横須賀市の坂-14
2007年6月23日
逗子駅 バス→久留和・・・妙忍寺・・・秋谷(あきや)の坂・・・久留和バス停・関根川・・・子安の坂・・・関根御滝不動尊・・・子安の里通り・茶屋・・・西光院・・・見晴らし台・・・炭焼き小屋・・・花立(はんたて)の坂・・・西海岸通り(国道134号)・・・前田中橋(前田川)・・・向坂・・・秋谷きらきら公園・・・十二所神社・・・芦名マリーナ・・・ごへん坂・・・西海岸通り・・・馬骨坂・・・大楠芦名口バス停→逗子駅
【地図】
今日も暑く坂道散歩よりは海水浴日和という日だった。長井行きのバスが葉山町から横須賀市に入った長者ケ崎の海岸はいい波が立っていてサーファーたちが波乗りを楽しんでいる。久留和でバスを降りて海に背を向けて秋谷の坂を上る。上りは無風状態で暑苦しいが、下りは海からの風が心地よい。子安の里は湘南国際村の造成や、子安の里通りの開通で随分変わってしまったようだが、所々に隠れ里の雰囲気が残っていて歩いていて気分がいい。
かつては生活道路だったという花立の坂は、今は山道で一般道ではない。最初から山道と思って歩けばそれほどではないが、坂道散歩のつもりでいると一苦労する。ハイキングコースみたいに整備しないとこの道もいずれ廃道になってしまうだろう。
十二所神社近くの海岸からごへん坂を上る。坂名の由来が分からない。坂沿いの大楠小学校あたりにあったという芦名城に関連のある坂名なのだろうか。坂上は西海岸通りで、かつては曲がりくねった急坂だったという馬骨坂を上り下りし、大楠山を望む大楠芦名口のバス停まで戻りバスで逗子へ向った。
写真をクリックすると拡大します。
日蓮宗の寺。
秋谷の坂(坂上方向) 妙忍寺の北側を北東に上る。《地図》
坂上あたりは戦時中の砲台道。『坂道風土記 三浦半島』
子安の坂 秋谷の関根川に沿って北東方向に上る。《地図》
左側の崖下に7基の庚申塔。真ん中の庚申塔は享保4年(1719)。
湧水を車で汲みに来る人が続く。飲食店用に大量に持って行く人もいるようだ。
正面が御滝不動尊
子安の里通りの関根トンネルを出た近く。おはぎなどを売っている。左側に庚申塔が2基安置してある。子安の里通りが開通する以前は旧道の御滝不動尊の先の崖上にあったようだ。
右は天和3年(1683)・左は明和4年(1767)のものという。
茶屋の前を通り、湘南国際村の方へ上る子安の里通り。さらに国際村から葉山町の黄金坂(葉山町)へと続く。
茶屋の前あたりから旧道に入る。
雑草に覆われている。軽部一族のゆかりの寺という。このあたりは隠れ里の雰囲気が残っている静かな所。軽部姓が多いそうだ。
子安の里で一番高いあたり。
話好きなご主人と談笑し、小休止。
いづれも享保年間(1716~35)の建立という。11基あるようだ。
享保6年(1721)建立。
庚申塔の所から左に進んだ所。
少し行くと行き止まりの感じで、何度も行ったりきたりした。
草に覆われていて分かりにくく入りづらい。今はほとんど通られていないようだ。草がはびこり露で靴とズボンはびっしょり。蜘蛛の巣を払い、やぶ蚊に食われながら進む。
「子安の里からまっすぐ久留和の海岸に出ても回り道をしないと、秋谷に行けなかった。花立の山越えならば、じかに秋谷の宿に行けた。」(子安に住む古老(平成5年当時80歳)の話) この道は、かつての通学路、生活道路でもあった。『坂道風土記 三浦半島』 今の様子からは信じられない。西海岸通りもなかった頃の話であろう。
下りとなる 《地図》(写真と地図の位置とは一致しない)
西海岸通りに出るあたりから坂上方向。正面の山越えの道が「花立の坂」だ。標高は70mぐらいしかないが。
坂下の西海岸通りから。古い民家(正面)の右側を上って行く坂が花立の坂。
向坂 秋谷一丁目の前田中橋(前田川)から南方向に上る。坂上に「秋谷一丁目きらきら公園」《地図》(道筋の標示が途切れている。)
この坂は前田川左岸の秋谷一丁目で鎌倉道だという。この坂だと思うが確かではない。
確かに海が「きらきら」輝いて見える。写真の撮り方は下手だが。
なんとなく鎌倉道風の風情がある道だが。
城山(大楠小学校あたり)にあった三浦為清(大介義明の弟)の舘の鎮守だったという。
ごへん坂 芦名1丁目の大楠小学校の南側を北東に上る。坂上は西海岸通りの大楠小入口交差点《地図》
この坂は地図にも坂名が載っているが、坂名の由来が分からない。大楠小学校のあたりに三浦為清の館(芦名城址 )があったというから、それに何か関連がある坂名なのだろうか?
馬骨坂(大楠芦名口方向) 西海岸通りの佐島入口交差点から北西に上り、大楠山入口交差点まで下る。《地図》
西海岸通りの山側の字名が「馬骨」。坂はもっと急で、今の国道(西海岸通り)を縫うように曲がりくねっていた。「子どものころ、秋谷へ行く荷車を押し上げて、駄賃をもらった。昭和40年頃まで牛も飼っていた。牛も骨が折れるので、前足の草履をはかせました。」(古老の話)『坂道風土記 三浦半島』 今は傾斜もゆるく、車の往来の絶えない平凡な坂だ。
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コメント
入口が雑草に覆われていて分かりにくく、何度も行った来たりで苦労しました。途中からは荒れてはいましたが、道らしくもなりました。
もう6年近く前のことなので、今はどうなっていることやら。整備されたか、廃道になってしまったか? ご存じなら教えてください。
投稿: 坂道散歩 | 2013年3月12日 (火) 07:50
花立の坂から秋谷に抜ける道はかなりの難所ではないのですか?
投稿: | 2013年3月12日 (火) 00:26