかじめ岸野某という人が土中に埋めておいて人夫に掘らせたのだという。『秋川市地名考』

Dsc08717 坂上方向

Dsc08719 神明社(瀬戸岡445)

「お伊勢森」と呼ばれる木立の中にある。祭神は天照大神。

Dsc08724瀬戸岡歴史環境保存地域(国道184号を越えた神明社の北側)

左側の段丘上に瀬戸岡古墳群がある。

Dsc08736 尾崎観音堂(菅生263・宝蔵寺境内)

秘仏は胎内仏のため、安産・子授けの観音様として信仰されている。堂の前に願かけ絵馬がかけられている。

Dsc08734「大願成就」で奉納された額絵。

子が授かったお礼だろう。

Dsc08737_1四軒在家坂への道

尾崎観音堂から東へ。

Dsc08738気分のいい道だ。

Dsc08741 四軒在家(しけんざき)坂(坂下方向) 不動坂下の菅瀬橋(平井川)から北に上る滝山街道。《地図

江戸時代の中頃、久保から二軒、若宮から二軒がこの地に移り住んだことからこの名が付いた。『秋川市地名考』

Dsc08744 坂途中の地蔵堂から

Dsc08745 堂内の地蔵さん

Dsc08742 坂上方向

Dsc08749 庚申塔(四軒在家坂上)

天保13年(1842)の建立。

Dsc08751_1 道祖神(中)・馬頭観音(左右)

福泉寺坂の坂上、道祖神は男根を形どったようにも見える。左脇に文化12年(1815)の銘がある。右の馬頭観音は天保15年(1844)の銘。『秋川市ふるさとの道』

Dsc08752 福泉寺坂(南側の坂) 四軒在家坂上から北東に福泉寺に下る。

Dsc08755 福泉寺(菅生629)

臨済宗建長寺派の寺。開山開基は不明という。

Dsc08756 福泉寺坂(北側の坂)

福泉寺から北西に滝山街道に上る。

Dsc08767_1ずめり坂(坂下方向) 菅生の西多摩霊園南の八雲神社前の「兄弟塚」の前から南方向に下る。 《地図

「すってくりょう」の話 鎌倉時代、武蔵七党の横山党の菅生の土豪小倉二郎経孝の子に菅生太郎と次郎の兄弟があった。次郎が兄の愛馬を田かきに使ったため、兄が怒って弟を成敗するといって追いかけた。弟は逃げて鯉川淵の不動尊から御判坂を上り、この坂を駆け下りるうちに、すべって転んだため、追いかけてきた兄に切り殺された。兄も自刃し、兄弟共に相果てた。兄弟の倒れたこの坂の山林に剃髪せずに並べて葬ったのが兄弟塚。ここを通ると「そってくれ」と声がかかるので、ここを「すってくりょう(坂)」と呼ぶようになった。『秋川昔物語』・『兄弟塚説明板』などから。 「ずめり」は「すめる」の訛ったものであろう。この坂でけがをするとなおらないといわれている。『秋川市地名考』 「すめる」は「すべる」の方言か?

Dsc08760 兄弟塚説明板

Dsc08761 兄弟塚(右の塚)

鳥居は八雲神社

Dsc08762 左の塚

Dsc08764 兄弟塚からずめり坂方向(写真の上の方)

Dsc08780 御判坂 滝山街道の鯉川橋交差点から南に上る。《地図》(地図では下菅生橋となっている)

坂名の由来不明。近くに御判塚、御判形があるようだが。読み方は、「ごはん」、「ごばん」?

Dsc08782_1 坂下方向

Dsc08786 坂上方向

Dsc08787_1 庚申塔と地蔵と後ろは「すってくりょう」の話に出てくる不動尊の堂か?(御判坂下の鯉川橋のそば)ここが御判塚だろうか?

Dsc08799_1 久保坂(地蔵坂) 草花2734あたりから北東に上る。《地図

坂上近くに応永年間(1394~1427)に陽向寺開祖の玉仲和尚が創立したと伝える地蔵堂(写真の正面左)がある。

Dsc08809 堂内の地蔵

弘法大師の爪書きの地蔵といわれ、自然石に地蔵尊が陰刻してあるという。

昔話「爪彫り地蔵」 弘法大師が小宮久保の渡しで平井川を渡ろうとしたが大雨で川の水が増えて渡れずに困っていた。大師は近くの家で雨宿りを頼んだが断られ、村はずれに来てしまった。一軒の家が大師を向い入れ世話をしてくれた。旅立つ時、大師は爪で石に地蔵を彫り、家の人に渡した。地蔵は願いをよくかなえてくれ、このことが村中に知れ、地蔵を彫ったのが弘法大師とわかり、人々はお堂を建てて地蔵様を祀った。『秋川昔物語』

Dsc08805 地蔵堂から久保坂

Dsc08812 坂下方向

Dsc08811 坂上方向

Dsc08819 きつね坂跡近くの坂

左の方へ上り御堂中学校の崖上に続く。きつね坂は草花2843の南あたりの崖の間を抜ける細い坂道。昔、狐の嫁入りが見られたという伝説がある。

Dsc08823 おっぽり(お堀り)坂(代田橋から) 代田橋(平井川)から瀬戸岡と原小宮の間を南西に上る。《地図

水がよく流れるように掘ったので、そう呼んでいた。『秋川市地名考』

Dsc08824 代田橋の下の平井川

ここを掘ったのだろうか。

Dsc08826 坂下方向

Dsc08827 珠陽院(瀬戸岡511)

応永8年(1401)開山という臨済宗建長寺派の寺。「不動坂」の不動尊が安置されているという寺。

Dsc08828_1 寺坂 瀬戸岡の珠陽院の西側を北方向に下る。《地図

Dsc08830坂上方向

Dsc08832 亀の子石(瀬戸岡489?の瀬戸岡会館内) 《地図

瀬戸岡古墳の石室の蓋。昭和10年頃まで菅瀬橋近くの用水堀の橋に使われていた。

Dsc08831_1 説明板

Dsc08835 「猿田彦碑」

瀬戸岡会館の南の「庚申塚」の辻。

元は「庚申塔」と刻まれた角柱石が、昭和40年頃まで脇に倒されていたという。『秋川市ふるさとの道』

Dsc08834_1天保4年と刻まれているが、土地の人の話では、明治初年に建立されたものだそうだ。『秋川市ふるさとの道』

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